かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2010年12月

みんなで警戒心を解いて、みんなで心を開きあえたらいいな。 隠してきたすべてを白日の下に曝け出せたらいいな。 そしたらみんな思うことだろう。 「な~んだ、君も僕と同じだったのか」 自分のことも人のことも愛せなかったし、信じることができなかっ ... 続きを読む
みんなで警戒心を解いて、みんなで心を開きあえたらいいな。

隠してきたすべてを白日の下に曝け出せたらいいな。


そしたらみんな思うことだろう。


「な~んだ、君も僕と同じだったのか」



自分のことも人のことも愛せなかったし、信じることができなかった。



心を開けなかった。

もし信用して開いたとして、また裏切られるようなことがあったら、こんどこそ立ち直れないと思っていたから。



だから閉じていた。

石の様に閉じていたんだ。



「な~んだ、君も僕と同じだったのか」





きっと僕たちは、存在の奥にある真実を忘れてしまったのだろう。


それは無条件の愛。

僕たちは誰一人例外なく、存在しているというだけで無条件の愛の中にいる。



そんな真実から分離して久しいので、この言葉を俄かには信じられないかもしれないけれど、それでも伝えておこう。


いまのいままで、あなたが何をしてきたとしても、あるいは何もしてこなかったとしても、そんなこととは関係なく、あなたは無条件に愛され祝福されている。


たとえ今日まで、どんな恐ろしい考えを繰り返してきたとしても、愛を忘れ、人を恨み、人を責め、自分を責めてきたとしても、そんなこととは関係なく、あなたは無条件に愛され祝福されている。


たとえ過ちを犯し、社会から罰せられたとしても、天はあなたを100%許している。

僕たちが犯罪を憎み、彼らが許されるなんて受け入れられないと主張しても、そんなこととは関係なく、あらゆる人は無条件に愛され、許され、受け入れられている。


経済的に破綻していたとしても、社会から落伍者扱いされていても、そんなこととは関係なく、その人は無条件に愛され祝福されている。


人が怖くて部屋を出ることができず、ずっと一人で何もせずに暮らしていたとしても、そんなこととは関係なく、その人は無条件に愛され祝福されている。



僕たちが、何かをした結果ではなく、自分の存在そのものに限りない価値があることを知ったとしたら、そのとき救済が起こる。

無尽蔵の愛が、シャワーのように全身に降り注いでくる。

一方で、心の底の底から、味わったことがないくらいの感謝が湧き出してくる。

この宇宙の仕組み、自分という存在の素晴らしさ、仕組まれていた完璧なシナリオ、そのすべてに圧倒されて、畏敬の念を持つことだろう。


その体験が「神」だ。



あなたに降り注いでいる無条件の愛と祝福を、心を開いて受け取ることができますように。

この祈りを、今年の最後とさせてもらいます。





今年も一年お世話になりました。


よい年をお迎えください。




あなたと同じ存在の、一人の男より。



   

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自分の過去について2つのストーリーを書いてみましたが、その気になればまだ幾つでも書けそうです。 そのどれもが事実を基にしていますが、そのどれもが真実とは掛け離れています。 真実は、常にいま、あるがままの現象が起き続けているというだけで、その現象を自分 ... 続きを読む
自分の過去について2つのストーリーを書いてみましたが、その気になればまだ幾つでも書けそうです。

そのどれもが事実を基にしていますが、そのどれもが真実とは掛け離れています。

真実は、常にいま、あるがままの現象が起き続けているというだけで、その現象を自分本位に捉え、解釈し、つなぎ合わせてストーリーにして、「人生」と呼んでいます。

人生物語をリアルに感じるのは、一コマ一コマに感情が伴っているからです。


その感情の多くはネガティブなものです。

後悔、怒り、罪悪感、罪責感、非難、恥じなどです。

自慢話のようにして書いた半生記も、その背景にあるのは密かな劣等感です。

劣等感がなければ、あのような自慢話は書けません。


僕たちの自我はネガティブな感情を駆使して、意識を過去という幻想につなぎとめようとします。

そして痛みの世界を維持させるのです。

なぜならば、自我はその痛みの中でしか存在できないからです。


未来も同じです。

未来とは、満たされなかった過去の反影で、いつの日か全てに満たされた状態を達成しようという期待です。

期待は、それと同じ大きさの心配を有し、幸せな気持ちにはなれません。


そして、いつかいつかと言いながら、「いま」という唯一の時を、未来の幸せのための道具にしてしまうのです。



幸せは未来にはありません。

というより、未来そのものが存在していません。

これからもずっと「いま」があるだけです。


「いま」の中に幸せがあります。

幸不幸を超えた、至福という名の幸せです。

至福とは、僕たちの存在に初めから備わっている本性です。

それは忘れられたままですが、失われたことはありません。



時には過去の思い出に浸って懐かしむのもいいでしょう。

自分をヒーローにしたり、悲劇の主人公にしたりするのも面白いものです。


時には未来の夢の中に遊ぶのもいいでしょう。

でも問題は、僕たちがほとんどの時間をそこに費やしてしまうことです。



このようなブログを毎日読んでも、あなたが「いま」を実践しないかぎり何にもなりません。


こうして勉強して、いつか目覚めるんだというその姿勢が、目覚めを遠ざけています。

目覚めはこの文章の中にあるのではなく、あなたが座っている椅子の感触の中に、遠くで聞こえる物音の中に、無意識に繰り返している呼吸の中にこそあります。


それらに意識を向ければ、それが「いま」です。


今日も一日、何度でも何度でも「いま」を意識してみてください。

それは絶え間ない練習を要しますが、やりがいのあることです。


瞑想を実践している人は、空(くう)の状態がそれです。

その感覚を日常の中で生きるのです。



そんな地道な努力の中で、ある日突然、さらに奥にある純粋意識が顔を出します。

「ワンネス」と呼ばれる次元の意識です。



それはどこかにあるのではなく「いまここ」にあります。




ああ、なんてじれったいんだろう。


「いまここ」にあると言うのに。







気が向いたときに押してあげてください。


   



・・・・・・・・・・・・・・・・




沖縄の皆さんにお知らせです。


1月8日のライブコンサートですが、申し込んで都合が悪くなった方は、なるべく早くお知らせください。

キャンセル待ちの方がたくさんいますので、よろしくお願いします。



いまここ塾は1月4日、水曜の会(瞑想会)は1月5日。

どちらも那覇市てぃるるで19時半からです。

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昨日は自分の半生を綴ってみました。 暗い側面からだけ書いたので、今日は明るい面から書いてみます。 ほとんど自慢話です(笑) 人生を振り返ってみると、病気らしい病気をしたこともなく、怪我もなく過ごしてきました。 当時の僕を知る人は皆、明るく ... 続きを読む
昨日は自分の半生を綴ってみました。

暗い側面からだけ書いたので、今日は明るい面から書いてみます。


ほとんど自慢話です(笑)




人生を振り返ってみると、病気らしい病気をしたこともなく、怪我もなく過ごしてきました。

当時の僕を知る人は皆、明るく元気な少年だったと言うことでしょう。


紙に書いたピアノ鍵盤の横には、当時誰も持っていなかったレーシングカーセットの高速レーンが部屋いっぱいに広がっていて、いつも友達でごった返していました。

みんな僕のことが好きだったわけではなく、オモチャ目当てでした。

生意気だったし嫌われていたはずですが、僕は気にしていませんでした。



中学の頃は、下級生の女子達からしょっちゅうラブレターを貰っていました。
(うわっ、イヤな奴!)


スポーツをするのは嫌いでしたが、足だけは速く、高一で陸上部にスカウトされ、一年のときは100mが11秒8の成績でしたから、まずまずだったと思います。

県では偏差値の一番高い学校で、詰め込み教育でしたが、僕はギターばかり弾いていました。



作曲家としてデビューした年に、作詞家・作曲家の両部門で、オリコンの年間売上ベストテンに入りました。

昭和歌謡の全盛期でした。

音楽雑誌には「天才現る」と紹介されましたが、すぐに歌を作るのが面倒になり辞めてしまいました。


その後はテレビに出て有名になりたくて、ドラマの主役や人気番組のメインキャラクターなど、狙った仕事は全部手に入れました。



それ以後は、仕事が減っていったというよりは、実際にはこんなものかという気持ちが強くて、その世界にも飽きてきてしまい、仕事がいい加減になっていきました。

それでも運だけは強く、身分不相応な生活を長年楽しんでいました。

大手プロで給料制だったので、そもそも生活の心配などしなくて済んだのです。


30歳で急に大いなる自己に目覚め、一切の仕事を辞めてしまいましたが、その後もやりたいことは全部実現してきました。


そしていまに至ります。


これからも何をやっても成功するのを知っています。

でもそんなことはどうでもよくなっています。

これからは、好き勝手に生きてきた人生の恩返しをしていこうと思っています。




どうだ、かっこいいだろ(笑)



え?昨日の話とずいぶん違うじゃないかって?

いいえ、どちらも本当の話です。



それにしても自慢話っていうのは、鼻につくというか、見っともないね。

だから人は奥ゆかしく生きるんだろうけど、たまにはこれくらい傲慢に語るのも、自己イメージを変えるのにいいかもしれません。

もちろんこの経歴の裏側には、みっともないエピソードが山ほどあります。



人生は、どの面から見るかによって、まったくストーリーが変わってしまいます。

自分の人生を不幸の筋書きで述べることもできれば、どんなに恵まれていたかという話で描くこともできます。

その気になれば誰でもそうです。

どの道、思考の世界が作り出した戯曲なのですから。



究極的真実から見れば、何も起きなかったし、これからも何も起きません。

ただ「いま」があるだけの話です。



悩んでいる暇があったら、町のゴミでも拾うとか、壮絶な介護の現場で手助けするとか、やれることはたくさんあるはずです。


「好きなことが見つからない」なんて、そんな贅沢をタワゴトというんです。

たくさんの命を食べて生かしてもらっているんだから、少しは何かの役に立ちましょう。


「なんで生きているのか」なんて考えている人は、当分の間食べるのを止めたらいいです。

死にそうなほど腹を空かせたとき、目の前においしいご馳走を並べられたら、夢中で食べるんじゃないですか?

そのときになって、何のために生きているんだなんて考えないと思います。



生きているんだから、生きようじゃないですか。

人の目なんて、ゴミほどの値打ちもありません。

言いたい奴には言わせておけばいいです。


死ぬときは死ぬんだから、それまでは思い切り生きましょう。

そして潔く死んでいく、そんな自分で在りたいと思います。



あー、スッキリした(^O^)





かなり好感度が下がったと思いますが、ひとつよろしくお願いします。


   

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深夜に目が覚めてコメント欄を読んだら、誰かのコメントの最後の言葉が目に飛び込んできた。 「苦しい」 色々な境遇、たとえば選べない家族など、何の試練もない人もいれば、一生苦しむようなこともあります。 生まれる前に現状をきっと選んできたとは思うの ... 続きを読む
深夜に目が覚めてコメント欄を読んだら、誰かのコメントの最後の言葉が目に飛び込んできた。


「苦しい」



色々な境遇、たとえば選べない家族など、何の試練もない人もいれば、一生苦しむようなこともあります。

生まれる前に現状をきっと選んできたとは思うので、環境が自分を成長させる見方をし、ずっと頑張ってきました。

しかし ついに身体と心を壊して思ったこと。

何のためにこの環境を選んできたのか。

神は愛のほうへむいてると思うから、決して苦しみを味わうためではないとは思うのですが、体調をほんとに崩してしまったことをきっかけに、意味が分からなくなってしまいました。

世の中、学びを越え愛にたどりつくためだけでは越えれないこともあります。

苦しい環境を選んだのは一体なぜ?

最近心からの疑問。




そして最後に、「苦しい」と一言。

投稿は2:30

いまの時刻は4:30


2時間前か・・・




僕に何ができるんだろう。


とにかく何か書いてみよう。



僕自身の生い立ちはどうだったか。

決して環境がいいとは言えなかった。



何故自分がこの家に生まれたのか、突きつけられるのは貧しさという現実と、一人ぼっちの寂しさと、周囲の冷たい態度だった。

母親は僕を愛してくれたが、ほとんどの時間は一緒にいれなかった。

きっとこんな自分だから、こういう目にあうんだと、幼心に感じていた。



5歳くらいの頃だったろうか、誰かが家に遊びに来た。

少し太った女性で、その人が僕に優しくしてくれた。


「え?この僕に優しくしてくれるの?きっと僕を知らないからだ。僕をこんなに幸せな気持ちにしてくれる人がいたなんて」

その人と会ったのは、一回だけだった。



その後、小学校に上がり、心はますます荒んでいった。

嘘が得意で、精一杯の演技で周囲に接していたが、やっぱり嫌われ者だったと思う。

勉強もできず、スポーツも苦手、ただ縦笛だけが上手くて、オルガンを習いたいとねだったが、そんなものは習わせられないと一蹴された。

しかたがないから紙に鍵盤を書いて、それを指で押してみた。

きっと楽しいこともたくさんあったのだろうけど、そんな事ばかりが甦ってくる。


中学に入っても、高校に入っても、人と心から馴染んだ思い出はない。



18歳でギター片手に上京した。

苦労覚悟の単身上京だったから、苦労を苦労とも思わずにやってのけることができた。


最初の下宿先は、親戚の店舗の裏側にあった2畳半くらいの部屋だった。

その店舗の半分はスナックに貸していたので、深夜まで酔っ払いの歌声が響いていた。

そんな環境で布団をかぶりながら、小さな音で歌を作った。


ある日、いつものように酔っ払いの大声で起こされた。

彼は叫んでいた。

「昔はよかった。昔は良かった。」



その声を聞いて思った。


何故人は、将来に夢を見て、時が過ぎれば昔を懐かしむのだろう。

生きているのは「いま」じゃないんだろうか。

こんな「いま」でも、僕にとっては掛け替えのない「いま」だ。


そう思ったら頑張れた。



23歳くらいから運が向いてきた。

夜アルバイトをしながら、空いている時間に歌を書きまくった。

その中の一曲が大ヒットして印税が転がり込んだ。


その後はとんとん拍子で、夢が次々に叶っていったが、心の底では、こんな現実は自分にふさわしくないと感じていた。

どこまでいっても自分を支配していたのは、幼い頃の惨めな環境と、強烈な劣等感だった。


心の中はいつも荒んでいた。

人の道をはずしたことも何度もあった。

社会の底辺も味わったし、人にはできない遊びもたくさんした。

若い頃、警察のご厄介にならなかったのは、結局のところ運がいいのか、それとも何かに守られているのか・・・ほんのちょっとのズレが生じていたら、いまの自分はいないと思う。



そんな生活も長くは続かなかった。

仕事は減っていき、気力も無くなっていった。


惨めさを跳ね返そうと、がむしゃらに生きて、好きなことをしてきたけれど、結局何も残っていない。


人生はたかが知れている。

いつかまた運がめぐってきたとしても、いずれそれも無くなるだろう。

そんな繰り返しに何の意味があるのか。


もうたくさんだ。


死んでしまいたい。

でもどうやって?



そんなある日、突然何かが降りてきた。

人生で初めて見た、魂の光だった。


絶望の底で、神と出会ったような気がした。



そうか、そうだったのか。

すべては、このことを知るために仕組まれた、完璧なストーリーだったんだ。


何一つ欠けても、何一つ違っても、この気づきは起こらなかった。

人生には、偶然もなければ、無駄もない。


このことをみんなに伝えていこう。

いまさら、こんな僕が言ったって誰も耳を貸さないかもしれないけれど、でもこのことを伝えていきたい。




あれから25年が過ぎた。

そしていまも、パソコンに向かって何かを伝えようとしている。



はっぴさん。

あなたの質問への答えになれたかわからないけど、心のままに書いてみました。

苦しみが少しでも癒されるのを願っています。




今日は息子のバンドが、よその大学の学園祭に出演するそうなので、妻と見に行ってきます。

僕がスナックの裏に暮らしていた頃と同じ年齢になりました。

彼に苦労話をしたことはありません。


色々な境遇、たとえば選べない家族など、何の試練もない人もいれば、一生苦しむようなこともあります



そうだね、はっぴさんが言うように、人それぞれに境遇があります。


なぜそうなのか、その答えはいくらでも考えつきます。

人は答えを求めるけれど、そんなことよりも、生きてあるうちは精一杯生きること、そして後は天にお任せです。


なるようになる、それでいいじゃないですか。

僕たちはみんな、まぎれもなく神の子なのだから。


神は誰一人例外なく、愛おしく見守ってくれていますよ。

僕はそのことを知っています。




いまの時刻は6時40分。

沖縄はまだ真っ暗です。


8時半くらいにセットして、一眠りすることにします。




長くなっちゃったけど、最後まで読んでくれてありがとう。


   

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何故僕たちは、すぐに基本的な真実を忘れてしまうのでしょうか。 基本的真実とは何でしょう。 それは、僕たちが一瞬とて、いまここ以外に存在することはないということです。 つねに「いま」を生きています。 それ以外は、すべて頭(マインド)が作り出した、 ... 続きを読む
何故僕たちは、すぐに基本的な真実を忘れてしまうのでしょうか。


基本的真実とは何でしょう。

それは、僕たちが一瞬とて、いまここ以外に存在することはないということです。

つねに「いま」を生きています。

それ以外は、すべて頭(マインド)が作り出した、想像、幻想、妄想・・・です。


基本的真実を徹底して見抜くことを「目覚め」と言います。

「目覚め」などと大げさな言い方をしなければならないくらい、僕たちはこの一点を忘れてしまうのです。


いまに戻ってきましょう。



それには練習が必要です。

あまりにも長きにわたって間違った習慣を生きてきてしまったので、元に戻すには、それなりのレッスンが必要になるのです。


特別なことじゃ在りません。

いつも「いま」を思い出し、「いま」に留意しようとするだけです。



いま目の前の現実に気づいて、目の前の現実に心をこめるだけです。

いつだって、目の前の現実以外に、現実はありません。



今日もみなさんからいただいた質問を読んでいました。


職をなくした人、恋人が欲しい人、ジレンマにはまっている人、真理が知りたいという人・・・


もう一度、この真実を思い出し、それを生きようとしてみてください。



頭の中は次々と疑問を呈し、もう一人の自分がそれに答えれば、もう一人の自分がそれを否定します。

そこに本当の解決はありません。



「いま」を生きるのです。

そこにすべての答えがあります。

と言うより、すべての質問が消えうせる瞬間が訪れます。、




それでも答えを求めている人がいますよね。

僕で役に立つか判りませんが、少しずつ質問に答えさせてもらいます。



本当は実際に会って、あなたを感じながら話せたら一番いいんですけど・・・





   

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今朝も早起きして、みなさんからの質問を読んでいました。 質問には大きく分けて2種類あると思います。 思考からの問いかけと、存在からの問いかけです。 思考からの問いかけには、こちらも思考から答えることになり、理屈の世界に入ってしまうかもしれませんが ... 続きを読む
今朝も早起きして、みなさんからの質問を読んでいました。


質問には大きく分けて2種類あると思います。

思考からの問いかけと、存在からの問いかけです。

思考からの問いかけには、こちらも思考から答えることになり、理屈の世界に入ってしまうかもしれませんが、とにかく取り組んでみます。



SSさん


あべっちの過去生のストーリーとか、更に思い出したこととかあったら、聞きたいです。



過去生か・・・

僕がいままで過去生に触れてこなかったのは、究極の真実から言えば今生においてさえ「個」は存在せず、人生だと思っているものも単なる思い込みの束だからです。

今生さえも幻想ならば、過去生という幻想に何の意味があるのでしょう。


理解には段階があります。

過去生というものに興味を持つことで、初めて見えない世界への扉を開く人もいます。

そのような段階で、「あなたはいない」とか、「すべてはひとつ」だとか言われても、、本当に理解するのは困難です。

でも命が永遠であることは伝わります。

そこで止まってしまってはいけませんが、少なくとも一歩前に出ました。

「個」としての自分の存在を信じて疑わない無数の人たちに、過去生の話は有意義かもしれません。



僕の過去生ですか?

おそらく同じことをやっていたでしょう。

来世があるとしても、やっぱり同じことをやっていることでしょう。

もし、もう一度この人生をやり直すとしても、やはり同じことをするでしょうね。

過去生だろうと、来世だろうと、いまと同じだと思います。

そのたびに、時代や、環境や、テクノロジーや、あれやこれやが違ったとしても、基本は同じで、そのときできる方法で同じことをしていることでしょう。




パインさん


で、私たちは何のために生きているんだっけ???



何かのために生きるのではなく、生きること自体が目的です。

それはどこにも向かっていません。

まさにいま、どんな自分で生きるのかがすべてです。

まさに、いまもね。




同じような質問


あきさん


存在はなぜ存在するのでしょうか



答えは、存在はただ存在しています。


このような問いが繰り返されるのは、人生が苦痛に満ち、それに比べて喜びが少ないからです。

もしあふれるような歓喜と幸福のなかにいたとしたら、

「この歓喜の意味は何だ。なんのために歓喜が存在するのか」

とは問いません。

歓喜は歓喜として完結しています。


それを感じているだけで、誰一人文句を言うこともないでしょう。

そして存在の真の姿は「歓喜」です。


したがって、真の存在に行き着いたとき、あらゆる質問が消え失せます。

その境地が、答えそのものだからです。





今日はクリスマスイブですね。

僕の生活にクリスマスは関係なくて、生まれてから一度もパーティーに出たこともなければ、特別なこともありません。

ただ、いままでも、いまも存在する、聖なるエネルギーに思いを寄せていようと思います。




で、ちゃっかり今年も便乗してこの言葉を。



メリークリスマス


全ての人に神の恩恵が降り注ぎますように。





LOVE



   

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昨夜、寄せられた質問を読んでいたら、朝方になってしまいました。 答えやすい質問、答えの表現が難しくなりそうな質問、答えのない質問、でもどれも真正面から聞いてくれていて、とても好感が持てました。 ありがとうございました。 毎日のブログで、昨日の質問に ... 続きを読む
昨夜、寄せられた質問を読んでいたら、朝方になってしまいました。

答えやすい質問、答えの表現が難しくなりそうな質問、答えのない質問、でもどれも真正面から聞いてくれていて、とても好感が持てました。

ありがとうございました。

毎日のブログで、昨日の質問に答えていくだけで、季節が春になると思います。

気楽に、気長にやらせてください。


まずは、たまたまパッと見た質問。



つぐみさんからです


質問です。
私は最近、何かを選択しなくてはならない時に、自分の選択が正しいのか正しくないのか、とても心配になります。
自分の心に問いかけてみて、正直に判断しているつもりですが、果たしてその判断は間違っていないのか・・・と考えてしまいます。

中略

どうすれば自分の選択に自信を持って生きられますか?
直感はやっぱり正しいと思われますか?




こういう経験って、誰もがしていますよね。

選択に慣れているはずの企業の経営者も、あなたと同じように、何かを選択するときはこれでいいのかと心配したり不安を感じたりしています。

どれだけ資料を分析しても、先のことは誰にもわからないからです。



したがって、自分の選択が正しいという類の自信は、持ったとしても思い込みであり、100%の保障はありません。

ということは、選択に自信を持って生きられるか?という質問自体を見直さなくてはなりません。



つぐみさん、あなたに必要なのは、選択への自信ではありません。

必要なのは、選択した結果に対する責任です。

それを完全に引き受けるという覚悟を持てるかどうかです。


実際に2つの道があり、どちらを選ぶかどうか迷ったときは、どちらにもメリットとデメリットがあることになります。

それが一方に偏っていたら、選択に迷うことはないでしょう。


無責任な言い方になりますが、メリットとデメリットが半々で、どちらかを選ばなくてはならないときは、どちらを選んでもいのです。


ただし選んだ後は、選ばなかったもう一つの道に対する未練を断ち切ることです。

そして選んだ道に100%の意識を向けるのです。

それが責任を取るということです。


選べない人の多くは、選択の結果の責任を取りたくないと感じています。

選択する自信を持とうとするのではなく、選択した後の責任の意識を高めてください。


結局はどちらを選んでも同じこと。

目の前の現象はこれからも起きつづけ、そこに向かって自分を表現していくだけの話ですから。




先日、講演会である男性が質問しました。

「何事も最後までやり抜く忍耐力は、どうしたら得られますか」


詳しく話を聞いてみると、いまやっている仕事が嫌いで、会社にも馴染めないけれど、ここであきらめるのではなく、最後までやりきらなければならないと思っているようでした。

しかしそれがあまりにも大変で、苦しくて、負けてしまいそうな自分がいるので、なんとかサポートをというこということでした。


この人が何故そんなに嫌な仕事を続けたいかと言えば、それをやり遂げれば自分を認めることができると思っているからです。

ということは、この人が本当に問うべきなのは

「どうしたら忍耐力がつくか」

ではなく

「どうしたら自分を認められるか」

です。


忍耐力は自分を認めるための条件であって、ダイレクトに望んでいるものではありません。

本当に求めているのは自分を認めたいという思いです。


そのように、自分が欲しいものや求めているものを、本当に望んでいるのか、それとも何か他のものが欲しくて、それを得るためには絶対に手に入れなければと思い込んでいるのか、そのあたりを整理することは大切です。


望みをかなえるためには、その望みの本質を明確にすることです。



たったひとつの質問でも、答えようとすると長くなってしまいます。

これでもずいぶん、はしょっています。


昨日いただいた質問は、僕たちの理解を深める、いいキッカケになるものばかりです。

全文をワードに保存しましたので、明日からまた少しずつ答えていきます。




ありがとうございました。



   


・・・・・・・・・・・




新春の沖縄ライブは満席の為に受付を終了しました。

都合が悪くなった方は、なるべく早くお知らせください。




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