さて最後の一文字「浄」



心身とは本当は不浄な存在なのに、それを清らかだと感じている錯覚(顛倒)を「浄」という。



人間の身体は、どんな美人だって皮膚一枚がそれらしく覆っているだけで、中身は異臭を発する不浄なものだ。


死ねばすぐに腐りだす。



そんな身体を美しいと思うのは勘違いだよって。





そして心も同じ。


自分は善人で非難されることは何もないとする独善的な考えは間違いだ。


善を取りつくろっても、その背後には、自分さえよければいいという穢れた考えがいつも行きかっている。




正直に見ればそれが人間だ。



にもかかわらず、そこを見ようとしないで、自分は清浄で正しい人間だと主張する間違いを「浄」という。





さてこの4つが地上から見た「常楽我浄」




いよいよ次回からは、宇宙から見た「常楽我浄」


同じその言葉が仏陀の視線からはどう映るのか説明しようね。






ブログ版「いまここ塾」はいかがでしょうか。


実際の「いまここ塾」は、こんなことを喋り続けて、次回で100回目を迎えます。


記念すべきこの日(3月27日)、夜8時に中城村の吉の浦会館に来てください。

駐車場完備 入場無料です。

毎回違った話をさせてもらっています。





今日はこの後、やんばる(沖縄本島北部)まで行くから、もう書けないかも。


むこうからライブの模様を報告できたらアップします。