かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2012年10月

人の意識というのは、体の中に閉じ込められているのではなく、あたり一面に遍在しているので、遠く離れていても意思の疎通が取れたり、一人の人の波動が、場全体に影響を与えたりということが可能です。 各地で100人規模の瞑想会を開いていますが、そのときの瞑想は、 ... 続きを読む
人の意識というのは、体の中に閉じ込められているのではなく、あたり一面に遍在しているので、遠く離れていても意思の疎通が取れたり、一人の人の波動が、場全体に影響を与えたりということが可能です。

各地で100人規模の瞑想会を開いていますが、そのときの瞑想は、なんとも言葉では表しきれない深みがあります。

そのことを実感してくれた人も多いのではないでしょうか。

それぞれの空(くう)に向う波動が重なり合い、相乗効果が起きているのだと思います。






祈りにも同じことが言えます。

その場にいる人たち全員が、心を一つにして何かを祈るとき、そこに発生するパワーは半端ではありません。


祈りとは、もともと集団で行うことが当たり前でした。

そもそも未開人(文明人の傲慢さから見た呼び名ですが)たちは、「個」という感覚をあまり強く持っていませんでした。

群れ飛ぶ鳥たちや、放牧された羊たちのように、「個」という感覚よりも、「集団」としての感覚のほうを、より強く持っていたのです。

したがって、すぐにひとつになることができましたし、祈りが起こすパワーも大きく、自然の猛威を鎮めるというような、現象界に影響を与えることも可能でした。


映画「アバター」の中で、ナヴィの部族が集団で祈るシーンがありますが、あのような儀式は、頻繁に行われていたのです。

古代遺跡などから見つかる施設の多くが、祈りの場であることも頷けます。



そのような行為を迷信として片づけるのは、現代人の驕りであり、いまは当時のパワーが見失われてしまったに過ぎません。

なぜ見失われたかというと、人間の中に「個」としての感覚が育っていったからです。


実際には「個」こそが幻想なのですが、個が尊ばれ、「私」が実在であるとされてきました。

西洋文明は、個、自我、分離、比較、競争、淘汰といった原理の上に成り立ってきたように見えます。


祈りも、個人レベルの行為に変わっていき、本来のパワーが無くなっていきました。


僕たちはいま、見失われた人類の叡智を思い出す、そんな時代に差し掛かっているのではないでしょうか。










   

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昨日、沖縄に帰ってきました。 空港に着いたときに天気がいいと、同じ飛行機に乗っていた観光客たちが喜んでいるだろうなって、こちらまで嬉しくなります。 そして昨日は上天気でした。 いつどの瞬間も、すべてのものと繋がっていることを感じていたいもの ... 続きを読む
昨日、沖縄に帰ってきました。

空港に着いたときに天気がいいと、同じ飛行機に乗っていた観光客たちが喜んでいるだろうなって、こちらまで嬉しくなります。

そして昨日は上天気でした。





いつどの瞬間も、すべてのものと繋がっていることを感じていたいものです。


自分の中に在る人間的な愚かさを認め、自分を許し、人の中にも同じような面があればそれを許し、思いやりと共に生きたいと思っています。



あなたは僕への贈り物です。



僕もあなたへの贈り物でありますように。








   


............


沖縄いまここ塾は、11月1日(木)です。

今日ではありませんから、ご注意ください。

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昨日の東京講演会の中で少しお話した、日本人の本来の性質について書いてみます。 東京の住まいのすぐそばに、善福寺というお寺があります。 幕末には、日本にやってきたハリスの領事館でした。 僕はこの寺の境内を歩くのが好きで、しばし当時の様相に思いをめ ... 続きを読む
昨日の東京講演会の中で少しお話した、日本人の本来の性質について書いてみます。


東京の住まいのすぐそばに、善福寺というお寺があります。

幕末には、日本にやってきたハリスの領事館でした。


僕はこの寺の境内を歩くのが好きで、しばし当時の様相に思いをめぐらせたりしています。

はるか極東にまでやってきた彼らが見た日本とは、そして当時の日本人とはいったいどんな人たちだったんでしょう。






ハリスの通訳のヒュースケンはこう書き記しています。



この国の人々の飾り気のなさを賛美する。


いたるところに満ちている子供たちの笑い声を聞き、どこにも悲惨なものを見出すことはなかった。


西洋の人々が、西洋の重大な悪徳を日本に持ち込もうとしているように思われる。




そんなヒュースケンは、攘夷派の薩摩藩士に暗殺されてしまうのですから、当時の日本が平穏な時代ではなかったことがうかがえます。

にもかかわらず、書き残された記録の多くは、そんな世相の中においてさえ、日本人が徹頭徹尾おおらかだったことを伝えています。



工業学者のデクソンは



老人から赤子までにこやかに笑いこけている。


彼らは世の中の苦労をあまり気にかけていない。


西洋人に見られる心労に打ちひしがれた顔つきなど、全く見当たらない。




また在日スイス領事のリンダウも、日本人はすぐに笑いこけると言っています。



なぜでしょう。

それはもともと日本人には、肚(ハラ)で考えるという習慣があり、マインドに振り回されることが少なかったからです。


マインド(頭)は深刻さを呼び起こします。

マインドとは観念の束のようなもので、ひっきりなしに比較し、判断し、裁いている張本人です。


一方で、肚で考える習性がある人々は、より静かで、穏やかで、落ち着いているのです。

しかも肚にまで意識を落とすと、その真ん中にあるハートセンターも機能しやすくなります。


考えることから、感じることへ。

これは、これからの時代を生きる上でのキーワードだと思います。

考えることは、過去と未来に属していますが、感じることは「いま」の一部です。



だからこそ、首なし人間の練習を奨励します。

首から上が消えてなくなってしまったイメージを持って生きてみるのです。

自分を取り巻く空間全てが、自分の意識になったかのようなイメージです。


ストップ瞑想の時は、特にそんなイメージが効果的です。



頭が作り出していた複雑な問題世界から離れて、おおらかに、にこやかに、そして笑いを友として暮らしていきましょう。

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あらゆる現象は、来ては去っていきます。 楽しいことも、悲しいことも、成功も、失敗も・・・ でもたったひとつ、変わらないものがあります。 それは、来ては去っていく現象を、観照している意識です。 それだけが、本当に存在している唯一のものです。 ... 続きを読む
あらゆる現象は、来ては去っていきます。

楽しいことも、悲しいことも、成功も、失敗も・・・


でもたったひとつ、変わらないものがあります。

それは、来ては去っていく現象を、観照している意識です。


それだけが、本当に存在している唯一のものです。


ところがその意識は、宇宙の最初からずっと自分として存在し続けているので、あまりにも当たり前になってしまって、気づくことができません。

ちょうどそれは映画を見ていると、映画を映しているスクリーンを見失ってしまうのと同じです。


スクリーンであるところの自分を、これこそが本当の自分だったと見抜いた日、あまりにも単純かつ巧妙に隠れていた自分(その存在を神とも言います)が、可笑しくて涙が出てきます。





ひとたび自分の本当の姿を目にすれば、それまでと同じ生き方をしたいとは思わなくなるでしょう。

新しい洞察が生まれ、新しい見方が生まれ、新しい対応が始まっていきます。


本当の自分は起きる出来事に影響されることもなく、決して歳をとりません。



僕は今日で肉体年齢59歳になりますが、内側は0歳、もしくは100億歳です。

そしてこれからも永遠に存在し続けることを知っています。



これは僕だけの話ではなく、これを読んでくれているあなたのことですよ。



世の中に蔓延する、痛みや苦しみが、少しでも和らぎますよう、お互いにできることをしていきましょうね。




そして今日もいい日でありますように。








   

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こんにちは。 このブログのアクセス難を、年明けには改善して下さるとのことでしたが、運営サイトのスタッフのご尽力で、今日はすでに繋がりやすくなっている模様です。 迅速な対応に感謝申し上げます。 このブログが続いてきたのも、見て下さる方たちがいてのこ ... 続きを読む
こんにちは。

このブログのアクセス難を、年明けには改善して下さるとのことでしたが、運営サイトのスタッフのご尽力で、今日はすでに繋がりやすくなっている模様です。

迅速な対応に感謝申し上げます。


このブログが続いてきたのも、見て下さる方たちがいてのことですが、同時に多くの見えないサポートがあってこそということを、今回改めて感じました。


考えてみれば、今着ている服も、今朝食べた食事も、こうやって操作しているパソコンも、生活周りのありとあらゆるものは、人の手によって作られたものであり、まさに生かされているということを実感します。

いつもあるものは、あたりまえになってしまう、そういう傲慢さがまだ自分の中にはあると気づかされました。


おかげさま


なんていい言葉なんでしょう。



戦後、西洋の自由主義が尊ばれ、自分がどう生きようと自分の勝手だというような風潮が蔓延してきました。

精神的な過度の束縛を外すのは大切なことですし、自らを縛り上げている観念に気づくのは、自分の人生を生きる上で欠かせないポイントです。

と同時に、人間は一人で生きているのではなく、多くの見えない力によって生かされているということも忘れてはいけません。


自由という言葉の意味は、自分勝手に生きることではないのです。

自由とは、自分の想念からの自由であり、何をしても自由ということではありません。

そのあたりの矛盾は、精神性が向上することで難なく統合されますが、最初のうちは言葉に惑わされてしまうことも起こりがちです。



この世には、単独で存在しているものは何一つありません。

あらゆる存在は、それぞれの関係性の中で、支え合って存在しています。

そのことを仏陀は「諸法無我」と説きました。


昨日は解釈を挟まずにあるがままを見ることの大切さを書きましたが、今日は真逆のことを書いてみます。


もしあなたのお子さんが、朝帰りを繰り返し、家族に心配や迷惑をかけていたら、注意してあげましょう。

「お母さんも心配しているのよ」


その時、もし子供が

「何言ってんだ、オレの勝手だろ!!」


なんてほざいたら、胸ぐらをつかんでこう言うのです。



















「諸法無我よ!!!」












今日もいい日でありますように(^o^)









   

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いつもありがとうございます。 甘ったるい言い方ですが、みんなが幸せであればいいなと思います。 そのために個人ができることは限られていますが、この場が少しでも人の気持ちが楽になる場であればと思っています。 これからも、なんやかんやと、分かったよう ... 続きを読む
いつもありがとうございます。


甘ったるい言い方ですが、みんなが幸せであればいいなと思います。

そのために個人ができることは限られていますが、この場が少しでも人の気持ちが楽になる場であればと思っています。


これからも、なんやかんやと、分かったようなことを記していくと思いますが、メッセージは不特定多数の皆さんに宛てたものではなく、そのメッセージを必要としている人のためのものです。

ですから、文章を読んでピンとこなかったり、いまの自分には必要無いと感じたらスルーしてください。


今日は短いアドバイスを書いてみます。


これから、あなたが目にする現実を、いっさいの解釈を持ち込まないで、ただあるがままに見てみてください。

敵も味方も、美しいものも、醜いと感じるものも、そのような判断をせずに、ただありのままに見てみるのです。

真実はいつも剥き出しのまま、目の前に展開しています。

それらは、ただ在るのです。


最初のうちは難しいかもしれませんが、考えを持ちこまないで観照すれば、それまで抱えていた人生の重荷を降ろすことができます。

それは責任放棄ではなく、正確な対応をするための第一歩となります。


僕たちは、あまりにも自分の価値観がこしらえた世界に固執し過ぎています。

その固執の強さがストレスや苦しみの大きさになっているのです。


判断しないという態度が、いごこちが悪ければ、またすぐに戻ればいいでしょう。

でも、ほんの一瞬、そのような目線で物事を見るようにするだけで、視野が広がり、状況を改善するアイデアが湧いてくることでしょう。

幸せとは、すべての問題が解決することではなく、すべての問題を作り出していた自分の心を再調整することなのです。


そして安心してください。

まさにいま、呼吸を許され、こうして存在していることに安心してください。


これからもずっとあなたは守られています。

守られているというのは、気休めの言葉ではなく、あなたこそが存在そのものであり、それはこれからも永遠に安らぎと共に在り続けているということの表明です。


理屈では捉えきれない真実が、すでにあなたとして存在しています。

そのことに気づくのが、人生の最終ステップになります。


あらゆる苦しみや困難は、そのことに気づかせるための仕掛けに過ぎません。



あなたに、大いなる気づきの恩恵が訪れますように。









   

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このブログも7年目に入り、たくさんの人に見てもらえてありがたく思っています。 ブログを運営している「てぃーだブログ」は、沖縄のローカルサイトです。 沖縄観光や沖縄移住が盛んないま、沖縄からの幾多の情報を発信するサイトとしてユニークな輝きを発しています ... 続きを読む
このブログも7年目に入り、たくさんの人に見てもらえてありがたく思っています。

ブログを運営している「てぃーだブログ」は、沖縄のローカルサイトです。

沖縄観光や沖縄移住が盛んないま、沖縄からの幾多の情報を発信するサイトとしてユニークな輝きを発しています。





僕も最初は沖縄の人だけが見ることを意識して始めたのですが、ネットは全国区、いや世界区の媒体で、思わぬ展開になっていったというのが正直なところです。


気がつかない間に、このブログも一か月で100万アクセスを超えるようになり、運営サイトの想定外の状態になってきました。

その結果、このブログへのアクセスが難しくなってしまったり、コメントや記事の投稿がダブってしまったり、コメント欄を開けにくかったりというトラブルが発生しています。


昨日、サイトを運営する野沢社長と連絡を取り、来週沖縄で、事態改善のための対策を練ることにしました。

野沢さんのお話では、年明けにも問題が解決できるように計らってくださるとのことです。


もうしばらく、いまの状態が続くと思いますが、このサイトにはローカルならではの愛があり、温かく見守っていただけたらと思います。



これからもよろしくお願いします。






   


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次回の沖縄いまここ塾は11月1日(木)です。

火曜日ではなく木曜日開催となりますので、ご注意ください。

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