かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2016年05月

この時間(18時)になると、裏のお寺の鐘が鳴ります。 それに合わせるように、少し離れた役場の拡声器から 「♪ゆ~やけこやけで日が暮れて や~まのお寺の鐘が鳴る~」 「ゴ~ン」 ああ、聞かせてあげたい。 僕が住んでいるのは沖縄本島南部の ... 続きを読む
この時間(18時)になると、裏のお寺の鐘が鳴ります。

それに合わせるように、少し離れた役場の拡声器から


「♪ゆ~やけこやけで日が暮れて

や~まのお寺の鐘が鳴る~」


「ゴ~ン」


ああ、聞かせてあげたい。


僕が住んでいるのは沖縄本島南部の、豊見城と糸満の町境です。

ここから一望する街並みは、その向こうに広がる海同様、静かに佇んで見えます。


でも実際には、そこに暮らす人達のマインドの中は悲喜こもごもで、今日も急いで何かに向かっているのかもしれません。


結局我々がチェックするポイントは、自分がいまどこかに向かっているような気がして生きているのか、そうではなく、ただいまここのあるがままの場と共にあるがままに在るのか、そのどちらかだと思います。


「人生はどこにも向かっていない」


この一言だけでも、聞く人の心を深く打ったとしたら、その人の人生を根底から変えてしまうことでしょう。



・・・・・・・・・・・・



雲 黒斎くんと愚息との対談番組

「わかりかけのRadio」は

精神世界に懐疑的な若者が、黒斎くんに、一から質問しながら対話していくラジオ番組です。


いまさら聞けない精神世界のイロハから、非二元の真実まで、質問者の目線に応じて、雲さんのメッセージを伝えていきます。


先日東京で、初めて公開でトークをしましたが、会場とのリアルタイムのやり取りなど、話の内容がより分かりやすく伝わってきました。

札幌・名古屋・大阪・博多

日時等の詳細はコチラから。












このエントリーをはてなブックマークに追加

もし、隣に寝ている人がいて、その人は夢の中で「夢から目覚めたい」と思っているとします。 夢は苦しみの連続であり、たまに楽しいことがあっても、その毎日はどちらかというと憂鬱そのものだからです。 夢から覚めれば苦しみが終わると知ってから、その人の関心は ... 続きを読む
もし、隣に寝ている人がいて、その人は夢の中で「夢から目覚めたい」と思っているとします。

夢は苦しみの連続であり、たまに楽しいことがあっても、その毎日はどちらかというと憂鬱そのものだからです。


夢から覚めれば苦しみが終わると知ってから、その人の関心は目覚めになっていました。

そのためにいろんな勉強をしたり、目覚めるための様々な技法に取り組んできました。

そしてたくさんの技法をマスターし、「夢から覚める」ということへの知識も充実してきました。

もうすぐ目覚めが来るはずです。

そう思いながら10年が過ぎ去りました。


この人は、この先も目覚めるという夢を見続けていくでしょう。

なぜなら、すべて夢の中で起きていることだからです。



解決法はあります。

あなたが隣の人を起こしてあげれば、それで終わりです。

そのためにあなたは、その人の夢の中に語りかけます。


初めのうちその言葉は、その人の夢の中で処理されることになるでしょう。

しかし繰り返していくうちに、いま入ってきている情報が、いままで夢の中で(本人は現実だと思っている)得てきたものとは、何かが違うと感じ始めます。

そして夢から目覚めたいと思っていた自分自身が夢の産物だったことに気づき、その人は夢から覚めることになります。

そしてその時、夢の中で想像していた「目覚め」と、実際に起きた目覚めは、まったく異質の、次元の違う出来事だったことを知ることでしょう。


昨日の講演会で質問がありました。

「ペインボディやトラウマを少しずつ癒していけば、いつかそれらは消え去りますか?」


確かにその時は楽になったような気がしますが、そのトラウマを一つずつ100個取り除いたとしても、まだ無数に残っています。

それがすべて消え去ることはありません。


何故でしょう。

それは数の問題ではないからです。

我々の中には、原初的な痛みの元が存在し、それが何かの理由を見つけて表面化したものをトラウマと呼んでいるのです。

ですから、そのエピソードの一つ一つを癒しても、根本的には何も変わっていません。


その原初的な痛みとは、自分が全体から切り離されて存在しているという錯覚、分離意識のことです。

これがあらゆる苦しみの大元であり、二元世界の宿命なのです。


苦しみの大元にダイレクトに関わっていくことは、限りない時間の短縮になります。

そして真実はそこにしかありません。


ノンデュアリティのメッセージは、まさに夢が消えた世界からの呼びかけです。

そこには、夢から目覚めることに対する「自己流の想像」を超えた、剥き出しのあるがままの次元からの、一切妥協のないメッセージがあります。


同じ時空間の中で、そのメッセージと共にあることは、普段自分が人生だったと思っている世界とは全く違う世界に踏み入れることです。

最初は難しく感じたとしても、次第にそのシンプルな本質が明らかになってくることでしょう。


現在パリに住む大和田菜穂さんが7月に来日し、全国でサットサンを開きます。

時間が短かくなり、そのぶん料金もお安くなっているそうなので、詳細をHPで確認してみてください。

新しくできたご本人のHPでは、いくつかの動画もご覧いただけます。

Already in Love

このエントリーをはてなブックマークに追加

わずか10年前、現職のアメリカ大統領が広島を訪れて演説するなんて誰が想像しただろう。 しかも大統領が白人じゃないなんて。 だからこそ言えた言葉かもしれない・・・ 人間はみな等しく同じだと。 これは多くの日本人が当たり前に持っている感覚だけど、こ ... 続きを読む
わずか10年前、現職のアメリカ大統領が広島を訪れて演説するなんて誰が想像しただろう。

しかも大統領が白人じゃないなんて。

だからこそ言えた言葉かもしれない・・・

人間はみな等しく同じだと。


これは多くの日本人が当たり前に持っている感覚だけど、この数百年の歴史は白人至上主義。

その結果が先の太平洋戦争だったと言っても過言じゃない。


サミットを見ても欧米の指導者の中に日本がポツリ。

経済が世界を動かしていくことを考えると、すでに中心は東洋に移りつつあり、G7はもう過去の遺物のように感じた。

いまだに彼らに力があるように見えるのは、暴力装置の数のせいだろう。


そして大統領を迎えた被爆者たちの態度、発言。

日本人は自らの素晴らしさに、もっと誇りを持っていいと思った。

でもそのことにさえも奥ゆかしい国民気質が、この国の美しさでもあるのだろう。

諸外国の人たちが、いかに日本を尊敬しているか、日本人だけが知らないような気がする。


自我と恐れのエネルギーは破滅に向かうしかない。

我々の命が、ひとつの同じものであるという基本的理解が進めば、人類の考え方も変わっていくことだろう。

こんな当たり前の事実を、人類規模で共有できたら、それだけで何かが変わる。


最後に、日本の総理大臣も立派だった。

彼に対しては否定的な評価ばかり耳にするけれど、よくやったことはよくやったと誉めてあげるのがいい。

もっと話したいことはあるけれど、これが僕の大まかな感想です。



・・・・・・



さて、話は急に変わって瞑想の話。

瞑想の指導体制を一新するために、約一年間、新しい人達への瞑想指導をお休みしてきました。

この期間は、すでに受講してくれた皆さんを中心に活動を続けてきましたが、6月からは一般に向けても、新体制でマントラ瞑想の普及をしていきます。

いままでと瞑想の基本は変わりませんが、より受けやすく、よりパワフルに生まれ変わりました。


NIKE瞑想(新体制)では、瞑想を「心身の健康」と位置づけています。

まずはこの世の乗り物である心身を整えること。

その中に、精神霊的な気づきも生まれてきます。


身体というものが、いかにスピリチュアルな存在であるのかを知り、私たちが同じ一つの命に生かされれていること(ワンネス)への理解を深めていきます。


マントラ瞑想を自分のものにしたい人には、ハートマントラをお勧めします。

これはFF瞑想と同じものなので、すでに受講済みの人は必要ありません。


6月に入ると新しい瞑想HPも公開されますが、同時に6月は、東京と名古屋でハートマントラの伝授と指導をしていきます。

受講ご希望の方はコチラからお入りください。



6月11日のNIKE瞑想発足記念イベントには500名近い方が申し込んでくれました。

残り席が少なくなっていますので、参加希望の方はコチラからお申し込みください。


6月2日から5日間、沖縄瞑想リトリートが行われますが、こちらは即日完売だったので、次回は8月25日~29日を予定しています。


その他の予定として

6月19日は、雲 黒斎&阿部敏郎、ブログ生活10周年記念イベント、「ファン感謝祭」。

6月26日は、名古屋でソロ講演があります。

詳細は近日中にお知らせします。


このエントリーをはてなブックマークに追加

キラキラさんからの質問 >じゃあ、阿部さんは死ぬのが怖くないですか?? いいですねえ こういうストレートな質問、好きです。 でも答えはイエスかノーでは答えられません。 一番近い例えで言えば、初めて乗るジェットコースターに乗る時、どこかドキド ... 続きを読む
キラキラさんからの質問


>じゃあ、阿部さんは死ぬのが怖くないですか??


いいですねえ

こういうストレートな質問、好きです。


でも答えはイエスかノーでは答えられません。

一番近い例えで言えば、初めて乗るジェットコースターに乗る時、どこかドキドキする気持ちってありますよね。

それは、初めてのジェットコースターが、未知の経験をさせるのではないかということを知っていて、怖い気持ちもあって、でも同時にジェットコースターは必ず元の場所まで安全に運んでくれるという信頼もあって、だから乗ることが出来ます。

怖いけど怖くないというのが答えです。


でね、思うのは、死を強く恐れている人は、ジェットコースターに対して信頼がない人だということです。

自分の人生の流れが完璧な秩序の中で起きていて、ジェットコースターなどよりもっと信頼できるものに対して、どれくらいの信頼を持っているかです。


存在(宇宙)への不信感が現れたものを「自我」といいます。

これは不信感ゆえに自己を守ろうとし、油断なく危険を避けようとしている防衛機構です。

自我があったから動物にはない人間の繁栄を築くことができましたが、同時に自我は人間を本来の幸福感から遠ざける働きもしてきました。

そのことが、支配や暴力や、その他ありとあらゆる不幸な現象を創り出してきたのです。


ですから、あなたという存在に対する基本的な信頼は、極めて重要なポイントです。


自我と言うと、自分勝手さやエゴイティックな印象を持ちますが、通常の人は、社会で生き残るための精妙で正しい自我を生きています。

でもそれらもすべて、根本的な不信感の現れであり、それをやり続けていても決して求めている幸福や安心は訪れません。


ですから、

いかに信頼するか。

いかに不信感を癒していくか

そこに来るわけです。



じゃあ、阿部さんは死ぬのが怖くないですか??


(^^)



・・・・・・・・・



さて話はがらりと変わりますが、先日行われた、

「新時代の幕開け」

引き寄せの法則とノンデュアリティという、まったく相矛盾する二つが、どのように繋がるのかという、興味深い内容でした。

出演は

Happy、Rika、大和田菜穂、さとうみつろう、阿部敏郎

一人一人が持つ個性が鮮やかに出て、とても意義深いイベントでした。


今日から「スピリテュアルエンタテイメント」で有料配信が始まりましたので、興味のある方はどうぞ。

全編にわたって字幕が付いていて、耳の不自由な方にも楽しんでもらえます。

3時間のボリュームですが、飽きることなく味わってもらえると思います。


初めての方は、以下のサイトに入って、新規登録を済ませてからお進みください。

スピリテュアルエンタテイメント


このエントリーをはてなブックマークに追加

一休禅師は、己の死を前にして、このように歌いました。 死にはせぬ どこにも行かぬ『ここ』にいる 尋ねはするな ものは言わぬぞ ある人が、ディーパック・チョプラ氏に質問しました。 「人が死ぬとき、何が起きるのですか」 ... 続きを読む
一休禅師は、己の死を前にして、このように歌いました。




死にはせぬ


どこにも行かぬ『ここ』にいる


尋ねはするな


ものは言わぬぞ





ある人が、ディーパック・チョプラ氏に質問しました。



「人が死ぬとき、何が起きるのですか」



するとチョプラ氏は答えました。



「何も起きませんよ。だって死なないから」






ソクラテスが毒を飲まされ、まさにいま身体の機能のすべてが失われようとしているとき、こう言いました



「もはや目も見えず、音も聞こえず、手足の感覚も麻痺し、すでに私の一部ではない。


しかし私自身は何も失われていない。


舌も痺れてきた。


これが私の最後の言葉になるだろう。


私から身体のすべてが取り去られようとしているが、


それでも私は何一つ欠けることなく


いまも『ここ』にいる」





まさにいま、あなたが『ここ』にいるように

この先も永遠に『ここ』にいます。

『ここ』以外に存在はなく、いままでもずっと『ここ』にいたし、これからも同じです。


身体をまとっていようと、いまいと、存在はいつも『いま・ここ』にあり、祝福されています。


それが、本当のあなたです。

このエントリーをはてなブックマークに追加

もうずいぶん前の話だけど、志村さんから電話をもらい 「今夜二人で飲みませんか」って。 当時すでに志村さんは大スターで、僕は駆け出しで、電話は嬉しかったんだけど、思い切り気後れしてしまって 「今夜はちょっと無理です」 って答えました。 小心者 ... 続きを読む
もうずいぶん前の話だけど、志村さんから電話をもらい

「今夜二人で飲みませんか」って。


当時すでに志村さんは大スターで、僕は駆け出しで、電話は嬉しかったんだけど、思い切り気後れしてしまって

「今夜はちょっと無理です」

って答えました。


小心者で、「オレなんか」という思いが強かったから、それで失礼しちゃったわけです。

久しぶりに思い出したけど、本当は嬉しかった。


いま振り返っても、あの人は本当に優しい人だったし、存在に対しても深く何かを感じている人だと思います。


赤塚不二夫さんも同じで

「これでいいのだ」

はその象徴です。


志村さんの

「大丈夫だァ」

も、同じ次元からの言葉だと感じます。


ここまでは僕のストーリーだけど、ここからはいつもの蘊蓄(うんちく)を話します。

実際には志村さんも赤塚さんも僕自身であり、あなた自身であり、そこに分離はありません。



昨日話した、最初の一つ目

全てが自分という感覚

この世に自分しかいないということ


最初にすこし理屈を言えば、「自分」という言葉自体が分離した自己を表しています。

本当は自ずから、すでにそのようにある(然)、すなわち自然なのですが、その「自」を分けたのが「自分」です。

でも説明上、自分という言葉を使って書いていきます。


自分とは、この肉体に閉じ込められているのではなく、いま見えている目の前の「場」は全部、自分の意識というスクリーンに映し出されたものです。


聞こえてくる音も外側で鳴っているのではなく、全体に広がっている自分の意識が、音波として振動しています。

全てはこの立体スクリーンの中で現れては消えていく現象であり、これが「自分しかいない」という世界です。


自分が存在全体だとわかれば、もはや個別の自己は消えています。


すると不思議なことが起きます。

何とか逃れたいと思っていた不安や苦悩の性質が変わってくるのです。


これまでは、そのような不幸な気持ちが自分という個人に湧いていると思っていたのが、自分が全体であることを知ったいまは、不幸な気持ちは単に全体に訪れているムードになるのです。


自分だけが苦しい。

隣人は苦しんでいない。

そんな想いが苦しみをさらに苦しくさせていましたが、このような感情が個人的な体験ではなく、いま訪れている宇宙のムードだと思えば、もはや苦しみを苦しむことは無くなります。

苦しむ個人がいないからです。


そんなこと言われても、たいていの人はモヤモヤしてしまいますね。

なぜなら、隣人が存在することを信じて疑わないからです。

この隣人という存在さえも、全体である自分の意識が映し出し、分離した個人として認識してきたにすぎません。

物心ついてからずっと、そのような認識で生きてきたので、いまさら違う見方などできないのです。


自分しか存在していない。

すべては自分の意識の投影であり、自分の延長である。


ひとりきりになって感じようとしてみてください。

できますか?


できようとできまいと、最初から最後まであなたしか存在していません。

量子論の答えを待つまでもなく、すべては一つです。


肉体の死の瞬間に、この真実が明らかになります。

その時、何を感じるか。


「な~んだ、そうだったのか」


そしてあらゆる枠から自由になり、とてつもなく素晴らしい感覚が訪れ、どんな執着を残して死んだとしても、二度とこの肉体に戻って自分本位の物語の中に暮らしたいとは思わないことでしょう。


さてと・・・

それまでは、物語を生き切りましょう。

だってこの幻想が起きているのだから。


物語がどんなシーンを映し出そうと大丈夫。


大丈夫の意味が少し伝わりましたか?

このエントリーをはてなブックマークに追加

昨夜はネットで、向禅師による臨済録の解説がありました。 これは禅サンガのカリキュラムの一環で毎月行っているものです。 僕は門前の小僧に過ぎないので、臨済録もほんの少しかじっただけですが、昨日の話は特に面白かったです。 それは「四料簡(しりょうけん) ... 続きを読む
昨夜はネットで、向禅師による臨済録の解説がありました。

これは禅サンガのカリキュラムの一環で毎月行っているものです。

僕は門前の小僧に過ぎないので、臨済録もほんの少しかじっただけですが、昨日の話は特に面白かったです。

それは「四料簡(しりょうけん)」という、ちょっと聞きなれない話でした。

一夜明けてもまだ心に残っていたので、みなさんにも紹介したいと思います。


四料簡とは、簡単に言うと、師が弟子を導くときの、4つのさとりの世界みたいなものです。

どこからでもさとりの境地に入れるのですが、これが面白い。


四料簡では、「自己」と「自己を取り巻く場」の二つを取り上げています。


ひとつは

場が消えて自己だけになった世界。

すべてが自分だというというところからのアプローチです。

「私=全体」、ワンネスです。


二つ目は

自己が消えて場だけがある世界。

まさに、「私はいない」ということであり、ただあるがままの場があるがままにあるという世界です。

僕が、首なし人間のイメージを持つように奨励してきたのもこれです。


三つ目は

自己も場も両方消えた世界。

ここには自分の都合もなく、相手の反応に対する恐れもありません。

昨夜は高杉晋作の破天荒なエピソードを紹介することで、この境地を解説していました。


そして四つ目は

自己も場も両方現れている世界。

これは禅サンガの基本理念「みんながブッダ」の世界観です。

自然を謳歌し、自己を敬い、他者を敬い、そして生きとし生けるものすべてに対する命の共感を持っています。


仏教で言う「無」は、この四つすべてに浸透しています。

そしてどれもがノンデュアリティ(非二元)に通じています。


いまざっと解説しましたが、古来より人間の深い洞察はいまと何も変わらず、すでに完成されていたことが見て取れます。

漠然としたさとりの世界が、これによってある程度整理されますね。


禅は知識を得ることが目的ではないのですが、自身の成長過程において基本的知識も役に立ちます。


臨済録はどんな書物を読んでも難解ですが、こうして説いてもらえると、とても身近な気がしてきます。


臨済も向さんも、かなりぶっ飛んだオジサンだったんだと、改めて思った次第でした(^^)


・・・・・・・・・・


5月29日に、僕の講演会が都内であります。

僕もぶっ飛んだオジサンになって、自由にお話しさせてもらいます。

詳細はコチラから。

このエントリーをはてなブックマークに追加