かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2011年11月

さてまた、自我伝の続きを書いてみます。 21歳のころにアイドルに書いた曲が評判になり、憧れの音楽事務所にスカウトされ、作詞作曲をメインに仕事を始めました。 その事務所には、第一線で活躍する人が多くいましたが、印象に残っている人が2人います。 一 ... 続きを読む
さてまた、自我伝の続きを書いてみます。


21歳のころにアイドルに書いた曲が評判になり、憧れの音楽事務所にスカウトされ、作詞作曲をメインに仕事を始めました。

その事務所には、第一線で活躍する人が多くいましたが、印象に残っている人が2人います。


一人は矢沢永吉さん。

事務所で顔を合わせるたびに、「いい歌、たくさん書いてくださいね」と言ってくれたことが、駆け出しだった僕に大きな勇気を与えてくれました。


もう一人は、4年間のアメリカ活動を終えて帰国したばかりの美人シンガー。

噂だけはいつも聞いていましたが、偶然、事務所のソファで隣に座った時、なぜこんなにドキドキするのかわからないくらい緊張したのを覚えています。

僕より一つ年上でしたが、大人のムードが漂う落ち着いた女性でした。

彼女はすでに既婚者で、僕の人生とはまったく関係ないはずなのに、あの時の高揚した感覚はいまでも忘れられません。

結局、事務所在籍中に会ったのは2回だけでした。

それから十数年後、芸能界を辞めて天河神社で奉公している時、もし今生で誰とでも結婚できるとしたら誰がいいだろうと妄想した時、世界中のスターを押しのけて浮かんだのが彼女でした。

ほとんど会ったこともなく、二人で会話したこともなかったのに、何故彼女が出てきたのかわかりませんでしたが、実はそれから2カ月後、僕と彼女はインド行の飛行機で再会し、その2年後に結婚します。


それが惣領智子さんです。

彼女との不思議な因縁はまたの機会に書くとして、やはり僕は、いつ誰と出会うかは全部決まっていると思います。

それだけではなく、何から何まで決まっていると思います。


全部決まっているのだから、肩の荷を下ろして気楽に生きていこうというのが、僕のベースに流れる人生観です。




今日は、これくらいにしておきます。








   

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今日は、一部の人へのメッセージです。 もしかしたら、あなた宛てかもしれません。 どんなに正しい生き方をしても、人からの批判は避けられません。 正しさは人の数だけあるから、全員から認めてもらう生き方なんてありません。 どんな生き方をしても、必ず ... 続きを読む
今日は、一部の人へのメッセージです。

もしかしたら、あなた宛てかもしれません。



どんなに正しい生き方をしても、人からの批判は避けられません。

正しさは人の数だけあるから、全員から認めてもらう生き方なんてありません。

どんな生き方をしても、必ず誰かが反対意見を言います。

人間のマインドは批判することが仕事だからね。

だとしたら、そんなことに心を煩わせるのはやめませんか。


生きたいように生きたらいいじゃないですか。

あなたの人生は、あなたにしか生きられません。


秘訣は自分にリラックスすること。

誰かになろうとしないこと。

自分を受け入れてあげること。

自分の感性を信じること。


そうすれば、あなたの中の神さんが、あなたの代わりに働くことができます。



秘訣は、誰かになろうとしないで、いまの自分にリラックスすることです。

あらゆる緊張は、いまの自分以外の何かになろうとすることから起きています。




あなたへのメッセージでした。






   



・・・・・・・・


【お知らせ】


1月

8日 名古屋 向禅師新春コラボ講演会

9日 東京 向禅師新春コラボ講演会


そしてソロ講演会


15日 大阪いまここ塾

22日 東京いまここ塾

29日 札幌いまここ塾



近日中に受付を開始できると思います。

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やっぱり決まっているんだろうな、何もかも全部。 ほんの少し何かが違えば、いまの自分はいない。 あなただって、ほんの少し何かが違えば、こうして出会っていなかった。 何代も前の祖先が、ちょっと寄り道すれば、次の子供が生まれていなくて、誰かの何かがほん ... 続きを読む
やっぱり決まっているんだろうな、何もかも全部。

ほんの少し何かが違えば、いまの自分はいない。

あなただって、ほんの少し何かが違えば、こうして出会っていなかった。


何代も前の祖先が、ちょっと寄り道すれば、次の子供が生まれていなくて、誰かの何かがほんのちょっと違っていれば、世界全体が大きく変わっていく。

1mmの誤差もない、完全なタペストリー。

人間の自由意志さえもタペストリーの一部だ。



あなたがいなければ、宇宙全体が成り立たない。

そんなふうに自分を感じたことある?

これは比喩じゃなくて事実だよ。



僕が知っているのは、たったひとつのこと。

そしていつの日か、すべての人が気づくことになる。

自分自身の、とてつもない偉大さに。




その時、あなたはこう言うだろう。


おお神よ。

あなたが私だったなんて!!!





さて、そろそろ夢にも飽きたし、目を覚ますとするか。



お・か・え・り




ただ いま







   

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なんとか早く成功して、親を安心させてあげたいという気持ちはあるのですが、現実はなかなかそうはいきません。 結局、僕がプロとしてデビューするのは、それから2年後のことです。 その2年間は、アルバイトしながら曲作りをするというものでした。 いまも昔もラ ... 続きを読む
なんとか早く成功して、親を安心させてあげたいという気持ちはあるのですが、現実はなかなかそうはいきません。

結局、僕がプロとしてデビューするのは、それから2年後のことです。

その2年間は、アルバイトしながら曲作りをするというものでした。

いまも昔もラブソングが主流で、特に当時は愛だの恋だのを唄うフォークが主流で、「人生なんてやってられるか」的なメッセージソングは日陰の身でした。


一番長くやったアルバイトは、青山のアンドラという名の会員制スナックでした。

銀座のクラブみたいな小さな店で、女の子は雇わずにママが一人で接客していました。

店のスタッフは、ママと僕と二人だけです。

雨が降って客が来ない日は、ママは困り顔で、僕は嬉し顔だったと思います。



一番の常連客は、「8時だよ!全員集合」の制作陣たちでした。

名物プロデューサーの居作さんを中心に、ディレクターやシナリオライターが全員集合でした。


テーブルを囲んでギャグを言い合って、みんなで腹を抱えて笑っています。

ああ、こうやって番組ができるのかと思いました。

作っている人たちが楽しんでいるから、番組も面白かったのでしょう。


出演者もよく現れました。

加藤茶さんは、僕が作った「うどん」を、いつもまずそうに食べていました。

だってまずかったのですからm(_ _)m


でも文句は一言も言いません。

もう少し僕にサービス精神があったらと悔やまれるところですが、あの頃は「バイトだから」という気が抜けず、店にもお客さんにも悪いことをしたと思います。若いころを思い出すと申し訳ないことがたくさんあります。


志村けんさんは、当時まだ付き人だったので、店には入れずに車の中で待機していました。

ときどきドア越しに店を覗いていたのを覚えています。


そうそう志村さんと言えば、僕が少しばかり有名になったころ、六本木の店で知り合いになり、ときどき僕に電話をくれて「また一緒に飲みませんか」なんて誘ってくれました。

息子が小学校低学年のころ「バカ殿」が大好きだったので、ある日、「このバカ殿は知り合いだったんだよ」と言うと、じっとこちらを見て「ウソばっか」と言い捨てられました(笑)



バイトをやっていたころから4年ほどして「8時だよ!全員集合」にゲスト出演することになりました。

もちろんコネではなく、当時の歌が面白がられて採用されたのです。


その時は、リハーサルで会場入りした僕を、「よっ、来たな!」と、スタッフ全員が並んで拍手して迎えてくれて感動しました。









   

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さて、それでは自我伝の続きです。 今日の話は、あんまり面白くないので、時間のある人だけ読んでみてください。 じゃ、書くなってか(笑) 上京した年に、ヤマハで、ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)と呼ばれるアマチュア大会があることを知りまし ... 続きを読む
さて、それでは自我伝の続きです。

今日の話は、あんまり面白くないので、時間のある人だけ読んでみてください。


じゃ、書くなってか(笑)




上京した年に、ヤマハで、ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)と呼ばれるアマチュア大会があることを知りました。

まだ作曲を始めたばかりの頃でしたが、度胸試しとばかりに地元浜松で応募しました。


それがトントン拍子に地区大会を勝ち進み、東海大会に出場することになりました。


僕には、大した音楽の才能はありませんでしたが、何が審査員受けするのかを分析し、それを実際の形にすることには多少の自信がありました。

そうやって作った曲が何百曲もの中から選ばれたのですから、18歳の僕は得意満面だったと思います。



さて今日はひとつ、僕の秘密を披露します。

いままで誰にも言ってこなかったことです。


実は僕は子供のころから、ジンクスをかつぐ性質があります。

そのジンクスは特定のものではなく、その瞬間に閃くものです。


たとえばバスを待っている時に、バスより先にトラックが通過したらいいことがあるぞとか、右足から上り始めた階段で、最後の一歩が左足だったら今日の試験は合格だとか、そんなことです。

もしかして、僕と同じ人いません(笑)


それが、奇妙なほどに当たるのです。

100発100中と言ってもいいくらいです。

でもこれは、自分のことにしか使えません。

誰かの結果を占うことはできないのです。



ポプコンの東海大会の当日、停留所でバスを待っていたとき、遠くから3台のバスがこちらに向かって来るのがわかりました。

その時、ジンクスが閃きました。


「もし一番後ろのバスが前のバスを追い抜いて、先にここに到着し、しかもそれが僕が乗りたいバスならば、今日の大会は優勝だ」


東海大会に出場するだけでも幸運なのに、そこで優勝するなんて夢のまた夢で、目当てのバスが先に到着することはないと思いましたが、結果はそうなりました。

詳しく覚えていませんが、偶然が重なって、そのバスが先に到着したのです。

その時、「あっ、優勝する」と思いました。



東海大会は、満場一致で僕の優勝でした。


そして東海地区代表として全国大会に出場したことが、プロデビューのきっかけになっていきます。


その後、ポプコンという大会は、多くの才能を輩出しますが、僕は彼らのように順風満帆にデビューしたわけではなく、かなり険しい道のりを歩むことになります。


まさに雑草のごとくです。










   



・・・・・・・・・


【お知らせ】


日曜日の名古屋いまここ塾に空席ができました。

参加ご希望の方はコチラからお入りください。


11月29日(火)は定例の沖縄いまここ塾です。

詳細はコチラから。



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いつだって選択肢は無数にあります。 たとえば、たったいま考えていたことも、他のことを考えることもできました。 ウトウトしているとき、なんとなく夢のような感じで何かのストーリーを見ている時がありますが、夢から覚めるともう思い出せません。 しかし見て ... 続きを読む
いつだって選択肢は無数にあります。

たとえば、たったいま考えていたことも、他のことを考えることもできました。


ウトウトしているとき、なんとなく夢のような感じで何かのストーリーを見ている時がありますが、夢から覚めるともう思い出せません。

しかし見ている間は、とても重要なことのような気がしています。


僕たちは頭の中で、無数の思考の中からひとつを選びます。

こだわりの強さによっては、その一つを繰り返し考えたりもします。

そうやって、自分の周囲に世界を作り出し、それを見ている時はとても重要なことのような気がするのです。

しかし、夢から覚めれば(覚醒すれば)、どれもこれもが単なる夢で、一瞬にして幻のように消え去ります。

とてつもなく重要な気がして、深刻に真剣に見ていた夢たちは、単なる幻だったと分かります。


いままで見てきた夢幻を繋ぎあわせて「人生」と呼んでいます。

なぜその夢を選んだのか、なぜそのようなドラマを演じたのか、きっとそうしたかったんでしょう。


そして、どんな人の夢もすべて、覚醒に向かっています。

僕たちは目覚めるために夢を見ているのです。

さとるために人生を送っているのです。




ギター片手に上京した時は、社会の裏側の隅々まで覗いてみたいという好奇心がありました。

華やかに暮らす人たち、社会の底辺に暮らす人たち、いろんな人たちに会ってみたいと思いました。

もし有名になってしまったら、それは難しくなるでしょう。

会うなら今のうちです。


何のコネもなく、大した実力もなく、希望を胸に上京する田舎の少年の一人に過ぎなかったのに、僕には何の不安もなく、自分が確実に階段を上っていくことを知っていました。

そうなることに決まっていたから知っていたのか、それとも強く思いこんでいたからそうなったのか、そのあたりが宇宙の不可思議です。



上京してすぐに、新宿のキャバレーにボーイとして入りました。

初めて見る、ちょっと危険な世界でした。


ホステスがマッチを擦ると、ボーイが駆け付け注文を聞きます。

煙草の煙がただよう店内は、薄暗いブルーライトに照らされて、なんとも淫靡な世界です。


そんなムードは、田舎の少年の好奇心を満たしてくれるには十分でしたが、すぐに飽きてしまいました。


店が終わるとマネージャーがこう言いました。

「女の子に手を出すのは一人までだ。二人目でクビだぞ」


その言葉を聞いて、大人の世界に一歩足を踏み入れた気がしました。


結局、店は一日で辞めてしまいました。








   

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人生を振り返って思うことは、仕事などの将来に不安を感じている時は、自分のことばかり考えている時であり、力強さを持つのは、人のために何かしたいと思った時です。 僕たちはいつも、安心や安定を求めていますが、実際には、何が起きても動じない心の強さを求めている ... 続きを読む
人生を振り返って思うことは、仕事などの将来に不安を感じている時は、自分のことばかり考えている時であり、力強さを持つのは、人のために何かしたいと思った時です。

僕たちはいつも、安心や安定を求めていますが、実際には、何が起きても動じない心の強さを求めているのではないでしょうか。

その心の強さは、利他心、貢献、愛、といったものと一対だと思います。

自分の中の愛に繋がること、それが生きる極意だと知ったのは、ずいぶん後になってからです。




せっかく猛勉強して入った学校でしたが、もとより与えられる勉強には興味が持てず、読んでいたのは「禅とはなにか」とか「真理の探究」とかいう本ばかりでした。

内容は理解できないのですが、真理を知らなければ生きている意味がないという思いだけは消えませんでした。


社会の秩序は、薄っぺらな偽善に見えましたし、権威を振りかざす者たちには反感を持っていました。

そんな幻想に服従することなど考えらませんでした。



誰にでも「自分は特別だ」とか、「自分は人と違う」という感覚がありますが、僕は若いころから、そんな気持ちが人一倍強かったと思います。

特別意識というのは自我の一部で、それを考えれば自我が人一倍強かったということですが、同時に、どうしても人とは馴染めない自分がいたのも事実です。


人が面白がるものは、少しも面白くありません。

ずいぶん無理をして話を合わせました。



あのころ誰にも言えず、心の中に疼いていた思いがあります。

それは将来、この世にどんでん返しが起きて、何もかもが逆転してしまうというものです。

社会の仕組みや、価値観や、人の生き方や、何もかもが変わるという予感です。


当時から心の片隅に、真実の宇宙秩序(コスモス)や、根源意識の記憶が残っていたのだと思います。

時が来たとき、わずかながら自分なりの役目を担うことも感じていました。



それまでどう生きるか。

どうせ全部逆転してしまうのだから、社会の仕組みの中で生きる必要はありません。

面白おかしく、やりたいことをやって時を待とうと思いました。


そのころ、反戦フォークというジャンルで、自分の主張を歌詞にして、ギターを掻き鳴らして歌う人たちが現れ始めました。


僕はすぐに、これだ!と思いました。








   


・・・・



【お知らせ】


本日の「いまここ塾金沢」は、当日券がありませんからご注意ください。

「いまここ塾名古屋」、「12月阿雲の呼吸」、「12月いまここ塾東京」の受付は終了しています。

年内の募集は、12月10日「いまここ塾博多」のみとなっています。


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