かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

2017年09月

昨夜は禅サンガのWeb講演でした。 この数日みなさんにお届けしているショート動画がそれです。 僕はこの時間が大好きで、ライブでみなさんと繋がっている気がするんですよ。 前半の時間はその瞬間に思いついたことを話し始めるのですが、後半はみなさんからリアルタイム ... 続きを読む
昨夜は禅サンガのWeb講演でした。

この数日みなさんにお届けしているショート動画がそれです。


僕はこの時間が大好きで、ライブでみなさんと繋がっている気がするんですよ。

前半の時間はその瞬間に思いついたことを話し始めるのですが、後半はみなさんからリアルタイムに送られてくるチャットやメールの質問にお答えしています。

こういう臨場感が、より繋がりを感じさせてくれるのだと思います。


昨日も沢山の質問をもらいましたが、その中に

「自分を好きになるにはどうしたらいいか」

という質問がありました。


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その時の答えをテキスト化してブログに書くこともできますが、せっかくショート動画シリーズをお届けしているので、昨夜のその部分を張り付けてみます。

まだ24時間たっていないホヤホヤ動画です(^^)






・・・・・・・・・


【お知らせ】

阿雲の呼吸(阿部敏郎&雲黒斎)の講演を、大阪、名古屋、東京、博多で開催します。

詳細はコチラから。


阿雲の新ブログも好き勝手に更新中です(^^)

降参のススメ


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真理世さんからの質問 >これまで、阿部さんが、「禅スクール」の看板のように掲げてきた「いまここ」。 >「いまここ」しかないと、何度も繰り返されてきたその「いまここ」と、 >今回記事に書かれた「大いなる意識」とは、同じものですか? >それとも、違うものですか? まっ ... 続きを読む
真理世さんからの質問

>これまで、阿部さんが、「禅スクール」の看板のように掲げてきた「いまここ」。

>「いまここ」しかないと、何度も繰り返されてきたその「いまここ」と、

>今回記事に書かれた「大いなる意識」とは、同じものですか?

>それとも、違うものですか?



まったく同じものです。

宇宙には、これしか存在していません。


「いま」とは、この瞬間のことではなく、時間を超えた永遠のこと。

「ここ」とは、空間の一部ではなく、空間を超えた実存のこと。

そして「大いなる意識」とは、いまここに在り続ける永遠なる生命そのものです。


これはいまも、他でもないあなたの中で、本当のあなたとして鎮座しています。


ところが人間は外の世界に視線を向けて、そこで起こる様々な現象に一喜一憂して生きています。

その世界に安らぎはありません。

束の間の安らぎは訪れますが長続きすることはありません。


望み通りのものを手に入れても、またすぐに何かが足りないと感じ始めます。

その足りないものを、どこで見つけたらいいのかを考え始めるのです。


もし望むことすべてが叶ったとしたら(それは法則としてありえませんが)、その時はどうなっていると感じているのでしょう。

その時こそ、心からの安らぎと、幸せと、満足に包まれていると内心期待しています。


禅が伝えているのは、さらには「いまここ」という言葉で伝えているのは、すでにその宝は、あなたそのものとして、あなたに与えられているということです。


それを見つけるために外側の世界を探し続けるのではなく、まさにいまここで内側深く落ち着いていくこと。

するとそこに、自分が全体から分離されているのではないという智慧を見出します。

その智慧を般若(ブラジュニャー)と言います。


そしてそこに至る方法が波羅蜜多(パーラミータ)であり、瞑想や坐禅はその一つです。


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先日行われた、阿純章さん(円融寺住職)との般若心経談義でも、同じことが語られました。

今日はそのショート動画をお届けします。


阿(おか)さんは、北京大学の東洋仏教思想史博士課程を修了した博識家ですが、自然体で分かりやすく解説してくれるので大好きです。

来期以降も引き続き、THE禅サンガの講師をお願いしています。


約2分間の動画です。


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この先、AIやロボットの進化により、いま職業とされている分野の多くが、AIやロボットにとって代わると言われています。 それも単純な作業だけでなく、医学界や法曹界、そして立法府や行政府さえもAIにとって代わる時代が来るのかもしれません。 AIは人間の意思や ... 続きを読む
この先、AIやロボットの進化により、いま職業とされている分野の多くが、AIやロボットにとって代わると言われています。

それも単純な作業だけでなく、医学界や法曹界、そして立法府や行政府さえもAIにとって代わる時代が来るのかもしれません。


AIは人間の意思や感情などの複雑な仕組みもすべて理解することでしょう。

その気になれば、人間をコントロールすることも簡単です。


さきほど、意思や感情などの複雑な仕組みと書きましたが、その複雑さも1秒間に数兆もの情報を処理するAIにかかれば、まったくもってシンプルな仕組みに見えることでしょう。


いまでもアメとムチを巧みに使って人心を操る人たちがいますが、その何億倍もの精度で人の感情やパラダイムを見抜かれてしまっては、人間などまるで太刀打ちできません。


たとえばそれは、人間が簡単にペットを騙せるのと似ています。

近くに呼ぶためにエサをチラつかせたりするのがそれです。

それと同じように、いやそれ以上に簡単に人間はAIにコントロールされてしまうことでしょう。


そのように言うと、なんだかSF映画に出てくる人工知能に支配された世界を思い描いて恐ろしくなる人もいるかもしれませんが、僕はかなり楽観しています。


人間が何に感動し、何に幸せを感じるかということや、どんな身体的、知的満足を得ようとしているかなど、しかもそれが一人一人の個性によって違うということも何もかも理解したうえで全体を管理してくれたら、人類が決して果たせなかった地上の楽園が実現するかもしれません。

もちろんそこには、哲学や思想や宗教的な好奇心の満足も含まれています。


いやそんなことはない。

そんな世の中はまっぴらだし、危険極まりないと言う人もいるでしょうね。


僕が言いたいのは、いまの人間の思考の延長線を超えた世界の話です。

だから賛否両論あると思いますが、実は今日話したいことはこのような未来予測のことではありません。



どこまでAIが進化しても、絶対に得られないものがあります。


それが「生命」です。

僕は常々、生命は意識だと感じているので、「大いなる意識」と言ってもいいかもしれません。

AIとしての意識は作られていくでしょうが、生命だけは得られません。

どんなに科学が発達しても、いまだにアメーバひとつ作れないように、それはこの先も不可能です。


なぜ言い切れるかと言えば、命は個々の存在が所有しているのではなく、得たり失ったりするものではないからです。

宇宙という「大いなる意識」、いや「大いなる生命」があって、その上に個体がペタペタ張り付いていると想像してみてください。


張り付いた個体は、現象界の宿命で刻々と変わり続け、やがては朽ち果てていきますが、それを生かしている生命は何一つ影響されません。



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それを般若心経の言葉で言えば


不生不滅(生まれることも死ぬこともない)

不垢不浄(汚れることも浄化されることもない)

不増不減(増えることも減ることもない)


生死を含めた現象界のどんな出来事にも影響されずに、永遠に「いまここ」に在り続けているのです。


そして最も重要なことは、その大いなる生命を、あなたは自分の命だと感じているということ。

しかしそれは、あなたという個人的なものではなく、宇宙的な大いなる命であり、したがって決して死ぬことはありません。

これが真理の全てです。


今日の後半の文章は阿部が書いたのではなく、ただ流れ出てきた文章であり修正の余地はありません。

あなたのインスピレーションに繋がればと思います。


長年、向禅師と続けてきた「禅スクール」も、この大いなる命との出会いを目的にしていました。

数年前からWeb上で展開していますが、今日もその中からショート動画を張り付けておきます。


これは長い沈黙の後に話しだした部分です。



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先日、子供の頃の友人が 「最近、死を感じるようになって眠れないことがある」 と話していたことを紹介しました。 早い人だと子供の頃から、そして多くの人は60歳を過ぎたあたりから、その恐怖を持ちだすようです。 このような感覚は、たとえば鈴木太郎という名前の自 ... 続きを読む
先日、子供の頃の友人が

「最近、死を感じるようになって眠れないことがある」

と話していたことを紹介しました。

早い人だと子供の頃から、そして多くの人は60歳を過ぎたあたりから、その恐怖を持ちだすようです。


このような感覚は、たとえば鈴木太郎という名前の自分が時間の中を生き続けてきたけれど、いつか死が訪れた時、肉体と共に鈴木太郎も消滅し、それによって全てが無に帰してしまうということへの抵抗と恐怖です。


若いころはまだいくらでも時間があると思っていたのに、いまとなってみては残り10年、20年、長くて30年。

歳を取ってみれば、30年間などあっという間だったことを知っているので、この先あっという間に30年後になることも容易に想像できるわけです。


でもその恐怖には、そもそも大前提となっている大きな誤解があります。

ものごころついてから、ずっとこの誤解と共に生きてきたので、改めて指摘されてもピンときません。


>鈴木太郎という名前の自分が時間の中を生き続けてきたけれど、いつか死が訪れた時、肉体と共に鈴木太郎も消滅し、それによって全てが無に帰してしまう


まずは鈴木太郎(これをあなたの名前に換えてください)なる人物は、あなたの思考が作り出した単なるイメージです。

そんな人は一度も存在したことがないのです。

鈴木太郎が自分だというのは誤解です。

ここはすぐには分かりにくいかもしれません。


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あなたは本当の自分である「目覚めた純粋意識」(宇宙意識・全体意識)と、名前を持った自分というイメージを混同してしまっているのです。


確かに死と共に鈴木太郎は消滅します。

しかしイメージが消えたからと言って、あなた自体が消滅するわけじゃありません。

あなたは最初から純粋意識だったからです。


むしろ死によって、混同していたイメージが消え去ることで、あなたはいままで以上にあなたの存在を強く感じ始めます。

まるで霧が晴れたようです。


いちどこのことを見抜けば、執拗な死の恐怖からは解放されます。


>鈴木太郎という名前の自分が時間の中を生き続けてきたけれど、いつか死が訪れた時、肉体と共に鈴木太郎も消滅し、それによって全てが無に帰してしまう


幻想であるイメージの自分は、同じく幻想である時間の中を生きています。

実はどちらかの幻想が消えると、もう片方も消えてなくなります。

ところが幻想は幻想にすぎないので、消えても何も無くなりません。


本当に何の心配もいらないのです。


実感がわかないかもしれませんが、これは真実であり、根底から救われるためには、真実の情報に触れることです。

昔なら一巻の経文を得るために、野を超え山超え、命がけで旅をしましたが、いまはボタン一つで瞬時にして手に入れることが出来ます。


そんな文明の利器を最大限に使うことで、現実生活の中に真実に触れる機会を増やせたらという発想で始まったのが「The禅サンガ」です。

これは僕と向禅師の20年にわたるライフワークのWeb版。

僕のWeb講演はサンガの中で頻繁にお届けしていますが、内容の大半は、チャットで頂く質問に瞬時にお答えするスタイルです。

ブログの記事に関する質問も多く寄せられ、メッセージが立体的なるという点でも満足しています。


今日は前回生配信したWeb講演の一部を紹介します。

2分間のショート動画です。




・・・・・・・・


【お知らせ】

東京と名古屋でハートマントラの伝授指導を受けたい方はコチラからお入りください。


「阿雲の呼吸・阿部敏郎&雲黒斎コラボ講演会」

東京の開催が決まりました。

10月29日 両国KFC2ndホール


他の都市の日程は以下の通りです。

大阪 10月7日

名古屋 10月8日

博多 12月2日


詳細とお申し込みはすべてコチラから
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ガッシャーン!!! いますべての過去に繋がる扉を閉めてみよう。 そして 「オンギャーー!!!」 って、いま生まれたと思ってごらん。 そして生まれたばかりの目で、いまの自分を取り巻いている環境や状況を見まわしてみると、たぶん真っ先に見えてくるのは、不十分 ... 続きを読む
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ガッシャーン!!!

いますべての過去に繋がる扉を閉めてみよう。


そして

「オンギャーー!!!」

って、いま生まれたと思ってごらん。

そして生まれたばかりの目で、いまの自分を取り巻いている環境や状況を見まわしてみると、たぶん真っ先に見えてくるのは、不十分なことや上手くいっていない問題の数々。

なぜ真っ先に見えてくるかというと、いままでさんざんそのことを考えてきているから、習慣みたいにして湧いてくる。


でも、いま生まれたばかりの自分から見ると、大きな違いがある。

いままではそれらの問題が手に負えないように感じていたけれど、生まれたての自分だから、ああすることもこうすることもできそうだ。


そもそもそれらの状況が問題に見えていた背景には、それまでの固定された考え方があって、その考え方では解決が難しいと感じていたから問題に見えていたわけ。

どんな状況だったとしても、解決が簡単だと知っていれば、その状況は問題に見えないでしょ。

したがって問題とは状況そのものじゃなくて、その状況に対する無力感が問題なわけ。

そしてその無力感は、「過去の自分」に対する記憶からきている。


自分にはこういうことはできても、ああいうことはできないとかね。


ガッシャーン!!!

いますべての過去に繋がる扉を閉めてみよう。


新しい自分に無力感なんてない。

ただ必要なことをやっていくだけだ。

それらの状況はすでに問題ではなく、果たせられた課題になっている。


「問題」と「課題」の違いは、


※「問題」には悩みや心配や怒りなどのイヤな感情がセットだけど、「課題」にはそんな感情はない。

ただ自分が望む状況に向かって、やることをやっていくだけ。


※「問題」に対しては、自分が問題の被害者になっているけれど、「課題」は自分が取り組んで超えていくものだから被害者意識は消えている。


いいかい、人生の被害者になっちゃダメだよ。



ガッシャーン!!!

いますべての過去に繋がる扉を閉めてみよう。


あとは、やることをやっていくだけだ。


あなたの中には、あなたが意識したものを現実にしていく力が備わっている。

あらゆるものを創造しているのと同じ力が、あなたの中であなたを生きているのだから。


そのことが信じられなくなってしまったのは、過去の「自分というイメージ」を信じてしまったから。



ガッシャーン!!!

いますべての過去に繋がる扉を閉めてみよう。


それが「禅」を生きるということ。


それが「いま」を生きるということ。



よっしゃ、オイちゃんも今日を生きるぞ。


今日は何をするかというと、雲黒斎君との「阿雲の呼吸」のブログを書くんだ。

4日も前に黒斎君が書いてくれていたのに、彼から連絡ないから、


「まったくもう、もうちょっと真剣に取り組んでくれよな」


って思っていたのに、急に、


「黒斎ちゃん、素敵!」


って評価が変わった。


で、がぜんやる気が出てきたわけ。

このブログ面白いから覗いてごらん。

降参のススメ!



次にやるのは、禅サンガも5期目に入るから、まだ入っていない人や、一度入ったのにお休みしている人に


いかにいまの禅サンガが素晴らしいか

いかにオイちゃんともっと近くで生きることが役に立つか


というありのままの事実をみんなに伝えるということ。( ー`дー´)キリッ



よし、今日も生きるぞ。

生まれたてのオイちゃんで生きるんだ!!


えっ?人生の背中が見えて黄昏てるんじゃなかったのかって?


いったい、いつの話をしているの?

そんな昔の話はもう忘れた。
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しんちゃんとなっちゃんの物語は小出しにしているわけではなくて、一つの記事を書くのに膨大なエネルギーを使うのと、細部にわたって関係者への許可を仰ぐのとで、一気に書くことができない。 考えてみればこの一週間、それだけに時間を費やしていたな。 ちょっとお休みし ... 続きを読む
しんちゃんとなっちゃんの物語は小出しにしているわけではなくて、一つの記事を書くのに膨大なエネルギーを使うのと、細部にわたって関係者への許可を仰ぐのとで、一気に書くことができない。

考えてみればこの一週間、それだけに時間を費やしていたな。

ちょっとお休みします。

気分転換が必要みたいだから。



昨日は秋分の日コンサート。

みつろう君とやり始めて今年で4回目。

やっぱり音楽は楽しい。

来てくれたみなさん、ありがとうございました。

会場を楽しませようとする、みつろう君のまっすぐなエネルギーを横から見て凄いなって思った。

練習の成果もあって、二人の音楽ユニットの個性も出てたよね。


気づきは言葉を学ぶことからではなく、笑ったり泣いたりしながら、自分の本当の気持ちに触れることでしかないと思った。

そして王道は、やっぱり瞑想だと思う。


みんな瞑想すればいいのにな。


瞑想はいまに帰ること。

いまの中には不安や心配が入り込む余地はない。


そういえば、みつろう君の曲で、「スターライダー」というのがあって、その詞の中に


不安の正体は未来

僕らの正体はいま



という箇所がある。

これって僕が書きそうなフレーズで、確か5年くらい前のブログに書いたような気がする。

彼がこの歌のレコーディングをしたのは3年くらい前だから辻褄は合う。

無断で使ったとしても彼には色々世話になっているから、許してあげよう。


そう思って過去記事を検索してみたが、該当する文章はなかった。

彼自身はまぎれもなく自分の創作だと言う。

彼のファンたちもそれを信じている。

さらに僕には、実際に書いたという確信はない。


ということは、やっぱり彼が書いたと言うことだ( ̄^ ̄)ゞ

言いがかりをつけてスマン。


とにかく彼とのユニットは楽しい。

そもそもみつろう君が

「ウチの嫁が、『最近阿部さんエネルギーがないから、あなた一緒に音楽やったら』って言うんですよ」

って言ってくれて、それでその気になったのに、彼は忙しくてオイちゃんと遊んでいる暇なんかなさそうだし、僕としては最後の手段で

「オレはいつまで生きているかわからんよ」

って脅迫しながら、次のスケジュールを決めさせようとしている。


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昨日のコンサートの打ち上げの後で、中学の頃の同級生と飲みに行って、そこで僕が

「この数年は意欲がなくなって、半分黄昏ているんだ」

って言ったら

「お前からそんな話は聞きたくない」

って叱られた。

彼にとっては僕のイケイケな生き方が理想だったみたいだ。


でも意欲がなくなるのも悪いことじゃなくて、年齢とともに身体が変化するように自然な流れなんだと思う。

すでに「こうなりたい」という目標が消えて久しいけれど、それはそれでいい感じだ。


別れ際に友人が

「最近、死が怖くて眠れない時がある」

って言うから、初めて彼に僕が活動で伝えていることを真面目に話したら、

「よく分からないけど、ちょっと楽になった」

って。


そういえば子供の頃の友達に、真実の話をしたことは一度もなかったな。

どうせ聞く耳を持たないと思って、僕からはしてこなかった

でも、みんな歳をとって、死を自覚するようになって、これから彼らに何かしてあげられるのかもしれない。


横にいた智子さんが、とにかく瞑想したらいいと彼に勧めてくれて、彼もその気になったみたいだ。

ちょっと嬉しかった。


とりとめのない話に付き合ってくれてありがとう。
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2016年10月5日 「テンカワ神社・・・テンカワ神社・・・カワの字はサンズイの河」 ???? ここはどこだ? 何かの道場か神殿のようなところの板の間で、お婆ちゃんが一心に祈りを捧げています。 いつもはそれほど神仏に関心を持っているわけではないお婆ちゃ ... 続きを読む
2016年10月5日


「テンカワ神社・・・テンカワ神社・・・カワの字はサンズイの河」


????

ここはどこだ?

何かの道場か神殿のようなところの板の間で、お婆ちゃんが一心に祈りを捧げています。

いつもはそれほど神仏に関心を持っているわけではないお婆ちゃんが、今日に限っては何かにとりつかれたように、世界の平和を祈りながら、大きな声で同じ言葉を繰り返しています。


「テンカワ神社・・・テンカワ神社・・・カワの字はサンズイの河」


『サンズイの河?』


その一言が頭にこびりついたまま、しんちゃんは目を覚ましました。


夢か・・・それにしても変な夢だった。

お婆ちゃんに何かあったのかな。


部屋を出て和室に繋がる襖をそっと開けてみると、お婆ちゃんはまだスヤスヤと眠っています。


あーよかった。


それにしても変な夢だった。

サンズイの河、天河神社って言っていたよな。

本当にそんな神社があるんだろうか。


夜明け前のまだみんなが寝静まっている時間、なるべく物音を立てないように自室に戻ると、しんちゃんはスマホを手にしました。


テ・ン・カ・ワ・神社・・・っと。

カワはサンズイの河って言ってたな。

だいたいからして、天河ってアマガワって読むと思うけど。


そんなことを呟きながらググってみると・・・


あった!

しかもたくさん出てくる。

なんだ、有名な神社なんだ。


パワースポット?

ここにいけば何かがあるんだろうか。

このひと月というもの、ずっと抱え続けているどうしようもない苦悩を溶かしてくれるとでも言うのか。

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しんちゃんはひと月前に起こしてしまった、とある出来事に打ちのめされたままでした。

あの日から時間が止まったまま無彩色の日々をただ過ごしている中での不思議な夢。

しかも今日はあの日からちょうど一か月目に当たります。


もしかしたら何かの導きかもしれない。

とにかく向かってみようと、その週末に取るものもとりあえず天河に向かうことになりました。


その日、天河神社では旧暦の節句の祭りが執り行われていました。

そして神事の最後に宮司が

「※今日ここにお集まりの皆さんは、呼ばれてきた方々です」

と話しました。

(※もとより天河は呼ばれた人しか行けない場所と言われていて、どんなに行きたくても行けない人は行けなくなると言い伝えられています。にもかかわらず宮司にはそのような発言をあえてする意図があったのでしょう)


しんちゃんにしてみれば、夢の導きによって天河を訪れたのですから、宮司のその言葉には説得力を感じました。


たしかに自分はここに呼ばれてきた。

その意味は何だろう。


初めての天河で、これといったドラマチックな体験があったわけでもなく、ただ本殿から少し離れた場所に鎮座する禊殿(みそぎでん)に行った時、無条件に癒される「気」に包まれたことだけが印象的でした。


天河から帰った後も、自分がなぜその地に呼ばれたのか考える日々が続きました。
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