かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2009年08月

いきなりですが、10月東京いまここ塾の受付を開始します。 詳細はコチラから。 満席のため、お申し込みを終了しました。 次々回11月いまここ塾は9月21日にネット受付をさせていただきます。 ありがとうございました。 昨日の東京いまここ塾の最後に ... 続きを読む
いきなりですが、10月東京いまここ塾の受付を開始します。

詳細はコチラから。


満席のため、お申し込みを終了しました。

次々回11月いまここ塾は9月21日にネット受付をさせていただきます。

ありがとうございました。






昨日の東京いまここ塾の最後に質問がありました。

「もし多くの人が見性したら、どんな世の中になりますか」

その場でもいくつかお答えしましたが、帰ってから、まだまだたくさんあると思いました。


以前「ゲイル星とシェイル星」という短い物語を書きましたが、そこにはいまの僕たちの現実と、来るべき未来の世界が描かれています。


もちろんただの空想上の話ですが、僕はシェイル星に住んでいたことがあるような気がしています。

なぜ自分がいま、こんな野蛮な星に暮らしているのか違和感を持つことがあります。

みなさんも同じような気持ちを抱いたことはないですか。

もしかしたら、僕たちの遠い記憶に何かが刻まれているのではないでしょうか。



「ゲイル星とシェイル星」を、少し手を加えて読みやすくしてみました。

ここに掲載します。



・・・・・・・・・・・・・



銀河の片隅に、文明を持った二つの惑星があります。

ゲイル星とシェイル星という、まるで双子のような星です。

二つの星はそれぞれに高度な知的生命体(人間)が住んでいますが、その文明は大きく異なっています。



ゲイルと呼ばれる星では、人々はお互いを警戒しあっています。

自分以外は皆、油断できない存在です。

いつ騙されるかわかったもんじゃありません。

みんなが自分をブロックし、仮面をつけながら生活しています。

心を開いたり信頼したりすることは滅多にありません。


相手より優位に立つ事が、自分の価値の証明だと思っているので、足を引っ張りあったり、批判しあったりすることが日常化しています。

本当は誰も心からの幸せなど感じていないのですが、自分だけはうまくいっているような顔をして生きています。

だからいつまでたっても問題の本質が見えてきません。

この星の住民に蔓延している態度は欺瞞なのです。


そんなゲイル星では毎日、多くの罪なき動物達が殺されています。

動物には魂はない、たとえあったとしても自分達より劣っていると本気で信じているのです。

自分達と同じ魂が宿っているなんて、夢にも思っていません。

だから怯える彼らを容赦なく殺し、皮を剥ぎ、肉を削ぎ、その肉片を人々は我先にと貪ります。

綺麗なドレスを着た婦人が、「子供の肉は柔らかくて美味い」と言って微笑んだり、タキシードを着た紳士が、血のしたたる生肉を新鮮だと言って自慢したりします。

そのくせ、ペット用の動物には過剰なまでの愛を注ぎます。

そんな使い分けに矛盾を感じない不思議な人種がゲイル星人です。


この星ではマヌーという金属が何よりも大切にされます。

何故ならば、それを使えば何でも手に入れる事ができ、人を支配することさえも可能だからです。

多く持つものは尊敬され、持たない者は軽く見られます。

したがって人々は、それを手に入れるために奔走し、時には人を騙したり、殺したりする事さえ起こります。

それが国規模の奪い合いになれば、適当な理屈をつけて相手国に攻め入り、大量に人を殺害し略奪します。

しかもそれを正義だと言い張ります。

そんな正義の殺し合いは、数限りなく繰り返されてきました。

残酷なゲイル星人の殺害方法はますますエスカレートし、たった一回の投下で皆殺しに出来る爆弾まで発明され、いつ使われてもおかしくない状況の中で、皆が恐れ慄きながら生活するようになりました。

自分達さえ良ければいいと思っている彼等は、この星の豊かな緑や地下資源を使い果たし、いまやゲイル星自体が瀕死の状態になっています。

ここまで愚かなことをやっているのに、ゲイル星人達は、自分達は優れた素晴らしい生命体だと信じているのです。



さてもうひとつ、シェイル星と呼ばれる星があります。

この星には、支配する者も支配される者もいません。

お互いに上下という概念がないのです。

人々は、皆が自分の分身だということを知っているので、自分を大切にするのと同様に人を大切にします。

したがって奪い合うことはなく、与え合う事が日常化しています。

奪うより与えたほうが幸せであることを、あたりまえのように皆が知っているのです。


仕事もやりたい人がやりたいことをやっています。

喜んでもらいたいという気持ちが根底にあるので、必要なのに誰もやっていない仕事があれば、我先にと喜んで受け持つために、社会の全てのニーズが満たされています。

働くことは義務ではありません。

それは自己表現の一環であり、与えることの喜びなのです。

働いても自分だけが何かを手に入れることもありません。

ゲイル星のマヌーのような金属は、あったとしてもそれは皆のものであり、それを持ったからといって、何かがよくなるわけではないのです。


シェイル星人は、自分達がこの星のリーダーであることを自負し、あらゆる生き物を愛と調和の中に組み入れ、それぞれがバランスよく共存していけるシステムを完成させました。

科学の発展を、殺すためではなく、命を慈しむ方向で活用してきたのです。


子育ては主に年長者の仕事です。

最も知恵のある者達が、新しい命に対して十分な愛と教育を担っています。

子供一人に対して何人もの養育者がいるために、どんな子供も溢れんばかりの愛を受けて育ちます。

だから傷ついて育つ子供も、見放されて寂しい子供もいません。

全員が健全な心のまま大人になっていけるので、犯罪が発生することも極めてまれです。

万一そのような者が出てきたとしても、その者を懲らしめたり罰したりすることもありません。

より大きな愛と理解で包むことで、元の健全な心に戻るサポートが行われるのです。


この星の法律はたったの一行だけです。

「愛すること」

それだけです。

そのたった一行の法律さえも、覚えている人はあまりいません。

だってみんなが愛を生きているので、いちいち思い出す必要がないのです。



え?そのうちシェイル星がゲイル星に攻撃されて滅ぼされないかって?


シェイル星は個人の発見や発明を瞬時に皆で共有してきたので、飛躍的な速さで科学が発達してきました。

しかも魂の向上にともない、惑星全体が荒々しい物資次元を超越していて、ゲイル星人からは透明で見る事さえ出来ません。

だから心配ないのです。



ここでひとつの秘密をお教えしましょう。

実はゲイル星人もシェイル星人も、同じ能力を持った同じ人間なのです。

ただ存在の基盤に愛のエネルギーを選んだか、恐れのエネルギーを選んだかの差が、これほどの違いとなって現れたのです。



そして最後にもうひとつ、とっておきの秘密です。

今ゲイル星の一部に変な噂が飛び交っています。

ゲイル星暦2012年12月22日に、多くの魂がシェイル星に移り住むというのです。

でもほとんどのゲイル星人達は、見えないシェイル星の存在さえも信じないので、単なる戯言として相手にしていません。

実際には、移り住むのではなく、ゲイル星がシェイル星の状態に近づこうとしているのです。


一人またひとりと、目覚めの連鎖が始まっています。

そしてあっという間に、多くの魂たちが目覚めの時を迎え、ゲイル星の波動がさらなる次元へと高まっていくのです。

それはもう始まっているのかもしれません。




おしまい。






最後まで読んでくれてありがとうございました(^o^)




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昨日は猫のことでご心配をかけました。 最近は、餌を食べたとしても夜だけだったのが、今日は朝からねだるようにして食べたとか・・・ また元気を取り戻してくれて、母も安心したようでした。 今日は東京でいまここ塾をやらせてもらいます。 僕たち人間が ... 続きを読む
昨日は猫のことでご心配をかけました。

最近は、餌を食べたとしても夜だけだったのが、今日は朝からねだるようにして食べたとか・・・

また元気を取り戻してくれて、母も安心したようでした。



今日は東京でいまここ塾をやらせてもらいます。


僕たち人間が肉体だけの生き物ではないことは明白で、これは非科学的と言うよりは、未だ科学が証明できていない未科学の話だと思います。

魂の分野は「意識」であるがゆえに、外側を探求する科学ではなく、内側を探求する瞑想的なアプローチによって解明されていくものなのでしょう。

これからは、僕たち一人ひとりが、その次元を実際に体感し、理解を共有していく時代になったと思います。


それによって人類の文明が根底から変わることになることでしょう。

それは「共に仲良く暮らしていく」という、当たり前の世界です。



今日は政権が交代するという選挙の日です。

でもそれは枝葉の変化であり、すぐにまた国民の不満が噴出し、再び政争が始まり、同じ事を繰り返していくことになるでしょう。

これからの変化は、指導者が変わることでも、政権が変わることでも、国のシステムが変わることでもなく、個々の意識変革によって訪れる、人類のあり方の根本的な変化です。



そんな足音が確実に聞こえだした、2009年の夏の終わりです。

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昨日から上京して、母の家に来ています。 古くなったこの家には思い出がたくさんあります。 父が死んだ後、この家に引っ越して、数年間、母と二人暮しをしていました。 窓の外には浄水場の芝生が広がっているのですが、その敷地を飛ぶ鳥を見た瞬間、その鳥が他な ... 続きを読む
昨日から上京して、母の家に来ています。

古くなったこの家には思い出がたくさんあります。

父が死んだ後、この家に引っ越して、数年間、母と二人暮しをしていました。


窓の外には浄水場の芝生が広がっているのですが、その敷地を飛ぶ鳥を見た瞬間、その鳥が他ならぬ自分自身だと感じたのが、この家の二階でした。

「すべてはひとつ」という感覚の前触れです。


「いまここ」という意味を、深く理解したのもこの部屋です。

この先何年たっても、何が起きても、「いまここ」は何も変わることなく、永遠に同じようにあり続けるんだと感じました。

だからいまでも瞑想をしていて、静寂の中に行き着くと、この部屋で感じたあの感覚が、何も変わらずに蘇ってきます。

「いまここ」は永遠であり、僕自身であり、あなた自身であり、存在する全てです。



そんな多くの啓示を与えてくれたこの家も、ずいぶんと古くなりました。

「いまここ」は永遠でも、現象界は諸行無常で、刻一刻と変わり続けています。



90歳近くなった母が、年老いた愛猫のために、今朝は早起きして遠方の獣医まで、バスに乗って診察に連れて行くと言い出しました。

昨日から何も食べなくなってしまったんです。


この猫は、息子が妻のおなかの中にいる頃、無事に産まれるようにと、毎日お参りした小さな神社の祠の裏から出てきた、不思議な猫です。

もう18年も前の話です。

一人暮らしになった母のそばで、僕の代わりにずっと一緒に暮らしてくれました。



今日は、僕が抱いて連れて行くことにします。


もう何度もダメだと言われながら、そのたび命を吹き返してくれた子なので、今回も大丈夫だと思います。



それじゃ、行ってきます。




みなさん、よい週末を。

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いまあなたが何をしていたとしても、秘訣はリラックスすることだと思います。 どんなときにも共通して大切なのは、リラックスです。 リラックスすれば優しい気持が蘇ってきます。 そして頭の中であれこれ決めつけていた現実が、少し和らいできます。 自分が ... 続きを読む
いまあなたが何をしていたとしても、秘訣はリラックスすることだと思います。

どんなときにも共通して大切なのは、リラックスです。


リラックスすれば優しい気持が蘇ってきます。

そして頭の中であれこれ決めつけていた現実が、少し和らいできます。


自分が生きている現実世界の、ほとんどが思い込みだということを知るのは衝撃的です。

でもそれを見抜いた時、初めて本当の意味の自由を得ることができるのです。


その入り口はリラックスすることです。


すると、突発的なことが起きても、すぐに対処できます。

リラックスとは、ボケーッとすることではないからです。


さあ、力を抜いて・・・



過去と未来をわきに置いて、「いまここ」に戻ってきましょう。




今日もいい日でありますように。





・・・・・・・・・



10月の「東京いまここ塾」は10月24日の予定です。

週明けから受付を開始します。

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いま、夜中の3時半です。 いままでずっと、みなさんから寄せられたコメントを読んでいました。 僕はここで代表者みたいな顔をしてメッセージを綴っていますが、ここに訪れてくれる人や、コメントを残してくれる人の中には、素晴らしい境地で生きている人たちがたくさん ... 続きを読む
いま、夜中の3時半です。

いままでずっと、みなさんから寄せられたコメントを読んでいました。

僕はここで代表者みたいな顔をしてメッセージを綴っていますが、ここに訪れてくれる人や、コメントを残してくれる人の中には、素晴らしい境地で生きている人たちがたくさんいるように思います。

控えめなコメントの中から、そんな匂いが伝わってくるのです。



実は、たったいま、一人でクスクス笑っていました。

大阪で頂いた短めのお香(線香)があって、それに火をつけようとしたんです。

お香がちょうどタバコくらいの長さで、ライターで先端に火をつけながら、もう一つの端っこを口に持っていって吸おうとしていました。

タバコをやめて、もう8年にもなるというのに、そんな仕草を無意識にしてしまった自分が可笑しくて・・・

吸わなくてよかったです(笑)


部屋の中は無音で、静かなエアコンの音だけが聞こえます。

街は寝静まっています。



僕は長い間、いつ死んでもいいと思っていましたが、いまはもっと長く生きたいと思うようになりました。

死んだとしても、それは外側の現象で、本当の自分は死なないということを経験的に理解はしています。

しかも死は、思われているような忌まわしい出来事ではなく、むしろ喜びに満ちたさらなる世界への旅立ちという側面もあります。

それを知った時は、いつ死んでもいいと思いました。


でもいまは、死にたくありません。

死んだ後が素晴らしいからと言って、いまのこの幸せを後にする必要もないからです。

引っ越す先の家が豪邸だとしても、いまの家にもっと暮らしていたいと思うのは自然なことです。


死について深く理解していた一休さんが、死の間際に

「死にとうない」

と言ったと言われていますが、それは現世への執着というよりは、当然の正直な気持ちだったのだと思います。


いまこうして生きていることは、なんて素晴らしいことなんでしょう。

関わってくれたすべての人達に、「ありがとう」を言わせて下さい。

せめてもの恩返しに、自分の気づきを分かち合っていきたいと思っています。



この宇宙の仕組みに感謝します。

一見謎めいた霧の奥にある、絶妙なる神秘の仕組みに感謝します。


よかったね、僕たちはよかったね。

僕たちはみんな祝福されています。


存在しているというだけで、途方もない祝福の中にあるのです。


このような声明が、人の心にどのように届くのでしょうか。

僕が何を言っているのか分からなくても、おめでたい奴だと思われても、非現実的な妄想だと言われても、この真実を伝えずにはいられません。


だって真実なのですから。



いま記事をアップすると、読者登録している人たちの携帯が鳴ってしまうので、朝の8時半にセットしておきます。




深夜の独り言でした。




今日も読んでくれてありがとうございました。

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y.uさんのコメント 質問です。 いまここ の話って人に言わない方がいいのでしょか? いまここ の話をすると皆 宗教?宗教?って引いていきます。 色んな人に話してみて、もしかして私は余計な事をしてる?って思うようになりました。 あ~伝えたい、伝 ... 続きを読む
y.uさんのコメント


質問です。

いまここ の話って人に言わない方がいいのでしょか?

いまここ の話をすると皆 宗教?宗教?って引いていきます。

色んな人に話してみて、もしかして私は余計な事をしてる?って思うようになりました。

あ~伝えたい、伝わらない、自分磨きに徹するべきなのかな・・

やっぱり、ただのお節介なのかな~?





こういう経験って、僕もさんざんしてきましたよ。

特に最初の気づきがあった時、友人たちに気づいたことを伝えたくて、いや伝えてあげたくて、顔を見るなり


「いいか、よく聞けよ。実は俺は、お前だったんだ」


結果はいつもドン引き。



「俺たちはひとつのもので、時間なんか存在してなくて、いつもいまここで、俺たちはみんな最初の最初から救われていて、だからさ、お前はお前で大丈夫だから」

あの友人たちの迷惑そうな顔は今でも忘れません(笑)


自分の気づきを伝えるには、相手の身になって、相手の目線から、相手を感じながら少しずつ話すことも学びました。

そしてまだ相手が聞く準備ができていないとわかれば、すぐに話を変えることにしました。

そして互いに楽しい時間を持ちました。



あれから20数年。

僕自身も大人になりましたが、何より時代と共に同じようなことを感じる人が増えてきて、さらにはブログの出現で、そんな人たちと時空を超えて出会えるようになりました。


いまは誰彼ともなく伝えようなんて思っていません。

聞きたい人だけが聞いてくれたらそれで十分です。


聞く耳を持たない人が、自分より劣っているとも、遅れているとも思いません。

誰もがその人の人生を生きていて、それは傍からどう見えようと完璧だからです。


それにいつか必ず全ての人が気づくことになり(それは今生ではないかもしれませんが)、気づいてみれば、そこはいつも「いまここ」で、いまゆえに早いも遅いもないのです。




それにしても、僕は幸せ者です。

多くの人と一番分かち合いたいことを分かち合えるからです。


このブログもしかり、講演会もしかりです。


そこには同じような内なる体験をした人たちや、まさに気づき前夜の人たちが多くいて、このような活動をさせてもらっていることは、なんて幸運なことなのかと思います。


そんな人たちと、どれだけ出会いたいと思ったことか。



先日の博多いまここ塾に来てくれた石田さんという方が、いまここ塾の感想をご自分のブログに書いてくれました。

僕が言ったことを、僕より知的に書いています。

最後にこの方がアセンションについての質問をしたのですが、質問された時すぐに、この人は知っていて聞いてきたと直感しましたが、ご本人もそのことを書いておられました(笑)

宇宙となかよし



これからも多くの仲間達に出会っていけると思います。

みなさんの存在に感謝します。


y.uさん、ここに来れば仲間がたくさんいますよ(^o^)



みなさん、これからもよろしくお願いします。




・・・・・・・・・・・




9月19日の向禅師とのコラボ講演会(大阪)は、満席のため受付を終了しました。

同日のZEN・ワークショップは、あと少しの空きがあります。

こちらも講演会同様、多くを感じてもらえると思います。


詳細はコチラから。

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思考で一杯になった頭には、見えない物がたくさんあります。 それは独断的で、とても狭い世界観で現実を解釈しています。 でも自分がそのような状態に陥っているという自覚がありません。 自分は合理的に物事を判断していると信じています。 だからこそ独断的 ... 続きを読む
思考で一杯になった頭には、見えない物がたくさんあります。

それは独断的で、とても狭い世界観で現実を解釈しています。


でも自分がそのような状態に陥っているという自覚がありません。

自分は合理的に物事を判断していると信じています。

だからこそ独断的になるのです。


その思考の世界は、感情と複雑に絡み合いながら、実に様々な世界を作り出します。

それは、やることなすことが自分に反発してくるような苦しみの世界から、すべてをうまくコントロールしている安定の世界まで様々です。


これらの世界の特徴は、絶えず移り変わっていることです。


それを六道輪廻と言います。

詳しくは過去ログをお読みください。

2008年10月13日からの連載です。



ほとんどの人生は、現象界で何を成し遂げたかにかかわらず、六道の世界を循環して終わっていきます。

そのような人生に意味があるとは言えません。

泣いて、笑って、ああでもない、こうでもないと奮闘しながら、大騒ぎして、最後は死んでいく、それが六道の人生です。




人生の目的は、人生を超えていくことです。

自我の目的が、自我を超えていくのと同じです。


それは彼方なる真理に到達するための土台になります。


仏教でハスの花がシンボリックに扱われるのは、ハスの花が泥地から生まれ、美しく花開くからです。


六道こそが泥地であり、花は悟りの世界です。



そういえば「すべての人の心に花を」という歌がありますね。

あの歌は喜納昌吉さんの作品ですが、実際には彼方からこの世に送られた歌だと思います。

おそらくご本人は、数分間で詩曲ともに作り出しているはずです。



泣きなさい、笑いなさい、いつの日か花を咲かそうよ



人生の目的を見誤らないこと、それが最も大切な態度です。

そうでなければ、まるで車輪が回るように、六道の世界を、夢の世界を、未来への期待と失望を、ぐるぐる廻るだけです。



もう一度基本に戻って、ともに励ましあいながら、心の花を咲かせていきましょう。



このブログは、そんな同志のために毎日綴って来ました。

そしてこれからも伝え続けていくことでしょう。




今日もここに来てくれてありがとうございました。

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