かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2012年05月

昨日、「感覚は神聖への扉」と書きました。 「今日は未消化」さんからの質問。 般若心経で無いとされた五蘊 「五蘊皆空」「無色無受想行識」が、 なぜ、「神聖」への扉となるのか、がイマイチよくわかりません^^; そして「ゆうこ」さんの質問。 ... 続きを読む
昨日、「感覚は神聖への扉」と書きました。


「今日は未消化」さんからの質問。


般若心経で無いとされた五蘊

「五蘊皆空」「無色無受想行識」が、

なぜ、「神聖」への扉となるのか、がイマイチよくわかりません^^;



そして「ゆうこ」さんの質問。


矛盾を感じています。

向さんも、感覚は大切だと言っていますが、般若心経には、最終的な自分は嗅覚も、視覚も何もないと書いてあるそうです。




今日の記事はやや難解になるので、時間があるときに読んでみてください。


まずは「今日は未消化」さん。

五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊)は五感のことではありません。

五蘊とは、人間の自我を形成する5段階のプロセスのことです。

詳しい解説は過去ログ(このブログのカテゴリーで見つけることができます)に書いたので省きますね。


ただし、般若心経の中では「無眼耳鼻舌身意」という個所もあり、ゆうこさん指摘の通り、五感も無いと書かれています。


般若心経は、究極に至った意識が、その次元を解説したものです。

ここに集まる人の中にも、この境地を垣間見た人がいるかと思います。

自他の隔たりが消え、時空間も消え、宇宙全体を包括する超自己の体験です。

観自在菩薩が瞑想の中で感得した境地の報告が「般若心経」と言ってもいいでしょう。

このように書くと、自分とは関係のない凄い人の凄い体験のように思えますが、実際には全ての人の内側に、この次元があります。

しかも信じられないくらい近くにあります。


さて今日この質問を取り上げたのは、精神世界を学んでいると、究極の真実を引き合いに出して、自分がいま生きている真実を否定してしまう傾向があるからです。


いま現在の僕たちの真実とは何でしょう。

それは肉体であり、感覚です。

「魂」という言葉を当たり前のように口にしますが、実際には魂のことなど何も知らず、本当に知っているのは肉体だけです。

まずこのことを認めることが大切です。


存在の真理は、多くの人にとって未知なるものです。

未知に至る方法は、未知を学ぶことではありません。


未知への扉は、既知の中に深くはいっていくことで開かれます。

既知とは、肉体であり感覚です。


昨日は「感覚」について書きましたが、実はその前にアプローチすべきものが肉体です。

まずは肉体への抑圧を開放することから始まるのですが、その際、性衝動への文化的抑圧が最も大きな障害になっています。

しかしこのテーマは、ブログで扱うには時期尚早だと思っています。

なぜかと言えば、いまだ多くの人はこの呪縛下にあり、ネット社会も成熟しているとは言えず、このような話題が、歪んだ性エネルギーを発散させる絶好の場になってしまう可能性があるからです。

それでは、本質が見失われてしまいます。

直に面して話ができる場、講演会やその他の機会に委ねたいと思います。


肉体について一つだけ結論めいたことを言うならば、肉体を愛し、受け入れることが大切だということです。

確かに僕たちは肉体以上の存在ですが、「~以上」であるならば、スタートである肉体は重要なものになります。

どれだけ多くの偏見によって、肉体への敬意を忘れてきたことでしょう。

肉体に生命エネルギーが流れるようにブロックを外していくのことが始まりです。


そして次に、同じく抑圧してきた「感覚」を解放していくのです。

肉体も感覚も幻想だと説く般若心経の次元は、肉体を浄化し、感覚を解放した結果訪れると言ってもいいでしょう。


いま自分にとっての現実を真正面から生きることは、きわめて大切なことです。

精神世界の罠にハマらないこと。

実際に自分は何を知っているのかを見極めるのです。


本やブログを通して得た知識を、まるで自分が知っていることのように思うのは危険です。

聖なる書物たちも、単なる方向指示器であり、真実そのものではありません。


真実は、いまのあなたの実体験の中にあります。


繰り返しますが、肉体を愛し受け入れ、感覚を解放すれば、それが神聖への扉です。




最後まで読んでくれてありがとうございました。








   


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僕らの日常の90%以上は、自動的にやっています。 たとえば朝、歯を磨くときも、歯ブラシを持つ角度や、ハミガキを付ける量も、どのあたりから何回くらいゴシゴシするかもだいたい決まっています。 そのあと、仕事や生活全般にわたる行為のほとんどは、自動的な同じ ... 続きを読む
僕らの日常の90%以上は、自動的にやっています。

たとえば朝、歯を磨くときも、歯ブラシを持つ角度や、ハミガキを付ける量も、どのあたりから何回くらいゴシゴシするかもだいたい決まっています。

そのあと、仕事や生活全般にわたる行為のほとんどは、自動的な同じ繰り返しです。

会社内でも、相手の役割に応じた自分が自動的に現れ、相手が上司ならそれなりに接し、相手が仕事に関係なければ目にも入らないといった具合です。

それらは意識的な選択ではなく、無意識による反応です。

反応はパターン化する特徴があるので、人生の大部分がパターン化してしまうのです。


イキイキと生きる秘訣は、生活のパターンを破り、もっと感覚を研ぎ澄ますことです。

たとえば、部屋を掃除するときにパンツを脱いでみるとか(出た!懐かしい)、どこかの芝生で昼寝をしてみるとか、愛を交わすときの体位を変えてみるとか、手づかみで食事をしてみるとか、会社の清掃夫さんを社長に対するのと同じまなざしで見てみるとか・・・

とにかくいつもと違ったことをして、その感覚をよく感じ取るのです。

これは感受性を高めるのに役立ちます。


手づかみで茶碗に入ったご飯を食べると、違和感は相当なものです。

そこに感覚がよみがえるチャンスがあります。


芝生で昼寝をすれば、鳥の声や、空の青さや、草たちのささやきを感じ取れるでしょう。



今日は何か一つでもいいから、普段なら絶対しないことにチャレンジしてみませんか。


まったく新しい感覚を得られるかもしれません。



感覚は神聖への扉です。







   

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思考の狭い枠の中で生きるのではなく、のびのびと大らかな「いまここ」のエネルギーを生きましょう。 自分をカラッポにして、肉体を神の仕事場として提供するのです。 それが、ダルマ(法)に乗って生きるということです。 みんな同じエネルギーに生かさ ... 続きを読む
思考の狭い枠の中で生きるのではなく、のびのびと大らかな「いまここ」のエネルギーを生きましょう。


自分をカラッポにして、肉体を神の仕事場として提供するのです。


それが、ダルマ(法)に乗って生きるということです。




みんな同じエネルギーに生かされています。


瞬間ごとに色彩を変えながら、その大いなるエネルギーは、完璧なバランスの中で息づいています。


どの部分も必要で、何か一つ欠けただけで全体は存在できません。



したがって、あなたがいなければ、宇宙は存在できないんです。


これは真実のお話ですよ。


本当の自分は宇宙大に凄いのに、僕たちはどれくらいそれを感じて生きているでしょうか。









   


・・・・・


6月24日(日)東京講演会の受付を開始します。

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昨日の東京講演会で感じた事・・・ 始まる前にみんなで瞑想して、目を開けた時に会場を包んでいる「気」が好きだ。 話の内容を決めるのは、僕というよりは会場だと思う。 だから毎回違うのだろう。 昨日は講演をしている半分以上の時間、「自分」がいなかった ... 続きを読む
昨日の東京講演会で感じた事・・・

始まる前にみんなで瞑想して、目を開けた時に会場を包んでいる「気」が好きだ。

話の内容を決めるのは、僕というよりは会場だと思う。

だから毎回違うのだろう。


昨日は講演をしている半分以上の時間、「自分」がいなかった。

体が中空の竹になって、中をエネルギーが通ることで言葉を奏でる感じ。

そんな時は、話しをしながら僕も聴衆の一人になっている。


行為者が消え、行為だけが残る。

意識は完全に「いまここ」にあり、それはもはや「自分」とは呼べない。

ただ、目覚めた純粋意識があるだけだ。


行為者とは、結果志向の自我そのもの。

あれこれ狭い了見で場をコントロールしようとする。


行為者が消えれば、自然な流れが自分を乗っ取り、ことを完璧に成してくれる。


茶道も武道も、その境地を目指しているのだろう。


「無」


生活の多くの時間を、そんな感覚で生きられたら、それが人生の極意なのだと思う。








   

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今朝目が覚めて、ふと思った。 「オレって一貫性がないよな」 そりゃそうだ。 今日もまた新しい一日が始まったんだし、何もかもが新しいんだから。 命は現在進行形で、いつも初めての瞬間に出会っていく。 記憶は過去の中に生き、命はいまから未来に向か ... 続きを読む
今朝目が覚めて、ふと思った。

「オレって一貫性がないよな」


そりゃそうだ。

今日もまた新しい一日が始まったんだし、何もかもが新しいんだから。


命は現在進行形で、いつも初めての瞬間に出会っていく。

記憶は過去の中に生き、命はいまから未来に向かって動いている。

記憶よりも命でありたい。



次の瞬間はまったく予測不能な、そんな人間でいたい。

一貫性は人にわかりやすく、信頼を得られるけれど、そこには微妙な意図が必要になる。

ある種の自己演出だ。


作られた自己は、形を持ったがゆえに死んでいる。

生身の自己は、生きているがゆえに形を持たない。


昨日は青が好きだったけれど、今日は赤が好きだ。

「あれ?阿部さん、青が好きだって言ってたじゃない」


でもさ、いま赤が好きな自分がいるんだから、どうしようもないじゃない。

明日は黄土色か群青色が好きになるかもしれない。



今日も命が踊っている。

木漏れ陽みたいにユラユラ揺れながら、つかの間の現実を相手に遊んでいる。



お互い死ぬまで生きようね。

数十億人の中から出会った奇跡に感謝します。








   


・・・・・・・・

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昨日は時間がなくて何も書けなかったので、今日こそはと思いきや、やはり時間が取れません。 生活の中で、「あっ、こういう言い方で説明してみよう」って閃くことが多々あって、書きたいことは山ほどあるのに残念です。 それにしても、昨日のコメント欄もすごく興味 ... 続きを読む
昨日は時間がなくて何も書けなかったので、今日こそはと思いきや、やはり時間が取れません。

生活の中で、「あっ、こういう言い方で説明してみよう」って閃くことが多々あって、書きたいことは山ほどあるのに残念です。


それにしても、昨日のコメント欄もすごく興味深く、文章タッチやアプローチは違えど、みんな深い理解を共有している人たちだなと思いました。


ここに集まってくれて光栄です。



またブログでお会いしましょう。








   


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昨日のコメント欄、面白かったですね。 ひとつの文章に対する様々な解釈。 僕の感覚に近い意見や、遠い意見はありましたが、みんな正解です。 それぞれの人がそのように考えたわけで、考えた人にとっては、その解釈が現実になります。 話はちょっと変わります ... 続きを読む
昨日のコメント欄、面白かったですね。

ひとつの文章に対する様々な解釈。

僕の感覚に近い意見や、遠い意見はありましたが、みんな正解です。

それぞれの人がそのように考えたわけで、考えた人にとっては、その解釈が現実になります。


話はちょっと変わりますが、悟りとか目覚めとか、僕たちはどうしても大層に考えてしまう傾向がありますね。

だから、一般の人が目覚めたようなことを言えば、「お前なんか」ってなるんです。


伝記に出てくる偉人や、インドやチベットのマスターの写真を見て「この人の目は本物だ」とか、数時間程度の動画を見て「この人は凄い人だ」とか、みんなファンタジーを持ちたがるけど、実際にはあなたとそれほど違いはありません。

そのマスターも教壇から降りれば、人のうわさ話をしたり、世間話をしたり、冗談を言って笑いあったり、他の人たちと変わりません。


彼らが四六時中、宇宙の真理とか、神の話をしていると思いますか?

だとしたら、なんて退屈な人たちでしょう。


雑誌の対談などで、国内外の覚者と会ってきましたが、みんな普通の人たちでした。

彼らが書いた本を読むと、洞察力あふれる、一点の曇りもない真実が並んでいます。

もちろん彼らはそのことを完全に理解しているから書けるのです。

でも会えば普通の人です。

この世には普通の人しかいないから、当然と言えば当然です。


なぜこのことを繰り返し指摘するかといえば、覚者や聖者に対するファンタジーが、自分を至らない人間だと思わせるからです。

それこそが、悟りを遠ざけている原因です。


すでに誰もが、心の奥底で悟っています。

これは、例え話ではなく事実です。


自分の至らなさを軽蔑しないこと。(至らなさは誤解だから)

自分と仲直りすること。(自分以外の人には成れないから)


そうすれば、探し求めていた幸福感が戻ってきます。


そのあとは、おなかが減ったらご飯を食べて、必要があれば仕事をし、欲しいものは欲しいと言い、悲しいときには涙して、瞑想して、世界の平和を祈って、時々エッチなこと考えて、眠くなったら眠るのです。



当処 即ち蓮華国 


此の身 即ち仏なり









   

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