かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2010年04月

今日もたくさん伝えたいことがあるのですが、それは立体的で、言葉を超えていて、いまこの瞬間には、どうやって整理していいかわかりません。 とにかく書き始めてみます。 自分が「個」として存在しているという錯覚は、とても強く深いところからのものなので、おい ... 続きを読む
今日もたくさん伝えたいことがあるのですが、それは立体的で、言葉を超えていて、いまこの瞬間には、どうやって整理していいかわかりません。

とにかく書き始めてみます。


自分が「個」として存在しているという錯覚は、とても強く深いところからのものなので、おいそれと、それを錯覚だと見抜くことはできません。

どんなに言葉を紡いでも、読む側が「個」の自分であれば、そこには何かを知ったという満足感が残るだけで、意識の変化が起きるわけではありません。


やはり、なんらかの霊的な経験、自己を超えるという経験が必要になります。

いままで自分だと思っていたものが、単なるイメージの束であり、そんなものは最初から存在していなかったという気づきです。



「個」である自分が、気づきの光の中で消えた時、そこに残るのが本当の自分です。

それはもはや「自分」とも呼べないもので、むしろ「全体」とか、「大いなる意識」としか呼びようのないものです。


そう、「あなたがすべて」なのです。

この宇宙には、あなたしか存在していません。



それが唯一の真実です。

それがわかれば、全てを理解したことになります。


自分=宇宙

個=全体


この感覚を持つこと、それがアセンションと呼ばれる現象です。


個々に分裂した意識が、大いなる一つに統合された時、個別意識が宇宙意識にシフトし、新しい次元の生命活動が始まるというのが、本来のアセンションの発想です。


このことは、最初の霊的体験をした時から漠然と予感していましたが、あるとき一冊の本と出会い、そこに赤裸々に描かれていた内容に共鳴しました。

1995年のことですが、その本のタイトルは、ズバリ「アセンション」でした。

著者は、アメリカの有名チャネラー、ボブ・フィックス氏。

日本でアセンションという言葉が流行り出す、さらに10年前のことです。


この時の影響が自分の中に残り、それから4年後の1999年に書いた「随(かんながら)神」の物語の主要テーマが、このアセンションでした。

著者のボブ氏に敬意を払い、物語中にもこの情報を与えてくれた人物として、ボブ氏を登場させました。

もちろん本人そのものではなく、NYから天河を訪れたスピ系の青年という設定にしました。


しかし、運命とは面白いものですね。

僕が、とある瞑想法に興味を持ったことがきっかけで、実際に去年、ボブ・フィックス氏と会う事になったのです。

しかも彼は、僕と出会う事を予め知っていて、僕の役目もすべてお見通しだったそうです。

僕自身はそのような能力にあまり関心はありませんが、ご本人といると、なんとなくそんな気になってくるから不思議です。

いずれにせよ、「随(かんながら)神」を書いたときから、彼との出会いは決められていたようです。


物語に登場する、もう一人の主要人物「シャンタン」も、そのモデルになった男性が、20年ぶりにひょっこりと僕の前に現れたのが先月です。

そして来月、「随(かんながら)神」が発売になります。


これって、変くない?(若者風に)



やはり事の全体はすでにプログラムされていて、そこに向かって粛々と世界が動いているような気がします。

小さな個人的なことから、世界情勢に至るまで、それらは全て関連しているので、何一つ偶然はなく、何一つ間違いも無駄もなく、ただ起きることが起きているのでしょう。


僕自身に起きていることを冷静に見つめ直してみると、そう思わずにはいられません。

あなたもそんな予感を持っているのではないですか。



さて、そのボブ・フィックス氏が、初めて沖縄にやってきます。

彼の強い要望で実現したことで、彼はこの時期、どうしても沖縄の皆さんに会いたかったようなのです。

急遽決まったことですが、僕と対談形式の講演会と、チャネリングを行います。



5月11日(火)、18時半開場 19時開演

那覇市てぃるる(098-866-9090)、第1第2・合同研修室

3000円

当日券のみで、予約は不要です。(満員で収容不能の場合はご容赦願います)




思わぬことが次々と、そして急展開で起きていると感じる、今日この頃です。




今日もここに来てくれてありがとうございました。





このブログは、僕たちの意識変革を促す目的で綴っています。

一人でも多くの人に届きますよう、ご協力よろしくお願いします。

   



・・・・・・・・・・・



先日、ti-daブロガーを対象に、抽選で当たった人20名の前で、講演をさせていただきました。

その時の模様が詳しくアップされましたので紹介します。

アセンションについても語っています。


コチラからお入りになれます。
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数日に一人くらいのペースで、僕と同じ体験をしたという人からメールが入ります。 それも、最近したという人がほとんどです。 これは一昔前では考えられないことでした。 僕は、まるで歴史の証人のようにして、この二十年間の変化を報告することができます。 ... 続きを読む
数日に一人くらいのペースで、僕と同じ体験をしたという人からメールが入ります。

それも、最近したという人がほとんどです。


これは一昔前では考えられないことでした。

僕は、まるで歴史の証人のようにして、この二十年間の変化を報告することができます。


昔はこのような情報発信手段がなかったので、仲間を探すのも一苦労でした。

自分がした体験は、あまりにもリアルだったので、疑いようがなく、であれば僕以外にも、同じ理解に至った人はたくさんいるはずだと考えました。

そこで、真実を体現した可能性のある人を探して、積極的に会いにいきましたが、「自分」との自己同化を離れて、万物とひとつなる自己(本当の自分)を、体で知っている人はいませんでした。


7年くらいして、あきらめかけた頃に出会ったのが、向禅師でした。

何ひとつズレルことなく、すべての理解が一致した初めての人です。


もしあの時代にネットがあれば、このようにして多くの仲間に巡りあったでしょうか。

僕はそうは思いません。

やはり、時代が急に変化していて、霊的な成長が一気に加速しているのだと思います。



目覚めとは自我の消失です。

それまで自分だと思っていた限定的な自己が消えて、万物と一体のあるがままの自分が現れます。

まるでビッグバンのように、結晶化された自己が、宇宙大に拡大するのです。

それは衝撃的な体験です。

黒斎クンが言う、ひっくりかえりの体験と言ってもいいでしょう。

通常の人間には理解不能な、とてつもない叡智が顔を出し、それまで信じていた価値観が全部ひっくり返ります。


その時、思わずこう言います。

「あー、そうだったのか」


そしてこんな感覚もあります。

「このことは知っていた。ずっと前から知っていた。でもあまりにも当たり前すぎて見落としてきた真実だ」


だから目覚めた人たちは、異口同音に、

「悟りを達成したわけじゃない。元々悟っていたことを思い出しただけだ」

と言うのです。



悟りというと、凄いことのように思ってしまうので、悟ったなどと公言する人間は、胡散臭く見えてしまいます。

でも悟った人は、その体験が、何一つ自慢できるようなものではない事を知っています。

だってそれは、全ての人がすでに持っているものだからです。


もし誰も持っていないものを得たのなら、少しは達成感がありますが、全ての人が持っているものを、自分も持っていたと気づいただけなので、どうってことはないのです。



しかし、そのどうってことない体験が、苦しみの人生を根底から癒す力を持っています。

目覚めと共に、過去と未来という思い込み(時間の幻想)が消え、あらゆる苦悩が消え去ります。

何故なら苦悩とは、終わってしまったことへの後悔か、これから先の心配だからです。

それは「いまここ」には存在できません。



そんな報告が、急に増えている今日この頃です。


まだ、そのような体験が訪れていない人も、もしあなたにその準備が出来ていなければ、このブログに引きつけられることはありません。



思っている以上のスピードで、目覚めの連鎖が始まっています。



そのうち、世界中の人が言いだします。


「あー、そうだったのか」






今日もここに来てくれてありがとうございました。





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一度蔓延してしまった誤解を解こうとすれば、多大なエネルギーが必要となります。 しかもそれが、何千年にもわたって受け継がれてきた観念の場合、尚更です。 たとえば、「悟り」に関しても、間違った観念が受け継がれてきています。 「悟り」という言葉が、「神 ... 続きを読む
一度蔓延してしまった誤解を解こうとすれば、多大なエネルギーが必要となります。

しかもそれが、何千年にもわたって受け継がれてきた観念の場合、尚更です。


たとえば、「悟り」に関しても、間違った観念が受け継がれてきています。

「悟り」という言葉が、「神」同様、様々なニュアンスを含んでしまっているので、使うのが難しいのですが、誤解を恐れずにストレートに書いてみます。



「悟れば聖者になる」


それは違います。

悟れば聖者になるのではなく、もっと自分自身になります。


人は自分を生きていません。

こうあるべきという姿を生きています。

人の目の中に映る自分を想定し、そんな自分を無意識に演じているのです。


そのようなゲームが必要なくなります。

人に好かれる必要もなく、人に評価される必要もなくなるので、その瞬間の感応を生きることができるようになります。


多くの場合、悟った人達は尊敬されるというよりは、変わり者として見られるようです。

社会の価値観を生きるのではなく、自分独自の道を歩み始めるからです。




「悟れば高潔な人格になる」


それも違います。

悟っても、あるがままの自分でしかありません。


誰もが自分の中に、影の部分や、満たされない部分を持ち、それを内心自覚しています。

陰と陽、光と影、プラスとマイナスは、両方でセットなので、どんな人の中にも両方が存在します。

ところが思考は、プラスの面だけを自分に引き寄せ、マイナス面を克服しようと考えます。

そうやって、決して勝ち目のないゲームに挑むのです。


ちょうどそれは、自分の指を見て、こう思ってしまったのと同じです。

「私には5本の指がある。しかし両側の2本はあまりにも短すぎる。いつかこの2本を長く立派にしよう。この問題を克服すれば、もっと私は素晴らしくなるはずだ」


しかし、どこまでいっても親指は親指であり、小指は小指です。

それはそもそも、克服すべき問題ではなく、単に人間の一部に過ぎません。

そうであるところを認めて、そうであるところにくつろぐこと。

それが悟りです。


悟れば人格が高まり、高潔な人間になるという誤解が、人々を悟りから遠ざけてきました。

実際には、いまあるがままのあなたで悟っていいのに、自分にはまだその準備が出来ていないような気がしてしまうのです。

もっと正確に言えば、いまあるがままのあなたですでに悟っているのに、自分が悟っていることを宣言するのを躊躇(ためら)ってしまうのです。


何になろうとしているのですか。

あなたはこれからもずっと、あるがままのあなたでしかありません。


そして、それでいいのです。


いかに自分が、自分以外の何者かになろうとしているか、そのことに気づいて下さい。

そこには長年にわたる自己否定と、周囲との比較がもたらした劣等感があります。

そのどちらも、あなたの誤解です。


あなたはあなたのままで、まさにいま、あるがままのあなたでOKなのですから。

たとえそれが、どのように見えたとしてもです。




「悟れば全ての問題が消えてなくなる」


問題は残りますが、問題を問題として見なくなります。




「悟れば性欲が消える」


悟ってもビンビンです。

僕の場合は、最近ちょっと歳ですが・・・そんなことはどうでもいいですね。




「悟れば金銭欲が消える」


お金はあればあったでよし、なければないなりに生きるだけです。

貧乏も豊かさも両方知っている人間としては、豊かさのほうが快適なので、どちらでも選べるなら豊かさがいいです。

でも執着はなくなります。

起きることが起きていて、それでいいということを知っているからです。



以上、ざっとですが「悟り」について書いてみました。


自分にくつろぐこと、思考の罠に振り回されないこと、すでにそうであるところのものと同調すること、それが入り口です。


くどいようですが、そのためには静かに瞑想することです。

ニールさんも、エックハルトさんも、ディーパック・チョプラさんも、瞑想のことばかり奨励しますが、簡単な話、それしかないからです。



ま、気楽にいきましょう。


秘訣はリラックスすることです。





今日もここに来てくれてありがとうございました。





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昨日、お世話になっているアウルズ・エージェンシーさんが、新しく発売されたDVDをくれました。 それは「神との対話」の実写版映画と、作者のニール・ドナルド・ウォルシュさんのインタビュー映像の2枚組です。 (ちなみにニールさんは、5月に来日し、黒斎クンと ... 続きを読む
昨日、お世話になっているアウルズ・エージェンシーさんが、新しく発売されたDVDをくれました。

それは「神との対話」の実写版映画と、作者のニール・ドナルド・ウォルシュさんのインタビュー映像の2枚組です。

(ちなみにニールさんは、5月に来日し、黒斎クンとも対談します)



さて昨夜、その映画を観たのですが、大変素晴らしい出来でした。

神と対話するというだけで、多くの人は引いてしまいますが、彼の場合はその対話内容があまりにも素晴らしく、真実を突いているので、もしかしたら本当かもしれないと思う人達もいます。


僕自身は、自らの体験から、彼が言っているのは全て本当だと分かります。

ただしそれは、彼という存在が体験し解釈したものであり、実際にはあらゆる人に起きている現象です。


その現象を、あそこまでクリアーに認識したのは、苦悩のどん底でのことだったようですが、これは僕とも一致します。

ただし僕の場合は、彼のように何カ月にもわたってメッセージが降り続けるということはなく、一瞬にしてすべてのメッセージを受け取ってしまい、それを何十年もかけてこうしてダウンロードしています。


しかしどちらの場合も、「いま」それが起きているわけで、映画の中でも神は「私はいまここにいる」と言っています。



印象的なセリフとしては、


「映画俳優やプロスポーツ選手が巨万のギャラをもらうのに、ヒーラーや精神世界に携わる者は無償で働けという風潮がある。

しかしそれは逆で、本来人を癒したり、気づきを与えたりする人間こそが豊かになっていくべきだ。それ以外にも母親業や、愛を与える者たちにも多くのギャラが必要だ」

(ニールさんの見解)




「私(神)は、いついかなる時も、あなたと共にある。

私があなたを罰することはあり得ない。

私の望みはあなたが幸せであることだけだ。

何故なら、あなたは私自身だからだ」


(神の言葉)




あれ?2番目のこのセリフどこかで聞いたことがある。

僕がダウンロードしている情報と同じだ(笑)


なーんだ、同じ神だったのか。


そりゃあそうだよね。

真実も神もひとつきりだし、そういう僕たちだって究極的にはひとつなのだから。



このDVDは「ザ・シークレット」と同じ販売元(アウルズ・エージェンシー)から出ています。


「ザ・シークレット」引き寄せの法則は、願望実現の面ばかりが強調されてしまっていますが、伝えたいメッセージは「すべてはひとつ」なのだそうです。


この会社は、これからも目覚め関連のものだけを吟味して発売していくそうですが、そのほとんどが輸入物です。



ところが来月、日本人による、純日本版が発売されます。


それがなんと・・・


ジャジャジャーーーン!!!



阿部敏郎 & 雲 黒斎 コラボ講演会DVD

「阿雲の呼吸」

です。


僕たちのDVDも完成し、先行予約が始まりました。

凄い予告編も見れますよ。

詳しくはコチラから。



いつか書籍も含めて、日本から欧米や世界各国に輸出する時代が来ることでしょう。




さて、ニールさんが言っていることを、僕なりにまとめたいと思います。



神は意思を持ってあなたを見守っているということ。

意思を持っているというのが、とても大きなポイントです。


あなたの運命が、気まぐれな成り行きではなく、大いなる意思によってしっかりと見守られているということ。


そしてその意思は、100%あなたの味方だということ。



したがってその意思は、あなたが幸せであることだけを望んでいるということ。



それを信頼することが、いまあなたに求められている、最も重要なことです。





今日もここに来てくれてありがとうございました。




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今日から次回「大阪いまここ塾・講演会」の受付を開始します。

お申し込みはコチラから。



これからの予定を掲載します。


仙台 5月9日

大分 5月16日

東京 5月23日

大阪 5月30日




黒斎クンとのコラボ講演会「阿雲の呼吸」は


広島 5月29日

東京 6月6日

名古屋 6月12日



詳細は上記都市名をクリックしてください。

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大阪と東京と、連日のいまここ塾講演会、お忙しい中を会場に足を運んでくれてありがとうございました。 まさに一期一会、僕も満喫させていただきました。 僕は人生を、比較的自由に生きてきました。 その時その時の心の声に従って、人生を選んできたように思い ... 続きを読む
大阪と東京と、連日のいまここ塾講演会、お忙しい中を会場に足を運んでくれてありがとうございました。

まさに一期一会、僕も満喫させていただきました。



僕は人生を、比較的自由に生きてきました。

その時その時の心の声に従って、人生を選んできたように思います。


考えた結果導き出された結論ではなく、瞬間的なアイデアや、新しい衝動のようなものです。

それは突然やってきます。



今日は母の家から書いているのですが、この2Fの部屋には、昔僕が制作に関わったレコード盤が何枚か置かれています。

旧LP版です。


目の前にあるのは、小林明子の「Fall in Love・恋に落ちて」です。

このアルバムは百万枚のヒットを記録し、当時としては「ルビーの指輪」以来の快挙でした。


もう一枚は、三田寛子の「少年のように」。

これはアイドル歌手だった寛子さんに、「チャクラ」というスピリチュアル系ロックバンド(当時はまだ極めてめずらしかったジャンルです)のアレンジで歌ってもらった一枚で、多分に僕の趣味を反映したものです。


どちらにも、Produced by Toshiro Abe と記載されていて、人生の一コマを見る思いがします。



いわゆるメジャーの世界で、順風満帆な生活をしていたある日の朝、突然「7」という数字が心に浮かびました。

うまく言葉で言えませんが、とてもインパクトのある瞬間でした。

しかも、その数字が何を意味しているのかまで、はっきりとわかるのです。


その数字は、「もういいんだよ」と言っていました。

やりたいことをやれよ、ということです。


すでに2年前に究極体験(目覚めの体験)をしていたのですが、流れの中でこのような仕事に携わっていたのです。

本当にやりたいことは、自分の気づきを人に伝えること、それだけでした。

それはいまも、いささかも変わりません。


でも当時は、自分が講演家になるとか、執筆家になるとか、そのような発想はまったく持てませんでした。

僕はミュージシャンであり、音楽業界以外で活動するなんて、考えられないことだったのです。


その「7」の意味はこうです。

異なるジャンルのミュージシャンを7人集めて「七福神」というバンドを作り、あなたのメッセージを直接歌にしなさい。

そして、同じようなことを感じ始めた仲間たちに、「ここに目覚めた男がいる」という宣言をしなさい。

そうやって旗を振って、仲間と出会っていきなさい。

そんなようなことでした。



僕は翌日、それまでの仕事を再びやめる決心をし、お告げのとおり、「七福神」を作りました。


で、どうなったか。


結果は惨憺(さんたん)たるものでした(笑)

作るなら最高のものをと、NYの録音スタジオ(当時世界最高のスタジオ)を数十日間借り切り、投資してもらった3000万円を2カ月で使い果たしました。

ところがその直後、メインのボーカルが脱退したり、作品が斬新過ぎてどこのレコード会社も敬遠したりと、いっこうに前に進まないのです。


結局は商業的にも大失敗でした。

天の声は当てにならないのです(笑)


しかしそのことが新しい流れを作り出し、天河神社と出会い、そこから「かんながらの道」が始まっていきました。

経済的成功や社会的成功は、もうどうでもよくなっていたので、それ以降、表舞台からは姿を消しましたが、「メッセージを伝える」ということに関しては、まったくぶれることなく生きてきました。

そしていま、また何かが始まろうとしています。



さて、心の声や天の声と呼ばれるものが、すべてうまくいくわけではありません。

むしろ、状況としては何歩も後退する結果になるかもしれません。


しかし、起きることはすべてプロセスであり、一時的な結果に過ぎません。

それがあるから、次があるのであって、何一つ無駄はなく、必要だから起きています。


それを信頼できたら、もう怖いものはありません。

本当の自分の思いを生きることができます。

どうなっても天の思召すままということを知っているからです。



自分の目覚めを宣言し、同じようなことを感じている仲間たちにメッセージを送り、旗を振る。

これはいま僕が、このブログでやっていることですよね。


20年もかかってしまいましたが、やはりあの声を聞いて良かったと思っています。

自分を生きることができたから。




今日もここに来てくれてありがとございました。

あなたに真意が届きますように。




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明日の沖縄いまここ塾は中城村吉の浦会館です。
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昨日は大阪いまここ塾にお越し下さりありがとうございました。 会場とのやりとりに終始した新しい形のいまここ塾、一人ひとりを間近に感じることができました。 僕自身にとっても、新鮮な体験でした。 それから、有志のみなさん、素敵なプレゼントをありがとうご ... 続きを読む
昨日は大阪いまここ塾にお越し下さりありがとうございました。

会場とのやりとりに終始した新しい形のいまここ塾、一人ひとりを間近に感じることができました。

僕自身にとっても、新鮮な体験でした。


それから、有志のみなさん、素敵なプレゼントをありがとうござました。

あんなに高価なものを頂いて、ただただ恐縮です。

大阪いまここ塾1周年記念とのこと、改めて感慨深く思いました。


1年前、四天王寺の会場で開催した時は、予約なしで何人が来てくれるのかもわからず、ふたを開けてみたら、椅子を次々と増設する大賑わいでした。

廊下ですれ違う人達も、誰一人僕を知らず、みんな緊張していたのを覚えています。

あれから1年。

僕も多くの人達の顔を覚え、いまではすっかり仲良くなりましたね。

出会ってくれてありがとう(^o^)



これも元をただせば、このブログのおかげです。


こうしてブログを始めるようになったのは、当時住んでいた沖縄の村に、豪雨による土砂災害が起こり、被災者を救済するためのチャリティーコンサートを企画したことがきっかけでした。

その宣伝のために各所を足り回っていた時、ある方が、「ブログサイトのトップページで宣伝してもらったら?」と言ってくれて、それをブログ運営会社にお願いしたら、「阿部さんも自分のブログを作ってみたら?」となり、そうして立ち上げてくれたのが、このブログです。


それは僕の意思ではなく、起きたことです。


チャリティーコンサートは大成功で、このブログの役目も終わったのですが、その時自分の中で、とあるアイデアが浮かびました。

いままでの人生で学んできた知識や、自分の気づきをここに書いたとしたら、道を求める人や、苦悩の中にいる人たちの役に立つのではないかと。

そして内容をガラリと変えて、いまのようなメッセージを書き連ねることになりました。

書き始めたのは2006年7月19日で、現在このブログは その記事から始まっています。


それを始めたのは100%「自分の意志」です。


でもその時、僕の中にもうひとつの声がしました。

一歩間違ったら宗教的な内容になってしまうこのような記事を、ミュージシャンである自分{ちなみに僕は沖縄ではプチ有名なミュージシャンです(^o^)}が書くのは、多くの人を戸惑わせるのではないかという声です。

毎週「いまここ塾講演会」を地元公民館でやってはいましたが、それは無料だったので、当時の収入のメインはライブコンサートと、学校や自治体からの依頼を受けての講演でした。

そこに影響が出たらどうしようというのが、正直な気持ちだったのです。

少し迷いはしまいたが、結局はいまの内容に切り替え、それが現在に至っています。


さて、このようなことは僕たちの人生でよく起きていることではないでしょうか。

僕たちの中には、2種類の声があるのです。

それは、ハートからの声と、頭からの声です。


ちょうど昨日の大阪講演会で、ある男性から質問がありました。

「ハートの声と、頭の声を聞き分ける方法を教えてください」


ハートの声は天からの声であり、頭の声は思考の声、自我の声です。

ハートの声はかすかですが、頭の声は騒がしく大きなものです。

だからつい僕たちは、頭の声を優先してしまいがちです。


その見分け方ですが、頭からのアイデアは結果指向です。

何か自分にとって都合のいい結果を求めています。

したがって、もしその結果を得られなかったらどうしよう、そうならないためには、あーしてこーして・・・


結果を求めれば、そこに深刻さが生まれます。

深刻さは緊張をもたらし、遊び心が消えてしまいます。

あれこれと判断し、いい悪いを決めつけ、独善的になりがちです。

それは怖れを基盤にしているからです。



一方、ハートの声は、結果を心配していません。

結果ではなく、「やりたい」という思いが基準になっています。

そしてその思いは、やわらかく温かいものです。


そこから生じるアイデアは、周囲を幸せにし、自分も幸せにします。

打算がないので深刻さがありません。

それは愛を基盤にした声です。



一見すると、頭からのアイデアのほうが、成功するように見えるのですが、実際には逆です。

ハートからの声を選んだ時、そこには見えない力が働きだし、しばしば自分の想像を超える結果をもたらします。

なぜでしょう。

それは、ハートからの声が天の声だからです。

天が自分に変わってやってくれるので、ものごとがスムーズに展開しだすのです。


その流れに一度乗ってしまえば、ことはうまく運びます。

しかし人間とは弱いもので、時折そんな流れが信頼できなくなり、再び頭の声を聞き始めます。

情けないことですが、僕も時折、そんな声に振り回されそうになる時があります。

「このままで大丈夫か、もっと疑いを持って慎重になるべきだ」

そして自分(自我)が介入し、せっかくの流れを邪魔してしまうのです。



天からの声は、リラックスの中で聞こえてきます。

それは、いまもあなたに呼びかけています。





午後から東京いまここ塾です。

あなたに、たくさんの恵みと祝福がありますように。



今日もここに来てくれてありがとうございました。





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次回の大阪いまここ塾は5月30日です。

4月27日から受付開始します。
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「あなたは誰か」 今日もこのことを理解するために、昨日頂いた質問に答えることから始めてみます。 三瀬鳥さんからの質問です。 「いま」は認識できるのでしょうか?  これを問うている私が「いま」を理解することはできますか? この問いは、と ... 続きを読む
「あなたは誰か」

今日もこのことを理解するために、昨日頂いた質問に答えることから始めてみます。



三瀬鳥さんからの質問です。


「いま」は認識できるのでしょうか? 

これを問うている私が「いま」を理解することはできますか?




この問いは、とても鋭い点を突いています。

少し遠回りしながら説明してみましょう。



「いま」とは何か。


「いま」とは、過去と未来の中間にある、この瞬間のことだと思っている人がいます。


でもそれは違います



そもそも、瞬間とは何でしょう。


0、1秒のことですか、0、01秒のことでしょうか。


0、01秒だとしても、それは時間の長さです。

0、0001秒から見れば100倍の長さです。


0、0001秒とて同じことです。

それさえも時間の長さです。



「いま」とは時間の長さではありません。


したがって、通常考えられているような認識はできません。

それに、「いま」だと思ったとたん、もうそれは過去になっています。



ちょっと難解かもしれませんが、ゆっくり読んでみてください。



「いま」とは、そもそも「時間」など存在しないということを理解した時に訪れる、始まりも終わりもない永遠です。

時間とは、人間が道具として編み出した概念なのです。


それを見抜くことが「いま」を認識することなのですが、思考にはそれができません。

なぜなら、思考そのものが時間の中に存在しているからです。

「いま」を認識できるのは、思考が消えたときです。


したがって、「これを問うている私」には、「いま」を認識することはできません。




Imakokoさんからの質問


私は、最愛の人を亡くしました。

過去の思い出を愛しく思うことは、今を生きていないことなのでしょうか?




その最愛の人も、「いま」の中に在ります。

あなたが「いま」に帰ってくれば、あなたはその人のすぐそばに在ります。

そしてすべては、自分の意識が作り出していたことを知ります。

その時、彼があなたの中で供養されます。


本当の供養とは、真理への理解によってもたらされる、心の浄化です。




今日の最後に、nobuさんからのコメントを抜粋してみます。


今年の二月、会社帰りに駅構内を歩いていて、ふと、いまこうやって自分という者を意識している感覚は、例えば違う時代にもう一度生まれることがあったとしたら、全く今感じている感覚と寸分変わらず、いままさに感じているままなのかという問みたいなものが浮かび、何故かすぐに「全く同じだ!」ということを確信しました。

さらに、すべての人が、今感じている感覚を共感している、同じものを同じところから得ているとも感じました。




その通りです。

あらゆる過去も、あらゆる未来も、「いまここ」に存在し、いままであった命も、これから生まれ来る命も、すべては同じひとつのものです。



それが「あなた」です。





今日もここに来てくれてありがとうございました。





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