かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2008年01月

たとえば同期入社の仲間が、上司に引き立てられて一人だけ出世したとき、その人の成功を喜べますか。 他人の成功を心から喜ぶ・・・正直言って難しいですよね。 その人が成功したからって、自分が何かを失うわけじゃないのに、素直にそれを喜べないのは何故 ... 続きを読む


たとえば同期入社の仲間が、上司に引き立てられて一人だけ出世したとき、その人の成功を喜べますか。



他人の成功を心から喜ぶ・・・正直言って難しいですよね。


その人が成功したからって、自分が何かを失うわけじゃないのに、素直にそれを喜べないのは何故でしょう。

やはり僕らは無意識にいつも他人と自分を比べていて、相手がうまくいってしまうと、自分がつまらない存在になってしまったような気がするんでしょうか。




このような嫉妬は、人生につきものです。


頭では、他人の成功を喜ぶべきだとわかっていても、実際にはそうではない感情に支配されて、挙句の果てにそんな自分が嫌になったりします。

相手への嫉妬と、自己嫌悪。

これは長い間僕自身が苦しんできたことで、今だって心の底から人の成功を喜んでいるかと言えば、そうとも言い切れません。


でも昔に比べればだいぶ良くなりました。




そのきっかけは、自分という存在は人の幸せに貢献するためにあるという考えをも持ち始めたからです

これも完璧にはできていませんが、仕事や活動を決める時の指針になりつつあります。



そうなってみると他人の成功は僕にとっても嬉しいことになります。


だって、その人は僕が何もしなくても幸せになってくれたからです。

そんなふうに思えるようになったのは大きな進歩です。

何より自分が楽ですし、そんな自分を認めることができます。



僕の経験では、人を羨んでいた時は、その相手にあまりいい波動を送っていなくて、その結果自分自身にも悪い波動を浴びせて、悪い現実を引きつけていたと思います。


相手への嫉妬や批判は、そのまま自分の現実に反映してきます。

他人に対する考え方は、そのまま自分の経験に繋がっていると思います。



たくさんの過ちを犯しながら生きてきて、今思うのは、心が穏やかで幸せであるための基本は「利他心」だということです。


これは道徳上のモットーではなく、自分が幸せであるための鉄則なのだと思うのです。




「利他心」



これからの時代のキーワードかもしれません。



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人間関係のトラブル・・・人生の課題の一つですよね。 みんな心の底では、誰とでもうまくやりたいと考えているんでしょうが、実際にはそうならないことがあります。 ちょっとしたボタンの掛け違いで、深刻な事態を招くことさえあります。 衝突している人た ... 続きを読む


人間関係のトラブル・・・人生の課題の一つですよね。

みんな心の底では、誰とでもうまくやりたいと考えているんでしょうが、実際にはそうならないことがあります。

ちょっとしたボタンの掛け違いで、深刻な事態を招くことさえあります。



衝突している人たちを見てみると、どちらもきちんと生きている人で、大きな欠点があるわけでもありません。


それじゃ、なぜうまくいかなくなるんでしょうか。

そこにはいろんな原因があると思います。

僕自身を考えてみると、独断的な態度で自分の考えを押し通そうとする時が多いです。

相手の立場に立って状況を見てみるという、余裕を忘れてしまったときです。


自分は正しいのに、なぜ相手はそれがわからないんだろうなんて考えても、相手もそう思っていたりします。


相手の側から状況を見てみる。


このような態度で生きていったら、仕事も人間関係も、なにもかも劇的に改善されるでしょうね。



誰かと対立したときは、無意識に相手に負けたくないと思いがちですが、勝とうとすると勝てないと思います。

それは対立を深めるだけだからです。



むしろ負けたつもりになって戦いをやめて、相手の目線から出来事を眺めてみる。

そして相手の正当性をよく感じてみる。

相手の気持ちがわかったら、相手が楽になるような、安心できるような状況を作らせてもらう。



それができれば問題解決。



そんな僕らに足りないのは、そのわかっていることを行動に移す素直さと、勇気なのかもしれません。


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うまくいっている出来事も、悩んでいる問題も、いつか必ず過ぎ去っていきます。 すべては束の間。 それもまた過ぎ去るのです。 全ての現象は束の間で、例外なくすべてが過ぎ去っていく・・・これだけはまぎれもない真実です。 それは宿命。 宇宙の仕 ... 続きを読む
うまくいっている出来事も、悩んでいる問題も、いつか必ず過ぎ去っていきます。

すべては束の間。

それもまた過ぎ去るのです。



全ての現象は束の間で、例外なくすべてが過ぎ去っていく・・・これだけはまぎれもない真実です。




それは宿命。
宇宙の仕組み。


その仕組みに逆らおうとしても勝ち目はなく、過ぎていくことにしがみつけば苦しみが生じます。

苦しみは、その人の思い込みの強さと比例しています。




僕らは何かを失うことを恐れるけれど、もともと何一つ自分のものじゃありません。

すべてはただあるがままにあるだけです。


そのあるがままの現実に、自分の思いこみを投影します。

区別をし、レッテルを張り、現実に対して自分なりの秩序を与えるのです。



それは自分本位の解釈から生まれたもので、実はまったくちがう角度から同じ出来事を解釈する可能性はいつもあるのです。


そうやって自由自在に物事を見ることができる能力は、深い洞察によって得ることができます。

それが観自在の力です。

その力を得れば、苦しみは消えてなくなります。




執着、思いこみ

これが僕たちを苦しめる元凶だと思います。


そのような思いこみによってできた世界が「マーヤ」です。


マーヤとは僕たちの人生そのものなのです。



したがって僕たちには2つの生き方しかありません。




夢の中でマーヤを生きるか、目を覚ますかです。



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嵐が吹き荒れ、やがて何事もない平穏な日々が続き、そしてまた風が吹き、雨が降る。 僕は物見だ。 目の前の場面は次々と展開し、来たものは去っていくけれど、いつも変わらずずっとここにあり続けるもの・・・それが自分なのだろう。 希望の後に失望が ... 続きを読む


嵐が吹き荒れ、やがて何事もない平穏な日々が続き、そしてまた風が吹き、雨が降る。

僕は物見だ。


目の前の場面は次々と展開し、来たものは去っていくけれど、いつも変わらずずっとここにあり続けるもの・・・それが自分なのだろう。




希望の後に失望が、悲しみの後に喜びが訪れる。


巡り巡って、めぐりめぐって、やっぱりまた「いまここ」だ。



なーんだ、そうだったのか。



悩んでいる人に教えてあげよう。

「それもまた過ぎ去る」って。




「それもまた過ぎ去る」




なんて素敵な言葉だろう。



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生きるって理屈じゃない。 生きるって論理でも科学でもない。 論理や科学は一定の方向に結論を持とうとするけれど、生に結論はない。 実際の話、それはどこにも向かっていない。 人は生きているという現象を捉まえ切れないから、この先に何かが待って ... 続きを読む


生きるって理屈じゃない。

生きるって論理でも科学でもない。


論理や科学は一定の方向に結論を持とうとするけれど、生に結論はない。


実際の話、それはどこにも向かっていない。


人は生きているという現象を捉まえ切れないから、この先に何かが待っているような気がしているんだ。

結論に向かって、ゴールに向かって進んでいるような気がしている。


でもね、生はどこにも向かっていないんだよ。

「いまここ」がゴールだから。


すでに、僕もあなたもすべてを手に入れている。

何かを得る必要もなければ、何かを捨てる必要もない。


まさに「いまここ」がすべてだ。



昨日からずっと、何の原因もない幸福感が続いている。


そしてその幸福感が言うんだ。


「いまがゴールだよ」って。


これからさきもずっと「いま」があるだけだよ。


惑わされちゃダメだ。


生はどこにも向かっていない。


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今からライブが始まる。 今夜も予約でいっぱいのお客さん。 思えば沖縄に越して来てからの7年間。 百数十回のライブは、毎回のように満員だった。 こんなに幸せでいいのかな。 誰に感謝したらいいんだろう。 うん、やっぱり来てくれたあなたにあり ... 続きを読む
今からライブが始まる。

今夜も予約でいっぱいのお客さん。


思えば沖縄に越して来てからの7年間。

百数十回のライブは、毎回のように満員だった。



こんなに幸せでいいのかな。

誰に感謝したらいいんだろう。

うん、やっぱり来てくれたあなたにありがとう。

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それじゃ、昨日の続きね。 ちょっと遠回りになるけれど、より詳しく伝えたいのでまずはこの話から聞いてください。 有漏地(うろじ)って言葉があります。 これは普段の生活を指していて、エネルギーが常に漏れ続けている状態のことです。 あっちを気 ... 続きを読む


それじゃ、昨日の続きね。

ちょっと遠回りになるけれど、より詳しく伝えたいのでまずはこの話から聞いてください。



有漏地(うろじ)って言葉があります。

これは普段の生活を指していて、エネルギーが常に漏れ続けている状態のことです。


あっちを気にして、こっちを気にして、何かを考えていたと思ったら、また別のことを考えて、ひとつのことをやりながらも頭の中は別の世界に住んでいるという、落ち着きのない日常です。

しかもこれは無意識に連鎖反応のようにして展開しています。


仕事のことを考えながら道を歩いていたら、そこに白い犬を連れた人がいて、その犬を見たら昔飼っていた犬を思い出して、その犬と遊んだ公園が浮かんできて、あーそういえばあの公園で千円札拾ったことがあったけど交番に届けなかったのはいけないことだったなんて考えていたら、急に車が路地から飛び出してきて、ひどい運転手だって心の中でその運転手を罰しながら歩いていたらいつの間にか会社に戻っていて、上司から、「おいどうしたんだ、そんなイライラした顔して」って言われて、あわてて笑顔を浮かべて、また仕事のことを考えだして・・・


えへ、こんな状態って心当たりあるでしょ。

僕なんか生活の99%がこの状態だと思います。


このような状態のときは、無数の断片的な出来事があって、そのすべてに自分が関わっているという感覚があります。

ちょっとわかりにくいかもしれないけれど、自我は常に世界と関わっていたいのです。



でも実際には、世界は自分が関わっているから動いているわけではなく、物事は「起きている」んです。


何一つあなたのせいじゃないし、何一つあなたのおかげじゃありません。

そもそも「あなた」なんて存在していないのですから。


ありゃ、またぶっ飛んだ言い方になってしまった。



「自我」と「世界」は一つのものです。

世界とは、自我の想いが投影された映像です。


それなのに自我が世界に関わっているつもりになっているから、そこに分離感が生まれるわけです。


その分離感から抜け出るレッスンが今日話したい内容です。

これは伝統的手法ではなく、あくまでも僕個人のメソッド(方法)です。



そのために必要なのは、無意識が作り出す連続性に中断を与えることです。


不意の一喝。

その一喝は第三者ではなく、自分の「気づき」という作用によってもたらすことができます。


何をしている時でもいいから、気づいた時に突然、すべての活動をストップしてみます。


微動だにせずに、その場で氷りつきます。

100%観照者になりきって、その時起きているすべてに意識を行き届かせます。


ここが練習を必要とする部分です。

僕らは何かに集中することはできても、すべてを意識することは簡単にはできないからです。

僕の場合は、意識を頭の10mくらい上に持って行って、そこから全体を眺めているような感覚を持ちます。

耳を澄ましてあらゆる音を聞こうとするのがいいと思います。



そして最も大切なポイントは、世の中のすべての出来事から手を引くのです。


何一つ関わっていません。

全部手放しにして、事が起きたいように起こしてあげるんです。


今や自分はこの世に存在しているのではなく、超然と全てを眺めるただの物見です。



30秒間その状態を保ちます。


万一、他の人がそんな状態のあなたを見たとしても、たんにボーッとしているようにしか見えないでしょう。


でも実際には、ボーッとしているのは連鎖反応の中で自動的に生きているその人たちであって、その時十分に気づいているのは、あなただけです。



30秒たったらやめて、またいつもの生活に戻ります。


その30秒間は、絶え間ない連続性に中断を与えた、かけがえのないギャップの瞬間になります。

その境地が無漏地(むろじ)です。

エネルギーが漏れていないのです。



この30秒間を一日に6回やってみましょう。

合計でもたったの3分間です。


でもこの3分間は、あなたにとてつもない洞察を与えてくれる下地になります。

ある時、分離感が煙のように消えて、本来のリアリティーが顔を出すことでしょう。


それはただあるがままの世界です。

いっさいの「いい悪い」を超えたあるがままの世界・・・それが見性体験です。



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