かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2011年08月

いま都内の大型書店のいくつかで、「阿雲の呼吸」フェアをやってくれているそうです。 この先は全国展開してくれるそうで、みなさんの街でも見かけるかもしれませんね。 「阿雲の呼吸」というのは、雲 黒斎くんと二人でやっているユニットです。 年齢も、経歴も、 ... 続きを読む
いま都内の大型書店のいくつかで、「阿雲の呼吸」フェアをやってくれているそうです。

この先は全国展開してくれるそうで、みなさんの街でも見かけるかもしれませんね。


「阿雲の呼吸」というのは、雲 黒斎くんと二人でやっているユニットです。

年齢も、経歴も、性格も、まったく違う二人ですが、最終的な理解が共鳴し合えるので、とても楽にお付き合いできています。

いつも会っているわけではありませんが、いつも会っているのと変わらないので、この点も楽です。



現在、DVD第二弾や書籍など、「阿雲の呼吸」の新バージョン企画も進められています。

それから、いま発売中の「スターピープル」最新号で、僕たちの対談式インタビュー記事が載っています。

ちなみに「スターピープル」最新号のテーマは、「今にくつろぐ」です。

書店で見かけたら手に取ってみてください。


「阿雲の呼吸」コラボ講演会は、10月23日博多、12月3日東京、12月4日大阪、で開催予定です。

(先ほどまで間違った日にちを掲載していました)


週内には詳細をお知らせします。




この先、休暇に入るので、いままでのような更新はできないかもしれませんが、なるべく可能なタイミングを見つけていきます。


休暇中の旅行記でも書きますか。

それとも、ご要望が多い「ボチボチでんな講座」でも再開しますか。

質疑応答もしてみたいし・・・また何か考えてみます。




これからも黒斎くん共々、よろしくお願いします。







   

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アツシさんの質問 阿雲の呼吸の中で、 「北海道に行く」という場合、自分が北海道に行くのではなく、北海道が自分の方に来る・・・自分は何処にも行かない。それが『いまここ』です」 ・・・みたいな事を言ってみえたと思いますが、分かるようで、分かりません( ... 続きを読む
アツシさんの質問


阿雲の呼吸の中で、

「北海道に行く」という場合、自分が北海道に行くのではなく、北海道が自分の方に来る・・・自分は何処にも行かない。それが『いまここ』です」

・・・みたいな事を言ってみえたと思いますが、分かるようで、分かりません(笑)

どういう事でしょう?

『いまここ』の大きなヒントがありそうで気になります。




「いま」という言葉を説明するのは難しいですが、「ここ」という言葉を説明するのも難しい。

「いまここ」と言った時の「ここ」とは、場所のことではないからです。

「ここ」とは、あなたの存在のことです。


いまあなたがどんな場所にいようと、あなたは「ここ」にいます。

「あそこ」にいる人はいません。

あなたという主体から見れば、あなたはいつも「ここ」にいます。


昔のドラクエの主人公のようなものだと思えばわかりやすいかもしれません。

主人公は冒険を求めて世界を旅しますが、実際には画面上で彼はいつも真ん中にいて、動いているのは背景のほうです。

しかし操作しているプレーヤーには、まるで自分のキャラクターが世界のあちこちを動いているように見えます。


たとえA地点にいようと、B地点にいようと、自分の存在はいつも「ここ」にいて動くことがないということを自覚していれば、A地点からB地点に移動しても、B地点のほうが自分に引き寄せられてきたという見方が可能になります。


黒斎くんが言ったのはそういう意味で、

「北海道に行く」という場合、自分が北海道に行くのではなく、北海道が自分の方に来る・・・自分は何処にも行かない。それが『いまここ』です」


というわけです。



それくらい徹底して自分の中心にいることができれば、存在軸がシフトします。


自分が存在している「ここ」は、常に「いま」にあります。

したがって「ここ」に徹底すれば、「いま」に徹底することになり、「いま」に徹底すれば、「ここ」に徹底することになります。


そのような意味から言えば、「いま」と「ここ」は同じことを指している2つの側面だということです。



「いまここ」とは、時間のことでも空間のことでもなく、まさにあなたの真の存在そのものなのです。








   


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>matasan 「いま」にある、とは新しい「いま」ではなく、小さいころかずっと変わらない「いま」ですよね。 その通りです。 「いま」は一つしかなく、それは時間の流れに影響されていません。 人には記憶し分類するという能力があるので、あの時の「いま」と ... 続きを読む
>matasan

「いま」にある、とは新しい「いま」ではなく、小さいころかずっと変わらない「いま」ですよね。



その通りです。

「いま」は一つしかなく、それは時間の流れに影響されていません。

人には記憶し分類するという能力があるので、あの時の「いま」とこの時の「いま」があるように感じています。


残念ながらこの手の話は、考えても解りません。

思考と時間は同じ次元に属するので、思考には時間を超えたものを捉えることは出来ないのです。

あなたが瞑想を通して空(くう)の世界に行き着いた時、そのことを体験的に理解することでしょう。


空(くう)の世界は外側の世界の現象に影響されていません。

いつ出会っても同じものです。

その存在はどんな出来事の最中も、どんな感情を感じている時も、いつも変わらず心の最奥に佇んでいます。

もちろん「いま」も。


その世界に帰るたびに思います。

いままで何も起きてこなかったし、これからも何も起きないということを。


現象は煙のように現れて、煙のように消えて行きますが、、空(くう)の存在は永遠不変に「いまここ」に在り続けています。

こともあろうにそれだけが真の実体で、それ以外は夢のようなものなのです。


だからいつも言って来ました。

あなたは最初の最初から救われていて、この先も永遠に救われていると。

救われるというよりは、祝福されていると言ったほうが正確です。

存在は、その本質からして無条件に祝福されているのです。



これが最も伝えたい事のひとつで、これまでにも繰り返し伝えてきました。

あなたの夢が悪夢に変わり始めたら、このことを思い出して下さい。

この情報は仮説ではなく真実であり、それを見抜いた幾多の魂達が表明してきたことです。


この世の救済は、夢を夢だと気づかせることです。

夢は時間という幻想とともに生まれているので、「いま」を説くことで、微力ながらその役目の一端を担えればと思っています。



今日、ひとまず東京に戻ります。

爽やかな涼風の中でリフレッシできた北海道の旅でした。









   
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欲望についてちょっと書いてみます。 精神世界を学び始めると、欲望を否定し始める傾向がありますが、これはある意味正しく、ある意味間違っています。 確かに真我において、時空間は超越されます。 そのことを「いまここ」という言葉で表してきました。 1 ... 続きを読む
欲望についてちょっと書いてみます。

精神世界を学び始めると、欲望を否定し始める傾向がありますが、これはある意味正しく、ある意味間違っています。


確かに真我において、時空間は超越されます。

そのことを「いまここ」という言葉で表してきました。


100%の「いま」だけが残ったとき、未来という思いは消えて無くなります。

未来が消えれば欲望は存在できません。

欲望とは、「いま」にはない何かを満たしたいという思いだからです。

したがって、真我、絶対的境地、さとり、神意識、と呼ばれる次元において欲望は跡形もなく消え去っています。


このことから逆の発想が生まれました。

真我に欲望がないのなら、欲望を無くせば真我に近づくのではないかと。


しかしこれは不可能です。

なぜなら、欲望を無くそうという思いも欲望だからです。

いまは欲望があるけれど、いつか欲望のない自分に成長するという思いは、まさに未来依存であり、欲望そのものです。

あいかわらず「いま」にはない何かを求めています。


結果として欲望が消え去った次元はありますが、欲望を消すことによってその次元に至ることはできません。

と言うよりも、欲望にダイレクトに取り組んで消すことなどできないのです。


欲望は時間という幻想を見抜いたときに消え去ります。

その体験は因果を超えています。

何度も言うように、突然訪れるハプニングです。


そして真我を発見しても、いつもその次元にいるわけではありません。

その後も真我と自我は同居しています。

肉体の中に存在する以上、自我が無くなることはありません。



人間稼業、欲望が消えたら面白味もありません。

過度の欲望は不幸につながりますが、欲望自体はあってもそれも良しだと思っています。


なぜこんなことを書いたかと言うと、自分に様々な欲望が残っていることで自分を否定したり、欲望を抑え込むことで成長しようとしたりする人がいるからです。



欲しいものは欲しい、やりたいことはやりたい。




あー、生きてるって楽しいな。






今朝は時間がなくて、ずいぶん端折ってしまいましたが、またいつか詳しく書かせてください。




いつかっていつ?










   

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ほっけ、男爵イモ、ズワイ、うに・・・ うまっ!!! やすっ!! いいなあ、札幌。 さて、先日いただいた質問を紹介します。 S・Tさんから 「真理を得るために、または神と同化するために、どのような生き方がふさわしいとお思いですか」 ... 続きを読む
ほっけ、男爵イモ、ズワイ、うに・・・

うまっ!!!

やすっ!!


いいなあ、札幌。




さて、先日いただいた質問を紹介します。


S・Tさんから

「真理を得るために、または神と同化するために、どのような生き方がふさわしいとお思いですか」



真理や神を求める人がいるけれど、その人たちは真理や神を知っているのだろうか。

もし知っているとしたら、求める必要はない。

すでにそれを得ているから。


もし知らないとしたら、いったい何を求めているのだろう。

人は知らないものを求めることができるのだろうか。


求めているのは自分の頭の中のイメージであって、真理そのものではない。

真理へのイメージは決して真理ではありえない。

真理は考えて解るようなものではないからだ。



僕は思う。

真理も神も、そこを目指して計画的に達成できるものではないと。

階段を一歩一歩のぼって最上段にたどり着くのとは違う。


真理は、ハプニングによってもたらされる。

真理ではないものをとことん生きることによって、ある日その虚構性が崩れ去る。

そこに残るのが真理だ。



崩れ去るのがいつなのか、何をしている時かは誰にもわからない。

したがって、真理の達成のためにできることは何もない。



唯一、瞑想だけが違う可能性を秘めている。

なぜならば、瞑想は行為ではないからだ。

無為の極みを瞑想という。



しかし人は行為に毒されているので、これからもあれやこれやをやり続けることだろう。

であれば、自分の心のままに生きるのがいい。

たとえそれが真理から遠く離れた道だとしても、自分がそうしたいならとことんやることだ。


そしていつか疲れ果て、愛想がつきた時、すべてがボロリと落ちる。

それは僕に起きた。


自分が作り出した世界と、自分が作り出した自己イメージと、努力してきたなにもかもが、いっしょにボロリ。

古いものすべてが、煙のように消え去った。


その結果、何かを達成したわけではないし、どこかに辿りついたわけでもない。


ボロリと落ちて残ったものは、最初からあったものだった。



それが真理だ。




「真理を得るために、または神と同化するために、どのような生き方がふさわしいとお思いですか」


そんなことは忘れて、心のままに生きることです。








   


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今朝はもう秋も深まったかのような寒さで目が覚めた。 やっぱり日本は広いね。 ところで、昨日のみなさんのコメント、全部読ませてもらったけれど、とても面白かった。 昨日の深夜に読んでそのまま眠ったからかな、夢に出てきた。 広い草原のようなところ ... 続きを読む
今朝はもう秋も深まったかのような寒さで目が覚めた。

やっぱり日本は広いね。


ところで、昨日のみなさんのコメント、全部読ませてもらったけれど、とても面白かった。


昨日の深夜に読んでそのまま眠ったからかな、夢に出てきた。


広い草原のようなところにいて、空にはたくさんの星たちが輝いている。

そこに時たま流星が現れるのね。

その流星が消えるまでに願い事を3つ言えば叶うと知っているんだけど、いざ流星が現れると、金縛りにあったみたいになって言葉が出てこない。

すると流星が超スローモーションになって、まるでこちらが何か言うのを待っているみたいになるのに、そうなればなるほど言葉が出なくて「あわわわわ」って(笑)


なんだか象徴的な夢だったな。

そもそも何をお願いしたかったのかも謎だ。

けっこう、宝くじが当たりますようにだったりして。

でも買わなきゃ当たらないよね。



もし願いがかなうなら、僕に訪れた突然の気づきが、世界中の人に訪れたらいいと思う。

僕に起きたのだから誰にでも可能性がある。

そしたら世界は変わる。

でも少しは人間的な面も残っていたほうがいい。

みんなが聖人君子になってしまったらこの世は味気ないし、適度な物欲と、適度な性欲と、たまには強い性欲と、適度なわがままも残っていたほうがいい。

もちろん人のことも動物のことも殺したりしない。

虐待される子供がいなくて、不当に苦しむ人がいなくて、みんな仲睦まじく、世界中に子供たちの笑い声があふれたらいい。

自然と共調しながらも、最高のテクノロジーで快適に暮らせたらいい。

そんな世界がいい。


きっとそうなるような気がする。

みんな心の底では同じ夢を抱えているように思うから。




心安らかな一日をお過ごしください。







   


・・・・・・・・・・・


【お知らせ】

10月の講演会は

大阪・名古屋・福岡・東京・札幌・沖縄の予定です。

また詳細が決まったらお知らせします。

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子供のころに読んだ物語が、いまでも心に残っています。 とある貧しい老夫婦のもとに、神様が現れて言いました。 「お前たちの願いを3つ叶えてあげよう」 するとおばあちゃんは即座に 「ソーセージが食べたい」 たちまちのうちに、テーブルの上に一本 ... 続きを読む
子供のころに読んだ物語が、いまでも心に残っています。


とある貧しい老夫婦のもとに、神様が現れて言いました。

「お前たちの願いを3つ叶えてあげよう」


するとおばあちゃんは即座に

「ソーセージが食べたい」


たちまちのうちに、テーブルの上に一本のソーセージが現れました。

それを見たおじいちゃんは怒り心頭に達しました。

なんでも叶えてくれるというのに、ソーセージ??!!!

バカにもほどがある。

こんなソーセージは、お前の鼻にくっついてしまえ。


するとソーセージは、おばあちゃんの鼻にくっついてしまいました。

いくら取ろうとしても取れません。

神経も通ってしまって、引っ張ると痛くて仕方ありません。


途方に暮れた二人は、どうしていいかわからずに、ずっと無言で佇んでいました。


しばらくしておじいちゃんが言いました。

「神様、3つ目のお願いです。こいつの鼻からソーセージを取ってやってください」



するとソーセージは、またテーブルの上に戻りました。


その後二人は、ずっと押し黙ってソーセージを見つめていましたが、やがておじいちゃんはそのソーセージを半分に切って分けました。


そして二人で黙って食べだしたということです。


もぐもぐ。



なんて哀しい話なんだ(笑)





もし神様が現れて3つの願いを叶えてくれると言ったら、あなたなら何を頼みますか?








   



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