かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2013年03月

いま仙台です。 仙台の講演会や瞑想会には東北各県から参加してくれるのですが、澄んだ瞳や、お国訛りの話し方に、心がほっとします。 実は・・・ HDの容量を増やそうとして、重要なファイルを削除してしまい、手持ちPCのトラブルが多発しています。 今日 ... 続きを読む
いま仙台です。

仙台の講演会や瞑想会には東北各県から参加してくれるのですが、澄んだ瞳や、お国訛りの話し方に、心がほっとします。


実は・・・

HDの容量を増やそうとして、重要なファイルを削除してしまい、手持ちPCのトラブルが多発しています。

今日もこんな時間になってしまいました (-"-;A ...アセアセ




「起きることが起きる」



はい。



それじゃ、講演会場に向かいます。



今日もいい日でありますように。




外に出てみたら、ゆ、雪だ(*^o^*)

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先日、新刊の最終打ち合わせで担当者さんと話をしているとき、「死」についての話になりました。 肉体と精神構造がなくなっても、純粋意識としての存在が残ることは内なる体験から明らかであり、むしろ死は物質次元の束縛からの解放で、思われているような忌まわしい現象 ... 続きを読む
先日、新刊の最終打ち合わせで担当者さんと話をしているとき、「死」についての話になりました。

肉体と精神構造がなくなっても、純粋意識としての存在が残ることは内なる体験から明らかであり、むしろ死は物質次元の束縛からの解放で、思われているような忌まわしい現象ではありません。


そんなことを話しながら、ふと思いました。

「でも死にたくない」


肉体が朽ちた後、意識としての命が存続するとしても、だからといって死にたいわけじゃない。

「そこんとこ、よろしく」


不死を理解すれば、潔く死を受け入れるなんて誰が言ったか知らないけれど、いやなものはイヤです。


以前は死にあこがれていた頃もありました。

いまでも、ちょっと嫌なことがあるとすぐに死にたくなりますが、でも本当に死ねと言われたら「イヤだ」と答えます。





生まれ変わって、また最初から人生やることもまっぴらと思っていましたが、最近はそれも変わってきました。

たしかに人生はくだらない面も多いけれど、そのくだらなさのおかげで真理の喜びが増しているし、青春期の熱病的恋愛も苦しいのが気持ちいいし、様々なトラップもそれなりに楽しいし、面倒ではあるけれど、またやってみたい気がします。

お金と名誉を追い求めて、「な~んだ、そこには何もないじゃないか」と再び気づくのも捨てたもんじゃありません。


現象界どっぷりで生きるのは疲れるけれど、スピリチュアルを気取るのも恥ずかしいし、普通が一番ですね

残された人生、とことん普通のオヤジを生きる所存です。





   


・・・・・・・・


【お知らせ】

31日の仙台講演会(いまここ塾)は、満席のためお申し込みを終了しました。

沖縄いまここ塾は4月3日(水)に開催します。

火曜ではなく水曜ですのでお間違いのないように。

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昨日アップした画像を見て瞑想したら、深く入れたという方がいましたね。 あの画像はヤントラというよりは、ハートチャクラそのものです。 もちろん、チャクラは視覚できません。 チャクラは物質次元のものではないからです。 チャクラは第二身体のエーテル体 ... 続きを読む
昨日アップした画像を見て瞑想したら、深く入れたという方がいましたね。

あの画像はヤントラというよりは、ハートチャクラそのものです。


もちろん、チャクラは視覚できません。

チャクラは物質次元のものではないからです。

チャクラは第二身体のエーテル体に属しています。


したがって、外科医が胸の手術をした際に

「お~、立派なチャクラですねぇ。こりゃお父様ゆずりだ」

なんてことにはなりません。


それをあえて視覚化したら昨日の画像になります。

なんだか吸い込まれそうで、僕も時々眺めたりしています。


ハートチャクラの色は緑色(エメラルドグリーン)で、ハートヤントラ(瞑想に用いる幾何学図形)はピンク色、補色関係になります。

それにしても綺麗ですね。


ハートチャクラはすべてのチャクラの中心です。

チャクラの数は伝統によって異なりますが、7つにしろ、9つにしろ、13にしろ、必ずハートチャクラが中心になることは共通しています。

下部のチャクラは動物的チャクラ、上部のチャクラは霊的チャクラ、その要(かなめ)がハートチャクラです。


啓発は、ハートチャクラの開花から始まり、ハートチャクラで完結します。

頭頂のチャクラ(サハスラーラ)で1000枚の花弁が開いて啓発すると思っている人がいますが、実際にはそこからまた半分降りてハートで終わります。


ハートはα(アルファ)でありΩ(オメガ)なのです。

ボブさんの瞑想もハートチャクラを最重要として扱っています。


日常でもハートチャクラを開くことはとても重要です。

この部位には、恨みや悲しみなどの感情が溜まりやすく、そのことが、つい自分や他人に対して厳しくなってしまう原因になっています。

批判や不満が心の中で繰り返されることに成ります。

なるべく批判の心を持たないようにして、おおらかに過ごすことが大切です。





溜まってしまった感情は、瞑想で癒すことができます。

ボブさん流に言えばカルマの解放です。

昨日の画像は、みなさんの瞑想の役に立ってくれるはずです。


5月にマイケルハマーさんとボブさんの瞑想ライブも企画していますが、今回はチャクラのお掃除を目的にしています。

詳細が決まり次第お知らせします。



さて、ボブさんとのコラボ講演会ですが、東京第二部は満員のため締め切りとさせてもらいました。

その他の講演はコチラからお入りください。








   

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こうしてみなさんにお伝えしてきたメッセージは、現在はまだ一部の人にしか受け入れてもらえていませんが、この先、理解する人の数が飛躍的に増え、やがては当たり前の話になっていくと思います。 たとえば、我々は肉体ではなく意識体であり、一度も生まれたことも死ん ... 続きを読む
こうしてみなさんにお伝えしてきたメッセージは、現在はまだ一部の人にしか受け入れてもらえていませんが、この先、理解する人の数が飛躍的に増え、やがては当たり前の話になっていくと思います。


たとえば、我々は肉体ではなく意識体であり、一度も生まれたことも死んだこともなく、永遠のいまの中で、形を変えながら存在し続けているということ。

すなわち我々は死なないということ。

この一言を理解するだけでも、人生観を根底から覆す力があります。


近頃、東大医学部救急医学の矢作直樹教授が、「人は死なない」という本を出し話題になりました。

生死をさまよう無数の人を見てきた結果、「人は死なない」という結論に達したのでしょうか。


さらに同教授は、人智を超えた「大いなるすべて」が存在するということにも言及しています。

医療現場の最先端にいる人が、「神」の存在や、「不死」について公に語りだしたことは、これからの日本の意識変革にさらなる拍車をかけることでしょう。

見えない世界を頭ごなしに否定してきた科学が、その基本的立場を改める時代になったのです。





今回は、不死という真実を踏まえたうえで、さらに一歩先を行き、輪廻転生の秘密に踏み込んでみたいと思います。

敬愛する仲間、ボブ・フィックスさんの直観力と洞察力を借りて、みなさんを永遠の命の世界にお連れします。


さらに第二部では、大いなる知性とのコンタクト、いわゆるチャネリングについて、各自がその能力を開発するための入門講座を開きます。

チャネリングとは、誰もが持っている能力だとボブさんは言います。


ボブさんは80年代にハリウッドの富裕層の間で評判になり、やがては全米で活躍した有名チャネラーです。

20年前にタイに渡って仏教を学び、現在はタイで瞑想教師をされています。

深く真理を体得しているマスターで、一言でいえば、とても優しい人です。



日程は以下の通りです。


4月27日 名古屋

4月29日 東京

5月6日 大阪

5月12日 博多


詳細は、コチラからお入りください。

・・・・・・・・・・・

僕のソロ講演会(いまここ塾)は、各都市名をクリックしてください。

3月31日 仙台(残り席わずか)

4月14日 名古屋

4月21日 東京







   

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桜の東京から、雪の札幌に来て3日目。 沖縄は汗ばむような暑さだと聞いています。 どの地域に伺っても、まるで家族のように迎えてくれる人たちがいます。 あたりまえのようにして出会っていますが、無数の出来事の組み合わせの中でこうして出会えているのですか ... 続きを読む
桜の東京から、雪の札幌に来て3日目。

沖縄は汗ばむような暑さだと聞いています。


どの地域に伺っても、まるで家族のように迎えてくれる人たちがいます。

あたりまえのようにして出会っていますが、無数の出来事の組み合わせの中でこうして出会えているのですから、ただただありがたいことです。





生きている間に、いったい何人ぐらいの人と心の触れ合いを持てるのでしょうか。

同じ時代に、同じ国に生まれたとしても、一生すれ違いもしない人たちのほうが圧倒的に多いわけで、そう思うと、こうして出会えたことは、なんて素晴らしいことなんでしょう。

いつも目の前にある、ありふれた日常の背後に、たくさんの奇跡があることを忘れずにいたいものです。



今日はこれといって書くことがありませんでしたが、すぐに感謝を忘れてしまう自分へのメッセージとして書いてみました。


今日もここに来てくれて、ありがとうございました。








   

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胸のあたりが、なんとなく息苦しい。 お腹のあたりが、なんとなく重い。 いや、別に病気なわけじゃないんです。 気がつくといつもそんな感じで、気分もなんとなく優れません。 以前は、お金のことが心配だからそんな気分なのかと思いました。 お金さえ手 ... 続きを読む
胸のあたりが、なんとなく息苦しい。

お腹のあたりが、なんとなく重い。


いや、別に病気なわけじゃないんです。

気がつくといつもそんな感じで、気分もなんとなく優れません。


以前は、お金のことが心配だからそんな気分なのかと思いました。

お金さえ手に入れば、きっと気分も優れて幸せになれると信じていました。

だから一生懸命に働いて、ある程度の財を築いてきたのです。


でも気分は同じようなものです。

いまは妻や子供との会話不足が問題です。
 
それさえ解決されたら、こんどこそ気分爽快になって幸せになれると思います。


もうひとつありました。

経営している会社が抱えている問題です。

相手の出方次第で、大きな損失を被るかもしれません。

最近はそのことが頭から離れず、あいかわらず胸のあたりが息苦しく、お腹のあたりが重い感じです。

きっとこの問題が解決すれば、気分は大きく変わるはずです。





振り返ってみると、私の人生は、いつも不快感が道連れでした。

すっかり慣れてしまって、普段は気づくことさえないのですが、立ち止まってみればいつも同じような重たい気持ちを抱えています。


私はいつも不幸の理由を見つけ、その理由の解決に奔走してきました。

でも、理由は後付だったのかもしれません。

もしかしたら、この感覚は私の一部であって、何かの原因で引き起こされたものではないのかもしれません。

そう思うと、この不快感ともいえる不幸な感覚は私そのものであり、その部分とどう付き合っていくかが生きるテーマになってきます。


いままで不幸の理由にしてきた外側の問題は、単なる状況に見えてきました。

どちらにせよ、私は不幸を道連れにして、これからも生きていくのです。


不幸が当たり前になれば、それはもはや不幸ではなく、私自身です。





【天の声】


そのとおり、不幸とは『私』自身のこと。

『私』とは分離感覚であり、その分離感覚が慢性的な不快感を及ぼしています。

『私』が消えれば不幸も消えます。


実際には、『私』など存在していません。


『私』は錯覚、『私』は幻想です。


このことを見抜くことが、人生ですべき唯一の仕事です。








   

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人生で、叶った夢はどれくらいあっただろう。 人生で、叶わなかった夢はどれくらいあっただろう。 どちらもはっきりとは思い出せない。 ということは、どちらもいまの僕に、大した影響を与えていないということだ。 それなのに、なんであんなに大騒ぎしてい ... 続きを読む
人生で、叶った夢はどれくらいあっただろう。

人生で、叶わなかった夢はどれくらいあっただろう。


どちらもはっきりとは思い出せない。


ということは、どちらもいまの僕に、大した影響を与えていないということだ。

それなのに、なんであんなに大騒ぎしていたんだろう。


すべては移り変わっていく。


そしていつも、いまここに自分が在る。


何も得ていないし、何も失っていない自分が、いまもこうして在る。


それだけは変わらない。


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