かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2016年02月

昨日の記事は色々な受け取り方があったと思います。 批判ということで言えば、このブログを始めた10年前からあることで、そのことに対する感情的な反応は持ち合わせていません。 いまやネットは現実世界でも特定の個人を調べるためのツールとして頻繁に使われるよう ... 続きを読む
昨日の記事は色々な受け取り方があったと思います。

批判ということで言えば、このブログを始めた10年前からあることで、そのことに対する感情的な反応は持ち合わせていません。

いまやネットは現実世界でも特定の個人を調べるためのツールとして頻繁に使われるようになっていて、実際に僕の社会生活に支障をきたす事例がいくつも発生しているので、一言書いておいたほうがいいと判断しました。

もう一つは、批判の内容を真に受けた人から、僕や関係者への殺人宣言まで書かれるようになったことへの歯止めも必要だと思ったこともあります。


ここで伝えてきたことは、我々が認識しているのとは別のリアリティーが存在しているということです。

そこには個人は存在せず、ただ全体が在るがままに在るのみです。

するべきこともなく、できることもないのですが、その世界にこそ我々が求めている、愛、安心、喜びといった高い質が備わっていて、本当は誰もがそれを探し求めているのです。

僕はその世界へのガイドを買って出ているのですが、いつも慎重にならなければいけないのは、その世界の真実を、この現象界にそのまま持ち込むことの危うさです。


たとえば

「誰もいない」

「何も起きていない」

「良い悪いはない」

「何もする必要はない」

「起きることが起きている」

「誰も死なない」

などです。


これらのメッセージをほどよく使えば、人生でのストレスを軽減することができますし、役に立つ場面もありますが、すべての事象に当てはめようとすると、現象界で様々な問題を引き起こすことになります。

ですから伝える側は、このことへの注意を怠らずに、両方をバランスよく扱っていくことが求められます。

講演でもブログでも、この点をいつも明確にしようと努めてきました。

にも関わらず、昨日のような発言をすると、いつも伝えていることと矛盾するという意見を持つ人が出てきます。

ですからこの点はしつこく伝え続けなければならず、そういう意味でも昨日の記事は有意義でした。


この機会に、何が批判されているのかの要点を整理して、そのことに対する僕の考えを述べることは、なんとなく疑問や違和感を持ってきた人に対して必要だと思います。

聞きにくいことも、遠慮せずに聞いてください。

関係者もいるので言葉を選ぶこともありますが、できる限りそのままお答えします。



まずは昨日いただいた質問にお答えしましょう。

もし見落としているものがあれば、また質問してください。



愛ラ-雲国際レディオホテル-さん


>優しいオッサン(笑うウリエル)は、阿部さんは宗教屋ボブと関わった頃から変わった。と以前申しておりました。

>何かこの件について、思い当たる節があられましたら



ボブさんと会って変わったことは、瞑想についての認識が深まったことです。

もとより彼の見えない世界に対する感性は僕とは違っていて、そこに影響を受けたことはありません。

僕は、これはいいと思ったことはみんなで共有したくなるので、彼の瞑想の普及に全力を尽くしてきました。

もしいまボブと出会ったとしても同じことをしたと思いますし、すべてを理解した後は独立し、自分の感性に見合った活動に転化していったと思います。


たぶん僕が変化したように見えたのは、瞑想が有料だからメッセージの純粋性が損なわれたように感じたのではないでしょうか。

このことについては、きちんと僕の考えを表明する必要があるので、改めて書くことにします。




アクアさん

>「瞑想伝授で「空」に入れる(かもしれない)」・・・これは、本当ですか?

>うそとは 言いません。

>もしかしたら あるかもしれませんが、通常は、瞑想・非瞑想に特定されずに彼方から突然に訪れます。

>人為的な 意図によっては 不可能と考えますが 如何に?



空の世界は日常の世界と同時に、いつもいまここにあります。

意識が活動に向かっていて見失っているだけで、何も特別な世界ではありません。

活動を停止すれば、そこに空がありますます。

ということは、自分からの働きかけが終わったとき、「それ」があるということです。


ところが人は働きかけを止めることができません。

完全な受動性になるためには、自力ではない何かの力、自力をゆだねる乗り物が功を奏します。

その乗り物がマントラと呼ばれる波動です。

マントラとは言葉ではなく、この世で最も微細なバイブレーションです。


あかさんからも質問があったので簡単に説明すると、そのバイブレーションを生かすためのエネルギーワークを伝授と呼んでいます。

ただし僕は伝授という言葉には最初から違和感を持ってきました。

伝授とは誰かから誰かに何かを受け渡すというニュアンスがありますが、そんなことは起きません。

なぜなら、もともと主体も客体もないからです。

伝授という名のもとで行われていることは、内側のエネルギーを動かすことで、マントラが作用する土壌を作り上げていることです。

このことはボブさんに最初から言ってきましたが、言語の壁や、いままでの習わし、そしてすでに多くの教師たちが使い続けていたので変更はできませんでした。

伝授についても愛ラさんへの答えの延長として、すべてを明らかにしたほうがいいと考えるようになりました。

関係者が多いので言葉を選んでしまいますが、この機会にこれまでの経緯も含め、瞑想に対する僕の考えをまとめてみようと思います。



アクアさん

>菜穂さんが 非二元を体現している・・・阿部さんが、そう思うことはそうでしょう。

>これは 自由ですですが、観た印象(或いは判断)で そうとして、それを 公言しているのは 如何がなものでしょうか?



僕はただ事実を報告しているだけです。



ただの一名無しさん

>やはりこの二元で、「私」に囚われない事は、不可能なのでしょうか?



二元とは「分離した私」のことなので、「私」に囚われることは避けられません。

しかし程度を減らすことはできます。

そのヒントを伝え続けてきました。


いまもう一度昨日のコメントを見たら、また新しく質問が入っていました。

長いので本文は昨日のコメント欄を読んでください。


ヨシダさんからです

>そういう人間、阿部さんはどう思いますか?どんなにガッカリするような答えでも本音を聞いて見たいです。

あなたの感覚はもっともであり、多くの人に共通するものだと思います。

意外かもしれませんが、僕も同じように思っていますし、そういう活動を目指してきました。

次回はそのあたりを書いてみたいです。

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昔のバンドメンバー。 彼には人生の絶頂期もあったけれど、この数年間は不運続きで、この世の地獄を味わい尽くした。 昨日、そんな彼と久しぶりに再会。 会った瞬間、お互いに20代に戻った。 戻ったというよりは、当時から何も変わらない自分たちで出会った ... 続きを読む
昔のバンドメンバー。

彼には人生の絶頂期もあったけれど、この数年間は不運続きで、この世の地獄を味わい尽くした。


昨日、そんな彼と久しぶりに再会。

会った瞬間、お互いに20代に戻った。

戻ったというよりは、当時から何も変わらない自分たちで出会った感じだ。


見た目は変わっていくけれど、中身は歳を取っていない。

たぶん、自分で年老いたと思った分だけ、内側も年老いているのだと思う。


この40年間、お互い、よく生きてこられたなって笑った。

大変なこともたくさんあったけれど、なんとかここまで生きてきた。


きっと僕たちだけじゃなく、みんなだってたくさん悩み、たくさん苦労をしてきたと思うけれど、いま生きているってことは、何かがちゃんと面倒見てくれたってこと。


生きているのが嫌になったこともあるし、将来どうなってしまうのか震えおののいたころもあった。

でもなんとかなってきた。


きっとそれはこれからも同じだろう。

僕らは自分の力で生きてきたつもりになっているけど、そんなことはない。

生かされてきたんだ。

存在全体が面倒見てくれたのだと思う。


昨日のコメント欄に、将来が不安でたまらないという人がいたが、これからもどうにか生きていけるから大丈夫って言ってあげたいと思った。

来たものは去っていき、また忘れたころにやって来るから。

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昨日みたいな記事は大好きで、こういうことが書けて、読者の反応も貰えるからブログって面白い。 昨日のアベッチの話は、実は誰もの中にある側面であって、それは社会的に尊敬される人も、宗教の教祖さんも、第一線のスポーツ選手も、現れの個性こそあれ、みんな一緒。 ... 続きを読む
昨日みたいな記事は大好きで、こういうことが書けて、読者の反応も貰えるからブログって面白い。

昨日のアベッチの話は、実は誰もの中にある側面であって、それは社会的に尊敬される人も、宗教の教祖さんも、第一線のスポーツ選手も、現れの個性こそあれ、みんな一緒。

「いや、あの人だけは違う」、なんて思わないでね(^^)

あなただって自分の中に同じような面があることを知っているでしょ?


先日お会いした大企業の社長さん。

もう長い付き合いだから、二人きりになったときは、お互い腹を割って何でも話すんだけど、彼が言うには、業績が上がって過去最高益を更新するたびに、不安感は比例して大きくなるって。

業績が悪化して不安になるのは分かるけど、上がれば上がったで不安になるんじゃ、たまらないね。

彼のことは多くの人が知っているけど、まさか内心そんな気持ちを抱えているなんて誰一人思わない、それくらい堂々としている人。


そういう立派な顔している人が世の中には多いから、まるで自分だけが心の闇を抱えているみたいに思っちゃうんだろうな。

みんなで暴露しあえば、みんなで腹抱えて笑っちゃうね。

なんだ、お前もか!って(笑)


ただし、社長やっている人が、

「実は僕ちゃん、自信ないのよね」

なんて言ったら、会社に動揺が走って大変なことになっちゃうから、公には言えない。

やはりそれらしく立ち振る舞う必要があるわけだ。


大なり小なり、みんなで仮面を付け合って、なんとかつじつま合わせてやっているのが人間社会なわけで、そんな社会に上手く適応できないからって自分を卑下することはない。

まったくこの世で起きていることは冗談みたいなことばっかりだと思う。


どうだい?たまにはここで暴露大会でもやってみるか。

「私の隠れた心の闇シリーズ」

「私の仮面」

あはは、なんかおかしい。


いまの私にはそういう部分がないという人も安心して大丈夫。

またすぐにそういう面が現れてくるから。

なんだか変な励ましになっちゃったけど、それでいいって話。


まだ書きたいことが沢山あるけれど、今日は沖縄のミュージシャンたちと明日のライブのリハーサル。

沖縄のミュージシャンはレベル高いから、一緒にやっていて気持ちいい。

いままで忙しくて練習できなかったから、今日は猛特訓です。

それじゃまた(^^)/



・・・・・・・・・・


大和田菜穂さんが、4月にハワイリトリートします。

2月中に申し込むと渡航費が安くなるらしいから、行けそうな人はお早目に。

彼女の本が発売されて一周年。

発売元のナチュラルスピリット社の主催です。

詳細はコチラから。


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基本的に、人間はそんなに変わらないと思っている。 誰かにあって誰かに無い面などない。 講演会などで、自分が嫌いだという相談者には、 「あなたの中にある嫌な面は、僕も全部持っている」 と言ってきた。 事実そうだからだ。 反対に誰かの中にある美 ... 続きを読む
基本的に、人間はそんなに変わらないと思っている。

誰かにあって誰かに無い面などない。

講演会などで、自分が嫌いだという相談者には、

「あなたの中にある嫌な面は、僕も全部持っている」

と言ってきた。

事実そうだからだ。


反対に誰かの中にある美しさは、自分も持っているか、持っていることに気づかないだけで、やっぱり全部持っている。

要は、そんなあらゆる面の中の、何を発揮して生きているかが問われるわけで、有機体としての質の違いではない。


罪を憎んで人を憎まずという言葉があるが、まさにその通りだと思う。

自分を罰している人は、裁くべきは表面の行為であって、自分という存在自体ではないことを知らなければいけない。


内側ではいろんな思考が錯綜する。

どんな思考も湧いてくる可能性がある。

こんな考え方をする自分は最低だと思ったりもするが、それだって言わないだけで、誰にだって起きていることだと思う。


テレビやネットでは不祥事を犯した有名人を、これでもかというくらい寄ってたかって断罪する。

まるで自分にはそんな可能性は一切ないかのような顔をして。

人を悪者にするときは、同時に自分は正しいという感覚を持つことができるから、人は人を非難するのが好きだ。

白状すると、僕もそういう番組をいつも以上に興味深く見ているのだから同じようなものだ。


誰かが上手くいっている話より、ゴシップのほうが面白かったりする。

たとえばキムタクが車の接触事故を起こして、隣に女性が乗っていたなどという見出しがあれば、なんだなんだとばかり記事を開く。

その女性が奥さんだと分かると、「な~んだ」となる(笑)

自分が幸せでない時は、羨むような人の幸せが崩壊する様子に、暗い喜びを感じたりもする。

言わないだけで、そんな一面も人間の中にあるのではないだろうか。


それでは、僕にとって一番身近な、低我のアベッチという現象を見てみよう。

もちろん、その男についてのストーリーに過ぎないが、各々がストーリーと同化して生きているのだから、何か感じてもらえるかもしれない。


昨日話した自我の特徴、「不満、欠乏感、怖れ、嫉妬、攻撃性、怒り、不安・・・」はすべて兼ね備えている、
さらには、ここに怠惰と、調子の良さ、そして幼児性が加味される。

そうやって半世紀以上を生きてきたのだから、このまま死んでいく可能性が大だ。


失敗は日常茶飯事。

それも未熟な社会性が引き起こしていることが多い。

10代の終わりに、大人になることを拒否して、そのまま今日まで来た。

一旦こうだと思ったら、誰も止められない勢いで走り出していく。

よく言えば打算がない。

しかし違う言い方をしたら、地図のない道を暴走車が走り抜けているみたいなもので、秩序も何もあったもんじゃない。


そんなアンバランスさは悪いことばかりではなく、人にはない感性が育ったことで、人の役に立てる面もある。

それに、こんなしょうもない男でも、どこかの立派なお坊さんと同じような気づきを得られるというのは、一部の人の勇気づけになるはずだ。

同じ顔をした社会人が多い中で、こういうのがいたほうが面白いじゃないか。


こうやって、自分のマイナス面を分析しながらも、いつの間にかプラス面として語りだすのも、この男の特徴だ。


それでも幾ばくかの修行のおかげで、物欲はすっかりなくなった。

もう欲しいものは何も無い。

あえてあるとしたら、お金くらいだろうか。

(ここ笑うとこだから、よろしく)


どう?少しは楽になってくれた人いる?



自分を語るのは難しいな。

全部正直に話したいのに、スルリとどこかに逃げていってしまう。

無意識に何かを守っているのだと思う。


うん、ここは取り組み甲斐がありそうだ(^o^)


もう少しこの男を裸にしてみたい。









・・・・・・・・・・・・・



3月、大和田菜穂さんが来日します。

サットサンスケジュールは以下の通りです。


大阪 3月12日

名古屋 3月13日

東京 3月26日・27日

詳細はコチラから

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短い文章だけど、時間がある時にゆっくり読んでくれたらと思います。 ・・・・・・・・・・・ 凝縮した「私」というエネルギーが何かの拍子で霧散した時、そこに残るのはただ、あるがままの世界。 世界と言うより、目の前の「場」と言ったほうがいいかもしれない。 ... 続きを読む
短い文章だけど、時間がある時にゆっくり読んでくれたらと思います。

・・・・・・・・・・・

凝縮した「私」というエネルギーが何かの拍子で霧散した時、そこに残るのはただ、あるがままの世界。

世界と言うより、目の前の「場」と言ったほうがいいかもしれない。

その後も、何も変わらず「場」は淡々と展開しているのだけれど、そこに登場人物の「私」はいない。

「場」だけがある。


この感覚に近づく手段として、繰り返し奨励してきたのが「首なし人間」のイメージ。

自分の頭が消えて、首から上が空間に溶けている。

この時の特徴は、起きていることへの判断が完全に消えていること。

そして完全に「いま」にある。


実際にはこの状態が我々のベースなのだが、普段はここに「私」という感覚が主人公として登場し、「場」をやりくりしているつもりになっている。

この「私」は、単なるエネルギーの凝縮で実体ではないのに、ものすごくリアルだ。

そして何事もこの「私」を中心に生きることになる。


「私」の特徴は、不満、欠乏感、怖れ、嫉妬、攻撃性、怒り、不安・・・

そして「いま」以外の何かを空想している。


たいていの場合、「私」は死の瞬間まで居残るけれど、生きている間に何かの拍子で消える時がある。

それを、「さとり」とか「目覚め」とか「見性」とか呼ぶ。

要は「さとり」とは、もともとの存在のベースを再発見すること。

何も難しいことじゃない。

だって最初からそうだったんだから。


いつもその状態にいられないとしても、一日の中で何回か戻るだけで、蓄積されるストレスはまったく変わってくる。

もしずっと「私」を生きていたら、おかしくなって当然だ。

そのうち周囲がみんな敵に見えてくるし、人間不信に陥ってしまうだろう。


「首なし人間」が難しいという人は、瞑想を習慣化するといい。

一日10分でもいいから、気にいった瞑想法を探して、それを実践することだ。

瞑想はストレス社会の必需品だと思う。


さて話は変わるけど、昨日の記事にエールをくれてありがとう。

「私」こと「低我のアベッチ」の失敗談や、しょうもない話なら山のようにある。

アベッチの失敗話が誰かへの勇気づけになるのなら、なんでも披露しよう。

聞きたい?


聞きたくなくても、たぶん書き始める(笑)



・・・・・・・・・・・


雲黒斎くんとアベジュニアとの対話「わかりかけのRadio」は、回を追うごとに聴取者数が右肩上がり。

黒斎くんの痒い所に手が届く解説と、痒い所だらけのアベジュニアの世界は、ウ~ンと唸ってしまうくらい面白かった。

毎回、アップされてから一週間は無料で聴けます。

ただいま第5話を配信中。

初めての人はサイトの右上にある新規登録をしてから進んでください。


スピタメ!



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ブログでみんなを勇気づけようと思うと、自分の人間的な面や、弱さのようなものを出しにくくなるんだよ。 真実は真実としても、生きているのは生身の体だから、いろんな時がある。 で、そんなことを書き綴った記事は、ほとんどボツにしてきた。 こういう態度って ... 続きを読む
ブログでみんなを勇気づけようと思うと、自分の人間的な面や、弱さのようなものを出しにくくなるんだよ。

真実は真実としても、生きているのは生身の体だから、いろんな時がある。


で、そんなことを書き綴った記事は、ほとんどボツにしてきた。

こういう態度って、僕の思い込みが作っているんだよね。

みんなはそんなこと期待していないのに、いつも一定の自分でいることを期待されているような・・・


講演では裏も表も全部見せてきたけど、ブログって読む人の顔が見えないから、どうしても一面的になってしまいやすい。

いつもみんなに言っていることが、自分ではできない時があったりするのに、それが書けない。


一事が万事、ただ起きているって感じている時間帯もあれば、人間稼業がほとほと嫌になる時もある。

瞑想のおかげでずいぶん救われたけど、たぶん人間やっているうちは、この体が死ぬまで、程度差はあれ、この繰り返しなんだと思う。


何度も伝えてきたけれど、僕はごく普通の人間なのに、一方で感じている世界が人間離れしているから、そんなメッセージを伝えるたびに普通じゃない人みたいな印象を与えてしまうのかもしれない。


僕がやりたいのは、この現象界の実相が何なのかという説明。

なぜそれを伝えたいかといえば、それがわかればみんな楽になるから。

情報だけでなく、瞑想の実践も同じことで、ちゃんと続ければ必ず楽になる。


それなのに伝えている当人が、現象に巻き込まれることがあるなんて、ちょっと言いにくいでしょ(笑)

サプリを販売している人が健康を害しているのを隠したい心理と同じ。

こうして書いていると、バカバカしくて笑えてくるけど、本当なんだから仕方ないね。


話を戻すと・・・期待されているという思いこみや、せっかく僕から勇気を受け取ってくれた人を惑わしてしまうんじゃないかっていう思いこみを外して、また等身大でありのままを書いていきたい。

そんでもって、「こっちだよ」って旗を振っていくことにしよう。


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♪ 人間なんてラララララ・・・ 人間なんてラララララ・・・・ 吉田拓郎の初期の名曲。 僕は高専の三年生だった。 初めて拓郎を知り、ギターをかき鳴らして己の心情を唄うフォークシンガーに憧れた。 拓郎になりたいと思った。 思い立ったら吉日とば ... 続きを読む

人間なんてラララララ・・・

人間なんてラララララ・・・・


吉田拓郎の初期の名曲。

僕は高専の三年生だった。

初めて拓郎を知り、ギターをかき鳴らして己の心情を唄うフォークシンガーに憧れた。

拓郎になりたいと思った。


思い立ったら吉日とばかり、数か月後、退学届を提出してギター片手に上京した。

拓郎が所属していたエレックレコードからデビューする夢を抱えて。


大した才能もないのに、絶対にそうなると信じていたからか、2年後に夢がかない、念願のエレックレコードからデビューした。

でも拓郎にはなれなかった。


人間なんてラララララ・・・

人間なんてラララララ・・・・


まさに僕の心情だった。


この歌はこんな歌詞へと続く。


何かが欲しいオイラ

それが何だかはわからない

だけど何かが足りないよ

いまの自分もおかしいよ


拓郎になってもまだ何かが足りない?

そんなの嘘だろ?

僕はアンタを目指しているんだ。

きっとそこまで行けば、その時は満たされているはずだ。

そう思った。


あれから数十年がたち、自分なりに人生を生き切ってみて、考え方が変わった。

「何かが足りない」

この想いは、たとえ世界中の宝を手に入れても同じだ。

何を手に入れても足りない思いは消えることがない。

この欠乏感は外側のものでは埋まらない。

同時に、精神世界で言うところの内側を目指しても、決して埋まることはない。


やがてこの欠乏感は、全体から分離した自己という感覚がもたらす、誰もが持つ共通の感覚だとわかった。

分離した私がいるかぎり、この旅は続くのだ。


自己は存在せず、存在だけが存在していて、それぞれの自己を表現している。

なんてこった。

一足先に分かったのはいいけれど、どうやってみんなに伝えたらいいんだ。

全体から分離した「私」が原因?

そんなことに誰が聞く耳を持つのか。

バカバカしい話として一笑にふせられて終わりだ。


でもここにしか答えがないと分かった今、これを伝えるしかないじゃないか。

みんなが充足したくて間違った方向を探しているのだから、「そっちじゃない!こっちだ!」と言うしかないじゃないか。


最初は力み過ぎて空周りの連続。

じれったいくらいのろまな歩みだけど、それでもこの期間に、縁のあった一部の人たちが真実に目覚めていった。

あとは彼らがやってくれるだろう。

と同時に、きっとこれからも、僕は僕で細々とメッセージを伝えていくのだろうな。

いままでの歴史の中でも、僕達のような名もなきメッセンジャーがいたはずだ。


しかし、いつの時代にも民衆の心を捕らえてきたのは、この世で、あの世で、「私」が幸せになるための教えだ。

人はそちらのほうがずっと分かりやすいし、時間や財力をつぎ込む価値を感じる。

そうやってできた大きな伽藍。

とてつもない規模の寺院や教会。

人はそれを有難がり、拝み、やがては死んでいく。



人間なんてラララララ・・・


そうじゃない。

人間は素晴らしい。


人間は、ラララララ♡と歌いたくなるくらいに素晴らしい。


本当はすでに全員が、ラララララ♡の世界に住んでいる。

あとはそのことに気づくだけだ。


あはは、また勝手なことを書いてみた。

さて、沖縄に帰ろうっと。

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