かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2010年06月

今日の記事も、なんのメッセージもないので、覚悟して読むか、スルーしてください。 それにしても、洞爺湖って凄い!! この神秘的なたたずまいは只者ではない!! な~んてミーハーに成りきって、久しぶりの休日を楽しんでいます。 湖畔の宿は、 ... 続きを読む
今日の記事も、なんのメッセージもないので、覚悟して読むか、スルーしてください。



それにしても、洞爺湖って凄い!!

この神秘的なたたずまいは只者ではない!!


な~んてミーハーに成りきって、久しぶりの休日を楽しんでいます。





湖畔の宿は、ひょんなことから昭和天皇が宿泊した部屋に通され、この部屋がまた凄い!!

ホント、人生にはいろんなサプライズが待っていますね。

起きる事が起きるということで、せっかくだから楽しませてもらいます。



いま、黒斎クン一家をご招待して、みんなで寛いでいます。


北海道で会う黒斎クンは、沖縄で会う具志堅用高さんのようです。




こんなお馬鹿な記事を読んでもらって恐縮です。



それではロイヤルファミリーの写真を特別公開。



















どうもスミマセンm(_ _)m





話は変わりますが、7月19日のワークショップは締め切り間近となりました。


詳細はコチラからお入りください。





休暇が終わったら、また通常のブログに戻ります。



もどれるかなぁガ-ン





これからも応援よろしくお願いします。

   
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あーあーあああああー あーあーあああああー (あのメロディーでお願いします) いま函館から洞爺湖に向かう電車の中です。 1日足らずの函館観光で行った先は、五稜郭とトラピスチヌ修道院、そして100万ドルの夜景を一望できる函館山です。 夜景を ... 続きを読む
あーあーあああああー

あーあーあああああー

(あのメロディーでお願いします)




いま函館から洞爺湖に向かう電車の中です。

1日足らずの函館観光で行った先は、五稜郭とトラピスチヌ修道院、そして100万ドルの夜景を一望できる函館山です。

夜景をブログに載せようと、携帯電話のカメラで撮ったのですが、いままで見てきた写真と代わり映えせず、手ブレだけがその違いで、ここにアップするまでもないのですが、せっかく撮ったので・・・







トラピスチヌ修道院は美しさにあふれていました。

奥までは入ることができませんでしたが、初めて方広寺を訪れたときと同じ厳粛なムードを感じました。

彼女たちがどのような心境で生活されているのかは分かりませんが、美しく生きようとしていることは、その場からも十分に伝わってきました。


いろんな人生がありますね。


僕たちも、娑婆(シャバ)の中ではあるけれど、少しでも清く美しく、そして大いなる御心を忘れずに生きたいものです。



そんなこんなで函館駅に向かう道すがら、ふと閃きました。

そうだ、ひさしぶりに「ユリイカ」やってみようって。

7月19日に予定していた「東京いまここ塾」の日に開催します。



ユリイカ(EUREKA)は、方広寺時代に開催していたワークショップです。

日常生活では忘れてしまいがちな、自分の本質や、自分の素晴らしさに気づいていく時間です。

そして、いまからどこに向かっていくのかという、ビジョンを明確にしていきます。

簡単な実習と、レクチャーと、瞑想によって形成されています。


普段の講演会とは一味違い、各々のエネルギーが広がって、とても楽しいですよ。

携帯電話からでも申し込めますので、まずはコチラからお入りください。


7月19日 13時~17時

ワークショップ・ユリイカ東京


身体が元気なうちに、みなさんの人生にわずかでも貢献できるよう精進していきます(^o^)/




北海道は広いなあ。

さっきから窓の外の景色が変わりません。



不思議だなあ。

生きているって不思議。


さっきから石狩挽歌を口ずさんでいる、染まりやすい僕です。




これからも応援よろしくお願いします。

   



・・・・・・・・・・・・


7月、8月、9月の前半まで、各地の「いまここ塾」はお休みになります。


7月はスペシャル講演会があります。

出版社(ナチュスピ)主催の7月9日「かんながら講演会」(東京)です。

当日券は4000円。

前売り予約は3000円です。


人を覚醒に導く7つの鍵の解説や、アセンションを彷彿とさせる古文書について、あるいは制作秘話など、かんながらの物語を中心にお話させもらいます。

詳しくはコチラからお入りください。

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名古屋、東京と、立て続けのいまここ塾でしたが、どちらも楽しくやらせてもらいました で、今回発見したことですが、講演会に来てくれる人たちって、みんな優しい雰囲気。 このブログにも、そんな波動がたくさん訪れてくれるけれど、ああいう場も気持ちいいですね。 ... 続きを読む
名古屋、東京と、立て続けのいまここ塾でしたが、どちらも楽しくやらせてもらいました


で、今回発見したことですが、講演会に来てくれる人たちって、みんな優しい雰囲気。

このブログにも、そんな波動がたくさん訪れてくれるけれど、ああいう場も気持ちいいですね。


心から、ありがとうございました。



今日からお休みいただいて、黒斎クンのご家族と、北海道プチ旅行してきます。

明日から北海道レポでも書きますか。

仕事以外でいくの初めてだし。


そういえばこのブログ、メッセージばかり書いてきたから、たまには気を抜いてプライベートなネタでいってみましょうか。


「いまからこれ食べま~す」

なんてスナップを載せて、ほのぼのブログを目指してみます。


でも、きっとやらないな。

また気がついたら、ウンタラカンタラ述べていると思います。




週末は大阪でいまここ塾します。

よかったら来てくださいね。






で、お願いなんですが、このボタンクリックしてください。

   
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僕が人生で発見したこと、それは、生とは極めてシンプルなものだということです。 そのシンプルさの中に、本来携わっている美しさがあります。 ところが頭(思考)は、ことを複雑にします。 どんな物事にも飛び掛っていって、そこに問題を作ります。 しかもそ ... 続きを読む
僕が人生で発見したこと、それは、生とは極めてシンプルなものだということです。

そのシンプルさの中に、本来携わっている美しさがあります。


ところが頭(思考)は、ことを複雑にします。

どんな物事にも飛び掛っていって、そこに問題を作ります。

しかもその問題を自らが解こうと言うのです。


ひとつの問題を解決しようとすれば、そこから無数の問題が生じます。

またそれらを解決しようとすれば、底なし沼にはまり込むだけです。


そうやって人は生を浪費していきます。

楽しめたはずの多くの瞬間を、みすみす深刻さに変えてしまうのです。


生は解決すべき問題集ではありません。

生は楽しむためのチャンスです。

思考を持ち込まなければ、判断を持ち込まなければ、人生は極めてシンプルであり、完璧に機能しています。



もしあなたの状況が混乱していたら、そこにはまりこんでジタバタしないことです。

なぜなら混乱しているのは状況ではなく、自分の心だからです。


そんなときは、問題の傍らに座り、ただじっと混乱が静まるのを待つのです。




(BGM)

♪ わたし待~つ~わ、いつまでも待~つ~わ


失礼しました。




その待つことが瞑想です。


野原を流れる清らかな小川を、ジープが横切って川の水が汚れてしまったとき、その汚れを綺麗にしようとして、川に入ってバシャバシャかき回せば、よけいに濁ってしまいます。


岸辺に座って、ただじっと待つこと。

そうすれば自然に泥は沈殿し、もとの澄んだ流れを取り戻すことができます。


多くの人の人生が、瞑想によって健全さを取り戻しているのは、当然の話です。

古今東西のブッダたちも、異口同音に瞑想の大切さを謳ってきました。



瞑想は無用の用です。

実利主義のマインドから見れば、まったく役立たずの非生産的な行為でしょうが、生をシンプルにするためには、最も大切な行為です。


それは行為ともいえません。

無行為なのです。


その無行為の先に祈りがあります。

それは、彼方なる静寂から湧き上がってくる大いなる歓喜です。

祈りとは、神(全体)との交感(コミュニオン)なのです。


交信(コミュニケーション)と交感(コミュニオン)の違いは何でしょう。


コミュニケーションは個と個の関わりですが、コミュニオンはひとつに溶け合っています。

そこに分離はありません。


神に祈るのが祈りではなく、神と溶け合う歓喜が本当の祈りです。

それは、瞑想がさらに深まった状態です。

その境地に達すれば、ことは自然に起き始め、すべてはうまく流れ出します。


生は極めてシンプルで、美しさにあふれていることを見出すことでしょう。




素敵な日曜日をお過ごし下さい。





この情報が多くの人の目に触れますように。

クリック協力をよろしくお願いします

   
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すずきさんのコメントです。 どうにもこうにも納得がいかない思いがあります。 生まれてもうすぐ37年、運命的な出会いもなく、ただ寝て起きて飯を食って働くだけ。 そこには運命の出会いとは程遠く、ただいたずらに毎日を送っています。 これも自分自身が生 ... 続きを読む
すずきさんのコメントです。



どうにもこうにも納得がいかない思いがあります。

生まれてもうすぐ37年、運命的な出会いもなく、ただ寝て起きて飯を食って働くだけ。

そこには運命の出会いとは程遠く、ただいたずらに毎日を送っています。

これも自分自身が生まれる前からそうなるように決めて出てきたというなら、あまりに酷な出来事のように思えてなりません。

これも事が起きているということなのでしょうか?

皆同じ一つなのだから人生の勝ち負けなんてあるわけないのは理解しています。

今すぐに選べるものなら選びたい。

『素敵な女性が現れ、俺の運命は劇的に変わる』と。

家から職場を徒歩でちょこちょこ往復するだけの人生にはもうこりごりです。

体があちこち痛いのです。
疲れているのです。
ずっとゆっくりしたいのです。
何にも縛られない時間が欲しいのです。

たぶんこれは自我なのでしょう。そうとられても構わない。

でも今確かに俺の思いはそうなのです。

どうにもならない自分が悔しくて仕方ありません。





このコメントには心の叫びがあります。



世の中は、あまりにも実利主義に陥り、役に立つことばかりを強いてきたように思います。

なにもしないでいると、「何をやっているんだ。時間を無駄にしてはいけない。仕事をしなさい。部屋を片付けなさい。少なくとも何か役に立つことをしなさい」


子供が遊んでいると、多くの親はこう言います。

「勉強しなさい。宿題は終わったの?」


学校を出たら働いて、いっぱしの人間になって、会社や社会の役に立って、人に恥じない生活を送る、それが人の生きる道だと、いい聞かされてきました。

ほかの人の生活と比べ、少しでも豊かであること、少しでもより幸せそうであることを目指してきました。

みんなが同じ道を歩いているので、誰もそのことを疑いません。

それが、常識です。



僕はみなさんに、非常識を勧めます。


役に立たない人でいましょう。

役に立たないことをしましょう。


どこかに向かうために歩くのではなく、ただ歩くのを楽しむために歩くのです。

誰かに見てもらうためではなく、ただ楽しむために絵を描くのです。

公園のベンチに座って、何もしないその時間を楽しむのです。


社会の人が来ていいます。

「馬鹿なことをするな。時は金なりだ。なぜ人生を無駄にするのだ」



このような人は、時間をお金に換えることが、価値のあることだと信じています。

そうやって口座の残金を増やし、そして死ぬときは、ただ通帳に数字が並んでいるだけです。

内面はカラッポ。

だって、楽しむことを後回しにして、自分を犠牲にして生きてきたからです。

遊ぶことさえも、また翌日に働くための、骨休めだったのですから。


そのような生き方を正しさとして強いてきたことで、多くのすずきさん現象を生み出してきたような気がします。

まじめであるがゆえに、生きる道を狭くしてきてしまったのではないでしょうか。



異性との出会いも、実際にはいろんな可能性があったかもしれません。

でももし誰かとめぐり合い、結婚したとしても、内側で同じような価値観を持っていたとしたら、やはり時間の問題で無意味感を抱え、仕事場との往復の日々が始まったことでしょう。

家族への責任が増えた分、いまよりもっと自分を追い込むかもしれません。



いまの世の中に自殺者が絶えないのも、偏った人生観が刷り込まれた結果のような気がします。

生きるということを、あまり実利的に捉えない事。

もっと遊び心を持って生きてみませんか。

 
なんだっていいじゃないですか。

全部捨て去って旅にでも出てみませんか。


「随(かんながら)神」の物語に書いたように、天河に旅をして、無報酬で神社に奉公したのは、鈴木さんと同じ年齢の頃でした。


無責任に聞こえるかもしれませんが、それでも人生は何とかなるんですよ。

なんともならなければ、なんともならないなりに、何とかなるんです。

すくなくとも、閉塞感の中で、たくさんの義務感に苛まれて生きるよりは、ずっとマシです。


安全なロボットになるより、冒険する人間でいたいと思います。




あっ、それから、最後にもう一言。

すずきさんは言います。

『素敵な女性が現れ、俺の運命は劇的に変わる』


でもね、そんことは起きないんですよ。

確かに、誰か素敵だと思う相手に出会うことはあるかもしれません。

でもそのことが幸せをくれるわけではありません。

一人でいるときに心に問題を持っていたら、二人になったら問題が二倍になるだけです。



とは言うものの女性とは出会いたいですよね。

いくらでも道はあると思うけどな。

そういうことなら、たくさんご指導できるかも(笑)



もっと人生を遊んでみませんか。

閉塞感をふきとばして、自由な空の下で羽ばたいてみませんか。

世界は色彩に満ちています。

世界全体を家にしてみませんか。

ヒッピーも捨てたもいんじゃないですよ(経験者は語る)


会社を辞めることを奨励しているのではありません。

何をするにせよ、心の持ち方が大切だということです。




なんだかとりとめのない文章になってしまいましたが、すずきさんにメッセージを贈りたいと思いました。






今日もここに来てくれてありがとうございました。




このブログに何かを感じてくれたら、下のボタンを押してください。

   




・・・・・・・・・・・




いまここ塾東京は、満席のため受付を〆切ました。

次回は7月19日(海の日)です。

来週に入ったら受付を開始します。


なお、8月1日から9月中旬まで、集中瞑想に入るので、活動はお休みします。
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僕達を生かしている源は一つでも、その源が現象界に表現される時、何一つとして同じ形がなく、しかも一度たりとも繰り返さない、無限の変化を続けています。 それは、僕たちの想像をはるかに超えた神秘です。 今回のテーマは、そんな独自性を見るのに、とても適して ... 続きを読む
僕達を生かしている源は一つでも、その源が現象界に表現される時、何一つとして同じ形がなく、しかも一度たりとも繰り返さない、無限の変化を続けています。

それは、僕たちの想像をはるかに超えた神秘です。


今回のテーマは、そんな独自性を見るのに、とても適していたと思います。

一人ひとりに独自の考えがあり、そのどれもが真実を含んでいるからです。



人間関係は人生そのものです。

僕達が人生と呼んでいるストーリーの多くは、いつ誰と出会ったかということから生じています。

まさにこの世に生まれてきたのは、人間関係を通して、喜び、そして悩み苦しむためだと思います。

その結果、自らの本質を知り、愛(神)に至るのです。


昨日のみなさんのコメントを読んで思いました。

こんなに素晴らしいコメントをくれるブログを、他に知らないなと。

自慢、自慢( ̄▽ ̄)






さて、それでは、Saiさんの質問への答えです。

これが唯一の正解と言うのではなく、ひとつの考え方だと思って聞いてください。


僕はこう考えています。

やはりぜんぶ決まっているのではないかと。


出会いも、別れも、そのタイミングも、全ては人間の認識を超えた、大きな計らいの中での遊戯だと思います。


だからと言って、僕たちが単なる操り人形というわけではありまん。

その脚本家も、人形使いも、究極的には自分自身だからです。

僕たちは、いったん忘却した自分の本当の姿を再発見するために、完璧なシナリオを用意して、悠久の時の中を生かされているのです。



それでは、運命の人はいるのか。

もちろんです。

いまもすぐ近くにいます。

その人との間柄がどうであれ、その人が運命の人です。

この地上でのたった一つの使命(それは自分自身を知ること)を果たすため、様々な役割を演じることで、心を刺激してくれる、掛け替えのない存在です。



自分自身の究極の姿を知るにいたったとき、存在の真理に再び帰り着いたとき、人は自分の人生の精妙なる仕掛けに感嘆し、涙を流すことでしょう。

そして、人生で出会ってくれた、あらゆる人たちに感謝します。

感謝とは、そのとき自然に湧き上がって来る、高い意識の一側面です。


この世に何一つ偶然はなく、何一つ無駄もなく、すべては自己の目覚めのために天が用意した、大いなる計らいです。


そうなると僕たちにできるのは、いま目の前の人、何故か出会ったその人に、心を込めて接することだと思います。

たとえ毎日会っているその人にも、今日が最初で最後の如く、一期一会の精神で接していたいものです。


だって、すべての人は、自分に与えられたプレゼントなのですから。




今日もここにきてくれて、ありがとうございました。


そして、多くのコメントありがとうございました。





これからも応援よろしくお願いします。

   
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今日もここに来てくれてありがとう。 この宇宙には、ひとつの存在しかなくて、それがあなたを通して、僕を通して、こうして物質界に現れている。 そのひとつなるものを「この人」と呼んでみました。 「この人」が、あらゆる現象を作り出している大元です。 つ ... 続きを読む
今日もここに来てくれてありがとう。


この宇宙には、ひとつの存在しかなくて、それがあなたを通して、僕を通して、こうして物質界に現れている。

そのひとつなるものを「この人」と呼んでみました。

「この人」が、あらゆる現象を作り出している大元です。

つまるところ、この世には『大いなるひとつ』しか存在していません。



でもそうなるとなんかちょっと変。




Saiさんから、こんな質問が寄せられました。



「この人」しかいないのに、ひとりの異性に対しての、

「この人がいてくれないと、生きていけないっっ!」

という、圧倒的で絶対的なこの気持ちは一体…

なんでこういう気持ちが発生するの?






真実は一元的には言い切れなくて、常に多次元にわたる理解と回答があり得ます。


僕たちは、ひとつの大いなる魂の分霊なのに、縁や宿命的な出会いって、いったい何なのでしょうか。


あなたはどう考えますか。


それとも、そんな縁や宿命も、思考が作り出した幻想でしょうか。



今日もまた、みなさんの考えを聞かせてください。

正解の当てっこではなく、「自分はこう思う」という意見をお待ちしています。






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