かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2016年10月

おはよう。 昨日、赤ちゃんは「NO!」を表明した時に自我が誕生するという旨の記事を書きましたが、自我に関しては、もう少し説明が必要かと思いました。 まるまるさん >生まれたばかりの赤ちゃんは「泣く事」で呼吸を始める。 >この時「泣く」のがすでに「NO ... 続きを読む
おはよう。

昨日、赤ちゃんは「NO!」を表明した時に自我が誕生するという旨の記事を書きましたが、自我に関しては、もう少し説明が必要かと思いました。



まるまるさん

>生まれたばかりの赤ちゃんは「泣く事」で呼吸を始める。

>この時「泣く」のがすでに「NO」ではないんでしょうかね?

>何かが「違う」と不快を示して「泣く」んだ。

>「呼吸をしなければ生きられない世界」の始まりだから。

>机上の「自我の芽生え」は2歳頃だけど。

>本当は最初から「NO」を示してるよね?




自我とは何かということですが、ここで話した自我は人間特有のものであり、動物的自我(本能的・肉体的)のことではありません。

動物にも自我があり、「NO!」を表現しますが、人間の「NO!」はその上に発達した知的な部分から発せられています。



人間の自我は複雑で、その形成には5つの段階があります。

仏教ではこのことを五蘊(ごうん)という形で説明しています。


般若心経に出てくる


照見五蘊皆空度一切苦厄

の五蘊です。


2007年の記事に解説してあるのでこちらを参照してください。



1、般若はらみったの世界



2、色蘊(しきうん)



3、Q&A



4、受蘊(じゅうん)と行蘊(ぎょううん)



5、想蘊(そううん)と識蘊(しきうん)



自我は「NO!」のことだというのは、想蘊と識蘊が形成された時点のことを言っています。

いま読み直してみたら、もっとうまく説明できる気がしてきた。

これは9年間の進歩だろうか。


しかし、昨日の記事の趣旨はこのことではなく、人間の自我は人生をコントロールしようとして奮闘するけれど、実際にはコントロールなどできていなくて、事は全体として「起きている」のであり、そのことに身を任せる智慧についてです。


そのことを、


サレンダー


降参


帰依


南無


と言います。



ストレス過多の現代社会においては、この真実を理解するのことは大きな救いになるのですが、この境地に入るには、存在全体に対する信頼が求められます。


「全体は自分の敵だ」という心の奥にある感覚が、それをさせません。



いかに信頼するか。


いかに力を抜くか。


この感覚を呼び起こすことが、多くの問題解決の要だと思っています。



僕自身の文章力の限界もあり、とてもじれったい活動ですが、これからもコツコツ続けていきます。





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11月14日はスーパームーンですが、この日は新設した沖縄瞑想スペースから、ユーストリームで、さとうみつろう君と共に、お話と音楽と瞑想の生配信をします。

会場でじかに見たい人への詳細は近日中に紹介します。



スマホでは以下のリンクがないとのことなので、今日からなるべく毎日張り付けるようにします。


NIKE瞑想HP


スピリチュアルエンタテイメント

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子供のころに読んだ本に、昔の中国の仙人は、何の抵抗もなく壁をすり抜けると書かれてありました。 その仙人が 「ぬけー、ぬけー」 と呪文を唱えると、壁をすり抜けていくという挿絵までついていて、本当にこんな人がいたんだろうかと思いながら、いつまでも頭を ... 続きを読む
子供のころに読んだ本に、昔の中国の仙人は、何の抵抗もなく壁をすり抜けると書かれてありました。


その仙人が

「ぬけー、ぬけー」

と呪文を唱えると、壁をすり抜けていくという挿絵までついていて、本当にこんな人がいたんだろうかと思いながら、いつまでも頭を離れませんでした。



何十年かたって、ある日、同じ話に出会います。

荘子の教えでした。


子供のころに読んだ本には、人間が家の壁を通り抜ける挿絵が付いていましたが、壁というのは、人生の壁、あるいは障害を表現していたのです。


荘子は語ります。

「TAOの真人は、いかにして差障りなく壁を通り抜けるのか

それは賢(さか)しいからでも、学習したからでもない

それは学んだことを忘れたからだ

彼は根元で一つになっている」



人生に、たとえ強固な壁が現れたとしても、人間のマインドにまったく抵抗がなければ、ぶつかることなくすり抜けることが出来る


壁が強固だからすり抜けられないのではなく、マインド(自我)が強固だからすり抜けられない。


なるほどそうか。


もし内側から、抵抗するものが一切消えれば、どんな障壁も障壁ではなくなり、世界全体がこちらに向かって開くことになる。

逆に内側に抵抗があれば、世界全体が抵抗する。

世界は己の鏡なのだから。







マインド(自我)とは、「NO!」と言う機能のことです。

生まれたばかりの赤ん坊に自我はありません。


その子がある日「NO!」を表明したとしたら、それが自我誕生の瞬間です。

自我とは「NO!」のこと、と言ってもいいでしょう。


そして同時に、不幸も「NO!」のことです。

起きていること自体が不幸を作りだしているのではなく、起きていることへの「NO!」が不幸です。

したがって、どのように見えたとしても、不幸な赤ちゃんはいません。

ただ、そのように在るのです。


「NO!」がない時、その人は全体と共にあります。

自我が生じた後、その人は全体から切り離されます。

切り離された人は、全体の中で生き残るために、賢(さか)しさを身にまとい、多くを学習していきます。


しかし、全体に対して、どう賢しくあれるのでしょうか。


波が海を欺こうとしている。

波が海をコントロールしようとしている。


自我は、絶対に勝ち目のないことにチャレンジして、やがては疲弊していきます。

それが多くの人生です。

その人生には、沢山の障壁が立ちはだかったことでしょう。



力を抜いて、全体と共に流れること。

それがTAOの生き方です。


今日の雲 黒斎くんとの阿雲の呼吸も、そんな話がテーマになるのではと思います。

打ち合わせもしていないのに、そうなるような気がしています(笑)


「NO!」がなければ、壁は存在しません。

壁は内側にあったのです。



「ぬけー、ぬけー」







こういう話を読んだ後に、「NO!」と言わずにクリックするあなたでいてね。


 

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いつもありがとう。 これをクリックして、行った先から「リーラ」のタイトルをクリックすれば、すぐにここに戻れます。 人気ブログランキングへ 昨日はたくさんのメッセージありがとうございました。 多くの歳月を生きてきたから、わかってきたこともあって、 ... 続きを読む
いつもありがとう。

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昨日はたくさんのメッセージありがとうございました。

多くの歳月を生きてきたから、わかってきたこともあって、そんなことを書き綴ることで、誰かの役に立てているなら幸いです。


一度きりの人生、思いを残すことなく、心のままに生きるという言葉がありますが、僕はそうやって生きてきた一人です。


思いつく限りやりたいことはみんなやったし(とはいえ、狭い思考の中でのやりたいことなので、もっと無限にあるとは思いますが)、不可能に見えることにもチャレンジして、多くを成し遂げてきたと思っています。


もしそのような関心事に目を向けずに、決められた道をただ生きたとしたら、僕のような者は、きっと後悔を抱えながら生きることになったことでしょう。

だからこれでよかったと思います。



さてそのうえで、ひとりの人生からの報告ですが、やりたいことをやった人生は、やりたいことを我慢した人生と、たぶん何も変わらないということ。

少なくとも言えることは、そこに何もなかったということです。


やってみてわかることですが、やらなくても同じこと。

結局は、「やりたいこと」というものも、よく言うところのストーリーであり、実際は誰に対しても、いつも「いま」が訪れていて、そのいまに対する反応が、人生と呼ばれる経験を作っているだけです。


いまというものを理解すればするほど、人生には成功も失敗もないということがよくわかります。


そして真実は、いつも、ただ、いまがあるだけ。



もうみんながどこかで気づいていることですが、この魅惑的に見える外側の世界には、十分な満足や幸福を与えてくれるものは何もありません。


ないのです。


本当にこのことを見極めれば、生き方は大きく変わるのですが、習慣でしょうか、また意識は外側に満足や幸福を探し始めます。

これは自分だけの習慣ではなく、社会全体、世界全体の、人類の集合意識が共有する幻想なので、はいそうですかと、独りだけ抜けられないのだと思います。


でも、そこから抜けるしか真実の道はなく、20年前から「ZENスクール」という名の元で、真実のありか、幸福のありかを示す会を続けてきました。


どれくらいの人に影響を与えられたか知りませんが、やることは、これからも同じだと思います。

この二つは僕が死んだ後も、真実への入り口として注目されていくことでしょう。






唯一、この人生が幸運だったのは、自分という存在が、何一つ自慢できるものがない、広大な砂漠の中のありふれた砂粒に過ぎないと知ったこと。

人生での見せかけが、ガサっと抜け落ちて、生きるのが軽くなったこと。

そして、外側に何もないことを知ったと同時に、内側に本当に探しているものを見つけたこと。


それはとてつもなく幸運だった。



で、安心してほしいのは、発見しようがしまいが、内側の宝と共に生きていることに変わりなく、だれもが最初の最初から救われていて、いまも、そしてこれからも完全に祝福されているということ。



変な男の、変なメッセージですが、結局伝えておきたいのは


大丈夫


ってこと。


このことを深く理解した人生がここにあることを宣言しておきます。






これからもメセージを伝えていきます。

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起きていること自体は中立で、ただこのようにあるんだけど、人はそれぞれに経験を投影していく。 その経験は内側で創られている。 夢と同じで、次々とストーリーを紡ぎ出していて、それをリアルな人生だと思っている。 言ってもわからない。 夢の中でこの言 ... 続きを読む
起きていること自体は中立で、ただこのようにあるんだけど、人はそれぞれに経験を投影していく。

その経験は内側で創られている。


夢と同じで、次々とストーリーを紡ぎ出していて、それをリアルな人生だと思っている。


言ってもわからない。

夢の中でこの言葉を聞いて消化しているから。



今日は僕が生まれた日だそうだ。

ご聖誕祭とでも言っておこう(笑)



お母ちゃん、死んじゃったけど産んでくれてありがとう。

おかげでいろんな夢も見れたし、夢のカラクリも解ってきた。


結局はこうして、いまここがある。

ラッキーだなぁ。



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起きることがただ起きています。 思考さえも、ただ起きています。 思考は自分が作り出していると思いましたか? いいえ、それはただ湧いているのです。 もしあなたが作り出しているなら、それを止めることもできるはずです。 それができないのは、思考が ... 続きを読む
起きることがただ起きています。


思考さえも、ただ起きています。

思考は自分が作り出していると思いましたか?

いいえ、それはただ湧いているのです。


もしあなたが作り出しているなら、それを止めることもできるはずです。

それができないのは、思考があなたとは関係なく湧いているからです。


思考も含めて、起きていることから一切手を引いて、ただいまに在ろうとしてみてください。


純粋な「在る」という感覚は、いつもあなたの存在の奥に鎮座しています。

外側の出来事にいっさい影響されることなく、時間の影響も受けずに、ただいつもいまここに在り続けています。


あなたが悲しみのドン底にいる時も、歓びに舞い上がっている時も、何も変わらず在り続けています。


それはいまも、ここにあります。






1年前に瞑想で感じた存在の奥と、今日感じる存在の奥は、まったく同じものです。

似ているということではなく、時間を超えて存在しているので、まったく同じものなのです。

それが本当のあなたであり、本当のあなたは死んだことも生まれたこともありません。


そこから見つめれば、思考も感情も、そしてあらゆる感覚も、外側で起きては消えていく束の間のものです。

感覚に幸せを求めても、決して満たされることはないのは、すべてが束の間だから。

なのに世界中みんなでその方向に幸せを求めている。

そしてもっともっととなり、どこまで行っても何か足りない。


周辺にある感覚から、存在の奥へ帰ったとき、そこに探し物があるのにね。



もっとうまく伝えられないかな。

簡単なことなんだけど。



起きることがただ起きています。


その起きていることを題材にして、マインドが創り出すストーリーが、各々の人生です。

それはどのようにも創り出せます。



今日はこれくらいにしますね。







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いつもありがとう。 これをクリックして、行った先から「リーラ」のタイトルをクリックすれば、すぐにここに戻れます。 人気ブログランキングへ mikeさんの質問 >現在瞑想を習慣にしていますが、日常でもやもや、ゴタゴタが心に浮かび上がった時は言葉に置き ... 続きを読む
いつもありがとう。

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mikeさんの質問

>現在瞑想を習慣にしていますが、日常でもやもや、ゴタゴタが心に浮かび上がった時は言葉に置き換えた内観も必要ですか?


心を軽くするための、様々な技法があるかと思います。

内観が合うという人もいるでしょう。

精神分析が好きな人もいます。


僕はただ普通に瞑想するのが好きです。

そこにすべてがあるから。



>ゴタゴタが心に浮かび上がった時は言葉に置き換えた内観も必要ですか?


必要ありません。

むしろ、そうやって思考と取り組まないことをお勧めします。


自我はなんでも自力で解決しようと奮闘しますが、それでは瞑想の本質からズレてしまいます。


瞑想の本質は、「やらないこと」

無為ということです。



老子はこのことを


「無為の内奥を極める」

と言いました。


何故、無為に内奥まで付け加えたかと言えば、人は無為(何もしないこと)さえ、どうやってやろうか考えるからです。


何もしないことさえもしようとしないことを、「無為の内奥を極める」と言うわけです。

瞑想とは完全なる受動性のこと。



この受動性が、自然にことが起きることを助けます。

自然は人間のマインドよりずっと賢く、不自然な歪みを元の形に戻してくれます。


心の傷も、こだわりも、自然に解き放たれていき、それにともなって身体に与えていた過度のストレスも緩和されていきます。



こうやって瞑想の効果を挙げるのは、人のマインドが実利主義に染まっているから。


本来、瞑想は何かに役立てるためにすることではなく、昨日も話した無用の時間を過ごすことに意味があります。

でも無用さえも必要だと思わないと受け入れてもらえないので、「無用の用」という変な言葉になるのです(笑)



だから、瞑想中に内観して何かを解決しようなどとしないこと。

効果や結果を求めないことが大切です。


瞑想しても何も起きないとか、効果がないとか言いだす人は、いつも瞑想を何かの目的達成のためにやっていて、瞑想の第一歩を間違ってしまった人です。


いまビジネス界も瞑想効果を認めはじめ、この先、第二次瞑想ブームが起きていくと思われますが、有益性を求めて瞑想することで、まったくナンセンスな瞑想になり、結局は満足を得られない人が続出するような気もします。

これは指導側の問題であり、この先、瞑想がブームになるとしたら、瞑想の本質を理解する人材が求められると思います。






瞑想の本質は、何もしないこと、そして結果を求めないこと。

無益を認める勇気。


人間は実益を生産する機械ではなく、それ以上の何かだと気づくこと。

本当に価値あることは、人為的ではなく、自然の力によってもたらされることを知ることです。



瞑想中も、より深い瞑想を求めて、自力で頑張りだす人がいますが、それこそが瞑想の妨げです。



「無為の内奥を極める」



もう一度言います。


瞑想の本質は、何もしないこと、そして結果を求めないこと。


以上、一言アドバイスでした。






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しばたさんからの質問 >「なぜヒマは苦しいのでしょうか?」 >私は今年の4月に会社をやめて無職になりました。 >それまで忙しかったこともあり、最初のうちは、何もするべきことがない状況を楽しめていました。 >しかし3ヶ月もすると、やるべきことのない状態 ... 続きを読む
しばたさんからの質問


>「なぜヒマは苦しいのでしょうか?」

>私は今年の4月に会社をやめて無職になりました。

>それまで忙しかったこともあり、最初のうちは、何もするべきことがない状況を楽しめていました。

>しかし3ヶ月もすると、やるべきことのない状態に苦しみを覚えるようになりました。

>何もしていない状態、という点では、瞑想とヒマも同じなのに、なぜこんなに違うんでしょうか?

>人は「何もしていない状態」が続くことに耐えられず、ずっと何かをし続けないと苦しみが紛れないのでしょうか?




このことについての答えはいくつかあります。


ひとつは、人の心に、人間は何かをしなければ価値がないというような観念が刷り込まれていること。

生活を確保するために、仕事をし、経済活動をしなければ、人間として堕落しているという見方が多勢を占めていること。

生きている以上、何かの役に立つべきだという考えです。


学校教育も有用な人材を育てるためであり、無用の価値を教えてくれる時間はありません。

だからたとえば絵を描くということも、なんの役にも立たないから描かないなんて思いになったりします。

そんなことを気にせずにいられたら、多くの人が自分の楽しみとして絵を描く習慣を持てたでしょうが、成績で評価されたり、人の役に立たないものは価値がないという刷り込みがあるので、そういう時間が楽しめなくなってしまいました。

役に立たない時間を過ごすことに罪悪感さえ持ってしまうのです。


そんなふうにして、やりたいことがなくなっていきます。

やりたいことが見つからないという人の多くは、こんな理由が背景にあったりします。


しばたさんは、やるべきことがない時間が苦痛とのことですが、やるべきことなどないという考えを持てたら、やりたいことが出てくるかもしれないし、何もしない時間をくつろげるかもしれませんね。





もうひとつの理由は、人は自分の中にたくさんの未解決なゴタゴタを溜めこんでいて、なにもしないでいると、そんな内側が疼きだすということがあります。

それは、完了されていない感情だったり、自分に言い聞かせて抑圧してきたことだったり様々ですが、そんな自分と一緒にいるのが苦痛なのです。


だから自分から逃れるために、テレビをつけたり、本を読んだり、あるいはネットの世界に入り込んだりして、忘れようとします。

そうやって逃げ続けても、問題はなくなりません。


>何もしていない状態という点では、瞑想とヒマも同じなのに、なぜこんなに違うんでしょうか?


どうやら瞑想もされているようなので、この際、徹底的にしてみたらどうでしょう。

心のゴタゴタを解消するのに、瞑想は持って来いです。

あなたみたいに、時間があり余っている人のほうが珍しいのだし、幸運なことなのだから、そんな生活もいいですよ。


ちなみに僕自身も、最初の気づきが訪れてからの2年間、毎日5~6時間くらい瞑想して、それがいまの礎になっています。

そうすると、自分といる時間も、何もしない時間も苦ではなくなります。



役立たずがいるおかげで、役に立つ人が際立つのです。


役立たずは、全体のバランスに大いに貢献しています。


役立たずは、もっと認められていい。



無用の用は大切だべ。






これも無用っちゃあ無用だけど、そこをなんとか。


  



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10月30日の東京は、雲 黒斎くんと僕との、それぞれのソロ講演と、コラボ講演の3本立てです。

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大阪は11月20日にソロ講演会があります。

コチラから

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