かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2015年12月

心の底では誰もが不安や痛みを抱えていて、そこから逃れるために何かの活動に没頭しようとするけれど、根本的な問題はいつも手付かずのまま。 だから実は来年も、今年と同じくらい大変だと思ったほうがいい。 そんな状況の中での救いは、言わないだけで誰もが同じよ ... 続きを読む
心の底では誰もが不安や痛みを抱えていて、そこから逃れるために何かの活動に没頭しようとするけれど、根本的な問題はいつも手付かずのまま。

だから実は来年も、今年と同じくらい大変だと思ったほうがいい。


そんな状況の中での救いは、言わないだけで誰もが同じような苦しみを抱えているってこと。

苦しい時は自分だけがそんな目に遭っている気がするけれど、それは間違いだ。

「個人」は例外なく苦しむようにできているから。


人生がスムーズな時は心の痛みを感じなくて済むけれど、何か問題が起きればすぐに表面化する。

だからこの世にいるのは、不幸な人と、不幸予備軍の人。

そう思うと、少し気が楽にならない?


えっ?!、ならないって?!



じゃこんな話は?

9年前のブログに書いたけど、この話はいまも好き。



ある男が毎日のように自分の境遇を嘆いていたんだって。

何故自分ばかりがこんなに多くのトラブルや不幸に見舞われるんだ。

何故自分ばかり、こんな苦しい目にあうんだ。


そんなある日、男の夢の中に神様が出てきてこう言ったんだ。

「お前をその苦しみから救ってあげよう。お前の苦しみを全部この袋に詰めて聖堂に持って行って、壁のフックに掛けて来なさい。」



男は喜んで自分の苦しみを1つ残らず袋に詰めて、肩に担いで聖堂に持っていった。

そこには神様が言うように壁に多くのフックが備えられていた。

「あれ?フックは1つじゃないんだ。どれでもいいのかな」


そんな事を考えていたら、入り口からたくさんの人がぞろぞろと入ってきた。

みんな肩に同じような袋を担いでいる。

顔なじみやご近所さんもいて、よく見たら近所のレストランのご主人もいるじゃないか。

お店も大繁盛だし、綺麗な奥さんと仲むつまじく、幸せを絵に描いたような人だった。


ん?れれれ? 彼も苦しみの袋を担いでいる。

それも同じくらいの大きさのだ。


あまりの意外な出来事に男は自分の目を疑った。

(幸せそうに見えたのにな・・・)



みんなが聖堂に集まると、場内アナウンスが響いた。

「はい、ご苦労様でした。それじゃみなさん、どこでもいいですから好きなフックに袋を掛けて下さい」


みんなやれやれという顔をして、持ってきた不幸の袋を壁に掛けた。


しばらくしたらまた場内アナウンスが響いた。

「あなたの袋は確かにお預かりしました。あなたの苦しみは今日限りです」

場内は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。


アナウンスは続いた。

「それではお帰りください。ただし手ぶらでは帰れません。どれでもいいから好きな袋を1つお持ち帰りください。誰の袋でもかまいません」


一瞬、場内が静まり返った。

何かひとつの袋を持って帰れだと?


みんなしばし考え込んでいたけれど、そのうち我先にと一斉にお目当ての袋に向かって走り出した。


みんなが手にしたのは、自分が持ってきた自分の袋だった。

どうせ同じ大きさの苦しみなら、まだ自分の苦しみのほうが慣れ親しんでるから絶えられそうだ。

新しい苦しみなんて真っ平だ。

みんながそう思った。


そして持ってきた袋をまた担いで、それぞれの家に帰っていったんだ。


その日から男は、自分の苦しみを嘆かなくなったんだってさ。


おしまい




少し気が楽になった?

えっ?!ならないっ?!


しょうがないなあ(笑)



現象界は苦しみのためにセットされた幻想ゲームなんだ。

だから諦めよう。


ありもしない幸せを追い求めるから、よけいに苦しくなるんだ。


「人生は苦しみだ」 (釈迦ちゃん)


釈迦が説いた真実を、そろそろ受け入れて暮らしてみないか。

苦しみが当たり前に思えたら、もはやそれは苦しみだろうか。


苦しみを友として、これからも共に生きていこうよ。



ちなみに釈迦ちゃんは、そんな苦しみの人生を超えたところに、涅槃寂静なる平安が待っているって教えてくれた。

それは「自己」という分離幻想を超えたところにあるんだって。


ふふふ

そんな2500年前の異国の先生に言われなくても、僕らはその正体を見抜きだした。


自力ではどうにもできないけれど、少しずつ理解が深まり、やがてその理解は個人を離れて全体の智性へと変化していく。

いま、僕たちに起き始めたのはそういうことだ。



こんな言葉に、なんの力もないけれど、今年の最後に言っておこう。

苦しみは幻想のゲームだ。

幻想だなんて思えないくらいに生々しいけれど、それでも幻想は幻想だ。

真実じゃない。


真実はそんな表面的な現象の奥に、いまも傷一つないままで鎮座している。

それが真実のあなた。


だから結局この言葉になる。


「大丈夫だよ」


何が起きているように見えても、真底大丈夫だからね。

誰ひとり例外なく大丈夫だから。



「人生は苦しみだ」

よっしゃ、受けてたとう。


来年もきっと困難だろうけど、それも生きてこそ味わえる感覚だ。

いつかちゃんと死ねるから、それまでは一緒に苦しもうね。


なんだか楽しくなってきた(^o^)



今年も一年ありがとう。

僕に関わってくれた全ての人に、心から感謝します。

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人からこう思われたいとか、こうは思われたくないということに、人生のエネルギーのどれくらいを費やしていると感じますか? その人たちがどう思ったとしても、自分の価値や人生に何も関係ないことは心のどこかで知っているのに、気になって気になって仕方がない。 し ... 続きを読む
人からこう思われたいとか、こうは思われたくないということに、人生のエネルギーのどれくらいを費やしていると感じますか?

その人たちがどう思ったとしても、自分の価値や人生に何も関係ないことは心のどこかで知っているのに、気になって気になって仕方がない。

しかも潜在意識で気にしているから、表面的な自覚はなくて、むしろ強迫観念のようにして無意識に人の目を気にしているのです。


「人生とは人にどう思われるかである」

という、まったくナンセスなことを真剣に信じている人もいます。


もったいない、もったいない。


気にしている人たちもいつか死んじゃうし、ほんの数十年も経てば何もかもが煙のように消えてしまうのに、いったい何のために、誰のために見せかけの人生を生きるのか。


もちろんそれも悪くはないですよ。

なんだっていいんだから、それだっていい。


だけどさ、どうせならさ、

心のブレーキを外して、思い切り生きてみたいと思うわけです。


僕は根が臆病だけど、ほんのちょっとの勇気を使うことで独自の人生を生きてきました。

もう一度生き直すとしても、社会のレールから外れた生き方をすると思います。


それでも欲しいものはみんな手に入れたし、いまも遊び心で好きに生きています。

運が良くて、出会う人たちにも恵まれてきたけれど、「少しばかりの勇気」を使ってきたことが、いまの結果に繋がったと思う。


今年最後の記事は、僕の人生でうまくいってきた秘訣の披露です。


それは

「ほんの少しの勇気を持つこと」


臆病なのは幸いだ

臆病だからこそ勇気という美徳を持つことができます。

もし臆病でなければ、勇気を使う機会もないからね。


人の目を気にするのはほどほどにして、勇気を持っていままで無理だ出来ないと言ってやってこなかったことに踏み出してみよう。

簡単なことさ。

「やる!」と決めてやるだけ(^^)


二元の世界に生きるのなら、二元の達人になろう。

所詮は全部が夢だと知れば、思い切り生きられるよ。


だって、本当に夢なんだから。



・・・・・・・・・・・


25日に発売された「生きるのが楽になる 「覚り」の道の歩き方は、今までの本の中でも最も読みやすく、真実を突いた本だと思います。

堀澤祖門さんとの共著によるこの本は、少し前なら決して発売されなかった内容でしょう。

時代が変わってきたことを実感すると同時に、こうして民間で真実を分かち合ってきたことに誇りが持てました。

どうぞ書店で見かけたら手に取ってみてください。



・・・・・・・・・


大和田菜穂さんの1月9日のイベント「終わりの始まり」は、満席のためお申し込みを終了しています。

申し込んだあとにご都合が変わられた方は、なるべく早くその旨をお知らせ下さい。

なお、キャンセル分の再募集は1月5日の予定です。



・・・・・・・・・



それではみなさん、よいお年を(^^)/

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「この世は夢のようなもの」 そんな話をよく聞くでしょ。 夢とは、夢を持ちますというような希望の夢のことではなく、睡眠中に見ている夢のことです。 「この世は夢のようなもの」というのは、こうして目覚めているつもりのこの現実も、大いなる次元から見れば、 ... 続きを読む
「この世は夢のようなもの」

そんな話をよく聞くでしょ。

夢とは、夢を持ちますというような希望の夢のことではなく、睡眠中に見ている夢のことです。


「この世は夢のようなもの」というのは、こうして目覚めているつもりのこの現実も、大いなる次元から見れば、睡眠中の夢と同じように夢だということです。

睡眠中の夢が夢だったことを知るのは目覚めてからですが、現象界の夢を夢と知るのも、やはり目覚めたときです。


さてここで基本的なことを押さえておく必要があります。

それは、夢を見ているのも夢から覚めるのも、夢の中の自分ではないということです。

夢を見ていた者が、夢から覚めるのです。


現象界という夢から覚めるのも、あなたではありません。

もっと大きな何かが、「あなたという夢」から目覚めるのです。

その何かは、大いなる意識とか真我とか呼ばれていますが、夢の中の自分からは想像もつかない異次元の存在です。


昨夜見た夢も、あなたが作り出したのではなく勝手に見ていたはずです。

現象界も同じです。

目の前の現実に見える夢も、あなたが作っているのではありません。

そもそもあなたという存在が夢そのものなのだから。


にもかかわらず、自分は個人だという感覚が強いので、なんでも個人である自分が作り出しているように感じるのです。


同じようなことは輪廻転生を語る人たちにも言えます。

彼らは、 何かの記憶をキャッチしたのでしょう。

そしてその記憶を自分の記憶と思ったのです。

「自分という個人」が確実に存在するという観念は、輪廻転生という壮大なドラマまで描きます。

今生にさえ存在しない自分が、どうやって前世で存在したというのでしょう。


もう一度言います。

「この世は夢のようなもの」

その夢を見ているのは自分ではありません。

自分という存在は、大いなる意識が見ている夢の登場人物です。

そう、僕たちは単なる登場人物なのです。


何が起きても夢の中の登場人物に責任はありません。

せめてこのことを知っていれば、余計な苦しみから逃れられますね。

何一つあなたのせいではないのだから。

これは気休めではなく事実なので、しっかり受け止めましょう。


このようなメッセージは存在の根幹を覆してしまうので、人生に何の役にも立ちませんが、執拗に自分を責め続ける傾向には、待ったをかけることができます。


さてそれじゃ、みんなで正月の夢でも見るとしよう(^ ^)


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自分という幻想が邪魔しているだけで、自分がすでに全体だってことは解ってきた。 だとしたら、いつの日か自分という幻想が消え去るようにしよう。 その偉大な瞬間が訪れたら、そこからまた新しい人生が始まるはずだ。 それは喜びに満ちて、気楽な旅だ。 けっ ... 続きを読む
自分という幻想が邪魔しているだけで、自分がすでに全体だってことは解ってきた。

だとしたら、いつの日か自分という幻想が消え去るようにしよう。

その偉大な瞬間が訪れたら、そこからまた新しい人生が始まるはずだ。

それは喜びに満ちて、気楽な旅だ。


けっこう多くの人が、このようなストーリーを信じています。


でもね・・・

全体を生きるために、自己が消滅する瞬間を待つのは間違いで、そのような一瞥は起きることもあれば起きないこともあります。

一瞥は絶対条件ではありません。


すると今度はこう思います

自分が全体だというのは知的にはわかった。

でも経験としての実感がない。

その実感を待っているんだ。


こうやって、将来いつか起こるかもしれない偉大な瞬間を期待することで、いまあるものとの出会いを見失っています。


もうすでにあなたは「それ」であり、それは達成すべきものでもなく、感じなければならないものでもありません。

すでにあなたとして生きている、あなたそのものなのだから、あなたは「それ」を失くしようがなく、いまも「それ」です。


「それ」はいま、あなたの目の前に見えているもの、聴こえてくる音として、そしてあなたが内側で感じているつもりの感情や思考という表現を通して、まさにいま現れている「これ」です。

これ以外に存在はなく、これからもずっと「これ」だけがあります。



こんなにシンプルな真実を、言葉にするとなんとなく難しくなってしまう。

簡単すぎて分からないことだから、本で学ぼうとしても無駄で、そのことだけの情報を浴びる時空間に身を置くのが最も効果的です。


すでに僕の周囲にも、このメッセージが日常に浸透してきている人たちがいます。

ただ「それ」である時間が増えていくという変化が、表面的に起きているのです。

やがては彼ら自身の言葉で、「それ」を語りだすかもしれません。


今日の解説は23日の記事に、たかしさんからもらったサットサンへの質問の答えでもあります。

答えは「いま」あるのですが、自己という感覚を物心ついてから一度も疑うことなく、むしろその感覚を強化して生きてきたので、このメッセージを自分のものにするためには、一定の時間がかかるというのは皮肉な話です。

でもこの情報を知らなかった時より、すでに何かが変わり始めていませんか。

まだ数ヶ月だというのに。


とても繊細なメッセージでもあるので、ついわかった気になって、またトリックの道を歩み出すかもしれません。

そしたらまた、このシンプルな真実に立ち返って、気楽さを基準にして生きてみましょう。



・・・・・・・・・・


1月9日の新春企画「終わりの始まり」は、残り席わずかです。 受付を終了しました

詳細はコチラから

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夢(思考・幻想・ストーリー・マインド)にはまっている分だけ、人は深刻になります。 だから自分がいま、どの意識レベルにあるかを見抜くには、どれくらい深刻か、あるいは気楽かを見れば分かります。 それは自分の精神性や人生での実績とは何の関係もなく、いまのあ ... 続きを読む
夢(思考・幻想・ストーリー・マインド)にはまっている分だけ、人は深刻になります。

だから自分がいま、どの意識レベルにあるかを見抜くには、どれくらい深刻か、あるいは気楽かを見れば分かります。

それは自分の精神性や人生での実績とは何の関係もなく、いまのありのままの自分の状態を表しています。



気楽さを取り戻すこと。

なぜなら深刻さは自らによって人為的に作られたものであり、気楽さはもともとの自分の性分だからです。

そんなふうに思えなくてもそうなのだから、潔く認めて、リラックスしましょう。


人生をかけてずっと捜し求めているものは、いまあるがままの現実にくつろぐことでしか見つかりません。


荷物を抱えたのは自分自身です。

まさにいまその荷物を降ろしていいんですよ。

大丈夫、何も失いません。


荷物は思い込みによって作られています。

自分では思い込みなどとは思っていないのですが、人生のすべては思い込みです。

事実を見抜けば、その時初めて本物の休息が訪れます。


その休息を分かち合うために、2000年前の若者は民衆にこう伝えました。


「すべて重荷を負って疲れているものは私のところに来なさい。

私があなた方を休ませてあげよう。」



天の王国はすでに実現されています。

視点をちょっと変えるだけで、ここにある素晴らしい世界(天の王国)が明らかになります。


それはまさにいまもそうであるところのものです。


まさにいま・・・それです!



あはは

メリークリスマス

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今日は一日、大阪サットサンでした。 仏教の、そしてあらゆる教えの究極真実でありながら、決して表に現れなかったメッセージ。 個人の集合によって作られる社会からは、たんなるナンセンスにしか聞こえないメッセージ。 個人にとっては、なんの役にも立たない、そ ... 続きを読む
今日は一日、大阪サットサンでした。

仏教の、そしてあらゆる教えの究極真実でありながら、決して表に現れなかったメッセージ。

個人の集合によって作られる社会からは、たんなるナンセンスにしか聞こえないメッセージ。

個人にとっては、なんの役にも立たない、そしてどうしようもできないメッセージ。

でもそのメッセージを本気で受け取ろうとする人たちが、こんなにいる。


絶対真理の普及

ここまではなんとか頑張れたけど、この先も僕にやっていけるだろうか・・・なんて、またストーリを想像して弱気になることもしばしば。

僕がやったわけじゃないし、そもそも原因があるわけでもなく、事はただそのように起きてきたんだ。

僕ごときがやっているわけじゃない。


誰のおかげでも、誰のせいでもなく、こうして事が起きている。

そう思ったら、また楽になって、意気揚々と沖縄行きの飛行機に乗るのであった。

めでたし、めでたし。


かんながらやで。(大阪帰り)





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昨日、新刊が届きました。 堀澤祖門大僧正との共著ですが、KADOKAWAから企画を頂いたのは3年前です。 その時はまだ機が熟していませんでしたが、今年になって実際の動きが始まり、半年以上かけて出来上がった一冊です。 編集者さん始めスタッフの皆さんは、堀澤 ... 続きを読む
昨日、新刊が届きました。


堀澤祖門大僧正との共著ですが、KADOKAWAから企画を頂いたのは3年前です。

その時はまだ機が熟していませんでしたが、今年になって実際の動きが始まり、半年以上かけて出来上がった一冊です。

編集者さん始めスタッフの皆さんは、堀澤師が門主をしている京都大原三千院に何度も足を運び、そこで毎日行われる門主を中心にした大勢の僧侶たちの読経を録音するなど、熱心な取材を重ねて、ち密で素晴らしい本を作ってくれました。

こうして形になってみると、また新鮮な気持ちがします。


この本は、ある意味で僕の中の決着みたいな本です。

というのも「覚り」というものが大げさにされて、何百年もの間、伝統の中で権威を持って伝えられてきましたが、実際にはあまりにも当たり前なことであり、誰もの中にある可能性だということが良く分かる本だからです。

伝統の素晴らしさは認めますが、荘厳すぎて人はその中に特別にすごいものを想像してしまいます。

それによって、間違ったイメージで「覚り」や「釈迦の教え」が所有されてしまうのです。

真理の本質だけを純粋な形で衆生に伝えるのが、本来の僧侶の役目ではないかと、そんな生意気な発言も「うん、うん」と聞いてくれた大僧正がいてくれたおかげの一冊です。


この編集が終わったとき、祖門さんは「とても良い本ができたが、仏教界がどのように受け取るかは別の話だ」と言いました。

僕が発言したとはいえ、いまの仏教界だけでなく、仏教の教義や、伝統的な修行体系まで否定するような話を、祖門さん自身が受け入れてくれているからです。

仏教の世界においては、最高位の公職を担う立場の人間が、そのような考えに同意することは、とても覚悟がいることだったと思います。


祖門さんは、人が真似のできない長年にわたる厳しい修行だけではなく、学問としての仏教にも精通したエキスパートです。

修業が厳しいことで有名な比叡山にあって、その本筋を一切ぶれずに生きてきた人です。

若いころから自分の信念を曲げることはせず、比叡山と言えども組織で運営されているのですが、多勢が賛成することでも頑として動かないことがあり、組織からは扱いにくい人として通ってきたと、何人かのお弟子さんから聞いたことがあります。

でもその実績を知っているだけに、誰もが認めざるを得ない人物だとのことです。


最初から出世など考えていないので、いまの地位にしがみつくこともなく、だからこそ生まれた今回の一冊ではないかと思います。

この小さな突破口が、やがて大きな潮流となって、僧俗共に真理を分かち合いながらブッダズランドを創り出していく、以前向禅師と描いたそんなストーリが蘇ってきました。

本の内容は、分かりやすい言葉で仏教の最も重要なポイントを書いているとの同時に、仏教という枠組みを超えた、あらゆる人たちに通用する真実を説いています。

修行僧の方たちも読まれると思いますが、いろいろな観点から役に立つ本だと思います。


付録の「一元に触れる」というタイトルのCDには三千院の朝のお勤めの模様(開経偈、妙法蓮華経など十経)の他に、25年前に妻のアルバム用に制作した「おかえり」という楽曲を収録しています。

この歌は、本の中にも出てくる「おかえり」という一文と同じことを歌っています。


今日あたり、書店にも並ぶと思うので、どうぞ手に取ってみてください。


アマゾンでの受付も始まりました。

生きるのが楽になる 「覚り」の道の歩き方 「一元」に触れる京都大原三千院の読経CD付


・・・・・・・・・・・


お待たせしました、新春特別企画のご案内です(^^)


今年一年、やはり大和田菜穂さんの出現はインパクトがありました。

そのような人がどこかにいるとは思っていましたが、まさか日本の女性という姿で会うとは思いませんでした。

そのギャップも面白かったですが、それ以上に、なるほどそういうことかと改めて分かったことも多く、僕の人生にとっても、大きな贈り物になりました。


考えてみたら僅か3か月の間に、延べ3000人以上の人が講演会やサットサンやリトリートに参加してくれたわけで、すごい勢いだったと思います。

会場はどこも満員御礼で、即日完売なんてことも少なくありませんでした。

「End of Seeking」の会員数も7000人を超えました。


何が多くの人を惹きつけているのか、その答えは、まさにいまの時代の流れの中にあります。

時が来たということです。


菜穂さんの言う「もうひとつの世界」は、僕や黒斎くんが伝え続けてきたことと同じです。

ただそれが、まさにいま大和田菜穂という現象を通して報告されているということで、やはり生きた人間としていてくれることは、何より手っ取り早いことです。

昔ならどこかの凄い僧院に鎮座する伝説のマスターだったり、ヒマラヤの洞窟に隠匿した聖者だったり、そんなイメージで捉えていたのが、彼らに期待した本質を全部携えている人が、隣のお嬢さんみたいな顔でパリに住んでてくれたのですから、ずいぶん時間短縮できました。


で彼女の効能(?)は、すでにたくさん頂いていますが、やはりサットサンの時空間が一番大切なのではと思います。


今回はサットサンの前に一時間ほど、僕と黒斎君と二人で、大和田菜穂さんという存在(非在?)について語ってみようと思います。

黒斎君は菜穂さんと何度か会っていてよくわかっているので、面白い話の展開になると思います。

そしてサットサンに参加する上でのちょっとしたアドバイスなんかも2人で考えてみます。


1月9日(土)
両国KFCホール

14時~17時半

タイトル
「終わりの始まり」


参加費
4800円(税込)

詳細・お申込みはコチラから



さきほど紹介した堀澤祖門大僧正と大和田菜穂さんの対談動画は、「End of Seeking」に何本も収録されていて、とても興味深い内容になっています。

会員登録してご覧ください。

「End of Seeking」

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