かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2008年10月

マクロビオティックを世界に広めた功労者の一人、田中愛子さんは、御歳84歳になられます。 昨日会われた方はわかったと思いますが、たいへん元気でいらっしゃる。 それは食べ物だけでなく、考え方や生き方の影響が大きいと思いました。 子供のころはお嬢様育 ... 続きを読む
マクロビオティックを世界に広めた功労者の一人、田中愛子さんは、御歳84歳になられます。

昨日会われた方はわかったと思いますが、たいへん元気でいらっしゃる。

それは食べ物だけでなく、考え方や生き方の影響が大きいと思いました。



子供のころはお嬢様育ちで、美食がたたって家族みな健康を害していたそうです。

特にお母様の具合が悪く、当時はアメリカ医療ではなくドイツ医療の時代だそうで、ドイツから医師を呼んであれこれ治療をしてもらっても結局は若くしてお亡くなりになってしまいました。

ご本人の愛子さんも20歳までしか生きられないと宣告されていたのが、マクロビオティック創始者の桜沢先生とお会いし、体質が改善され、いまは64年間のおまけの人生を生きているとおっしゃっていました。



さて、その愛子さんですが、家財道具も何もかも人にあげてしまって、ご自分はリュックサック一つで世界中を飛び回っているのです。

死んだ後に持って行けないものは、何一ついらないのだそうです。


お話を伺ってみると、いっさいの人生に対する計算がありません。

まさに風が吹くまま、起るがまま、今回は窮屈なホテルしかおとりできず、しかもハードスケジュールだったのですが、終始笑顔で感謝してくださいました。

まるで袋ひとつに全ての持ち物を入れて、笑いながら暮らしていた布袋尊のようです。

本当の幸せってこういうことなんだと、はっきりわかりました。




さて、僕がマクロビオティックに興味を持ちだしたのは最近のことですが、その本質が見えてきました。


提唱者の桜沢如一さん(1893~1966)は、自然界との調和の中で、人間の体は本来健全なものだと考え、マクロビオティックという食養の分野を確立させましたが、彼が伝えたかったのは、もっと壮大なスケールのものだったようです。


それは人間と宇宙との一体性。

神と人間とは不二のものであるという考え方です。



300冊もの著作を残されているので、これからさらに研究を進めたいと思いますが、いまのところわかってきたのはこういうことです。

体は食べ物からできているので、食べ物を改善することで身体を改善することができる。

さらには、人間の心と身体はコインの裏表で一つのものなので、身体と共に心も改善される。

究極的には自然界との完全調和の中で、人は悟りの境地に近付くことができる。

それは感謝と平和と喜びと幸福の状態で、世界中の人が一人ずつそこに気づくことで、理想的な人類文化が構築できる。



ふむふむ・・・悟りという一見抽象的な概念を、食べ物という具体的な方法論によってアプローチしているわけです。


当初は、病気の人を健康にしていく食事療法かと思っていたのですが、ここにきて俄然、僕の人生のテーマと一致してきました。


今朝はなんだかメラメラと燃えています(笑)



さて一方の松本光司先生(リマクッキング校長)は精進料理の権威ですが、一目見ただけで、その人の健康状態や、どこが悪いかとか、何に気をつけたらいいかがわかってしまいます。

僕のこともすぐに当てました。


僕はおおむね健康ですが、水分の取り過ぎ(いつも妻からも指摘されてきました)のようです。

手相も見て下さり、運命線と頭脳線が素晴らしいと言ってくれました。えへっ(^o^)

55歳から事業を始め、大きな成功を収めるのだそうです。

3日前に55歳になっておいてよかったです(笑)



それにしてもマクロビに興味を持ったとたん、その世界の第一人者とお知り合いになれて、心が通じ合ったのですから、本当に僕は「ツイてる、ツイてる」です。

これからの活動の、もう一本の柱にしていこうと思っています。



みんなで心身共に健康になっていきましょう。


また勉強の成果をブログで発表していきますから、参考にしてください。




今日もここに来てくれてありがとうございました。

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開いた自分というのは、あるがままの自分ということです。 あるがままの自分が、あるがままの状況に関わっていくのです。 考えてみれば、あまりにも当たり前の話です。 でも僕たちの多くは、その感覚を忘れてしまいました。 「あるがままの自分」とは何か、 ... 続きを読む
開いた自分というのは、あるがままの自分ということです。

あるがままの自分が、あるがままの状況に関わっていくのです。

考えてみれば、あまりにも当たり前の話です。



でも僕たちの多くは、その感覚を忘れてしまいました。

「あるがままの自分」とは何か、そのことを考えなければいけないくらいに、無意識に不自然な生き方をしてきているのです。



それは長い長い習慣です。

自分の安全を確保するために身につけてきた偽物の顔や言動が、いつのまにか自分自身になってしまっているのです。

しかもその自覚がありません。


だから「あるがままの自分」と言われても困ってしまうのです。



「開いた自分」「あるがままの自分」にはいくつかの特徴があります。


ひとつは、あるがままを受け止めているので、いまの自分や目の前の状況に何一つ要求していません。

そこには何かを変えようとする一切の攻撃性が消えているのです。


いまある以外の何かを獲得しようとか、何かを保障しようとかの意図がないのです。

いまを生きるとは、そういうことです。



その攻撃性の不在から、人間の本質である温かみが香り出します。

それが「慈悲」と呼ばれるエネルギーです。



頭の中から未来が消え、いまを生きているので、何かを達成しようという衝動がありません。

ただリラックス感が広がっています。

それは落ち着きと優雅さを醸し出していきます。



目の前の状況に何も求めていません。

いつもいま、その状況に最も適った行為をしていくだけです。


もし人が自分に何かを求めているとしても、その期待に応えることが優先されるわけでもありません。

その期待は、期待を持っている人のものです。


好かれるために、そこに合わせることもありません。

ただ単に最も適切な言動を選択するだけで、用意されたマニュアルもありません。


しかし結果的にそれは、多くの人の役に立ち、多くの人の救済に繋がっていきます。


なぜなら、その時の行為が正確に的を射ているからです。



それが「菩薩」です。


菩薩は菩提薩埵(ぼーだいさった)の略で、原語はサンスクリット語のボーディーサットバ(bodhisattva)です。

ボーディーは開かれた状態、サットバはそれを生きる勇気ある人という意味です。



ここまで読んだ人の中には、今まで自分が信じてきた菩薩とは違う姿を見ている人もいることでしょう。



たとえば、宗教団体や教祖が何らかの教えを説いていて、その教えを広く一般に広めることが菩薩行だということを信じている人たちがいます。


人類の何%かに教えを広めれば、地球が救われると言うのです。


これこそが本来の菩薩の在り方を歪曲した、まことにご都合主義の教えと言わざるを得ません。


自分の愛を人に押し付けようとすることこそが、攻撃性の表れなのです。

相手を自分の真実や愛に巻き込もうとするのは、野心の表れです。

それはあるがままの状況とコミュニケートする姿勢から大きく外れています。


そのようにして達成される世界平和とは如何なるものなのか、それを考える余地さえ見失っています。


愛と平和という美名と、菩薩行というヒロイズムに、すっかり飲み込まれてしまった人たちがたくさんいるのです。


本当の平和とは、平和とか戦争とかの概念を全て払拭して、プラスとマイナスの両方を持ったあるがままの現実に、自分を開いていくことから生まれてきます。


それは深い自己信頼によって達成される境地です。

なぜなら、世界とは自分の心の投影であり、自分の鏡だからです。


自分に対して自分を開き、自分を100%肯定的に捉えることが、菩薩の基盤です。

その結果、自分の行為をはっきりと認識できるので、行為が正確になっていきます。

それが結果的に人を助けるのであって、人を助けようと構えているのが菩薩ではありません。



僕たちは誰一人例外なく、菩薩になるために生まれてきた尊い存在です。

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声聞(しょうもん)のひとつ上の段階を「縁覚」(えんがく)といいます。 これは苦しみの原因である十二の関係性を理解し、苦しみから解脱した段階ですが、そのことを知識として知っても仕方ありません。 仏教の教義を学ぶことで何かを理解したような気になりますが、 ... 続きを読む
声聞(しょうもん)のひとつ上の段階を「縁覚」(えんがく)といいます。

これは苦しみの原因である十二の関係性を理解し、苦しみから解脱した段階ですが、そのことを知識として知っても仕方ありません。

仏教の教義を学ぶことで何かを理解したような気になりますが、ここではもっと実際的な話をしたいと思います。



僕の経験では、これより上の世界に入るためには一人では無理だと思います。

そこには、一対一の親密な関係性が求められるのです。


親密と言いましたが、もっと正確に言えば、開かれた関係性、自分をありのままにさらけ出せるそんな出会いです。


僕自身、そのような方法で究極を経験しましたし、実際にいろいろ調べてみると、昔からそのようにして人は次元を超えて行ったことがわかります。


禅の修行の「参禅」の中でも、師と弟子のそのような関わりが起きていると思います。

頭であれこれ考えて見事な弟子を演じても、それはまったく意味をなしません。

真実であること、リアルであることが、最も重要視されます。


それは実にあたりまえな関わりなのですが、そのあたりまえなことが難しくなっているのが僕たちの現実です。

それくらい、いつだって微妙に自己を演じているのです。



あなたは自分の全てをあからさまにさらけ出したことがありますか。

それをするには大変な勇気が必要です。


自分に対してさえそれができていない人がほとんどです。

いかに自分が欺瞞性の塊であるのか、その自覚が第一歩のようにも思います。


そこを見ないで、形だけ精神の道を歩もうとしても、それは異臭を発している生ゴミを抱えたまま、豪華なリゾートホテルで過ごそうというのと似ています。



ここから先は導師(グル)が必要です。

この世で唯一大切な関わりが、導師と弟子の関係です。

そこにはリアルなものがあるからです。


でもそれは社会から消えてしまいました。



導師(グル)というと、なんだか聖者みたいな人を連想しますが、それは間違っています。


グルとは、2人の関係の中で先に心を開いている人のことです。

だから時と場合によっては、立場が入れ替わることさえあります。


グルとは固有名詞ではなく、その時に起きている状態によって決まるのです。



僕はいつもそのような関係を求めています。

相手が真剣に見性(至高体験)を求めていると感じると、自分の時間をどれだけ割いても、自分のほうから出かけていき、コミュニケーションをとろうとします。

相手が興味を持っている話から始めて、徐々に本質に触れていこうとします。


相手が気づかないだけで、もう20年以上そのような関わりだけを大切にしてきました。


いままでにほんの数名が彼方なる境地を垣間見ています。

それくらい細い道です。



結局のところ、人は彼方を求めていると言いながらこの世のものを何一つ失いたくないのです。

あれも欲しい、これも欲しいのです。


家族や仕事が何より大切だということを誰も疑いませんが、この先に進むには、それをいったん捨てるくらいの覚悟が必要です。

でも行きついてみれば、何一つ失われていなくて、むしろそれまで得ていたと思っていたものを、本当の意味で得ていることに気づくのです。


うーん、言葉で伝えるのは難しい。


でもね、これを読んでくれている人の中にも、将来僕とそのような出会いに発展する人もいるかもしれませんよ。



ま、あせらず行きましょう。

すべては御縁ですから。





今日は僕の誕生日です。

この世に産んでくれた母に、心から感謝します。

いつまでも元気でいてください。



PS

明日の「いまここ塾」は、通常どおり吉の浦会館です。

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久しぶりのワンマンライブ。 リハをしていると本番が始まって欲しくない気持ちになる。 だって始まると終わっちゃうから。 リハで感動するときは最高の日ですよ。 ドラムのヒロト(中央)はミュージック界のダルビッシュみたいです。 ... 続きを読む



久しぶりのワンマンライブ。

リハをしていると本番が始まって欲しくない気持ちになる。

だって始まると終わっちゃうから。

リハで感動するときは最高の日ですよ。

ドラムのヒロト(中央)はミュージック界のダルビッシュみたいです。

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今日から、六道輪廻を超えた世界を解説してみます。 地獄界から天界までの六道の世界は、自分が生きている世界なので実感が伴いますが、ここからは修行を通して達成される世界なので、やや観念論になりがちです。 すでに知識として知っている人もいるかと思いますが、 ... 続きを読む
今日から、六道輪廻を超えた世界を解説してみます。

地獄界から天界までの六道の世界は、自分が生きている世界なので実感が伴いますが、ここからは修行を通して達成される世界なので、やや観念論になりがちです。

すでに知識として知っている人もいるかと思いますが、いったんそれをリセットして話を聞いてもらえたらと思います。



一昨日、僕に会うために関西から沖縄に来てくれた青年がいました。

何年も前に僕のワークショップに参加し、最近になってまた急に僕のことを思い出したのだそうです。


鬱(うつ)になりかけでSOSということだったので、時間を作って会うことにしました。


会ってみると好青年で、何が彼を苦しめているのかわからないほどでした。

若さも知性も美しさも全て兼ね備え、前途洋洋の身でありながら、心は人に言えないほどの苦しみを抱えているというわけです。


話を聞いてみると、悩みの原因は、自分のことが好きになれなくて、むしろ自分を否定し、恥じているということがわかりました。

楽しい時も本心から楽しいわけではなく、困っている人を見ても本心から同情することはなく、外側と内側のギャップが激しく、偽善的で冷淡な自分だと言っていました。

誰も愛したことがなく、誰も信頼したことがなく、人間として失格だというわけです。



僕は言いました。

「ふうん、僕とおんなじだね」


彼は意外そうな顔をしていました。

本当の話、僕の中にもそのような面があったし、いまでもどこかにあるし、それを醜いと言うなら、僕も醜い一人だと言いました。


ただ彼との違いは、そのような面を持っていても自分を憎んでいないし、自分が好きだし、自分を肯定していることです。

だってあるがままにそうあるのだから、それが「人間種」という生き物なのだし、じたばたしても仕方ないと思うのです。


彼がやっていることは、手の5本指を見て、太い親指と、短い小指に向かって「いつの日か全部が薬指くらいにスマートになったら、自分自身を受け入れよう」って言っているようなものです。


まず理解すべき最初のことは、僕たちの中にある全ての側面は、ただそのようにあるのであって、何一つ克服すべきものもなく、何一つ取り去らねばならないものもなく、何一つ付け足さなければならないものもないということです。

短い小指は、克服すべき問題ではありません。


愛せない、信頼できない、心底から本気になれない、そのような面は自我の特性です。

そして自我さえも、克服すべき問題ではないのです。


自我は克服するものではなく、超えていくものです。

克服しようとすると、そこにまた新たな戦いを生んでしまいます。


あらゆる内なる戦いを放棄した時に、自我を超えることができます。



あるがままで完璧で、あるがままでOKです。

絶え間ない比較や判断が、どれほど自己否定を生んできたことか。


あるがままでOK、それが「悟り」と呼ばれる境地です。

悟りとは、自分自身を訓練して改善した結果たどり着くような、高尚な境地のことではなく、まさにあるがままを認めることに過ぎません。


何かになろうとしないこと。

あるがままを、あるがままに成らしめることです。


そこに努力は要りません。

だって何もしなくても、最初からすべては「あるがまま」だからです。

だから悟ることは、この世でいちばん簡単なことです。


彼の場合も、苦しみを解決しようとしてもがいたり、目を背けたりするのではなく、単に今起きている状況に心を開くことが求められているのです。


今のままの自分では何かが欠けている、何かが足りない、何かが不完全だという感覚が常に付きまとい、それが絶え間ない思考を生みだし、それが苦しみを作り出しています。

その苦しみから逃れようと、心の虚しさを埋め、何事もうまくいくように仕向け、少しでも多くの楽しみや安全を自分に引き寄せようと必死になります。

忙しく動きまわり、絶え間なく次の瞬間を求め、何かをつかみ取ろうとするのです。

その結果が六道で見たような、束の間の達成感と失望の繰り返しです。



このような生活スタイルは苦しみに満ちていて、思いどおりにはならず、最終的には自分が自分であることにさえ苛立ちはじめます。

常に苦しみと不安が付きまとうのです。


これはだれか特定の人の状況を言っているのではありません。

自我に翻弄された人間の普通の姿です。



自分の中の思考や行動を正確に観察してみれば、それらが常に自分の安全を確保し、自分をより高めようとしていることがわかります。

実は、それが苦しみを作り出している原因です。



原因がわかれば解決は目の前です。

そのような思考と戦うのではなく、ただ思考をあるがままに見つめるような余裕を持つのです。

思考に乗っ取られるのではなく、手放してただ見つめてみるのです。


するとその中で、本来全ての人に備わっている健全な知性が顔を出します。

それは自分の中に内在する、とてつもないパワーであり、絶対の存在です。


それは何かを成し遂げようという努力を捨て、あらゆる戦いをやめて、ただあるがままにくつろいだ時、突然にして発見される目覚めた意識です。


そのような理解とともに生きる世界を「声聞界」と言います。


それは苦しみと、苦しみの原因を理解した時から始まります。



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社会の中では、心を開きあって魂のレベルで交流したり、生きる真実について語り合う場面はほとんどありません。 形式上のあいさつや、お互いの都合をやりとりするだけの会話で終始してしまいがちです。 僕はそのような時間が好きではないので、あまり外に出かけるこ ... 続きを読む
社会の中では、心を開きあって魂のレベルで交流したり、生きる真実について語り合う場面はほとんどありません。

形式上のあいさつや、お互いの都合をやりとりするだけの会話で終始してしまいがちです。


僕はそのような時間が好きではないので、あまり外に出かけることがありません。


でも講演会やコンサートを開かせてもらうと、自分主導で「場」が作れるので、一番話したい内容を話すことができ、有意義な時間を過ごすことができます。

だからそのような活動は、僕にとって何よりも大切です。



ブログもしかりです。

僕は宗教家ではありませんが、「宗教性」は生きる上で最も重要なことだと思っています。

その「宗教性」を学ぶために、人々は一か所に集い、そこからさまざまな宗教が生まれていきましたが、それはネットがなかった時代の話です。


いまや僕たちは、好きな時間に好きな場所で、共に学びあうことができるようになりました。

これは人類史上初めて出現した、時空を超えた「サンガ」だと思います。


サンガ(SAMGHA)とは真理を学ぶために修行生活をする集団のことで、そのまま漢字を当てはめて僧伽(そうぎゃ)と言います。

この僧伽から僧侶という言葉ができました。


したがってこのブログはネットサンガであり、真摯な気持ちでこれを読んでくれる仲間はネット僧侶ということになります(笑)

とは言うものの、仏教だけに偏ることなく、キリスト教や、イスラム教や、ヒンズー教や、それぞれの素晴らしさも同時に学んでいけるような開かれた場でありたいと思っています。




もちろんネットだけで十分だとも思っていません。

年に何度かは実際に顔を合わせて、お互いの存在を確認しあい、生の声でメッセージを分かち合うことも大切だと思います。


沖縄では毎週「いまここ塾」という講演会を開催し、昨日で170回を迎えました。

毎回多くの人たちが詰めかけてくれますが、残念ながら場所が沖縄なので、全国のみなさんもどうぞというわけにはいきません。



僕としては、定期的に本土にも出向きたいと思っています。

自分の地元でも開催をと思ってくださる方は、気軽に相談してください。

一緒に作り出していきましょう。



年内は、3カ所でやらせて頂きます。


11月15日は札幌駅前のLプラザで18:30です。


札幌では、人気ブログ「あの世に聞いた、この世の仕組み」の雲黒斎さんとも対談できることになりました。

楽しみです。


お問い合わせ
(有)ワイナーズプラン
cefia@sapporo.nifty.jp




12月は再び、能登の七尾市に呼んでいただきました。

今回はさらに深い内容に触れていきたいと思っています。

6日 瞑想会(夜)
7日 講演会(昼夜2回)


お問い合わせ
元氣ショップ  ら・む~
090-9447-3689




12月13日は東京で開催します。


会場 カメリアプラザ 9階 ビジネスホール

JR亀戸駅下車徒歩2分
江東区 亀戸 2―19―1 (03-5626-2121)

開場 12:00
開演 13:00

予約は要りません。
当日のみの受付になります。


詳細は
http://abetoshiro.ti-da.net/e1416525.html




沖縄県内では、年内に宮古島、石垣島、波照間島を予定しています。

また、教育委員会、自衛隊、各企業などでも講演させていただきます。

こういう忙しさは大歓迎で、僕が一番やりたかったことですニコニコ



さて、地獄界から天界までの六道輪廻の解説をしてきましたが、この先には声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界という四つの世界(四聖)があり、六道界と併せて十界と呼ばれています。

四聖は仏教修行を通して到る境地ですので、世界そのものの解説よりも、どのような修行が的確かという話が大切だと思います。


修行というと重々しいですが、他の言い方をすれば、新しい習慣を身につけることで、心を訓練し、最終的には心を超えていくということです。


心は時間という幻想と共に存在しているので、心を超えるとは「いまここ」に戻ってくるということになります。


「いまここ」

この言葉は、これからの時代を生きる僕たちに、最も大切なキーワードになっていくと思っています。


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えーと、まずは報告しておきます。 長い間お世話になった人気ブログランキングですが、数日後にいったん退会することにします。 多くの人たちの目に触れることが目的で、みなさんにも協力をお願いしてきましたが、読者数(新しい記事を更新すると、携帯やPCにお知 ... 続きを読む
えーと、まずは報告しておきます。

長い間お世話になった人気ブログランキングですが、数日後にいったん退会することにします。


多くの人たちの目に触れることが目的で、みなさんにも協力をお願いしてきましたが、読者数(新しい記事を更新すると、携帯やPCにお知らせが届く)も800人を超え、毎日数千人の人たちが訪れてくれるようになりました。


ちなみに携帯からの人は、ad@abetoshiro.ti-da.net に空メールを送れば、読者登録できます。



この先は、むやみに人と出会うことを目指すのではなく、じっくりと構えて、本当に道を求める人の道しるべになっていきたいと考えています。


更新の頻度も、のんびりと書きたい時に書くという生活を始めてみます。


そしてまた必要だと感じたら、再びランキングへの参加を検討してみますので、その時はまたよろしくお願いします。




この世には様々な真実へのアプローチがありますが、僕がここで展開してきた方向性は的外れではなかったと自負しています。


物質的な幸福感に限界を感じた社会は、次は精神的な幸福を求めてくると思いますし、事実世の中はそのような傾向にあります。

さらには社会に蔓延したストレスや苦しみから、いかに解放されるかも大きなテーマになってきています。


しかし今の精神世界の情報は、まだまだ未成熟なままで、精度も低く、まことに危ういままに放置されています。

オカルト的な荒唐無稽な情報が飛び交うこともあって、本来最も大切な分野でありながら、社会からは一段も二段も低く見られているのが現状です。


もう少しこの分野が成熟して、真に社会に貢献できる日が待ち望まれます。




そもそも、自分を救ってくれる簡単で奇跡的な方法など存在していません。

この数年間にも、様々な方法論が話題になり消えていきましたが、それらは全部まやかしです。

まったく意味がないとは言いませんが、その場の気休めにしかならないと断言します。


なぜなら僕たちが取り組むべきは、外側の「やり方」ではなく、混乱した「心そのもの」だからです。


幾重にもまとった自己欺瞞や、絶え間ない未来への憧れ、嫉妬や怒りが渦巻くパラノイヤ的な心の仕組みに取り組んでいくしかないのです。


それが六道輪廻から抜け出る第一歩になります。

六道とは混乱した心が創り出した幻想だからです。



僕たちはあまりにも自分の心を野放しにしてきたので、どこから手をつけていいのか途方に暮れてしまい、しかもたくさんのごまかしを自分に強いてきたので、いまさら自分と向き合いたくないのです。


そこから目をそらして、自分を救済してくれそうな新しい手法や、何でも知っていそうなカリスマにすがりつくことで、安易な救済の道を選んでしまうのです。

それは、結局は遠回りになるでしょう。


ダイレクトに自分と取り組んでいくのが、最も確実であり早道です。

まずは、自分自身に対して自分を開くのです。


その潔さと正直さが、次の段階に進む鍵になります。



これからは、さらに具体的にそのやり方を伝えていくことにします。




昨日までの六道輪廻の解説は、とても重要だったと思います。

自分が今どこにいるのかを知るのは、その絶え間ない繰り返しから抜け出る最初の一瞥を与えてくれるからです。



六道の世界の中から、神々や彼方なる世界を夢想する段階は、もう終わりにしましょう。

地に足をつけて一歩ずつ進んでいきましょう。




今日もここに来てくれてありがとうございました。





いままでボタンを押して協力してくれてありがとうございました。

おかげでずっと上位に位置することができ、多くの人との出会いも実現しました。

残り数日間、最後のゲームにご参加ください(^o^)/

   


PS

明日はいつもどおりに「いまここ塾」があります。


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