かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2007年05月

今夜の満月に向かって財布を振って、「臨時収入をありがとうございます!」ってお礼を言えば、お金が増えるって話を聞いた。 今からでも遅くないからやってごらん。 ちなみに僕は・・・お財布持ってない ある人はやってごらんよ。 ところで ... 続きを読む


今夜の満月に向かって財布を振って、「臨時収入をありがとうございます!」ってお礼を言えば、お金が増えるって話を聞いた。


今からでも遅くないからやってごらん。


ちなみに僕は・・・お財布持ってないガ-ン



ある人はやってごらんよ。





ところで、今日の僕はなんだか幸せな気持ちで過ごしている。

奉納演奏の時、神殿では女の神様が旗を持って、右に左に踊っていらしたそうだ。


僕にはそういう霊視のような能力がないのでわからないが、沖縄でやったコンサートでは多くの場合、そういうものが見える人から不思議な光景を見たという報告を受ける。



そのすべてがその人達の思い込みとも思えないような説得力がある。



その時間帯に僕はといえば、ただひたすらに楽器を演奏し歌を唄っているわけだが、なんだかとても嬉しい気持ちになってその場に溶け込んでしまうような感覚がある。



そのせいだろうか。


特に今夜は気持ちがいい。


みんなもいい夢見てね。


とにかくお財布振ってごらん。






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沖宮(おきのぐう)への奉納演奏、無事に終了しました。 あんなに多くの皆さんに見守っていただいて、 とても素晴らしい時を過ごせました。 気がつくといつも龍神さまのそばにいます。 この龍宮の里に、 家族ともども呼んで頂いたことをありがたく思っ ... 続きを読む
沖宮(おきのぐう)への奉納演奏、無事に終了しました。


あんなに多くの皆さんに見守っていただいて、
とても素晴らしい時を過ごせました。




気がつくといつも龍神さまのそばにいます。


この龍宮の里に、
家族ともども呼んで頂いたことをありがたく思っています。




まずはご報告まで。





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おはよう。 今朝は犬の散歩が長距離コースになった。 一人で歩くときはわざわざ遠回りすることはないが、犬の散歩だとそれが苦にならない。 普段は目的地にたどり着くために歩くのであって、歩くことはそこに行き着くための手段だ。 でも散歩は歩くこと自 ... 続きを読む


おはよう。

今朝は犬の散歩が長距離コースになった。

一人で歩くときはわざわざ遠回りすることはないが、犬の散歩だとそれが苦にならない。


普段は目的地にたどり着くために歩くのであって、歩くことはそこに行き着くための手段だ。

でも散歩は歩くこと自体が目的であって、意味がまったく違う。



考えてみれば日々の活動の多くは、何かのためにやっているよね。

たとえば掃除は綺麗にするためだし、仕事は給料をもらうためだし、やっていること自体を味わうことは少ない。



今やっている事が何であれ、そこに心を込めて、深く自覚している状態を「禅」というんだよ。

それこそが生きるということ。


何をやるかが問題じゃない。

どんな自分でそれをやっているか、それが大切なんだと思う。





さて、今日は「徳」について考えてみたい。

徳の少ない僕が徳について話すのは気が引けるけど、よくよく考えてみれば「徳を積む」というのは、そんなに難しいことじゃないように思う。


簡単なことなのに、ちょっと気を抜くとそれができなくなって反対のことをしていたりする。



たとえば「人の悪口を言わない」

これだけでも大きな徳を積むことにつながる。


それは言葉に出す出さないじゃなく、心の中でも思わないようにすることだ。


油断するとすぐに、心の中で人を批判したり、裁判官になって人を裁いていたりする。



あの人はこういうところが間違っている・・・とか

あの態度は許せない・・・とか

あの性格の悪さはなんとかしてもらわなきゃ・・・とか



そういうことを思ったら、すぐに他の考えに切り替えればいい。

考えは自分で選べるから。



「人の悪口を言わない、思わない」

これだけでもすごく大きいよ。



じゃ、今日は一日そのことを練習してみようか。

その練習を「修行」というんだよ。



僕も一日修行してみるからね。

「人の悪口を言わない、思わない」






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道のり 豊見城市翁長284-2 那覇方面から来る場合 豊見城市名嘉地交差点から国道331号を南に約1,5km、翁長北(ローソンがあります)を左折します。 坂を上りきった突当りを右折。 200m先の大繁建設の小さな看板を右折して、細い砂利道を200mくらい ... 続きを読む
道のり

豊見城市翁長284-2


那覇方面から来る場合

豊見城市名嘉地交差点から国道331号を南に約1,5km、翁長北(ローソンがあります)を左折します。

坂を上りきった突当りを右折。

200m先の大繁建設の小さな看板を右折して、細い砂利道を200mくらい入った所です。


沖縄自動車道からの場合

豊見城・糸満出口を左折して3つ目の信号(ケンタッキーフライドチキンの信号の次です)を右折します。

道なりに来ると、最後に大きく右に曲がりますが、そのまま道なりに進むとすぐに突き当ります。その突当りを左折。

100m先の大繁建設の小さな看板を右折して、細い砂利道を200mくらい入った所です。

夜は看板が見えにくいから気をつけて。

大繁建設の角を曲がってからは、山道みたいになりますが、勇気をもって進んでください(^^)


家の隣に駐車できます。





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今日は何のために仕事して、なんのために生きているんだろう。 多くの人はそんなこと考えずに、ただ毎日を生きていたりするよね。 ある人は、よりよい生活のため、お金のため、家族のためだったりする。 もちろんそれも大切だけど、それらは全部死ぬ時に置 ... 続きを読む


今日は何のために仕事して、なんのために生きているんだろう。

多くの人はそんなこと考えずに、ただ毎日を生きていたりするよね。



ある人は、よりよい生活のため、お金のため、家族のためだったりする。

もちろんそれも大切だけど、それらは全部死ぬ時に置いていかなきゃなんないものばかり。



地位や名誉や財産や愛する家族や、貴重だと思っているものが多ければ多いほど、死の間際の無念さは大きいだろう。

持っていけないんだから。



時間や命を投資して獲得した富が大きければ大きいほど、死に際してはそれらに対する執着がさらなる苦痛をもたらすことにもなりかねない。






それじゃあ、死ぬ時に持っていけるのものは何だろう。


それは今生で学び高め、自分のものとした「徳」だけだ。

人によってはマイナスのカルマを積んで、「マイナスの徳」すなわち「悪徳」を積んでいく人もいる。



「徳」は死後の平安や喜びにつながり、「悪徳」は苦しみや恐怖につながっていく。



そのような観点から見れば、生きる目的はただひとつ、いかに人生で「徳」を積んでいくかということになる。




そうなると毎日の生活は、ただ生き残って生きながらえていくというものから、より高い霊性を獲得するための修業的な性格に変わっていく。



だから人生の目的は、死というものを覚悟したところに見えてくるものだと思う。



そして「死」の時は、想像しているより早く訪れるだろう。


この1年があっという間にすぎてしまったとすれば、10年30年も言うに及ばない。




自分が必ず死ぬということを自覚するのは、とても大切なことだ。

死んだらすべてがおしまいになるってことを本気で信じている人には伝える言葉もないが、死後も自分という存在が続いていくということをどこかで感じている人は、僕の話を聞いて欲しい。




僕は自分の内なる体験から、これだけは断言する。

「死」は肉体の「死」であり、存在は未来永劫にわたって続いていくということを。


したがって今生での生き方は今生だけに留まらずに、その責任はずっと抱え持って行くことになる。



それを知れば、自分勝手な生き方など許されるはずもない。




本当に幸せになりたければ、道はひとつしかない。


いかに今の人生で徳を積んでいくかということだ。


それはいつも「いまここ」から始めていくことなので、あなたが何歳でも関係ない。






次回は、「徳」を積むということに関して詳しく述べてみます。



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おはよう! 今朝も絶好調 昨夜は「いまここ塾」をやりながら、この話は会場に来れなかった人にも伝えたいって何度も思ったんだよ。 そういうことは今までにもあったけど、出てくる言葉はその時その場のことで、再現しようとしても難しい。 喋りながら ... 続きを読む


おはよう!

今朝も絶好調



昨夜は「いまここ塾」をやりながら、この話は会場に来れなかった人にも伝えたいって何度も思ったんだよ。

そういうことは今までにもあったけど、出てくる言葉はその時その場のことで、再現しようとしても難しい。


喋りながら僕自身も聴衆のひとりになっていて、僕が喋っているようで僕が喋っているんじゃないみたいなところがある。


会場に来た人達が、僕という媒体を通して、そのときに必要な話を引き出すんだと思う。

だから毎回違う話を100回以上してこれた。




昨日来てくれた人達が、自分が受け取った話を書いてくれたからそれも読んでね。





今までに何度か「生死」を越える境地を垣間見た事がある。


そのとき確信したのは、僕たちは死なないって事。


しかも肉体というお荷物から解放されるのはエクスタシーの体験で、ものすごく気持ちがいい。


気持ちがいいってことは、その感覚を認識している主体があるってことで、その主体こそが永遠の命なんだと思う。



今日はまた後で、そんなことを思い出しながら記事を書いてみるね。






そうそう、「くるくまの歌」の2番の歌詞にもトライしよう。

え?まだやっているのかって?

そうです、まだやっているのです。

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今夜のいまここ塾で話させてもらった事は、とても重要なことだったと思うので.覚えていることをここに書いて下さいね。 みんなで分かち合いましょう。 ... 続きを読む
今夜のいまここ塾で話させてもらった事は、とても重要なことだったと思うので.覚えていることをここに書いて下さいね。

みんなで分かち合いましょう。

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