さて今日は何を書こうかと思ってコメントを読ませてもらったら、参考になるコメントがいくつもありました。


我々は通常、マインドの中の世界を生きています。

マインドはとても知的で論理的な面を持っています。

それらの「知」は、比較や分析によって構成されているので、何が正しくて何が間違っているかが重要になります。


ところがそのようなアプローチは決して答えに行きつきません。

答えは全体であり、全体は全てを含んでいるからです。



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「私はいない」

これは、そう言っている当人のことではなく、あらゆる人に向けられています。

本当は誰もいないのです。

肉体がないと言っているのではないですよ。

この肉体の中にいるはずの、肉体をコントロールしたり、世の中と関わる主体的な自己(自分)は、思考が作り出している錯覚だと言っているのです。


心臓を動かしているのも、あらゆる器官を司っているのも、あなたではありません。

その他のあらゆる行為も、その衝動も、思考も、すべては起きていることであり、肉体の中に住む自己がやっているのではありません。

その自己感覚は幻想であり、そんなものは存在したことがありません。

これが「私はいない」という短い言葉に凝縮された意味です。


人は自分の状態から他者を見るので、「自分がいる」と信じていれば、誰の中にも同じように分離独立した自己がいるはずだと考えます。

そんな人に向かって「私はいない」と言うのですから、ただではすみません(笑)


そしてもう一つ同時に、

あなたも私も、まさにいま存在しています。

これは誰も否定できない事実です。


存在だけがあって、それがあらゆる人や、生き物や、この世に現れているすべての形を通して表現されています。

その中にはあなたの思考も感情も含まれます。

あなたという存在は、あらゆるものを作りだしている存在と同じものです。

それがいまも、様々な個性を通して表現されています。


ただただ無限の時間の中で戯れ続けているこのエネルギー。

これを古代のインド人は、存在は「リーラ」(神の戯れ)だと言いました。


存在は分離されることなく、常に全体としてあります。

その中には、人が思考と想像力を駆使して作り出した物語(二元の世界)も含まれています。

そして人は、そんな二元の世界から非二元の存在を議論するのです。


非二元のメッセージはこれからも伝えていきますが、それらの言葉を持ち運んで分かったつもりになってはいけません。

そもそも分かることではなく、存在そのものに成るだけなのだから。


さらに言えば、すでに我々は誰一人例外なく存在そのものです。

だから、あえて成ることでもない。


もう決着はついている。

最初から決着していたのだから。


あとは生きるだけ。

心のままに、好きに生きたらいいのです。

好きに生きたいけど生きられないというのなら、それも好きに生きているということ。

そういう意味で、なんだっていいのだから、今日もあなたを生きてください。


非二元は、解ろうと解るまいと我々の本性です。

本性が変わることはありません。


人生に失敗も成功も、上も下も、先も後もありゃしない。

すべては非二元の中で見ている夢。


だから安心して好きに生きてください(^^)