かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2016年12月

世界という思考が湧けば、世界が現れる。 あの人という思考が湧けば、あの人が現れる。 特定の出来事が思いの中に現れた時、その出来事が活気づく。 しかし、世界を想起しなければ、世界は存在しない。 特定の人や出来事を思い出さなければ、それらも ... 続きを読む
世界という思考が湧けば、世界が現れる。


あの人という思考が湧けば、あの人が現れる。


特定の出来事が思いの中に現れた時、その出来事が活気づく。



しかし、世界を想起しなければ、世界は存在しない。


特定の人や出来事を思い出さなければ、それらも存在しない。


思いとして湧きだした時だけ、それらはある。



耳を澄まして、ただいまの中に佇んでみる。



窓の外の木々の揺らめき


鳥たちの声


流れる空気


畑のモーター音


目の前のパソコン画面


コーヒーの香り



ほんの少しの憂鬱


背中の張り


鼻づまり


椅子のシートの柔らかさ



これがいま起きていること。

ただこれが、こうしてあるだけ。



そしてこれからも、ことは瞬間ごとに起きつづけていくことだろう。


誰かがそれをやっているのではない。


ことはただ、起きているのだから。








昭和63年の年末に作った、「リーラ」という歌の詞を、今年最後のメッセージとします。




春が来て、また冬が来て


去りゆく命、生まれ来る命


泣く人がいて


笑う人がいて


この世はすべて、事もなし









よいお年を。



LOVE







今年も一年お世話になりました。

   


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今日の沖縄は汗ばむくらいの陽気です。 例年だと年末年始はお天気が崩れることが多いのですが、このぶんだと今年は初日の出が拝めるかもしれません。 さて、何度も聞いた言葉なのに、あるとき突然その言葉が持つ意味が心に深く浸透することってありますよね。 こ ... 続きを読む
今日の沖縄は汗ばむくらいの陽気です。

例年だと年末年始はお天気が崩れることが多いのですが、このぶんだと今年は初日の出が拝めるかもしれません。


さて、何度も聞いた言葉なのに、あるとき突然その言葉が持つ意味が心に深く浸透することってありますよね。

ここでお伝えしてきた、「いまここ」という言葉もその一つだと思います。


この言葉に出会ったのは何十年も前で、最初はOSHOの書籍から、そしてしばらくして当時のニューエイジのバイブルだった「BE HERE NOW」がそれに続きました。


地球が自転していて、太陽の周りをまわっていて、しかも時計の秒針も動いているから、まるで時間という確かなものがあるような気がしますが、実際にはいつも「いま」があるだけです。

もし地上から人類が消えて、動物だけが生き残ったとき、その世界に暮らす動物たち、たとえばウサギに


「いま、何時?」


と聞いたとしたら


「えっ?何時かって?そりゃあなた、いまでしょ」


って答えることでしょう。

もちろんウサギが喋ればですが。


彼らには時間がありません。

過去や未来を想起するマインドがないからです。

いつだっていまがあるだけ。


人間が消えれば時間も消える。

これは動かしようのない真実です。


「ここ」というのも、自分の存在している場のことで、自分がどこに動こうといつもここにいます。

ちょうどTVゲームの主人公が冒険の旅にでたとしても、動いているのは周囲であって、主人公の私はいつも画面の中央にいるのと同じ。

我々の存在はいつだって「いまここ」にあるのです。


ここまでのことは最初の一瞥で理解していました。



ところがその数年後、もっと決定的な洞察が訪れると、「いまここ」という言葉の意味がさらに変わりました。

これは言葉で表せないのですが、宇宙の本質が姿を現した様な感じです。


それまでも、「いまここ」という言葉を理解していたつもりだったけれど、これは言葉なんかじゃなく、宗教の真髄とも言うべきシンボルだったと思いました。

もし図形で表すとしたらキリスト教の十字架が一番近いけれど、それでもまだ十分じゃない。

蓮華国、涅槃寂静、どんな言葉でも言い表せない異次元の臨在。


じつはそれまでは、アドバイタ(非二元論)のメッセンジャーたちが言う、「いまここを標榜している教師は、まだその先を知らない」という言葉を聞いていたので、いったいそれは何だろうと思っていたのですが、この経験から、そのようなことを言う彼らは、「いまここ」という言葉を以前の僕のレベルでしか理解していなかったのだと思いました。

なぜなら、まだ彼らは比較していたから。


それ以降、言葉とはその人の理解に応じて意味が変わってくるということを知ったので、人と議論することがなくなりました。







さて、話は急に日常的になりますが、日常の中でも、あるとき急にその言葉の意味が心を貫くことがあります。


東京でタクシーに乗ったときのこと。

その運転手さんはよく喋る人で、僕にあれこれ人生を説き始めました。

いくつか話し終わった後


「お客さんねェ、こうやってお客さんを目的地まで運んでいくのは私の仕事で、こうやって働いているですよ。

それによってお客さんは楽に品川まで行けるし、頂いたお金で家族は楽になる。

働くってことは、傍(はた)を楽にするってことなんですよね。


働くとは、傍を楽にすること。

すでに何度も聞いたことがある言葉だったけれど、僕は礼儀上、

「ああ、そうだったんですね」

と応えました。



そこから新幹線に乗って、車内で寛いでいるとき


「この車両も、この技術も、いろんな人が働いて作ってくれたのか。

それで僕はこんなに楽になっている。

傍を楽にする・・・か・・・・」



そしたら、


「この世の全ては、お互いがお互いを楽にしあいながら成り立っているんだなァ

お蔭さまなんだなァ

生きられるってことは、なんて有難いことなんだ」


って、心の底から感謝が湧きだしてきて


「傍を楽にする。

そうか僕はこれから、傍を楽にするために大阪に向かっているんだ

僕は『楽』の配達人だ」


って、それまではなんとなく仕事で向かっていたのが、急に何もかもが変わってしまいました。


うまく書けませんが、いまさらながらに、当たり前と思っていたことに感謝出来た瞬間でした。



言葉というのは、何かのタイミングで急にその意味が深まることがあります。

何事も分かったつもりにならずに、謙虚な気持ちで生きていきたいものですね。


人間は死ぬまで学習だと思う、今日この頃です。






あたりまえの記事ですが、何かを感じてくれたらクリックしてください。


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人生はTVゲームのようなものだって話を聞いたことがあるでしょ。 これは的を射た例えです。 ゲームの中でどんなことがあっても、プレイヤーは一切影響されることはありません。 そしてプレイヤーこそが本当の自分であり、その存在は絶対に安全です。 この ... 続きを読む
人生はTVゲームのようなものだって話を聞いたことがあるでしょ。

これは的を射た例えです。


ゲームの中でどんなことがあっても、プレイヤーは一切影響されることはありません。

そしてプレイヤーこそが本当の自分であり、その存在は絶対に安全です。


この例え話は真実をうまく表していますが、どれだけ実感しているかはまた別の話。

気がついてみると、画面上のキャラにすっかり自己同化しているからです。


自分がキャラそのものだと思ってしまうと冒険もできません。

反対に、ゲーム(人生)の外側にいるプレイヤーだとわかっていれば、なんだって試すことが出来ます。






実際のテレビゲームでは自分がプレイヤーであることは必ずどこかで分かっていますが、人生ゲームはそのことをすっかり忘れた状態でスタートすることになっています。

そして人生ゲームのゴールは、自分がプレイヤーだったことを思い出すこと。


プレイヤーとしての自分を発見することを、ゲームの中では悟りと呼びます。

したがってゲーム上のキャラは、悟りという最終アイテムを求めて旅に出るのです。



悟りを得れば永遠の楽園に入れるという、ゲームの中の預言書を信じて、勇者は旅に出ます。

たくさんの経験値を積み、自分をレベルアップさせ、次々と難題を克服していきます。


でもどこまで行っても約束された悟りは訪れません。


そりゃそうだ!


人生ゲームの登場キャラである自分が悟るわけじゃないんだから。



今日も我々はゲームのキャラに成りきって、どこかにあるという永遠の楽園に向かって生きています。

ゲームの中では、困難を解決する喜びや、仲間を失う悲しみや、さまざまな経験が来ては去っていきます。


でも待てよ、そもそもそんな経験をしたくてゲームをしているんじゃないだろうか。

だとしたら、何が起きても上手くいっているということだ。


なんだそうか、うまくいっているんだニコニコ



だから、この経験をうんざりするまでやって、もうたくさんだとなったら、その時は思い出すとしよう。



ただし問題は、思い出すのはキャラじゃなくてプレイヤーだってこと。

キャラはそのことに対してまったくの無力なのです。


だからプレイヤーに任せるしかない。


もしプレイヤーを神と呼ぶとしたら、真実を思い出すのはキャラであるあなたではなく、神だということ。



何を言っているか分かる?


早い話が、キャラの私はお手上げだ。



それでいいじゃない、どのみち救われているんだから(^^)




さて今日も、目の前のノコノコを相手に頑張るとするか。







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昨日は不思議な話を寄せてくれてありがとう。 とても興味深く読ませてもらいました。 どうにも説明不能な出来事があることは認めざるを得ません。 それが何であるかは分からないけれど、分からなくていいですよね。 そもそも人体の60兆個もの細胞が、秩序 ... 続きを読む
昨日は不思議な話を寄せてくれてありがとう。

とても興味深く読ませてもらいました。


どうにも説明不能な出来事があることは認めざるを得ません。

それが何であるかは分からないけれど、分からなくていいですよね。


そもそも人体の60兆個もの細胞が、秩序をもってそれぞれの役目を果たしながらいまも生命を維持していること自体、不思議を通り越しています。

惑星も寸分の狂いなく運行し、この無限の宇宙空間に浮かんでいる。


人体の小宇宙から、天体の大宇宙まで、何が何だか分からないけれど、こうして奇跡的な秩序の中に存在している。

この不思議さに比べたら、何があってもおかしくありません。



一番不思議なのは、この不思議な一瞬一瞬を、僕らがさほど不思議がらないこと。

ものすごく不思議なのに、そのことを忘れて生きていられること。

生まれた時からそうだったし、みんなが当たり前な顔しているから、この基本的な不思議に麻痺しているのかもしれません。








いままでの人生で見た最も美しい光景は、内なるビジョンでした。

それは超巨大なタペストリーが波打ちながら生きている様。


キラキラ輝いていて、あらゆる色彩が全部光でできていて、何ひとつ余分なものも足りないものもなく、ゆっくり波うって形を変えながら、「ぐはー、ぐはー」って呼吸しているようでした。



その瞬間、この世には偶然も無駄もなく、ただ全体としての一つが生きているだけだと感じました。


そのタペストリーたるや、美しいとかのレベルではないのですが、もしあれが全体だとしたら、それを見ていたのは誰だったのでしょう。


自分と宇宙が一つになったとき、「それ」を認識したものは一体何なのか。




ぬはははは


わっかんねー♡




あなたも僕も、超不思議なこの宇宙の一部で、全体を構成する上で不可欠な存在であることだけは経験的に確かだと報告しておきます。



えっ?自分が死んでもこの宇宙は存在しているって?



何を言っているのですか。


あなたは死にませんよ(笑)



あなたの年齢は宇宙と同じだって知ってた?


と言うより、あなたも宇宙も、始まりも終わりもなく、「永遠のいま」そのものなのです。




何が何だかわっかんね~!!





よし、決めた。

今日も大掃除の続きをしよう。









とりあえずクリックお願いします(^^)





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年末ですね。 今日は家の大掃除をするぞって、一応気合いだけは入れています。 よし、やるぞ!!! その前に、日課のブログを書くとします(^^) あなたも読む前に、これお願いします。 人気ブログランキングへ あなたにはこういう経験はないですか。 ... 続きを読む
年末ですね。

今日は家の大掃除をするぞって、一応気合いだけは入れています。

よし、やるぞ!!!

その前に、日課のブログを書くとします(^^)


あなたも読む前に、これお願いします。

人気ブログランキングへ



あなたにはこういう経験はないですか。

あなたが頭の中で何かのメロディーを奏でていると、近くにいた人が声に出して歌い出すということ。

なんでその歌を歌ったのかと聞くと、

「何となく」

と答える。

これってある種のテレパシーでしょうか。



完全に心の中を読まれることもあります。

僕なんか、考えたことのほとんどが妻に筒抜けです(笑)


あと、同時に同じことを話しだすとかね。

同じタイミングで、同じ言葉を発する。

これなんかは、偶然では片づけられない何かの共時性が働いているのでしょう。



昨日は、思考は物質のようなものだという話をしました。

思考は外側に浮遊していて、それがいろんな人の中を出たり入ったりしているのではないか。

いまあなたが考えたことは、一瞬前に僕が考えたことかもしれません。


その人の波動の状態によって、引き寄せる思考のレベルがあって、人の波動は一定ではないから、ある時は恐ろしい考え、ある時は優しい考えということが起きるのではないか。

いずれにせよ、考えているのが自分ではないとなれば、少し気楽になりますね。

だって恐ろしい考えは、人に報告できないくらいに恐ろしいから。



さて、昨日話した思考を読む外国青年。

大槻教授に言わせると、あれはヤラセだということですが真相は分かりません。

もしヤラセだとしたら残念ですが、それでも最近の脳科学者が報告するように、思考は脳が勝手に作り出す個人的なものではなく、脳は単に思考をキャッチしているだけだということであれば、ありうることだと思います。


ユリゲラーもインチキだという人達がいますが、止まっていた時計が、「動け!」という気合と共に動き出すのは、我が家でも確認済みです。






つい先日もNHKBS放送でユリゲラーが、壊れた時計を手に持って、私と同時に「動け!」と言ってくださいと言いました。


智子さんが、

「壊れたのがある!」

と言って慌てて隣室に取りに行って、

ユリゲラーの「3・2・1」の掛け声の「2」あたりで戻ってきて、

彼と一緒に

「動け!」

と叫んだら本当に動き出しました。


それはビンテージ物の古い腕時計で、買ってすぐに壊れてしまい、

「こういうのってどこで直してくれるんだろう」

と言ったまま、何カ月も放置していた時計です。

ネジ巻式のもので、どうやっても動かなかったんです。


それが、「動け!」の一言で動き出した。

もちろんいまも動いています。


ちなみに彼女の「動け!」という言い方には、何のためらいも疑いもなく、まるで幼児みたいな叫び声だったので笑ってしまいましたが、実際に動き出したのには驚きました。



そう言えば彼女、何十年も前のユリゲラー旋風の時、やっぱりテレビのユリゲラーの掛け声と共に、スプーンをグニャっと曲げてしまったそうです。

それも銀製の厚さ数ミリもある頑丈なスプーンで、大男でも曲がらない代物だったとか。



ええっ??びっくり!

もしかしたら、思考を読むことや、壊れた時計やスプーン現象って・・・彼女自身が超能力者???



ここまで書いてきて怖くなってきた。

僕はそんな人と、30年近くも一緒にいたのか!!!



ということは、今日の大掃除も、口だけで実際は手抜きで終わらせることもお見通し??


よし、今日こそ徹底的に大掃除をして、僕だってやる時はやるっていうところを見せるとしよう。



それじゃ、やり始めます!!!(キリッ)ムカッ




ちょっと不思議なことってあなたの周囲にもないですか。

時間があったら教えてくださいね。







これをクリックすると、幸運が訪れる。

一応、僕の念力を入れておきます。

パワーーーーーーー!!!!!





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今日は若干長くなるので、読む前にお願いします。 人気ブログランキングへ 今年に入って変わった生活習慣は、テレビを見るようになったこと。 スポーツ中継以外、大抵は録画で見ています。 興味のないシーンやCMを飛ばすことができるので録画は便利です。 ... 続きを読む
今日は若干長くなるので、読む前にお願いします。

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今年に入って変わった生活習慣は、テレビを見るようになったこと。

スポーツ中継以外、大抵は録画で見ています。

興味のないシーンやCMを飛ばすことができるので録画は便利です。


で、昨日の番組で面白いシーンが二つあったので、今日はその話をします。

どちらもたけしさんの番組で、番組自体は面白くなかったけれど、登場した2人の人が良かった。


一人は相手の思考を読み取るという外国青年。

あれは本当だと思いました。

思考とは物質に近いものだとお伝えしてきましたが、そのことを証明してくれるようなコーナーでした。


僕のような者でさえ、ある程度人の思考を読むことができますし、あなたも知らず知らずに人の思考をキャッチしているのですが、その能力が突出した場合はここまでできるのかという新鮮な感動がありました。


番組内での具体的な例は省きますが、間違いなく彼は思考をキャッチしていました。

このことが科学的に解明されると、前世や霊魂の正体も明らかになると考えています。

これは僕の仮説に過ぎませんが、どちらも浮遊する思考をキャッチしているのだと思います。



この世には大気圏と同じように思考圏というものがあって、宇宙空間に出た飛行士たちは、思考圏の影響から自由になり、そこで存在の実相(ノンデュアリティ)に触れるのではないでしょうか。

宇宙から帰還した人の多くが宗教的体験を報告するのは、そういうことだと考えています。


アポロで月に降り立ったある宇宙飛行士が、テレビの討論番組で


「私は月で神を体験した」


と言ったとき、そこにいた精神科学者が、


「あなたが体験したのはこういうことではないですか」


とメモに記して、宇宙飛行士に渡しました。

それを読んだ彼は


「先生、そのとおりです」


と言ったそうです。



そこに書かれていた内容は


「あなたがこの地上で感じているのは、『あなた』と『あなた以外の全て』です。

しかしあなたが月で体験したのは、『あなたを含んだ全て』だった」



この真実にベールをかけているのが思考圏であり、宇宙においてはその影響が激減するのだと思います。

もし将来、外国旅行と同じくらいに宇宙旅行ができる時代になれば、多くの人がさとり体験をするのではないでしょうか。

そこで科学と宗教が出会うのではと考えています。





さて、もう一人の登場人物は11歳の子供で、自己啓発の本を書いたそうです。


小学校には通わないのですが、だからと言って何か困ることはない、それどころか大人以上に真実を見抜いていることが窺えました。


「小中学校は義務教育なのに?」と思う人がいますが、それは義務の意味を取り違えています。

義務教育とは、子供側に学校に行く義務があるのではなく、国と保護者に対して、子供に教育を受けさせる義務があるという意味です。


ですから親が小学校に通う手続きをして、子供が学校に通うことを妨げなければ、義務は果たしたことになりますし、子供が行かなくても罪には問われません。

子供は学校に行く権利はありますが、義務はないのです。


いまの教育システムは前時代的なもので、いまの子供たちは未来の社会を生きる人達です。

前にも書きましたが、日進月歩のテクノロジーの進歩によって、社会システムは大転換するので、世代間ギャップがいまほど大きくなった時代はありません。

この傾向はこの先ますます強まっていきます。


いままでの学校教育の基本姿勢は、将来よい学校に進んで、よい会社に入るというもので、よい勤め人になることを目指していました。

勤め人とは企業や役所の歯車なので、学校では協調性という名のもとで従順さも訓練します。


このこと一つとっても完全に時代遅れです。

大量消費、大量生産の時代には、みんなが歯車になることで生産性が上がりましたが、これからは個々の発想力が重要になってくる時代です。

話は変わりますが、そのような意味からもGoogleのピョートルさんの話は興味深く、来年はもっと活動を共にしようと考えています。



さて、その11歳の子が話した内容は、

「僕はいまを生きている。いましか生きられないから」

というものです。


これは彼の考え方を言っているのではなく、真実としての体感の報告です。

子供も大人も関係なく、我々はいまの中でしか生きられないし、いましか存在していません。


ところが聞いた側は、この子の哲学だと思ってしまいます。

大人たちはマインドを生きることしか知らないからです。



そして同時にこの子が

「チャンスはいくらでもある」


と言うと


「チャンスは将来のことに対するものだから矛盾している」


と指摘します。

これがマインドというものです。



矛盾とは、論理は一貫するべきだという態度から生じ、それは「右は右」「左は左」という考えから来ています。

しかしこの世にあるのは「左右」という一つのものであり、どこから語るかによって違って聞こえてきます。


僕に言わせれば、あの子は完全に解っています。

それはことさら凄いことではなく、大人に洗脳されることなく、シンプルに物を見ているということです。

親がこの子の自尊心を守ってあげた結果でしょう。


このような子供が増えているので、親達も新しい視点で子供を見守ってあげられたらと思います。



まだまだ書きたいことがありますが、このくらいにしておきます。


あの二人に比べると、他のコーナーがくだらなすぎて、あの二人だけの番組を一日中見てみたいと思いました。

な~んて、テレビに向かって文句を言っている、どこにでもいそうな頑固おやじが僕です(笑)



年の瀬ですね。


お体を大切にご活躍ください。






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新しい年を、ちょっとシフトした自分で生きてみませんか。

初めての人にはこの瞑想がお勧めです。


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先日、元Google社の人材開発責任者、ピョートルさんとの対談講演で、印象に残った一言がありました。 それは 「人間は、人の役に立てた時、喜びを感じるようにできている」 というもの。 もうとっくに知っていた言葉だったけれど、あらためてビジネスの最前 ... 続きを読む
先日、元Google社の人材開発責任者、ピョートルさんとの対談講演で、印象に残った一言がありました。


それは

「人間は、人の役に立てた時、喜びを感じるようにできている」

というもの。


もうとっくに知っていた言葉だったけれど、あらためてビジネスの最前線にいる人の口から聞いて、まったくその通りと思いました。


どこまでいってもこの基本は変わらないのですね。



仕事をする目的には段階があると言われています。


もっとも低い段階は

「サバイバル」


なんとか食つなぐために、今日も仕事に出かけていくというもの。



次は

「現状維持」


いまの生活を維持するために仕事をするというもの。



次は

「自己満足」


より多くを求めて、さらなる上を目指すというもの。



そして最後が

「貢献」


役に立ちたいという献身的な思いに成りきっている段階で、違う言葉で言えば「与えたいという気持ち」、もっと端的に言えば「愛」の段階です。



最初の三つは自分に意識が向いているから、様々なストレスや悩みを引き寄せます。

僕たちが仕事で悩むときは、たいていは自分の都合が優先しているとき。


与えたいという意識は、外側(相手)に向かっています。

その場合は、不要な心のブレーキがないのでパワフルになっていきます。



結局は仕事でもなんでも、与えるという心根をいかに生きるかに尽きると思います。

ところが自我君は、この基本さえも手段にしてしまう。

与える姿勢がより多くの結果を作るということを仕事に利用しようというわけです。


ある程度は上手くいくのでしょうが、しょせん意識が自分にむいているので、真の幸福には届きません。

それでも実践しないよりはマシですが。






もしかしたら人生は、自分の都合から貢献のレベルにシフトする学びの場で、結果もそれに従って付いてくるようになっているのかもしれませんね。


何事もタライに張った水みたいなもので、与えようとして水を押せば縁(へり)に沿って自分に返ってくるけれど、水を自分に引き寄せようとすると縁に沿って逃げていく。


身近な人間関係から仕事まで、何かに悩んだときはいつもこの基本をチェックするようにしています。


それにしても自我君は、執拗なまでに自分の生き残りを心配して、周囲をコントロールしようとする。

自力で生きているって信じているから奮闘するわけです。




いつも分かったようなこと書いている僕も、まだ道半ば。

ひょいと顔を見せる自我君を手なずけながら、こうして今日も生きています。



当たり前のことをくどくどと書いてしまったけれど、最後まで読んでくれてありがとう。





たくさんの人に届きますように





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