かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2011年06月

人生は夢のようなもの。 いや、実に人生は夢そのものだ。 幸せそうな人生も、どん底の人生も、過ぎてしまえば単なる夢だ。 人々から尊敬を集める人生も、泥棒になって刑務所を往復する人生も、同じ夢にすぎない。 どうせ見るならいい夢のほうがいいけれど、目 ... 続きを読む
人生は夢のようなもの。

いや、実に人生は夢そのものだ。


幸せそうな人生も、どん底の人生も、過ぎてしまえば単なる夢だ。

人々から尊敬を集める人生も、泥棒になって刑務所を往復する人生も、同じ夢にすぎない。

どうせ見るならいい夢のほうがいいけれど、目覚めてみればたいした違いはない。



でもひとつだけ言えることがある。


人生に目的があるとしたら、いかに夢から覚めるかということだろう。

夢の中で奮闘してきた時間を、夢から覚めるために使うこと。

そもそも時間はなんのためにあるかと言えば、時間を超えるためにある。

夢はなんのためにあるかと言えば、夢から覚めるためにある。



何万年も見続けてきた夢も、目覚めによって一瞬にして消え失せてしまう。

それが禅のアプローチだ。



目覚めた後はどんな生活が始まるのだろう。

これに関しても禅は見事に表現している。



「彼は目覚める前、木を切り水を運んでいた」


「彼は目覚めたいま、木を切り水を運んでいる」



傍目からは何も変わらないように見える。

でもその内側は完全に変容している。

彼はただ、いまを生きている。




自分がいま見ている世界が真実ではないことを忘れないこと。


心の内奥の核に意識を落とし、その静寂の中でくつろぐこと。


一日に何百回も、そのように心がけること。



そうすれば、目覚めた意識に触れるだろう。

それはいつも「いまここ」にある。




今日も思いつくまま、つらつらと書いてみました。




え?パンツ穿いてるかって?




これから穿きます。








   
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昨日の朝日カルチャーの横浜講演会、来てくれてありがとうございました。 初めて僕と会う人が多かったですね。 もし昨日の講演会がなければ、一生お目にかからない人もいたことでしょう。 元はと言えば昨年の暮れ、翻訳家の山川夫妻のパーティーに行ったことで今 ... 続きを読む
昨日の朝日カルチャーの横浜講演会、来てくれてありがとうございました。

初めて僕と会う人が多かったですね。

もし昨日の講演会がなければ、一生お目にかからない人もいたことでしょう。


元はと言えば昨年の暮れ、翻訳家の山川夫妻のパーティーに行ったことで今回の講演会開催につながったのですが、パーティー嫌いな僕があの場にいたのは他ならぬ山川夫妻の会だったからです。

もしあの時行かなかったら、昨日会った多くの人とも会えなかったわけで、人生には「もし・・・」はありません。


いま起きていることも、いまあなたを取り巻くあらゆる状況も必然であり、その背景には大きな理由があります。

あなたが大いなる存在とひとつになるために、最終的な一押しに繋がるために、いま必要なことが起きているのです。


たとえそれが満員電車に乗ることであれ、ルーチンワークをすることであれ、全部そこに向かっています。

そのシナリオは完璧です。

いつどのタイミングで誰と出会うのかもすべて決められていて、完璧です。



シナリオを描いたのは誰でしょう。

それは大いなる存在そのものですが、実は一番深い場所のあなた自身でもあるんです。


よく、自分の両親を自分で選んで生まれてくると言いますが、その際の自分というのは、いま感じている自己ではなく、大いなる自己のことです。


大いなる自己を「神」と呼びましょうか。

神の目的は一つで、神と分離した魂(実際には分離したと思い込んでいる魂)が、それぞれの機が熟した時に、もう一度内なる神に気づき、神とひとつになること、それだけです。


それが宇宙の仕組みです。

神だの宇宙だの、つい大げさな表現になってしまいますが、早い話が、魂が故郷に帰るという感じです。



で、何を言いたいのかというと、あなたの人生は、たとえいまどのように見えようともそれで完璧だということ。

悠久の宇宙的な時の流れから見れば、今生で不慮の死を迎えることさえ必要で起きているということです。


このシナリオには失敗はないんです。


だから安心して心のままに生きてください。





いま東京の部屋から書いています。

パンツを履きたいのに、新しいパンツがどこにあるのかわからないのも完璧に決められていたことです(涙)








   

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不思議だなあ。 なぜ僕たちは内なる宝を無視して、外側の世界を探し回るんだろう。 そのありかは、自分の中だというのに。 世界中のどんな神聖な場所にも無いし、どんな偉大な教師も与えてくれない。 ある男が、何十年間も家の外で探し物をしていた。 ... 続きを読む
不思議だなあ。


なぜ僕たちは内なる宝を無視して、外側の世界を探し回るんだろう。

そのありかは、自分の中だというのに。


世界中のどんな神聖な場所にも無いし、どんな偉大な教師も与えてくれない。




ある男が、何十年間も家の外で探し物をしていた。

どうやら宝石を失くしたらしい。

庭の雑草をかきわけ、土を掘り起こし、時には隣の敷地にまで及んだ。



見かねた通行人が聞いた。


「いつまで探しているんですか。もしかしたら家の中にあるのでは?」


すると男は言った。

「そんなことは私も知っている。でもね、家の中は暗くて見えないから、明るい所を探しているんですよ」




家に戻っておいで。

どこにも行く必要は無い。


すでに宝は自分の家にある。

それは一度も失くしたたことがないし、これからもずっと自分の物だから。


ちょっと暗闇に目を慣らせばいい。

すると宝石は、そこにある。


外側に向いていた意識を、内側に向ける。

それが瞑想だ。


失くしたつもりになっているだけで、決して無くなりはしない。

このことは、あらゆる人にとっての最大の救いだ。


人生に失敗はない。

たとえ今日死んだとしても、内側の宝が消えることはないから。


その宝に比べたら、人生で得るものなど張子細工のようなもの。

僕たちはすでに持っている本物の宝を無視して、外側のイミテーションをかき集めているんだね。




さて、そろそろパンツでも穿くか。


これから飛行機に乗って東京に行くんだ。



今日もいい日でありますように。








   






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いま、向和尚と二人で本を書いています。 向さんは最近まで大本山の要職にありましたが、無位の一僧としてメッセージを伝えたいとの思いから、本山からの要請を辞退されて、自由な活動を始めました。 向さんは15年ほど前に、一緒に「いまここ塾」を立ち上げた仲間で ... 続きを読む
いま、向和尚と二人で本を書いています。

向さんは最近まで大本山の要職にありましたが、無位の一僧としてメッセージを伝えたいとの思いから、本山からの要請を辞退されて、自由な活動を始めました。

向さんは15年ほど前に、一緒に「いまここ塾」を立ち上げた仲間で、拙書「随(かんながら)神」にも登場する禅僧です。


今日は、そんな向さんの言葉に触れてみてください。

とても分かりやすく書いてくれています。


風のたより


もしお時間がありましたら、一言でもコメントを残してあげてください。

書き手にとっては、あなたのわずか一言でも嬉しいんです。






みなさんが心安らかでありますように。







   
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「あなたはすでに『それ』だよ」 と言われても 「それじゃ、どうやって『それ』を知るのか」 となりますね。 その答えは 「あなたはすでに『それ』だよ」 です。 この堂々巡りから少しでも抜け出るために、何か書いてみますね。 「どうやっ ... 続きを読む
「あなたはすでに『それ』だよ」

と言われても

「それじゃ、どうやって『それ』を知るのか」

となりますね。


その答えは

「あなたはすでに『それ』だよ」

です。


この堂々巡りから少しでも抜け出るために、何か書いてみますね。



「どうやって『それ』を知るのか」

と訊ねているのは誰ですか?

『それ』を知りたいと言っているのは誰なんでしょう。


「そうか、いったい誰なんだろう」

と考えたとしたら、それを考えているのは誰ですか?


あらゆる思考が生まれ出る源があります。

その源が『それ』です。


『それ』はいつも、かくれんぼをしています。

しかもその姿を隠していません。

隠していないのに、僕たちが違う方向ばかり探しているので、決して見つからないのです。

探しているものが、探していた張本人だったなんて、これは冗談中の冗談です。


だから見つけたときは大笑いします。

まさに「がちょ~~ん」です。

宇宙はなんて馬鹿げたゲームを仕掛けたのかと。



しかし見つけるまでは、この冗談はちっとも可笑しくないんですよ。

早く「がちょ~~ん」って笑えるといいね。



人生そのものが冗談です。

通常は、独りよがりの思考が織りなすシリアスドラマになっています。


ところが、『それ』に気づけば喜劇になります。

その時初めて、「なんでもOK」という言葉が理解できます。




ありゃ、時間がなくなっちゃった。

それじゃ、出かけてきます。





それではご一緒に









「がちょ~~ん」






   

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『それ』は1mmほどの距離もなく、いつもあなたと共に在ります。 あまりにも近すぎて見失ってしまった真実。 いままでに一度も失われたことがないゆえに認識できなかった真実。 もしその真実を、人生の中でわずか一瞬でも垣間見ることができれば、あらゆる苦悩は跡形 ... 続きを読む
『それ』は1mmほどの距離もなく、いつもあなたと共に在ります。

あまりにも近すぎて見失ってしまった真実。

いままでに一度も失われたことがないゆえに認識できなかった真実。

もしその真実を、人生の中でわずか一瞬でも垣間見ることができれば、あらゆる苦悩は跡形もなく消えてしまうことでしょう。


これは思想ではありません。

これは理想ではありません。


シンプルな事実です。


すると、ある人は言います。

どのようにしてその真実を獲得するのかと。


「どのようにして」

この言葉を発した瞬間、真実との距離が生まれ、取り逃がしてしまいます。

すでにあなたは『それ』なのです。


この真実をどう伝えるのかが、長年のテーマでした。

言葉は常に間接的であり、しかも聞き手の解釈に委ねなければなりません。


言葉で伝わらないことは百も承知です。

でも伝えることしかできないから伝え続けています。


安心してください。

『それ』は決してあなたから奪われることはありません。

あなたは決して『それ』を失いません。

『それ』こそが、あなた自身だからです。



一つ山越しゃホンダラッタホーイホイ

も一つ越してもホンダラッタホーイホイ

越しても越してもホンダラホダラカホーイホイ 


そのとおり、どこまで行っても、人生はホンダラッタホーイホイで、どこにも行き着きません。

最初の山を越える前のホンダラッタホーイホイと、無数の山を越えた後のホンダラッタホーイホイは、まったく同じホンダラッタホーイホイです。

それを見抜けば、山越えに費やしていたエネルギーが内側に向かっていきます。

内側の核が『それ』です。



『それ』に到達したあと、どのような人生が始まっていくのでしょう。

神と道連れのホンダラッタホーイホイが始まります。

圧倒的に気楽なホンダラッタホーイホイです。

全部彼(神)がやってくれるからです。



失敗の人生などありません。

生とは途方もなく美しいものだということを、誰もが必ず知ることになります。


誰もが祝福されています。






   



・・・・・・・


7月名古屋講演会は受付を終了しました。

お申し込みありがとうございました。





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これからも人生には様々な問題が付きまとうことだろう。 目の前の問題が終われば、また次の問題が顔を出す。 それは決して終わることはない。 ♪ 一つ山越しゃホンダラッタホーイホイ も一つ越してもホンダラッタホーイホイ 越しても越してもホンダラ ... 続きを読む
これからも人生には様々な問題が付きまとうことだろう。


目の前の問題が終われば、また次の問題が顔を出す。

それは決して終わることはない。




一つ山越しゃホンダラッタホーイホイ

も一つ越してもホンダラッタホーイホイ

越しても越してもホンダラホダラカホーイホイ 

どうせこの世はホンダラッタホーイホイ

だからみんなでホンダラッタホーイホイ


ホンダラ行進曲



すごいな、この曲は。

まさにこの世の真実だ。




でも、この世の真実を超えた真実もある。

それはあらゆる問題の根っこを断ち切る真実です。

明日はその話をしてみます。



とりあえず今日のところは、ホンダラッタホーイホイだ。



さ、それではみなさんご一緒に



ホンダラダ ホンダラダ ホンダラホダラダ ホ〜イホイ ♪

ホンダラホダラダ ホンダラホダラダ ホンダラホダラダ ホ〜イホイ ♪

ホンダララッタ ホンダララッタ ホンダラホダラダ ホ〜イホイ ♪








   



・・・・・・・



【講演会のお知らせ】


名古屋 7月3日(残り席僅かです)

金沢  7月18日


詳細は上記都市名をクリックしてください。

7月東京、7月大阪は受付を終了しています。


6月27日の朝日カルチャーセンター横浜講演会は、電話予約ができます。

045-453-1122
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