このメッセージのジレンマは、目覚めへのどんな説明も、人は夢の中で受け取るということ。

しかも自分が夢を見ていることに気づいていない。


夢の中はおびただしい数の判断に満ち、信念があり、自分の意見もあります。

それらのすべてが夢であることを指摘しても、その指摘は一つの情報として夢の中で処理されます。


夢は議論が大好きで、争いさえも引き起こします。


争いとは、人と人との争いではなく、夢と夢との争い。

それぞれが自分の夢から見ているので、争いはどちらの人も正しいのです。


いつもこのブログに、異論も反論も要らないと言っているのはそういう意味です。


もうひとつ知っておきたいのは、「少し目覚めている」という状態はないということ。

人は眠っているか起きているかのどちらかです。


繰り返しますが眠っているのが悪いわけではないですよ。

いまという無上の至福は忘れてしまいますが、だからといってあなたの本質が何か失っているわけではありません。

最初からどこにも行っていないので、道に迷っている人も、遠回りしている人も、失敗している人もいません。


だから根本的には大丈夫なのです。


その上で、もう夢にうんざりした人や、夢を夢と認識し始めた人に語りかけてきました。

なぜなら夢の人生にはこれでいいというゴールがなく、結局は同じ輪を回っているだけだから。


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さて、いくつか質問が来ていました。

>真我(私はある)と無我(私はない)が同時に真理だとしたら、矛盾を起さないように説明して頂けないでしょうか?


真我の「我」と、無我の「我」は、指しているものが違います。

無我の我は、通常我々が自分だと思っている自己を指しています。

それは夢の中の登場人物であり実際には存在していません。

したがって真実は「無我です」


真我の「我」は、存在そのもの。

これ以外には存在していない、唯一絶対の存在のことであり、あなたの本質です。

この真我であるところの本質は、夢の我が無い時に現れています。

ゆえに

真我=無我となります。



似たような話として、10年前にこのブログで、「延命十句観音経」の中の「常楽我浄」という一句を解説したとき、地上目線と宇宙目線、それぞれの「我」についても触れました。

常楽我浄3

常楽我浄7



もうひとつ質問が来ていましたが、質問の意味がわからなかったので問合せ中です。

コメント欄かこの記事上でお答えできたらと思います。


本当はなんの解説も要らず、質疑応答も要らず、ただ潔く目を覚ますだけ。

思考を取っ払って、いまあるがままの「これ」になるだけ。

にもかかわらず「これ」について思考したくなるのが夢の宿命です。



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禅サンガ5期へのお申込みありがとうございました。

締め切りは10月30日です。

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阿雲の呼吸でも伝えたいことは一つです。

2人が最初に出した講演CDも、タイトルは「アラームクロック(目覚まし時計)」


年内は東京と博多で阿雲講演があります。

東京 10月29日

博多 12月2日


2人でやっているブログも面白いですよ。

降参のススメ