かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2011年02月

昨日、向禅師とコラボ講演をやっていて、途中何度も、客席で聞いている人たちを忘れてしまうことがあった。 それくらい話に入り込んでしまったんだと思う。 向さんが何かしゃべったとき、それがどんな角度からの話でも、瞬時に何を言っているのかが理解できる。 ... 続きを読む
昨日、向禅師とコラボ講演をやっていて、途中何度も、客席で聞いている人たちを忘れてしまうことがあった。

それくらい話に入り込んでしまったんだと思う。

向さんが何かしゃべったとき、それがどんな角度からの話でも、瞬時に何を言っているのかが理解できる。


同様に向さんも、僕が何か言ったとき、その奥にある言葉にできない真理をすぐさま理解し、「そうだ!」と言ってくれる。

その小気味よさは人生でも最高の喜びで、こんな話なら朝から晩までしていても飽きることはない。



反対にそれ以外の話は、実はどうでもいいことが多くて、誰が何をしたとか、彼のやりかたは合っているとか間違っているとか、あの人はこんな人だとか、そんなことはどうでもいい。


昔の僕は、一日のほとんどを想念の中で暮らしていた。

いくつかの情報を組み合わせて、自分本位の世界を作り出し、人を批判したり、状況を判断したり、そうやって幸せではない気持ちを作り出していた。

まるで大層な自分が大層な現実を生きているかのような顔をして、いつも何かを考え続けていた。



だからこそいま、考えないことの大切さを伝えている。

そこに、誰もの中にある本来の健全さが眠っているからだ。



そのためには、瞑想が必要だと思う。


まずは想念のない世界(空の次元)を感得すること。

次に、その次元を実際に生き始めること。


するとストレスは激変し、気持ちが優しくなる。

あるがままをあるがままに見ることができ、生き方がシンプルになり、対応が正確になっていく。

すると、起こる事がいいことだらけになっていく。



これは才能ではなく、運でもなく、生き方のちょっとしたシフトだ。

誰にでもできるのだから。


それなのに、なぜ人は同じ次元を回り続けるのか。


皮肉なことに、そのシフトを妨害するのが想念だ。

なんだかんだと理屈をつけて、いまの生き方を手放そうとしない。

想念自体が想念を超えることはありえないからだ。



伝える側にとっては、そこがじれったいんだなあ。


とにかく実践しかない。

そうすれば、人生は劇的に好転していくのだから。



さて、同じようなことを言っている仲間、ボブさんや黒斎くんとも、この先コラボ講演会をやっていこうと思う。

彼らとこの人生で出会えたことを心から感謝している。




そうそう、今月末発売の季刊誌「スターピープル」に、ボブさんと僕との対談記事が4ページに渡って掲載されています。

本屋さんで見てね。

2人とも、いい男に写っているから(^o^)





   



・・・・・・


僕はこれから沖縄に帰ります。

明日は沖縄いまここ塾です。

263回目かな?

これからも続けていきます。
このエントリーをはてなブックマークに追加

植物は自分の存在にリラックスしているね。 それは彼らに根があるから。 人間が落ち着かずに不安におびえるのは、自分の根を見失ってしまったからだと思う。 人は皆、生まれながらに根っこを持っているけれど、その根っこを認識する能力は生まれながらには持ち ... 続きを読む
植物は自分の存在にリラックスしているね。

それは彼らに根があるから。


人間が落ち着かずに不安におびえるのは、自分の根を見失ってしまったからだと思う。


人は皆、生まれながらに根っこを持っているけれど、その根っこを認識する能力は生まれながらには持ち得ていない。

それは人生の中で発見し、自分のものにしなければならないんだ。

人生に目的があるとしたら、自分の根っこを見つけることかもしれない。

それ以外は、死と共に消えていく幻のようなものだから。



その根はどこに根差しているのか。

神、宇宙、存在、全体・・・みんな同じことを表している言葉だから名前は何でもいいけどね。

とにかく「それ」と繋がっている。



自分の根っこを見つけたとき、人は初めて安心する。

それまでは無理だ。

いくらお金があっても、いくら愛する人がいても、人は内心怯えながら生きていくことになる。


まるで根無し草のように、吹く風に翻弄されて、運よく長生きできても、どこにも辿りつかない。




でも大丈夫。

根っこが見つからないとしても、根っこが無いわけじゃない。

それはあるんだよ、誰もの中に。


それが無ければ一瞬たりとも存在できない。

ずっと「それ」と繋がっている。

いまもね。




残された人生でやりたいことは、たとえわずかな人が相手だとしても、その人に根っこを思い出させてあげること。

生意気にもそんな気持ちで生きている。



そして今日も、大阪に出かけていくのであった。




明日行われる向禅師との大阪コラボ講演会は、第二部に若干の空席が有ります。

詳細はコチラから。




昨日みなさんから寄せられた不思議な話、とても興味深く読ませてもらいました。

そして心が温かくなりました。

ありがとうございました。





   


このエントリーをはてなブックマークに追加

浮世絵のスカイツリーは、やっぱり不思議だよね。 でも人生を振り返ってみると、規模は小さいけれど不思議なことはたくさんあった。 たとえば、誰かと会った瞬間、「あっ、この人とは深く付き合うことになる」って感じたこと。 たいていはそうなった。 ... 続きを読む
浮世絵のスカイツリーは、やっぱり不思議だよね。



でも人生を振り返ってみると、規模は小さいけれど不思議なことはたくさんあった。


たとえば、誰かと会った瞬間、「あっ、この人とは深く付き合うことになる」って感じたこと。

たいていはそうなった。


未来に起こることも、こうなるって確信めいた予感を持った時は、たいてはそうなってきた。


こういうことって、あなたにもないですか。

言ったって誰も信じてくれないと思って、心の奥にしまっていること、よかったら教えてください。




話は変わるけど、もしすべてが決まっているなら、引き寄せの法則とか、努力して結果をつかむ体験とか、それはどういうことかって疑問を持つ人がいるけれど、一つの答えは、そうする事も決まっていたってことだろう。


しかし、たとえ未来が決まっていたとしても、僕らは先のことが全部分かってる訳じゃないから、結局は決まっていないのと同じ事。

自分が作り出して行くという立場で生きればいい。


もし決まっているのなら、こんなふうに決まっていて欲しいという方向で生きていけばいい。

僕はそうやって生きてきた。



それにしても、あなたがこの瞬間、この記事を読むことになっていたとしたら、すごいね。

無数の可能性の中から、まさにいま、ここに来てくれてありがとう。



縁があったんだよなぁ。



   



・・・・・・・



沖縄いまここ塾は3月1日中城村です。

水曜の会は那覇市てぃるるです。


このエントリーをはてなブックマークに追加

最近巷で話題の、江戸時代の浮世絵にスカイツリーが描かれていた?という話。 隅田川の風景を描いた絵に、当時としては考えられない高さの塔が描かれている。 しかも、現在建設中のスカイツリーと同じ場所だというから驚きだ。 僕はこういう話は苦 ... 続きを読む
最近巷で話題の、江戸時代の浮世絵にスカイツリーが描かれていた?という話。


隅田川の風景を描いた絵に、当時としては考えられない高さの塔が描かれている。

しかも、現在建設中のスカイツリーと同じ場所だというから驚きだ。








僕はこういう話は苦手だけど、この話は面白い。


相撲の櫓(やぐら)じゃないかっていう人もいるけれど、あまりにも高すぎる。

もし作者である歌川国芳が、何らかの予知能力で描いたとしたら、江戸時代からここにスカイツリーが建設されることが決まっていたことになる。

この建設には、無数の人間と、無数の縁と、無数の考えがあったはずで、結果から見れば、それらは全部決まっていたことになる。


ひとつのことが予め決定していたとすると、それ以外の全ても決定されていたことになる。

なぜなら、この世の現象は、諸法無我、あらゆる関係性の中で刻々と営まれているのだから、何か一つ違うだけで、全体が変わってきてしまうからだ。


あなたの誕生も、あなたが何をしてきたかも、何を考えてきたかも、全部全部決まっていたとしたら・・・実は僕はそれが真実じゃないかと思っている。

思っているというよりは、超意識の体験の中で確信したことがある。

でもこのことを、そのまま言葉にしてしまうと短絡的すぎて、この世の理解を超えた、宇宙レベルのものだとしか言えない。



人間の自由意志や思考さえも決まっていたとしたら・・・

それを聞いて気楽になる人もいれば、自分の存在に無意味感を抱く人もいれば、絶対そんなことは認めない!って否定する人もいるだろうな。


この浮世絵が単なる偶然の産物だとしても、すべては決まっているという感覚は、僕の中から消えることはない。



この手の話は、「不思議だ」で終わるのがいいかもしれない。

人間は何でも知りたがるけれど、この宇宙の仕組みは、とうてい人間の頭で理解できるようなちっぽけなものじゃないのだから。


宇宙への畏敬の念を持って、謙虚に「おかげさまで」と言いながら生きていくことにしよう。





たまにはこんな話もいいね。





   

このエントリーをはてなブックマークに追加

幸せを生きるための基本は、自分を認めるということなのですが、認めようとしても、自分の中の生々しい部分が邪魔をし、いくら言い聞かせても実感できないのではないでしょうか。 ほんとうはありのままの自分でOKなのですが、なかなかそう思えませんよね。 いま ... 続きを読む
幸せを生きるための基本は、自分を認めるということなのですが、認めようとしても、自分の中の生々しい部分が邪魔をし、いくら言い聞かせても実感できないのではないでしょうか。

ほんとうはありのままの自分でOKなのですが、なかなかそう思えませんよね。



いまの自分ではダメだ。

これでいいはずがない。

小さなことに腹を立て、心から愛することもできず、裏表があって、自分に嘘をついている。

こんな自分が、ありのままでいいはずがない。



そうですね。

確かにそのような状態は、幸せを感じることが出来ません。

だって自分を否定しているのですから。


そうではない状態もあります。

ゆったりとして、温かみの中で、自分に寛いでいる状態です。



しかしそうなるために、いまの自分を克服する必要はありません。

そんなことはできません。


誰が誰を克服するというのでしょう。

まるで、自分が履いている靴のひもを持って、自分の体を持ち上げようとするようなものです。

絶対に持ち上がりません。



まずは、心を落ち着けてリラックスしてください。

あらゆる評価は、自分の思考が作り出していることに気づいてください。


思考と同化している自分に気づき、思考の背後にある本当の自分を感じようとするのです。



あなたは思考ではありません。

「思考を認識している存在」があなたです。


深い瞑想の中で、無思考の状態が現れると、そこにずっと探していた安心感があります。

それは評価や判断を超えた、シンプルな実在です。


その実在に慣れ親しんでいくことが、絶え間ない自己否定を緩めてくれます。


自分と戦うのではなく、リラックスしてください。



体の力を抜いて・・・


心の力を抜いて・・・


どこまでもどこまでも力を抜いて・・・・



ほらね、優しい気持ちになれたでしょ。




なんだっていいじゃないですか。



まずはくつろいで、どうですか、お茶でも一杯。






   



・・・・・・・



【お知らせ】


「ココロっち」という会のみなさんが、僕の講演会を企画してくれました。


3月5日(土)に横浜で開催します。

18:00開場 18:30開演



会場

横浜市技能文化会館 802大研修室
JR関内駅 徒歩5分






参加費3000円



参加ご希望の方は

592bushi@gmail.com

までメールでお申し込みください。



初めての横浜講演会です。

みなさんに、たくさんの祝福が訪れますように。
このエントリーをはてなブックマークに追加

我が家に猫が6匹います。 みんな子猫のころに路上で保護した子たちです。 一人一人に名前がついています。 コーちゃん、モモちん、ターくん、ユーくん、チーちゃん、マルちゃんです。 「一人一人」と書いたのは、いっしょに暮らす僕たちにとって彼らは家族で ... 続きを読む
我が家に猫が6匹います。

みんな子猫のころに路上で保護した子たちです。


一人一人に名前がついています。

コーちゃん、モモちん、ターくん、ユーくん、チーちゃん、マルちゃんです。


「一人一人」と書いたのは、いっしょに暮らす僕たちにとって彼らは家族であり、人間と同じだからです。



観察したことありますか。

物や動物に愛情を込めて名前を付けると、その対象は「人間」になります。

そして人格を持ち、個性が生まれます。



反対に、もし人間に愛を持たずに、単に利用する道具のように見ていれば、その相手は「物」になります。

仕事相手や、友人や、夫や奥さんをそのように見ることは可能です。

役に立つから付き合っているという関係です。



「物」と「人間」の違いはなんでしょう。

それは、物は交換可能ですが、人間は取り替えることが出来ないということです。



もし一緒に暮らしている猫が死んだとして、すぐにほかの猫に交換できるわけではありません。

その猫は唯一かけがえのない存在で、人間と同じだからです。


僕たちは、動物や物に愛情を込めて見つめ、その対象を人間化することができます。

いま見ているパソコンや携帯電話だって、無数に同じものがあるけれど、自分が愛を持って使っていれば、それは世界でたった一つのものになり、独自の関係性が生まれます。

壊れたからすぐに同製品をという気にはなれないはずです。



その一方で、相手と利益だけで付き合っていたり、相手を便利なだけの人間として見ていれば、その人がいなくなっても、同じ利益を満たしてくれる人が現れれば、問題はありません。


僕たちは物を人間にすることも、人間を物にすることもできるのです。



その分かれ目は「愛」です。

愛は相手に独自性と命を与えますが、愛がなければ無味乾燥とした存在に貶めます。



世界は自分の意識が作っています。

世界を命あふれるものにするかどうかは、自分が愛を生きるかどうかにかかっています。





愛は命です。





昨日は東京講演会に来てくれてありがとう。

濃い時間だったね(笑)





   



・・・・・・・・・・



【業務連絡】


一昨日、いまここ塾経由で瞑想伝授を受けた人全員にメールを出しました。

メールが届いていない人は連絡してください。

おそらく、リストから漏れているか、アドレスが違っているか、何かの原因で届いていません。

伝授を受けた地域名と、お名前を書いて、

imacocoa@nifty.com

までご連絡ください。




「あの世に聞いたこの世の仕組み」の雲 黒斎君とのコラボ講演会『阿雲の呼吸』の日程が決まりました。


3月26日 博多

3月27日 名古屋

4月2日 大阪

4月3日 東京



近日中に申込み受付を開始します。

このエントリーをはてなブックマークに追加

毎朝こうしてPCの前に座ると、書きたいことが泉のように湧き出してくる日と、まるで枯れてしまったかのように何も出てこない日があります。 で、今日は・・・・・・まったくのサハラ砂漠状態です。 (-_-;) ・・・・・ (-_-;) あっ、出てき ... 続きを読む
毎朝こうしてPCの前に座ると、書きたいことが泉のように湧き出してくる日と、まるで枯れてしまったかのように何も出てこない日があります。


で、今日は・・・・・・まったくのサハラ砂漠状態です。



(-_-;)


・・・・・


(-_-;)




あっ、出てきた(^O^)


そういえば昔聞いた話だけど、「サハラ」って砂漠っていう意味らしいね。

サハラ砂漠とは、砂漠砂漠ということになるのかな。


とにかくその名前を付けた地域の人たちには、固有名詞がないんだって。


僕らはいろんなものに名前を付けて、○○山とか、××山脈とか、そういえば昔地理の時間にたくさん名前を覚えさせられたけど、その地域では、どんな山も「山」、それでおしまい。

なんだか、のどかだね。


名前は便利だけど、名前を付けると、他から分離する。

それに名前を付けると愛着も生まれる。


たとえば動物でも、100匹の猫がいたとして、名前が無ければ単に猫だけど、その中の一匹に名前を付けると、その猫は自分にとって特別な存在になる。

植物だって同じ。

家に小さなサボテンがあるんだけど、コウタ君って名づけたら、そこに魂を感じるようになったよ。



名前って不思議だね。


僕らの自我の作用に大きな影響を与えているような気がする。

そうやって自分の世界を整然としたものにしているんだろうな。

いいとか悪いとかの話じゃないけどね。


ただ、そう思った。




今日も元気に過ごしてくださいね。






これ何て名前か知ってる?

アベッチ応援ボタンって言うんだ。



   

このエントリーをはてなブックマークに追加