かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2016年04月

誰かの中に入りこんで、その人の人生を経験してみたら、どんなだろうって思うことがあります。 よほど楽しいか、よほど苦しいか、それとも環境や条件が変わったとしても、内側の幸不幸はたいして変わらないのか。 もしあなたの中に入ったとしたら、僕は何を感じるの ... 続きを読む
誰かの中に入りこんで、その人の人生を経験してみたら、どんなだろうって思うことがあります。

よほど楽しいか、よほど苦しいか、それとも環境や条件が変わったとしても、内側の幸不幸はたいして変わらないのか。


もしあなたの中に入ったとしたら、僕は何を感じるのでしょう。

反対に、あなたが僕の中に入ったとして、僕と同じ毎日を過ごしたとしたら、あなたが何て言うのか聞いてみたい(笑)


今朝のインスピレーションがまさにこのことで、同じことが起きたとしても、その現実に対して作りだせるストーリーは無数にあるということ。

いまの出来事をどう考え、どう感じるかは、その人次第だということ。

人は思考によって刻々と人生を作りだしていると思いました。


「思考は現実化する」というのは、思考が未来の現実を作りだすということではなく、思考がいまの現実を作りだしているということです。

まさにいま、まったく違う考え方、全く違う感情を持てたとしたら、即座にまったく違う現実が現れます。


あるとき突然、理由なく至福感に包まれた経験がある人は、その瞬間に世界全体が違って見えたことでしょう。

それまでは陰謀渦巻く油断ならない世界だと思っていたのが、急に「What a Wonderful World!」となるのです。


いま、天から至福ビームが降り注いできて、あらゆる人のハートを貫いたとしたら、みんなで一斉に声を上げるのかな。


「What a Wonderful World!」


一人の人に起きたことはあらゆる人に起きる可能性があるわけで、だったら勿体ぶらずに、至福ビームを全員に降り注いでほしいものだ。


そしてネガティブな考えを一掃しよう。

もう散々やってきたんだから。



どんなGWをお過ごしですか。

素晴らしい時でありますように。



僕は今日、「ここだけのRadio」を見に行ってきます(^^)

このエントリーをはてなブックマークに追加

昨日は雑誌のインタビューで我が家に編集者さんたちが来てくれました。 最近は出不精なのか、たいていの打ち合わせは家でやらせてもらっています。 インタビューの内容は、先日行われた「引き寄せとノンデュアリティ」のイベントのこと。 雑誌で特集してくれるのだ ... 続きを読む
昨日は雑誌のインタビューで我が家に編集者さんたちが来てくれました。

最近は出不精なのか、たいていの打ち合わせは家でやらせてもらっています。

インタビューの内容は、先日行われた「引き寄せとノンデュアリティ」のイベントのこと。

雑誌で特集してくれるのだそうで、ありがたいことです。


誰もが知りたいのは、引き寄せとノンデュアリティがどう繋がるのかという話でしょう。

引き寄せの法則を探究してきた若い女性が、その果てにたどり着いたのが「自己の不在」だと言います。


彼女は心地いいことを選び、気乗りしないことをやめることで、自分の枠を超えて行動し始めたのだそうです。

それまでの枠を破るのは勇気がいたことでしょう。


それを続けるうちに、自分の限界を作りだしているのは自分自身だということに気づいたのではないでしょうか。

そして完全なる自由とは、自分自身の自由ではなく、自分自身からの自由だと悟った。

それが「自己の不在」という感覚に繋がったのでしょう。


引き寄せとノンデュアリティは、基本スタンスがまるで違います。

前者は時間の中に存在し、後者はいまここに在るからです。

ところがそんな対照的な世界が、最終的に繋がってくるとしたら面白いですね。


ただし、とても重要なポイントがあります。

昨日インタビューで話したのは、引き寄せの意図が欠乏感から来ていたら、どこまで行っても欠乏感しか残らないということ。

何を得ても足りない気持ちが消えることはないでしょう。


お金がない時はお金さえあれば解決するような気がしますが、お金があっても内側は何も変わりません。

欲求不満はむしろ高まるばかりです。


どこまでいっても切りがなく、なぜ心が満たされないのかと疑問を呈すれば、マインドはしっかり答えをくれます。

「それはまだ努力が足りないからだ。もっと早く歩きなさい。先を進む人は到達しようとしている」


先を進む人は到達しようとしている?

こういう誤ったイメージが、人を前に前に押しやるのです。


先を行く人の前には、さらに人がいる。

その人の前にも人がいて、一番前の人はあなたの後ろにいるかもしれません。

なぜならこのコースは周回道路だから。

これをサンサーラ(輪廻)と呼びます。

そこに生まれ変わりの概念をはめて輪廻転生と言いますが、もともとはこの世における堂々巡りのことです。


人生はサンサーラ。

どこにも行きつくことはありません。


いかにその輪から抜けるかが、ここで伝えているメッセージの全てですが、いったん抜けてみれば、もう同じ道を歩もうとは思いません。


もし引き寄せを学ぶ人が、サンサーラの中にいるのなら、ただの時間の無駄でしょう。

何を得ても満足しないし、死がそのすべてを奪っていくからです。

が、自分という虚構の壁を超えていくことが目的なら、サンサーラから抜けるチャンスが出てきます。


そこに永遠の命があります。


そして、あなたはいない。



・・・・・・・



「引き寄せの法則とノンデュアリティ」のイベントの模様は「スピタメ!」で近く動画配信します。


また、脳科学と量子論の保江邦夫博士と大和田菜穂さん、あべとしろうによるノンデュアリティの講演の模様も「スピタメ!」で配信が始まりました。

講演に来られなかった人にお勧めです。

ノンデュアリティを科学が証明しだしましたが、この流れはまだ始まったばかりで、これからの科学の発見は、人間存在の神秘の解明に貢献していくと思います。


素粒子とは何なのか、保江博士は「愛の泡風呂」と表現します。

素粒子を覆っている幕が愛そのものであると。

我々は愛によって生かされ、時間を超えて愛の中に存在しているのです。

動画はコチラからお入りください。

初めての方は開いたページ右上の新規登録からとなります。


・・・・・・・・・


4月30日の「ここだけのRadio」は、若干名のキャンセルが出ましたのでご案内します。

ただし受付は今日一日だけですので、よろしくお願いします。

詳細はコチラから。


このエントリーをはてなブックマークに追加

夏前には発売される瞑想の本。 早いもので16冊目となります。 目を閉じて座るというノーマルな瞑想法ではなく、日々の生活の中で実践していくショート瞑想を揃えてみました。 ほんの数分間でもいいから、行動の連続性に中断を与えていまここに佇む。 それだ ... 続きを読む
夏前には発売される瞑想の本。

早いもので16冊目となります。


目を閉じて座るというノーマルな瞑想法ではなく、日々の生活の中で実践していくショート瞑想を揃えてみました。

ほんの数分間でもいいから、行動の連続性に中断を与えていまここに佇む。

それだけで、ストレスの蓄積が大きく変わってきます。


最近になってそこに、さらに大切な瞑想の目的を書き加えたくなりました。

単なるストレス緩和ではなく、人生というストーリーから、本当のリアリティである「いまここ」にフォーカスを合わせ、スピリテュアルに関心がない人も悟ってしまうようなガイドブックになれたらと思いました。


そんなわけで、今日から数日間は、一点集中で原稿に取り組んでみます。

国語が大嫌いだった僕が、まさか物書きになるなんて・・・

その気になれば、誰だって何にだってなれるという生き証人です。


もしお子さんが勉強しないとか、学校行かないとかいうことが起きていたとしても、人生どこでどう展開するかなんて誰にも分らないこと。

いまの状態を一生の問題のように考えないで、いまはこういうシーンを迎えていると思えばそれでいい。


今日一日生きるだけでも大変なのだから、そこに過去や未来の重荷までも抱えたら身動き取れないよ。

昨日と明日を鉄の扉でシャットアウトして、今日一日を生きるとしよう。



それじゃ、またね(^^)





このエントリーをはてなブックマークに追加

「これしかない」っていう呪文は、効き目が大です。 目の前のこれしか起きていない。 「これしかない」 思い出すたびに千回くらい言えば、その気になってくる(^ ^) ... 続きを読む
「これしかない」っていう呪文は、効き目が大です。

目の前のこれしか起きていない。

「これしかない」


思い出すたびに千回くらい言えば、その気になってくる(^ ^)


このエントリーをはてなブックマークに追加

講演して思うのはブログに書くことの難しさ。 現場には空気感があって、そこに展開される話の方向性を共有できるので、まったく違う感覚で生きてきた人も、なんとなく意味がわかってくる。 結局のところ、今起きているこれしかないのだけれど、これしかないことがよ ... 続きを読む
講演して思うのはブログに書くことの難しさ。

現場には空気感があって、そこに展開される話の方向性を共有できるので、まったく違う感覚で生きてきた人も、なんとなく意味がわかってくる。


結局のところ、今起きているこれしかないのだけれど、これしかないことがよく理解されているときは、優しくて柔らかい気持ちになっている。

これは例外なく、そうなっている。


どんな正しい理論も、まさに机上の空論で、そんなことより確かな証拠は、まさにいま、優しい気持ちでいるかどうか。

愛と言えば意味が多すぎるけど、優しい気持ちと言えば具体的にわかる。

まさにいま、そうだということしかない。

これしかない。


あとは理屈のオンパレード。

自我が大好きなゲームだ。


優しい気持ちであれば、リラックスしている。

リラックスしていれば、その分だけいまに在る。

そして、このことしか起きていないことを知っている。

そういうことです。


気楽が一番。

つまるところ、なんだっていいんだから(^ ^)

このエントリーをはてなブックマークに追加

人類全体が、いまあるがままのものを見失って、ありもしない明日に取り憑かれているのは、まるでマジックのようだ。 というより催眠術かもしれない。 みんながそうだから、誰もそのことを疑わない。 たまたまいまここに目覚めた者が、「夢から覚めよう」と声をか ... 続きを読む
人類全体が、いまあるがままのものを見失って、ありもしない明日に取り憑かれているのは、まるでマジックのようだ。

というより催眠術かもしれない。

みんながそうだから、誰もそのことを疑わない。


たまたまいまここに目覚めた者が、「夢から覚めよう」と声をかけても、それさえも明日の目標になってしまう。


なぜこれほど明らかな真実を、人類規模で見失うことができたのだろうか。

すっかり眠りこけていると、自分が眠っていることに気が付かない。

人類全体が催眠術にかかっているなどと言えば、大言壮語にしか聞こえない。


真理はあるがままに、いまも目の前にあって、いままで一度も隠されたことがないのに、真理に対する書物は山ほどある。

きっと人は、あるがままの真理より、真理について語る方が好きなのだろう。


あるがままをあるがままに見ることができたら、それがゴールだ。

そのゴールは最初から与えられていたので、スタート地点でもある。

いままでに一度も隠されたことがないのに、一度も気がつかないで死んでいくなんて。


まずは、この人生が幻滅しか与えてくれないことを見抜くこと。

意味を後付して、人生に意義があるかのように思いたくても、それらが独りよがりの慰めだということを見抜くこと。

少し過激な表現になってしまったけれど、人生が無意味であることを見抜くことが基本的な第一歩になる。


このアプローチに徹底しようとした仏教は、西洋では厭世主義(ペシミズム)に見られてきたけれど、実際にはこの道しかなく、最も誠実な教えだと思う。

しかし仏教さえも、人生の意義を深めるための道具にされ、素晴らしい明日を約束してくれる教えになってしまった。

一般受けはしないけれど、まずは人生に幻滅し、明日への希望が一切絶たれることが必要なのだ。

その時初めて、あるがままのいまに目を向けるチャンスが訪れる。


この夢が、目覚めたくなるくらい悪夢になったとき、それが仏の膝元だ。


もうこのあたりで、いいんでねえ?

十分に悪夢だと思うけどな・・・



人生に希望はない!!


あはは、言い切ってみればなんだか爽やかでしょ?


さあ、ご一緒に


「人生に希望はない!!!」


はい、真理へのチケットを差し上げます。

やっと、あるがままのいまに目を向けることができるようになりました。

皮肉なことに、ここには求めていた全てがあります。


苦しみが消えた世界にようこそ。


真理! (天地真理じゃない)

汝の名は「至福」


このエントリーをはてなブックマークに追加

悩んだり苦しんだりしない方法があります。 最初に答えを言えば、悩みや苦しみをもたらす事象を考えないことです。 考えなければ、それらは存在しません。 そんなことはただの現実逃避だって? いえいえ、反対に、苦悩することで本当の現実(いまここ)から ... 続きを読む
悩んだり苦しんだりしない方法があります。


最初に答えを言えば、悩みや苦しみをもたらす事象を考えないことです。

考えなければ、それらは存在しません。


そんなことはただの現実逃避だって?

いえいえ、反対に、苦悩することで本当の現実(いまここ)から逃避しているのです。


人は頭の中の現実(実際には想像)と、いまここにある現実の見境がつかなくなっています。

それどころか、いまここにある現実より、頭の中の現実のほうをリアルに感じていたりします。

そこには常に悩みや苦しみが付いてまわります。


意識が完全にいまにあれば、そこに苦悩はありません。

ところが頭は言います。

明日支払う家賃がないのだから、いまは苦悩だと。

これこそが、頭の中の現実と、実際にいまここにある現実の見境がつかなくなっている状態です。


いまここにあるということを、頭は決して知ることがありません。

なぜなら、頭の世界はいま以外の全てによって作られているからです。

ですから、いまここに完全にあれば、苦悩は消えてなくなるということが理解できず、たんなる現実逃避かマヤカシに聞こえてしまうのです。


これは体験的に知ることです。

そのためには実践あるのみです。


実践は、いましかないことを認めることから始まります。

どんな時もいまであり、いまもいまです。

そしてそれ以外は起きていません。


そのことを認めること。

事実を認めること。

いましかないことを認めること。

そうすれば、いまにいることが容易くなります。

人は忘れっぽいので、このことを一日のうち何十回も思い出すことから練習していきましょう。


禅寺の修行の全ては、このことに尽きます。

いかにいまから離れないでいるか、それが修業の全てです。


生活を捨てて禅寺に入ることはできないので、日常を生きながら禅の精神(いまここ)に触れ続けるためにネット上で禅サンガを開いています。

サンガに参加していれば、本当のことを思い出す機会が増えていきます。

昨夜web講演をしながら、みんなここに参加すればいいのにと思いました。

リアルタイムでのネット講演は、文字情報の何倍もの伝達力があるからです。


いまを生きるということの本当の意味を伝えたい。

そうすれば苦悩が消えてなくなるから。

そうすれば、誰もの中にある優しさが香りだす。


みんなが優しくなればいいね。

優しい気持ちに勝るものはないと思う。



明日は久しぶりに生の講演会。

生アベはいまが旬です。

このエントリーをはてなブックマークに追加