かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2017年07月

朝方、向禅師から電話があって 「阿部ちゃん、今回のWeb講演見たけれど、面白かったよ」 って。 Web講演というのは、禅サンガで隔週の金曜日に生配信している僕の一人トーク。 そうやって褒めてもらえると嬉しいもので、なにを話したっけと思いながら会員サイトの動画を ... 続きを読む
朝方、向禅師から電話があって

「阿部ちゃん、今回のWeb講演見たけれど、面白かったよ」

って。


Web講演というのは、禅サンガで隔週の金曜日に生配信している僕の一人トーク。

そうやって褒めてもらえると嬉しいもので、なにを話したっけと思いながら会員サイトの動画を見直してみました。


うん、なかなか面白い。

「真理は目の前のコレだ!」って、身振り手振りで熱く語っていたら、チャットの書き込みで、低我のアベッチにも話してもらいたいというリクエストがあって、後半は娑婆(シャバ)の話もしました。


こういう話は嫌いじゃないので、今日は「オイちゃんの戯言パート4」


最近話題になった松居一代さんのyoutube動画。

大方の評判は悪いけれど、オイちゃんは久しぶりに感じるものがあった。

だって本気で怒っているのが伝わったから。

内容はともかく、久しぶりに本気を見た。

言われた方は迷惑な話だけどね。


多くの人は社会用の顔に馴染んでしまって、本当の顔を忘れてしまったように見える。

何から何まで全部見せかけ。

だから命が喜ばないんだと思う。


そんな社会の風潮に一石を投じた勇気には、座布団十枚あげたい。

ネット上で顔と名前を隠して人を攻撃するより、よほどマシだと思う。

だって発言の責任は自分が負うことになるのだから。

そういう覚悟がオイちゃんは好きなわけ。



そして今井絵理子さん。

愛する人と手つないで寝ているなんて、誰だってしたいことだろう。

オイちゃんだってしたい。

性への欲求も一番盛んな年ごろだし、これくらいは大目に見てやってほしい。

あとは当事者同士で話し合えばいいことで、いちいち他人が首を突っ込むことじゃないと思う。


そんなことより仕事を頑張ってくれるように応援しよう。

男と手を握っても、裏で一線超えてもいいから、その知名度を活かして、子供たちが抱える問題への社会的関心を高めていってくれ。


SPEEDを再結成する時は、オイちゃんも見に行きたい。


「なんだ、ただのファンじゃないか!」

はい、そのとおりです。



で結論を言えば、

松井一代さんも、

その旦那さんも、

今井絵理子さんも、

恋人の市議会議員も、

その奥さんも、

みんなが幸せだったらいいと思う今日この頃で、そんな気持ちでいられるのが一番幸せだ。



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うーーーん

今日の戯言は、なんだか重みがないな。

北朝鮮の話とか、憲法問題とか、戦後史観とか、反日思想とか・・・


また出直します。



今日も元気に過ごしてね。
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今日のメッセージは、 自分の人生は失敗だったのではないかとか、 いまの現実は本来あるべき姿ではないのではとか、 そのような思いを持っている人に向けています。 結論から言うと、 これらの思いは完全な誤解。 以上です! 理由はいままでにも散々書いてきた通り ... 続きを読む
今日のメッセージは、

自分の人生は失敗だったのではないかとか、

いまの現実は本来あるべき姿ではないのではとか、

そのような思いを持っている人に向けています。


結論から言うと、

これらの思いは完全な誤解。

以上です!


理由はいままでにも散々書いてきた通りで、とにかくそのような思いは誤解だということだけは伝えておきます。(今日も省エネ)


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人生とは、まさにいまどんな自分が表現されているのか、ただそれだけです。

だったら、いまどんな自分でありたいのか。


イヤな人のことは考えない。

考えてもラチが明かない問題は棚上げにする。

過去と未来をシャットアウトして、いまやれることをやる。

そういうことです。


今週も気楽に行きましょう(^^)



・・・・・・・・・


阿雲&奥平亜美衣

「願望実現の仕組みと実践」

の動画が「スピタメ!」から配信されました。
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最近は運動効果でしょうか、毎日が愉快でなりません。 たぶん先日の奥平亜美衣さんとのコラボで、彼女が言っていることをほんの少し実践していることも影響しているかもしれません。 何事も外から論評するのではなく、実際にやってみるのがいいですね。 そういえば向禅師 ... 続きを読む
最近は運動効果でしょうか、毎日が愉快でなりません。

たぶん先日の奥平亜美衣さんとのコラボで、彼女が言っていることをほんの少し実践していることも影響しているかもしれません。

何事も外から論評するのではなく、実際にやってみるのがいいですね。


そういえば向禅師に出合った20年前。

当時向さんは、厳しい修行で知られる臨済宗方広寺派の大本山で、雲水たちの指導責任者のお役目の他に、一般向けの研修所長もされていました。

僕はその研修所を使わせてもらって、「リーラ」という独自のワークショップをやっていたのですが、向さんは当時すでに修行歴30年の禅僧で、一般の僕たちから見れば雲の上のような存在でした。


しかも僕がやっていたワークショップは、国内外のポップスを大音量でかけたり、奇声を上げて飛び回ったり、静寂を良しとする禅寺にあるまじき内容です。

他の会場では敬遠されていたのに、そんな活動さえ受け入れてくれて、ともすれば排他的になりがちな宗教の中で、禅の持つ大らかささに触れた気がしました。


そんな向さんとは、真理に対する洞察が一致していたこともあって、すぐに仲良しになるのですが、正統な修業を積んできた禅僧が、一般の僕のような者がやっていることに関心を示してくれたのは驚きでした。

2泊3日間のワークショップを終えて帰っていく参加者の顔が、みんなキラキラ輝いていたことに興味を持ったそうです。


そこでダメ元でこう言ってみました。

「向さんも参加してみませんか?」

すると即答で

「よし、やってみよう。何事もやってみなければ分からない」


その結果、最終日に彼が放った言葉。

「いやあ、愉快、愉快!」


そして何かを受け取ってくれたようでした。

これは経験してこそ分かることで、外側から想像しても分かりません。

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この出来事のおかげで、どんなものも実際に経験してみなければ分からないという生き方を学ぶことができました。


もしこの一件がなければ、ボブさんの瞑想もやらなかったでしょうし、今回の奥平さんのことも、「いまさら引き寄せの法則か」と高をくくっていたかもしれません。


我々はつい評論家になってしまいがちですが、論評と経験は別物です。

人物に対しても同様で、印象や風評だけでその人をわかったような気がしていますが、実際に会ってみなければ分からないことが沢山あります。


だから、いろんな人と対談してきましたし、そのたびごとに新鮮な感動がありました。

来月は矢作直樹さんと再び対談させてもらいますが、どこまで掘り下げた話を引き出せるかワクワクしています。

そして先日、さとうみつろう君が「いっしょに音楽やりましょう」と誘ってくれたこともあって、最近はギターを練習したりしています。

今年の秋分の日は、浜松で派手なイベントを企画しています。



何をしていても時間は過ぎていく。

だったら何でもやってみようという気持ちがあるということは、いまだ青春だということですね。


やったー!


青春だ(^^)



・・・・・・・


奥平亜美衣さんとの「願望実現の仕組みと実践」は、明日から「スピタメ」で配信します。


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「私はいない」 という言葉と同時に 「私しかいない」 という言い方もできます。 真逆の表現ですが、どちらも真実です。 それがどういう意味なのかは、自分で考えてください(笑) あはは、省エネ。 ヒントは、「私」という言葉が示しているものが違う。 「私は ... 続きを読む
「私はいない」

という言葉と同時に

「私しかいない」

という言い方もできます。


真逆の表現ですが、どちらも真実です。


それがどういう意味なのかは、自分で考えてください(笑)

あはは、省エネ。

ヒントは、「私」という言葉が示しているものが違う。



「私はいない」

より

「私しかいない」

のほうがなんとなく嬉しいですよね。


でもマインドは言います。

「自分しかいなかったら寂しいじゃないか。そんなのイヤだ!」


マインドは分離独立した自己としてしか発想できないからそう言いますが、実際には自己(分離感)が消えた時、全てとしての究極の安心感があります。

これは言葉で表せませんが、多くの人が探している心底からの安心感です。


しかし分離した自己には絶対に味わえません。

たとえ自己が全てと繋がったとしても、それが維持される保証はなく、自己はいつだって不安の中にいることになります。

それがこの世を混乱させている原因です。


あなた自身が全体だということ。

真実は、これ以上でも以下でもありません。


このことが伝わればなァ。

そう思いながら早30年。


自己は思考が作りだす過去と未来の物語の中に生き、全体はいまここにあります。

まったく難しいことなどではなく、極めてシンプルな話です。


荘厳な教会も寺院もいりません。

キリストも仏陀もいりません。


あなたが真理なのだから。


13

さて今日もいい気分を選択して生きるとしよう。

完璧にできなくていいから、わずかでもプラスの違いを作り始める。


とりあえずみんなで


♪シェー

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古くてスマン。




なんとかなる。


力抜いていこう!
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さて今日は何を書こうかと思ってコメントを読ませてもらったら、参考になるコメントがいくつもありました。 我々は通常、マインドの中の世界を生きています。 マインドはとても知的で論理的な面を持っています。 それらの「知」は、比較や分析によって構成されているので ... 続きを読む
さて今日は何を書こうかと思ってコメントを読ませてもらったら、参考になるコメントがいくつもありました。


我々は通常、マインドの中の世界を生きています。

マインドはとても知的で論理的な面を持っています。

それらの「知」は、比較や分析によって構成されているので、何が正しくて何が間違っているかが重要になります。


ところがそのようなアプローチは決して答えに行きつきません。

答えは全体であり、全体は全てを含んでいるからです。



ダウンロード

「私はいない」

これは、そう言っている当人のことではなく、あらゆる人に向けられています。

本当は誰もいないのです。

肉体がないと言っているのではないですよ。

この肉体の中にいるはずの、肉体をコントロールしたり、世の中と関わる主体的な自己(自分)は、思考が作り出している錯覚だと言っているのです。


心臓を動かしているのも、あらゆる器官を司っているのも、あなたではありません。

その他のあらゆる行為も、その衝動も、思考も、すべては起きていることであり、肉体の中に住む自己がやっているのではありません。

その自己感覚は幻想であり、そんなものは存在したことがありません。

これが「私はいない」という短い言葉に凝縮された意味です。


人は自分の状態から他者を見るので、「自分がいる」と信じていれば、誰の中にも同じように分離独立した自己がいるはずだと考えます。

そんな人に向かって「私はいない」と言うのですから、ただではすみません(笑)


そしてもう一つ同時に、

あなたも私も、まさにいま存在しています。

これは誰も否定できない事実です。


存在だけがあって、それがあらゆる人や、生き物や、この世に現れているすべての形を通して表現されています。

その中にはあなたの思考も感情も含まれます。

あなたという存在は、あらゆるものを作りだしている存在と同じものです。

それがいまも、様々な個性を通して表現されています。


ただただ無限の時間の中で戯れ続けているこのエネルギー。

これを古代のインド人は、存在は「リーラ」(神の戯れ)だと言いました。


存在は分離されることなく、常に全体としてあります。

その中には、人が思考と想像力を駆使して作り出した物語(二元の世界)も含まれています。

そして人は、そんな二元の世界から非二元の存在を議論するのです。


非二元のメッセージはこれからも伝えていきますが、それらの言葉を持ち運んで分かったつもりになってはいけません。

そもそも分かることではなく、存在そのものに成るだけなのだから。


さらに言えば、すでに我々は誰一人例外なく存在そのものです。

だから、あえて成ることでもない。


もう決着はついている。

最初から決着していたのだから。


あとは生きるだけ。

心のままに、好きに生きたらいいのです。

好きに生きたいけど生きられないというのなら、それも好きに生きているということ。

そういう意味で、なんだっていいのだから、今日もあなたを生きてください。


非二元は、解ろうと解るまいと我々の本性です。

本性が変わることはありません。


人生に失敗も成功も、上も下も、先も後もありゃしない。

すべては非二元の中で見ている夢。


だから安心して好きに生きてください(^^)
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昨日の「阿雲&奥平亜美衣」のトークライブは大成功でした。 大成功というのは、盛況だったということだけではなく、内容がとてもバランスにあふれていて、充実していたということです。 たとえばいままで僕が伝えてきたことを書きだせば 「いまここ」しか存在しない ... 続きを読む
昨日の「阿雲&奥平亜美衣」のトークライブは大成功でした。

大成功というのは、盛況だったということだけではなく、内容がとてもバランスにあふれていて、充実していたということです。


たとえばいままで僕が伝えてきたことを書きだせば


「いまここ」しか存在しない

起きることしか起きない

ことは起きているのであって、誰かがやっているわけではない

そもそも状況をコントロールしている主体としての自己は存在しない

すべては一つなるエネルギーの表れであり、分離はどこにも存在していない


となります。

このような声明と、引き寄せの法則のイメージは真逆であり、両者は矛盾していると考えるのが普通です。

そういう疑問をすべて表に出しながらの3人のやり取りだったので、たいへん味わい深いものがありました。


「引き寄せ」という言葉はすでに、ある種の印象を含んでいるので誤解しやすいですが、奥平さん自身の経験によると、誰かが何かを自分に引き寄せるのではなく、自らが発している波動が、それに見合った現実をいまも創造しているということです。

ずっと言われ続けてきたことですし、実感している人もいると思います。


ところが我々は、源の波動を調整することよりも、乱れた波動が映し出す問題を解決することに多くの時間を割きます。

スクリーンの映像がぼけたら、ぼけた映像と取り組むのではなく、映写機のフォーカスを変えればいいという話です。


僕は自身の気づきのレッスンの中に、昨日学んだことを取り入れて、実際に試してみたいと思います。

なんでもやってみないと分からないし、奥平さんの話はシンプルで納得できました。



さて昨日思ったもう一つのこと。


非二元は真実ですが、それは非二元のメッセージを生活の中に取り入れるのとは違います。

「すべてはひとつ」だとか

「私は幻想だ」だとか

自分に言い聞かせながら生きることでもありません。


このような態度は、非二元のメッセージに触れた人に起きやすいことで、他のメッセージを見たとき、その言葉の中に二元を連想させるものが出てくると、それだけで否定してしまうことさえ起きます。

そして多くの人は、非二元という真理以外を見下す傾向にあります。


二元を後にして非二元に至ろうとするのですが、実はそれこそが二元の態度です。

何故かといえば、想像上で分裂させたものの片側だけを採用しようとしているから。

このような罠にはまらない注意が必要です。


非二元の世界は、相対的な現実も含んでいます。

非二元の世界は、個として人生を歩む「私」の経験も含んでいるのです。


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興味のあることにはどんどん顔を突っ込んで、新しい習慣を身につけ、新しい可能性を見つけ、より豊かに生きようとすることに、何も悪いことはありません。

何事にも理屈をつけて、気難しい顔をしていても同じことです。

なんでもいいのですが、僕は楽に楽しく色彩的に生きたいので、そのような生き方を選択しています。

たとえその選択さえも彼方から起きたことで、起きることが起きているとしても、そのような生き方が好きで、そのように生きています。

たとえ生きているいまこの現実が、すべて夢だったとしても、このような生き方が好きで、このように生きてます。

そして瞑想の中で、究極的には何も起きていないことを思い出す、そんな時間も大好きです。



昨日のイベントは、より豊かでスムーズな流れに乗る生き方を学ぶだけでも価値があると思いました。

黒斎くん、亜美衣さん、そしてご来場の皆さん、お手伝いしてくれた皆さん、ありがとうございました。


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こうしたメッセージを読むことで、何かのインスピレーションが起き、完全な自由の境地に誘われるなら、そんなにいいことはありません。 でもたいていの場合は、自由が何かの情報によって引き起こされるというよりは、まさにいまここの開かれたリアリティの中に完全にくつろ ... 続きを読む
こうしたメッセージを読むことで、何かのインスピレーションが起き、完全な自由の境地に誘われるなら、そんなにいいことはありません。

でもたいていの場合は、自由が何かの情報によって引き起こされるというよりは、まさにいまここの開かれたリアリティの中に完全にくつろぎ、想像上の問題がすべて消えたときに起きます。


もちろん不意のインスピレーションがきっかけで、完全にくつろいで覚醒することもあり得ます。


いまここに完全にくつろぐというのは、自分の力をあきらめて、すべてを存在にお任せするということ。

自己という囚われが消えていること。

それが心の底で求めている完全なる自由です。


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阿さんの話では、般若心経に出てくる最後の言葉

そわか

とは、ヒンズー教のホーマという火の儀式の中で、自分をあきらめきって全体にサレンダーすることを言ったそうです。

サレンダーによる歓喜と祝福


なるほどそうか。


やっぱりそれしかない。

でも完全なくつろぎは、意志の力ではどうしようもありません。

意志は微妙な行為だから。

これがあらゆる修行者が抱えるジレンマです。


それは「起こること」

なにかの拍子に不意に起きること。



たとえば何気なく道を歩いているとき

誰かの目を覗き込んだとき

苦悩に疲れ果てたとき

あるいは努力の限界まで頑張って、それでも無理だったことを認めくつろいだとき


釈迦の覚醒はそのように起きたと伝えられていて、だからでしょうか禅の道場では徹底的な修業が行われます。

その努力が限界を超え、自力を完全にあきらめた時に訪れるサレンダー。


そしていまここだけが残る。

我々を生かして止まない無尽蔵のエネルギーとの一体感。

本来の面目との出会い。


言えるのはここまでです。


これに続くはずの、どうしたらそうなれるのかは書きようがありません。


あえて書くとしたら

そうなりたいという気持ちが妨げになるということ。

何かを達成しようとする目標志向の努力が抜け落ちて、自分が出来事をコントロールしているという錯覚が消えた時、それ(完全なる自由)があります。


なんのヒントにもなりませんね(^^;)


また違った角度から書いてみます。
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