かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2017年04月

美子さんからの質問 >阿部さん、お墓参りについて聞きたいです。 >以前、阿部さんは お墓参りは行かないと言うような事を言ってたと思うけれど、今もお墓参りなどは行かないのですか? >法事などはされているのですか? >お聞きしたいです。 >私は、亡くな ... 続きを読む
美子さんからの質問


>阿部さん、お墓参りについて聞きたいです。

>以前、阿部さんは お墓参りは行かないと言うような事を言ってたと思うけれど、今もお墓参りなどは行かないのですか?

>法事などはされているのですか?

>お聞きしたいです。

>私は、亡くなった家族の法要をしていないので、やはりやらないといけない事なのか 阿部さんの意見が聞きたいです。





はいわかりました。

今日の感覚で答えてみます。


おっしゃるように僕はお墓参りも法事も、ほとんどしたことがありません。

だからと言って、それらに反対しているわけではなく、ただしたことがないというだけです。


まず理解すべきは、世界は人の数だけ存在するということ。

世界という絶対的な事実が存在するのではなく、それぞれのマインドが作り出した世界の中で、これまたそれぞれが作り出した価値観に沿って生きているのが人生です。


ですから、お墓参りに行かないとバチが当たると考えている人が墓参りを怠れば、マインドの中でたくさんの問題を作り出し、現実面でもそのことを証明するような事実を見つけだすことでしょう。


一方で、そのことにまったく関心がない人が影響を受けることはありません。

お墓を持たない国や、法事を知らない国の人が、それらに影響されないのと同じです。



母は生前、いつも同じことで悩んでいました。

それは戦時中に異国の地で死んでいった自分の幼い子供たちのことです。


彼らの亡骸を葬ることができなかった無念が、いつも彼女を苦しめていました。

お墓参りに行きたくても、その墓がないのです。


「お墓の中になんか誰もいないよね」

何度同意を求められたことでしょう。


そのたび僕は

「いるわけないよ。お母さんのそばにいつもいるんだから」

と答えてきました。


もしかしたらそんな繰り返しが、僕のマインドの中で「お墓など意味がない」という観念を作り出していったのかもしれません。



>私は、亡くなった家族の法要をしていないので、やはりやらないといけない事なのか 阿部さんの意見が聞きたいです。


きっとあなたは、僕から

「やらなくても大丈夫」

という言葉を聞きたいのでしょう。


僕の答えは、

「あなたがしたいようにすればいい」

ということです。


ご縁があった家族のことを、そっと思い出してあげて、心の中で冥福を祈ることは、形式としての墓参りよりずっと意味があるように思います。

子供のころとっさに、

「亡くなった幼児たちはお母さんのそばにいる」

と答えたことが、いまは本当にそうだと思うようになりました。



もし心の底で、お墓参りに行ったほうがいいと思っている部分があるのなら、たまに行ってみるのもいいんじゃないでしょうか。

きっとスッキリしますよ。









あなたにあふれるほどの幸運が降り注ぎますように。

  
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昨夜の禅サンガは初めて特別講師の登場となりました。 講師は円融寺住職の阿純章(おかじゅんしょう)さん。 阿さんは東洋思想史の学者さんでもあり、どんな質問にも瞬時に答えてくれ、それがすべて的を射ています。 向禅師と対談するように、痛快なやり取りが展 ... 続きを読む
昨夜の禅サンガは初めて特別講師の登場となりました。

講師は円融寺住職の阿純章(おかじゅんしょう)さん。


阿さんは東洋思想史の学者さんでもあり、どんな質問にも瞬時に答えてくれ、それがすべて的を射ています。

向禅師と対談するように、痛快なやり取りが展開しました。


その中で見性(目覚め体験)についての話になったのですが、阿さんにはいわゆる一瞥体験はないそうです。

僧侶としての修業生活の中で、じわじわと行きついた境地があったようで、それを一言で言うと何かと尋ねたら


「私はいない」

だって(笑)


急激な大転換がなくても、じわじわと真理になっていくことはありうるわけです。


悟りがいつかどこかにあるという誤解をあっさり捨てて、いまこの時を生き始めたらそれが悟りです。



誰もが悟りの海の中に生まれ、生涯その海の中にいるのに、気がつかないでどこか遠くに求めています。

いかにその事実を知るかが仏教の真髄だそうで、まさに我が意を得たりの対談でした。



衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ

たとえば水の中にいて 渇を叫ぶがごとくなり

白隠禅師



たとえば水の中にいて 渇を叫ぶがごとくなり

まさにこれが、我々が置かれている状況です。


すべてが与えられているのに、「何かが足りないよ~」と泣き叫んでいる。

足りない何かは、その時その時で違っていますが、とにかくいつも何かが足りません。


その足りない思いが活動の原動力となるので、一概に悪いわけではありませんが、少なくとも何かが足りないという感覚は、真実を知らない限り、たとえ数兆円稼いでも続いていきます。

内側の欠乏は、外側のものでは埋まらないのです




渇望している内側の満足や安心は、真理だけがもたらしてくれます。

完全にいまに在ることができれば苦悩はありません。

何があっても、ただ目の前のことに淡々と対応していくだけの話だから。


その生活態度が修業となります。

僧堂に入らなくても、生活の中で十分に実践できます。


むしろ僧堂よりもシャバのほうが難易度が高いかもしれません。

僧堂の生活はシンプルですが、実際のシャバの生活は混沌としていて、困難が次々とやって来るからです。


その中にあって、いま目の前に心を込めて生きる。

理屈ではなく、実際にそのように生きる。


そうすればいつのまにか、阿(おか)さんのような心境になっていることでしょう。



阿さんは言います。


「釈迦の出現以来、現代ほどその教えを真剣に求める人が多い時代はありませんでした。

しかも表面的な教えではなく、仏教の真髄を求める人達が僧俗の垣根を超えて増えています」


阿さんは、このブログも10年間以上読み続けてくれたとのこと。

僧も俗もない。


もしかしたらこれが、教えの本来の姿なのかもしれません。



いずれにせよ僕たちは、実に稀有な時代を生きているということです。


あらゆる苦しみを肥やしにして、真実の実現に向け、いまを生きていきましょう。





今日も来てくれてありがとう。

いまここパワーをあなたに。

  



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一昨日、遠方から東京の瞑想会に参加してくれた女性が、帰りがけに 「ちょっと見ない間に立派になられましたね。びっくりしました」 って。 立派になった? 何が立派になったのかと思ったら・・・お腹だった(笑) 久しぶりに会う人から、よく言われる ... 続きを読む
一昨日、遠方から東京の瞑想会に参加してくれた女性が、帰りがけに

「ちょっと見ない間に立派になられましたね。びっくりしました」

って。


立派になった?

何が立派になったのかと思ったら・・・お腹だった(笑)



久しぶりに会う人から、よく言われる。

「おなか・・・出ましたねェ」


そう言われても困ってしまう。

「はい、出ました」

くらいしか答えようがないし。



若いころだったら一大事だっただろう。

必死に減量に取り組んだかもしれない。



で、いまは?

人目が気にならなくなったと言えばそれまでだけど、年齢と共に何かを捨てたような気がする。



若いころはいま以上に浅はかで、異性にもてることが男の価値だと思っていた。

どれくらいの女性が自分に関心を持つか、一時はそれだけが生きがいだったような。

根本の自信がなかっただけに、そうやって自分を試していたんだと思う。


中には、そんな浅はかなアピールに乗ってくれた人もいたけれど、大方の人は

「馬鹿じゃない?」

って思っていたことだろう。


でも当時は真剣そのもの。

人生は喜劇だということの証明みたいな話だ。




さて、どうしようか・・・このお腹。


いったい何が入っているのか。


以前、やはり大きくせり出したボブフィックスさんのお腹をからかった時、

ボブさん曰く

「このお腹の中には、シャクティが詰まっている」


シャクティというのは生命エネルギーのこと。

真顔で答えていたから本当かもしれない。



ということは、これもシャクティ?

だとしたらこのお腹は、阿部という現象の精神霊的な成長の証しじゃないか。

むしろ誇りに思うべきだ!(キリッ)



だいたい、どうして筋肉隆々で腹筋が割れたみたいな体形が美しいとされるのか。

誰が決めたんだ!








そもそも東洋では、美の基準が違っていたという説もある。

仏陀の像もお腹がポッコリ出ているし、昔は布袋さんみたいなお腹は尊敬の対象だった形跡もある。








女性だってそうだ。

栄養失調みたいな体形が美しいとされるけれど、古代の壁画に出てくる女性は、みんなふっくらとしている。

きっとそれが美人の条件だったんだろう。






みんなでお腹を育てよう!


シャクティを溜め込もう!


太古に帰ろう!




なんだかんだ言ったけれど・・・


もう少し痩せようと思います。





今日も来てくれてありがとう。

あなたの応援が励みになっています。

  



・・・・・・・・・・・



【お知らせ】


先月末に行われた矢作直樹東大名誉教授とのコラボ講演会の配信が始まりました。

スピリチュアル・エンタテイメント

の新着動画の中にあります。

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ふと思たんだけど・・・ 夢と呼ばれるこの現象界は、何もかもが過ぎ去っていく。 大切な人とだって、必ず別れがやってくる。 ここが凄い。 全ての人と、必ず別れる日が来るのだから。 別れ方はそれぞれだけど、別れることには変わりない。 すべ ... 続きを読む
ふと思たんだけど・・・


夢と呼ばれるこの現象界は、何もかもが過ぎ去っていく。

大切な人とだって、必ず別れがやってくる。


ここが凄い。

全ての人と、必ず別れる日が来るのだから。


別れ方はそれぞれだけど、別れることには変わりない。



すべては束の間。

こうして出会った人達に、何をプレゼントできるだろう。


なんとなくすべてがこのまま続いていくような気がしているけれど、それは勘違い。

反対に、すべては変わり続けていく。


諸行無常



二度とない今日を、心を込めて生きるとしよう。







今日はこれといって書くことがなかったんだけど、ふと思ったことを書いてみました。

書きながら、「そうだよなァ」なんて思いながら(笑)




いつもありがとう。

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かりんさんからの質問 >以前、死ぬときに「個人のストーリー」は失われて全体とひとつになると書かれていたように思います。 >それは私たちがふだん恐れている「死んだら自分が消えてしまう」ということと結局同じじゃないのですか? >死んだ瞬間、全体意識にスイ ... 続きを読む
かりんさんからの質問


>以前、死ぬときに「個人のストーリー」は失われて全体とひとつになると書かれていたように思います。

>それは私たちがふだん恐れている「死んだら自分が消えてしまう」ということと結局同じじゃないのですか?

>死んだ瞬間、全体意識にスイッチするということなのでしょうか?




もしあなたが、夢の中で80年分の人生を生きたとしましょう。

朝起きたとき、その夢は蜃気楼のように消えてしまいました。

愛する人も、気の合った友人も、仕事関係者も、敵も、味方もみんな消えてしまいました。


でも、その夢を見ていた者は消えていません。

それがあなたです。


でもそのあなたは、夢の中に登場していたアナタではありません。

アナタはあなたの中に想像された登場人物なのですから。


これと同じことが、本当のあなたと現象界でのアナタとの間にも起きています。

本当のあなたには始まり(誕生)も終わり(死)もなく、永遠にいまここに存在しています。



このような話が分かりにくいのは、この人生が夢には思えないから。

肉体の感覚はリアルだし、これが夢だなんて思えません。

睡眠中に見る夢の中でも、これが夢だなんて思っていないのと同じです。

夢を夢と見抜くのは、夢から覚めた後です。



>死んだ瞬間、全体意識にスイッチするということなのでしょうか?


そのようにも言えますが、全体意識はずっとオンのままです。

いまもね。


ただ、アナタという人生の夢を見ていて、本当の姿を忘れてしまっただけです。

夢を見ている間も、ずっとあなたはあり続けています。


夢は必ず終わります。

肉体の死を待たずして終わることもあります。


それを目覚めと呼びますが、その時目覚めたのは誰でしょう。

夢の中のアナタでしょうか。


いいえ、全体意識がアナタという夢から目覚めたのです。

目覚めるのは個人ではなく全体です。


だから目覚めに関して、夢の登場人物にできることは何もないと言うのです。

ここが最大のジレンマになります。



その中にあって、古今東西の覚者が瞑想を奨励してきたのは、夢の登場人物が静かに制止することで夢全体が静かになっていくからです。

夢全体が静かになったとき、ふと夢を見ている実体に気づくことがあります。

その瞬間アナタは超越され、全体意識の「あなた」が顕わになります。



>死んだ瞬間、全体意識にスイッチするということなのでしょうか?


そのように考えていますが、こればかりは死んでみないと分かりません。


以前、7層の身体について話しました。

神智学では、肉体の死と共にエーテル体(第二身体)とアストラル体(第三身体)は消滅するが、メンタル体(第四身体)とスピリチュアル体(第五身体)は、死後もいわゆる「あの世」において、個としての意識活動が続くと言います。

それが霊魂と呼ばれるものです。

この考え方を採用すると、死後の世界や輪廻転生の説明もできますね。


ちなみにコズミック体(第六身体)とニルバーナ体(第七身体)は、時間も空間も超越し、完全に「いまここ」にあるので、「この世」も「あの世」も一つになります。

いわゆる全体意識です。


いきなり自分の意識がこの次元にシフトしたとき、

「あっ、これは死の瞬間に誰もが知ることになる」

という直感を持ちましたが、それがどういうことなのかうまく説明できません。


先日行われた、東大病院元救急医療部長の矢作直樹さんとのコラボ講演の際、輪廻転生説を標榜する矢作先生と、個の魂は存在しないとする僕の話の接点を見出すために、7層の身体の話をさせてもらいました。





こういう話はどんな言葉で表そうと、正確に表現できません。

もしかしたら共通して「こうだ!」と言い切れるものは何もなく、人の数だけ真実があるのかもしれません。

宇宙はそれくらい多次元にわたっているのではないでしょうか。


ひとつなのに、何ひとつ同じものが無い。



摩訶不思議







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太平洋に浮かぶ孤島。 ひとつだけ切り離されているように見えるけれど、海底では大地に繋がっています。 全体から切り離された孤島など存在しません。 我々も同じです。 個々は全体から分離して見えるけれど、エネルギーの次元において全体と繋がってい ... 続きを読む


太平洋に浮かぶ孤島。


ひとつだけ切り離されているように見えるけれど、海底では大地に繋がっています。

全体から切り離された孤島など存在しません。


我々も同じです。

個々は全体から分離して見えるけれど、エネルギーの次元において全体と繋がっています。

しかも我々の実体はエネルギーなのです。


そのエネルギーには意識があります。

全体意識と呼ばれるもの、それがあなたと僕の本質。



お互い同じものだから、そこに愛の可能性が出てきます。

そうでなければ愛が生じることはないでしょう。


分離を見るか


繋がりを見るか



対立を選ぶか


愛を選ぶか




愛がいい~~!!!





おっと、もう時間だ。

今日はピョートルさんとのコラボ講演会。

申し込んだ人は、会場は両国ではなく大手町なので間違えないでくださいね。

ピョートルさんがGoogle社で指導していたワークを再現してもらいます。

世界中に瞑想が浸透したらいいのになァ。





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「自分の人生は自分が創りだしている」 誰もが心の底でそのように感じています。 自分で創りだしているのだから、人生物語を少しでも理想に近づけるために努力することが責務だというわけです。 これが我々の基本的ストレスになります。 実際には何が起き ... 続きを読む
「自分の人生は自分が創りだしている」

誰もが心の底でそのように感じています。


自分で創りだしているのだから、人生物語を少しでも理想に近づけるために努力することが責務だというわけです。

これが我々の基本的ストレスになります。



実際には何が起きているのでしょう。

実際には起きることがただ起きています。


自分が起こしているのではなく、全てはただ自然に起きている。

目の前の出来事も、思考も、感情も、衝動も、決断も、何もかも自然に起きている。

だとしたら、どこに自分の責任が残るのか。


どこにもありません。

そもそも自分などいないのだから。



自分を高め、自分を磨き、いつの日か大きな幸せをつかもうとする人から見れば、このようなメッセージは単にナンセンスなだけで、役に立つどころか害悪です。


でも大丈夫。

このメッセージは、そのような人たちには向けられていません。



「もしかしたら本当かも」という、なんとも居心地悪い予感を持ち始めた人に向けています(笑)


人生には、いままで思っても見なかった全く違う真実が隠されていて、その真実を一目見てしまえば、人生観は根底からひっくり返ります。

人生観がひっくり返っても、いままでと同じように起きることが起きていき物語は続いていきますが、違いがあるとしたら、その物語に対して深刻さが消えているということ。


物語の展開を気楽に受け止めるようになります。







このようなメッセージが何千年も伝えられてきたのは、こちらが真実だから。

そしてこれが、苦しみから救われる唯一の道だから。


本来、人生で果たすべきことは何もないけれど、逆説的に言えば、このことを理解することだけが人生でやるべきことだと思います。

そうなってみれば、誰もがそう思うことでしょう。




今日は東京で瞑想伝授。

朝から部屋には静かな空気が流れています。

この部屋は7年間、瞑想だけを目的に使用してきたので、場の波動が調っていて気持ちがいいです。


毎月、一週間くらい東京で過ごすのですが、この街と沖縄の自然とのコントラストが好きです。







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