かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2009年07月

昨日行った場所で一番印象に残ったのは、チェンマイを代表するドイステープという寺院でした。 せっかくカメラを持って行ったのに、写した写真は数枚で、しかもあんまりお寺とは関係ない写真ばかりです。 何かというと、境内に入るには靴を脱いで地面を裸足で歩くん ... 続きを読む
昨日行った場所で一番印象に残ったのは、チェンマイを代表するドイステープという寺院でした。


せっかくカメラを持って行ったのに、写した写真は数枚で、しかもあんまりお寺とは関係ない写真ばかりです。

何かというと、境内に入るには靴を脱いで地面を裸足で歩くんですが、そこを歩いていたら、猫が寝ていたんです。


しかも祈りの中心地みたいな仏舎利塔の入り口で、しかもこんな恰好で。










もっとアップにして角度を変えると、こんな格好です。















その仏舎利塔の周りの回廊を3周してお祈りするのですが、その回廊の中にも、しかも仏像の足元に、兄弟とおぼしき猫が・・・

















アップにすると










死んでるみたいだけど、二匹とも気持よさげに寝ているんですよ。



この安心しきった寝姿は何を意味するかといえば、この寺院の人も、そしてここを訪れる人たちも、みんな心優しい人たちだということです。


日本のお寺だったら、係員に追い出されるのではないでしょうか。

「ここはお前のようなモノが来る所ではない!」・・・みたいなね。



ところがここには、そのような権威的な威圧感が何もないのです。


「みんなおいで・・・みんな同じ命だよ」・・・みたいな。



それでいて澄みきった神聖な波動が、あたり一面に漂っていました。




優しいっていいですね。

どんな立派な真理よりも、優しさが好きです。




あー気持ちがよかった。

本当に、ものすごく気持ちがいい場所でしたよ。







おまけ

無理やり2ショットに納まろうとする変な日本人。
       ↓





また明日ね(^o^)/
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おはよう!! 昨日無事に到着しました。 チェンマイは豊かな緑に囲まれた、とても美しい町です。 なによりホッとしたのは、こうしてネットに自由にアクセスできること。 この数年で世界のネット環境は飛躍的に向上したみたいですね。 今日と明日は集中 ... 続きを読む
おはよう!!

昨日無事に到着しました。

チェンマイは豊かな緑に囲まれた、とても美しい町です。


なによりホッとしたのは、こうしてネットに自由にアクセスできること。

この数年で世界のネット環境は飛躍的に向上したみたいですね。



今日と明日は集中訓練の予備日で、本格的な瞑想は明後日から始まるそうです。

集中瞑想した後は新陳代謝が下がりっぱなしで遊ぶ気にならないそうなので、今のうちに思い切り楽しんでおいたほうがいいとアドバイスを受けました。


ということは2日間は遊べる??



昨日はフルフィルメント瞑想の創始者であるボブ・フィックスさんが、空港まで迎えに来てくれました。


ボブさんとの最初の出会いは、15年ほど前にボブさんの著作「アセンション」を読んで感銘を受けたことに始まります。

その後、勝手に<かんながら・天河の巻>の中に、ボブ・ミラーという名前で登場してもらいましたが、その時は、まさか実際にお会いする日が来るとは夢にも思いませんでした。


15歳でマハリシ・マヘッシ・ヨーギに弟子入りしたのが50年前と言いますから、もう65歳になられるはずです。


でもね・・・・どう見ても40代そこそこにしか見えないんですよ。

うっかりすると30代に見えます。


やはり瞑想を長く続けている人は、実年齢よりも10~20歳は若く見えるんですよね。

キラキラしていて、素敵な男性です。


滞在中に彼といろんな話ができることも楽しみの一つです。



とりあず今日はエンジョイさせてもらいます。


明日は写真をアップできるかもしれません。

また見に来てくださいね。



そんなこんなで、チェンマイでの初日がスタートしました。




また明日ニコニコ

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20年以上も前の日記に「いまを生きよう」って書いてありました。 この先いくら時が過ぎても、相変わらず「いま」があるだけだから、あわてず騒がず、淡々といまを生きていこうって書いてありました。 あの時に予想したように、いまも相変わらず同じ「いま」があっ ... 続きを読む
20年以上も前の日記に「いまを生きよう」って書いてありました。

この先いくら時が過ぎても、相変わらず「いま」があるだけだから、あわてず騒がず、淡々といまを生きていこうって書いてありました。


あの時に予想したように、いまも相変わらず同じ「いま」があって、あの時と同じように自分が「ここ」にいます。

ということは、これから何年たとうとも、やはりこうして「いま」があって、同じように希望を胸にした自分がいるんでしょうね。


自分が今以上には幸せにならないということを理解するのは、自分にとって最高のプレゼントになります。

なぜなら、その時初めて「いま」を生きられるからです。

そうしないと、ずっと未来の幸せを夢見て暮らすことになってしまいます。




それじゃ、行ってきます。


でもね、どこに行っても同じこと。


やっぱりいつも「いまここ」があるだけだから。



この世で一番の旅は、遠い異国に旅することではなく、自分の内側の旅だと思います。


今回の旅も、実際には内側の旅なのです。


また「いまここ」でお会いしましょう。

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夏の風物詩と言えば花火ですね。 夜空一杯に開く花火の美しさは、他にたとえようがありません。 しばし時を忘れて、幻想ショーに酔いしれてしまいます。 もし花火が、バッと開いたまま消えなかったら、あそこまでの感動はないでしょうね。 消えるからこその儚 ... 続きを読む
夏の風物詩と言えば花火ですね。

夜空一杯に開く花火の美しさは、他にたとえようがありません。

しばし時を忘れて、幻想ショーに酔いしれてしまいます。


もし花火が、バッと開いたまま消えなかったら、あそこまでの感動はないでしょうね。

消えるからこその儚(はかな)さであり、美しさだと思います。



僕はよく、現世の喜びは儚いものだという言い方をしますが、だとしたら儚さを楽しめたらいいですね。

お金も、地位も、名誉も、何もかも、全ては移り変わっていきますが、それらを手に入れることが悪いわけではありません。

それを束の間のものとして楽しめばいいのです。

もちろん同時に知っておくべきことは、外側の所有物や快楽は、決して僕たちを心から満足させてはくれないということです。

心からの満足は内側の真理でしかないからです。

それは神との合一であり、それ以外にはありません。


そのことを知った上で、この現象界を楽しんでいきましょう。

これも神が与えてくれた機会なのですから。


あれはいけない、これもいけないと、自分から喜びや快楽を遠ざける必要はありません。

そんなことと、精神的な成就は何の関係もないからです。

僕たちには、この世の満足を全て味わう権利があります。


ただし執着しないこと。

そして、それらがもたらしてくれる限界を知っていること。

その儚さを知った上で、一瞬の美しさに身を投じるのもいいものです。

ちょうど花火の幻想ショーを楽しむようにね。



この世には本来、いいも悪いもありません。

生涯にわたって世の中の教師たちから、たくさんの立派な生き方を教わってきましたが、そこから何を採用して、どんなルールで生きていくのか、最終的に決めたのは自分自身です。

自らを見張り、そこからはみ出しそうな感情が芽生えると自分を責めながら生きてきました。

楽しみは後回しにして、重荷を背負い、真面目に、深刻に、坂道を登って来ました。

僕たちはすでに自分なりの人生脚本を書き終えています。

そしてその脚本に沿って忠実に生きているのです。


そんな生き方を茶化しているんじゃないですよ。

すべては自分が作り出しているという事実を指摘しているだけです。



僕はこう考えています。

一度きりの人生、思いのままに生きていこうと。

欲しいものはすべて手に入れて、外側での束の間を楽しみ、内側で永遠を達成しようと。



高徳な聖者よりも、ちょい悪ブッダが目指すところです。

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人間は、自分のことを特別な存在だと考えがちです。 人よりも何かが勝っているとか、密かに神から選ばれた人間であるとか。 あるいは反対に、誰かが幸せになったとしても、自分にはその資格がないとか、自分には運も才能もないから、大した成功はできっこないとか・・ ... 続きを読む
人間は、自分のことを特別な存在だと考えがちです。

人よりも何かが勝っているとか、密かに神から選ばれた人間であるとか。

あるいは反対に、誰かが幸せになったとしても、自分にはその資格がないとか、自分には運も才能もないから、大した成功はできっこないとか・・・

両方とも特別意識の現れです。

どちらにせよ、自分は人とは違うという感覚を持ちたがるようです。


しかし残念ながら、神の目から見た時、人は何一つ変わらないと言ってもいいくらいに同じに見えます。

そして、神は決してエコひいきをしません。

誰かを優先したり、誰かを見失ったりすることはないのです。


それはちょうど太陽が、誰のことも同じ光で照らすのと似ています。

太陽もエコひいきをしませんね。


ただ、その光を受け取る側が、心に大きな傘をさし、自分を閉ざしてしまえば光は届きません。

それは受け取る側の問題であって、与える側の問題ではありません。


神はいついかなる時も、僕たちを光で満たそうとしています。

「彼」の関心は、僕たちが幸せであることだけです。


そのための見えない援助は、片時も休むことなく続いています。



最近、神と言う言葉を多く使うようになりましたが、どこかで開き直ったのかもしれません。

以前は極力誤解されないようにと、様々な表現で神を言い表していました。

でもこれからは、「神」を多用していきます。

僕が神と言った時、それが何を指し示すのかは、過去ログで繰り返し説明してきたので、もう必要ないでしょう。

それは僕たちを生かして止まない、無限の力です。


僕たちは、自分で人生をコントロールしていなければ、いずれ混乱に陥ってしまうと考えがちですが、それは大きな間違いです。

そこには神に対する信頼がありません。

それこそが、心の傘になっているのです。

もう一度言いますが、神の意図は、僕を、あなたを、幸せにすることでしかないのです。



一時、引き寄せの法則が流行りましたが、確かにあれには一理あります。

意識の力が、現象界に作用すると言うのは本当です。


しかし、人間が思い描くビジョンは、神のビジョンに比べたら、取るに足らないくらいに貧しいものです。

たとえそれが巨万の富に結びついたとしても、真実の愛から見れば紙屑のようなものです。


それを理解できたら、自分のビジョンを神のビジョンにすることです。


わかりやすく言えば、自分の人生を神の仕事場にするのです。

そうすれば、考えられる限り最高の自分になって、最高の人生が展開します。


神の仕事場・・・それは何だと思いますか。

それはいつも「いま」、愛を選択していく生き方です。


後は神にお任せです。

それは自分が頑張って生きていたころよりも、比較にならないくらいスムーズで楽しい人生を与えてくれます。


それが神の仕事だからです。



あはは、いっそクリスチャンになろうかな(笑)



・・・・・・・・・・・


明日は中城村で「いまここ塾」があります。

明後日の「水曜の会」からお休みになります。

8月18日に帰国し、そのまま那覇市てぃるるで「いまここ塾」を開きます。

8月22日は博多、23日は大阪です。


暑い毎日が続きますが、お体を大切にご自愛ください。

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先日、ずっと長いこと放っておいた虫歯の一部が欠けてしまいました。 痛みはないのだけれど、それからというもの、僕の舌はその欠けた部分をまさぐり続けています(笑) 似たような経験はありませんか? 欠けた先が尖っているので、舌が少し傷つき、そこは痛みが ... 続きを読む
先日、ずっと長いこと放っておいた虫歯の一部が欠けてしまいました。

痛みはないのだけれど、それからというもの、僕の舌はその欠けた部分をまさぐり続けています(笑)

似たような経験はありませんか?


欠けた先が尖っているので、舌が少し傷つき、そこは痛みがあるのですが、それでも無意識にその部分に舌が向かってしまいます。

どうやら欠けた部分がとても愛おしいようです。



全般的に人間というものは、足りない部分や、うまくいっていない部分に意識が向かうようです。

そこ以外は全部満たされているのに、うまくいっていないワンポイントを考え続けるのです。

そして落ち込んだ気分を選んだりもします。

自分の中には何百ものうまくいっている部分があるのだから、そちらのほうにフォーカスして生きていたいものです。


もし何かの悩みに圧倒されている人がいたとしたら、その悩みは自分自身のほんの一部でしかないことを思い出してください。

そこに気づけば、そのほかの健全な自分から、多くのメッセージがやってくることがわかります。

悩みから逃げたり葛藤したりするのではなく、ただ静かに自分と一緒にいるのです。


大丈夫です。

すべてはうまくいく方向に向っていますから。

その力が自分の中にあることを信じて下さい。




さて、昨日の東京ライブは、僕自身がものすごく楽しませてもらいました。

みなさんが心配してくれたように、少し調子に乗って飲みすぎました。

しかも搭乗時間にぎりぎりセーフで、タクシーの運転手さんにも大変お世話になりました。



一夜明けて、今日もすこぶる元気です。



みなさんも、いい日曜日をお過ごしください。

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今日も思ったままを書いてみます。 人間は、五感から入ってくる情報によってのみ生きているわけではありません。 僕たちはその情報を「現実」と呼び、その現実と対応することで時間を費やしています。 しかしそれが人生の全てではありません。 むしろそれは、 ... 続きを読む
今日も思ったままを書いてみます。


人間は、五感から入ってくる情報によってのみ生きているわけではありません。

僕たちはその情報を「現実」と呼び、その現実と対応することで時間を費やしています。

しかしそれが人生の全てではありません。

むしろそれは、命の表面的な小波(さざなみ)のような現象に過ぎません。



それでは僕たち人間とは、いったいどんな存在なのでしょうか。

それは宇宙全体をつかさどる、とてつもなく大きな意識が、人間という体を使って、この物質界に存在することを選んだ、まさに小宇宙そのものです。


小宇宙は大宇宙に比べて、何かが劣っているわけではありません。

そもそも大きさなどないのですが、わかりやすく表現するために「小」という言葉を使いました。


僕たちは、いままでに一瞬たりとも宇宙意識から切り離されたことはありません。

それはいつも、あなたと共にあります。


もし孤独の中で、苦悩の中で、耐え切れなくなってしまったら、自分の内側に向かって心から願うのです。


「宇宙が持つ完全な平和を感じさせてください。本当の安心を感じさせてください」


そして静かな気持ちになって、自分を全体に委ねてみます。

それが大いなる自分との出会いのきっかけになることでしょう。



疲れ果てた時が、チャンスです。

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