かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2008年06月

今日で6月も終わりですね。 沖縄はもうすっかり夏で、さわやかな青空が広がっています。 さてそれじゃ、続きです。 幼少のころから今も変わらずにあり続ける、自分という感覚。 性格がどんなに変わっても、身体の細胞が全部入れ替わっても、ずっと ... 続きを読む
今日で6月も終わりですね。

沖縄はもうすっかり夏で、さわやかな青空が広がっています。



さてそれじゃ、続きです。





幼少のころから今も変わらずにあり続ける、自分という感覚。

性格がどんなに変わっても、身体の細胞が全部入れ替わっても、ずっと根底に流れ続けている自己感覚です。



それはいつから持っていると思いますか。




物心ついた時、3歳、4歳のころでしょうか。

いえいえ、もっと前からです。(天の声)



生まれたばかりの赤ん坊?


いや、もっと前からです。




それじゃ、母親の胎内に宿った時?


いいえ、もっともっと前からですよ。




ええ?それじゃ・・・??!!


そう、生まれる前からずっとです。



生まれる前って、どれくらい前ですか?


この宇宙が誕生した時からです。




ええ??!!・・・その時から僕はずっと僕なんですか?


そう、様々な形をとりながら、ずっと存在しています。




この先いつまで続くんですか?


永遠にです。




宇宙の終わりまで?


ははは、今はわかりやすくあなたの質問に答えましたが、実際には始まりも終わりもありません。

始まりとか、終わりとかは、あなたがたの次元、時間という幻想に制限された次元の中だけに存在する感覚です。

実際には「永遠のいま」があるだけなんですよ。





ということは、僕は死なないんですか?


もちろん死にません。

死はあなたがたの最大の幻想です。

あなたは死んだことも生まれたこともないのですよ。





ここで注釈。

ちなみに般若心経ではこのことを

不生不滅(ふーしょうふーめつ)

と表現しています。





じゃ、肉体が死んだら僕はどこに行くんですか。



どこにも行きませんよ。

いままでどおり、いつも「いまここ」にいます。





ええ??!!(再びびっくりマーク)



だからいつも伝えているんです。

「大丈夫だよ」って



あなたは最初の最初から存在するすべてとして、大いなる愛と祝福の中にいます。

今もですよ。


今までに一度もそこから離れたことはありません。

ただ、あなたの意識が勝手に夢を見て、大いなるものから分離したような気持ちになっているだけです。

そうやって独自のゲームを展開しているんです。


それをやっているのもあなたであり、いつまで続けるのか決めているのもあなたです。


私(本当のあなた)は、そのことに一切干渉せず、ただずっと見守っているだけです。



あなたが私からどれだけ遠ざかろうと、私はあなたから離れたことはありません。

あなたが私をどれだけ忘れようと、私はあなたを一瞬も忘れたことはありません。



私はあなたを愛しています。


あなたの想像を超えた深さで、あなたをずっと愛しています。


今までも、今も、そしてこれからも。




・・・・・・・・・・





以上、天との対話?でした(笑)



ここまでわずかな時間で書いてしまいました。


うん、今日は調子良かったです。





また明日お会いしましょう。






多くの人に届きますように、ご協力お願いします。

   



明日は通常どおり、吉の浦会館で「いまここ塾」があります。


それから今思ったんですが、今夜の生放送(ラジオ沖縄19:00~20:00)は、今日書いたような内容を話してみます。

これからはそんな話をメインにしてみようと思います。

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ブログ生活が始まって2年になろうとしていますが、昨日はその中でも最も素晴らしい日でした。 ひとつは、自分が言いたかったことをそのまま言葉にできたこと。 もうひとつは、それを多くの人が受け取ってくれたことです。 今まで本などで読んで知っていた ... 続きを読む


ブログ生活が始まって2年になろうとしていますが、昨日はその中でも最も素晴らしい日でした。


ひとつは、自分が言いたかったことをそのまま言葉にできたこと。

もうひとつは、それを多くの人が受け取ってくれたことです。


今まで本などで読んで知っていた知識が腑に落ちたと言う人もいました。

よくわかったけれど、あまりに簡単すぎて戸惑っていると言う人もいました。



そうなんです。

僕たちは、込み入っていて難しくないと真実味を感じないんです。

ずっと抱えていた疑問が、こんなに簡単に解決していいのだろうかと思ってしまうのです。



しかし、真理はいたって単純。

単純すぎて見落とされてきたにすぎません。

あまりにも当たり前すぎて、いままで考えてみたこともなかったのです。

僕たちは、少し難しくないと考えることができないようです。



「真理はいつも明白です。
何一つ隠されることなく、目の前に展開しています。」

この言葉もどこかで聞いたことがあったでしょ。

それなのに、その言葉さえも難しく解釈してしまうのです



真理は明白。

それ以上でも以下でもありません。



真理・・・それは「あなた自身」です。

この世にはそれしか存在していません。


自分を全て知れば、宇宙のすべてを知ったことになります。

一滴の海水の成分を調べれば、海の水の成分がすべてわかるのと同じです。



昨日の記事をもう一度読んでみてください。

そこで言っている「自分という感覚」が何なのかを静かに感じてみてください。

「それ」は、僕が感じている「それ」と同じものなのです。




今日はこれくらいにしておきます。


明日またこの続きを書かせてください。





多くの人に届きますように。


   

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全てを分かったような顔で、ここにメッセージを書き綴っていますが、これも何かのお役目でしょう。 彼方なる世界の話をしたとしても、僕自身が彼方なる存在になったわけではなく、あいかわらず自我の愚かさに振り回されながら、なんとか体裁を保って生きているというのが ... 続きを読む
全てを分かったような顔で、ここにメッセージを書き綴っていますが、これも何かのお役目でしょう。

彼方なる世界の話をしたとしても、僕自身が彼方なる存在になったわけではなく、あいかわらず自我の愚かさに振り回されながら、なんとか体裁を保って生きているというのが現実です。


それでも確信を持って話せているのは、僕の中にそれを味わった部分があって、そこから流れてくるメッセージがあるからです。


あとどれくらい生かしてもらうのか知りませんが、これからも伝え続けていきたいと思っています。



さて昨日の続きになりますが、今日はとても大切な話です。

僕がずっと前から伝えたいと思っていた事が、この数日の流れの中で伝えることができるかもしれません。





過去の自分と今の自分とでは、考え方もあり方も大きく違っていることはわかりますね。

それがピンとこない人は、幼少のころの自分をよく思い出してみれば、その幼稚さ稚拙さと今の自分との違いがわかると思います。

それはもう同じ人物とは言えないくらいです。



ところが、その底辺に流れている「自分」という変わらぬ感覚も存在します。


肉体がまったく違っても、考え方がまったく違っても、それでもそこに一貫して流れている自己という感覚です。


それ、わかりますか。


外側がどんなに変わっても、ずっと変わらずにあり続ける、自分という存在感です。



もしそれを感覚的に捉えることができたら、話は早いです。


あなたが感じているその「自分」と、僕が感じている「自分」は、まったく同じものなのです。



今のあなたと、幼少のあなたが、まったく違う人間であるにもかかわらず共有している「自分」があるように、あなたと僕がまったく違う人間であるにもかかわらず共有している自己感覚があるのです。


実に、この宇宙にはそれしか存在していません。



ところが、我々は、その感覚を自分独自のものだと思いこんでいるのです。


あなたが「自分」だと思っているものと、宇宙が「自分」だと思っているものは、まったく同じものです。


いま宇宙という言い方をしましたが、「神」と置き換えてもいいですよ。


あなたはいろんな書物で、あなたと神は同一のものだと読んだことがあるでしょう。


その意味がよくわからなかった人もいるかと思いますが、今述べたことがその意味です。



それがわかれば、ゴールです。

この宇宙の秘密の全てを知ったことになります。


全ての恐れも、心配も、たちどころに消え失せます。


それ以上の真実はこの世に存在しないので、それ以外のあれこれはすべて、その人の頭の中で作った世界観です。



すべての幻想がそぎ落ちて「いまここ」だけが残ります。


それこそが真のあなたです。



それは頭の理解ではなく、感覚の飛翔です。

言葉にはできません。



いままで長々とブログを書いてきましたが、言いたいことはそれだけです。

それを一度でも体感すれば、それでおしまいです。



議論は不毛。

それを味わえば、それで終わりです。





今日もここに来てくれてありがとうございました。





多くの人に届きますように、協力お願いします。

   

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この二日間、霧のかなたに消え去ったアノ男のことを書きましたが、じっくり考えてみれば、あの頃生きていたアノ男は、今の自分とはまったく別人だと思います。 これは僕だけではなく、多くの人がそうではないでしょうか。 なんとなく今の自分がそのまま若いだ ... 続きを読む


この二日間、霧のかなたに消え去ったアノ男のことを書きましたが、じっくり考えてみれば、あの頃生きていたアノ男は、今の自分とはまったく別人だと思います。


これは僕だけではなく、多くの人がそうではないでしょうか。


なんとなく今の自分がそのまま若いだけの存在だと思いがちですが、考え方や在り方が、気づかないうちに大きく変わってきたように思います。


極端に考えるとわかりますが、たとえば5歳ころの自分の考え方などは、今とはまったく別物だと思うのです。

もし同じだと言う人がいたら、それは気の毒な人です。


僕たちは日々経験を積みながら、知らないうちに成長していて、もはや同じ人間とは言い切れないくらいに変化していると思います。



たとえば僕の例で言えば、アノ男は「誠実」という言葉の意味を知りませんでした。

本当に文字通り知らなかったのです。

言動の多くが見せかけで、人生とは演技することだと強く信じていたために、現れは全部ウソだったような気がします。


だから、人もみんな同じようにウソだけに見えて、誰がどんないいことを言ってくれても、決して鵜呑みにしなかったし、それには必ず裏があると思っていました。

「誠実」なんて、飾りもの、奇麗ごと、そんな生き方をすれば損するだけだくらいに思っていました。


だから若山さんに可愛がってもらったのも、僕が本当に彼を好きだったからではなく、どうすればいいかを直感的に見抜いて演じたからです。

やくざ映画が好きだったのは本当ですし、ミーハ的な喜びはありましたが、それ以上のものではありませんでした。



彼以外にも僕をかわいがってくれた業界の大物は数多くいました。


その人たちに対して「誠実」という資質で応えることができたら、どれだけ喜ばせてあげられたかと思います。

誰に対しても真心からお付き合いをしなかったので、最後はみんなに寂しい思いをさせてきました。




それ以外にも忘れているだけで、アノ男には人を人とも思わないような冷酷な面が多々あった気がします。

さらには、特別意識のかたまりで、プライドだけは人一倍強く、その反面強烈な劣等感を抱えて生きていたのですから大変でした。


結局は自業自得で、そんな面が災いして、仕事もうまくいかず、人間関係も限られてきて、思い悩み、人生を呪って自暴自棄になり、そんな苦しみが自分で支え切れなくなった時に、それまでの自分がガサっと落ちてしまったのです。


エゴが大きくなりすぎて、自分で支え切れなくなったのです。

熟れた果実が、熟れきって地面にポトリと落ちたような感じでした。



そこで垣間見た「無我」の素晴らしさ、それが最初の気づきです。


初めて自分の愚かさを認めることができた、祝福の体験でした。

と共に、人が自分とおなじ存在であることが初めてわかり、そこからやっと人の気持ちを大切にする生き方が始まったように思います。

だから長い間、アノ男のことは自分の恥部で、あまり思い出したくもなかったのでしょう。



でもそんな彼のことを許して認めてあげることにしました。

だって彼は単に無知だっただけで、無知は無知なりに、一生懸命生きていたからです。



それに人生には一切の無駄はなく、僕が通った道は完璧でした。


これは僕だけではなく、誰もの人生が同じだと思います。

何一つ欠けても人生は成り立ちません。


誰もが大いなる気づきに向かって、その人に一番必要な道を歩いているのだと思います。



僕たちは日々変化しながら、長い道のりをここまでやってきたのです。

今の自分の足りないところを非難するのではなく、長い道のりを歩いてきた自分を「お疲れ様」って誉めてあげましょう。




さてその一方で、僕たちはどこにも行っていないし、何も変わっていないというのも、もうひとつの真実です。


この世の真実は常に、矛盾する二つの側面によって成り立っているからです。


その話は次の機会にしますが、この変わっていない自分という感覚が常に心の底に流れているので、自分がどれだけ成長しているのかが、わかりにくいのです。





今日も僕の話を聞いてくれてありがとうございました。







多くの人に届きますように、協力お願いします。

   

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昨日はHPに昔の歌をアップしたのですが、歌というのは不思議な力があって、いつもは忘れている当時の思い出が、急によみがえったりします。 僕はあの頃、歌の活動よりも、いわゆる芸能界での仕事のほうが多かったと思います。 今日は難しい話はやめて、当時の思 ... 続きを読む
昨日はHPに昔の歌をアップしたのですが、歌というのは不思議な力があって、いつもは忘れている当時の思い出が、急によみがえったりします。

僕はあの頃、歌の活動よりも、いわゆる芸能界での仕事のほうが多かったと思います。



今日は難しい話はやめて、当時の思い出話でもしてみましょう。


スピ系の話が好きな人はスルーしてください。

たまにはそんな話もいいと思う人は続きをどうぞ。





今でもたまにテレビをつけると、あの頃仲がよかった人たちがたくさん出てきます。


そういえば誰にも話したことがない話がたくさんあります。

全部書くとワイドショーがビックリするようなエピソードもありますが・・・



今日はその中でも、当時僕を可愛がってくれた大先輩たちの話をしてみます。




一番強烈な印象が残っているのは若山富三郎さんです。




若山さんのことは東映のやくざ映画時代からの大ファンで、ドラマで共演させてもらったときは夢のようでした。


でもあの頃、若山さんには怖い噂があって、共演する若手俳優をコテンパにいじめるということでした。

三浦友和さんや国広富之さんなどもその洗礼にあったと聞いていました。


そこで僕が若山さんをいかに好きかということを先に伝えてしまおうと思いました。

どんな人でも、自分を心底好きになった人に意地悪はできないからです。


ある日、初めて若山さんの家に遊びに行った時、僕が東映のやくざ映画が大好きで、中でも若山さんの無茶苦茶なキャラクターが大好きだったと言うと、とても満足そうな顔をしていました。

そして同じくらい菅原文太が好きだったと言ったら、急に機嫌が悪くなって、その場で文太さんに電話をして「こら文太!オマエ最近あいさつがないじゃねえか。ぶっとばすぞこのヤロー!」とすごんでみせるのです。

あきらかに文太より俺が格上だということを僕に見せつけているかのようでした。


昔、安藤昇という有名なやくざがいて、文太さんがその映画に出たとき、「おい文太、おまえ安藤組の組員になったって本当か?」

「いえ、なっていません」

「じゃ、俺の組員になれ」

このエピソードは誰かがテレビで話したので有名です。



結局若山さんからは本当の子供のように可愛がってもらって、何かというと「直(すなお)、直」って僕を呼びに来ました。

役者の世界では、その芝居の役名で呼び合うのが習わしなのです。


あとでお付きの女性がこっそり教えてくれたのですが、長い歴史の中で、若手をいびらずに可愛がったのは僕が初めてとのことでした。

東映やくざ映画が、そうとう功を奏したのかもしれません。



あっそうそう、さっき三浦友和さんの名前が出ましたが、たしかプチセブンだったと思いますが、お兄さんにしたい芸能人ランキングで、三浦友和さんに次いで、僕が2位だったことがあります(笑)

以上、ショート自慢コーナーでした。





宍戸錠さんにもよく遊びに連れて行ってもらいました。



あの人はとんでもない力持ちで、当時は僕も20代で腕力も強いほうだったのですが、年配の彼と腕相撲をして一度も勝てませんでした。

その彼が「裕次郎と小林明には腕相撲で勝った事が無い」と言っていたので、当時の日活俳優は本当に強かったことになります。

錠さんもかなりの遊び人でしたが、彼とのあぶない裏話は・・・やっぱり書けません(笑)。


錠さんが一番スターらしいスターでした。


やはり昔の日活映画時代は、スターは雲の上の人で、まったく違う扱いを受けていましたから、内面もそのようになってくるのでしょうね。


年齢とともに、そして時代とともに、自分を取り巻く環境が著しく変化していったはずですから、それにともなってご自身の中でどのような心境の変化があったのか興味があるところです。






健全な遊びが好きな人もいました。

坂上二郎さんです。





二郎さんはテニスが大好きで、僕とちょうど同じくらいの腕前だったので面白かったのか、しょっちゅう誘われました。

とてもマジメな人だった印象が残っています。


テニスの後のビールが人生で何よりの楽しみだと言ったのを聞いて、「なーんだ、金持ちになっても大して変わんないなぁ」と思ったのを覚えています。



あの頃の彼らは、今の僕とそれほど変わらない年齢でしたが、みんなずいぶんとオジイチャンに見えました。

ということは、今の若者は僕を見てオジイチャンに見えているわけで、これも人生の定めなのでしょう。


反対に言えば、当時の彼らも、内側では今の僕と同じ様な気持ちを持っていたわけで、そんなことは想像もできませんでした。



人生は面白いですね。





今日はいつもと違う内容になってしまいましたが、これからもまたよろしくお願いします。






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初めて「いまここ」を感じたのは24年前。 過去も未来もなくて、「人生」は自分の思い込みの産物だって気づいた。 遠くまで歩いてきたような気がしていただけで、実際にはどこにも行っていなかった。 なーんだ、そうだったのか・・・「いま」があるだけじゃん。 ... 続きを読む
初めて「いまここ」を感じたのは24年前。

過去も未来もなくて、「人生」は自分の思い込みの産物だって気づいた。

遠くまで歩いてきたような気がしていただけで、実際にはどこにも行っていなかった。

なーんだ、そうだったのか・・・「いま」があるだけじゃん。





そのインパクトがあまりにも強かったので、翌日にプロダクションに出かけて行って、今日限りで仕事を辞めますって(笑)


もともと恰好だけで生きてきていて、人の目に映る自分を飾るのが忙しかったんだけど、そんな生き方が無意味に見えて、もう一度人生をやり直そうと思ったのです。



で、全部やめて、ただ一心に「大いなるもの」を知りたいと、そのことだけを追求していたら、その一年後にさらに大きなドカーンがあって、その瞬間、それまでの自分は霧のように消えてしまいました。



その日から自分がまったく変わってしまったのだけど、今みたいに僕の話を理解してくれる人は誰もいなかったし、みんなからはおかしくなったと思われたけど、そんなのは全然平気でした。

国中の人から否定されても、自分の中の真実はいささかも揺るがなかったし、それは今もまったく同じです。


で、それからというもの同じことをずっと話し続けてきて、いまはブログという神様のプレゼントみたいな道具をいただいて、ここでも同じことを書き続けていたら、話に興味を持ってくれる人が世界中から集まってくれるようになったのです。

いまこれを読んでいるあなたもその一人で、僕は長いことそんなあなたをどれだけ探してきたことか・・・

これからはそんな仲間がもっと増えていくことでしょう。




実は、今日は朝方までHP作りに没頭していました。

20数年前に霧のように消えてしまったアノ男の歌を、アップしていました。


アノ男のことは思い出すことも稀で、どこか自分の恥部みたいな感じがしていたし、もうすでに終わったこととして扱ってきました。


で、ひょんなことから先日、久しぶりに彼の歌を聴いてみたら・・・



ああ・・・アノ男も頑張って生きていたんだな。

いろんな記憶が蘇ってきて、ずっと彼に対して冷たく接していた自分に気づきました。


当時、ものすごく恵まれた仕事環境にいたのに、それを生かさなかったアノ男をどこかで軽蔑していたのです。

なんて怠慢な奴なんだ。


それが僕の印象でした。


だから裏ブログの「かんながら」でも、彼のことはあまりよく書いていません。

何をやってもダメな奴として登場しています。



でもね、そうじゃない。

アノ男なりに、一生懸命頑張っていたんだなって、彼の歌を聴いて思ったのです。


今まではどこか気恥ずかしくて、彼の話もあまりしてこなかったけれど、これからは全面肯定して、陽の当る所に出してあげようと思ったのです。


それで、思い切って彼の歌の何曲かをHPに載せてあげることにしました。

http://homepage3.nifty.com/kakurega/omgaku.html



いつも自分を愛することの大切さを説いていた本人が、無意識に過去の自分を切り捨てていたんですね。


これからは仲良くしてあげようと思います。

よく頑張ったねって言ってあげました。


過去も「いま」の一部なので、過去を受け入れることは、「いま」を全面肯定するうえで大切なことだと思いました。




これからも、心の中を正直に書き綴っていこうと思います。




今日もここに来てくれてありがとうございました。






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今日もここにきてくれてありがとうございます。 僕は名実ともに皆さんに生かされています。 さて今日も会社や学校に行く人も多いでしょうね。 そこで待っている仕事は何ですか。 僕たちの多くは、「やるべきこと」、「せねばならないこと」、そしてわ ... 続きを読む
今日もここにきてくれてありがとうございます。

僕は名実ともに皆さんに生かされています。





さて今日も会社や学校に行く人も多いでしょうね。

そこで待っている仕事は何ですか。


僕たちの多くは、「やるべきこと」、「せねばならないこと」、そしてわずかばかりの「したいこと」を繰り返しながら生きています。



でも僕たちが生まれてきた目的は、そんな小さな繰り返しに命を磨り減らすためではありません。

宇宙はそんなことのために、この壮大な仕組みを創り出したのではないのです。

ひとつ、ひとつ、目の前の問題に立ち向かって、それを解決し、がんばって真面目に働いて、最後に神様からご褒美をもらうのが、人生の目的だと思っていたら、それは大きな間違いです。




だからと言って今日あなたが一日をかける仕事を軽んじているのではないですよ。

それがどんな仕事であれ、遊びであれ、何かが何かよりも重要だとかいうことはありません。

そのような考え方は、分離した意識が見ている幻影なのですから。


「大いなるひとつ」から見れば、僕たちがいまここに生きているということ以外、何もありません。


そのような観点から言えば、今のあなたが社会的にどういう立場にいようと、僕たちは100%対等です。

まさに、いまここに生きているという点において、まったく平等であり対等なのです。



人生で唯一大切な最終目的に対して、いつも「いま」同じ可能性が与えられています。



僕たちの多くはそのチャンスを使おうとしないで、いまの自分の状況にある問題を解決することに時間を費やしてしまいます。


でもそれらは全部、たちどころに消えてしまうものばかりです。

どうせなら、瞬時にそれらを消滅させて、生き生きとした命の中で、自由に遊んでみたいと思いませんか。


それは夢物語ではなく、誰にでも実現可能なことなのです。



そのために今日という日を使うのが、本来の的を射た生き方です。


もう一度言いますが、それは行う内容とは無関係です。


台所で食器を洗うのも、一杯のお茶を飲むのも、会社で事務の仕事をするのも同じことです。



大切なのは行為自体に埋没することではなく、そのとき周りで起きていることや、自分が行っていることすべてに意識を持ち込んで、「いまここ」にいることなのです。


そこで起きている全てを見渡している、超客観的な自分を意識することです。


それが「瞑想」の本来の意味です。

茶道や華道も、あらゆる「道」がつくものは、同じ発想から生まれています。


この技法によって、あらゆる仕事が簡単になり、退屈さが消え、すぐれた結果をもたらします。

なぜならそこに神の質がもたらされるからです。



今日僕たちが何をするのであれ、そのような生き方を試みてみませんか。




今日もここに来てくれてありがとございました。






多くの人に届きますよう、協力をお願いします。

   




PS

今夜の「いまここ塾」も、那覇市の「てぃるる」で7時半からですから、お間違いなく。

予約も要らず、一人でも気軽に入れますよ。



昨日からHPを開設しました。
これから少しずつ充実させていく予定です。

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