かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2013年02月

昨日書いた、「以上!」ですが、ちょっと考えにハマりそうになったら、「以上!」と言ってやめてしまいましょう。 いつでもどこでも、「以上!」は僕たちの良き友達です。 いかに考えない時間を増やせるか、毎日の修行ゲームだと思ってやってみると、心身ともに絶好 ... 続きを読む
昨日書いた、「以上!」ですが、ちょっと考えにハマりそうになったら、「以上!」と言ってやめてしまいましょう。

いつでもどこでも、「以上!」は僕たちの良き友達です。


いかに考えない時間を増やせるか、毎日の修行ゲームだと思ってやってみると、心身ともに絶好調になりますよ。


もちろん思考を使う場面もあります。

何かを考えて整理したり、プランをたてたり、ここぞという時は集中して考えます。


それ以外の思考は、僕たちが信じているようには役に立っていません。

たいていの場合、答えが出せないまま、堂々巡りになっています。

だから、「以上!」を多用して、いまに戻ってくるんです。

そうやって無思考の時間が持てるようになれば、いざ思考を使うときの思考は研ぎ澄まされています。

現実をもっと、冴えた状態に変えていくことができます。






外に出て、両手を広げて深呼吸します。

青い空、白い雲・・・



息を吸って私は静か・・・

息を吐いて私は微笑む・・・



そんな言葉と共に、ゆっくりと呼吸します。



耳を澄ませば、街の音が聞こえてきます。


「あー、僕がいなくても、世界は完璧に動いている」

そう思うと、心の底から平和な気持ちが訪れます。




世界から完全に手を引いています。







   
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昨夜、沖縄の講演会が終わった後、ある女性が相談に来ました。 どうしても自分が好きになれないと言うのです。 いろんな本の中にも、自分を好きになるようにと書いてあるのに、どうにも好きになれない。 好きにならなきゃダメじゃないか・・・ どうして好き ... 続きを読む
昨夜、沖縄の講演会が終わった後、ある女性が相談に来ました。

どうしても自分が好きになれないと言うのです。


いろんな本の中にも、自分を好きになるようにと書いてあるのに、どうにも好きになれない。


好きにならなきゃダメじゃないか・・・

どうして好きになれないんだ・・・

どうしたら好きになれるんだろう・・・


そうやってゴチャゴチャ考えていること自体が、苦しみを増やしています。

本来あるべき姿を想定して、そうなれない自分を責めているのです。


「私は自分を好きになれない!以上!!」

で終われば、それはそれで爽やかです(笑)


いいじゃないですか、それで。

そのうち変わりますよ。


好きも嫌いも好きのうち。

どのみち、一番関心があるのは自分のことなんですから。





実は僕も、若いころは自分の事が大嫌いでした。

欺瞞のかたまりで、役者で、自分勝手で、プライドばかりが高くて、そのくせ自信がなくて、誰のことも愛せなくて、誰からも愛されていないように思えて、あ~イヤダイヤダ!


そんな要素は、いまでも僕の中にありますよ。

でも、そのことが問題ではなくなりました。


この先だって、自分が嫌いになる瞬間がくるかもしれません。

でも、またすぐに復活するでしょう。


だってその時、僕はこう言うからです。

「自分を好きになれない!以上!!」



いまの僕には、自分を嫌いだという気持ちはありません。

でもだからと言って、自分を好きだなんていう気持ちもありません。


「自分を好きだ、好きだ、好きだ、好きだ!!」

こういうの気持ち悪いですから。



「とりあえず、こんな自分です!以上!」



ま、気楽に行きましょう(^o^)







   


・・・・・・・・・・・・・

仙台講演会(3月31日)の、お申し込みを開始します。

詳細はコチラから


大阪講演会は定員に達したため、お申し込みを終了しました。

都合が悪くなった方は、なるべく早くご連絡下さい。


そのほか3月講演会は以下の通りです。


東京(3月17日)


札幌(3月24日)



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スピ系の情報に引き寄せられてくる人の中には、人生に行き詰まり、新たな救いを求めている人もいると思います。 確かに新しい教えに触れることで視点を変えてみるのは大切で、それによって自分の偏った生き方を修正することも可能です。 しかしそれでも、仕事やお金 ... 続きを読む
スピ系の情報に引き寄せられてくる人の中には、人生に行き詰まり、新たな救いを求めている人もいると思います。

確かに新しい教えに触れることで視点を変えてみるのは大切で、それによって自分の偏った生き方を修正することも可能です。


しかしそれでも、仕事やお金や健康などの問題は残ったままです。

結局僕たちは、人生に立ちはだかる困難と向き合っていくしかないのです。

そして苦しんで苦しんで、その果てに見つけ出す境地、それこそが真の救済です。


じっくり腰を据えて、目の前の現実に対応していくしかありません。

安易な救済にすがっても、かえって遠回りになってしまいます。


この世に特別な能力を持った救済者など存在していません。

そのような謳い文句で活動する人は後を絶ちませんが、救済は自分の中でしか起こり得ないのです。

人が悪夢にうなされているとき、その人の夢の中に入っていって、問題を解決することはできません。

せいぜいできることは、うなされている人を夢から覚ましてあげること、目覚めを促すことでしょう。


しかしそれとて、その本人自らが目覚めるしかなく、そのためには、耐えられないくらいの悪夢を見ることかもしれません。

武器を持った大勢の敵に囲まれて、逃げ伸びた先が崖になっていて、その下には飢えた猛獣たちが口を開けて待っている。

そしてついに、まっさかさまに崖から落ちていく、その瞬間に夢から覚めたりするのです。


そうなると、目覚めを促す側のやることは、「もっと苦しめ、もっと苦しめ」ということになります。

チベット仏教のミラレパの伝統(カギュ派)には、そんな逸話がたくさん残されています。





なんだか救いのない話になってしまいましたね(笑)

でも大丈夫です。

どんな悪夢の中にいようと、どんな困難の中にいようと、僕たちは最初の最初から救われているからです。

だって夢なのですから。


このことは、ここでも繰り返し伝えてきましたが、このような言葉も使い方を間違えてはいけません。

夢だ夢だと言い聞かせても問題は無くなりませんし、どうせ夢だからと言って全部投げ捨出しても始まりません。


最終的には救われているという安心感を持って、人生に立ち向かっていきましょう。

それが僕からのメッセージです。



きっと僕はおせっかいなのでしょう。

こうしてなんだかんだと伝えたくなるのです。


講演会も終わる時間が惜しいくらいに話し足りないし、毎朝こうして何か書きたくなってしまいます。

きっと僕の業(ごう)が深いからだと思います。


また書きます(笑)







   


・・・・・・・・・・・


3月10日の大阪講演会は残り席わずかです。

3月17日 東京

3月24日 札幌


明日の夜は、沖縄での月例講演会です。


詳細は各都市名をクリックしてください。


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もうスピ系のメッセージは飽きました。 あはは、これは僕としては究極の宣言かも(笑) あとは、地に足をつけてしっかりと生きていく、それしかありません。 僕はもっと現実的なテーマを語っていきましょう。 人間関係のこと、健康のこと、家族のこと、歳を ... 続きを読む
もうスピ系のメッセージは飽きました。


あはは、これは僕としては究極の宣言かも(笑)


あとは、地に足をつけてしっかりと生きていく、それしかありません。

僕はもっと現実的なテーマを語っていきましょう。

人間関係のこと、健康のこと、家族のこと、歳をとるということ、お金のこと、セックスのこと・・・

苦しんでいる人を楽にしてあげられたら、そんなに嬉しいことはありません。


人間とは複雑な生き物で、自分で勝手に自信を無くしておきながら、自信を持とうとしています。

自分は無知だという催眠術をかけて、何かを学ばなければいけないと思っています。

悟っているのに、悟りたいと叫んでいます。


もう何も探さなくて大丈夫。

時節が来れば、花が咲くからです。


そんなことは天に任せて、お互いにしっかりと生きていきましょう。

自分を、そして周囲の人たちを幸せにしていきましょう。


「一隅を照らす」


なんていい言葉でしょう。

霊的天才の空海さんもいいけれど、一人間である最澄さんに惹かれる今日この頃です。


また門ちゃんに会いたいなあ。



年末の比叡山リトリートでの門ちゃんとのツーショット








   


・・・・・・・・・

明後日沖縄に帰ります。

沖縄講演会は2月26日です。

詳細はコチラから


3月31日の仙台講演会は、週明けにお申し込みを開始します。

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昨日の話で、80歳を過ぎても性欲があるの?みたいなことを書いてくれた人がいました。 意外かもしれませんが、年齢を重ねて食欲や物欲が減ったとしても、性欲は残っています。 もちろん、体力的な衰えはありますが、性に対する関心は変わりません。 なぜなら、 ... 続きを読む
昨日の話で、80歳を過ぎても性欲があるの?みたいなことを書いてくれた人がいました。


意外かもしれませんが、年齢を重ねて食欲や物欲が減ったとしても、性欲は残っています。

もちろん、体力的な衰えはありますが、性に対する関心は変わりません。

なぜなら、僕たちの存在自体が、性に根差しているからです。

性交渉によって誕生し、性と共に生きているのです。

老人たちは、自らの性欲を恥じて隠す傾向にありますが、ある心理学者に言わせると、人間が死の間際に見る最後のビジョンは、性に関することだとのことです。





人間だけでなく、あらゆる生物は、性を基盤に生きています。

僕たちが美しいという花々も性の現れですし、小鳥のさえずりも、虫の鳴き声も性の呼びかけです。

命が3次元に現れたとき、それは性そのものとして存在するのです。


ところが人間は性に対する否定的な観念を持っているので、その一生はとても不自然なものになります。

この不自然さ、あるいは抑圧が、人生を謳歌するする妨げになったり、自分自身に対する軽蔑に繋がったりしています。

まさに性格が歪んでしまうのです。


ですから、性を中立的に見ることは大切です。

しかしこのテーマは、人間の集合意識の奥に巣食っていて、あまりにも深いので、デリケートに扱う必要があります。

無意識による拒否反応が起こりやすく、あるがままに見ることが極めて難しくなっています。


性の抑圧も、性の自由も、どちらも間違った観念から生じた結果です。

これまでの文明が抱えてきた、「性」と「死」に対する誤った観念が変わるだけでも、すべての人たちが尊厳を持った人生を送るための、大きなきっかけになると思います。


性に対しては、様々な意見があると思いますが、その意見そのものが、観念というフィルターを通して生じていることを忘れてはいけません。

こんなことを書いている僕自身も、まだまだ多くの観念を持っていると感じています。


先ほども書いたように、これらの観念は個人的なものというよりは、集合意識のものだと思います。








   

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僕たちは自分で人生をコントロールしているつもりでいますが、実際にはハプニングの中で生きています。 ハプニングというのは、勝手に起きることが起きているということです。 やっているのは自分じゃないのに、「自分がやっている」と思うから、後悔したり自分を責め ... 続きを読む
僕たちは自分で人生をコントロールしているつもりでいますが、実際にはハプニングの中で生きています。

ハプニングというのは、勝手に起きることが起きているということです。

やっているのは自分じゃないのに、「自分がやっている」と思うから、後悔したり自分を責めたりするのです。

ああすればよかった、こうすればよかったという思いが、どれほど僕たちを苦しめてきたことでしょう。


「事はただそのようにして起きた!以上!」

これくらいの態度で、次に進んでいきましょう。


今日も、僕が好きな話を紹介します。


80歳を過ぎたリッチな老人が、20代の若い女性と結婚しました。

夢のような結婚生活が始まりましたが、なにせ歳が歳ですから、夜の生活は思ったようにいきません。

いろんな薬を試してみるのですが、いざとなるとフニャフニャで役に立ちません。


ある日老人は、魔術師の存在を耳にします。

どんな願いも、不思議な力で叶えてくれると言うのです。





魔術師は言いました。

「あなたのイチモツが20代によみがえる、そんな魔法をかけてあげましょう。ただしこの魔法は3回しか使えません」

たった3回でも、夢のようなひと時が味わえるならばと、老人は超高額な謝礼を支払って、その魔法をかけてもらうことにしました。


魔術師は言いました。

「ベッドに入る直前に、『ブー』と言いなさい。そうすればビンビンになります」


老人は帰りの車の後部座席で、魔法の力は本当だろうかと思いました。

そこで試してみました。

「ブー!」


するとどうでしょう。

それまで萎えきっていたイチモツが、ビンビンにいきり立ったのです。

そして「ブー!ブー!」と言うと、速やかに元の状態に戻りました。


これは凄い!やっぱりあの魔術師は本物だった。


その時、後ろから車がすごいスピードで追い越しをかけてきました。

老人の車の運転手は、乱暴な運転に怒ってクラクションを鳴らしました。


「ブー!」

すぐさま老人はビンビンになりました。


すると追い越していった車が逆切れして、さらに激しくクラクションを鳴らしました。


「ブー!ブー!」


またフニャフニャに戻りました。


後一回です(涙)


老人は運転手に、二度とクラクションを鳴らさないように注意して、早く家に着くことを願いました。


家に帰ると、若い妻に、すぐに裸になってベッドに入るよう伝えました。

彼女は何が何だかわからずに、それでも彼の言うとおり、服を脱いでベッドに入りました。


老人も服を脱ぐとベッドに入り、すぐさま呪文を唱えました。

「ブー!」


ムクムク、ビンビン


すると若い妻が尋ねました。

「ねえ、ブー!ブー!ってな~に?」





人生とはこういうものです。


オシマイ








   


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3月24日(日)の札幌講演会のお申込受付を開始します。

詳細はコチラから。

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いま、長い瞑想から出てきました。 いくつかの言葉が外に出たがっているので、趣くままに書いてみます。 人生で得た最も大きな気づきは 「自分は決して死ぬことはない」 というものでした。 同時にそれは、自分だけでなく、あらゆる人に当てはま ... 続きを読む
いま、長い瞑想から出てきました。

いくつかの言葉が外に出たがっているので、趣くままに書いてみます。







人生で得た最も大きな気づきは

「自分は決して死ぬことはない」

というものでした。

同時にそれは、自分だけでなく、あらゆる人に当てはまる真実だと知りました。


肉体は朽ち果てていきます。

肉体は死という現象を避けられません。


しかし、僕たちは肉体ではなく、意識です。

両手両足が無くなろうとも、意識は何一つ損なわれません。

体中のあらゆる器官が失われても意識は残ります。

それは脳とて同じです。

意識は脳から生まれたのではなく、脳を使う主体です。

脳はコンピューターのようなものであり、意識はそのユーザーです。


意識は常に「いまここ」に在り続けています。

宇宙が誕生した時から、ずっと「いまここ」に在るのです。

宇宙こそが意識であり、僕たちこそが宇宙であるところの意識です。


自分が決して死なないことが分かれば、人生観は一変します。

そのとき初めて、人生を、与えられた義務としてではなく、遊び心で生きることができます。

深刻さが消えるのです。


深刻さとは、結果志向から生じています。

終末があると思うから、結果が重要になるのです。


しかし終末も結果もありません。

すべては、「いま」という中で起きている意識の表現です。

それは無目的であり、単なる宇宙のお遊びです。


これらの言葉があなたの奥深くに浸透したとき、あなたは新しく生まれ変わります。

そして、真に生きるということの意味を知るのです。



とりとめのない文章になってしまいましたが、編集せずにそのまま載せることにします。

何を言いたいのか、別の機会に、違う表現で書くことがあると思います。

あなたに根本的救済が起こりますように。








   

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