かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2017年08月

今日はこのブログのコメント欄について、僕の希望を書いておきます。 常時コメントをする人の数は千人に一人の割合であり、その人達がこのブログを代表しているわけではありません。 できたら、このコメント欄には、その日の記事が自分にどう役立ったのか、あるいは役立て ... 続きを読む
今日はこのブログのコメント欄について、僕の希望を書いておきます。


常時コメントをする人の数は千人に一人の割合であり、その人達がこのブログを代表しているわけではありません。

できたら、このコメント欄には、その日の記事が自分にどう役立ったのか、あるいは役立てたいかを書いてくれると張り合いがあります。


特定の人同士のやりとりや、ご自分の考えの発表は、どなたかが代表でブログを作ってそこで展開するか、自分たちでコミュニティを作ってもらえたらありがたいです。

いきなりそれらのコメントのすべてを非掲載にするのも問題があると思い、こうしてお願いすることにしました。


ここは僕自身にとっても、そしてこのブログからインスピレーションを得たり、心の休息を求める人にとって大切な場です。

結果的にコメント数が、一日に数個になってもいいと思っています。


たとえお花畑だろうと、ここはそんな安らぎの場でありたいと思います。

ご理解のほど、よろしくお願いします。

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【お知らせ】

いまも阿雲(阿部敏郎と雲黒斎)の話を聞きたいという人がいてくれるので、二人でまたブログを作ろうと思っています。

以前二人のDVDが、TSUTAYA貸し出しのビジネス部門で、全国一位になったと聞きましたが、なぜビジネス部門なのかは謎だとしても、二人にしか表せない世界があると自負しています。


そんなこんなで新しいブログも楽しんでくださいね。


9月16日は、5年ぶりに二人で博多に伺います。

お時間がある方はいらしてください。
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今年の夏は、 しに暑いばーよー これね、沖縄では「もの凄く暑い」っていう意味。 こんなに暑い夏は、引っ越してきてから初めてかも。 そういえば僕らが子供のころは、運動中にどんなに汗をかいても水は飲むなって言われたよね。 水を飲むと疲れてしまうからって。 ... 続きを読む
今年の夏は、

しに暑いばーよー


これね、沖縄では「もの凄く暑い」っていう意味。

こんなに暑い夏は、引っ越してきてから初めてかも。


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そういえば僕らが子供のころは、運動中にどんなに汗をかいても水は飲むなって言われたよね。

水を飲むと疲れてしまうからって。

いまは水をどんどん飲むように奨励されている。


たぶん、どちらにも一理あるんだと思う。

メッセージの目的と、それが誰に向けられたかで変わるんだろうね。


20年くらい前から、「頑張らなくていい」というメッセージが盛んに言われ出したけれど、これなんかは高度成長時代への反動もあった。

昔は、頑張るということ以外の価値観はなかったし、頑張らないと怠け者とかズルいとかいうレッテルを張られたよね。


いま思ったけれど、「頑張らなくていい」というメッセージを発する人って、自分がたくさん頑張ってきたか、あるいはいまも頑張っている人に多いのかも。


僕なんか、子供のころから怠け者だったから、「頑張らなくてもいい」なんて言葉は出てこない。

むしろ、「やるときゃやれ!」って言いたくなる。

あはは、メッセージって自分に言っているよね。


もう一つ言えるのは、頑張るという言葉が意味しているもの。


たとえば好きなことをしている時は、時間を忘れて熱中していて、それを傍から見れば頑張っているみたいに見えるけれど、本人はそんな気はさらさらない。

僕なんか一日中瞑想していられるし、それを修業と捉えて頑張る人から見れば、僕は相当な頑張り屋ということになる。

できたらそう見られたい(^^)


さっきも書いように、メッセージって、どんな人にどんな目的で発しているかによって変わるわけで、

自己犠牲的に頑張りすぎている人には

「頑張らなくていい」と伝えるだろうし


何ごとにも投げやりの人には、

「もっと頑張れ」と伝える。


昔の覚者のメッセージも同じで、記録されたメッセージは当時その覚者の目の前にいた人に発しているから、全ての時代の全ての人に当てはまるとは限らない。


それが宗教になってしまうと、「~すべき」とか「~するな」とかを頑なに守ろうとする人がいて、それに反する人を攻撃したりする。

これが原理主義の危ういところ。


頑張ってもいいし、頑張らなくてもいい。

偶像を崇めてもいいし、排除してもいい。

お祈りの仕方も一つじゃなくて、心がこもっていれば何でもいい。


何ごともほどほどが丁度いい。

だから正しさを押し付けるのは好きじゃないわけで。

要するに、他者の意見より、自分の感性を信じて生きるのがいいと思います。



今日も柔らかい気持ちで生きようね。



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【お知らせ】

9月2日の東京瞑想伝授は残りわずか。

9月16日の博多伝授は今年最後になります。

一クラス10名様です。
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いまのままで完璧だとかOKだとか言われても、なかなかそう思えないのはなぜでしょう。 その原因は、心身全体を覆っている慢性的な不快感です。 程度の差こそあれ、だれもがこの状態にあります。 ずっとこの状態が続いているので、普段はいちいち不快感を認識することは ... 続きを読む
いまのままで完璧だとかOKだとか言われても、なかなかそう思えないのはなぜでしょう。

その原因は、心身全体を覆っている慢性的な不快感です。

程度の差こそあれ、だれもがこの状態にあります。


ずっとこの状態が続いているので、普段はいちいち不快感を認識することはありません。

ずっと不快のままだと、それがあたりまえになってしまうのです。


この慢性的不快感の正体は、ある種の抵抗と緊張のようなもの。

絶え間なく自分を守ろうとしている防衛機能です。


無意識に、何か悪いことが起きないように見張っているこの緊張は、一人になったときでも続いています。

心の壁のようなものと言ってもいいでしょう。


これを解いていくのは簡単ではありません。

自分が危険にさらされるような恐怖を覚えるからです。


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実は、この緊張と収縮と抵抗こそが「自分」という幻想の元です。

だから緊張が完全に解けてしまうと自分が消えてしまうような気がします。


この緊張のおかげでいままで生き残ってきたと信じているので、おいそれと手放すことはできません。

さらには、幼少のころから溜め込んできた様々な心の傷も、この防衛機能を強化する役目をしています。


奨励している瞑想は、これらの抜本的な解決に取り組む道です。

理屈ではなく、ただ力を抜いてみようというわけです。


最初のうちは、溜め込んできた様々な感情が表面に出てくることがあります。

気持ちよくなるために瞑想を始めたのに、真逆のことが起きていると考える人もいますが、このような作用はお掃除であり、実際には上手く行っているのです。



こうして力を抜くことで、自分の本質に近づいていくことになります。

その本質において、いまのままで完璧だという言葉が真実であることを知るでしょう。



先ほど、瞑想教師育成トレーニングに参加している女性たちと話をして、このことを皆さんにも伝えたいと思いました。



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秋分の日のイベントの宿泊コースは受付を終了しました。

当日の本番は、実に興味深い体験をしてもらえると思うので、ご都合がつく方はいらしてください。


詳細はコチラ
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人の心の中には、お悩み専用スペースがあるのを知っていますか。 そのスペースの中身は、抱えているトラブルだったり、お金の問題だったり、仕事が思うように順調ではなかったり、様々です。 それらの問題が解決すれば悩みから解放されて、清々しい人生が始まっていくはず ... 続きを読む
人の心の中には、お悩み専用スペースがあるのを知っていますか。

そのスペースの中身は、抱えているトラブルだったり、お金の問題だったり、仕事が思うように順調ではなかったり、様々です。


それらの問題が解決すれば悩みから解放されて、清々しい人生が始まっていくはずだと信じているので、四六時中それらを考え続けることになります。


ところがその問題が解決すると、それまでは表面化していなかった新しい悩みが登場します。

お悩み専用のスペースは、空っぽではいられない性質を持っているからです。


このことを本当に理解している人は僅かで、頭で分かっていても、結局はこの問題さえ解決すればという生き方になってしまいがちです。


もちろん、問題に取り組んで、より良くしていこうとするのはOKなのですが、その問題が解決するまでは幸せになれないと思ってしまっているところに本当の問題があります。

お悩み専用のスペースがある限り、どこまでも永遠に幸せを先延ばしすることになるからね。


というわけで、いまから話す言葉は、瞬時に抵抗したくなるかもしれません。

でも真実なので、耳の穴かっぽじってよく聞いてください。


それではお伝えします。



人生はこれ以上よくならない!!

以上!!




あはは、どう思いましたか。


夢も希望もない言葉だから一般受けしないのはもちろん、極論だとばかりに無視するかもしれません。

でもね、もしあなたがこの言葉を受け入れることができたら、あなたの人生への最高の贈り物になります。


その時初めて、いまを生きるということが容易くなります。

いつか解決した暁にはというストーリーがなくなるから。


それにね、力が抜けて、けっこういい気分になるんですよ。

そんな気分で、やるべきことに取り組んでいけばいいだけのこと。


皮肉なことに人生がスムーズになっていきます。


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さて、そんな専用スペースをいったん脇に置いて、取りあえず楽しくやろうぜと、来月は毎年恒例のスペシャルイベントがあります。

さとうみつろう君と毎年開催している秋分の日イベント。

今年は東京と大阪の真ん中、浜松で行います。


最高の一日になると思うので、参加ご希望の方はコチラから詳細をご覧ください


また前日には前夜祭パーティーが、そして明け方5時の秋分点には、一緒に瞑想する企画もあります。

こちらは少人数制の宿泊コースです。

人数に限りがありますのでお早めにお申し込みください。

詳細は同じくコチラから。





普段は忘れがちですが、人生を謳歌できる僕たちは本当に果報者ですね。

こうして平和を享受できるのも、いまの時代の礎になった先人たちがいればこそ。


先の大戦で亡くなられた全ての御霊に、感謝と哀悼の意を捧げます。
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いまはお盆休みの方も多いでしょうね。 昔は、何かをしなければ一日が無駄になるとばかりに、あちこち出かけたものです。 何もしない日があると、こんなんでいいのだろうかと後悔したりね。 現在は何をしていても、しなくても、まさにいまどんな自分が表現されているかが ... 続きを読む
いまはお盆休みの方も多いでしょうね。

昔は、何かをしなければ一日が無駄になるとばかりに、あちこち出かけたものです。

何もしない日があると、こんなんでいいのだろうかと後悔したりね。


現在は何をしていても、しなくても、まさにいまどんな自分が表現されているかが、より重要なことになりました。


まさにいま

リラックスしているのか、力が入っているのか、


まさにいま

優しい気持ちでいるのか、何かを裁いているのか、


まさにいま

いまにいるのか、頭の中の世界にいるのか


立ち止まって、いまの状態に気づくことは、とても大切なことだと思います。



何かの問題や、理不尽な出来事が頭を離れないことってありませんか。

そういう時は、「いま」を見失って、想像上のストーリーの中にいます。

うっかりすると、何時間も何日間もその世界に暮らすことになります。


でもね、そんな時でさえ、いまに帰ることは簡単なんです。

というのも、「そのような思考がいま湧いている」という単純な事実に気づくだけだから。


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ところがたいていの場合は、その思考の内容に囚われてしまいます。

たとえ苦しいストーリーでも魅惑的なのです。

ですから、内容に埋没する瞬間に、いま思考が湧いているという単純な事実に気づいてみるのです。


実際に起きているのは、「いまそのような思考が湧いた」ということだけであり、その内容ではありません。


その気づきが、いまここに連れ戻してくれます。

ほんのちょっとの気づきがあれば、人生の風味は大きく変わっていきますよ。



日々是好日



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先日ご紹介した方広寺接心は満員のためお申し込みを終了しました。

またの機会にいらしてくださいね。


さとうみつろう君と毎年開催している秋分の日のスペシャルイベントは、前夜祭も含めて明日からお申し込みを開始します。
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Mondogurosu >講演を聞くことは、悟りに関して有用と思われますか?  >情報として悟りに纏わる色々を知識として入れても、なんら本質は変わらないと、長年の経験から思います。 >自分では、若干なりとも悟りに近づけたのは禅を実践しだしてからです。 >講演を聞いても、 ... 続きを読む
Mondogurosu

>講演を聞くことは、悟りに関して有用と思われますか? 

>情報として悟りに纏わる色々を知識として入れても、なんら本質は変わらないと、長年の経験から思います。

>自分では、若干なりとも悟りに近づけたのは禅を実践しだしてからです。

>講演を聞いても、知識と悟りたいという欲望ばかりが大きくなるばかりで、かえって悟りから遠ざかると思います。


言いたいことはよく分かります。

確かに正しい情報を得たとしても、そのことが悟りに繋がるわけではありません。


だからと言ってそれらの情報が無意味ということでもありません。

あなたが目覚めた時、それまでに学んだ言葉たちが一斉に命を吹き返し、その境地がまぎれもない真実だということを証明してくれるでしょう。

そして気づきを豊かにしてくれます。



さてここからは、もう一歩踏み込んだ話をしましょう。

何度も言ってきたことですが、悟りというものは、悟っていないと思っている人の言葉であって、実際は全ての存在は最初から悟りの中にあります。

もの心ついてからの長年の習慣で、「分離した自己という錯覚」と同化してしまい、悟っていないという夢を見ているだけです。


このことが理解できる人に先ほどの説明をするとしたら、説明自体が変わってきます。


講演を聞いたり、本を読んだり、特定の修業をしたり、経典を学んだりすることの全ては夢の中の出来事だということ。

何故言い切れるかといえば、それらをやっている自己そのものが夢だからです。


そして悟り(自己という錯覚からの目覚め)は、何かをした結果起きることではありません。

ふいに訪れる、突然変異のようなものです。


もし確実に目覚めに誘われる方法が存在していたら、人類はもっと早く目覚めていたことでしょう。

でもそういうことは起きません。

繰り返しますが、その方法を実践している人自体が夢だからです。


夢の中のあなたが、夢から覚めるためにあらゆることをしても、夢が強化されるだけだというのは分かりますか。

夢から覚めるのは、夢の登場人物ではなく、夢を見ているその人です。


では誰が夢を見ているのか。

あえて言うなら、全体が自己という夢を見ています。


したがって夢から覚める(悟る)のは、あなたではなく全体です。


>自分では、若干なりとも悟りに近づけたのは禅を実践しだしてからです。

いま述べたように、悟る手段としての実践はあり得ませんが、本当の禅の実践は、そのまま悟りそのものです。

これは禅寺で修行僧を導く立場の者であれば同意してくれると思いますが、修業とは悟るためのものではなく、実際に悟りを生きるためのものです。


このことはマインドには理解できません。

マインドは過去や未来をリアルなものとしているので、いつの日か、いま以上の自分になれると信じていて、そのための修業を生き甲斐とします。


そのことが駄目だと言っているのではないですよ。

あらゆる経験をするためにこうして生きているのですから、なんでも思ったことをやったらいいのです。


然るべき時が来たら、芽が出て花が咲きます。

それは起きることであって、自己が起こすことではありません。



身もふたもない話でしたが、それでも真実の情報に触れ続けることは大切です。

坐禅や瞑想の実践も続けたらいいと思います。


坐禅も瞑想も、自己がやる行為ではなく、全体によって為されるものなので、それそのものが無自己と言えます。

そこに、本当の自分の香りが漂ってくることでしょう。

美容にもいいですよ。


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おっ、いまグッと掴んだかも(笑)


さて頂いたコメントですが、昨日の深夜に頂いていた分を、間違って消去してしまいました。

謝ろうと思っていたら、いったんコメントを開いたページが残っていて、そのページを更新すると消えてしまうために、コピーして新たにコメント欄にペーストしました。

そんなわけで、いくつかのコメントが今朝の7時50分に同時にアップされています。

他意はありませんので、ご了承ください。


そう言えば2年前にも同じことがあって、その時も同じように処理したのですが、不具合で僕の名前でアップされてしまい、自作自演だと騒がれました。

そんなこともあって躊躇したのですが、今回はサイト自体が変わったからか、ちゃんとできました(^^)



それにしても阿部という男は、執拗に攻撃対象になりますね(笑)

これも不徳とカルマの現れなのでしょう。

僕自身は何を言われてもいいのですが、僕にシンパシーを持つ人が切ない思いをするのではと、そのことは気になります。


そんなこんなでいろいろありますが、よろしくお願いします。


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【お知らせ】

恒例の秋分の日の瞑想会。

今回は9月23日に浜松で行います。

会場でのイベントは昼の12時からですが、今年の秋分点は早朝5時なので、その時間に少数の人だけで瞑想会をします。

場所はホテルオークラ浜松のインペリアルスイートルームで150平米もある超豪華な部屋。

参加者のみなさんも前日から同ホテルに宿泊していただきます。

明日また詳細をお知らせしますので、年に一度のイベントを一緒に楽しんでくれる人はお早めにお申し込みください。

今年もいつものメンバー(僕と、智子さんと、さとうみつろう君)がお相手します。
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暑いので手短に話します(笑) まるでこの世には真理に近づいている人と、世俗に浸かって遠くかけ離れた人がいるように見えますが、どちらも違う夢を見ているだけで、その質は同じです。 真理探究者は、いつの日かその達成を願い、世俗者はより良い生活を願います。 どち ... 続きを読む
暑いので手短に話します(笑)


まるでこの世には真理に近づいている人と、世俗に浸かって遠くかけ離れた人がいるように見えますが、どちらも違う夢を見ているだけで、その質は同じです。

真理探究者は、いつの日かその達成を願い、世俗者はより良い生活を願います。

どちらも、いま以上の時があることを信じています。


世俗的であるか、精神的であるかは、夢の内容の違いに過ぎません。

真理は極めてシンプルであり、いまここにあからさまにあります。

そして夢の内容が何であれ、真理(いまここ)から離れることはできないので、誰もが救われていることに違いはありません。


世俗的な話も対立しやすいけれど、それが真理に関わる話だと命がけで対立し、まことに深刻になりますね。


その緊張感が緩んで、いまここに完全に寛いだ時、あるいは執拗にいま以外の時を求める衝動が止んだとき、それがゴールです。


そのゴールは、スタート地点と同じ場所。

早い話が、誰一人としてどこにも行っていなかったということです。


したがって真理とは、目指すものでもなければ、達成すべきものでもないということ。


だからあとは夢の世界を遊ぶとしましょう。


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多くの人の発言を見ていると、これだけは譲れないといった生真面目さが香ってきます。

比較や判断のオンパレード。

それが悪いわけではないけれど、もっと気楽に仲良くできないものでしょうか。


昨日お話したメッセージバンドの歌詞。



上とか下とか分けたつもりでも、本当はみんな一緒だよ

笑っちゃえばええじゃないか

踊っちゃえばええじゃないか

こっちにおいで、仲良く遊ぼう。

すべてはOK、my friend



いまも気持ちに変わりありません。

人様の肩の荷を降ろしてあげたいと願う、愚かなる夢人です。


今日は母が逝って2年目の命日。

生きている時もただものじゃないと思っていましたが、死んだあとも自分の命日を国民の休日にしました(笑)



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【お知らせ】

矢作直樹さんとのコラボ講演は、だいぶ席が埋まってきました。

まるで違うキャラですが、僕は矢作さんが好きです。

なんというか・・・無表情さが愛いらしい(^^)


9月8日、9日、10日に、浜松の方広寺(大河ドラマ「おんな城主直虎」にも登場しました)で、本格的な禅の修業をベースにした接心を開催します。

以下、向禅師からのご案内

【内 容】

坐禅・読経・茶礼・密教(身口意の三密)、歩行禅、笑いヨガ等、心の源に至り、禅定を日常生活に活かすヒントを学びます。

朝6時の半僧坊の太鼓を鳴らしての大般若祈祷、本堂縁側での夜坐等、方広寺ならではの体験もあります。

イス席も用意し、スローペースでマインドフルにすすめます。
 
10日午後1時より、阿部敏郎氏(全日程参加)とのコラボトークを予定しています。

【費 用】

一般、38,000円(税込、二泊七食の宿泊食事代を含む)

「いまここ道場」HPの左上サイドバー【お申し込みメールフォーム】をクリックしてお申し込みください。



9月のハートマントラ伝授は東京と博多を予定しています。

詳細はコチラから
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