かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2011年07月

何一つ残すところなく、全面的に「いまここ」に帰ってきたとき、 時間を超え、空間を超え、究極なる自己と出会ったとき、 あなたはこう思うことでしょう。 一瞬早からず、一瞬遅からず、この体験をするタイミングは宇宙の初めから決められていた。 寸分の狂 ... 続きを読む
何一つ残すところなく、全面的に「いまここ」に帰ってきたとき、

時間を超え、空間を超え、究極なる自己と出会ったとき、

あなたはこう思うことでしょう。



一瞬早からず、一瞬遅からず、この体験をするタイミングは宇宙の初めから決められていた。

寸分の狂いなく、あらゆることが起きてきた。

何一つ無駄はなく、何一つ偶然もなく、起こるべき時に起きてきた。

どんな瞬間も完璧であり、宇宙には1秒の狂いも、1mmの誤差も存在していない。

あらゆるものは、完全な計画のもと、在るべきところに配置されている。




この気づきを得た後、人々にメッセージを送り始めた。

少しでも目覚めに役立ててもらえたらという思いからだった。


あるとき、ふと心に疑問がわいた。


もしあらゆることが決められているのなら、もし人々の目覚めるタイミングがあらかじめ決められているのなら、それを早めようとおせっかいをしている自分は、いったい何をやっているのかと。


当時、マスターと呼ばれる人に同様の質問をしたことがあったが、満足いく答えは得られなかった。

そもそも当時から、僕を満足させてくれる人は、だれ一人いなかった。


それからしばらくして、大笑いした。


な~んだ、こうして伝道している行為も、起こるべくして起きていて、このメッセージに触発され自らの目覚めにつなげた人は、そういう縁の人たちなのだ。

何を遠慮することがあるものか。

心のままに、やりたいことをやっていこう。




そしてまた二十年が経ち、あいかわらずいまも同じことをやっている。

死ぬまで続けていこうとか、一人でも多くの人を導こうとか、そんな大層な思いはとうの昔に消えている。


僕には、何の義務感もない。

でもきっと、死ぬまで同じことをし、一人でも多くの人が目覚めることを、何よりの生きがいにしていることだろう。



いまあなたが、このページを読んでいるタイミングは偶然ではないよ。

それは決められていたことだし、あなたの目覚めに不可欠なことだ。

たとえ、僕が何を言っているのかわからなかったとしても、たとえ反発心を持ったとしても、それはあなたの目覚めに必要なことだから起きている。



いまあなたの人生に何が起きていようと、それは宇宙の完璧な筋書きの一部だということを伝えておこう。


必ずそのことを理解する日が来る。

そして最後はとてつもないハッピーエンドだ。

たとえ今生でなくても、永遠の宇宙から見れば同じこと。



最後がよければ、全てよし。

そう思えるくらい、圧倒的に素晴らしい境地に行きつくことになるだろう。



本当だよ。


本当に本当だ。











   



・・・・・・・・・・


8月2日は沖縄いまここ塾があります。(全席自由)


8月の、博多、名古屋、東京は満席のため受付を終了しています。

たくさんのお申込みありがとうございました。
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今朝は久しぶりに早起きをして、外を歩いてみました。 夏ですね。 セミの声、懐かしい早朝の空気感。 方広寺で宿泊セミナーをしていた頃は、参加者に毎朝6時に起きてもらい、広い境内を散策してもらいました。 方広寺は山一つがそのまま境内になっていて、 ... 続きを読む
今朝は久しぶりに早起きをして、外を歩いてみました。

夏ですね。

セミの声、懐かしい早朝の空気感。



方広寺で宿泊セミナーをしていた頃は、参加者に毎朝6時に起きてもらい、広い境内を散策してもらいました。

方広寺は山一つがそのまま境内になっていて、斜面を小川が流れ、うっそうとした木々に囲まれた素晴らしい場所です。

特に朝の神気がかった静けさはまた格別です。



参加者にはひとつだけ散策のルールを与えました。

それは言葉を発しないというものです。

参加者同士はもちろん、内なる会話、心の会話も極力減らすように伝えます。


通常我々は、朝から晩まで頭の中で会話をしています。

ペチャクチャペチャクチャ・・・

そのほとんどは、とりとめのない無駄話です。

その会話を止めて、対象をじっと見るようにと伝えます。


大きな杉の木、小川沿いに生えたコケや草花、虫や沢ガニ・・・

その中の一つに目を凝らして、じっと見てみます。

なんら評価も判断もせずに、ただじっと見つめてみるのです。



彼らは100%ありのままです。

自分以外のものは何一つありません。


そして唯一の命の場所に在り続けています。

「いまここ」です。


100%自分自身で在ることを通して、他のすべてとひとつに溶け合い、分離していません。

彼らは存在の達人です。

何もしないことを通して、すべてを成しているのです。


彼らを無言でじっと見ていると、存在の大切な要素が伝わってきます。

それは、本来自分にも与えられているのですが、幾重にも身にまとった心の防衛システムによって見失っています。

人は自分を2つに裂き、絶え間なく自分を見張り、自分ではないものを演じています。

そして一番大切な何かを忘れてしまいました。

山の自然たちは、あるがままに在ることの美しさを教えてくれるのです。



外に出て、何でもいいからそこに在るものをじっと見つめてください。

まるでその対象と自分がひとつになってしまったかのように、いっさい言葉を使わず、何も考えずに見るのです。

たったそれだけで、僕たちは存在の唯一の場所に帰ることができます。

そこにはただ、いまがあるだけです。。





「おかえり」






「ただ、いま」








   





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ブログ開設5周年記念プレゼントにたくさんのご応募ありがとうございました。 同時にアンケートも取らせてもらい、このブログに関するいくつかのデータがでてきました。 応募総数は2184人。 男性28% 女性72% 年齢層 20代 6% ... 続きを読む
ブログ開設5周年記念プレゼントにたくさんのご応募ありがとうございました。

同時にアンケートも取らせてもらい、このブログに関するいくつかのデータがでてきました。



応募総数は2184人。


男性28%

女性72%



年齢層


20代 6%

30代 27%

40代 45%

50代 19%

60代 3%


10代と70代以上は数名おられました。



たまたま応募した日に訪れて、企画に参加してくれた人が対象なので、このブログを閲覧している人たち全体の割合とは言えませんが、だいたいの傾向は見て取れたと思います。


プレゼントは「ザ・シフト」のDVDに人気が集まり、当選者を7名様に増やしましたが、それでも200倍近い倍率でした。

「阿雲の呼吸」が約100倍、「神との対話」が約60倍の倍率でした。


それでは当選者の発表です。




ザ・シフト」DVD 7名様


東京都
Y・徹


富山県
K・勉


愛知県
M・里美


熊本県
T・久美子


北海道
Y・純子


茨城県
F・和宣


東京都
H・光代






阿雲の呼吸」DVD 5名様


京都府
N・美奈子


大阪府
S・三千子


鹿児島県
N・みゆき

大阪府
H・顕治


千葉県
Y・直美






神との対話」DVD 5名様


東京都
U・美都子


広島県
M・まり


岩手県
I・洋子


神奈川県
T・覚


和歌山県
K・優子





当選おめでとうございました。

もしかして自分??って思った人は、たぶんそうだと思います(笑)

今日中に発送しますが、沖縄からなので数日かかるかもしれません。



また何かの機会に感謝をこめて、このような企画を持ちたいと思っています。

みなさん、ご参加ありがとうございました。








   





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昨日は忙しくてブログを覘けませんでしたが、瓶に描かれた隠し絵を発見した人も多かったようですね。 いったん見えると、なぜ今まで気がつかなかったのかと思いますよね。 アートマン(真我)の発見は、その何万倍も驚かされます。 アートマンの場合は、映 ... 続きを読む
昨日は忙しくてブログを覘けませんでしたが、瓶に描かれた隠し絵を発見した人も多かったようですね。

いったん見えると、なぜ今まで気がつかなかったのかと思いますよね。



アートマン(真我)の発見は、その何万倍も驚かされます。



アートマンの場合は、映画のスクリーンに似ています。

映画を見ている間は、スクリーンに映し出された幻影を見ていますが、実際にはスクリーン自体も見ています。

ただし、映像と自己同化しているので、スクリーンには気づきません。


映画が終わり、館内に光がもたらされたとき、初めてスクリーンの存在を思い出します。

上映中に実際に見ていたものは、映し出されていた物語ではなく、スクリーンそのものでした。

映画は幻ですが、スクリーンは実体です。



僕たちの存在も同じです。

人生は映画のようなものであり、真我はスクリーンです。


どんな悲惨なストーリーだろうと、どんな残酷なストーリーだろうと、スクリーンは無傷のまま在り続けています。

スクリーンは、映画の内容に影響されていません。

僕たちの真我は、常に純粋のまま在り続けています。

だからいつも、「最初から救われているから大丈夫だ」と言ってきたのです。



さとりとは、映画の上映中に、何かの拍子にスクリーンに気がついてしまうようなものです。

そこで見たスクリーンの純粋性と永遠性に、人は心の底からの安堵を得ます。

それが救済の瞬間です。

僕たちは、起きている現象とは関係なく、最初の最初から救われていたのです。



飽きるまで映画を見るのもいいでしょう。

でもあなたの存在は、映画を超えたところに在り続けています。

いまもね(^o^)






5周年記念プレゼントの当選者発表は、明日このブログ上で行います。






   




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昨日の東京いまここ塾で質問がありました。 「初めて究極の真実と出会った瞬間、何が起きましたか」と。 究極の真実とは、自分の存在の実相であり、神としか呼べない何かだ。 そのとき、何が起こるのだろう。 その時、世界が消え失せる。 外側には何も残ら ... 続きを読む
昨日の東京いまここ塾で質問がありました。

「初めて究極の真実と出会った瞬間、何が起きましたか」と。


究極の真実とは、自分の存在の実相であり、神としか呼べない何かだ。

そのとき、何が起こるのだろう。

その時、世界が消え失せる。

外側には何も残らずに、究極の自己(自己とさえ呼べないが)が現れる。

それをアートマン(真我)と呼ぶ。


アートマンはいつも「いまここ」に在りつづけている。

しかし自分の目が、外側の世界に取りつかれていて見えなくなっていたのだ。


反対に、アートマンが出現すれば、外側の世界は幻のように消え去る。

だから昔から覚者たちは、世界は幻影だと言ってきた。


しかし世界も実在している。

アートマンと世界の両方を、同時に見ることが出来ないだけだ。


大部分の人は、世界だけを見てアートマンを見失っている。

生きている間に「それ」を見る人は、ごくわずかだ。



そうだ、今日はこんな絵を紹介しよう。

この瓶に、何が描いてある?









「愛する二人」が見えるだろう。

「愛する二人」は、世界の象徴、人生の象徴、欲望の象徴だ。



でも同時に、他のものも描かれている。

瓶の影のようなものも見えるが、もっとクリアに描かれているものがある。


それは欲望の象徴が見えなくなった時に現れる。





答えを見つけた人は、コメント欄に書かないでくださいね。

みんなに、それを発見するチャンスをあげましょう。


さあ、じっと見つめてください。





えっ?愛する二人しか見えないって??


そりゃあなた、よっぽど溜まっていますよ。

そのエネルギーがあなたを世界につなぎとめているんです。






いまから沖縄に帰ります。

今回は2週間くらい、いられそうです。

明日(火曜日)は、沖縄いまここ塾があります。








   





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たくさんの本を読んで、正しい生活態度を守り、様々な技法を学び、いったい誰になろうとしているのでしょう。 あなた以外に成るべき人はなく、あなた以外には成れません。 さとりとは、自分がすでにたどり着いていること知ることであり、いまの自分以外に、なるべき ... 続きを読む
たくさんの本を読んで、正しい生活態度を守り、様々な技法を学び、いったい誰になろうとしているのでしょう。

あなた以外に成るべき人はなく、あなた以外には成れません。


さとりとは、自分がすでにたどり着いていること知ることであり、いまの自分以外に、なるべき自分はないことを認めることです。



僕たちは、どこにも向かっていません。

人生にゴールなど存在しません。

もしゴールがあるとしたら、それは「いま」です。

そしてこの先も、永遠に「いま」があるだけです。


いつかさとるんだと言って、「いま」にはないものを求めることが迷いです。



修行は、迷いから発しています。


だって、これからもずっと「いま」なのですから。


すでにあなたはゴールにたどり着いています。

最初の最初からたどり着いています。


実際には、そこから一歩も離れたことはなかったし、これからもありません。


どこにも行きません。

ずっと「ここ」にいます。









   







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朝、目が覚めると何が起こる? 目が覚めると夢が消えるよね。 でも眠っている時は、夢は夢じゃなくて、ある種の現実だ。 僕らの人生も同じ。 目覚めの体験をすれば、人生という夢が消えてしまう。 でもぐっすり眠りこけているから、人生(夢)が現実に見え ... 続きを読む
朝、目が覚めると何が起こる?

目が覚めると夢が消えるよね。

でも眠っている時は、夢は夢じゃなくて、ある種の現実だ。


僕らの人生も同じ。

目覚めの体験をすれば、人生という夢が消えてしまう。

でもぐっすり眠りこけているから、人生(夢)が現実に見える。

そんな状態の人に、「あなたの人生もあなたの世界も、全部夢で幻想だよ」と言ったとしても、荒唐無稽な言葉でたぶらかされているように思うだろう。



もし、人が夢の中で苦しんで、SOSを出していたらどうしよう。

その人に、「苦しみは夢だよ」と伝えても役には立たないだろう。

できることと言えば、同じ夢の中に入っていって、少しでも苦しみが和らぐようにサポートすることだと思う。

そして頃合いを見て、「起きろ~!!」と叫ぶことだ。



「喝!!」




苦しみは夢の中に存在している。

夢は時間と共に悪夢になる性質を持っているから、誰もが悪夢を見ていると言っていい。

なんとか折り合いをつけている悪夢と、にっちもさっちもいかなくなった悪夢があるけれど、どちらも悪夢であることに変わりはない。

ところが、どんな悪夢も目覚めればたちどころに消えてしまうんだ。


そうなると、いかに目覚めを促すかしかないんだけど、残念ながら直接的な方法は存在しない。

なぜなら、どんな有効な目覚めの方法も、人の夢の中で解釈され、処理されてしまうからだ。

そのジレンマが何千年も続いてきた。




だから結局は、



「喝!!」




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【お知らせ】


沖縄いまここ塾は7月26日、いつもの中城村です。




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