かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2008年03月

昔見た映画に「ダーク・クリスタル」がありました。 ファンタジーな人形劇ですが、お気に入りで何度も見たのを覚えています。 内容は悪の権化のような民族と、愛と平和の化身のような民族の話。 まるで今の中国政府とダライ・ラマら高僧との構図のようです。 ... 続きを読む
昔見た映画に「ダーク・クリスタル」がありました。

ファンタジーな人形劇ですが、お気に入りで何度も見たのを覚えています。

内容は悪の権化のような民族と、愛と平和の化身のような民族の話。


まるで今の中国政府とダライ・ラマら高僧との構図のようです。



近代史上まれに見る暴挙を重ねる中国政府。

それは結晶化した自我が織りなす、権力と暴力の世界です。


一方で、世俗の価値を超えて、高い人間性を身に付けた聖者の世界。


ここまで対照的な関係を見たことがありません。






もし中国政府が非難しているのが、どこかの国の政府だとしたら、どちらにも非があるのだろうと想像しますが、今回の場合は印象が一方的です。

世界各国のリーダー達も、ダライ・ラマの人柄と知性を熟知しているだけに、中国が何を言っても虚しいだけです。


それどころか、ますます自分たちの信用をなくしていきます。

これは中国政府の根本的な方針ミスだと思います。



この先はますます、チベット問題は内政問題だと突っぱねてくるのでしょうが、厳密に言えば中国の国家主権侵略の罪が半世紀ぶりに問われているわけです。

チベットへの侵略と大虐殺の罪です。

中国は絶対にそれを認めないために、歩み寄りはこの先もないでしょう。

中国にとっては、チベットはチベット民族のものではなく、中国(漢民族)のものなのだから、他国は黙っていろというわけです。





また大規模な暴動(?)があったそうです。

多くの死傷者や検挙者がでたことでしょう。



もうこれ以上、血を流さないでほしいという気持ちと、このまま鎮静化させてしまっていはいけないという気持ちが錯綜しています。

ダライ・ラマが求める「高度な自治」に歩み寄れるとしたら、この機会を置いて他にないと思うからです。




オリンピックイヤーということもあり、他国に無関心な日本人にもチベットの惨状が伝わり始めています。


この機会に少しでも中国が歩み寄ってくれることを願ってやみません。





チベット問題を風化させてはいけないと思っています。

できるかぎり見つめていきたいと思います。

応援よろしくお願いします。


   





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この先、僕らの人生に何が起きるかはわかりませんが、将来に唯一確実なこと、必ず起きることが一つだけあります。 それは「死」です。 僕らは間違いなく「死」に向かって生きているわけです。 通常では「死」を身近なものとして感じているのは稀で、もし「死 ... 続きを読む
この先、僕らの人生に何が起きるかはわかりませんが、将来に唯一確実なこと、必ず起きることが一つだけあります。


それは「死」です。


僕らは間違いなく「死」に向かって生きているわけです。


通常では「死」を身近なものとして感じているのは稀で、もし「死」のようなことが起きるとしても、ずっと先のことだろうという感覚を持っているのが普通です。

漠然と見えない距離にまで遠ざけて安心しているのかもしれません。






でも「死」は必ず訪れます。

それも突然かもしれません。

「死」から逃れることはできません。

「死」は人生の一部なのです。



僕たちが明日まで生きているという100%の保証はありません。

脅かすわけじゃありませんが、今日が人生最後の日かもしれないわけです。




チベット仏教では、死に対する洞察が特に深く、なるべく平常心で「死」という人生最大のイベントを経験できるように、修行することを奨励しています。

常に「死」を自覚し、この世の無常に振り回されることなく生きろというわけです。



修行というのは、簡単に言えば「心の訓練」です。

輪廻の闇の中にいる自分を理解し、自分が苦しみにとらわれないように努めます。


さらには苦しみの本質を理解し、他者の苦しみの救済のために生きだします。

菩提心の発揮・・・それこそが修行の意味であり、本当の幸せへの道だと説きます。



このような慈悲の心が育まれていけば、自分の将来や死を恐れなくなり、内面の強さが身に付いていきます。

そうやって「死」を迎えると、「死」が成長へのさらなる機会となるというわけです。




死から再誕までのプロセスを17段階に分けて、そのひとつひとつで起こることを解説し、その時どのような意識でその段階を超えればいいのかを表した教えが、パンチェンラマ1世による「十七の偈」です。


医療現場からも報告がありますが、危篤状態になって外部の情報に反応しなくなった患者さんたちも、実際にはその時間帯に意識を保ち、外界でのできごともしっかりと認識している場合があるそうです。


それは意識を取り戻した患者さんが、その時間帯に起きたこと(看護士の会話など)を、しっかりと記憶していたりすることから明らかになってきました。



このことは「十七の偈」にも明らかで、だからこそ危篤状態の人に対する態度も重要で、間違っても死にゆく人の悪口や、財産相続の話などはしてはいけません。



もしその人が特定の信仰を持っていたとしたら、その神や仏の名前を言ってあげて、その存在によって守ってもらえることを、耳元で伝えてあげるのは良いことだそうです。

あるいはその人が生前につんだ修行などを、具体的に教えてあげるのもいいそうです。



もしその人が何の信仰もなかったとしたら、その人が生前行った「よいこと」をひとつでも多く話してあげて、だから次の世界も素晴らしいところに行けるということを信じさせてあげるのも大切なことです。




「死」を怖れと執着の体験にすることなく、新しい旅立ちに向けた晴れ晴れとした門出にしてあげたいものです。


そして自らもそのことを覚えていられるように、普段から心構えを養っておきたいと思います。





今日もここに来てくれてありがとうございました。






何かを感じてくれたら押してください。

   

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まずは昨日の続きです。 この実験結果です。 実際には、エール大学の60%を最低に、ミュンヘンでは85%もの執行者が極限値の450ボルトになるまでボタンを押し続けたというのです。 専門家の予想では、おそらく1000人に1人しか押さないだろうとされた4 ... 続きを読む
まずは昨日の続きです。



この実験結果です。


実際には、エール大学の60%を最低に、ミュンヘンでは85%もの執行者が極限値の450ボルトになるまでボタンを押し続けたというのです。


専門家の予想では、おそらく1000人に1人しか押さないだろうとされた450ボルトの電流を、600人から850人もの人が押したのです。

ちなみにこの実験結果は、民族や国家に関係なく、どこでもほぼ同じ割合の値が得られたそうです。


これは驚異的な数字だと思いました。

人は大義名分さえ与えられたら、その残虐性を発揮しやすいというデータですが、「教育の実験」という大義名分でこれなのですから、それが国家の安全や、信じ込んだ正しさを守るためなら、どこまでいくかは想像できそうです。



僕たちにはこのような性質も内在されていることを自覚しなければいけません。

すると自分のことや相手のことが見えてくると思います。



ちなみに、この記事の内容は、友人のコラムから拝借したものです。

その友人は人間社会を様々な観点から見ていて面白い人なので、次の機会に紹介します。








さて、ずっとチベット問題を書いてきましたが、根本解決には「相互理解」が必要だと思います。

その相互理解を得るには、両者の「善意」がなくてはいけません。


「共に良くなっていこう」という気持ちが大切で、「自分さえよければいい」という気持ちは禁物です。



しかしいま現在の中国政府の対応を見ていると「善意」のかけらも感じられません。

新しい情報が入ってくるたびに、あいもかわらぬ中国の対応に失望するだけです。



いつかまた触れますが、今回の問題によって、中国という国の性質ややり方というものが、よく見えたと思います。

その国が、今まで日本に対してだけは嘘をつかずにきたと思いますか?

南京大虐殺などの真相も、すべて中国が言う通りだと思いますか?



そのような国を相手に、それでも根本解決に向けて、せめて自分たちだけは相手を受け入れ、相手のやり方や考え方を認め、協調的な道を選ぶのが正解でしょうか。

相手が気づくまで与え続けるのがいいのでしょうか。


それとも、臨機応変に相手の出方によって、こちらの態度も検討する必要があるでしょうか。




間違っているかもしれませんが、僕はこう思っています。


対立や暴力からは何も生まれないことを理解しつつ、そのうえで相手と対等に渡り合える力を持つべきだと。

最終的には、人類個々の魂レベルが上がり、今抱えている問題が問題に見えないくらいの知性を持つことで、人類は次の段階に向かうことができます。


しかしその日まで、現実の世界の中で生き残り、全体の幸福のために貢献していくためにも、しっかりとした自らの備えが必要だと思います。


今の現実を言えば、憲法の見直しも含めて、国の防衛力についての議論を高めていくことが必要だと思うのです。



過去の歪曲された歴史観からの自由が、この国のムードを変えていくのではと思っています。

チベット問題から見えてきた中国という国の本質が、日本が変化するためのきっかけになってくれたらと思っています。




せめてこの問題が風化しないように、これからも見守っていきたいと考えています。





   

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人類の歴史には、様々な残虐性が見てとれます。 人間はなぜここまで残虐になれるのかと思うようなエピソードもたくさんあります。 残虐性とは一部の偏った人間の特性なのか、それとも我々一般的な人間の中にも潜んでいるのものなのか・・・ そのことを調べ ... 続きを読む
人類の歴史には、様々な残虐性が見てとれます。

人間はなぜここまで残虐になれるのかと思うようなエピソードもたくさんあります。



残虐性とは一部の偏った人間の特性なのか、それとも我々一般的な人間の中にも潜んでいるのものなのか・・・



そのことを調べる実験が、エール大学心理学部のスタンリー・ミリグラム博士によって行われました。

世界各地の多くの人たちが対象になりました。


人間は「高尚な大義」のために、罪なき人間に対してどこまで苦痛を与えることができるかという実験です。

「高尚な大義」とは、たとえば民族国家のためだとか、人命救助だとか、地球環境を守るためとか、たいそうな理由のことですが、博士の実験では『生徒を罰することが学習過程にプラスかどうかを知る実験』という大義名分が立てられました。





この実験は三人で行います。


一人は進行役の教授。

一人は学習者(間違ったら罰を受ける犠牲者)

一人は罰を与える施行者で、この人の行動が実験対象になります。



学習者は電気イスの様なものに縛りつけられ、手首には電極が取り付けられました。

執行者には15ボルトから450ボルトまで30段階に電圧を変えられる電圧発生器が手渡されました。

罰を与える執行者は、年齢20歳から50歳のあらゆる社会階層から選ばれた1000人を超える志願者たちで、「記憶と学習に関する科学的研究」に参加しようと新聞広告に魅せられて集まってきた人たちです。


実験の手順は次の通りです。

教授が問題を出し、学習者が答えを誤るごとに、執行者は一段ずつ電圧を上げていく様に教授から指示されます。



電圧ショックを与えられた学習者は75ボルトで軽い不平、そして電圧の上昇とともに悲痛の色合いは濃くなり、150ボルトでは、「ここから出してくれ、もう実験なんか受けない。もうこれ以上するな」

315ボルトで犠牲者は激しい悲鳴をあげ、330ボルトではもう何も言えなくなりました。

しかし、教授は答えがないときは誤答と取扱い、ショックのレベルを増加させる様に執行者に指示し続けました。

そして最高値は450ボルトまであります。
 


ここで質問します。

1000人の執行者のうち、教授の命令に従い極限の450ボルトまで押した人は何%いたと思いますか?

みんな『生徒を罰することが学習過程にプラスかどうかを知る実験』のために、教授に協力しているつもりでいますが、その大義名分は、どれくらいの作用をもたらすのでしょうか。


315ボルトで激しい悲鳴をあげ、330ボルトでは何も言えなくなってしまうような激痛です。


それなのに最高値の450ボルトまで押した人はいたでしょうか。

いたとしたら何%くらいの人でしょう。


あくまでも僕たちのような平均的人間が対象です。




この実験には「落ち」があって、誤答のたびに電流を流される学習者には、実際には電流は流れていません。

学習者は迫真の演技で、苦痛の表情を浮かべ、大きな悲鳴を上げたのです。


あなたも考えてみてください。

人間は大義面分を与えられると、どれくらい残虐性を発揮するのか。


この質問に回答した精神医たちの一致した見解は、ほとんどの執行者が150ボルト以上にはいかず、全体の4%程が300ボルトまでいき、1000人に一名ぐらいの病的な人間が最高圧の450ボルトのスイッチを押すだろうというものでした。


実際にはどうだったと思いますか?


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現実論として、中国を分断するのではなく、チベットがもっと尊重される形で、中国の一部として存在していく方法が一番いいのだと思います。 ダライ・ラマが求める「高度な自治」という概念と、現在の中国政府の考えを、ともに歩み寄りながら解決するのが、外交を抱える中 ... 続きを読む
現実論として、中国を分断するのではなく、チベットがもっと尊重される形で、中国の一部として存在していく方法が一番いいのだと思います。

ダライ・ラマが求める「高度な自治」という概念と、現在の中国政府の考えを、ともに歩み寄りながら解決するのが、外交を抱える中国にとっても、チベットにとってもいいのではないでしょうか。

国際社会の反発は、中国政府にとっても頭が痛いことだと思うので、それを解決するためにも、中国からの歩み寄りも必要だと思います。



多民族国家である中国が一番危惧するのは、民族の独立です。

そのことが起きないという保証を中国が持てれば、歩み寄りもはかれると思います。


そうやってチベットが名実ともに中国の一部になったとき、チベット人の漢民族化という流れも生まれてくるでしょう。

その中で自分たちの固有の宗教や文化をどのように守っていけるかだと思います。






僕が期待する最高の形があります。


中国の歴史の中で、以前チベットを支配した王朝が2つだけありました。

元王朝と清王朝です。

どちらも漢民族の王朝ではありませんが、元も清もチベット仏教の深みに触れ、自分たちが帰依することで、手厚くその文化と宗教を尊重して守ったのです。


もし今の中国に同じようなことが起これば凄いですね。

それによって中国に、悟りの花が連鎖反応のように咲いていくのです。



チベットの中国化ではなく、中国のチベット化です。


そうなったら中国は、世界中から尊敬を集め、名実ともに地上の大国として存在していくことでしょう。





あんなこんな言いながらも、結局は自分自身を高めていくことしかないということで、そんな生き方をしていきたいと思っている今日この頃です。

感謝の気持ちを忘れないようにして、日々精進していきます。




今日も読んでくれてありがとうございました。






   

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昨日聖火の採火式に、チベット問題を抗議する男性が乱入しました。 地元の警察官1000人以上が警備する中での平和の祭典の幕開けです。 そもそも北京オリンピックが決まる時、これを機に中国政府は、世界から指摘されている人権問題を解決すると約束したはずです ... 続きを読む
昨日聖火の採火式に、チベット問題を抗議する男性が乱入しました。

地元の警察官1000人以上が警備する中での平和の祭典の幕開けです。


そもそも北京オリンピックが決まる時、これを機に中国政府は、世界から指摘されている人権問題を解決すると約束したはずです。

それが条件の北京オリンピックでした。






IOC会長は、「オリンピックを開催すれば中国も変わる」というような声明を発表しました。

開催までに変わるはずが、開催すれば変わるになりました。


このままオリンピックが成功すれば、一連の中国のやり方を、世界が受け入れたことになります。

僕は北京オリンピックのボイコットこそ、チベット問題を解決する糸口になると信じて疑いませんでした。



ところが、当のダライ・ラマは「北京オリンピックの成功を願っている」との声明を出し続けています。


僕には、その姿勢が理解できませんでした。


本気で言っているんだろうか・・・

まさに今、彼を慕う多くの人が中国当局によって極限状態に置かれているというのに、いったい何を考えているんだろう。

単に宗教家のポーズではないのか。


中国政府が
「ダライ・ラマ一派がオリンピックの転覆をねらって暴動を画策した」
と言ったので、そうではないことを表明するために、無理して言っているのだとさえ思いました。



そこまで思ったとき、ふと我に帰りました。

あんなに深い叡智を与えてくれた人の心を、何を持って決めつけているのかと。



チベットの人たちを救いたいという気持ちのあまり、正義の衣を着てすっかり傲慢になっていた自分・・・

そんな自分が見えたとき、同時に、ダライ・ラマの存在の偉大さを心の底から感じたのです。



彼は誰とも闘っていません。

彼には何の個人的な都合もありません。


彼はただ、チベットの人も、中国の人も、そして人類の全てが幸せであることを願っているだけです。


彼の言う
「北京オリンピックの成功を願っている」との声明には、嘘も作為も何もなかったのです。




チベットの人たちが、何故彼をここまで慕うのかがわかりました。


彼はその存在を通して、今も僕たちに多くのものを与えてくれているのだと思います。



問題が山積する人類に、彼は一筋の光であり、このような究極の現実の中で、その存在を世界に示してくれているんだと思いました。




実は昨日から長い時間をかけて、中国のウソを、多くの証拠を挙げて証明しようと躍起になり、長い記事を書いていたのですが、ふとそんなことを思ったら、必ずしもこのやりかたがベストではないと思い始めました。

目的はチベットの人たちを救済すること、非人道的な扱いをやめさせることです。

その方法は糾弾ではないことに気づきました。



昨日までは必死で、多くの人にチベットの現実を知ってもらおうとしていました。

それが直接の救済につながらなくても、せめて抗議の声を大きくすることで、何らかの解決につなげたいと、そんなはかない気持ちで頑張っていました。

だから体中を無力感が覆っていたのだと思います。



でもこの中国の問題は、単に中国一国の問題ではなく、アメリカやロシアを始めとする大国のエゴや、自国の利益を優先する国際社会や、今だに多くの矛盾を抱える地球上の人類そのものの問題でもあると思うのです。


対立と攻撃的姿勢では、何一つ解決しないことは明らかです。


まずは中国政府を安心させることが、問題解決の第一歩のように思えてきました。




今頃になって気づいた自分を恥ずかしく思いますが、敵味方という対立構造ではなく、真の解決に導く道を探っていきたいと思います。





まだ怒りがすべて消えたわけではありません。


こんな考え方は甘いと思う自分も、まだどこかにいます。



それでも、虐げられた人を救うのはこの道しかないと思うようになりました。






今日もここに来てくれてありがとうございました。






何かを感じてくれたら押してください。

   








今夜も「いまここ塾」やっています。
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正直言って、この数日間は自分の中に無力感が漂っています。 今こうしている間にも、不当に逮捕拘留された人たちが、どんな非人道的な扱いを受けているのかを考えると、怒りは悲しみになっていきます。 そこには年端もいかない子供や女性も含まれています。 僕にで ... 続きを読む
正直言って、この数日間は自分の中に無力感が漂っています。

今こうしている間にも、不当に逮捕拘留された人たちが、どんな非人道的な扱いを受けているのかを考えると、怒りは悲しみになっていきます。

そこには年端もいかない子供や女性も含まれています。

僕にできることはあらゆる機会を使って、知りうる限りのことと、意見を伝えていくしかありません。



今回の暴動は、ダライ・ラマ一派による、中国分断を企てた用意周到な計画だとし、その確かな証拠も握っていると温首相自らが世界に発言しました。


しかし、暴動の映像を見る限り、民衆は素手のままです。

武装もしないで、それのどこが用意周到な計画によるものなのでしょうか。



おそらくは、最初に暴動ありきではなかったと思います。

今までのデモと同じように、「チベット独立!ダライ・ラマ万歳」を叫ぶだけのデモ行進だったのでしょう。


亡命政府に入ってきている情報では、無差別発砲により、多くの死傷者を出しました。

犠牲者の中には8歳の子供も含まれています。


そのことに怒った民衆が暴動に出たのでしょう。


この映像はその時のものだと思われます。




我々はこの映像を繰り返し見せられました。

何故このような事態になったのかの説明がないまま、テレビ局は中国側が提供してきた一方的な映像を、繰り返し流したのです。


3月10日には僧侶らによる平和的なデモが発生し、11日には治安部隊が催涙弾攻撃をしています。

すでに市内に大量に配置されていたはずの治安部隊が、なぜ彼らの暴動行為を黙って見ていたのかは謎のままです。

この映像自体が、捏造である可能性もぬぐい去れません。



また、なぜ大きな被害を受けた商店街の多くが、漢民族のそれではなく、イスラム教徒のものだったのか・・・



真実は国際調査機関が現地入りして調べれば、すぐにわかることです。







ウソにウソを重ねる中国政府。

国際社会は完全に馬鹿にされています。


まったく矛盾する言葉と態度で押し切れると信じている背景には、各国との経済関係への自信があるのでしょう。



経済の損得を選ぶか、人間としての在り方を選ぶか、大きな選択が突きつけられています。




もし日本が中国に抗議し、中国政府の反感を買ったとして、最悪の場合は、日本経済や食料事情にどれくらいの打撃が及ぶのでしょうか。


中国もしたたかに、自分たちが不利益を被るようなシナリオは直前で回避するでしょうが、もし万万が一の場合でも、終戦直後のことを思えばしのげるのではないでしょうか。



それくらいの覚悟で毅然とした選択をしたとき、日本は世界に貢献できる本物の国に生まれ変わると思います。



この国が平和をスローガンに掲げるのであれば、今こそその覚悟を示す時ではないでしょうか。









   





裏ブログの「かんながら」にも、チベット問題とその歴史を紹介しています。
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