かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2007年03月

おはよう。 さて今日は3月31日。 人生の変化の時をむかえている人たちもいるだろうね。 卒業や就職や転職や、期待に胸を膨らませている人、一歩前進する人、後退する人、さまざまだと思うけど、何が起きていても人生の河の流れがそのような景色に差しか ... 続きを読む


おはよう。

さて今日は3月31日。

人生の変化の時をむかえている人たちもいるだろうね。



卒業や就職や転職や、期待に胸を膨らませている人、一歩前進する人、後退する人、さまざまだと思うけど、何が起きていても人生の河の流れがそのような景色に差しかかったにすぎない。



そこを通らなければ先に進めなくて、そしてその流れは必ず海にたどり着く。


いつもいま、人生で一番必要な事が起きていて、そこには無駄が無い。




しっかりと腹の底に力を入れて、目の前の現実に立ち向かっていってください。





さ、今日も生きるゾ!!



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2010年10月10日(日) Sold Out  12:20 開場 13:00~15:30 参加費 3000円 会場 アクロス福岡 会議室608 地下鉄空港線 天神駅前 お申し込みはコチラから ... 続きを読む
2010年10月10日(日) Sold Out 

12:20 開場

13:00~15:30


参加費 3000円



会場

アクロス福岡 会議室608


地下鉄空港線 天神駅前




お申し込みはコチラから
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さっき、愛と憎しみはひとつのものの両極だって話をしたね。 それが僕らの心(マインド)の限界で、僕らはふだん心を使って生きていて、マインドで人を愛そうとしているんだ。 そして僕らがその心を超えた時、そこに絶対的な「愛」がある。 それは特定の対 ... 続きを読む



さっき、愛と憎しみはひとつのものの両極だって話をしたね。

それが僕らの心(マインド)の限界で、僕らはふだん心を使って生きていて、マインドで人を愛そうとしているんだ。


そして僕らがその心を超えた時、そこに絶対的な「愛」がある。

それは特定の対象に向かう愛ではなく、普遍的な愛だ。


それを神とよぶ人もいる。



心を超える・・・これが瞑想の意味するところ。

だから瞑想と愛は違うアプローチの同じもの。



深い瞑想に入っていくと、そこに愛が存在する。

深い愛に包まれる時、それはとても瞑想的だ。



どちらも神に続く道。



キリスト教を中心とする西洋文明は「愛」の道を選んだ

東洋文明は「瞑想」の道を選んだ。


それはどちらも同じ道。



西洋と東洋が統合される時、そこに新しい文明が花開くように思う。


そんな意味からして、西洋と東洋が出合う「日本」の役割は大きいように思うんだ。







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ふつう僕たちはこう考える。 愛している人を憎んではいけない 愛している人と争ってはいけない 一見、論理的に聞こえるこの言葉だが、それは間違っている。 愛しているからこそ憎しみが湧いてくるんだ。 この世には愛と憎しみが存在しているの ... 続きを読む



ふつう僕たちはこう考える。


愛している人を憎んではいけない

愛している人と争ってはいけない



一見、論理的に聞こえるこの言葉だが、それは間違っている。


愛しているからこそ憎しみが湧いてくるんだ。

この世には愛と憎しみが存在しているのではなく「愛憎」というひとつのものが存在しているのだから。

その「愛憎」の片方に寄れば「愛」だし、もう片方に傾けば「憎しみ」になる。



それが僕らの心の限界で、心は何でも両極の間を行ったりきたりするんだ。



それなのに愛している人を憎んではいけないと考えているから、憎しみや怒りが出てくると心の中で押し殺してしまう。

でもその抑圧されたエネルギーはどこかに消え去るわけじゃない。


いつまでも心の中でふつふつと静かに燃え盛っている。


だから愛せなくなってしまうんだ。



相手を愛したかったら、たくさん争ってたくさん憎しみをぶつけ合うことだ。


するとまた片方の極に移行し、愛が燃え上がることになる。



愛と憎しみは車の両輪。

片方だけを切り取って、前に進むことはできないんだよ。



さて、そんな僕らのこの世の愛を超えた愛も確かに存在する。



その話は後ほどニコニコ



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おはよう 今日は魂の成長に役立つ、簡単なレッスンを紹介しよう。 普段僕たちは頭のセンターを使って生きている。 たえまなく考え事をして、何でも判断したり批評したり、それは朝から晩まで続いている。 そこでだ、自分の首から上がなくなって ... 続きを読む


おはよう

今日は魂の成長に役立つ、簡単なレッスンを紹介しよう。




普段僕たちは頭のセンターを使って生きている。

たえまなく考え事をして、何でも判断したり批評したり、それは朝から晩まで続いている。




そこでだ、自分の首から上がなくなってしまったイメージで生きてみるんだ。


まるで頭がなくなってしまった人間のようなつもりで、歩き、そして感じてみる。


最初のうちは「ないつもり」だが、そのうち本当に消えてしまう。




それにはコツがいる。

すぐにはできないと思うけど、何度もトライしていると、ある時ふいにできたりする。


その時、いつもはあまり使うことのなかったハートのセンターが機能しだす。



頭に流れていたエネルギーがハートに向かって流れ出す。

それまで頭を使って世界を見ていたのが、ハートから世界を見ている状態になる。





それはとても気持ちのいい時間だよ。


特に僕みたいにエゴの強い人間には効果テキメン!!




今日は一日、首なし人間で生きてみよう。






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今夜も母家に知人が来てくれたので、行ってしこたま飲んできた。 酒のせいだろうか・・・今夜は独り言に付き合って欲しい。 年寄りの戯言(たわごと)だと思って聞いて欲しい。 ずいぶん昔の話だ。 僕が北海道のTV局に出演した ... 続きを読む


今夜も母家に知人が来てくれたので、行ってしこたま飲んできた。



酒のせいだろうか・・・今夜は独り言に付き合って欲しい。




年寄りの戯言(たわごと)だと思って聞いて欲しい。






ずいぶん昔の話だ。




僕が北海道のTV局に出演した時、その番組の司会をしていたのが坂本九さんだった。



番組が終わって楽屋で片付けをしていたら、九さんが突然入ってきて

「君の歌、面白いね!青島が君に会いたがっていたよ」



青島幸男さんは、植木等さんの一連の曲の作詞をしていた人で、僕の憧れの作家の一人だった。


あの時代にあの「無責任」の発想は、まさに天才の仕事だと思っていた。


その青島さんが僕の歌を面白いといってくれた。




その歌は「あせるぜ」といって、受験戦争を皮肉り、歴代総理をなめきった歌だった。



そんなこんなで、当時青島さんがやっていたTBSのラジオ番組にゲストに呼んでもらった。



本当はものすごく嬉しかったくせに、若かった僕はそんなことより、政治家になり下がってしまった青島さんに言いたい事があった。



結局生番組の中で大喧嘩になってしまい、聴取者から何事かと局に電話が殺到した。




実は当時、ニッポン放送の看板アナウンサーとも生番組で大喧嘩をしていて、それは相手というより、僕自身に問題があったと今になって思う。




僕は青島さんに、植木等さんやクレージーキャッツに提供したあの歌の発想はどこからきたのか、そんな話を聞いてみたかったのに・・・




今となってはもうどうすることもできない。




今日、植木等さんが亡くなられたというニュースを聞いた。




僕の子供時代の憧れがまたひとつ逝ってしまった。




坂本九さんも、青島幸男さんも、植木等さんも、みんないなくなってしまった。




でも彼らが残してくれた作品は、これからも僕の目標の一つだ。





心からご冥福をお祈りします。





合掌





今夜はしこたま酔っている。





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おはよう。 9時間も爆睡してしまったけど、気分は爽快! さて今日は「常楽我浄」の最後の一文字、「浄」を見ていこう。 地上の目線から見た時の「常楽我浄」と、宇宙の目線で見たときの「常楽我浄」 これを学ぶのは、自分の普段の人生と、彼方な ... 続きを読む


おはよう。

9時間も爆睡してしまったけど、気分は爽快!



さて今日は「常楽我浄」の最後の一文字、「浄」を見ていこう。


地上の目線から見た時の「常楽我浄」と、宇宙の目線で見たときの「常楽我浄」



これを学ぶのは、自分の普段の人生と、彼方なる自分を理解するのに役立つよ。




約15年間にわたり、多くの人たちの悩みや苦しみと出会い、その苦しみが少しでもなくなるようにと様々な話やレッスンを提供してきた。



ちょっと話がハードになるけれど、その中に、幼少の頃、心無い周囲の大人によって性的いたずらをされた女性たちが少なからずいた。

その経験がその人自身やその人の人生に与えた影響は想像以上に大きい。


しかもそのような出来事を親にも誰にも言えず、ずっと一人で苦しんできた人たちも多く、そのような事件は表面化するのは一部で、僕の経験から言うと実際にはかなりの数にのぼるのではと思う。


そんな人たちに必ず伝えてきたのは

「あなたのせいじゃないし、あなたは少しも穢れていない」


そしてその言葉は気休めじゃなく、事実だ。

もちろんそう言われてもすぐに傷が癒えるわけじゃない。
でも何度でも繰り返し伝えよう。

「あなたのせいじゃないし、あなたは少しも穢れていない」



僕たちの本質は現象界とは違う次元に存在し、それは起きた出来事に影響されることは無いんだ。


それを理解するのにも大空の話は役に立つ。



僕らの人生には雷のように心を引き裂く出来事や、嵐や、雨や、様々な受け容れがたい出来事が起きていく。

そのたびに僕らは傷つき悩み、恨みや怒りや嫉妬のような感情を溜め込んでいく。

その感情が内側に向かえば、罪悪感や自己嫌悪となる。


いつしか素直な気持ちは失われ、自分が自分ではなくなり、さらにはそんな自分を責めたり罰したりするので悪循環に陥ってしまう。



しかし何十年間も否定的などす黒い雲に覆われていようと、空を引き裂くような稲妻が何度訪れようと、その背後に存在する「大空」は決して影響される事はない。

雲や雷が大空に影響を与える事はできないんだ。


大空はどこまでも純粋無垢に、その姿を変えることなく存在し続けている。


それが僕らの本質だよ。



自分がどんなに不純で汚れてしまったと思っても、それは表面的な感覚に過ぎなくて、本当の僕たちはいっさい穢れを知らない清らかな存在だ。


それが「浄」の意味するところ。

それは垢にまぎれたこともなく、したがって浄化の必要もない。

それを般若心経では不垢不浄(ふーくーふーじょう)と表している。



だから何度でも自分自身に言ってあげよう。

「本当の自分はいつもいまここで光り輝いている」って。

雲がそれを見えなくしているだけで、見えなくたって大空が消えたわけじゃないから。


だから「大丈夫」なんだよ。



宇宙の目線から見た「常楽我浄」

うまく伝わったかな。


ちなみに地上目線の「常楽我浄」を四顛倒(してんどう)と呼んだのに対して、宇宙の目線のそれを四徳(しとく)と呼ぶんだ。


同じ言葉が「過ち」にもなれば「徳」にもなる。



延命十句観音経の中に出てくる「常楽我浄」は四徳のそれだよ。



さてこの経文の説明も佳境に入ってきたね。


この後はそれほど難しくないから、すでに多くを理解したことになるよ。



最後まで読んでくれてありがとう。






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