かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2009年03月

昨日は大工見習いさんの悩みに、多くの人たちが心を向けてくれて、なんだか本当の家族のような温かい交流を感じました。 沖縄には「いちゃりばちょーでー」という言葉があって、「出会えば兄弟」という意味ですが、もともと僕たちは同じ成分から作られた同じ生き物なので ... 続きを読む
昨日は大工見習いさんの悩みに、多くの人たちが心を向けてくれて、なんだか本当の家族のような温かい交流を感じました。

沖縄には「いちゃりばちょーでー」という言葉があって、「出会えば兄弟」という意味ですが、もともと僕たちは同じ成分から作られた同じ生き物なので、ネット上での出会いもまさに「いちゃりばちょーでー」ですね。


それにしても皆さんが、ご自分の置かれている現状を正直に書いてくれて、それは多くの人を大変勇気づけていると思います。

人様には知られたくないプライベートな恥のような側面も、こうして表に出してみれば恥どころか美しささえ感じます。

飾られた絵空事よりも、みっともない事実のほうがずっと美しいのは何故でしょう。

そこには人間のひたむきな「生」が垣間見えるからだと思います。



何年間修行を重ねたとしても、ある瞬間に極度に落ち込んだり、低次元のトラブルを起こして自己嫌悪を感じたり、怒りに身体を震わせたりということはあります。

そのような時、人は、いままでの努力が何にもなっていなくて、また振り出しに戻ったような気になるものです。


しかしそれは違います。

そのような考え方は、人生が時間軸の上を直線的に進んでいるという錯覚から来るのです。

一歩一歩登ったつもりの山から転落したように感じてしまうのも同じです。


実際には常に「いま」という中で、事が生じ、事が滅し、様々な感情が現れては消えているだけで、どこにも向かっていませんし、どこにも辿りついていません。

だからどんなに惨めな出来事が起きて、どんなに惨めな態度を取った自分がいたとしても、ただその時そのようにして事が起きたというだけの話です。

もし何らかの精神修行を積んできたとしたら、その先の日々の生活に再び反映してくることでしょう。



ひとつだけ伝えておきたいことがあります。

あなたの意識が高まって、そのピーク(頂上)が高くなればなるほど、谷底は低くなっていきます。

高い山は、低い谷がなければ存在できません。

それは両方でセットです。

したがって、成長すればするほど、今までには感じたことのないような落ち込みを感じることもあるのです。


その時は思い出してください。

苦しい時には苦しみ、恐れる時には恐れたらいいと。


そこに何も悪いことはありません。

自分という有機体が、そのような体験をする時節にあるだけのことです。


だからといって自分を卑下しないこと。

良い悪いで自分を判断しないこと。


ただあるがままを生きるのです。


するともはや苦しみは苦しみではなく、恐れは恐れではなくなります。

それらはやがて何処へともなく消えていきます。



自分は成長したのだから、こんな感情はふさわしくないとか、こんな現実は間違っているとか言わないことです。

事はいつでも、起こるがまま起きているのですから。


みっともない自分が出てきたら、喜んで仲間と分かち合いましょう。

そのことであなたが低く見られることは決してありません。

それどころか、そんな勇気を称えられるでしょうし、なによりあなた自身が、そんな自分を好きになっていくはずです。


あなたが感じる感情や、考える内容は、僕も感じ、そして考えることです。

そこには美しさも醜さも混在しています。


それが人間種という生き物です。


僕たちは根っこが同じものなのです。



だからね、「いちゃりばちょーでー」なんですよ。

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人間は毎日、頭の中で数万の思考を巡らせているそうです。 しかもその大半は昨日も考えたことで、さらにその大半はネガティブなことだそうです。 これは特別な人の話ではなく、ほぼ全員がそうやって毎日を暮らしているわけです。 自分から見て人生がうまくいって ... 続きを読む
人間は毎日、頭の中で数万の思考を巡らせているそうです。

しかもその大半は昨日も考えたことで、さらにその大半はネガティブなことだそうです。


これは特別な人の話ではなく、ほぼ全員がそうやって毎日を暮らしているわけです。

自分から見て人生がうまくいっているように見える人も、自信がありそうな人も、みんな同じような傾向を生きているとしたら、なんだか安心しませんか(笑)

人にも優しくなれますよね。



ネガティブ思考という言い方をしますが、それは思考の本質です。

比較したり、判断したり、批判したり、後悔したり、心配したり・・・

朝から晩まで一日中あれこれと考えているのが、通常の僕たちなのです。


それではポジティブ思考とは何でしょう。

それはネガティブ思考の反転であって、どちらも姿を変えた同じものです。

もし根底にネガティブ性がなければ、あえてポジティブに考えようとする必要がありません。

それは同じゲームの裏返しです。


本当の肯定性とは、ネガとポジの両方を超えたところにあります。

それは僕たちの存在そのものが持つ、絶対的な肯定性であり、ネガティブの反転ではありません。


したがって僕たちが目指すのは、ポジティブ思考を心掛けることではなく、思考そのものを超えることなのです。


思考を使わない状態というと、ポケ~としているように思うかもしれませんが、実際には、考えている時よりもはるかに意識が研ぎ澄まされています。

それが本当の覚醒状態です。


その状態に入るためには、瞑想のレッスンが一番的確ですが、日々の生活の中でも簡単に近づく方法があります。


僕がよくやるのは「耳を澄ます」というやり方です。

どんな瞬間でもいいから、それまでやっていたあらゆる行為を突然中断して、ストップを掛けます。


そしてじっとしたまま、ただ耳を澄ますのです。


すると、それまで聞こえていなかった様々な音が聞こえてきます。


その一つ一つをよく感じ取ってみます。

音に名前をつけたり、良い音とか悪い音とか判断したりしないで、ただあるがままをじっと聞くのです。


慣れてくると、それをやっている時間は思考がストップします。

最初のうちはすぐに思考が湧いてきますが、そこに巻き込まれないで、思考そのものを見つめていればOKです。

秘訣は、どんな時でも突然始めることです。


これは一番手っ取り早い瞑想法です。


約30秒間くらい、一日に6回以上できたらいいですね。

合計3分間。

どんなに忙しい人でも試せるでしょう。


日々の生活の連続性、そして思考の連続性に中断を与えるのが目的です。

この習慣は、「いまここ」に戻ってくるのに効果を発揮しますし、もし3週間くらい続けることができたら、いままでとは違う自分を感じだすと思います。

ところが僕たちは、一日中思考の中に暮らしているので、たったこれだけのことさえ忘れてしまうのです。



人間は本当に忘れっぽいですからね。






さて、いよいよ今週末に迫ってきました。

「イク時は一緒!」

本当に一緒にイキたいですね。



そして翌日は大阪で講演させてもらいます。

こちらはどれくらいの人が来て下さるのかまったく予想もつきませんが、たとえお一人でも目の前に立ってお話しする予定です・・・・・恐そうがーん



明日はいつもの吉の浦会館で「いまここ塾」やっています。

気がついてみたら、193回目ですびっくり!

今回は本土からの参加組も多く、ちょっとしたサプライズもあります。
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昨日の娯楽番組は楽しんでもらえましたか。 たまにはこういうのもいいでしょ。 そしてたくさんのコメントありがとうございました。 ひとつの記事に対して、様々な反応がありましたが、どれもその人にとっての真実であり、ある意味、社会の縮図のように思います。 ... 続きを読む
昨日の娯楽番組は楽しんでもらえましたか。

たまにはこういうのもいいでしょ。


そしてたくさんのコメントありがとうございました。

ひとつの記事に対して、様々な反応がありましたが、どれもその人にとっての真実であり、ある意味、社会の縮図のように思います。

と同時に、大変参考になるご意見も多く、このブログに訪れてくれる人たちの意識の高さを感じました。


実は江原さんに対しては、まったく逆の立場から肯定的な記事を書くこともできます。

僕の中の好感度はけっこう高かったりします(笑)

あなたもその気になれば、どちらの立場も取れるのではないでしょうか。

 

ただし、ひとつだけ指摘したかったのは、情報には精度があるということです。

たとえば電波が発見された時、見えないそのような作用に対してまったく否定的だった当時の社会で、多くの専門家たちの研究の結果、電波という存在の情報精度が短期間にどんどん高まり、やがては実用化に成功しました。

電気もしかり、最近では超電導もしかりです。


その考え方が出た当初は、まったく荒唐無稽にしか思えなかったものが、もしそこに真実性があれば、人間のあくなき探求心はそれを現実のものにしてしまいます。


もしある分野で主張される新しい力学や能力が、いつまでたってもその情報精度が上がらないとしたら、そこには何か根本的な欠陥が含まれているか、事実無根の可能性があります。

したがってよく言われる超現象(電波も電気も超電導も最初は超現象でした)も、幾多の科学的検証に耐え、少しずつでも事実性を高めていけば、何らかの形で人類に役立つ実用化が図れるものと思います。

誰もが納得する科学的検証は可能ですし必要です。


霊的なものに関しては、この数千年間にわたってなんら情報精度が上がっていません。

そのことについてもっともらしい理由がいつも述べられるのですが、同じレベルにあることは事実です。



意識の向上、意識の変革・・・

意識とはまだまだこれからの分野です。

だからこそ、精度の高い情報を取捨選択していくことが大切だと思います。


僕たちはファンタジーが好きで、つい特別なものに憧れてしまいます。

しかし実際には、ひとつひとつ自分自身を見つめながら、地道な作業の中で事は達成されるのです。


決してあなたを試したわけではありませんが、たとえば昨日の記事への自分の反応パターンなども、自分の考え方や、感じ方、やり方を検証するいい機会ですし、そのような機会は日常に溢れていると思います。



自覚を持って生きること、気づきをもって自らの言動を見張ること、それが「瞑想」の意味するところであり、これからの僕たちに不可欠な生き方だと思っています。



今日もここに来てくれてありがとうございました。



いい日曜日をお過ごしください。

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さて今日は土曜日。 いままでとは違う流れでお話しましょう。 今日のこのブログは娯楽番組です。 以前、「水は答えを知っている」という本に対して、あれは出鱈目だという記事を書いたことがありました。 あるいは小林正観さんや、江原啓之さんや、細木数子 ... 続きを読む
さて今日は土曜日。

いままでとは違う流れでお話しましょう。

今日のこのブログは娯楽番組です。



以前、「水は答えを知っている」という本に対して、あれは出鱈目だという記事を書いたことがありました。

あるいは小林正観さんや、江原啓之さんや、細木数子さんたちを、真っ向から否定した記事も書きました。

そのたびにバッシングも受けてきましたが、今日もその路線で行ってみます。


何事も受け入れる、すべてはOKと言っている僕の姿勢からは矛盾を感じるかもしれませんが、理路整然とした人物を演じるよりは、真実を明確にしたいという思いのほうが強くあります。



今日は江原さんでいってみましょうか。

この人が、一番もっともらしく見えるからです。


僕の周囲でも考えられない割合の人たちが、あの人を頭から信じています。

テレビの力は凄まじいものがありますが、そのテレビ制作の裏側が、どれくらいヤラセで固められているか、少しでもその業界に携わったことがある人間ならば、よく知っています。

報道番組や健康番組のヤラセは社会的批判を受けますが、スピリチュアルなどという、あるのかないのかわからないような分野では、まかり通っているのが現状です。


あの手の番組を作るために、事前に出演者の身辺調査がどれくらい行われているか、視聴者はあまり関心を持たないようです。

セロ氏の手品みたいなもので、そこに出てくる通行人までもがみんなサクラだということには目を向けずに、一見超常現象のように見える部分だけを見て、それを信じてしまう人がいるのです。


霊能者を自認する人たちの話が本当かどうか、そもそもそのような能力が本当にあるのかどうかを証明する手立てはあります。


そのひとつが犯罪捜査協力です。

たとえば、行方不明になった子供を何十年も探している親御さんを救ってあげればいいのです。

天から与えられた特殊能力を使って、芸能人の前世などあれこれ言っている時間に、本当に苦しんでいる人を少しでも助けてあげてほしいと思うのは僕だけでしょうか。


宜保愛子さんもそうでしたが、江原さんもなんだかんだ言って決してそのことに着手しません。



何故でしょうか。

簡単な話、できないからです。



江原さんはそのことについて、「まだ未熟だから」と言っているそうですが、であれば、前世や生まれ変わりなどということを、まことしやかに公共のテレビで断定的に語るべきではありません。

そのことを信じて自殺してしまった中学生がいましたが、自殺の増加に一役買っている面も否めないと思います。


向和尚(臨済宗方広寺派教学部長)が、全国の臨済宗教学部長の集まりの場で、このような社会風潮を見過ごしていてはいけないという話題が出たと教えてくれました。

大いに異を唱えていただきたいところです。


僕も前世がないとは言い切りませんが、しかしそれは他者が見て言い当てるようなものではありません。

昨夜見た自分の夢を、他者が正確に当てることができないのと同じです。


僕が比較的江原さんに好意的だったのは、ある書籍の中で、これら前世や霊魂の話は、見えない世界が実在することを多くの人に知ってもらうための入り口で、ゆくゆくは真理についてお話したいというような記述があったからです。


もうとっくにその時期に来ているのではないでしょうか。

前世や霊魂の話が、方便だということをぜひ語ってもらいたいと願っています。



あー、書いてしまった。


こういう記事の後はいろんな反応があるんですよね。

特に江原さんについては強力なものがあります。



ま、お手柔らかにお願いします(笑)




それにしても早いな。

もうすぐ4月ですね。



今日もいい一日をお過ごしください。
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今日もまた、ちょいとぶっ飛んだ話ですが、最も伝えたいことのひとつなので読んでみてください。 今朝起きて黒斎さんのブログを開くと、「いまここ」ということについて、とてもうまく説明してくれていました。 「いまここ」・・・それは僕たち全ての存在の究極の ... 続きを読む
今日もまた、ちょいとぶっ飛んだ話ですが、最も伝えたいことのひとつなので読んでみてください。


今朝起きて黒斎さんのブログを開くと、「いまここ」ということについて、とてもうまく説明してくれていました。


「いまここ」・・・それは僕たち全ての存在の究極の姿であり、誰一人例外なく、その次元にたどり着くことは最初から決められています。


最近、アセンションという考え方の中で、進化の波に乗り遅れる人は、また最初からやり直しだという説があります。

自我を超越した新人類たちの文明に入ることができずに、また今までと同じ荒い波動の世界での暮らしを選ぶと言うのです。


本当にそのようなことが起きるのかもしれません。

どんな人も自分の自由意思で生きているので、今の物質界にしがみつく人を無理やり目覚めさせることはないと思います。

たとえ今のままの次元を選ぶ魂がいたとしても、また何万年後(?)には再び同じような機会が訪れ、そこで進化を選択するかもしれません。

悠久の時の流れから見れば、数万年など誤差のようなものです。

しかも、次元の昇華とは時間を超越することであり、「いまここ」に戻ってくることなので、その次元に入ってみればいつだって「いま」なわけで、早いとか遅いとかも関係ないのです。

頭で考えると混乱しますが、「いま」に、早いも遅いもありません。


究極の真実の世界に帰りつくのは、全ての魂たちの絶対的な宿命です。

そのような宇宙的観点から見れば、何も心配いらないのです。

結果はお任せして、好きなように現象界と戯れていていいわけです。

その一方で、もうこんな次元での繰り返しはたくさんだと感じだした人は、それなりの準備をしながら、自分の意識に訪れる突然変異に備えればいいと思います。



今までに起きた全てのことも、これから起きる全てのことも、すべて渾然一体となって「いまここ」に存在しています。

それは僕たちの理解を超えた、まことに不思議な世界です。

しかも、それこそがリアルな世界であり、真理と呼ばれるものなのです。



このような話に、ほんのわずかでも共感したとしたら、それはもともとあなたの中にあった真理が共鳴しているからです。

そのような人が増えてきたということが、もう間もなく根本的な変化が起こる証しだと思います。



準備はいいですか。


夜明けは近い・・・ますますそう感じている今日この頃です。
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昨日の記事を書いた後に、虐待やレイプなど、生々しい体験を経てきた人たちに対して、僕の言葉はどれくらい役に立てるのかと考えてしまいました。 しかし一方で、みなさんから寄せられたコメントを読んでみると、みなさんの理解の深さが伝わり、僕はなんて素晴らしい人た ... 続きを読む
昨日の記事を書いた後に、虐待やレイプなど、生々しい体験を経てきた人たちに対して、僕の言葉はどれくらい役に立てるのかと考えてしまいました。

しかし一方で、みなさんから寄せられたコメントを読んでみると、みなさんの理解の深さが伝わり、僕はなんて素晴らしい人たちと共にあるのだろうと嬉しくもなりました。

文章とは、単なる言葉の羅列であるのと同時に、その行間から意味を超えた意味を伝えることができる、そんな力もあるように思いました。




「いま」に徹底すれば、あらゆる苦悩が消え去るというのは本当です。

しかし、「いま」に徹底するとはどういうことなのか、そのことを理解することが先決かもしれません。


いまこの瞬間というものを、今まで無数にあった瞬間や、これからも無数に訪れる瞬間のうちの、ひとつの瞬間と考えてしまう人がいます。

そのように考えると、いまこの瞬間というものが、あまり大きな価値を持たなくなります。


しかし実際には、いままでのあらゆる瞬間も、この先のあらゆる瞬間も、そしていまこの瞬間も、ひとつの同じものなのです。


瞬間とは短い時間のことではありません。

どんなに短い時間でも、そこに長さが存在してしまいます。

そうすれば、その中にまた無数の瞬間が存在することになります。


「いま」というのは時間のことではなく、時間を超えた意識のレベルのことです。


通常僕たちは時間の中に暮らしています。

言い方を変えれば、思考の中に存在しています。


実際には思考と時間は同じもので、それが自我という幻想の素材になっています。

このことは今までにも説明してきましたから省きますが、「いま」を生きるというのは、自我を超えた自分として存在するということです。



それでは自我を超えた自分とはどのようなものか。


その世界では、自と他の境界線はなく、すべてがひとつにつながっています。

そこにおいて初めて、あらゆる出来事は幻想にすぎなかったことを知ります。

傷つけた人も、傷つけられた人も存在せず、つねに「いまここ」で、自分(全体)の意識が夢の中で戯れていただけだったことを知ります。


それが真理であり、僕たちの本当の姿です。


どんなに深く眠りこけて、この現象界に取り込まれようと、本当の自分は何一つ影響されずに、いまこの瞬間も、完全なる姿で存在しています。


いいですか、これは「あなた自身」のことですよ。


いままでにどのような辛い出来事があったとしても、「あなた」という本当の存在は、何一つ傷ついていませんし、汚れてもいません。

あなたの本質は、どこまでも無垢で、純粋な存在です。


表面的にはそう思えないかもしれませんが、僕の話は本当です。

この話が信じられないとしても、せめて、ここで真剣にそのことを伝えようとしているこの事実は認めてください。


そして自分が、その本来の自分に戻りたいと願ってください。

道はそのようにして始まっていきます。



人生という夢の中で、夢から覚めたいと願うのは稀なことです。

しかも実際に、目覚めるために一歩を踏み出すことは、さらに稀なことです。


このブログが、そんな志を持った人たちが集う場になれたらと思います。


もうすでに、そうなりつつありますね。


昨日の記事を書いたあと、僕だけの表現力では心もとなかったので、北海道に住む知人に電話をかけ、記事の補足をお願いしました。

彼も僕と同じような理解を持った人間ですが、ジェネレーションが違う分、表現の仕方も変わってきます。


あの世に聞いた この世の仕組み」に書いてくれました。




そして繰り返しますが、昨日いただいた皆さんからのコメントにも、多くの真実が語られていて、大変嬉しく思いました。




過去の全ては、もう終わったものとして置いていきましょう。


虐待にあった人、レイプにあった人、深く傷ついた人たちに伝えます。



何一つ、あなたのせいではありません。

そしてあなたは、いまも汚れなき純粋な存在です。




あなたが傷ついて苦しんだ分だけ、目覚めの時に深い喜びを体験することになるでしょう。

それはあなたに与えられた宿命であり、恩恵です。




今日もここに来てくれてありがとうございました。




・・・・・・・・・・


このような話は、実際に会ってお話しするのが一番なので、沖縄では毎週「いまここ塾」という講演会を開いてきました。


5月からは、東京でもマンスリーで開催する予定です。

いまのところ、5月17日、6月14日が決まっています。

詳細は、また後日お知らせします。


関西では、4月5日に「いまここ塾in大阪」を開催します。



4月8日から毎週水曜日の夜は、那覇市でも行っていきます。

追ってお知らせします。


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僕たちの苦しみの原因に、過去の傷が潜在意識の中に巣くっていて、それがいまの自分を苦しめているという考え方があります。 幸せになるためには、過去の経験を思い出して、その時に感じた怒りや悲しみを癒していくことが必要だと言います。 たしかに大人になった今 ... 続きを読む
僕たちの苦しみの原因に、過去の傷が潜在意識の中に巣くっていて、それがいまの自分を苦しめているという考え方があります。

幸せになるためには、過去の経験を思い出して、その時に感じた怒りや悲しみを癒していくことが必要だと言います。


たしかに大人になった今も、幼少期のトラウマが自分をコントロールしていることはあると思います。

なぜ自分が自分の意に反して特定の反応をしてしまうのか、特定の態度をとってしまうのか、それらの答えが過去の自分にあるというわけです。


人によってはそれを過去生にまで遡ったりもします。

そのようなアプローチでクライアントに接している精神科医もいます。

きっとそこには何かしらの真実が含まれているのでしょうが、僕は違った考え方を持っています。


そもそも、そのようにして過去の記憶を探り、ひとつずつ解決しようとしても際限がありません。

過去の記憶は無数に存在するからです。

ましてや過去生に原因があるとしたら、その過去生はそのまた過去生に影響されていて、それがどこまでも続いていくことになります。


そのようなアプローチの限界は、心の中の過去の傷がすべて癒されたあかつきに、自分が健全になり、幸せになるという考え方にあります。

うまくいけば、いつか幸せになるというわけです。

言うまでもなく、そのような「いつか」は存在していません。


過去を癒す一番の方法は、過去というものがどういうものなのか、その本質を理解することだと思います。

それは過去が実体なきものだということの理解です。


すべてが自分の思い込みだったことを知れば、あらゆる過去の傷はたちどころに消えてなくなります。


それは瞬時に起きます。

時間などかかりません。



大切なのは、過去から逃れようとして、過去に関わることではなく、徹底して「いま」に在ることです。

そうなれば、過去という幻想が入り込む余地はありません。

インナーチャイルドも過去生も、「いま」という意識の光の中で、たちどころに消えてなくなります。


過去を癒すには、それが思いこみだと見抜くだけで充分です。

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