かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2009年06月

今日もここに来てくれてありがとうございます。 毎朝、何を書こうか考えますが、今日はできるだけ本音で、そのまま書いてみます。 この世の中には嘘が蔓延していると思います。 その嘘は悪意からではなく、しかも無意識にやっていることなので、自分が嘘を生きて ... 続きを読む
今日もここに来てくれてありがとうございます。

毎朝、何を書こうか考えますが、今日はできるだけ本音で、そのまま書いてみます。


この世の中には嘘が蔓延していると思います。

その嘘は悪意からではなく、しかも無意識にやっていることなので、自分が嘘を生きている自覚もありません。

嘘というよりは、見せかけ、演技、建前、仮面と言ったほうがいいかもしれません。

人はそれなしでは生きられなくなっています。

そしてそれがある限り、決して幸せにはなれません。

それが人間界の実態です。



僕たちはみな、自我を抱えています。

自我というのはとても巧妙ですばしこく、なかなかその正体を見せませんが、自我がある限り、傷ついて心が病んでいることだけは確かです。

それはこの世の99.99%の人たちのことです。


ということは、僕たちから見て完璧そうな人や、幸せそうな人もみんな、実際には傷を抱えて、不健全な心を手なずけながら生きているということです。

でもみんながその傷を巧みに隠し、まるで自分には問題がないかのような顔をしているので、いつまでたっても人間社会は偽善と欺瞞に満ちたまま、いっこうに進化しないのです。

周りの幸せそうな人達を見ると、まるで自分だけが不純で不幸を押し隠しているように感じてしまいますが、そこもみんながハマっている共通点です。


自分にはそんな傷もないし、心も病んでいないと言う人は、単に鈍感なだけか、自己観察がまるで出来ていないかのどちらかです。

それは自我の宿命なので、逃れようがないのです。


これは良いとか悪いとかの話ではないですよ。

単なる事実の指摘です。


痛みや、惨めさや、苦悩や、不安な気持ちを、押し隠しながら生きていることを他人に知られるのが怖くて、ただひたすらに隠し続けるのが人間です。


それを隠し続けるから、決して傷が癒えることがありません。

そうやって多くの人は墓場まで持っていくのです。


結局のところ人生は一連の演技、一連の見せかけで終わってしまいます。

人類の文明が、いつまでたっても野蛮で暴力的なのは、みんなが傷を押し隠しながら、偽善と欺瞞の仮面をつけて生きているからです。



人類には大手術が必要です。

みんなでせーので、いさぎよく自分を開いて、自分の全てを白日のもとに晒すのです。

みんなで嘘をやめて、正直になって、自分の中で腐臭を発している闇を放りだすのです。


その真正さの中で癒しが起こります。

その醜さは、隠しているからこその醜さであり、開いて外に出してみれば、むしろ人を感動させるような力さえ持っています。

それが神の力であり、癒しと呼ばれるエネルギーなのです。



この世は愛と癒しに満ちています。


僕たちさえその気になれば、この世の問題は一気に消えてなくなります。

そして同じ命を生きる仲間として、お互いを労わりあい、与えあい、愛し合って生きることができるのです。



正直であること。

開く勇気を持つこと。


多くの人と、そんな関わりをしていきたいと思っています。




You may say I'm a dreamer

But I'm not the only one

I hope someday you'll join us

And the world will be as one

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こうやって毎日ブログを書くことは、すっかり人生の一部になっています。 その結果、同じように感じている人達に出会えることができ、それは何より嬉しいことです。 だって僕は何十年もそんな仲間を探していたのですから。 「帰ってきたT.マンさん」のコメント ... 続きを読む
こうやって毎日ブログを書くことは、すっかり人生の一部になっています。

その結果、同じように感じている人達に出会えることができ、それは何より嬉しいことです。

だって僕は何十年もそんな仲間を探していたのですから。



「帰ってきたT.マンさん」のコメントです。

>思考って心配ってことでもあるよね



そういう言い方って面白いですね。

確かにそうだと思います。


「思考=自我」とも言えますし、自我は自分が全体から分離していると信じているので、いつも自己保身にやっきです。


どうやって将来にわたり自分の安全を保証するか、それが一番の興味になっています。

ところが将来のことは不確定要素に満ちていて、100%知ることはできません。

したがって、心配がつきものになるわけです。


心配しているときは、自分の都合ばかりを考えていますし、そこに愛はなく、それこそが自我の作用だと思います。

それは自分も周囲も幸せにしません。



心配の反対は何でしょうか。

それは安心です。


人はお金や成功や名声など、多くのものを求めていますが、その背後には安心したいという動機があります。

しかしどこまで成功を得ても、いつか失うのではないかという心配は、消えるどころか増すばかりです。


それではどうしたら安心できるのでしょうか。

自分が宇宙から忘れ去られた迷子ではなく、いつも見守られていることを知ることです。

そう思い込もうとすることではなく、事実として自分が片時も忘れ去られたことがなく、ずっと守られ愛されていることを思い出すことなのです。


それが神の体験です。

その時初めて、人生の流れを信頼することができます。


そこから始まるのが随神(かんながら)の道です。

それは神と共に生きることであり、自分の身を神の仕事場として提供することです。

何をするのかではなく、どんな自分がそれをするかが重要なことになります。


僕自身、そのことをよく知っているつもりですが、それでも少し気を抜くと、またすぐに自我の世界に引き込まれてしまいます。

肉体を持っているからでしょうか、自己保身の誘惑は強力なものがあります。


だからこそ、祈りや瞑想の習慣が大切になるのです。

それは、ともすると低い世界に押し流されそうになる意識を、正しい方向に向けていく最低限の努力です。




>思考って心配ってことでもあるよね


そうですよね。

そして僕たちは、思考を、心配を、超えていくこともできるのです。




か・ん・な・が・ら




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明日の「いまここ塾」は、久しぶりの吉の浦会館です。

明後日の「水曜の会」は、那覇市てぃるるです

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滞在している宮古のT&Kのゲストハウスは、たくさんの樹々に覆われています。 一足早い盛夏を迎えたこの地では、早朝から蝉しぐれが響き渡っています。 耳を澄ましていたら久しぶりに子供の頃を思い出しました。 あの頃住んでいた家も樹々に覆われていて ... 続きを読む



滞在している宮古のT&Kのゲストハウスは、たくさんの樹々に覆われています。


一足早い盛夏を迎えたこの地では、早朝から蝉しぐれが響き渡っています。


耳を澄ましていたら久しぶりに子供の頃を思い出しました。

あの頃住んでいた家も樹々に覆われていて、夏休みともなると、同じような蝉の声に包まれていました。


まさに今、目を閉じてあたりに溶け込んでいくと、過ぎ去った長い時間が消え去って、実はあの頃と何も変わらない『いまここ』があるのを感じます。


長い旅をしてずいぶんと遠くまで歩いて来たような気がしているだけで、本当は何処にも行っていないのがわかります。


それはまさに夢の旅です。


気がつけばいつも『いまここ』があるだけ。

いまがどんなに楽しかろうと苦しかろうと、その夢もやがて過ぎ去り、またしても何も変わらない実在に戻って来るのでしょう。

この幻想の旅を「人生」と呼んでいます。



僕達はいつこの夢から目覚めるのでしょうか。

本当はいつ目覚めてもおかしくないのですが、こうして夢を見続けている理由も知っています。


それは、何だかんだといいながら、僕たちが自分の夢(幻想)を手放したくないからです。

たとえそれが、どんな悪夢になっていても、そこにしがみついているのは自分自身なのです。



人間とは本当に不思議な生き物です。




今日もここに来てくれてありがとうございました。

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昨日の沖縄本島は豪雨に見舞われていましたが、宮古島は抜けるような青空とエメラルドグリーンの海が迎えてくれました。 妻とレンタカーを走らせ、島のアチコチを見て回り、瞑想に適した場所を探しながら、夕暮れを待ちました。 そして池間島に繋がる橋の手前に絶好な ... 続きを読む
昨日の沖縄本島は豪雨に見舞われていましたが、宮古島は抜けるような青空とエメラルドグリーンの海が迎えてくれました。

妻とレンタカーを走らせ、島のアチコチを見て回り、瞑想に適した場所を探しながら、夕暮れを待ちました。

そして池間島に繋がる橋の手前に絶好なポイントを見つけました。

波打ち際にはカニ達が忙しそうに歩いていましたが.彼等の邪魔にならないように少し離れた場所に腰掛け、目を閉じて深呼吸をしました。

いつも沖縄に暮らしているというのに、久しぶりに波の音と潮の香りに包まれました。

隣りでは最近すっかり瞑想にハマった妻が、背筋をリンと伸ばし、早くも静寂の世界に入っているようでした。

夕方の五時半とは言え、この季節の沖縄はまだまだ陽が高く、日没までには二時間もありましたが、時折流れる柔らかな風は冷たく身体を包んでくれました。


少し経つといつもとは違う感覚が訪れました。

目の前が赤一色に包まれてしまったのです。
赤と言っても情熱的な挑発的なそれではなく、何とも言えない穏やかで美しい色でした。


そのままずっとその色に包まれ、気が付いたら一時間以上も経っていたのでしょうか、いつの間にか妻は車の中に帰って一人海を眺めていました。


しばし異空間に遊びに出かけたかのような、不思議な気分でした。



さてここでご報告ですが、この瞑想の世界をさらに極めるために、今年の夏に三週間ほどタイのチェンマイに修行に行ってきます。


その話はまた改めてさせて下さい。


今日もいい日でありますように。


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えーっと、家族を紹介します。 まずは、長男が一歳になったころ、新しく我が家の住人になったばかりの二男とのツーショットです。 その二男が数か月経った頃、三男がやってきました。 その三男 ... 続きを読む
えーっと、家族を紹介します。


まずは、長男が一歳になったころ、新しく我が家の住人になったばかりの二男とのツーショットです。

















その二男が数か月経った頃、三男がやってきました。

















その三男が半年経ったら、長男が抱けないくらい大きくなりました。











ここまでの時間経過、ついてきてます?





我が家は1Fが駐車場で、キッチンもリビングも2Fにあります。

そのキッチンの窓の外の木には、いつも同じ鳥がやってきて、この子たちに声をかけます。

絶対に窓から出られないことを知っているのか、いつも挑発的です(笑)



それをじっと見つめる、手前が五男、奥の左が三男、右が二男。

二男は最近すっかりメタボ症候群です。



















それでは全員の近影です。





一番手前が二男、逆さまになっているのが長男、奥の向かって左から、三男、五男、四男です。

名前は長男から順に、こーちゃん、ももちゃん、たーちゃん、ゆーくん、ちーちゃんです。







ね、みんな仲良しでしょ。



みんな捨てられた子たちなのに、労わりあって暮らしています。


もちろん、自分を捨てた人のことを恨むわけでもありません。



誰のことも非難しません。


だからきっと幸せなんだと思います。





僕たち人間も、みんなで仲良くしましょうねニコニコ





・・・・・・・・・・・・・



今日から宮古島に行ってきます。

この島は神秘にあふれていて大好きです。





今回もスポットを探して瞑想三昧してきます。


明日(27日)の夜に、島でライブします。

詳しくはコチラから。

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今日は、なんてことない、当たり前の話です。 最近の僕の趣味は、我が家の五匹のネコ君たちの胸に耳をあてて、心臓の音を聞くことです。 ドクドクドクドク・・・ 正確な速いリズムで、ずっと鳴り続けています。 いつ耳をあてても、ドクドクドク・・・ ... 続きを読む
今日は、なんてことない、当たり前の話です。


最近の僕の趣味は、我が家の五匹のネコ君たちの胸に耳をあてて、心臓の音を聞くことです。

ドクドクドクドク・・・

正確な速いリズムで、ずっと鳴り続けています。

いつ耳をあてても、ドクドクドク・・・



この子たちの中で、鼓動をさせている力は何だろう。

凄いな、休まず動き続けるんだから。



この同じ力が、僕の中で僕を生きています。

この同じ力が、全ての生き物の中で鼓動をし、呼吸を繰り返しています。


それだけではありません。

地球を回転させ、惑星の軌道をつかさどり、大宇宙の秩序を保っているのです。


その力は「ひとつ」のもので、名前を付けるとしたら「愛」でしょうか、「神」でしょうか。


おっと、またスピ系に話が広がりそうなので、戻します。



さてこのネコ君たちですが、この2年半の間に、一匹ずつ保護した迷いネコたちです。

二匹目を拾った時はこのブログでも紹介しましたが、いつの間にか五匹になってしまいました。

偶然みんな男の子で、すごく仲がいいです。


知らない人が見たら、「なんてたくさんのネコがいるんだ」で終わりでしょうが、一緒に暮らしてみると、たくさんのような気がしません。

一匹一匹に個性があって、それぞれが特別だからです。

世界中を探しても、この子たちの代わりはいません。

飼っている人ならわかりますよね。



三匹目は小さな黒ネコで、暗闇の中で、ノミとシラミだらけになってうずくまっていました。


四匹目は、家の近くの大通りを果敢に渡り切った子ネコがいて、このままだと轢かれてしまうと思ったのですが、仕事の時間が迫っていて、どうか親切な人に拾われますようにと祈るような気持ちで仕事に出かけ、帰宅したら家にいました。

どうやら家族の中に親切な人がいたようです。


その次の日に、病に冒されて死にそうな子ネコを見つけ、それが五匹目になりました。


もうこれ以上は限界なので、捨てネコを見つけないことを願うばかりです。


この子たちの心臓の音を聞けば、みんな同じ命だということがわかります。


人間は神と同じ能力をこの地上に駆使できるのですから、いつの日かあらゆる生き物たちが調和とともに生きられるような仕組みを作り出すのではないかと信じています。




そんなこんなで、今日もネコたちの心臓の音を聞いています。


ドクドクドクドク・・・


僕の中でも、あなたの中でも、ドクドクドクドク・・・

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朝起きてすぐに瞑想をします。 一日で最も深く入れるのが早朝です。 ずっとその次元にいたいのですが、朝の日課のブログを書くために、こうして現象界に出てきます。 いまはPCの前に座って、何かを書き記そうとしていますが、この自分は、日中に人と会っている ... 続きを読む
朝起きてすぐに瞑想をします。

一日で最も深く入れるのが早朝です。


ずっとその次元にいたいのですが、朝の日課のブログを書くために、こうして現象界に出てきます。

いまはPCの前に座って、何かを書き記そうとしていますが、この自分は、日中に人と会っているときとは違う自分です。

と言うよりも、自分がいないのです。


首から上が無くなって、空間の全てが自分のような、遠くで聞こえる鳥の鳴き声も自分で、時たま肌をすり抜ける風も自分で、全部自分の何かが振動しているように感じます。

腕も身体も、半透明になっていますが、きっと他人から見たら、何も変わらない僕がいるのだと思います。



現実世界はただあるがままに流れています。

いつもはその世界に、何かの形で干渉している「自分」がいるのですが、この時間はそれが消えています。


全てが、手放しの中で起き続けています。


静かで、平和で、何一つ問題がありません。

きっと「問題を作り出す人」が消えているからでしょう。

自分がいなければ問題も消えます。

自分がいなければ、苦しみもありません。

ただあるがままが、淡々と流れているだけです。



やがて時間とともに、自と他が分裂します。

そしてまた物語が始まっていくのです。


それは自分本位の人生ストーリーです。

「僕」という役割が、鏡の世界に対応し始めます。

生真面目で深刻なゲームの始まりです。


それは時間の中に存在しています。

過去があって未来があるのです。


きっと、時間と自己(自我)は同じものの違う側面なのだと思います。

どちらも実際には存在していませんが、どちらかが現れると、両方が現れます。

それは同じ幻想の裏表です。

コインの裏表のように、どちらか片方では存在できません。


片方が消えれば、両方が消えることになります。


どちらから消していくかは、お好み次第です。




今日もここに来てくれてありがとうございました。


いまこの時に、大いなる祝福が訪れますように。

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