この先、AIやロボットの進化により、いま職業とされている分野の多くが、AIやロボットにとって代わると言われています。

それも単純な作業だけでなく、医学界や法曹界、そして立法府や行政府さえもAIにとって代わる時代が来るのかもしれません。


AIは人間の意思や感情などの複雑な仕組みもすべて理解することでしょう。

その気になれば、人間をコントロールすることも簡単です。


さきほど、意思や感情などの複雑な仕組みと書きましたが、その複雑さも1秒間に数兆もの情報を処理するAIにかかれば、まったくもってシンプルな仕組みに見えることでしょう。


いまでもアメとムチを巧みに使って人心を操る人たちがいますが、その何億倍もの精度で人の感情やパラダイムを見抜かれてしまっては、人間などまるで太刀打ちできません。


たとえばそれは、人間が簡単にペットを騙せるのと似ています。

近くに呼ぶためにエサをチラつかせたりするのがそれです。

それと同じように、いやそれ以上に簡単に人間はAIにコントロールされてしまうことでしょう。


そのように言うと、なんだかSF映画に出てくる人工知能に支配された世界を思い描いて恐ろしくなる人もいるかもしれませんが、僕はかなり楽観しています。


人間が何に感動し、何に幸せを感じるかということや、どんな身体的、知的満足を得ようとしているかなど、しかもそれが一人一人の個性によって違うということも何もかも理解したうえで全体を管理してくれたら、人類が決して果たせなかった地上の楽園が実現するかもしれません。

もちろんそこには、哲学や思想や宗教的な好奇心の満足も含まれています。


いやそんなことはない。

そんな世の中はまっぴらだし、危険極まりないと言う人もいるでしょうね。


僕が言いたいのは、いまの人間の思考の延長線を超えた世界の話です。

だから賛否両論あると思いますが、実は今日話したいことはこのような未来予測のことではありません。



どこまでAIが進化しても、絶対に得られないものがあります。


それが「生命」です。

僕は常々、生命は意識だと感じているので、「大いなる意識」と言ってもいいかもしれません。

AIとしての意識は作られていくでしょうが、生命だけは得られません。

どんなに科学が発達しても、いまだにアメーバひとつ作れないように、それはこの先も不可能です。


なぜ言い切れるかと言えば、命は個々の存在が所有しているのではなく、得たり失ったりするものではないからです。

宇宙という「大いなる意識」、いや「大いなる生命」があって、その上に個体がペタペタ張り付いていると想像してみてください。


張り付いた個体は、現象界の宿命で刻々と変わり続け、やがては朽ち果てていきますが、それを生かしている生命は何一つ影響されません。



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それを般若心経の言葉で言えば


不生不滅(生まれることも死ぬこともない)

不垢不浄(汚れることも浄化されることもない)

不増不減(増えることも減ることもない)


生死を含めた現象界のどんな出来事にも影響されずに、永遠に「いまここ」に在り続けているのです。


そして最も重要なことは、その大いなる生命を、あなたは自分の命だと感じているということ。

しかしそれは、あなたという個人的なものではなく、宇宙的な大いなる命であり、したがって決して死ぬことはありません。

これが真理の全てです。


今日の後半の文章は阿部が書いたのではなく、ただ流れ出てきた文章であり修正の余地はありません。

あなたのインスピレーションに繋がればと思います。


長年、向禅師と続けてきた「禅スクール」も、この大いなる命との出会いを目的にしていました。

数年前からWeb上で展開していますが、今日もその中からショート動画を張り付けておきます。


これは長い沈黙の後に話しだした部分です。