かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2016年08月

さて今日は何を書こうかな。 昨日のコメントでTokyo の一夜さんが、何気なく書いたであろう一言。 「歓びの舞い」 なんかいいな、この言葉。 みなさんがクリック応援してくれると僕が歓びの舞いを踊っているという話(笑) うん、うん、それに近い。 今日 ... 続きを読む
さて今日は何を書こうかな。

昨日のコメントでTokyo の一夜さんが、何気なく書いたであろう一言。

「歓びの舞い」

なんかいいな、この言葉。

みなさんがクリック応援してくれると僕が歓びの舞いを踊っているという話(笑)

うん、うん、それに近い。

今日も舞ってみせましょう。

嘘だと思ったらクリックしてみて♪

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僕らは何かしら生産的な活動をすることに価値を置いていて、遊びやレジャーさえも有意義なものとして捉えています。

まったく無目的に踊ったりすることは少ないですよね。


生かされていること自体が嬉しくて、つい踊ってしまうような人になりたい。

そんな自由な心で生きられたら清々しいだろうな。


いまあなたがどこで何をしているとしても、せーのでいきなり踊ってみない?

思い切り楽しそうな顔して

スチャラカ、スチャラカ、スチャラカ、チャンチャン♪


たぶん、みんな見ないふりして、その後はそっとあなたから離れていく(笑)



街角で、まったく意味もなく、嬉しそうに笑っていたら、頭がおかしい人に見られるよね。

下手したら職務質問されるか、保護されるかもしれない。


反対に、苦悩を浮かべて難しい顔していたら、誰も気にせずに通り過ぎていく。

社会は難しい顔しているのがあたりまえだって、みんなが思っているのかもしれないね。

自分だっていま、無意識に深刻な顔をしているのかもしれないよ。



本当はね、深刻さというのは人為的な結果で、そこには多少の努力が必要なんだ。

それは本来の自然な状態ではない。


赤ちゃんや幼児は深刻な顔をしていないでしょ。

笑いたければ笑い、泣きたければ泣く。

難しい顔は持ち運ばない。


スチャラカ、スチャラカ、スチャラカ、チャンチャン♪



日本には昔から念仏踊りというのがあって、誰でも念仏を唱えられるようにって発案されたみたいだけれど、それが盆踊りになって、地域ごとには阿波踊りとか沖縄のエイサーとか独自のスタイルになっていった。

盆踊りというくらいだから、お盆の日に踊るわけだけど、旧暦の盆は満月なので、満月踊りだったわけ。


三池の炭坑節なんか、もろにそのことを歌っていて

♪月が~出た出た~月が~出た~、よいよい


満月って明るいし、気持ちを変にさせるし、結構ハイになったんだろうね。

だから信仰の意味だけじゃなく、いつもの深刻さをぶっ飛ばすという目的もあったと思います。



深刻さから自然な元の状態に戻ったとき、僕たちのエネルギーも自然な状態に戻る。

瞑想もそういう効果があるけれど、笑ったり、踊ったりするのも、相当効果があると思う。


深刻さを吹き飛ばして、無目的に踊り出す時間は、現代人にとってエネルギーバランスを取るために必要かも。


深刻さは深刻さでは解決できないから。



おバカさんへの切り替えスイッチ、オン!!











今日もオイチャンに歓びの舞いを躍らせてほしい。


   



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他のブログは知りませんが、このブログの場合、ランキングバナーをクリックをしてくれるのは、約50人に一人です。 前に2~300名に一人と言ったのはコメントする人の割合でした。 ってことは、他の49人には人気ブログランキングへが見えていないか、僕の願い ... 続きを読む
他のブログは知りませんが、このブログの場合、ランキングバナーをクリックをしてくれるのは、約50人に一人です。

前に2~300名に一人と言ったのはコメントする人の割合でした。


ってことは、他の49人には人気ブログランキングへが見えていないか、僕の願いが無視されているか、こんなブログクリックしてやるもんかと思っているか、人のことなんてどうでもいいと思っているか・・・

今日だけオイチャンのお願い聞いてよ(^^)

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今日の台風ですが、上陸が予想される地方の方たちは、台風に慣れていなかったり、家の作りが台風を前提としていなかったりなので心配です。

いまはたくさんの情報が入るから、よく参考にして、くれぐれもご注意ください。



僕がまだ4歳か5歳の頃、伊勢湾台風というのがあって、浜松にあった我家の屋根が吹き飛ばされました。

頭に座布団をかぶって避難したのですが、隣家の屋根瓦が空中を舞っていた光景をよく覚えています。


思い出というのは不思議なもので、物心つくかつかないかの頃のことなのに事細かく覚えていて、匂いや感触、はたまたその時何を考え、何を感じたかまでクリアに覚えています。

しっかり思い出すと、何もかもが、まるで昨日のことみたい。



あの頃から、大人たちの不自然さを感じていたっけ。

お客さんと仲良く話していたかと思うと、その客人が帰った後はその人の悪口が始まる。

なんで????

いままではいったい何だったの?


大人が言う言葉の中に、裏の意図を感じたことも多かった。

これが言いたくて、こんなこと言ったんだみたいなことは、すぐに見破れた。

そして相手がこちらを子供だと思っていることもよくわかった。

その頃から、大人になるのを止めようと思って今日まで生きてきた。


子供も老人も、内側で感じる能力は同じで、それはいまもあって、周囲の出来事や年齢に影響されることなく、あり続けているんだな。




いま台風情報を見ようとTVをつけたら、有名女優の息子が性犯罪を犯し、そのことへの謝罪会見の中身や、親の責任の有無について話をしていました。


とんでもない出来事が突然起きて、ただでさえ動揺していて、しかも無数の記者やテレビカメラの前で話した内容に、冷静な立場でジャッジしている人達の正しさが、世の中の目というものかと思いました。






そしたら今度はゲス不倫とかいう話。

人は人に何を期待しているのか。

他者を悪くいうことで、何かの快感を得ている姿も、昔の井戸端会議から何も変わらない。

しかも本当の事情は当人たちにしか分からないこと。


あはは、TVを見ると、こちらまでジャッジマンになってしまう。

切ろっと。




さてと、今日も生きるとするか。


昨日までの悔いが残っているなら、鉄の扉でシャットアウトしてしまおう。

ガラガラガラ・・・ガシャーン!!


明日からの心配も、鉄の扉でシャットアウトしてしまおう。

ガラガラガラ・・・ガシャーン!!



残ったのは今日一日。

そうすれば、どんな状況も、ただ目の前に事に取り組むだけ。


今日だけでも大変なのに、昨日や明日のことまで抱えたら心が持たない。



とりとめのない話を読んでくれてありがとう。




昨日までのことは忘れて、明日からのこともシャットアウトして、今日だけはクリックしてみよう

 



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いつもありがとう(^^)

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ミッキー・ももさんの質問


「いまここに、すべてが与えられているという真実」

この言葉は、具体的にどういう意味なのでしょうか。

すべてとは、お金や欲しいもの、なりたいと思っている自分等々、すべてと考えてよろしいのでしょうか。



お金、欲しいもの、なりたい自分

そのようなものを欲しいと思うのは何故でしょう。


それらが手に入ったら、安心、満足、ゆとり、自信、喜び、幸せ、ワクワク感・・・など、満たされた自分になれると思っているからではないでしょうか。


もしここに挙げたような感情たちが最初からあなたに備わっていたとしたらどうでしょう。

それでも、お金や欲しいものを執拗に追い求めるでしょうか。


与えられているというのは、これさえ手に入れば幸せになれるという、幸せを連れてきてくれるであろうシンボルではなく、幸せそのものが最初から与えられているという意味です。



そしてもうひとつ。

もしあなたが世界全体だとしたら、世界全体があなた自身であり、あなたのものだとしたらどうでしょう。

何か必要なものはありますか?


自分が切り離されて、何かが足りないと思うから、それらを手に入れたいのではないでしょうか。


このことは分離していると信じている自己からは、想像することもできません。

でも実際の自分の本性を一目でも垣間見れば、二度と忘れることはないでしょう。


本来の面目坊が立ち姿

一目見しより恋とこそなれ

(一休さん)



一瞬で十分です。

まったく光を知らずに数十年生きてきた人が、ほんの一瞬、光を垣間見ただけで、光の存在を生涯忘れることがないのと同じです。


でも光を知らなければ、光の存在は仮説に過ぎません。

たとえそのような情報を耳にしたとしても、にわかには信じられません。


そんな可能性に賭けるよりは、足りないものを得たほうが確実だと考えます。


だから精神の道を学んだとしても、結局は基本的生き方に違いが起きないのです。

これが多くの人に起きていることです。

そうやってゴールのないマラソンレースを、全力で走り続けることになります。






それが悪いわけではないけれど、ゴールがないことだけは知っておいた方がいいです。

ゴールは立ち止まったところ(いまここ)にあるからです。



何かが足りないという感覚は、自分が分離した個人だという錯覚を持っているかぎり続いていきます。

たとえ何億円も自由になるお金が手に入ったとしても収まりません。

もっと欲しい気持ちは続いていきます。


お金や地位や名誉を追い求めている人が、決してこれでいいという心境に至らない姿は、たくさん見てきているのではないでしょうか。

この分離感からくる欠乏を埋めようとして、あれこれと手に入れようとしても、そもそも分離感は底が抜けたバケツみたいなもので、決して埋まることはありません。


ただただ、分離幻想から目覚めること。


するとそこに全体としての自分が現れ、最初からすべてを与えられていたことを知るのです。



何かをしなければ幸せになれない、何かを得なければ幸せになれない、という強迫観念を少し緩めて、まずは静かに寛ぐこと。



ものよりも心を大切にする時代になったと言われて久しく経ちます。


そろそろ、時代全体が寛ぐことを学ぶ時です。

平和も安楽もそこにしかありません。




たまにクリックしてくれるあなたが好きです。

今日あたり、たまにはいかが(^o^)


 



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禅サンガのオープンキャンパスは終了しました。

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いつもありがとう。 人気ブログランキングへ 普段自分が、あらゆることに対して意見を持っていることがわかりますか。 この絶え間ない判断が、日々の生活の多くを占めています。 それはいま起きていることだけではなく、終わってしまったことや、いない人 ... 続きを読む
いつもありがとう。

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普段自分が、あらゆることに対して意見を持っていることがわかりますか。

この絶え間ない判断が、日々の生活の多くを占めています。


それはいま起きていることだけではなく、終わってしまったことや、いない人や、ありとあらゆることに亘っています。

意見や判断は、自分がいかに自我と同化しているかを表しています。


実際には「こうだ」と言いきれることなど何もないのに、知ったつもりになってしまう。

何もわかっていない心のリーダーが、あれこれと判断を下しているのだから、人生が混乱して見えるのも当然です。


そのリーダーは、私の言う通りにすれば人生がうまくいくと信じさせています。

でも彼がやっているのは、ただ希望を持たせるだけで、約束された幸福はいつも「いつか」にあると言います。


この心のトリックにいつ気づくのか。


どこにも行かずとも、まさにいまここに、すべてが与えられているという真実。

心のリーダーの仕事は、こともあろうに、この真実の地平から我々を遠ざけることだけなのです。


たったひとつの真実は

この宇宙に、存在は「一つ」しかないということ

いまもあなたは、すでにそれです。

それ以外であったことは一度もなく、これからもあり得ません。

だってそれしか存在していないのだから。



真実の自分よりも、もっと大事なことがあるような気がしてしまうのは、いまに始まったことではなく、すでに2000年前の聖なる書にも書かれています。


神が商人の家の扉をノックすると、「いまは忙しい。この仕事が終わるまで待ってほしい」と言うのです。

そうやって何千年も時間延ばししてきていると指摘されてから、また2000年が経ちました。

おそらく商人の仕事は永遠に終わることはないでしょう。


それなのに、いつもいまここで門は開かれている。

神(?)の根気強さには驚かされるばかりです。






さて話は変わりますが、禅サンガの体験版はいかがですか。

http://satsang.jp/open/


昨日、初心者さんから、禅サンガの申し込期限へのご質問がありました。

始まるのが9月10日ですので、9月6日くらいまでに手続きを済ませてもらえたらと思います。


今日までは、一昨日の阿部の講演、昨日の向禅師との対談、そして今朝の日曜坐禅会の様子など、その他、過去のコンテンツも含めて見ることができます。


今朝の向さんの日曜坐禅会も突き抜けていましたね。

まさに形ではない真実の地平が香ってきました。


伝統は、それを守ろうとするあまり、形骸化してしまいます。

禅が禅宗の中にあるうちは、形式が踏襲されて続けていくのでしょう。


禅は禅宗を超えています。

あらゆる形から自由であること、それが禅です。


意見のない地平。

心のリーダーが、潔くその立場から退いたあとに残る純粋な感応。


そんな境地を共に生きていきたいですね。




よかったら応援してください。

  


・・・・・・・・・・・・


今日は15時から、智子さんのガヤトリーマントラの瞑想会。

21時から向禅師の臨済録講義の最終回があります。

どちらも生配信です。


http://satsang.jp/open/

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いつもありがとう。 人気ブログランキングへ 一人一人が、まったく違う世界に生きているってことを理解するだけで、人間関係からくる苦しみはだいぶ減るはず。 自分が生きている世界は、自分独自の世界だということ。 世界は各々のマインドが作りだしている ... 続きを読む
いつもありがとう。

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一人一人が、まったく違う世界に生きているってことを理解するだけで、人間関係からくる苦しみはだいぶ減るはず。

自分が生きている世界は、自分独自の世界だということ。


世界は各々のマインドが作りだしているオリジナルなのに、各々は自分が生きている世界が、客観的にも唯一の世界だと思っている。

このような錯覚が、この世の問題の多くを作りだしていることは、意外と知られていない。


マインドが世界を作りだしているという意味は、目に映る様々な物や、人々や、あれやこれやを、マインドが現象化させしているということではなくて、マインドがそれらを解釈して独自の世界を作りだしているということ。






昨日ネットで話させてもらって思ったのは、文章よりも、実際に話すのは10倍くらい立体的に伝わるってこと。

それなのにブログのほうが、10倍くらい労力が必要になる。

それがはっきりした、昨日のWeb講演でした。


スタッフからの報告で分かったのは、アメリカ、ロシア、イスラエル、オーストラリアなど、世界各国から20人くらいが生で見てくれていたこと。

昔は国際電話だって大ごとだったのに、すごい時代になったものだ。

このままいったら、数年後は、活動そのものが根本的に変わっているかもしれない。


昨日の模様は、明日まで無料で見られるから、いまのうちにどうぞ。

きっと気持ちが楽になってくれるはず。

http://satsang.jp/open/?page_id=1824


そして今日は13時から、向さんとの生トーク。

これは毎月1回配信し続けてきているもので、こちらも今日だけは誰でも見ることができます。

12時半くらいから入れます。

http://satsang.jp/open/?page_id=1367




人間同士が、うまくいかなくなるのは、あたりまえのこと。

なんとかうまく社会を構成している方が不思議なくらい。


ひとつの事象に対して、様々な意見が出てくるのも当たり前のこと。

これらは性格や経験の違いということで片づけられているけれど、そうではなく、住んでいる世界が全く違うから。

どれくらい違うかは、人の想像を超えている。


この前も話したけれど、みんなそれぞれが幻想の世界を作っているのに、自分の幻想の世界だけが真実だと思っているから、人に対して、その考え方はどうとかこうとか言うのです。


社会正義などというものは、みんなが摺り寄せ合ってひとつの正しさを作り上げているだけのことで、自分は違う考えを持っていても、みんながそう言うのだからと、自分の考えをそこに合わせるなんてことは、子供のころから何度もしてきていて、いまや無意識に繰り返していることに気づいたらいい。

そうやって借り物の人生が作られていく。


人生は夢のようなものだと、あらためて思う今日この頃です。


みなさん、よい週末を(^^)




このバナーに対する反応も人それぞれ。

そもそもバナー自体が見えない人もたくさんいるはず。

とりあえずクリックしてくれたらそれでいいんだけど。


   

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読む前にお願いします。 人気ブログランキングへ 大本山方広寺で向禅師と共に「いまここ塾」をやっていた1990年代の後半、修行僧に交じって何人ものドイツ人が修行に訪れていました。 彼らはドイツのエリートたちでしたが、長期の休暇を取り、修行の厳しさで ... 続きを読む
読む前にお願いします。

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大本山方広寺で向禅師と共に「いまここ塾」をやっていた1990年代の後半、修行僧に交じって何人ものドイツ人が修行に訪れていました。

彼らはドイツのエリートたちでしたが、長期の休暇を取り、修行の厳しさで知られる方広寺で、一心不乱に修行に努めていました。

彼らの目的はただ一つ。

「Who am I?」の答えを見出すこと。


答えは「私はいない」に行きつくのですが、そのために大変な努力をしていました。


自己の不在を知識として語るのは簡単ですが、実際にその境地に至るのはまた別の話です。

そして何人ものドイツ人が見性していきました。


修行によっては悟れないというのも一方の真実ですが、修行によって悟った人達も僕はこの目で見てきています。


そんな中にヘルガさんという女性がいました。

彼女は末期がんに侵されているにもかかわらず、激痛に耐えながら、一切弱音を吐かずに修業をやり遂げました。


そしてついに病魔は彼女の身体を蝕み、浜松医大病院に入院しました。

彼女は病棟の庭に咲く花を摘んでは、他の患者さんの病床に飾ってあげていました。


ある時、向さんがお見舞いに行った時のこと、あまりにヤツレタ彼女を見て、向さんは言葉を失ったそうです。

そんな向さんの心中を察した彼女は、こう言いました。


「こっさん(向さんの愛称)、どうしたの?

私はまだこうして生きている。

こっさん、『いまここ』よ」


これが生きるということです。

理屈ではなく、これがいまを生きるということです。





向禅師と立ち上げた「奥山ZENスクール」は、インターネットの時代を迎え、「The禅サンガ」としていまも続いています。

おっちょこちょいな僕の責任で、みんなに迷惑をかけてしまったこともありますが、山越え谷超え、こうしていまに至っています。


伝統禅の格式に終始することなく、現代を生きる人達に、現代の言葉で、禅の世界に誘うというビジョンが叶い始めています。

そして各自が生活の中で禅の心を生きながら、命の実相に触れていくという試みも、成果を上げてきました。


忙しい現代社会を生きる我々に、長期間の厳しい修行は馴染みません。

しかし日々の生活そのものも、心がけ次第で僧堂の修業と同じ成果を上げることは不可能ではありません。

そんなことを目指しながら活動を続けてきました。



そんなThe禅サンガも第3期目を迎えます。

実生活の中で、そして自室を禅堂にして、時空間を超えて真実を生きる会です。

現在は海外も含め500人の仲間がいますが、今回も多くの人の参加をお待ちしています。


今日から3日間、オープンキャンパスを開き、禅サンガの模様を公開します。

生配信がメインですが、見れなかった人には録画された動画がメンバーサイトにストックされていきます。

都合がいい時間に、自らのペースで学んでいってください。

そして関心を持ってくれたらサンガの仲間として、僕たちと共に生きていきましょう。


The禅サンガ オープンキャンパス


1期または2期から再入会される方、新規の方も、お申し込みはコチラをご覧ください。



さて下の写真ですが、ドイツ人の中でもひときわ大きいヒンネルク氏の横で、向さんがとても小さく見えます(^^)

第3期からは、ドイツとの交流も含めて、グローバルに展開していきます。



向禅師の直弟子、ヒンネルク氏が主宰する、ブーヘンベルグ禅堂





1989年 ヒンネルク師は、伝統禅の現代化を模索していた彼の参禅の師である向老師とともに、「大心禅会」を立ち上げました。

「大心」は偉大な精神、大きな心の意味で、禅の素晴らしい生き方を一般大衆に浸透させようという試みです。

(南ドイツ・ブーヘンベルグ禅堂の紹介文より)


同じく直弟子のクリストフ氏が主宰する北ドイツキールの禅会




向禅師が参禅指導するブレーメン近郊のスタイアブルグ禅堂







ブログでも、できるかぎりのことをしていきます。

よかったらクリックして応援してください。

   



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いつもありがとう。 人気ブログランキングへ それでは、昨日の続き。 人は心の中で相手を罰したり、復讐したりすることもあります。 ありありといろんなシチュエーションを描きだし、胸がすくまで続きます。 人間のイマジネーションの豊富さは、こういう時 ... 続きを読む
いつもありがとう。

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それでは、昨日の続き。

人は心の中で相手を罰したり、復讐したりすることもあります。

ありありといろんなシチュエーションを描きだし、胸がすくまで続きます。

人間のイマジネーションの豊富さは、こういう時にも発揮されますね。


そういうことを思い描いてはいけないわけではないけれど、そんな時間帯に一つだけ言えるのは、幸せな気持ちではないということ。

暗い喜びが満たされたとしても、あいかわらず心のモヤモヤが晴れることはありません。

しかも相手がその波動を受け取らなければ、モヤモヤしているのは自分だけ。



バカにされたから見返してやろうっていう思いも同じです。

自分が活躍している姿を想像して、相手に目にもの見せてやろうって

空想の中なら王様にもなれるけど、そんなことに時間を費やすのはあまりに虚しい。


人を見返すと言ったって、相手はそれほど人に対して関心があるわけではなく、そんなことより相手だって自分のことで精いっぱい。

あなたが自分に一番関心を持っているように、みんなも同じなのです。


あはは、人間稼業はドラマチックだね。


安らいで幸せな気持ちに包まれたら

それが一番の復讐かも。



すべては頭の中で起きていること。

そして目の前には、あいかわらず、ただ、いまがあるだけ。


目の前のこれだけが真実だと分かれば、実際には何も起きていないことが分かります。



人生とは記憶の中の物語ではなく、まさにいまのこれだけです。

これだけがリアリティ。

そしてこれからも永遠に、いまが表現されていきます。



いまの中に寛ぐことができたら、それがゴール。

そんなあなたで生きられたら、もう心を乱すようなことはありません。








頭の中の物語の世界を、有漏路(うろじ)と言います。

エネルギーが漏れている状態です。


いまに帰ってくることを、無漏路(むろじ)と言います。

エネルギーが満たされています。



有漏路より無漏路へ帰る

一休み

雨降らば降れ

風吹かば吹け


(一休禅師)


彼の名前の由来とも言われている一句です。


禅は、心しずかに、あるがままの命に落ち着く道(無漏路)です。



そして慈愛を持って、身の回りを、一隅を照らしていきましょう。


人の苦しみと、世界の苦しみの源を探り、癒し、幸福な社会の礎(いしずえ)となっていきましょう。


そんな生き方以上の幸せはありません。




これからも心を込めて書いていきます。

よかったら応援してくださいね。








・・・・・・・・・・・・



明日から3日間、禅サンガのオープンキャンパスにご招待します。

たくさんの動画がストックされていますが、この3日間に盛りだくさんの生配信もあります。


26日21時 阿部Web講演

27日13時 向禅師&阿部 対談Web講演

28日9時 日曜Web坐禅会

28日15時 Web瞑想会

28日21時 向禅師 臨済録Web講義 最終回


それぞれに何かの気づきを得てもらえると思います。

瞑想と坐禅の共通点と相違点も理解できることでしょう。

どちらも補い合っていて、現代人にとっては車の両輪であり、時間の短縮になります。


オープンサンガのアドレスは、明日ご案内します。

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