かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2013年01月

一昨日、沖縄に帰ってきました。 やっぱり沖縄、好きです。 帰った夜は、中城村の吉の浦会館での講演会でした もう何百回やったのか分かりませんが、8年目です。 数年前までは毎週やっていたのですが、いまは月に一回です。 最初の3回目くらいの時に、 ... 続きを読む
一昨日、沖縄に帰ってきました。

やっぱり沖縄、好きです。


帰った夜は、中城村の吉の浦会館での講演会でした

もう何百回やったのか分かりませんが、8年目です。

数年前までは毎週やっていたのですが、いまは月に一回です。


最初の3回目くらいの時に、「もう喋ることがないから来週には終わろう」なんて思ったのを覚えています。

ところが、「喋ることがなければ、喋らなきゃいい」と思えたことで、また続いていったのです。



さて、いつもなら沖縄の家にいられるのは、月に数日しかないのですが、今回は10日間いられます。

まったりと過ごしてみます(^o^)













   

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世間話や、なにげない会話は苦手です。 たしかにそのような会話は、人間同士の関わりでの潤滑油になりますが、それだけで終始してしまうと、無意味な時間を過ごしたような気になってしまいます。 本当は、ここに書いてきたようなことを、朝から晩まで話させてもらえ ... 続きを読む
世間話や、なにげない会話は苦手です。

たしかにそのような会話は、人間同士の関わりでの潤滑油になりますが、それだけで終始してしまうと、無意味な時間を過ごしたような気になってしまいます。


本当は、ここに書いてきたようなことを、朝から晩まで話させてもらえたら、それが一番です。

もしかして、あなたもそんなタイプじゃないですか(^o^)


講演会では、好きな話だけを思いきりさせてもらえて、しかも、遠くから聞きに来てくれた人の前でお話できるのですから、僕にとってパラダイスの時間です。

昨日の東京講演会も、終わりたくないくらい楽しい時間でした。

いつか夜を徹して、座談会スタイルでやってみたいですね。

亡くなられた小林正観さんは、そんなふうにして全国を回られていたと聞きましたが、僕と同じような気持ちだったのかもしれません。



次回の東京講演会は2月24日(日)です。

本日よりお申込受付を開始します。

詳細はコチラ


沖縄講演会は1月29日(火)です。

詳細はコチラ



そんでもって、ポリポリ




このブログですが、運営サイトのメンテナンスのため、今日(28日)の午後以降は、見ることはできても、書き込むことができなくなります。

30日の午前5時から午後1時までは、閲覧もできなくなります。

記事の更新は、早くても30日の午後以降になりますので、ご了承ください。



それから、黒斎くんとの「阿雲の呼吸」は、しばらくお休みさせていただくことになりましたが、来月は東京、名古屋、大阪で開催します。

東京はおかげさまのSold out、名古屋と大阪には、まだ席がありますので、この機会にいらしてください。



写真は横浜の「阿雲の呼吸」で熱弁中の黒斎くん。



■2月10日(日) 名古屋(名古屋国際会場・3号館3F 国際会議室)

PC用購入ページリンクURL


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■2月11日(祝) 大阪(新大阪丸ビル別館 2F 2-3号室)

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またお会いしましょう。







   

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もしあなたが、わずか1分間でも完全に思考の外に出て、純粋に意識そのものでいられたら、その1分間、あなたは超越した覚者です。 覚者とは個人への尊称ではなく、まさにいまの状態に付けられた名前です。 究極的には固定された個人など存在していないのですが、思 ... 続きを読む
もしあなたが、わずか1分間でも完全に思考の外に出て、純粋に意識そのものでいられたら、その1分間、あなたは超越した覚者です。

覚者とは個人への尊称ではなく、まさにいまの状態に付けられた名前です。


究極的には固定された個人など存在していないのですが、思考はなんでも固定化してしまい、流れであるところの実相を凍らせてしまいます。

「私」とは現在進行形の動詞であって、名詞ではないのです。


いまどう在るか

それだけです。



明日(27日)の14時は満月です。

お時間がある方は、いっしょに瞑想しませんか。

きっとパワフルですよ。


ちょうど僕は、東京の講演会が始まる時間なので、いつものように瞑想から入っています。

会場に来る人も、そのつもりで少し早めに来てください。(予約していない方は、当日券がありませんのでご注意ください)







P.S

麻布でのマントラ伝授者は、17時から講演会と同じ会場で瞑想会をします。

こちらは月例のアフターケアですので無料です。

受付で名前をおっしゃってください。

他都市で受けられた方も参加可能です。







   

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瞑想する場所はどこでもいいんですが、僕が一番好きな場所は、森林の中、小川のほとり、緑の丘、星空の下・・・ ではなくて・・・実は・・・サウナ風呂です。 最近では、サウナの入場券を買う時から、神聖な気持ちに包まれます(笑) おごそかに服を脱ぎ、まずは ... 続きを読む
瞑想する場所はどこでもいいんですが、僕が一番好きな場所は、森林の中、小川のほとり、緑の丘、星空の下・・・

ではなくて・・・実は・・・サウナ風呂です。


最近では、サウナの入場券を買う時から、神聖な気持ちに包まれます(笑)


おごそかに服を脱ぎ、まずはシャワーで身体を清めます。

身体は、魂がこの世を歩くための乗り物です。

天からの借りものなので、神のレンタカーだと思っています。

借りものなのですから、大切にしなければいけません。

そんな神聖な気持ちを込めて身体を洗い清めます。


そしていよいよサウナ室に入ります。

すでに何台かの神のレンタカーが駐車していますが、その傍らに座り、目を開けたまま、特定のイメージを持つようにします。

それは、自分の首から上が無くなって、サウナ室全体に自分の意識が広がったイメージです。

何人かの人達が汗をかいていますが、自分が彼らを見ているのではなく、その状況そのものが全部自分だという感覚になります。


そうやって10分間ほどを過ごし、「首から上」(頭)が完全に無くなった状態で、サウナ室を出て、次は水風呂に入ります。

水温は22度くらいです。


すると80度くらいに熱せられた皮膚が、急に冷水に触れることで、感覚がマヒしていきます。

そのとき、身体全体が消えたような気になります。


すでに首から上が消えているので、首から下も消えてしまった時、「私」が消えて無くなります。


そこにあるのは、単に意識だけであり、その意識のもとで、風呂場全体が刻々と事を展開しています。

「私」がいようといまいと、事はただ起きています。

そこに関わっている「私」はいません。


実は、人生全体で起きているのも同じことで、自分が人生の状況を生きてきたのではなく、状況そのものが、「いま」という永遠の中で、形を変えながら展開していただけです。

そのシーンに登場している自分というレンタカーも、その時の状況の一部に過ぎず、自分が状況を生きているという感覚は錯覚で、本当は、自分を含んだ状況がその場に現れていただけです。


起きることが起き、それ以外は決して起きません。

個々のレンタカーには、最初から組み込まれたプログラムがあり役割があります。

これは運命論という考え方として片づけられそうですが、宇宙規模の壮大な計画が存在し、各パーツは寸分の狂いなく、まさにいまもその役目を粛々と担っています。

起きていることの中には、各自が「自分の自由意思」として感じているものまで含まれています。

自由意思さえも、彼方から湧いてくる計画どおりです。

今までに登場したあらゆるブッダたちは、このことを深く理解していました。



さて、水風呂の中の僕は、起きている状況から完全に手を引いていて、起こるがままにお任せしています。

ストレスは皆無です。

なぜなら、「私が状況を生きている」という錯覚こそが、心理的摩擦の原因だからです。


真実だけが、人を根本から救い、癒してくれます。


「自分がこの状況を生きている」

「自分がこの状況をコントロールしている」

というようにして、頭脳が作り出した思い込みの世界の中だけに暮らしていれば、具合も悪くなるというものです。



そんな解放された境地を1~2分味わってから、こんどは隣の温かい風呂に浸かります。


身体が温まったら、風呂場の隅にある椅子に座り、そのまま目を閉じて、本格的な瞑想に入ります。

約40分間ほどですが、いつも5分くらいにしか感じません。


これが、僕の一番好きな瞑想スタイルです。




もちろんサウナ風呂以外でも、これと同じような感覚で生きています。


事は自然に起きているのです。

それがわかれば、何が起きても、そんなに違いはなくなってきます。



すべては宇宙の戯れ。

神の戯れ。


リーラです。


そんな心境から生まれたのが、比叡山でもご披露した「リーラ」という歌です。



春が来て また冬が来て

去りゆく命 生まれ来る命

泣く人がいて 笑う人がいて

この世はすべて こともなし




1987年の作品です。


あれから25年が経ちましたが、今日も同じ心境で生きています。









   

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昨日の話の中で、ある程度の段階に入ったら、そこにはマスターが必要になると書いたでしょ。 それは、自己欺瞞を暴いてくれる人が必要だという意味です。 自分で自分の自己欺瞞を見抜くのは限界があります。 やはり、正直に関わってくれる精神の友が必要です。 ... 続きを読む
昨日の話の中で、ある程度の段階に入ったら、そこにはマスターが必要になると書いたでしょ。

それは、自己欺瞞を暴いてくれる人が必要だという意味です。


自分で自分の自己欺瞞を見抜くのは限界があります。

やはり、正直に関わってくれる精神の友が必要です。


それは偉大な覚者でなくてもいいんです。

ただ心を開いて、正直に向き合ってくれる仲間であればいいのです。





そもそも「グル」という存在は、神格化された人物のことではなく、心を開いて関わってくれる人の事です。

自らが先に開くことで、相手が開く場を提供する存在です。


そういう人間関係こそが最も大切なのですが、現代ではほとんど見失われてしまいました。



もしそんな仲間(グル)がいて、互いにサレンダーできたとしたら、僕たちの成長はすごく早まるのでしょうね。








   

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人生はRPGゲームに似ているところがあります。 ドラクエでも、主人公の経験値が上がってくると、それまで頻繁に登場していた敵が姿を消して、次のレベルの敵が現れてきます。 たまにそれまでの敵が現れても、いとも簡単に退治できてしまい、「なんだこんなに弱かったの ... 続きを読む
人生はRPGゲームに似ているところがあります。

ドラクエでも、主人公の経験値が上がってくると、それまで頻繁に登場していた敵が姿を消して、次のレベルの敵が現れてきます。

たまにそれまでの敵が現れても、いとも簡単に退治できてしまい、「なんだこんなに弱かったのか」と思うのです。





人生も同じです。

小さな悟りひとつで、それまで心を悩ませていた人間関係や、経済的問題などが、取るに足らないことに見えてきます。

それは、急にいい人たちに囲まれるとか、大金を手にするといったことではなく、現実をあるがままに見られるようになることで、混乱したマインドに振り回されなくなるということです。

起きていることへの対応が正確になり、その結果、人もお金も豊かになっていきます。


ここで一面クリアです。


次に出てくる敵は、外側にはいません。

自分そのものが敵キャラになってきます。


ひっきりなしに現れる想念や、膨大な記憶の数々、それらと自己同化して作り出していた「自分」という幻影。

それが次なる敵です。

あえて「敵」いう言葉を使いましたが、この相手を滅ぼしたとき、その奥から本当の自分が現れてきます。


この面における必須アイテムは『瞑想』です。

『瞑想』は第一面から有効ですが、第二面においては不可欠です。


想念の雲を断ち切り、その背後にある大空を垣間見ることから始まります。

真理の一端を見つけるのです。

ちなみに禅の十牛図では3枚目に描かれています。


ここからは絶え間ない意志の力、不屈の精神が必要になります。

というのも、敵キャラである「自分」という幻影は、別名「自我・エゴ」と呼ばれていて、これが非常にすばしっこく、巧妙な罠をいくつも仕掛けてきて手ごわいのです。


正面から戦っても、決して勝ち目はありません。

戦っている当人が、敵キャラであったはずの「自分」であり、この一人二役こそが、自我の巧妙な手口なのです。


戦わないことが勝利の道であり、それは瞑想によってもたらされます。

何度も何度も罠にかかり、気がつくとまた振出しに戻っているということが繰り返されます。


面が上がれば上がるほど、そこにはマスターと呼ばれるガイドが必要になってきます。

なぜなら、知らない間に敵キャラ(自分)の催眠術にかかり、罠の中で独りよがりのゲームを続けてしまいがちだからです。


最終的には、自分という幻影の根を断ち切ることで、ゲームは終了します。

それは同時に、戦っていたプレイヤーも、敵キャラも存在していなかったことの発見です。


ちょっと分かりずらい表現になってしまいましたが、これが人生ゲームです。



昨日、企業経営者のみなさんを対象にした講演の相談を受けましたが、多くの人たちはいまだ最初の面で奮闘しています。


みんなが気づきの剣を手にして、次の面に進むときが来ていると思います。

そこからまた次の戦いが待っていますが、その時にはすでに、それまで心を悩ましていた人間関係や、お金などの問題は、スライム程度の弱い敵になっていて、たまに出てきても即退治してしまうことができることでしょう。



「自分を知る」という最も本質的なテーマに、社会規模で関心が向けられる時代になってくることでしょう。

大げさな表現に聞こえるかもしれませんが、悠久の時を経てきた進化の最終局面です。








   


・・・・・・・・・・・・


2月17日の松山(四国)講演会は満席のため受付を終了しました。

1月27日の東京講演会も締め切っています。

都合が悪くなった方は、なるべく早く一報ください。


月例の沖縄講演会は1月29日です。

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昨日の大阪講演会の途中に感じたことがあります。 それは、「凄い時代になったな」ということ。 以前なら、野を超え山を越え、命がけで探し求めた真理の情報を、いまやボタン一つでいとも簡単に入手でき、しかも人々から崇められる聖者ではない、ごくあたりまえの男 ... 続きを読む
昨日の大阪講演会の途中に感じたことがあります。

それは、「凄い時代になったな」ということ。


以前なら、野を超え山を越え、命がけで探し求めた真理の情報を、いまやボタン一つでいとも簡単に入手でき、しかも人々から崇められる聖者ではない、ごくあたりまえの男が、ごく当たり前に、聴衆と共に「存在の真実」を分かちあっているのです。

そこには何の力関係もなく、対等な場で笑いながら共感し合っています。

なぜなら聴衆もすでに、真理に目覚め始めているからです。


時代は大きく変わりました。

真理の次元がごくごく身近なものになってきました。

もともと誰にとっても身近だったのにもかかわらず、多くの誤解から、一部の突出した魂だけが得ることができる、特別な境地とされてきたのです。


真理の次元とは、どこか遠い所で待機している場所ではなく、僕たちの意識が物質世界という限界を超えたときに、それぞれが感得する次元です。

早い話、高次元とは意識の拡張による結果です。

意識が拡張すれば、目の前の世界の次元が変わります。

なぜなら世界とは、個々の意識の投影だからです。






な~んて書きながら思うのは、こういう事に対して質問されても、うまく答えられないことです。

そのような質問は、質問する側の次元の中で発せられていて、次元が変われば質問自体が消えて無くなるのですから、僕のような者にできるせい一杯は、そういう次元(意識状態)があるよって話をすることだけです。


質問者にとって一番的確な質問は、悟ったらどうなるかとか、高い次元の世界はどんなかとかいう、違うレベルに関する質問ではなく、いま現在自分が直面している切実な問題に関する質問だと思います。

たとえば昨日の講演会なら、隣人がうるさいのだけれど、引っ越すべきか否かというようなことを聞いた人がいましたが、まさにそういうことです。

そこから、いまの自分が見えてきます。


大切なのは、まさにいまあるがままの自分を知ることだと思います。



昨日、久しぶりに東京に戻ってきました。

年が明けて初めてです。


郵便ポストの中には、たくさんの年賀状が届いていました。

くださったみなさん、返信もせずに大変失礼しました。

みなさんの思いを、ありがたく頂戴させてもらいます。



そんなこんなで、今年もよろしくお願いしますm(_ _)m








   

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