かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2014年12月

僕は若いころ、誰のことも信じられませんでした。 どんないいことを言う人も、必ず裏があると思っていました。 なぜなら、僕自身がすべて見せかけであり、心とは裏腹のことばかり話していたからです。 いま思えば、本当に親身になってアドバイスしてくれた人もい ... 続きを読む
僕は若いころ、誰のことも信じられませんでした。

どんないいことを言う人も、必ず裏があると思っていました。

なぜなら、僕自身がすべて見せかけであり、心とは裏腹のことばかり話していたからです。


いま思えば、本当に親身になってアドバイスしてくれた人もいました。

もし彼らの助言を、ほんの少しでも受け入れていたら、人生はまったく違うものになっていたことでしょう。

でも僕には、そのような厚意を受け取ることはできず、いつも一人きりで生きていました。


本を読んでも身になりません。

書き手を信頼することが出来ないので、内容の深さに触れることなどできなかったのです。



そんなあるとき、自分の特別さが脅かされる出来事がおきました。

いつもの僕ならば瞬時に自分を正当化し、うまく逃げ切るのですが、その時はだいぶ弱っていたこともあって、そんな余裕がありませんでした。


そのことが幸いしました。

プライドが根こそぎにされた瞬間、そこにあったのは屈辱ではなく、いままでに感じたことのない開放感でした。

自分がごく当たり前の人間であることを初めて受け入れた瞬間でした。


その日から本当の読書が始まったように思います。

やっと学ぶ準備ができたのです。

それまでは、解らない箇所は書き手のまやかしくらいに思っていましたが、それ以降は解るまで何度も読み返し、一行読んでは瞑想し、やがては血となり肉となっていきました。

もちろんどんな本に対してもそうしたわけではありません。

心が開いてからは、真実を記したものを簡単に選ぶことが出来ました。


気がついてみたら、今度は僕が人の心をノックする番になっていました。

もちろんドアを開いてくれる人ばかりではありません。

そんなとき、あまり傷つくこともなく受け流すことが出来るのは、若いころの自分を知っているからでしょう。


いまは暗闇の中で手探りしていている人も、やがては後人のために道を照らす側になるかもしれません。

そうやって地上に、ひとつひとつ温かさと理解が広まっていくのだと思います。


そして世界が変わるのです。

いまはそういう時代だと思います。


今年も一年お世話になりました。


また来年もよろしくお願いします。

このエントリーをはてなブックマークに追加

今朝も鳥の声がします。 毎日庭の木にやって来るツガイです。 とても仲良しで、彼らは生きることを謳歌しているように見えます。 本当は難しいことなんか何もないと教えてくれます。 今年はどんな一年でしたか。 僕は最後のThe禅スクールの紹介のプロセスが ... 続きを読む
今朝も鳥の声がします。

毎日庭の木にやって来るツガイです。

とても仲良しで、彼らは生きることを謳歌しているように見えます。

本当は難しいことなんか何もないと教えてくれます。


今年はどんな一年でしたか。

僕は最後のThe禅スクールの紹介のプロセスが一番楽しい思い出になりました。

結果は大成功でしたが、最初から成功することは知っていました。

来年はこの30年間の集大成の始まりです。

飛び込んでくれた勇気を、何倍もの価値でお返しします。



さて、僕は根がグウタラだから、模範にしてもらうような面はないのですが、人生がうまくいく秘訣のようなものがあって、そこは全て公開しています。

結論を言えば、その秘訣とは、人生の流れを信頼するということです。

なにかの流れに乗っているときは、その途中でどうなってしまうのかと思うシーンがあるのに、微動だにしない流れの力強さの前に、ここからどこに運ぶ気なのかワクワクしてきます。

それが流れを信頼するということです。


いきなり信頼しようとしても無理です。

流れを信頼するには、自分が何者なのかという発見が先です。

自分という存在が固定された実体ではなく、まさに「いま」という中で刻々と変化し続ける名前のつけようのない命の現れだという実感です。

人間は社会的な生き物なので、個を確立するしか生きるすべがありませんが、成長過程で作り出した自分という名の「個」は、社会を生きるための道具であって、自分自身ではないということを徹底的に知ることが必要です。

自己の不在を見抜くことは、個の幻想を見抜くことであり、その結果、自分自身が流れそのものだと実感します。

自分が存在の全てであり、自分が創造主であったという単純な事実を知るのです。


ですからまず人は自己に徹し、自分とは一体何であるかを探求することが必要です。

でなければ、無意識に信じてしまった自分という個を抱えて、無意識に信じてしまった社会という幻想の中で生き残ることだけが、人生の目的になってしまうことでしょう。

幻想と幻想の関わり・・・これが一般に言われる「人生」です。

そしてその幻想を信じる強さによって、その人の苦悩の量が決まってきます。


もしそれらの幻想を見抜き、自分という命の流れを信頼できるようになれば苦悩は消滅します。

そしてやることなすことがスムーズに展開するのです。


あはは、また同じ事を言ってしまいました(^o^;)

昨日のコメントに、自分は人生を見守っているのに、一向にスムーズにならないという方がいました。

それは「やり方」ではないのです。

こういう場で語られた一言を、スローガンのようにして生活に持ち込んではいけません。

すべては、自分を知ることから始まっていきます。

これ以外の言葉は持ち運ばないことです。


僕に出来ることは、自らの身に起きたことを詳らかにし、それが誰にでも起こり得ることを伝えることです。

欲しいものはなんでも手に入ります。

だって自分が創造主なのだから。


やりたいことはなんでも可能です。

庭に遊ぶ鳥たちのように、人生に難しいことなど何もないのです。


でも皮肉なことに、そうなると、欲しいものも、やりたいことも減っていきます。

それでもたまに行動に出れば、それらは成就します。


自分が創造主


我即神なり


これが自分を知るということです。


だからと言っていつも神意識として在るわけではありません。

肉体を持った自我としてありながら、根底に神意識が流れているという感じです。


したがって煩悩が消えることはありません。

それは生きる推進力です。

煩悩自体が悪いのではなく、そこに浸かってしまうことが危険なだけです。


欲を否定したり、自我だ自我だと責めることもいりません(笑)

全部そっくり頂きましょう。


だって生きるというのは、総合的に生きることだからです。

自らの野性や動物的な面を嫌ってはいけません。

動物たちは人間より神聖です。

我々の中にある動物的な面も大いなる生きる力なのです。


僕は快楽や快適さが大好きです。

それとともに、聖なるエネルギーを大切にしています。


「ゾルバ・ザ・ブッダ」

これが最も近い言葉です。


だから禅堂には入りませんが、いままでどおり、遊び人として禅の心を生きていきます。


このエントリーをはてなブックマークに追加

今日までに書いたブログ記事が約4000。 出した本が11冊で、来年また数冊が加わります。 ずいぶんたくさん言いたいことがあるようですが、伝えたいことは一つしかありません。 それは 自分自身が何者なのか その答えを自らが見抜く重要性です。 ... 続きを読む
今日までに書いたブログ記事が約4000。

出した本が11冊で、来年また数冊が加わります。


ずいぶんたくさん言いたいことがあるようですが、伝えたいことは一つしかありません。

それは

自分自身が何者なのか

その答えを自らが見抜く重要性です。


人生で何を得ても、この一点が見逃されていたら何も得なかったのと同じです。

反対にそれさえ知れば、人生が与えてくれるすべてを受け取ったことになります。


それは何処か遠くにあるのではなく、まさにいまここに「あなた」として存在しています。

ところが通常我々は「いまここ」を感じることができません。

まさにいま起きている出来事や、状況、それに対する自分の感情や思考に巻き込まれていて、その奥にある「本当の自分」であるところの「いまここ」を見失っているのです。


もしあなたが自分自身を知れば、起きる出来事に一喜一憂しなくなることでしょう。

何が起きるかはあまり重要なことではなくなるのです。

そうなると不思議なことに、なにもかもがスムーズに展開し始めます。



この先、4000個もの記事を書けと言われても書けません。

でもこんな調子で毎日一つずつ書き続ければ、10年後にそれくらいの数になることでしょう。

いつまで続くかはわからないけれど、ここを生きがいにしてくれている人たちもいるので、もう少し続けてみます。


僕が書く事をやめても、このブログは半永久的に残しておきます。

このブログがきっかけで目覚めを体験した人もいます。

そのタイミングが、法縁と呼ばれるものです。


一方で人の様々な感情や非難(?)も受けてきました。

僕のようなメッセージを伝える者の宿命でしょう。

でもコメント欄はそのままにしておきます。

コメントの文調によっては、ここを一番楽しみにしていた母を気の毒に思うこともありますが、最近は身体もすこし弱ってきて、以前ほどつぶさに読めなくなっているようです。

それに社会とはこういうものだということは94年間も生きていれば僕以上に知っていることでしょう(^^)


もし僕が彼女と同じ歳まで書き続けたら、ここから12000以上の記事を書く事になります。

もしそうなったとしても、伝えたいことはひとつしかありません。

「Who am I?」

この答えに尽きるのです。



今僕は来年から始まる新しい活動に武者震いしています。

まったく無駄なく、ストレートにこのことを御指導できるからです。

こうして素晴らしい形で開催できることに感謝します。


「禅と瞑想」

これしかやりたいことがないのだから、きっとこれをさせられているのだと思います。


年明けに、この流れを作り出した天河神社にご挨拶に行こうと思います。

その模様はまたブログで紹介しますね。


あなたも僕も

「かんながら」

によって生かされています。


おん そらそばてい えい そわか


このエントリーをはてなブックマークに追加

この感じは30年前とよく似ています。 完全に「いまここ」に帰ってきています。 表面では様々なことが起こり、状況は変化し続けているけれど、 自分自身は何一つ変わることなくいつだって「いまここ」にいる。 人生はどこにも向かっていないし いつかど ... 続きを読む
この感じは30年前とよく似ています。

完全に「いまここ」に帰ってきています。


表面では様々なことが起こり、状況は変化し続けているけれど、

自分自身は何一つ変わることなくいつだって「いまここ」にいる。


人生はどこにも向かっていないし

いつかどこかを目指す旅はもうやめて

目の前のいまを大切に生きればそれでいい。

いまを大切にすることが、全体を大切にすることにつながっている


そうやって深い呼吸に入っていきます。

一息一息、自分の奥深くに入っていく感覚です。



いまもまったく同じ感覚を生きています。

何も変わりません。


やはり30年前に直感したように


人生はどこにも向かっていませんでしたし

本来しなければならない義務も、何ひとつありませんでした。

自分は高まっても低まってもいませんし

最初から全部持っていて

足りないものも余計なものもありません。

最初から居た場所に、いまも変わらずいます。



ただその時その時に、目の前の状況が自分に求めるニーズに応えてきました。

そうやって30年間が過ぎました。



当時と比べてみれば、外側の違いは天と地ほどもあります。

あの頃は何もありませんでした。

お金も、家も、家庭も、車も、仕事も、何ひとつありませんでした。


でも内側で感じていた充足感は、いまと全く変わりません。

ピッタリ同じです。


これから先もどこにも行き着かないことを知っています。

ただその時々の心のままに生きていく。

そして目の前のニーズに応えていく。


おかしなもので、そうなると、外側の世界は思うがままです。


この生き方は誰にでもできるので、いろんな言葉で説明していこうと思います。


一言で言えば

人の目が作り出した呪縛から自由になること。

正確には自分自身が作り出した恐れから自由になることです。


内側の気づきが炎になって、恐れという幻想を焼き尽くしてくれます。


それが智慧の一撃、プラジュナーです。

日本語では

般若

と言います。

このエントリーをはてなブックマークに追加

どんな年末を過ごしていますか? これを書いている部屋のベランダには、まぶしいくらいの陽の光が差し込んでいて、木々の緑も鮮やかで、ハイビスカスまで咲いていて、いまが何月なのかわからなくなります。 とても暖かいです。 いつものように時間が止まっていま ... 続きを読む
どんな年末を過ごしていますか?

これを書いている部屋のベランダには、まぶしいくらいの陽の光が差し込んでいて、木々の緑も鮮やかで、ハイビスカスまで咲いていて、いまが何月なのかわからなくなります。

とても暖かいです。


いつものように時間が止まっています。

この一角だけが止まっているのかもしれません。

こののどかさを届けたいな。



The禅スクールへのお申し込みありがとうございました。

これから実際に始まっていくと思うとワクワクしてきます。

何かが動き出した感じです。


今回、来たくても来られなかった人もいたかと思います。

僕も向さんも、この活動をライフワークだと位置づけていますので、またの機会に覗いてみてください。

あらゆるタイミングは完璧だと思っています。


またお会いしましょう(^^)

このエントリーをはてなブックマークに追加

昨日の夜、The禅スクールの音声メッセージを配信したら療養中の人から、寝ていても聞けるのはありがたい、mp3でダウンロードしたいとのご要望だったので、できるようにしました。 音声メッセージでは、普段僕が何を感じ、何をしているかを短くまとめてみました。 The禅 ... 続きを読む
昨日の夜、The禅スクールの音声メッセージを配信したら療養中の人から、寝ていても聞けるのはありがたい、mp3でダウンロードしたいとのご要望だったので、できるようにしました。

音声メッセージでは、普段僕が何を感じ、何をしているかを短くまとめてみました。

The禅スクール

スクールのお申し込みは今日までです。



先日、昔の資料を整理していたら昭和61年12月の手記が出てきました。

ノートの下の方に、走り書きみたいな文字で詞のイメージが書かれています


寒風渋谷の街頭で
メットかぶってマイク握って
角棒振ってるお兄さん

「アンタも一人のブッダだよ」



営業会議に紛れ込んで
金の話は中断させて
ひとりひとりに言ってやりたい

「アンタも一人のブッダだよ」




レコード業界の仕事が絶好調の頃で、天下を取ったくらいのつもりでいて、でも心の底ではやりたいのはこれじゃないって思いがいつも巡っていました。

こうして歌詞にダイレクトなメッセージを入れて聴いた人の反応を見る・・・これくらいしか伝達手段もありませんでした。

その時々の精一杯ってありますよね。


もしあの時代に、いまのようなネット環境があれば、僕の人生はまったく違うものになっていたことでしょう。

だからといってバブル経済真っ只中の当時に、いまと同じ事を言ったとしても、どれくらいの人が関心を持ってくれたかはわかりません。


自分のことを見てみても、内側の真理は当時と変わっていないけれど、その器であるこの阿部某という乗り物は、少しは大人になり、バランス感覚も持てるようになったので、やはりいまからということなのでしょう。



「アンタも一人のブッダだよ」


やっと声高に叫べる時代になりました(^^)

このエントリーをはてなブックマークに追加

落語の八つぁんと熊さんの会話で 八つぁんが大親友の熊さんに語りかけるシーンがあります。 「おめえとは、生まれた時は別々だが、死ぬときは別々だ」 そこでドッと笑いが来るのですが、考えてみたらこのセリフ、まともな事を言っています。 誰だって一人で ... 続きを読む
落語の八つぁんと熊さんの会話で

八つぁんが大親友の熊さんに語りかけるシーンがあります。


「おめえとは、生まれた時は別々だが、死ぬときは別々だ」


そこでドッと笑いが来るのですが、考えてみたらこのセリフ、まともな事を言っています。

誰だって一人で生まれて一人で死んで行くからです。

その間を人生と呼びますが、その人生の最中徹頭徹尾一人なのに、一人は淋しいものだから


「私には家族がいる」


「私には親がいる」


「私には友人がいる」


「私には会社がある」


とか言い聞かせて、自分が一人であることをマヒさせています。


でも本当は一人ですよね、いまだって。

それでいいんです。

いいも悪いもなく、それが単なる事実だから認めてしまえば楽です。


それを一旦認めれば、孤独とかいう感覚は減っていきます。

孤独という言葉には、すでに孤独はいけないというニュアンスが含まれているからです。

ただあるがままにあるだけです。


まずは、自分が徹底的に一人だということを認めてみましょう。

人によっては、それが幻想から目覚める入口となる場合もあります。

しかしそれは、まだ気づきの途上です。


本当の答えは、さらにその奥にあります。

人はこの世に、ひとり来てひとり帰るのではなく、来ることも帰ることもない、永遠の存在だという気づきです。


僕たちが学ぶ究極は、まさにその一点です。


日々、目の前の現象は変わり続けていますが、

決して変わることのない中心で、今日もくつろいでいましょう(^^)



一休禅師の歌で締めくくります。


ひとり来て 一人帰るも迷いなり

来らず去らぬ道を教えん



合掌

このエントリーをはてなブックマークに追加