かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2010年01月

昨日も今日も、とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。 何よりも、みなさんが心で聞いてくれたのがわかるので、僕の魂が喜んでいます。 うまい言葉が見つかりませんが、どうもありがとうございました。 ... 続きを読む
昨日も今日も、とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。


何よりも、みなさんが心で聞いてくれたのがわかるので、僕の魂が喜んでいます。



うまい言葉が見つかりませんが、どうもありがとうございました。
このエントリーをはてなブックマークに追加

どなたに会っても、初めて会ったような気がしないのが不思議です。 起きることが起きる。それ以外は決して起きない。 このシンプルな真実から見れば、会う人とは会うように定められているのだと思います。 僕は僕で、そしてあなたはあなたで、無数の出来事の組み合わせに ... 続きを読む
どなたに会っても、初めて会ったような気がしないのが不思議です。

起きることが起きる。それ以外は決して起きない。

このシンプルな真実から見れば、会う人とは会うように定められているのだと思います。

僕は僕で、そしてあなたはあなたで、無数の出来事の組み合わせによって実際にお会いするのですから、まさに出会いは奇跡ですね。



最初のころ、講演が始まる前に、何を話したらいいのか、あれこれ考えた時期がありました。

しかし、いまはそのようなことがありません。



いつも始まる前に思うのは、今日もメッセージを流すための、中空の竹に成りきろうということです。

そして伝えたいことは、ただひとつ。

誰もがみな、神から愛され、守られているということ。

だから心配しなくても大丈夫だということ。


こうして文字にすると、まるで宗教家のような言い方になってしまいますが、流れてくるメッセージは、究極的にはそれだけのような気がします。


僕は宗教家ではなく、むしろ宗教を離れた立場から、本来宗教が担うべき真実の伝達を、やらせてもらっているのだと思っています。




いまから名古屋に向かいます。

今日も新しい出会いがあります。



日々是好日
このエントリーをはてなブックマークに追加

自我君自身のことを知るためには、自我君のことを「あっ自我君だ!」って気づくことが必要です。 そうやって客観的に気づくことができたら、その時は自我君との自己同化から離れています。 今日は自我君を「私」と呼ぶことにします。 そのほうが直接的でわかりや ... 続きを読む
自我君自身のことを知るためには、自我君のことを「あっ自我君だ!」って気づくことが必要です。

そうやって客観的に気づくことができたら、その時は自我君との自己同化から離れています。


今日は自我君を「私」と呼ぶことにします。

そのほうが直接的でわかりやすいかもしれません。

「私」とは通常感じている自分のことです。


深い瞑想状態や、何かの拍子に、「私」から離れることがあります。

もし離れることができたら、そこに新しい何かを発見します。


「あれ?いままで自分のことを「私」だと思っていたけど、その「私」を超えている私は、いったい誰だ?」

そう、それが「大いなる自分」の一瞥です。



これは禅の十牛図(じゅうぎゅうず)という、悟りの段階を表した10枚の絵の中では、3枚目の「見牛」にあたり、いわゆる見性体験です。

ちなみに最初の2枚では、悟り(大いなる自分)に興味を持ち、学び始める段階を表しています。


十牛図では、大いなる自分を牛に喩えているのです。

その時代、最もダイナミックなエネルギーを表すのに、牛が一番身近で解りやすい喩えだったのでしょう。



十牛図では、「見牛」の後、


「得牛」(また見失ってしまいそうな大いなる自分を、捕まえる段階)


「牧牛」(大いなる自分を自分自身として馴染ませていく段階)


「騎牛帰家」(私と大いなる自分がひとつに調和した段階)


「忘牛存人」(大いなる自分という概念さえ消えて、あるがままのあたりまえの存在になった段階)


と続きます。



興味深いのは「忘牛存人」において、大いなる自己という概念そのものを忘れるというもので、もし覚えていれば、まだあいかわらず「私」の他に「大いなる自分」が存在することになり、二元性の迷いに逆戻りしてしまうからです。


さらに次の段階では、「人牛倶忘」と言って、自分という存在そのものが消滅し、いわゆる空(くう)なるものが残ります。

そうなれば、悟りもなく、悟った人もなくなります。

もし「私は悟った」ということに固執すれば、そこにまた「私」が生じて、元のもくあみになる可能性があるからです。



さてこの十牛図は、本来「道教」のもので、その頃は8枚しかなかったんです。

「人牛倶忘」(空)で終わっていたんですね。



ここからが禅の凄いところで、廓庵禅師があと2枚付けたします。


ちなみに禅とは道教と仏教のあいのこで、中国思想とインド思想の大いなる合体です。

廓庵禅師は何を付け足したのでしょうか。



それは体感するものです。



こうして書くと、凄いことのように見えますが、実際には、ただあるがままに在るということで、もっともシンプルな状態に生まれ変わるという感じです。


それは僕たち本来の存在基盤で、実際にはいまも、僕たちは例外なくその上に生活しています。

ただ、余分なものをたくさん持ってしまっただけです。

その余分なものの結晶が「自我君」であり「私」なのです。


いまここ塾でも十牛図の話をしたことがありますが、つい僕たちは禅の世界を凄いこととして捉えてしまって、自分にはおぼつかないもののように感じてしまいがちです。

それは歴史的に男性社会の中で、何もかも権威付けてしまった後遺症のような気がします。



ほんとうは、一番あたりまえの世界なんです。


これからもこのブログや講演会などの機会に、そんな話をしていきたいと思っています。





いま、広島のホテルです。


実は今日の記事は、朝の6時から書き始め、何を書いても気に入らずに、結局は10時過ぎから書き始めたこの記事をアップします。



お疲れ様でした(笑)

このエントリーをはてなブックマークに追加

いやあ、今日もよく来てくれました。 アタシも毎日暇してるもので、アンタみたいな若い人が訪ねてきてくれると、嬉しゅうてね。 そんじゃ今日も何かしゃべってみるとしましょうか。 毎日の生活の中で、嬉しいことが起きたり、いやなことが起きたりするでしょ ... 続きを読む
いやあ、今日もよく来てくれました。

アタシも毎日暇してるもので、アンタみたいな若い人が訪ねてきてくれると、嬉しゅうてね。


そんじゃ今日も何かしゃべってみるとしましょうか。



毎日の生活の中で、嬉しいことが起きたり、いやなことが起きたりするでしょ。

状況はめまぐるしく変わっていきますね。

でもその間中、自分の中には何も変わらずに在り続けるものがあるんですよ。


それは静かで、安定していて、限りなく満たされた存在でね。

何を目指すでもなく、ただ「ありのままのいま」を見つめているんです。


いつだってそうですよ。

もちろん「いま」もね。

その自分と一緒にいることが、本当の満足を得る道でしてね。



自我君には、どうしてもそれが信じられませんのじゃ。

それもそのはず、自我君はその存在を見たことがないからね。

なぜかと言うと、その存在は、自我君が消えたときに残っているものだから。



自我君はね、周囲に幸せでない理由を見つけ出し、自分の力で幸せになろうとします。

しかし幸せになれないんですな、これが。


そこには決定的な理由があるんですよ。

その理由とは、自我君の特性は、批判し、否定し、拒絶し、いまではない何かを得ようとすることですからね。

もっと端的に言えば、不幸でいることが自我君の存在理由なんですよ。

そんな自我君の声に耳を傾けている限り、絶対に幸せになりませんよ。

そもそもそれは、幸せ用に作られていないんだから。


したがって、自我君の大きさが不幸の大きさであり、自我君が薄れた分だけ幸せと満足を感じることができます。

世の中に不幸が蔓延しているのは、この単純な事実を見逃しているからですね。



自我君は問題を見つける名人でね。

そして、自分の日常を、その問題を解決するために使おうとするんです。

アンタの人生は、一連の問題を解決するためのものになってしまっていませんか。



探している幸せや満足は、心の奥の静寂の中にあるんですよ。

それは表面的に生起する現象とは何の関係もなく、ただ「いまここ」に在り続けています。

でも静かゆえに、騒がしい自我君の声にかき消されてしまうんですな。



どうですか、お若いの。

また足を止めて、深呼吸でもしてみませんか。

終わってしまったことや、いま起きていることや、この先起きるかもしれないことを、考えるのはやめにしなされ。

考えは考えを生むだけですよ。


考えとは、自我君の道具なのです。

したがって、考えても幸せになれません。

幸せなときって、何も考えていないでしょ。

「ああ、なんて幸せなんだ、あーでもない、こーでもない・・・」なんて言っていないでしょ。



あはは、今日もまた、同じ話を繰り返してしまいましたな。

同じ話を、くどくどと、何度でも言い続ける、それが隠居爺の特徴でしてな。


ひざの上の猫でも撫でながら、熱いお茶を飲んで、今日も日向ぼっこをして暮らすとしよう。



また来なされよ。



おっほっほっほ・・・




・・・・・・・



ところで、話はいきなり変わりますが、3月20日に山川紘矢さんと山川亜希子さんと、東京で一緒に講演会をさせてもらいます。


昼の部が、山川紘矢さんと僕。

夜の部が、亜希子さんと僕。


どう?面白そうでしょ。



来週になったら詳細をお知らせしますね。


このエントリーをはてなブックマークに追加

どんな生き方が正しいのか。 人生で何を成し遂げたらいいのか。 どんな自分になるべきか。 何を目指すのか。 昔は、そんなことを考えて生きていました。 そのことがとても重要だと思ったからです。 人は生きる指針のようなものを必要とします。 ... 続きを読む
どんな生き方が正しいのか。

人生で何を成し遂げたらいいのか。

どんな自分になるべきか。

何を目指すのか。



昔は、そんなことを考えて生きていました。

そのことがとても重要だと思ったからです。


人は生きる指針のようなものを必要とします。

ある種の信条のようなものです。

あらゆる現実を、その信条を基準に生きようとします。


でもあるとき気づきました。

信条は固定されたものであり、それはすでに死んでいると。

もっと大切なのは、いまに対する生きた感応ではないかと。


そして、そこから自由になりました。

これが、昔の自分と、いまの自分の、もっとも大きな違いです。



現象を連続性の中で捉えないことです。


事は起きているのです。


言っていることわかりますか?


事は起きているのです。

それはハプニングです。


たとえばいまも、急にあなたの携帯が鳴るかもしれません。

ふとトイレに行きたくなるかもしれません。

何かを思い出して、いやな気持ちになったり、幸せな気持ちになったりするかもしれません。

人生とは、そのようなハプニングの連続であり、その瞬間の解釈と反応によって作り出されています。

その反応を作り出すのが、いまの生きた感性なのか、それとも過去の死んだ信条なのか、その違いは大きいのです。


それが解ると、人生が圧倒的に気楽になります。

持ち運ぶ荷物がなくなるからです。


それが「いま」を生きるということです。


より精神的である必要もなく、真理を生きようとする必要もなく、ただその瞬間の自分でいればいいだけです。


それは一貫性がないように見えます。

でもそのように見るのはいったい誰でしょうか。

そうやって判断するのは、いったい誰でしょう。

それこそが固定化された自我ではないでしょうか。



いったい僕たちは誰になろうとしているのでしょう。

悟った人ですか。

正しい人ですか。


それはどちらも理想のイメージに過ぎません。

そしてそのイメージが荷物になるのです。



ああ、あるがままの自分を生きるとは、なんて清々しいものでしょう。



これからも刻々と事は起きていきます。

僕たちの思いや信条とは関係なく、起きることが起きていくことでしょう。



ただそれだけのことです。


秘訣は、正しく生きることではなく、より良く生きることではなく、リラックスして生きることです。


最良でなくていいんです。

最善でなくていいんです。


僕たちは「波」という現象ではなく、「海」そのものなのですから。

どんな波でもいいじゃないですか。

どの道、みんな同じ一つの海なんですから。



だから頑張っていい波を生きるのではなく、海になって波の形はお任せしましょう。




・・・・・・・・・・



週末は、広島と名古屋で講演させていただきます。

広島はまだ席があります。

詳しくはコチラから。
このエントリーをはてなブックマークに追加

先日アップした、黒斎クンとのコラボ講演会の模様、もうご覧になりましたか? 思いのほかご好評をいただいているので、再掲します。 これは僕自身の目覚めの経緯をお話したものですが、目覚めの瞬間と、そこに至る経緯は人の数だけあると思います。 僕の体験を、 ... 続きを読む
先日アップした、黒斎クンとのコラボ講演会の模様、もうご覧になりましたか?

思いのほかご好評をいただいているので、再掲します。

これは僕自身の目覚めの経緯をお話したものですが、目覚めの瞬間と、そこに至る経緯は人の数だけあると思います。


僕の体験を、一つのケースとして参考にしていただけたら幸いです。



前半(10分)



後半(10分)





このYou Tube動画は『一瞬で幸せになる方法―「いまここ塾」の教え』の宣伝用に作ってくれたものですが、今回は2冊立て続けに本を出してもらえて、本当にラッキーだと思っています。

周到に計画したわけではありませんが、きっとそのような流れになっていたのでしょう。



3月には3冊目が刊行されます。

裏ブログの、「随(かんながら)神」です。

タイトルは「随神物語」(かんながらものがたり)になる予定で、いま全体の構成や細かい文章の手直しをしているところです。


この物語を書いた当初から、こうして書籍化されることを強く願っていました。

丸10年かかりましたが、実際に発売が決まって感慨深いものがあります。



今日は秘密をお話しましょう。

恥ずかしくて誰にも言ってこなかったのですが、このさい、シャレのつもりで聞いてください。


実はですね、僕が心に描いていたのは、単に本になって発売されることだけではないんです。

映画化されることや、外国語に翻訳されて世界中の人に読まれることまで想像していました。



いつそんな夢を描いたと思います?


物語を書いたときじゃありません。

平成元年に、初めて天河神社を訪れたときです。


川合というバス停でバスを降りて、そばを流れる天川のほとりに腰を下ろしたとき、そこに2羽の大きなトンビが、翼を広げて悠々と空を飛んでいました。

その姿を見上げながら、ウォークマンで喜多朗の「シルクロードのテーマ」をかけたんです。


その瞬間です。

これから体験することが、いつか本となって、映画となって、ゆくゆくは世界中の人に読まれるようになるというビジョンが沸いたのです。


あまりに荒唐無稽な話なので、自分でも心の中で笑っていましたが、いまその一つが実現しようとしています。

そもそも僕が物語を書くということ自体が、当時としては考えられないことだったので、なぜそのようなビジョンが浮かんだのか、ちょっぴり不思議な感じです。


みなさんの中に、そんな体験をしたことがある人はいませんか。


思い描いたときは、あまりにも突飛な空想なのに、いつの間にかそれが実現していたってこと。


それって、いわゆる引き寄せの法則なのでしょうか。

それとも、すべての未来は決定されていて、それを何かの拍子に垣間見てしまうのでしょうか。


僕は後者のような気がしています。



もちろん全てが的中するわけではなく、映画化の話も、世界に翻訳される話もあり得ないかも知れませんが、いまも可能性はゼロではないような気がしています。


そう思うと人生は楽しいですね。

どの道、人生そのものが夢なのですから、どうせ見るなら楽しい夢にしましょう。




今日もここに来てくれてありがとうございました。
このエントリーをはてなブックマークに追加

昨日は久しぶりに息子と長時間話し合いました。 と言っても、いつだって僕が話したい内容は、この「いまここ塾」のブログで紹介しているようなことに尽きるわけで、それは相手が息子だろうと同じことです。 で、とことん話したわけです。 たとえば、僕たちの本 ... 続きを読む
昨日は久しぶりに息子と長時間話し合いました。

と言っても、いつだって僕が話したい内容は、この「いまここ塾」のブログで紹介しているようなことに尽きるわけで、それは相手が息子だろうと同じことです。

で、とことん話したわけです。



たとえば、僕たちの本質は決して死なないし、永遠不滅のものだということ。


すると息子が言いました。

「死んだことあるの?はっきり覚えているの?」


「いや、そうじゃなく、生死を越えた体験から確信したんだよ」


「それをどうやって証明するの?証拠は?」


「いや、だからそれは実感して初めて解ることで、証明はできない」


「悪いけど、僕は自分が実感するまでは、いかに親の話でも信じない」


ま、こんなやりとりでした。



僕は思いました。彼の態度はとても大切だと。

そうなんです。それくらいの慎重さがなければ真理を獲得することはできません。

あの人が言うからとか、この人が言うからとか、そのような態度では、あいまいな妄想や虚言さえも信じてしまうかもしれません。


このような懐疑的態度は、男性に多いように思います。

男性の存在センターは思考にあるからです。

思考は論理や証拠を重視し、疑うことで真理に近づこうとします。

それが科学の基本姿勢であり、科学は男性性が築き上げたと言ってもいいでしょう。




反対に女性の多くは、いきなり信頼する能力を持っています。

それを論理ではなく、直感という形で判断するのです。

さっき言ったことと矛盾しますが、こちらもとても重要な要素です。


どちらが真理に近づくのが早いかといえば女性です。

彼女たちは全身全霊で信頼することを知っているので、一度そのような感覚を持ってしまえば、真理が乾いたスポンジに浸透する水のごとく、あっと言う間に真髄を体得することができます。


だから古今東西、真理に興味を持って、そこに帰依しようとするのは女性のほうが多いのです。

その割合は、8:2だと言います。


おそらくこのブログも8割がた女性の読者でしょう。

それは僕の顔が可愛いからではなく(笑)、このような情報に興味を持つ人の割合です。

釈迦の時代から、変わらずにそうだったそうです。


それじゃ、なぜ名高い聖者や教祖たちは、みな男なのかという疑問が残ります。

これについても僕なりの答えを持っていますが、ここに書くと長くなるので、また別の機会にします。



で、今日は結局のところ何が言いたいのかと言うと・・・


何も言いたいことはありません。

こうして出会えたことに感謝します。

男性は男性なりに、女性は女性なりに、これからもよろしくお願いします。



どちらの性も、真理に到達するために必要なことが毎日起きています。

そんな展開を信頼して、あなたらしくあなた自身を生きてください。


あなたを応援しています。




さて、また新刊のAmazon予約が始まりました。

今度は2月22日発売の、「一瞬で幸せになる方法」(サンマーク出版)です。

中身は先日僕が個人出版した「いまここ塾」と同じです。

内容を評価してくれて、こうして全国発売に結び付けてくれたこと、関係者の皆様に心より感謝します。








ご注文はコチラから。



「いまここ」すべてがうまく流れ出す宇宙の絶対ルール(ダイヤモンド社)も、よろしくお願いします。

このエントリーをはてなブックマークに追加