かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2007年10月

僕は子供の頃から勉強が大嫌いだった。 好きなことは時間を忘れてとことん追及するけれど、興味のない事を強制的に学べと言われても、まったくやる気にならなかった。 学校の先生は常套句のように「やればできるのに」と言ってくれたが、無駄な知識をなぜ記憶し ... 続きを読む


僕は子供の頃から勉強が大嫌いだった。

好きなことは時間を忘れてとことん追及するけれど、興味のない事を強制的に学べと言われても、まったくやる気にならなかった。


学校の先生は常套句のように「やればできるのに」と言ってくれたが、無駄な知識をなぜ記憶しなければいけないのか、その理由がわからなかった。




ところが、そんな僕が人生の中でたった一度だけ猛勉強した時期がある。

中学3年生の秋から受験にかけての5ヶ月間だ。


それには理由があった。

あまりに勉強をしない僕を見て、母が涙を流したからだ。



当時我が家は母が飲食店をやっていて、酔客が夜遅くまで話す声が、奥の部屋まで聞こえてうるさかった。

とても勉強などする環境ではなかったので、そのことを話すと、母が長年保険の外交員をやっていて、そこを退職した時の退職金、なけなしの貯蓄をはたいて、静かな場所に僕の勉強部屋を作ってくれた。


そこまでしてくれたことが嬉しくて、苦労ばかりしていた母を喜ばせてあげたいと思ったし、僕が勉強することで喜んでくれるならと勉強を始めた。



高校受験は半年後に迫っていたが、ずっと勉強をしてこなかったので、中学一年の頃からさかのぼってやり直さなければならなかった。

したがって他の生徒の何倍もの努力が必要だった。



気がついたら、通学時間も休み時間も食事中も風呂やトイレの中までも、英単語帳や参考書を持ち込んで、ずっと勉強していた。



ある時担任の先生が「東京の子供達は凄い。毎日5時間しか眠らずに勉強している」って生徒を叱咤激励した。


それを聞いた僕は内心勝ったと思った。

僕は当時2~3時間しか眠らずに、それ以外の時間は全部勉強にあてていたからだ。




日々はまたたくまに過ぎ、正月を迎え受験日が近づいてきた。

約3ヶ月間の猛勉強の成果はどんなだろう。


昨年度の全国の高校入試問題集を買ってきてトライしてみた。

そして驚いた。


解けない問題が何もなかったからだ。



その後も気を緩めることなく、さらに勉強に打ち込んだ。

そして県下一と言われた最難関校を受験した。



受験が終わったその日に、合格を確信した。

全科目で100点を取れたと思ったからだ。


実際にトップクラスで合格した事を知らされるが、その合格通知が届いた時、母が大泣きに泣き崩れた。


その姿を見て、生まれてはじめての達成感を味わっていた。




今日、石嶺中学で講演会がある。

去年に引き続き、受験を控えた子供達に勇気を与えて欲しいと頼まれた。



やればできる。

やらなければできない。


人生で一度くらい本気の本気になって、何かに打ち込むことの大切さを伝えてこよう。


僕はあの半年間が、真剣に勉強をした唯一の期間だったが、そのときの体験が大きな自信になり、その後の人生に大いに役立ったのはまぎれもない事実なのだから。





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たった今まで夢を見ていた。 僕はプロダクションかレコード会社のプロデューサーで、その日はひとりの青年のオーディションだった。 はにかんだ感じの青年が、ずらりと並んだ審査員の前に立っていた。 目が印象的な、なかなかの二枚目だ。 その子 ... 続きを読む


たった今まで夢を見ていた。



僕はプロダクションかレコード会社のプロデューサーで、その日はひとりの青年のオーディションだった。

はにかんだ感じの青年が、ずらりと並んだ審査員の前に立っていた。


目が印象的な、なかなかの二枚目だ。



その子の前で遠慮のないいろんな意見が飛び出した。


「ちょっとイメージが細いな」

「これといって特徴が無い」

「女の子とセットならいいかもしれない」

「難しいな」



どれもこれも否定的な意見ばかりだ。



僕は心の中で、彼の将来性というよりは、彼が今何を感じているのかそれが気になっていた。


大勢の前に立たされて、あれこれ評価を浴びせられている。

彼自身は希望を持ち、人生を懸けてこの仕事に取り組みたいと願っている。



次々と否定的な意見が飛び交った。

そのたびに彼の顔が赤らみ、なんともなさけない表情になっていった。


そして最終的に、自分は失格だとわかった瞬間、彼の目が悔しさでギラギラと燃えていた。

屈辱感と怒りのような表情だった。


僕にはその表情が、とても魅力的に見えた。

でも自分に何ができるわけでもなく、そのまま黙って彼を見つめていた。



その瞬間、あることに気づいた。


「今日、彼が落ちたのは、彼自身の価値がないからじゃない。ここにいる多くの審査員達に、彼を売り出すだけの能力もアイデアもないというだけだ」

審査した人達は、自分の職権にあぐらをかいて、まるで自分のほうが立場が上だとばかり、横柄な態度を取り続けている。

自分の能力のなさを棚に上げて、目の前の彼には将来性がないと決め付けている。



この理不尽な現実に怒りを感じた瞬間に目が覚めた。


そしてすぐに文章にしなきゃって思った。

何か重要なメッセージのように感じたからだ。




その彼というのが、若い頃の自分自身の投影だったのか、それとも社会の評価に打ちのめされてしまった人達だったのか・・・




誰にでも唯一無二の個性がある。

その個性を花開かせるかどうかは、その人の価値というよりは、タイミングや縁といった外的要因と、情熱や意欲といった内的要因が大きいのではないか。

誰でも条件さえそろえば、その人の個性を活かして成功をおさめることができるのではないか。

だってその人は、世界にひとりしかいないのだから。



社会から認められずに、あるいは他者と比較する中で、自分を否定的に感じてしまったり、自信をなくしてしまったりした人は知って欲しい。

それは自分の価値とは何の関係もないということ。

内側の情熱さえ失わなければ、いつかめぐりめぐってチャンスがやってくるということ。



この世に価値のない人はいない。

個性の違いがあるだけだ。



無価値感・・・これこそが最大の幻想であり、自分の勇気をそこね、自分の人生を生きられなくなってしまう元凶だと思う。


生意気にも、世の中の人みんなに、そのことを伝えてあげたいと思った。




最後まで読んでくれてありがとう。



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亀田家騒動もひとだんらく。 日本シリーズもワールドシリーズもいまいち興味がもてない。 細木○子さんを肴にするのも飽きたし。 今日は何を書こうかな。 そうだ、今日は月曜日だ。 また新しい一週間が始まった。 みんなを励まそう! ... 続きを読む


亀田家騒動もひとだんらく。

日本シリーズもワールドシリーズもいまいち興味がもてない。

細木○子さんを肴にするのも飽きたし。



今日は何を書こうかな。




そうだ、今日は月曜日だ。

また新しい一週間が始まった。


みんなを励まそう!


そう言う僕は、朝からゴチャゴチャ考え事して調子は今いちだけど、元気出していくぞ!



たとえカラ元気でも、元気は元気だ。

そのうち本当の元気が出てくるだろう。



人の心ってさ、放っておくと下に下に落ちていって、最後はドツボにはまるようにできているんじゃないかな。


少なくとも僕の心はそういう特性を持っているようだ。


ついうっかりすると、終わった事をクヨクヨ考えていたり、漠然と将来を不安に感じていたり・・・

どちらも今すぐにはどうすることもできないので、考えれば考えるほど結局はドツボにはまっていく。


だからこそ、自分の心が勝手に動かないように管理しなきゃならないんだ。



そのためには、2枚の扉が必要だ。


一枚は未来への扉。

その扉をガラガラガシャーンって閉じるんだよ。

一瞬でも先のことは頭の中からシャットアウトする。


次に過去への扉もガラガラガシャーン。

終わったことは頭の中から閉め出してしまう。


これでOK。


ところが、この2枚の扉、鉄製みたに重たいときている。

なかなか閉じないんだよね、これが。


やっと閉じたと思ったら、またいつの間にか開いていたりする。



「もううんざりだ」なんて言わないで、何度でも何度でもトライしてみる。

新しいクセをつけるくらいのつもりでね。

そうすれば、本来のイキイキとした心を取り戻すことができるよ。

元の気を取り戻せる。

それすなわち「元気」



このレッスンを今日一日やってみない?

気がついたら扉が開いているから、その度にまたガラガラガシャーンってね。



僕も一緒にやっているから、そのこと思い出してね。




それじゃ、ご一緒に。

ガラガラガシャーン



もうひとつの扉も

ガラガラガシャーン



はい、よくできました


それじゃ、元気で行ってらっしゃい。




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「右に流れても 左に流れても どっちだっていいよ Let it be」 このブログのサブタイトルに使っている言葉だ。 これはあのビートルズの名曲に勝手につけた日本語詞の出だしだが、本物のビートルズのCDの日本語訳は、作者に気を使ってか直訳になってしまって ... 続きを読む


「右に流れても 左に流れても どっちだっていいよ Let it be」


このブログのサブタイトルに使っている言葉だ。


これはあのビートルズの名曲に勝手につけた日本語詞の出だしだが、本物のビートルズのCDの日本語訳は、作者に気を使ってか直訳になってしまっていて、本来の意味が伝わりにくい。


言葉には、それぞれの単語が持つ意味以上の、行間から汲み取る命がある。

それが詞というものだと思うので、自分なりの超訳をつけているわけだ。



ビートルズがこのような歌を書いた背景には、彼らがインドから大きな影響を受け、その思想に触れた経験があったと思う。


西洋は目的志向の強い国だから、その中にあって「Let it be」と唄うのは、革命的なことだったと思う。

日本も東洋とは言え西洋化しているので、この歌のインパクトは大きいと思っている。




人生に何が起きるかは誰にも分からない。

でも何が起きたとしても、それは起きるべくして起きていて、今回の人生には必要なことだったのだ。

そのように、起きる出来事を受け入れ、それを起こしている大いなる力を信頼すること。


それが「思し召すままに」という態度であり、「Let it be」という言葉だと思う。




もしそのように考えて生きられたとしたら、人生から受ける悩みや苦しみは半減してしまうことだろう。

なぜなら悩みや苦しみは、起きている現実自体が作り出しているというよりは、その出来事を拒否したり悔やんだり怖れたりする想いが作り出しているからだ。


自分の人生は、自分ひとりで作り出しているのではなく、大いなる力との共同作業によって作られていることを知ることは重要だ。

その存在を確信できれば、心の荷物はたちどころに消えてなくなるだろう。



キリストは言った。

「私のそばに来なさい。あなたの荷物を下ろしてあげよう」


僕は最初にこの言葉を聞いたとき、何か魔法めいた言葉に聞こえた。

でも今はその意味がよくわかる。



大いなる力は確かに存在する。

それはどんなときもあなたと一体で、あなたの幸せを祈り、あなたを見守ってくれている。

その例外はない。



僕たちがやることはただひとつ、「信頼」することだ。

それこそが21世紀の新しい文化の礎になっていくことだろう。




右に流れても 左に流れても どっちだっていいよ Let it be

どんな流れも いつかは海に帰る 心配ないよ Let it be

思し召すまま 流れのままに まかせてごらん Let it be





先日の東京ライブでも、昨日のライブでも、そして今夜も、僕が一番伝えたいメッセージがこの歌に凝縮されているように思う。





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今朝起きて最初にやったこと。 笑った 人生の後半は笑って過ごそう。 何が起きても笑っていられるような自分でありたい。 笑うっていうのは、ちゃかしたり、ふざけたりするのとは違う。 現実を直視しないで、笑って逃げるのとも違う。 ... 続きを読む


今朝起きて最初にやったこと。




笑ったニコニコ



人生の後半は笑って過ごそう。

何が起きても笑っていられるような自分でありたい。



笑うっていうのは、ちゃかしたり、ふざけたりするのとは違う。

現実を直視しないで、笑って逃げるのとも違う。


笑うというのは、起きている出来事の中にユーモアを見るということだ。



たとえば誰かが腹を立てている。

その波動が自分に向かってきたり、巻き込まれたりしたら、いつのまにか自分も腹を立てている事がある。

そこには現実に対する決めつけだけがあって、自由自在な観方が欠けている。

ユーモアのセンスが消えて、深刻さだけになっている。




ユーモアの感覚で人生を生きるにはいくつかポイントがあるように思う。


ひとつは、人生を義務と考えないことだ。

こう生きるべきだ、こうしてはならないなどの規則で自分をがんじがらめにしてしまうと、人生そのものが深刻なビジネスと化してしまう。

人間として成長するために、いつも自分に完璧さを強いていたら、それは単なる生真面目なロボットのようなものだ。

そこには流れるような色彩感が欠けている。




次のポイントは、起きている事をあまり大げさに捉えないことだ。

それがたとえ真理の探求にせよ、大きな商談にせよ、子育てにせよ、自分が何か重大なことに携わっていると考えないことだ。

もっと極端な言い方をすれば、この地上ではバクテリアのような無数な人間達が、争い、愛し合い、喜んだり泣いたりしているけれど、それらがすべて、些細な出来事に過ぎないということを理解することだ。

そのような現象を、さも重大な事が起きているような態度で、深刻に立ち回る人たちの喧騒の浅はかさに慈愛を持つことだ。

それがユーモアを育む土壌になっていく。


「これ」と「あれ」、「善」と「悪」といった、絶え間ない対立から自由になって、その両側を見て取れるだけの余裕があれば、自分が巻き込まれて大騒ぎすることはなくなる。


力を抜いて、優しい気持ちを取り戻すことができる。



今も、そしてこれからも、世の中はただあるがままにあるだろう。




今日は誕生日。

残された人生を、そんな感覚で生きていこうと思った。






今日と明日は母家で誕生ライブ。

若干の空席が出ましたので、お問い合わせください(866-5880)

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みなさんからのコメントにレスしなきゃと思いながら、あっというまに一日が終わってしまって、あれ?もう10月も終わりかって、なんとも不思議な気分の僕です。 外に出て仕事の打ち合わせなんかすると、相手の人が思いがけずこのブログの読者だってこともしばしば ... 続きを読む


みなさんからのコメントにレスしなきゃと思いながら、あっというまに一日が終わってしまって、あれ?もう10月も終わりかって、なんとも不思議な気分の僕です。


外に出て仕事の打ち合わせなんかすると、相手の人が思いがけずこのブログの読者だってこともしばしばで、その人は大抵の場合、僕よりも僕の事をよく知っていたりします。


あたらしいツールのおかげで、新しい関係が見えないところで始まっているんですね。


今日もここに来てくれてありがとう。




さて今日は、僕にとって一年の締めくくり。

明日から、また未体験ゾーンの年齢に突入する。



16歳の頃の日記には、「5年後、10年後の自分がどうなっているか知りたい」と書いてある。

学校をやめようと考え出した頃で、テレビに映る華やかな芸能界なる世界を目指そうって心に決めていた。

もしそんな世界に飛び込んだら、将来どんな生活が待っているのか、期待と不安が入り混じっていた。



その時描いた人生の想像図は、36歳の時点で終わっている。

そこで成功か失敗かの答えが出ることになっている。

おそらくその年齢で人生の結果が出ると思っていたようだ。



今の僕はそこからさらに十数年生きたことになる。

そしてまだ結果が出ていない。


というよりも結果など無いことに気づいた。


物事は絶えず変化し、いいこともあれば、悪いことも起きる。

幸せは見果てぬ地平線の彼方にあるのではなく、まさに「いまここ」のあたりまえの景色の中にあることもわかった。


あの頃は、40代、50代は、もう人生の黄昏時で、終焉を待つような年齢のように思っていた。


でもそんなことはない。

今が「青春ど真ん中」だから。



あのころの少年の僕に伝えてあげたい。

君の人生は80%くらい願いが叶ったよ。

でもそれは幸せとは無関係の出来事だった。



そんな夢を全て放り出して、ひとりのあたりまえの自分を受け容れた時、想像を超える祝福が訪れたよ。


それはいろんな経験をして初めてわかることなんだ。


だからね、歳をとるって、とても素晴らしいことだよ。




50代の初老の男から、16歳の少年へ。

「人生とは、想像を超えた素晴らしい旅だ。君は祝福されている」





僕たちは誰ひとり例外なく、最初から祝福されています。

それをいつ見抜くか、それが人生の目的なのかもしれません。



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おはよう 僕らの幸せは人間関係で左右されることが多いよね。 だから僕らは、人に嫌われないように、人によく思われるようにして生きている。 にもかかわらず、知らずに人を傷つけてしまったり、怒らせてしまったりした時はどうしたらいいんだろう ... 続きを読む


おはよう



僕らの幸せは人間関係で左右されることが多いよね。


だから僕らは、人に嫌われないように、人によく思われるようにして生きている。




にもかかわらず、知らずに人を傷つけてしまったり、怒らせてしまったりした時はどうしたらいいんだろう。



そういうことってあるよね。


そんなときに僕自身がやってきた事がある。


ちょっと勇気がいるけれど、やってみるとけっこう効果的だから紹介します。



相手が家族であれ、友人であれ、仕事関係者であれ、すれ違いが生じたり相手から敵対されたら、自分のほうから相手に近づいていくんだ。


通常は、無意識に自分のほうが距離を取ってしまいやすいからね。



そして、

「ごめんなさい、私のやり方がまずくてこんなことになってしまいました。
自分を変えるように努力します」

という類の事を言ってみる。



その後で自分の一番いい面や明るい面を表現して、自分のありかたを変えてみるんだ。

自分が変わった事が相手に伝われば、相手も変わるよ。


相手だって、できることなら誰とでもうまくやりたいと考えているんだから。



自分が相手に対して苦しい時は、相手だって自分に対して何らかの苦しみを抱えているのだから、その苦しみをわかってあげられたらいいんだよね。



素直な心が持てたら、簡単に解決してしまう事がたくさんある。

素直な心が持てたら、問題はみんなシンプルだ。


たんなるコミュニケーションのすれ違い。




こんなことを言っている僕は、わかっていてもこれができずに問題を大きくしてしまった事がある。




何故できなかったのか。


恥ずかしいのかな・・・

受け取ってもらえないかもしれないのが怖いのかな。

負けた気がして悔しいのかな・・・

相手を許したくないのかな・・・




でも勇気を持てば、奇跡が起こる。




人生はこんな事の連続で、いつも僕たち次第で現実を作り変えていけるんだよね。



人とうまくいかないときは、本当はどうしたいのか自分に聞いてみる。


そして勇気を持って行動に移す。


「想い」と「行動」を一致させればいいのだ。




いつかみんな死んじゃうんだから、その前に・・・ね。


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