かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2010年09月

結局のところ、自分がすでに悟っていることを認めるかどうかだけの話。 それを妨げているのは、いまの自分ではまだ十分ではないという感覚だ。 こうして書いている記事も、単なる方便(嘘ってことじゃないよ)で、所詮は言葉にできないことを、いろんな角度から書い ... 続きを読む
結局のところ、自分がすでに悟っていることを認めるかどうかだけの話。

それを妨げているのは、いまの自分ではまだ十分ではないという感覚だ。


こうして書いている記事も、単なる方便(嘘ってことじゃないよ)で、所詮は言葉にできないことを、いろんな角度から書いている。

「さとり」という言葉があまりにも大げさになっているけれど、元々そうであったところの自分を再発見するという、この世で一番当たり前の出来事に過ぎない。

すべての人に最初から与えられているものを見つけただけなのだから、自慢するようなこともなにもない。

それは、あまりにも簡単すぎて見落としている何かだ。

人間の脳は、ほんの少しでも難しくないと理解できない。

簡単すぎると、脳がキャッチできないんだ。


「な~んだ、そうだったのか」

これが目覚めの瞬間の共通感覚だ。



25年間、同じ事を言い続けてきたけれど、だからこそ時代が変わってきたことを実感している。

あふれる情報の中にも、正確に「それ」を表しているものが増えてきた。

もちろん、いまも危うい情報は数限りなくある。

でも、その中から的を射た方向を捉える能力が、多くの人に芽生えてきたことも事実だ。


「それ」を見た者は、「それ」を伝えることだけが自分の使命だと感じることだろう。

「それ」は、思想でも哲学でもなく、究極の自己を知ることで新しい人類の文明を創り出して行く、唯一無二の体験だ。


それは理屈ではなく、体験なのだ。

いままでも完璧だったし、これからも完璧でしかありえないという体験だ。

そのとき初めて、人の意識が未来志向から「いまここ」に帰って来る。

その理解の絶対数が、ある一定の数に達したとき、世の中の仕組みがひっくり返る。

恐れからではなく、愛を基盤にした文明が始まっていく。


そのためには、突出した指導者も、霊能者も、聖職者も必要ない。

個々が目覚めていけるという可能性を示せれば、それで十分だ。



「私はさとった」などという宣言が、どれほど愚かで、恥知らずな行為かということも、いやというほどよくわかっている。

これまでにも、多くの反発を招いてきた。


でも、そんなことはどうでもいい。

見たい人は見たいように見ればいい。


自分が砂浜の中の、ごくありふれた一粒の砂に過ぎないことを認めたとき、怖いものがなくなっていく。

しかもそれを認めたとき、同時に、その砂粒の中に宇宙全体が含まれていることを見る。


あなたにも、何ら特別なものなどない。

自分の特別さの一切が消えたとき、真の特別さが顔を出す。

それは宇宙という名の、神という名の、真理といいう名の、超特別な存在だ。

そしてそれこそが、本当のあなただ。

すべての人が特別ゆえに、この世に特別な人など存在しない。



これは直感でしかないけれど、目覚めの連鎖が最初に始まるのは日本だと思う。

選民思想的で低俗な発言に聞こえるかもしれない。

人間というのは、どの時代に生きていてもその時代が特別だと感じてきたし、どの国の国民も自分の国は特別だと思っている。

そんなことは百も承知で、それでも目覚めの連鎖は日本から始まると感じている。



人類がこのまま、機能不全を振りまきながら破壊的な文化を続けるか(その結末は明らかだが)、それとも個々が目覚めることで、まったく新しい文明を築きあげるか、我々がその岐路に立たされていることだけは間違いない。




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同じ志を持つ雲 黒斎クンとの沖縄コラボ講演会が近づいてきました。

10月9日(土)14時開演

浦添市てだこホール市民交流室(最大定員300名)

お申し込みはコチラから。


僕の10月のソロ講演会は

博多 10月10日

広島 10月11日

新潟 10月24日


詳細は上記都市名をクリックしてください。

(東京・大阪は満席です)

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急遽、ボブ・フィックスさんの来日が決まりました。 ボブさんは40年前に啓発に至り、とても深い理解をもって存在全体を見ているマスターです。 彼は、人がどうやってエンライトメント(目覚め・さとり)に達するかということを、科学的に説明できる数少ないひとりで ... 続きを読む
急遽、ボブ・フィックスさんの来日が決まりました。

ボブさんは40年前に啓発に至り、とても深い理解をもって存在全体を見ているマスターです。

彼は、人がどうやってエンライトメント(目覚め・さとり)に達するかということを、科学的に説明できる数少ないひとりです。



いま地球規模で目覚めの連鎖が始まっていて、日本が大きな役目を果たすという点で、僕と考えが一致しています。

僕たちはとても縁があるようなので、二人でコンビを組むことで、この日本にエンライトメントプログラム(仮称)を立ち上げようと考えています。

その前祝(?)を兼ねての来日です。

今回は二人のコラボ講演会を、東京・名古屋・大阪・沖縄で開催します。




そんなわけで、今日はやることが山積で、ゆっくりブログが書けません。


また明日お会いします。


今日もいい日でありますように。




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昨日のコメントで誰かが言いました。 「たとえ起こることが予め決まっていたとしても、私たちには先のことはわからないのだから、決まっていないのと同じだ」と。 まさにそのとおり。 僕もまったく同感です。 全てが予め決定されていたというのは、時空 ... 続きを読む
昨日のコメントで誰かが言いました。


「たとえ起こることが予め決まっていたとしても、私たちには先のことはわからないのだから、決まっていないのと同じだ」と。


まさにそのとおり。

僕もまったく同感です。



全てが予め決定されていたというのは、時空を超えた宇宙意識に触れたときに理解することです。

それをこの世の言葉に置き換えると、様々な誤解や弊害があります。

決定されているならと、自堕落になったりもします。

しかしこの言葉は、未来に対してではなく、過去に対して使うべき言葉です。



起きた出来事は、最初からそうなることに決まっていて、ほかの可能性は一切なかったとしたら、あーすればよかった、こーすればよかったというのは、まったく的外れな未練になります。

起きたことを起きたこととして潔く認めることによって、後悔や罪悪感の中で時間を浪費することを止めることができます。



まさにそのことを、釈迦は「タタータ」と言いました。

「起こることが起こる。それ以外は決して起きない」と。


この単純な事実を認めることは、生きる上でとても大切なことです。

決定論はそのように使うものだと考えています。




これからのことは、「わからない」というのが誰にとっても真実です。

たとえ全てが決まっていたとしても、僕たちはゲームを楽しむことができるのです。

人生のスリルを、十二分に味わって生きることができます。


しかも、すべては移り変わっていきます。

悩んでいる暇なんかありません。

顔を上げて、新しい瞬間を生きてみましょう。



大丈夫ですよ。


何があっても大丈夫。

どこまで行っても、何があっても、いつだって、誰だって、気がつけば神の手のひらの上ですから。




ほら、いまもね(^o^)





   
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この世に起こることの全ては、あらかじめ決定されていたという感覚はないですか。 僕は心底そう思っています。 今日はそんな立場に徹して書いてみます。 ただし、真実は言葉で表せるような平面的なものではなく、多くの相矛盾する要素がひとつになって、それが同時 ... 続きを読む
この世に起こることの全ては、あらかじめ決定されていたという感覚はないですか。

僕は心底そう思っています。

今日はそんな立場に徹して書いてみます。

ただし、真実は言葉で表せるような平面的なものではなく、多くの相矛盾する要素がひとつになって、それが同時に起きているという摩訶不思議な世界だということも伝えておきます。


・・・・・・・・・・・・


いまこの時間にPCに向かい、どの順番でキーボードのキーを打つのかは、最初から決まっていた。

そしていまこの時間に、あなたがこの文章を読むことも完全に決まっていた。


自我は自由意志だと主張するが、自我が何を叫ぼうが真実は変わらない。

何一つ偶然はなく、何一つ無駄もなく、ただ起きることが起きている。



あなたがいつ目覚めるのかも100%決まっている。


昔、そのことを考えたことがあった。

もし人の目覚めのタイミングがすべて決まっているのなら、目覚めを促そうとしてメッセージを送るこのような行為に、何の意味があるのかと。


そして気がついた。

このメッセージを送る行為も、そのタイミングも、誰がここに触れるのかもすべて決定している。

ここに触れた人が、ここから何を読み取るのかも決まっている。

その理解が、その人の目覚めにどれくらいの影響を与えるのかも全部決まっている。



もっとも、あらゆる出来事が人の目覚めに貢献している。

あなたに訪れた愛も憎しみも、喜びも悲しみも、そのすべては目覚めのために必要不可欠な要素だった。

逆の言い方をすれば、あなたの現実に起きないことは、あなたの目覚めに必要がないから起きていないだけの話。



人との比較は無用だ。

宇宙の筋書きは完璧で、失敗はありえない。

あなただけが忘れられることも、置いてきぼりくわされることもない。

いままでも、いまも、そしてこれからも、完全にうまくいっている。

神に誓って宣言しよう。

いまあなたの人生が、どのような局面を迎えていようと、それで完璧にうまくいっている。

たとえ死んだとしても、それは変わらない。

地上目線から離れて、全体を見通せる宇宙的視野に立てば、このことが真実だとわかるだろう。



このメッセージを聞いて、


「なんだ、決まっているなら何もする気になれない」

と言って目の前のチャンスを放棄するか、


「たとえ決まっているとしても、やることをやるだけだ」

と言って思い切り生きるか、


どちらも結局は決まっているのだとしたら、あなたはどちらを選ぶ?



僕なら、思い切り生きることを選ぶ。

どうせ決まっているなら、思い切り生きることに決まっていたほうがいいから。



思い切りとは、あーじゃ、こーじゃの思いを断ち切ること。

無心になって生きること。

それが、「思い切り」


思い切り生きて、思い切り死んでいく。

そんな人生を生きたいものです。



急な話ですが、東京に居を構えて、沖縄と半々で暮らすことにします。

5日前に突然、「そうしよう!」と思い立ち、部屋を探したら、心に描いたとおりの部屋がすぐに見つかり、来週から入居することになりました。

麻布の閑静な住宅街の一角にあります。


20年ぶりの東京、これも決まっていたというのが、いまの心境です。




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明晩は沖縄中城村でいまここ塾

明後日は水曜の会です。

今週の水曜の会は、僕ではなく智子さんによる瞑想会です。

今回は瞑想伝授を終了された方のみの対象となりますので、よろしくお願いします。
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昔、レコードプロデューサーをしていたころのお話です。 多くのアイドルの楽曲を担当しましたが、いまでもよく覚えている一曲に「チェックポイント」という曲があります。 レコードプロデューサーの仕事とは、楽曲のコンセプトを決め、作詞家・作曲家・編曲家と打ち合 ... 続きを読む
昔、レコードプロデューサーをしていたころのお話です。

多くのアイドルの楽曲を担当しましたが、いまでもよく覚えている一曲に「チェックポイント」という曲があります。

レコードプロデューサーの仕事とは、楽曲のコンセプトを決め、作詞家・作曲家・編曲家と打ち合わせをし、歌唱指導をして、レコーディングの全責任を負うというものです。

裏方ですが、完成したときの満足度は一番大きいかもしれません。


この曲は、TBSドラマ「毎度お騒がせします」の後番組で注目された「夏・体験物語」シリーズの主題歌でした。

前作の「夏・体験物語」は中山美穂さんの初主演、初主題歌でヒットし、その曲のプロデュースを担当したことから、続編も担当することになりました。

しかしこちらは、前評判とは裏腹に、番組も主題歌もあまりパッとしませんでした。

大きなヒットにはなりませんでしたが、この曲は一番長い時間スタジオに缶詰になって制作した思い出深いものです。


新人の藤井一子さんは、歌うのも初めてで、音程をキープするだけでも膨大な時間がかかりました。

いまのように、ピッチコントローラーがない時代ですので、たくさんのトラックに歌を収録し、ピンポンという手法で、トラックを切り替えながら、ひとつの歌にしていきます。

たとえば、「♪ 恋愛ルールを~」という箇所では、「れんあい」の「れん」だけを第1トラック、「あい」を第2トラック、「ルールを~」が第3トラックを使用するという具合です。


ちょうどテレビがステレオ放送になったばかりの時代だったので、イントロをアレンジして左右に音を振り分けました。

そのイントロが出来たとき「やったー!」と思いましたが、周囲の評価はそれほどでもありませんでした(笑)

いま聴いても斬新だと思うんだけどなあ。


当時の僕の汗と努力の結晶を聴いてくれる人はコチラからどうぞ。

埋もれてしまった思い出の楽曲を、こうして多くの人に紹介できる時代がくるとは思いませんでしたが、いま僕はかなり喜んでいます(^o^)



さて、本題です。

僕にも日々のチェックポイントがあります。


ふと立ち止まり、自分の状態をチェックします。


基準はふたつ。


「深刻さ」と「優しさ」です。


深刻になっていないか、優しさを忘れていないか。

それだけです。


ひとつのことを突き詰めて考えているときなどは、つい深刻になりがちです。

それは結果を心配しているときに起きます。

そうなると、プロセスを楽しめません。

失敗がないように、気を配り、視界も狭くなっていきます。

実際には結果を作り出すのは自分ではなく全体の流れなのですが、その全体を自分がコントロールしようとするのです。

そこに深刻さが生まれます。



反対に、やっていることが結果志向ではなく、プロセスそのものを楽しむときには、そこには遊び心と空間が生じます。

そんな心境で事にあたったほうが、結果が良くなることが多いのは皮肉な話です。



これは人生そのものにも言えます。

人生がどこかに向かう旅だと考えて、結果志向になった場合、人生全体が深刻になります。

ゴールにたどり着くためには、たくさんの「・・・ねばならない」を生きることになります。



しかし、いまを生きるという態度に徹して、結果は天にお任せという心境に達すれば、余計なストレスから解放されて、生きる事が容易になります。

そうやって力が抜けた分、優しい気持ちになることができます。

その優しさこそが、幸せではないでしょうか。


いつか幸せになるために奮闘する姿勢から、いま幸せであることでよりよい結果に結び付けていく・・・というよりも、いま幸せである事がすでに「結果」であるという生き方です。



今日も深刻さを捨てて、優しい気持ちで生きたいと思っています。




新宿副都心のホテルにて。




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タイでの長期瞑想のためにお休みしていた講演会ですが、この一週間で名古屋、長野、大阪と3ヶ所を回らせてもらいました。 そして明日は東京です。 僕には繰り返し伝えていることがあります。 なぜ繰り返し伝えるかといえば、何度伝えても、人はそれを忘れてし ... 続きを読む
タイでの長期瞑想のためにお休みしていた講演会ですが、この一週間で名古屋、長野、大阪と3ヶ所を回らせてもらいました。

そして明日は東京です。



僕には繰り返し伝えていることがあります。

なぜ繰り返し伝えるかといえば、何度伝えても、人はそれを忘れてしまうからです。


だから何度でも何度でも伝えてきましたし、これからも伝え続けていくことでしょう。




それは、

「あなたはあるがままでOKだ」ということです。




この一言が自分の存在を貫いたとき、その人は根底から変化します。

見せ掛けの自分が音を立てて崩れ、本来あるところの真実の自分が顔を出します。



多くの人はすでに、あるがままという状態さえ忘れています。

常に「あるべき姿」を生きているからです。


僕たちは、どれだけ多くの「・・・べきだ」や「・・・ねばならない」を生きてきたことでしょう。

幼少のころから、多くの理想を持たされてきました。

いまの自分ではまだ十分ではない、もっと強くならなきゃ、もっと立派にならなきゃ、もっと優しくならなきゃ、もっといい子にならなきゃ・・・


それが僕たちの内面に分裂を引き起こしました。

「あるがままの自分」と、「あるべき自分」です。


いちど「あるべき自分」を抱えてしまうと、決して「あるがままの自分」を受け入れることができません。

なぜなら、「あるべき自分」という態度そのものが、「あるがままの自分」であることを否定する立場から生じているからです。



それは生活の中の、様々な瞬間に影響を与えています。

自分が何をしたいのかではなく、何をするべきかが重要になってしまいます。

一日中、どうするべきか、どうあるべきかばかりを考え続けることになります。

そうやって、本当の自分を見失ってしまうのです。



でも大丈夫です。

どんなに見失っても、自分はどこにも行かないからです。

いつだって「いまここ」にあります。


ただ自分の思いが、理想という未来に出かけていただけです。


僕たちがどんなに多くの理想を自分に対して持とうが、いつだって自分は自分でしかありません。

実際にはいままでも、本来の自分以外であったことは一度もありません。

ただ外側の思いが理想の自分をイメージし、外側の行動がそれを演じていただけです。

それでも内側には、いつだってあるがままの自分がいました。


自分は自分以外には成り得ないという、シンプルな真実を心の底から受け入れたとき、自己の分裂がなくなります。


そして自分とひとつになります。



この統一性こそが、神との一体感に向かう第一歩です。

それは、幻想(未来)からリアリティー(いま)にシフトしたときに起こります。



そのとき「あるがままの自分でOK」という言葉が、極めて当たり前の真実を告げていたという事がわかることでしょう。




これからも同じことを、違う言葉で伝え続けていきます。






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雲 黒斎 彼のことを知らない人のために、彼を紹介してみよう。 彼は精神世界の人気ブロガーだ。 言葉で表すことが難しい世界を、とてもわかりやすく説明し、しかも読者に知的満足感を与える。 「うん こくさい」と読む。 スペースをカットしてしまうと ... 続きを読む
雲 黒斎

彼のことを知らない人のために、彼を紹介してみよう。



彼は精神世界の人気ブロガーだ。

言葉で表すことが難しい世界を、とてもわかりやすく説明し、しかも読者に知的満足感を与える。


「うん こくさい」と読む。

スペースをカットしてしまうと、とんでもないことになるが、これが彼の名前である。

名前の由来は、彼が伝える世界が、社会的にはまだ「ウサンクサイ」ものと見られがちなので、そのまま「ウサンクサイ」が「ウンコクサイ」になったものだそうだ。

ウサンクサイという、あまり芳しくない言葉をもじって、そのまま名乗ってしまうところが、また彼という人をよく表している。



僕が彼のブログを知ったのは4年前で、実際に会ったのは一昨年の暮れだから、それほど時間がたっていない。

その2ヵ月後には沖縄に招待して、コラボ講演会をやってもらったのだから、僕は会ってすぐに彼を好きになったのだと思う。


その講演会は、彼にとって初めての講演だと聞いていた。

当日、観衆は超満員で、熱気もムンムンしていた。


そんな中、さすがに緊張している姿が、楽屋にあった。

僕はいままでにもそのような人を相手に、トークを重ねてきているので、その日も心配はしていなかったし、自分の役目もわかっていた。


ところが始まってみると、確かに少し緊張してはいるものの、物怖じすることなく、自分が伝えたい世界をズバズバ言葉にしていた。

しかもとても力強く、迷いの無い言葉たちだった。

なぜそれができるかの理由はひとつしかない。

彼は知識を喋っているのではなく、紛れもなく彼自身の見性体験(目覚め体験)を喋っているのだ。


僕の予想は、いい方向に外れた。

僕ももう少し話したかったが(笑)、それ以上に彼に感心していた。

初めての舞台でここまでできるというのは凄いことだ。


それからは各地でご一緒してもらった。

その模様はDVDにもなっていて、本屋さんで見かけることもある。

(紹介はコチラから)




さて、もうひとつ彼には才能がある。

本を書くだけではなく、その編集から装丁まで、すべてを一人でこなしてしまうことだ。

しかもその出来は、プロが唸るほどのクオリティーがある。

デビュー作の「あの世に聞いた この世の仕組み」も素晴らしい本だが、この先ますます目が離せない人だと思う。



いま彼はブログ上で小説を書いている。

死んでからのことを面白く描きながら、それだけではない大切なメッセージを伝えようとしている。

僕も更新を楽しみにしているひとりだ。

興味のある人はコチラから。



そうそう、スターピープルという季刊誌に黒斎クンと僕が同時に紹介されている。

彼はまだ素顔を公開しておらず、その写真も後姿だ。

ああいう紙面で見るとまた新鮮な気持ちがする。



彼と連載している、怪しいオヤジの交換日記「阿雲の呼吸」は、微妙に盛り上がりを見せないまま、なんとなく続いている。




とにもかくにも、いい友人が出来たと喜んでいる今日この頃です。





このブログもよろしくお願いします。

   



・・・・・・・・・・・・・・



黒斎クンとのコラボ講演会は、年内に3本予定しています。


沖縄 10月9日(土)

東京 11月13日(土)

大阪 11月14日(日)


現在は沖縄だけの受付ですが、東京、大阪も早期に受付開始します。

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