かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2007年11月

さあ、今日も書くぞ! って・・・何書くの? 何書くの?・・・そりゃあなた、メッセージでしょ。 何のメッセージ? そんなこと今さら聞かないでよ。さんざん書いてきたのに。 たとえば、 すべては「ひとつ」だとか・・・ ... 続きを読む


さあ、今日も書くぞ!




って・・・何書くの?




何書くの?・・・そりゃあなた、メッセージでしょ。




何のメッセージ?




そんなこと今さら聞かないでよ。さんざん書いてきたのに。


たとえば、

すべては「ひとつ」だとか・・・

過去も未来も存在しなくて、いつだって「いまここ」だとか・・・

個別意識は幻想で、実際には「大いなる意識」しか存在していないとか・・・

人生は夢のようなものだとか・・・




すでに書いたんだったら、もう書かなくていいじゃない?




そんなこと言ったって、2012年の12月22日まで書き続けるって、自分と約束したし・・・




自分との約束なんか、すぐに破ってきたくせに。今回もどうせ続かないよ。




そういう投げやりな言い方はやめてほしいな。

とにかく2012年の・・・・あっそういえば、先日「アセンション」をけんさくしたんだ。










森田健作






違うよ。検索!ムカッ
(最近、オチが甘い)


そしたらけっこうたくさん出てきて、それが「精神世界ランキング」にいっぱいあった。

で、この際だから、僕もそこに参加しようって、昨日からクリックボタンをここに貼り付けているわけ。




2012年・・・ホントに地球がアセンションするのかはわからないけれど、そうやって期限を設ければ、「いつか、いつか」って言っていたことを、最初にやり遂げてしまおうっていう想いにもなる。


実際に時間感覚はますます速まっていて、10年前の倍くらいのスピードで過ぎているような気がする。


テクノロジーの進歩や、いままでの社会システムの老朽化や、この先何が起きてもおかしくない時代だと思うので、大変革の準備だけはしておいてもよさそうだ。



アセンションは地球規模って言うけれど、結局は自分が地球なわけだから、まずは自分自身が自我の囚われから自由になって、全体意識を悟ってしまえば、そのとき地球全体が悟るんだ。


数学みたいに個を足し合わせたのが全体じゃなくて、「個=全体」だから。



こういうことを頭で解釈しようとすると難しいけど、みんな心のどこかで感じているんじゃないかな。


この世には自分しかいないってこと。





気がつけば、また同じことをグタグタと書いている。

これしか言いたいことないし・・・




よし、これからも張り切って書くぞ!


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昨日「慈眼施」をやってみて思ったこと。 けっこう普段は無意識に、悪い目つきで人を見ていたなって。 あわてて目つきを変えたりもしたけど、無意識な生活パターンに意識が持ち込まれただけマシだったかな。 それにね、優しい目になると少しいい男になっ ... 続きを読む



昨日「慈眼施」をやってみて思ったこと。

けっこう普段は無意識に、悪い目つきで人を見ていたなって。

あわてて目つきを変えたりもしたけど、無意識な生活パターンに意識が持ち込まれただけマシだったかな。



それにね、優しい目になると少しいい男になったような気がした。


この際だから、目だけじゃなくて顔全体でやってみようか。




あるんだな、そういう布施明、じゃなかった、そういう布施が。

それじゃ、今日は二つ目にいってみよう。




昨日の慈眼施(じげんせ)とあわせてやれば効果覿面。







今日のちょこっと修行は「和顔施」(わがんせ)

別名「和顔悦色施」(わがんえつじきせ)とも言って、ニコニコと朗らかな笑顔で、相手を見ましょうという意味だよ。


反対の言い方をすれば、自分の気分がどんな状態でも、しかめっ面をしたり、嫌な表情は慎もうってこと。



昨日も言ったけど、他の原因で不機嫌な顔をしていても、そんな顔で見られた相手は、自分に原因があるような気がしてしまうからね。


まちがっても相手にそんな気持ちを与えないためにも、いつもニコニコしていることを心がけようってわけだ。




気持ちのいい笑顔に逢ったときは、なんだか心が救われる気がするよね。


僕の友人で、ラジオディレクターしている、匿名希望じゃない梅ちゃんって男がいるんだけど、彼の顔なんか、歩く「和顔施」みたいなもので、いつだってニコニコしてくれる。


いつでも何処でも誰にでも同じような笑顔でいるってことは、かなり怪しい社交的な笑顔だって思っていたけど、それでも憮然とした顔で見られるより100倍いいよ(笑)


彼自身、その行為が布施行にあたるなんて思っていないだろうけど、知らず知らずに仏の行をしているわけだ。



笑顔はいいよね。

気持ちがいい。



そう言えば、向和尚が事あるごとに唱えているマントラ(真言)に、地蔵菩薩のご真言がある。


ちょっと変わった響きで

「オン カカ カビサンマ エイ ソワカ」

って言うんだ。


このカカていうのは、カッカッカっていう笑い声で、呵呵と書くらしい。



困ったことや苦しいことがあったとき、お地蔵さんの前に佇んで手を合わせると

「カッカッカ、大丈夫だよ、気楽にいきなさい」

って勇気づけてくれるんだ。



僕らが意識してこの「和顔施」を行えば、それはお地蔵さんと同じ菩薩行にもなるわけで、世の中を少し明るくする。



難しいことを考えるよりは、単純に笑顔を心がけたほうがずっといいよね。



顔は笑っていても目つきが恐いと何にもならないから、昨日の「慈眼施」とあわせてやってみよう。


これで今日からあなたも地蔵菩薩だ。




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もう11月も終わりか。 今頃、方広寺は寒いだろうな。 7年前に最初にホームページを作ったとき、向和尚と方広寺周辺の写真を撮って回ったのが、ちょうど今頃だったっけ。 寒かったよな。 これがそのときの写真。 懐かしいな。 あれから ... 続きを読む
もう11月も終わりか。

今頃、方広寺は寒いだろうな。

7年前に最初にホームページを作ったとき、向和尚と方広寺周辺の写真を撮って回ったのが、ちょうど今頃だったっけ。


寒かったよな。

これがそのときの写真。





懐かしいな。




あれから僕は、暖かい沖縄でぬくぬくと暮らさせてもらっているけど、修行僧のみなさんは今朝も早くから、坐禅したり読経したりしたんだろうか。


修行するぞ 修行するぞ 修行するぞ 修行するぞ 

修行するぞ 修行するぞ 修行するぞ 修行するぞ 


ここまで言うと嘘くさいし危ないけど、どうせ同じ一日を過ごすなら、何か修行らしきことに触れていたいと思うのも、これまた人情。




じゃ、何か日常的にできる簡単な修行を紹介しようか。


アセンションに向けての、悟りへの道シリーズその1



「なまけ者の悟り方」って本があったけど、僕みたいな超なまけ者のためのシリーズです。








僕らが悟るための方法で、よく言われているのが波羅蜜(はらみつ)という修行法。

有名なのは六波羅蜜といって六つあるんだけど、今日はその中でも一番簡単に生活の中でできるのを紹介するね。



その名も「布施」

もちろん布施明じゃない。


施しをするってこと。



何を施すのかっていうと、金銭や物ばかりじゃないんだ。

もっと行動レベルでできることがあって、それも七種類伝えられている。



「無財の七施」って言うんだよ。



今日はその中のひとつをやってみよう。

それが習慣になったら、また他のも紹介するからね。




慈眼施」(じげんせ)

目つきのことだよ。




僕らは一日のうちでたくさんの人達と顔を合わせるよね。

目と目が合うことも頻繁にある。


自分じゃ気がつかないけど、自分の心配ばかりしていると、つい目つきが険しくなって、眉間にシワが寄っていたりする。


そんな時に目を合わせた相手は、その不機嫌な顔つきが自分に向けられたみたいに誤解してしまうこともある。


悪気はなかったのに関係に距離ができちゃうことだってある。




だから目つきはとても大切なんだ。


そこで、いつも優しい目を心がけて、人と目を合わせるときも、温かいエネルギーを相手に送ろうって意識するわけ。

出会った相手に、安心感や喜びを与えることになるから、それが布施だよ。



誰かの心が少しでも平和になれば、世の中も少しだけ平和になる。


この世の波動を作り出しているのは、自分自身だって思えたらいいね。



そうやって優しい目つきを心がけていると、気持ちまでもが優しくなってくる。

それに、不断の気づきも持ち運べる。


だから修行になるんだ。




どう?これなら簡単に始められそうでしょ。



最初はちょっとそのことを意識するだけでもいいからやってごらんよ。


僕も今日は慈眼施の一日にしてみます。



これで世の中ちょっとだけ明るくなるはず。





それじゃご一緒に



じげんぜビーム!






これも布施
  ↓









こっちは布施明
   ↓



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今日の沖縄は雨。 自転車通学の息子を高校へ送ってきた。 今は一人書斎に入り、大好きな音楽をかけて、お気に入りの香を焚いて、こうしてパソコンの前に座っている。 窓の外では雨音が静かに街を濡らしている。 椅子の上で足を組んで、深い呼吸を繰 ... 続きを読む



今日の沖縄は雨。

自転車通学の息子を高校へ送ってきた。



今は一人書斎に入り、大好きな音楽をかけて、お気に入りの香を焚いて、こうしてパソコンの前に座っている。

窓の外では雨音が静かに街を濡らしている。


椅子の上で足を組んで、深い呼吸を繰り返してみる。


外側で起きていることが自分から離れていく。



たくさんの人に支えられ、こうして生かされていることのありがたさを誰に感謝しようか。

妻や子や大切な人達・・・あなたに会えた幸運を誰に感謝しようか。


僕を通り過ぎていったたくさんの人達。

幸せや、喜びや、悲しみや、憎しみや、いろんな感情を与えてくれた人達。

関わってくれたすべての人達にありがとう。



そのすべては今の自分になるために必要なことばかりで、人生には何一つ無駄はなく、まったく無駄に思えた退屈な時間も、遠回りさせられたと思ったことも、すべては必要で大切な出来事だった。





人生は完璧だ。

すべての人の人生は完璧だ。



完璧なる神は、完璧なものしか創ることができないのだから。

巨大な宇宙からミクロの細胞にいたるまで、すべては完璧なバランスの中で刻々と運動を続けている。




我々をはるかに超えた知性が存在する。

そしてその力は、あなたの中であなたを生かしているその力だ。



そんな完璧な力に任せてみよう。




いまがどのように見えようと、それはそれでうまくいっているのだから。

小さな自分が、はるかなる知性に抵抗するのはやめよう。




その力に降参して流れに身を任せてみよう。


そうすればいつか必ず海にたどり着く。



じたばたしなくても大丈夫だ。



僕らの面倒は天が看てくれている。






Have a good day! 








今夜も「いまここ塾」やってます。
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おはよう。 また月曜日だ。 3連休明けの月曜日は、いつもよりも気合が必要な人もいるかもしれないね。 なんだって気の持ちようだよ。 とりあえずは、 「息を吸って私は静か」 「息を吐いて私は微笑む」 でもってニッコり笑ってみよう。 ... 続きを読む
おはよう。

また月曜日だ。

3連休明けの月曜日は、いつもよりも気合が必要な人もいるかもしれないね。



なんだって気の持ちようだよ。


とりあえずは、

「息を吸って私は静か」

「息を吐いて私は微笑む」


でもってニッコり笑ってみよう。



現実がつまらないからつまらない顔になるんじゃなくて、つまらない顔しているから現実がつまらないんだ。


よし、それじゃ僕があなたを笑わしてあげよう。





・・・・・・・・・










がちょ~~ん!










ん?これはもうやったか・・・





それじゃ・・・














 しぇ~~!





















だめかガ-ン

















 死刑!


















すまん、これというネタがない。





50歳過ぎてるし・・・







ま、とりあえず笑うのがいいよ。



気分は変えられるからね。

その気になれば変えられるよ。




現実が気分を作っているんじゃなくて、気分が現実を作っている。

だから人のいないところに行って、無理やり笑うのが一番。

人がいる場所で無理やり笑えば、みんなが気を使ってくれて楽かも。





機嫌がいい人も、さらに笑ってみよう。




笑えば余裕が出てきて、自分に向かってきた嫌な波動も、正面から受け止めないでかわせるしね。




それじゃ、ご一緒に。


「笑う門には福来たる!」






今日もいい一日でありますように。
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昨夜は久しぶりのギターとピアノだけの弾き語りライブ。 このスタイルが本来の僕で、曲間に「いまここ塾」みたいなことを喋ったりする。 深夜12時近くまで25曲も歌ったのに、次が最後の歌だと言うと「え~っ!」って言われる僕のライブは、年齢のわりにはか ... 続きを読む



昨夜は久しぶりのギターとピアノだけの弾き語りライブ。

このスタイルが本来の僕で、曲間に「いまここ塾」みたいなことを喋ったりする。

深夜12時近くまで25曲も歌ったのに、次が最後の歌だと言うと「え~っ!」って言われる僕のライブは、年齢のわりにはかなり過酷だ。


以前は酒を飲みながらのライブで、テキーラをストレートでぐびぐびとやりながら、終わる頃にはボトル一本空けていたりしたので、翌朝がきつかった。

最近はお酒をやめたおかげで、今朝の体調はすこぶるいい。



ブログを見たのがきっかけでライブに来てくれる人も増えてきた。

そのことはすごく嬉しいことで、なぜそんなに嬉しいのか考えてみると、ここ(ブログ)には僕の活動の本質が純粋な形で表されているからだと思う。


いろんな講演会に呼ばれると、その対象者によって演題を決めるけれど、どんな入り口から入っても、伝えたいことはひとつで、それはここに書き続けていることだ。


ライブコンサートも、歌や雰囲気を通して、そのことを分かち合うのが目的だ。


だから、ここのメッセージから入ってくれた人は、そのことを受け取る用意ができているので、やっていてやりがいがあるのだと思う。





「いまここ」


この一言にすべてが含まれている。



過去などどこにも存在していない。

それは個々の頭の中に記憶としてあるだけだ。


未来もどこにも存在しない。

それは過去という素材を基にした、想像でしかない。



いつだって存在は「いまここ」にある。


草も木も、動物達も、そして僕らの体の機能、心臓も肝臓も血液も何もかも、いまここに生きて、いまここに活動している。


人間だけが、人間の心だけが、過去や未来にあって、「いまここ」を見失っている。



すべての後悔は「過去」のものだ。

全ての心配は「未来」のものだ。


それは存在していない。




窓を開けて深呼吸をしてみる。

耳を澄まして、かすかな音まで全部聞いてみる。

静かな気持ちがよみがえって来る。



今も刻々と現実は新しく生まれ続けている。

さあ、もう考え込むのはやめて、「今」と一緒に生きてみよう。



それこそが「生きる」ということなのだから。




今日もここに来てくれてありがとう。




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おはよう。 すいぶん寒くなってきたみたいだけど、ここ沖縄は今でも日中は車の中でクーラーをかけているよ。 やっぱり日本は縦に長いんだね。 さて今日も釈迦の話をしてみよう。 釈迦というと、あまりにも偉大なイメージで、自分からはか ... 続きを読む



おはよう。

すいぶん寒くなってきたみたいだけど、ここ沖縄は今でも日中は車の中でクーラーをかけているよ。


やっぱり日本は縦に長いんだね。





さて今日も釈迦の話をしてみよう。




釈迦というと、あまりにも偉大なイメージで、自分からはかけ離れた人のように思ってしまうけど、それもひとつの落とし穴だよ。

この世には、あなた以上の人も、あなた以下の人も、ひとりも存在していない。


あなたも僕も釈迦も、同じ成分でできているけれど、この世に現れている形態が違うだけだ。



ちょうど水と氷のような関係だ。



それはどちらも同じH2Oで、同じ成分だけど、水は流れていて、氷は固まっている。


覚者(ブッダ)は、何一つ過去を持ち運ぶことなく、瞬間瞬間を流れるように生きている。

一方僕らは、自分や世界を過去の観念で決め付けて、固まった人生を送っている。



常にいま、新しい「今」が生まれている。

毎日が同じように見えるかもしれないけれど、実際には何一つ同じことは繰り返されていないんだ。


街の景色も、毎日顔を合わせるその人も、昨日とは何かが違っている。


それなのに、同じにしか見えないのは、僕らの見方が固まってしまったからだよ。



僕らは、「今」という新しい現実に、過去の知識を重ね合わせて、過去を経験してしまうんだ。

だから何の感動もない。


過去の知識や観念を持ち運ばないこと・・・その生き方をブッダというんだ。


ブッダ達は予測不能だ。

あらかじめ決められたスタイルがないから、何を言うのか何をするのかまったくわからない。



一方、僕たちはある程度の予測がつく。


「これはしてはいけない」「するべきだ」「ねばならない」をたくさん持っていて、こういう場面ではこうするだろうというパターンを生きているからだ。





それを象徴する釈迦のエピソードも残っている。


あるとき、弟子が釈迦に尋ねた。

「道を歩いていて、もし腹をすかせた人が倒れていたら、悟った人(ブッダ)はその人を助けますか」


釈迦の答えはこうだ。

「助けるかもしれないし、助けないかもしれない」



それは起こることであって、することではない。


「すべては起きている」


そこに「やっている者」は存在していない。

この感覚が無我の境地であり、ブッダフッドと呼ばれるものだ。




僕らは社会にしつけられて、しつけられたから人格者になれたと思っているけれど、本当は生まれつき、大いなるものの一部としての完全な叡智を携えている。


しつけは外側から与えられた条件付けであって、僕らを縛り付けている鎖のようなものだ。

それは自由な感覚を奪い、人をロボットや操り人形のようにしてしまう。



もう一度、生き生きした感覚を取り戻すには、そんな条件付けから解放されることだ。


自分を信じられなくて、自分の行動を見張りながら、間違いを犯さないように用心深く生きているあいだは、条件付けがなくなることは恐怖かもしれない。


その恐怖が結晶化したものが「自我」だよ。




なんだか今日はスラスラと気ままに書いてしまったけれど、こういう話は大好きで、始まったらなかなか終わらない。


「いまここ塾」って、いつもこんな調子で話が展開していく。



こうやって文字にすると、かえってわかりにくくなってしまう人もいるかもしれないけれど、また機会をみて、同じことを違う言い方で書いてみます。

きっと、いつか腑に落ちるときがくると思います。



僕たちは一人ひとりが、まったく違う環境で生きているけれど、その一方で同じような罠にはまっているのです。



今日も最後まで読んでくれてありがとう。








昨夜は母家で大城友弥君を囲んでのライブコンサートがありました。
(ライブのもようはhttp://omoya.ti-da.net/)

梅ちゃん、照ちゃん、友弥君、笑いと涙をありがとう。


今夜は僕のソロライブです。


お問い合わせは母家(098-866-5880)まで。


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