かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

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ブログを移転しました。


かんながら
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pinoさん >瞑想始めて5年良くなってるのかはよくわからないっす。泣 >活動的にはなりましたが、やりたい事も働く意思もあんま出てこないです。 >ただへんな焦りは随分と減った気がします。 マインドはこのように動いていきます。 活動的になった。 へんな焦りは ... 続きを読む
pinoさん

>瞑想始めて5年良くなってるのかはよくわからないっす。泣

>活動的にはなりましたが、やりたい事も働く意思もあんま出てこないです。

>ただへんな焦りは随分と減った気がします。



マインドはこのように動いていきます。

活動的になった。

へんな焦りはずいぶんと減った

でも、やりたいことも働く意思もあんまり出てこない。


人は自分の変化を、いちいち認めることができません。

なぜなら、何ごとも身についてみれば当たり前になってしまうからです。

やりたいことができ、働く意思が出てきても、劇的に何かが変わるわけではなく、また足りないところに目がいくことでしょう。


以前、睡眠障害で、なんとか眠れるようになりたいと瞑想を始めた人がいます。

一年ほど経ったころにこんなことを言ってきました。

「確かに眠れるようにはなりました。仕事も人間関係も楽にはなりました。だからと言って何か特別に変わったこともありません。このまま瞑想を続けるべきでしょうか」

眠れることが目的だったのに、そうなってみればそれは当たり前。

眠れるからといって誰が歓喜することでしょう。


この傾向は僕たちの生活全般に起きていることです。

マインドには、決して満足できない基本的な構造があるのです。


したがって人になにかしてあげた時、そのことは早く忘れたほうがいいです。

あなたからみて、あなたのおかげで相手の人生に変化が現れても、当人はそのことをすぐに忘れてしまいます。

それどころか、あなたに期待外れの面を見て不満を持つ人もいます。

そういうとき人は、まるで恩を仇で返されたような気持ちになってしまうことでしょう。

いままでに似たような経験はありませんか?


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先日、感謝の難しさを書きましたが、これはマインドの特性なので誰かにあって誰かにないのではありません。

そのようにして自分を見つめなおした時、何か見落としていた大きなヒントを得るのかもしれませんね。


かくいう僕も、与えてもらった多くのことには無自覚で、足りないところに目がいってしまう傾向にあります。

いままで出会ってきた人達にどれほど感謝の気持ちを表現してきたことか。


それはあなたに対しても同じです。

あなたがいてくれるからこそ、こうして活動ができているのだから。



今日はこちらに頂いたコメントを扱ったので、ここに書きましたが、こちらのサイトでは、この記事を最後にします。


明日からは古巣のti-daブログに移ります。


短い間でしたが、大変お世話になりました。

関係者の皆様に心よりお礼申し上げます。



・・・・・・・・・・・・・


【お知らせ】

今日からスピタメで、秋分の日イベントのビデオ配信をします。

10分間の無料動画もありますので、お楽しみください。
スピタメでは、雲黒斎くんと愚息との「わかりかけのラジオ」も再開しています。


また、阿雲の呼吸のブログも、ちんたら更新中です(^^)
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起こることは全て決定されていて、自分の意志も存在せず、すべては全体の現れとして展開している。 これは全体目線で見た時の真実だけど、だからといってこの真実を地上目線で受け入れることはできないし、意味もないことだ。 全体目線から見れば、個人という存在そのもの ... 続きを読む
起こることは全て決定されていて、自分の意志も存在せず、すべては全体の現れとして展開している。

これは全体目線で見た時の真実だけど、だからといってこの真実を地上目線で受け入れることはできないし、意味もないことだ。


全体目線から見れば、個人という存在そのものが幻想なわけだけど、この幻想はあまりに生々しくて、

「はいそうですか。幻想なんですね」

なんてわけにもいかない。


いま挙げた真実は、社会では完全に無視されているか忘れ去られているので、これからも伝えていくだろうけど、その一方で生々しいこの現実をどう生きていくのかのアドバイスも送っていきたい。

それが何もかも与えてくれた天への恩返しだろう。


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この阿部という現象は、通常の社会のレールからは完全に逸脱した人生を送ってきた。

にもかかわらず望んだことは全て叶えられてきた。

しかもそれを当たり前だと思っている。


頭は決して良いほうではない。

知能指数は人並み以下だと思う。

テレビのIQクイズなんか、答えられたことがない。

運動能力も低いし、歌だって元々は音痴だ。

とりえがあるとしたらルックスくらいだろうか。(ここ笑うとこ)


こんな無能な男がなぜ幸運としか言いようのない人生を生きてこられたのか。


その答えは一言で言うと

「うまくいくと信じているから」

これに尽きると思う。


人生とは観念の具現化だ。

自分はうまくいかないと信じている人は、本気になることもできないし、そのうちやる気も失せて、自分が失敗者だということを証明し続けることになる。

観念には、観念自体を証明していく習性があるからだ。


自分は誰とも親しくなれないと信じている人は、愛を与えてくれる人が現れても受け取ることはできない。

そして自分の周囲に壁をこしらえて、その観念を証明し続けていく。

そしてその結果を見て、さらに観念が強化されるというマイナススパイラルが発生していくのだ。


反対に、自分は成功する、必ずうまくいくという観念を持っていると、その観念が自らを証明することになり、こちらはプラスのスパイラルとなっていく。

音痴の僕が、まがりなりにも20代でメジャーデビューして何枚ものアルバムを残せたのは、自分は必ずうまくいくという信念に他ならない。

だから練習が苦にならないわけだ。


一度でもいいから、自分が抱えている観念を見守ってみればいい。

それがどのようにいまの人生を作りだしているのか愕然とすることだろう。


観念の力は想像を超えている。

実は

誕生も死も観念の産物なのだ。

実際には僕たちは生まれてもいないし、生まれていないのだから死ぬこともない。

この辺りの話はついて来られない人もいるだろうけど、最終的に伝えたいのはこういう話。


で、最後になったけれど、観念は変えることができる。

変えたければね。


マインドで観念を検証しても限界がある。

なぜなら、マインド自体が観念の作品だから。


ただ静かに坐って、自分というゲームから身を引く時間を作ること。

これが観念を浄化していく数少ない手段だと思う。

これらの観念を「カルマ」と呼ぶ人もいる。


スクリーンに映っている映像を変えようったって、それは無理な話。

ストーリーを変えたければフィルム自体を変えることだ。


今日の話は、「ふん、ふん、そうか」で終わらせずに、深く感じてみてほしい。



今日から、以前やっていたti-daブログにも、同じ記事を載せていくことにします。

ここに書いてきた4か月分の記事も、ほぼ移行することができました。

次回からはこちらへの記事のアップを終了して、古巣だけになっていく予定です。

ここにもお世話になりましたm(_ _)m


・・・・・・・・


【お知らせ】


大阪講演会のお知らせです。

12月17日

映像を交えて天河神事のご報告と、神道と神事の本当の意味、そして新しい人生「新生」をテーマにお話しします。

新しい年に向けて、きっと役に立ててもらえると思います。

お申し込みはコチラから。


東京の同様の講演は残り席わずかです。

コチラから。



来週の天河神社特別神事では、神事の他に瞑想会や無料コンサートが開かれます。

コンサートは、さとうみつろう君とのユニット「絶対他力」

瞑想会とライブには雲黒斎君も参加し、みつろう、黒斎、アベッチの初3ショットをお届けします。

すでに収容人数を超えているので受付はできませんが、これらの模様も何らかの方法でお届けできたらと思います。
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いますでにあるものを感謝したとしたら、どれくらいたくさんあるだろう。 僕自身も忘れがちなことなので、少し整理してみようと思う。 きっと100年前にタイムスリップしたとしたら、いまの生活がどれほど便利になったかがわかる。 電気もガスも水道も、止まってしまっ ... 続きを読む
いますでにあるものを感謝したとしたら、どれくらいたくさんあるだろう。

僕自身も忘れがちなことなので、少し整理してみようと思う。


きっと100年前にタイムスリップしたとしたら、いまの生活がどれほど便利になったかがわかる。

電気もガスも水道も、止まってしまったときに初めてその有難さに気づく。


その昔は世界におびただしい数の奴隷がいたし、不当な権力による搾取はいまとは比較にならないものがあった。

それらも、いまの生活を失って初めて分かることだろう。


今朝起きた時、世界から奴隷制度が消えていることに感謝した人はいただろうか。

有無を言わせぬ圧制から解放されていることに感謝した人はいただろうか。

どれだけ多くの人達が、いまのような世界の実現を夢見て人生を送ったことか。


このように言うと、

「確かに昔よりはマシになったこともある。

でもこの問題はどうする?」

という思いが湧いてくる。


これがマインドの特性だ。

マインドは決して満足することがない。


マインドは、すでに与えられているものには無自覚で、足りないものを見つけて不幸や不安を覚えるようにできているから。


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結論はこうだ。

マインドと共にいる限り、幸福を感じることはできないということ。

足りないものや、もっと幸せにしてくれそうなものに向かって、永遠に走り続けることになる。

これも大切な機能だけど、この機能に取りつかれてしまうと幸福感はいつも先延ばしだ。


足を止めて、いますでに与えられているものを数えてみようか。

水、空気、電気、ガス・・・服、靴、メガネ・・・電車、バス、スマホ、時計・・・


そんな一つ一つに「ありがたいな」って思う習慣が身についたら、自分を取り巻くムードがずいぶん変わっていくだろうね。


今日一日だけでも、時間を見つけてやってみようか。

すぐに忘れてしまうと思うけれど、そしたらまたやってみよう(^^)


・・・・・・・・・・・・


【お知らせ】

先日、瞑想を習いにいらした方が

「来るまではとても不安でした。

どんなところで何をするかと思って・・・

でも来てみたらとっても安心しました」

って。


たとえば現場風景の写真を載せるとか、僕の側にそういう工夫があったらいいね。

瞑想を習慣づけることも生きるのを容易くしてくれるからお勧めです。


初めての人には一番使いやすいハートマントラ瞑想をご指導しています。

年内は、東京、博多、大阪で開催します。


日程等、詳細はコチラから。

http://imacoco.ti-da.net/e8556274.html
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この記事は、アンドレギャニオンの「めぐり逢い」でもかけながら、ゆっくり読んでみてくださいな。 愛があれば、自分を証明する必要はなくなります。 愛だけで十分です。 愛がないと人は自分を証明するために多くのことを目指します。 政治を志し権力を得ようと ... 続きを読む
この記事は、アンドレギャニオンの「めぐり逢い」でもかけながら、ゆっくり読んでみてくださいな。





愛があれば、自分を証明する必要はなくなります。

愛だけで十分です。


愛がないと人は自分を証明するために多くのことを目指します。


政治を志し権力を得ようとする人もいます。

有名になって賞賛を得ようとする人もいます。


もっとお金を持って

自慢できる異性を所有して


世界的な企業家に

名のある学識者に

覚者に

聖者に

一流の○○に

尊敬される人に


すべては愛の代用品。


このような話が、幻想に浸かった社会から蔑視されるのは、幻想の中には愛がないからです。

愛はすべてを超えています。


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そして人の多くは愛が何なのかも見失ってしまった。

愛を知りたければ、もの心つくまえの幼児の瞳を覗けばいい。

人は例外なく愛として生まれてきたのだから。


頭の論理を重視した文明が見失ってしまったものがあり、それが世界規模の問題を作りだしています。

しかもその問題を、愛を忘れた人が解決しようとして、どれほどの時が経ったことか。


僕たちには世界を変えることはできないけれど、自らの中に愛を見つけることはできます。


いままでに、外側の世界を探して愛を見つけた人はいません。

いままでに、自分の内側深く入っていって、愛を見つけられなかった人もいません。



今朝、何気にテレビニュースを見て、そんな風に思いました。
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この新しいサイトに引っ越して数か月がたったけれど、ここが重たくて開きにくいという人も少なくないようで、またもとの家に引っ越そうかと思っています。 やっぱり十年以上使ってきた場所は、使い勝手もいいし。 とは言うものの、伝えたいことは一つしかなくて、また同じ ... 続きを読む
この新しいサイトに引っ越して数か月がたったけれど、ここが重たくて開きにくいという人も少なくないようで、またもとの家に引っ越そうかと思っています。

やっぱり十年以上使ってきた場所は、使い勝手もいいし。


とは言うものの、伝えたいことは一つしかなくて、また同じことを言い続けるわけだけど(笑)




海背景

色即是空

という有名な一句があるでしょ。


色は移り変わる現象界。

空は存在の不動なる本質。


で、この二つが「即」で結ばれている。

どちらも同時に起きているわけ。


色が波で

空が海

とも言える。


色は実体じゃなくて、色は空の運動状態のこと。

我々は波という運動状態に同化してしまって、本質である海を忘れてしまった。



だから海を思い出そうよって、

空を思い出そうよって、

そこに安らぎがあるし、波がどんなに荒れても、海は海であるということに変わりないから大丈夫だよって。


そんな話をし続けているわけです。


だからと言って、色を無視しろって話じゃない。

空の自分を知りながら、色の世界をどう生きるのか。


この両方が大切。

色即是空

だから。


空の存在をくどいくらい話ながら、色の生き方ヒントみたいなものも伝えられたらと思っています。


究極はなんだっていいのだけれど、どうせなんだっていいのなら、自分に正直に生きたいしね。


生き方については、人にアドバイスできても、自分ではなかなかできないこともある。

だからアドバイスの一番の生徒は自分だったりする。


そんなわけで、これからもよろしくお願いします。

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宇宙に遍在する量子は意識そのものではないだろうか。 その意識とは、我々が存在を認識するこの意識と同じものであって、それを個々が自分だけの意識だと感じている。 全ての存在が持つ意識は、この一つの意識(量子意識)の現れであり、全ては一つだと言うのはこのことだ。 ... 続きを読む
宇宙に遍在する量子は意識そのものではないだろうか。

その意識とは、我々が存在を認識するこの意識と同じものであって、それを個々が自分だけの意識だと感じている。

全ての存在が持つ意識は、この一つの意識(量子意識)の現れであり、全ては一つだと言うのはこのことだ。


さらには思考や記憶も量子の現れであって、肉体が朽ちた後も非肉体である記憶はそのまま残り続け、他の肉体に吸収される。

これが前世と言われるもので、転生しているのは個的意識ではなく(そんなものは存在していない)、記憶あるいは思考なのではないだろうか。


このことはずっと言い続けてきたことだが、先日とあるアメリカの量子物理学者の説がYouTubeに紹介されていて、この説と極めて似ていたので、専門家の中にも同じようなインスピレーションを持った人がいるのだと思った。


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伝えたいポイントは

量子が意識であるということ。

その意識は一つしかないということ。

さらに一番重要なのは、「あなたがそれだ」ということ。


多くの人の話は、最後の1行が抜け落ちている。

あなたがそれだということ。


ところが思考は全てを対象化してしまうので、まるで宇宙のどこかに大いなる意識なるものがあるような気がしてしまう。


これだけは内なる洞察から断定して言える。

「あなたがそれだ」


このことが分かれば、全ての重荷を降ろすことができる。

いったい何を克服しようとしていたのか。

いったい何を達成しようとしていたのか。

いったい何と戦っていたのか。


このゲームのカラクリを見抜いた時、人は初めて寛ぎのなんたるかを知る。

くどいようだけど、本当に大丈夫。


最初から最後まで救われているから。

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人生は気ままな風に吹かれて、東へ西へと運ばれていく木の葉のようなものなのか。 それとも気ままに見える風は、寸分の狂いもなく然るべき動きをしているのか。 あなたはどちらだと思いますか。 僕は後者だと感じて生きています。 人生は運命という枠組みの中で、個々 ... 続きを読む
人生は気ままな風に吹かれて、東へ西へと運ばれていく木の葉のようなものなのか。

それとも気ままに見える風は、寸分の狂いもなく然るべき動きをしているのか。


あなたはどちらだと思いますか。

僕は後者だと感じて生きています。


人生は運命という枠組みの中で、個々が自由意志を発揮しながら作り出す壮大な物語だと言う人もいます。

しかし、もし誰か一人の運命が、その人の自由意志によって少しでも変わったとしたら、その影響は周囲に及び、やがては全体の流れ自体が変わってしまうことでしょう。


本当に自由意志なるものが存在するのか。

それとも人が自由意志と信じているものさえも、大いなる仕組みの中で起きていることなのか。

このことについても、僕は完全に後者だと思っています。


このようなアプローチは、まるで自分という存在があらかじめプログラムされた操り人形のように感じてしまい抵抗があるという人もいることでしょう。

生きる気力が失せるという人もいるかもしれません。


その一方で、どうせ決まっているのなら思い切り冒険してみようと思う人もいます

最終的には人智を超えた力によって生かされているのですから、失敗しても諦めがつくというわけです。

どちらの感覚が湧いてきたとしても、そのように起きたわけですが・・・


いまあなたがこの記事を読んでいることも、あなたの意志を含めた数々の必然の結果であり、この瞬間、これ以外のことは起きなかったのです。

あなたはいま、ここに招待されたというわけです。


このことは、ありとあらゆるシーンに当てはまります。

そう思うと、どの瞬間も掛け替えのないものになっていきますね。


さて、そのような大いなる仕組みの象徴と言うべき場所が、僕にとっての天河神社です。

天河での超常現象は多くの人が報告していますが、そのようなことよりも、人と人を出会わせる、「縁の交差点」のような場所だと感じています。


今回の特別神事には、最大で300名が参加できると聞いたので、その人数の受付をさせて頂きました。

キャンセル待ちの方は700名いらっしゃいます。

これだけのパワーが一同に集まれば、何かが起きると予感しています。



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このタイミングのこの神事も、誰が作り出したわけでもなく、こうなるように運ばれたのでしょう。

前夜祭の18日夜は完全な新月であり、しし座流星群がピークを迎え、このような巡りあわせは大変珍しいそうです。

11月18日はさそり座の新月で、いまはさそり座にラッキースターの木星が入っているとのことで、とても吉兆だとか。

もちろんこれらのことは後から知ったことです。


僕の直感を言わせてもらうと

この日のキーワードは

「新生」

これも、大いなる計画だと感じています。


天も地も、そして一人一人も新しく生まれ変わる。

そんなファンタジーを胸に抱いている今日この頃です。


・・・・・・・・・


【お知らせ】

この日の天河神社でのご報告と、天河にまつわる様々なエピソード、そして今日お話ししたかった「新生」について、まとめてお話しする機会を持つべきではないかと考え、その報告会と講演を、神事の4日後の11月23日に行うことにしました。

プロジェクターで当日の模様もご紹介します。


この日はワークショップを開く予定でしたが、天河の話は神事の直後がいいと思いました。

参加ご希望の方はコチラからお入りください。
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薄茶色さんのコメント >すごい人がいなかったってことがめちゃくちゃ衝撃です。(すごくない人もいない) >これ以上に大切なことはあるだろかと思う。 このポイントは、僕が最も伝えたいことの一つです。 人生の多くの部分を「比較」が占めているのは、自分という存在を確 ... 続きを読む
薄茶色さんのコメント

>すごい人がいなかったってことがめちゃくちゃ衝撃です。(すごくない人もいない)
>これ以上に大切なことはあるだろかと思う。


このポイントは、僕が最も伝えたいことの一つです。

人生の多くの部分を「比較」が占めているのは、自分という存在を確かめるための手段。

非二元の自分(ワンネス)をダイレクトに知れば比較は消えるのですが、二元の世界に生きる限り比較は消えません。


この世には凄い人がいて、人間を超越して神の域に達した人がいると信じています。

ヒマラヤの聖者とか、どこそこの僧院のマスターとか。


このような発想は、個人という固定された人格が存在しているという誤解から来ています。

実際に起きていることは、いまという中で、あらゆる人を通してあらゆる可能性が生じては滅しているだけのことです。

本当は、あんな人もこんな人もいないのです。

ただこの瞬間、何が現れているかというだけ。


なんども言いますが、「私」と呼べるような固定された実体はありません。

そのような「私」は思考が作り出したイメージであり、実際には存在していません。

ここが理解できれば他に説明することは何もなく、あなたも思考の呪縛から解放されていることでしょう。

瞬間瞬間、水の流れのように自由に生きていくことができます。


どこそこの聖者は、まだ自分が知らない大いなる宇宙の秘密を知っていて、それに比べたら自分などまだまだで、これからたくさんの問題を克服して、高みに登らなければならないという観念。

この観念がどれほど自分を貶めてきたことでしょう。


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いまの自分をどう感じていたとしても、この世に自分以上の真実はなく、それこそが宇宙の大いなる秘密です。

このことを証明するために、権威と言われている人達と出会い、いかに彼らも僕たちと同じ人間であるかを知らしめることに活動の重点を置いてきました。

いまはもう、そのことさえも当たり前になってしまいましたが、人間が持つ観念の強さの前には、ほぼ玉砕だったかも知れません。


この世にあなたの存在以上の権威は存在していません。

もっと言えば、あなたしか存在していないのだから。


安心していいですよ。

リラックスして、自分の存在を祝福しましょう。


すでにこの瞬間、あなたは宇宙のすべてから祝福されています。

これは言葉遊びではなく、事実です。
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母の旧姓は阿部さんからの質問 質問です。 阿部さんは死を経験したことがありませんよね? なのに何故、死んでも″それ″はあり続けると断言出来るのですか? とてもいい質問ですね。 あなたの他にも同様の疑問を持っている人もいるかと思います。 でもこういうことっ ... 続きを読む
母の旧姓は阿部さんからの質問

質問です。
阿部さんは死を経験したことがありませんよね?
なのに何故、死んでも″それ″はあり続けると断言出来るのですか?


とてもいい質問ですね。

あなたの他にも同様の疑問を持っている人もいるかと思います。

でもこういうことってなぜか聞きにくいですよね。


僕がここに書いてきたことは知識ではありません。

自らの経験に基づいて書いています。

あなたが言うようにこの肉体が

「ご臨終です」

と言われたことはないのですが、

「あー、死ぬとはこういうことか」

という体験はあります。

ここが表現の難しさですが、その時それを体験している自分は消えていて、その次元の認識だけが存在しています。


その次元の存在は、生まれることも死ぬこともなく、永遠のいまの中に在り続けています。

しかもこともあろうに、その存在こそが本当の自分であることを、疑う余地なく確信するのです。

さらには、あらゆる生命体がその存在によって生かされていることも分かります。

当然、あなたもね。


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最初にその次元があらわになった時は、あまりの衝撃と、肉体を超えたエクスタシーで、特別な体験をしたような気がします。

しかしやがて、その次元が当たり前に定着しだすと、それを内側に携えながら、この夢の人生を生きることになります。


だからと言って完璧な人格になるわけでも、高い徳が身についているわけでもありません。

人格も徳も、人間が描く価値観であって、実際にはあるがままに、善から悪まで、あらゆる可能性を持った生身の人間として在り続けます。

これは誰もが同じです。

そもそも特別な人などいないのです。

自分を特別に見せたい人は多いですけどね。


さてこのよう話は、僕にとっては揺るぎない真実ですが、それを聞く者にとっては情報の一つであり仮説に過ぎません。

科学の発見であれば客観性があるので、一人が発見すればただちに世界中で共有できますが、内的な発見はどこまでいっても主観的、個的なものです。

ですから一人一人が内なる本当の自分を発見していくしかないのです。



このような文章を書くと、言葉尻を捕まえてあれこれ言いたがる人がいますが、そういうリアクションを想像して書くと、筆が進まなくなることがあります。

今日は一気に書かせてもらいました(^_^)


・・・・・・・・


【お知らせ】

禅サンガのお申し込みは今日までです。
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今日も年齢ネタで恐縮です。 僕が昔から不思議に思っていることがあって、もしわかる人がいたら教えてください。 たとえばプロ野球の選手たち。 昔はみんなオジさんに見えたのに、最近は子供のように見える。 そりゃそうだろ、お前が歳とったんだから当然だと思うかも ... 続きを読む
今日も年齢ネタで恐縮です。

僕が昔から不思議に思っていることがあって、もしわかる人がいたら教えてください。


たとえばプロ野球の選手たち。

昔はみんなオジさんに見えたのに、最近は子供のように見える。


そりゃそうだろ、お前が歳とったんだから当然だと思うかもしれないけれど、自分の内側は変わっていないし、いつも鏡を見ているわけでもなく、自分の容姿だってイメージ上は若いまま。

それなのに、やたらとみんなが子供に見える。

昔の映画に出演している老俳優が、いま同じ映画を見てみるとけっこう若く見えたりして。


無意識に自分の年齢を自覚していると言うかもしれないけれど、僕自身はそういう気はしない。

何が変わっていくんだろう。

脳の情報処理機能かな。


たぶん、鏡も映像もなく、自分の顔を見る機会がゼロだったとしても、年齢と共に周囲が若く見えだすのだろう。



なぜだろう。



そんなこと考えたことありますか?

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昨夜は、昔の歌を聞いてもらうためのささやかな音楽会を東京の自宅で開きました。 なんせ25人でいっぱいの会場。 40年近く前の歌を唄いながら、時の流れの不思議を感じました。 昔取った杵柄とは言え、ギターの指が勝手に動いていく。 歌っている者は昔と何も変わら ... 続きを読む
昨夜は、昔の歌を聞いてもらうためのささやかな音楽会を東京の自宅で開きました。

なんせ25人でいっぱいの会場。

40年近く前の歌を唄いながら、時の流れの不思議を感じました。

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昔取った杵柄とは言え、ギターの指が勝手に動いていく。

歌っている者は昔と何も変わらない。

違いがあるとすれば、頭の中の記憶が増えていることくらい。


このような経験の中で、自分が時間を超えて存在していること、自分の内側は歳を取っていないことを実感します。

この内的感覚は、幼少のころから持ち合わせていて、いまも変わらず内側にあって、この先何十年が経とうと、このまま変わらないのは明らかです。

実は赤ん坊の頃も、さらには胎内にいたころもこの感覚を持ち合わせていました。

もっと言えば、生まれる前から「これ」はあり続けています。

もちろん死んでからも、何一つ変わらず在り続けます。


それが本当の自分。


だから、「本当の自分は生まれもせず死にもしない」と言うのです。


名前や、生活態度や、社会的立場がどう変わろうと、何も変わらず自分として在り続けているもの。

その存在は外側の出来事や、内側の感覚に影響されることはありません。


しかもそれこそが本当の自分。

このことが分かれば、何があっても救われていることが分かりますよね。


だから昨日と同じことを言いますが、


心のままに思い切り生きて下さい。



・・・・・・・


【お知らせ】


禅サンガオープンキャンパスの公開は残り2日間。

お申し込みは明日までです。


今日は東京で雲黒斎君との阿雲の呼吸。

都合がつく方はいらして下さい。
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今日は誕生日だから人生を振り返ってみようか。 若いころは、働き詰めの母を楽にしてあげようと頑張った。 当時はなぜ自分はハンデを持たされているのかと思ったけれど、そのおかげで頑張れて、ささやかな成功も手にすることが出来た。 人生は何が幸いするか分からないと ... 続きを読む
今日は誕生日だから人生を振り返ってみようか。


若いころは、働き詰めの母を楽にしてあげようと頑張った。

当時はなぜ自分はハンデを持たされているのかと思ったけれど、そのおかげで頑張れて、ささやかな成功も手にすることが出来た。

人生は何が幸いするか分からないと思った。


そのうち、あんなに憧れて入った業界が急に色褪せて見え始め、虚無感に襲われた。

そんなある日、突然訪れた気づき。

「自分という主体」は思い込みだったと知った。

ことは自分がやっていたのではなく、「全体の力で、ただ起きていた」


流れに完全に任せてみようと思い立ったころ、天河神社を訪れた。

このまましばらく滞在したいと思っていたら、宮司がやってきて「しばらくここで手伝ってくれんか」と言ってくれた。

その日から今日まで生かされてきたのは、その底流に天河が流れていたからだと感じている。

理にあわない選択も、直感に従って行動してきた。

その勇気の背景にあったのは、神への信頼だったように思う。

振り返ってみれば出来過ぎの人生だった。


来月の特別神事は、熟慮して計画したわけではなく、ずっと大好きだった天河禊殿にまつわる不思議な話を聞いてから、あれよあれよで成っていった話。

こういうときこそ、その背後に大きな意味が隠されているというのは、長く生きてきた直感のようなもの。

ここからまた何かが動き出すような気がしている。


以上!



みじかっ。

60余年の人生も、言葉にすればこの程度のものだ。



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もしいま、人生のすべてをかけたメッセージをあなたに贈るとすると、



「心配するな なんとかなる!」



人は無難や安心を優先してしまいがちだけれど、そうやって長く生きながらえることが人生の成功だとは思わない。

そのようにして死を待つよりも、一瞬のきらめきのほうが生の深みを知ることができる。


生きるというのは危険を背負ってこそだということが分かるだろうか。



だから心のままに生きてごらん。


「心配するな なんとかなる!」


2017年10月27日

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このメッセージのジレンマは、目覚めへのどんな説明も、人は夢の中で受け取るということ。 しかも自分が夢を見ていることに気づいていない。 夢の中はおびただしい数の判断に満ち、信念があり、自分の意見もあります。 それらのすべてが夢であることを指摘しても、その指 ... 続きを読む
このメッセージのジレンマは、目覚めへのどんな説明も、人は夢の中で受け取るということ。

しかも自分が夢を見ていることに気づいていない。


夢の中はおびただしい数の判断に満ち、信念があり、自分の意見もあります。

それらのすべてが夢であることを指摘しても、その指摘は一つの情報として夢の中で処理されます。


夢は議論が大好きで、争いさえも引き起こします。


争いとは、人と人との争いではなく、夢と夢との争い。

それぞれが自分の夢から見ているので、争いはどちらの人も正しいのです。


いつもこのブログに、異論も反論も要らないと言っているのはそういう意味です。


もうひとつ知っておきたいのは、「少し目覚めている」という状態はないということ。

人は眠っているか起きているかのどちらかです。


繰り返しますが眠っているのが悪いわけではないですよ。

いまという無上の至福は忘れてしまいますが、だからといってあなたの本質が何か失っているわけではありません。

最初からどこにも行っていないので、道に迷っている人も、遠回りしている人も、失敗している人もいません。


だから根本的には大丈夫なのです。


その上で、もう夢にうんざりした人や、夢を夢と認識し始めた人に語りかけてきました。

なぜなら夢の人生にはこれでいいというゴールがなく、結局は同じ輪を回っているだけだから。


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さて、いくつか質問が来ていました。

>真我(私はある)と無我(私はない)が同時に真理だとしたら、矛盾を起さないように説明して頂けないでしょうか?


真我の「我」と、無我の「我」は、指しているものが違います。

無我の我は、通常我々が自分だと思っている自己を指しています。

それは夢の中の登場人物であり実際には存在していません。

したがって真実は「無我です」


真我の「我」は、存在そのもの。

これ以外には存在していない、唯一絶対の存在のことであり、あなたの本質です。

この真我であるところの本質は、夢の我が無い時に現れています。

ゆえに

真我=無我となります。



似たような話として、10年前にこのブログで、「延命十句観音経」の中の「常楽我浄」という一句を解説したとき、地上目線と宇宙目線、それぞれの「我」についても触れました。

常楽我浄3

常楽我浄7



もうひとつ質問が来ていましたが、質問の意味がわからなかったので問合せ中です。

コメント欄かこの記事上でお答えできたらと思います。


本当はなんの解説も要らず、質疑応答も要らず、ただ潔く目を覚ますだけ。

思考を取っ払って、いまあるがままの「これ」になるだけ。

にもかかわらず「これ」について思考したくなるのが夢の宿命です。



・・・・・・・・・・・


【お知らせ】

禅サンガ5期へのお申込みありがとうございました。

締め切りは10月30日です。

お申し込みはオープンキャンパスから。



阿雲の呼吸でも伝えたいことは一つです。

2人が最初に出した講演CDも、タイトルは「アラームクロック(目覚まし時計)」


年内は東京と博多で阿雲講演があります。

東京 10月29日

博多 12月2日


2人でやっているブログも面白いですよ。

降参のススメ
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人は夢を見るために生まれてきたのかもしれない。 夢と言っても希望のことではなくて、夜に見る夢でもなくて、こうして生きていること自体を夢と言っている。 何のことかピンとこない人もいるだろうけど、本当のリアリティはいつもいまここにあって、それはいいとか悪いと ... 続きを読む
人は夢を見るために生まれてきたのかもしれない。

夢と言っても希望のことではなくて、夜に見る夢でもなくて、こうして生きていること自体を夢と言っている。


何のことかピンとこない人もいるだろうけど、本当のリアリティはいつもいまここにあって、それはいいとか悪いとか解釈する以前にただあるがままにあるわけ。

ところが人はそのあるがままを解釈し、そこに記憶を投影したり、想像したり、いろんな思いを持って物語を作りだして生きているわけです。

その思いの物語を夢と呼んでいる。


『いまここはどこにも向かっていないのに、物語の中の自分は未来に向かって生きているつもりでいます』


この言葉が腑に落ちるには、徹底的に「いまここ」を体験するしかない。

その体験は「いまを生きる」というのとは違う。

そんなものはちっとも「いま」じゃない。

時間としてのいま、夢の中のいまに過ぎないから。


言っていることわかる?


わからなくても話を先に進めるね。


本当は何も起きていないんだけど、思いの中ではいろんなことが起きている。

上手くいっているとかいないとか、幸せだとか不幸だとか、いつかああなりたいとか、誰それは自分よりも上等だとか劣っているとか、とにかくいろんなことが渦巻いていて、その思いの世界を少しでも向上させようとするのが大方の人生なわけ。


その全部を夢と言うわけです。


少し分かった?

えっ?分からない?


それはね、この情報も夢の中で読んでいるから。

すでに多くの判断が持ち込まれている。



で、話を戻すと、人は夢を見るために生まれてきた。

夢が悪いって言っているんじゃないよ。

ただ、夢を見ているという事実を指摘しているだけ。


だから思いきり夢を見ればいい。


たとえ一生夢を見たとしても、あなたは夢の中の登場人物の自分じゃなくて、夢を見ている何らかの存在だから。

その存在は、見ている夢がどんなに残酷でも、苦しくても、まったく影響されていない。


このことは夜見ている夢と同じこと。

どんな酷い夢でも、目が覚めてみればあなたは何も傷ついてないでしょ。

それと同じ。

楽しい夢も、悲しい夢も、覚めてみれば大して違いはない。夢は単に夢なのだから。

だからどんな人生も、本当は大して違いはないわけ。

夢の中では、大層な違いを感じるけどね。




そんな夢の中に釈迦みたいなのが出てきて、目覚めについて語りだす。

なぜかと言うと、夢はその特性として、やがては悪夢になるようにできているから。

その悪夢の中で人はみんな苦しみを抱えて生きているから。


たしかに楽しいこともあるけれど、その背後にあるのは一連の欠乏感や欲求不満。

そうなってしまう理由は、夢を見ているのがマインドだからだ。

マインドは判断や否定というメカニズムでできているから、幸せになんてなるはずがない。


もしあなたの隣で悪夢にうなされている人がいたら、起こしてあげたくなるでしょ?

それがブッダたちがやってきたこと。

慈愛だとか、菩薩行だとか、そんな大したことじゃなくて、ただシンプルに起こしてあげたくなる。



もう一度言うけれど、夢を見たまま死んだとしても何か失うわけじゃないし、失敗したわけでもない。

ただ言えるのは、もし目覚めたとしたら、目覚めないほうが良かったとは決して思わないってこと。

リアリティは、喜びと安堵でできているから。


昨日からオープンキャンパスを公開して、禅サンガにおいでよと言っているのは、禅サンガはあなたの夢に向かって、それは夢だと言い続けている会だから。

夢にとっては何の得もないけれど、こんな話に何かを感じるとしたら、目覚めの準備ができてきているってこと。

怖くないよ。

夢のほうがよっぽど怖い。

僕はすごい会だと思う。


オープンキャンパスで公開している動画の中で、特に最初の動画はつい先日のWeb講演の模様だけど、あれも何度も見てもらいたいコンテンツの一つです。

450-20120714011324261

サンガへのお申し込みは30日まで。

早く申し込んでくれた人には感謝の気持ちでプレゼントがあります。

と、最後は宣伝になってしまったけれど、今日一番言いたかったことはこの部分(笑)


また時間を見つけてオープンキャンパスに来てください。

見るたびに違った理解が起こるかも。


オープンキャンパス



・・・・・・・・・・・・


【お知らせ】

話は変わって、こちらはナマの阿部とナマの雲黒斎に会う機会。

言いたいことは一つだけれど、相棒が変わるとまた味が変わってくるから面白い。


10月29日

阿雲の呼吸(東京)

詳細とお申し込みはコチラから


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