今日も年齢ネタで恐縮です。
僕が昔から不思議に思っていることがあって、もしわかる人がいたら教えてください。
たとえばプロ野球の選手たち。
昔はみんなオジさんに見えたのに、最近は子供のように見える。
そりゃそうだろ、お前が歳とったんだから当然だと思うかもしれないけれど、自分の内側は変わっていないし、いつも鏡を見ているわけでもなく、自分の容姿だってイメージ上は若いまま。
それなのに、やたらとみんなが子供に見える。
昔の映画に出演している老俳優が、いま同じ映画を見てみるとけっこう若く見えたりして。
無意識に自分の年齢を自覚していると言うかもしれないけれど、僕自身はそういう気はしない。
何が変わっていくんだろう。
脳の情報処理機能かな。
たぶん、鏡も映像もなく、自分の顔を見る機会がゼロだったとしても、年齢と共に周囲が若く見えだすのだろう。
なぜだろう。
そんなこと考えたことありますか?

僕が昔から不思議に思っていることがあって、もしわかる人がいたら教えてください。
たとえばプロ野球の選手たち。
昔はみんなオジさんに見えたのに、最近は子供のように見える。
そりゃそうだろ、お前が歳とったんだから当然だと思うかもしれないけれど、自分の内側は変わっていないし、いつも鏡を見ているわけでもなく、自分の容姿だってイメージ上は若いまま。
それなのに、やたらとみんなが子供に見える。
昔の映画に出演している老俳優が、いま同じ映画を見てみるとけっこう若く見えたりして。
無意識に自分の年齢を自覚していると言うかもしれないけれど、僕自身はそういう気はしない。
何が変わっていくんだろう。
脳の情報処理機能かな。
たぶん、鏡も映像もなく、自分の顔を見る機会がゼロだったとしても、年齢と共に周囲が若く見えだすのだろう。
なぜだろう。
そんなこと考えたことありますか?

コメント
コメント一覧
若い頃はおばあちゃんとかがそう言ってても「全然顔違うじゃん!」と理解出来なかったけど(^^;)
力になりたい気持ちは山々ですが、瞑想は治療行為ではなく症状が改善するという保証はできません。
すべてはエネルギーの現れだと思っていますが、人より何かが劣っているわけではなく、むしろ敏感で深く物事を洞察する人に多いと感じています。
リラックスできたらいいですね。
おはるさん
僕も同じです。
みんな同じような顔に見えるのは関心が薄れたからだと思っていましたが、他にも理由がありそうですね。
そういえば昔、父が、若手の歌手がテレビに出るたびに
「これ、ジュリーか?」
って聞いてきたのを思い出しました。
高校生を見て若いと思ったような…
その頃は
40代50代のおじさんを見たら一世代上の人
と見えていたのが
少しずつ年をとるに連れて、同世代の老けた顔と見えて来たような
なんだかそんな記憶がうっすらとあります(笑)
顔☆顔☆
ありがとうございます
右側に移動すると、左側は子ども(若者未熟)に見える。
見ている位置が変わると、景色が変わる。中味は同じ。
だんごの串は一本なのに、それぞれの、だんごが違って見えるようなものかも。
見え方で、自分の立ち位置(自覚・自認)が解るのかも。
それが、思い込みの自覚かな。この世(夢物語の個人の自覚症状)の特徴。
だから、みんな「分かる!」と言うだろうな。
阿部さんの心が子供のように輝き、若返っているので
「たとえばプロ野球の選手たち。
昔はみんなオジさんに見えたのに、最近は子供のように見える。」
と感じるようになったのではないでしょうか^^?
失恋して心が真っ暗になっている人には
「すべてが闇に見える」
と感じられ
恋をして心が輝いている人には
「すべてが輝いて見える」
と感じられます。
心が暗くなると(>_<)
人生が暗くなり(>_<)
心が明るくなると(*´▽`*)
人生が明るくなる(*´▽`*)
すべては心の現れです^^
昔はすごく大人なお姉さんお兄さん達に見えていたけれど、いまその年代の人たちを見ると同じように感じられなかったりすることあります。
自分が歳を重ねるごとに離れた年代がの人たちが子供のように若く見えてくるのかもしれないなあ。
専門的なことはわかりませんが、脳の処理かな?と同じように思いました。体感覚とか、経験などの記憶蓄積、なんらかのフィルターみたいなものがかかって認識をつくりだしているのかな?と思ったけど、詳しいことはよくわからず。そう言われるとなんでだろう?と思う。多分脳なのでしょうが、どこがどうなって認識が変わるのだろう🤔
どうだ!的外れかな?
次元が違う場所からみるから?
これも、的外れかな?
それより、なんで、そんな問題をだしたかがきになりました。
でも、いいね。
とても分かる気がする(≧∀≦)
昔は30代とかの大人は、カッコよくて成熟してて〜頼もしくて!みたいに見えてた!
きっと年齢重ねて小さい事を気にしなくなったりして余裕が生まれると、安心感のある大人=頼もしく見えるのだろうなーと、同じく年齢を重ねた今思います。
成熟してんじゃなくて脱力してんだな笑
今の若い子がこれ聞いたらガッカリするかな笑
「無意識に自分の年齢を自覚していると言うかもしれないけれど、僕自身はそういう気はしない」
これは現在のことだと思うのですが、年少の頃は、ご自分の年齢を自覚されていて、それがために自分よりも年長である野球選手達がおじさんに見えていたということではないでしょうか。
全体的にわかくみえるようになっているように思います。
なぜだろうと思ったことはありませんでしたが
言われてみれば、なぜだろう?(笑
ただ年齢に比例して若く見える、とも限らないですね、
見え方は見た目の年齢に固定されているわけではない感じがします。
ずっとなぜだか
たぶん、とても年齢は下かもしれない人達でも
みんなお姉さんに見えるし
わぁ✧ฺ・。(✪▽✪*)・。✧ お姉さんだぁ(=゚∇゚)ボー
って思う
わたしは鏡とかウインドウに映った自分のことを見ます、常に。
そして常に印象が違う
3才の頃の写真でみたかんじと変わってないと思ったり
自分のおじいちゃん、90才くらいで亡くなった、に似て来たように
見えたり
おれは絶対そうだと感じるのだけど
もしわたしがわたしの姿を見てなくっても同じように
みんなが大人に見えると思うよ
あと、わたしは
正確に何才なのか、そしてわたしのねこたんも何才なのか
ちょっとわからなくなってる (・∀・;)
調べたり家族に聞いたらすぐにわかるけど。
あっ、(꒪꒫꒪⌯)
家族の年齢もわからないかも、
お誕生日も知っているしお祝いもするのだけど
親の年齢は知るのがこわいな、ずっといっしょにいたいから
ご存知の通り?今、起こっていることとか、感じていることとか、表面上に(表現上の意識に)出て来て、
実際に自覚出来て、認識してしまっている?事なんて、1日の上で、微々たるものでしょうし、
じゃあ、今、起こっていることを、自覚・認識して、覚えたつもりでも、明日には7割近く、忘れてしまうという、人間の研究結果もあるそうです。
人によって、状況や、インパクト感によって、変わっては来るでしょうけど・・
例えば、自分の身体の中で同時に?起こっている億・兆もの働きも、自我には、その大部分が気付かれてないですよね。
ですから、阿部さんの推測通りの、知らず、知らずのうちに、捉え方や、認識の仕方を毎日、毎瞬?更新して(プログラミング)、インプットしているとも、思われますよね。
今日は、通勤時のホーム上の綺麗に感じられる女の人たちが、同じような顔をしてるように見えました。(遠目ですよ/視力は両方とも、1.2です。)
実際には、違う個性的な顔立ちのはずなんですが、同じように感じるんですね。化粧のせいかなあ?
あてにしなきゃいけないけど、この機能、あてにならないですね。
愛するねこたんのお誕生日1週間か10日かずれて ←これもずでにどうだっかた。。。
何年もお祝いしていたことを
ことし気付いてめちゃくちゃビックリした ( Д ) ⊙ ⊙
(("o(゚∩゚*)プルプル・・
来年からは近づいたらちゃんと確認して正しい日にお祝いしたいです
=TдT=)ニャァアアアア!
みんなが子供(20代くらい〜阿部さんより年下)に見えるなら、阿部さん自身の人生の思考、経験値みたいなのは上がってるんだから、なーんか子供に見えるんじゃないんですかねぇ?
思ったことを書きましたが、全然違ったらすいません(笑
講演会で、阿部さんを初めて拝見したのは5年前。
それから時は流れ、最近は、配信動画で阿部さんを拝見しています。
5年の歳月って、大きいですね!(笑)
わたしも、自分では、「イメージ上は若いまま」なんですけど(爆)
肌のはりや艶、髪の毛の量や艶、シワやシミ、筋肉のたるみや骨格の崩れ。。
挙げたらキリがありませんが、女性は特に外見に拘るので、
自他を問わず、容姿の変化にはとても敏感です(笑)
それで、すぐ、アンチエイジングの宣伝文句にひっかかり、
高い化粧品を買ってしまう、という化粧品会社の思う壺にはまってしまうのでしょうね(笑)
「若い人」という言葉を使うこと自体、若者でない証拠かもしれません?
内側は永遠に不変だけれども、外側はそうじゃないということを、
人間は、肉体の老化を通して、思い知らされますね。
肉体の変化は、完全自動プログラム。
「時」は無い、と言う人もいるけれど、
肉体の変化に、「時」を感じてしまうのが、人間なのでしょうね。
(阿部さんの質問へのヒントには全くなっていないコメントで、申し訳ありません、笑)
阿部さんのブログを拝見させていただいて、そこからさとうみつろうさんを知りました。
さとうみつろうさんがすすめているミソカモウデに今日初めて行きました。
起きた時は、学校まで時間もあるし、家の近くの神社に行こうかなぁと思っていたら、
母親が今から車使うから学校行くなら一緒に出て!と言われ、車に乗せられました。
代わりに、通学路ですがいつもは降りない駅におろされ、そこの近くの神社に行きました。
とてもすがすがしい風がふいていてとてもいい雰囲気でした。
お参りの際、感謝を伝えているとなぜか涙がでてきたので恥ずかしくて神社を出ようとしたら、
神社のことが書かれているお札がありました。
それを読んでいると、そこに国常立尊と書かれていて、
歴史などは頭に入らなかったのにそこだけ目が釘づけになりました。
とても驚いたとともにまた涙が出てきました。
国常立尊という存在を阿部さんのブログで知ったので
お伝えしたくてコメントさせていただきました。
1947年のデータを見ると、男性が約50歳、女性が53歳。
戦後70年経って、日本人は30年以上長生きになっています。
例えば同じ30歳でも、昭和初期と今の人を比べると、肉体は若い状態を保っているのかもしれません。社会的な影響も、若さと関係しているのですかね。
ちなみに笠智衆が「東京物語」に出演した時の年齢が49歳。
福山雅治のひとつ上です。
>たぶん、鏡も映像もなく、自分の顔を見る機会がゼロだったとしても、年齢と共に周囲が若く見えだすのだろう。
>なぜだろう。
そろそろ、お迎えが近いから?
周りが若く見える夢をみせられているから。
そんな風に予めダウンロードされてるから。
「対象として認識した時に起こる時間感覚的なこと」ではちょっと投げやりな答えでしょうか?(苦笑)
例えば、対象として誰かを目にした時、その人を定義するいろいろな印象が起こります。
・若く見えるとか年老いて見える
・綺麗に見えるだとか野暮ったく見える
・偉そうに見えるとか自身なさそうに見える などなど
子供の頃、年齢という時間的尺度が身について、年齢が上だとか下ということに意味を持たせた習慣の名残で起こっているのではないでしょうか?
おそらく、阿部さんの中では年齢的に若いとか年老いていることに意味を持ってらっしゃらないけれども、過去の習慣がクセとして"いまここ"に現れているだけなのではないかと。
「○○に見える」の○○のようなレッテル貼りは、潜在意識下に隠れているクセに過ぎないので意味はなく、"見る(見える)こと"だけがその場で唯一起こっていることですから。
私も今時の芸能人の名前と顔はまったく分かりません。
昔は、芸能人の名前を言い当てられないと回りから馬鹿にされると思って、必死に芸能人という対象の名前を覚えました。
でも、芸能人の名前なんて知らなくても生きる上で何も問題が無いことを知ってから、名前を覚えることを一切諦めました。
でも、阿部さんと南こうせつや吉田拓郎の顔は、いまでも判別できますよ(笑)
だって、知らないとミュージック・シーンを語れない時代に生きてましたから(爆)
普段は忘れていますが、脳に記憶として残ってる様で、伝説のフォクシンガー達の識別は瞬時に無意識に起こります。
昔より余計にアイドルの顔見分けにくくなりました。
ユニットチーム人数が半端ないですし。
子供と会話してると自然に顔覚えられました。
それぞれに個性がありますよ。
全部同じ顔にみえるのは、
自分と関わりのない人間だからじゃないですか。
歳をとってきて周りが若くみえるのは、なぜでしょうかね?
自分はまだその体感はないのですが。
このブログの内容は降参のススメ向きでは
ないですか。
私達は地球に生まれた時点で、3次元の
思考システムが、初期設定としてなされています。
その思考システムによるものの一つです。
個人差はありますが。
悟りの領域が定着すると、思考回路は変わります。
シナプス自体も細かい領域になり、通り道も変わるんですよね。
阿部さんも記事にはしても、けっこうそういう思考もサラサラ流せているのではないかと、思うけど^_^
そういうの、楽しんでるカンジ♪
我が家でよくあるお話しです。息子がテレビに映った一般の人を見て、この人〇〇さん(芸能人)によく似てるねって言う会話をするのですが、10人中10人はぁ?って思うほど似ていないのです。主人にも娘にも全然違うよって総攻撃されているのですが息子にはそう見えているんですよね。同じものを見ているつもりがそうではないのですね。私の顔も一つじゃないのかな。
全く関係の無いお話でごめんなさい。
若いというか、自分とあまり変わらんなーと(笑)
昔から世界はけっこう若い人がリードしてるのですよね。
不思議ですよね~
阿部さんの中の“すべてに愛おしい思い”が表面的にも溢れてるから
まわりも若く、輝いて見えるんだと思うo(^-^)o
若く感じたということなんですね。
当たり前です。みんな、若かったですよ。。
阿部さんお歳をめしたことを、本当は認めたくないとかじゃないですよね?
>最近は子供のように見える。・・・精神が、卓越してるので、親と子の関係のように 子の精神が見て取れているではないですかね?だって、自我の全体というか、他者の思考回路と個性の成り立ちって、そこを俯瞰してみれば、子供が遊んでいるようにも 観えなくもないでしょう。
肉の眼で観ている訳でなく・・・感性と知性でみられているのではないでしょうか。
自分も歳を重ねているはずなのに
周りの人の時間が 早く過ぎて行っているように思える
何でしょうね?
若く見えるかはともかく、自分の中で外側の評価がガラッと変わるときがあります。
執着を手放したとき、解放が起きたとき、思い込みに気がついたとき・・・
ようは、自分の価値基準が変わったということ。
自分のフィルターが取れていき、「あるがまま」に近づいている・・・。
これが発動してしまうと、もう元には戻れないw
ストーリーが色褪せていく。
智子さんもですかぁ。
もっと上・上・0・下・もっと下
と自動認識&相対評価している
のかもしれませんね。
いくつになっても自分が大して変わらず子供のような人間だから、
周りの人も自分と同じような子供だということがわかってくる。
年を経るごとに、この先いくつになってもやっぱり自分は子供のままだろう、
という思いを深めるから、年上の人も年々、子供に見えてくる。・・・という理屈がつけられる。
阿部さんの
> むしろ敏感で深く物事を洞察する人に多いと感じています。
私もその嫌いがある。
敏感な人は傷つきやすい。小さなことでくよくよ悩む、生きづらい。
敏感な人たちへ
同志よ、何かいいことあったら教えてください。
ずっと記事を読ませていただいています。
心底ホッとできて、大丈夫なんだって、とても助けられています。
ありがとうございます。
今の自分自身の状態が目の前の人に映し出されているのではないかな?
なんて感じます・・・輝いている時は、ほかの人もそう見える。
阿部ちゃんがピュアで若若しいという事ではないでしょうか^^v
年は取りたくないって思う時って、なんか疲れている時、抵抗している時なんですよね。
お互いのエネルギーを感じやすくなっている気がしますね。嘘がつけないっていうか・・
すると、周りがガキっぽく見える所があるのでしょうか?不思議です。
>>『肉の眼で観ている訳でなく・・・感性と知性でみられているのではないでしょうか。』
基本的に、いつでも、今ここに寛いでいると、見ることよりも、“感じること”が先に始まり、、続いて、・・“観る”ということが着いて起こって来る・・という知覚の仕方の配分になってしまっているのを発見できます。
今ここに、寛いでいなくとも、最初に感じることが起きることはありますが・・
その割合が、違うようですね。。
目のかすみ。
ガードレールを昔なら、ハードル代わりにして飛び越えたのに
いまは、できなくなったから。
自然に歳を感じるシステムになってる。
体の機能的に。
木も春夏秋冬で、表す姿は全く違うし、地球のシステム上そんな作りになってる。
なぜかはわからない。
変化して、滅びゆく過程もあじわうためか、なぜ、老いのシステムがあるのだろう。
森羅万象のなかで、必要なことなのかな・?
若いままの姿でなぜ、いられない設定になってるの?
不思議がいっぱい。
第三者がかかわるか
今夜中にオープンキャンパスのどうがを見るので。
自分が歳を重ねたら、周囲が若く見えること。
これを感じたことはあるのですが、なぜだろうと考えたことはなかったです。
今回、考えてみました(^_^)
🍇🍇🍇🍇🍇
肉体を持つ間は、対象となる他人が登場してきますので、自分の肉体年齢や性別も?認識するよう、そのように作られているのではないでしょうか。
なぜなら、その認識を元に、相手を対象化できると思うので。
私は◯◯という認識があって初めて、あの人は◇◇と対象化できる。
対象化することは、現象界を生きる上で、必要があることだとすると、
なぜだろう?の答えは、現象界で必要な自我の認識機能だから。
となるとか?(^_^;)
年取ったってことだよね、くらいに思っていました...
たまたま昨日、久しぶりにプロ野球中継を見て「若っ!」ってびっくりしてたとこです。
少し前まではお兄様たちだったのに・・・
その話とは違いますが、小学校や中学校の時の先生とか、
周りにいた人たちを思い出すとき、
例えばそのころ先生方は20代か30代くらいだったはずですが、
「思い出す顔」はそれなにりに年を取っているのです。
それがずっと不思議でしょうがありません。
そんなことはないですか?
逆に質問しちゃった!
私だけかなぁ・・・
でも俺は二十歳の子と居ても
同等のつもりでいる43歳(笑)
二十歳の娘には
オヤジの勘違いが恥ずかしいと言われる(笑)
笑点の桂歌丸師匠は、30年以上前(=当時自分は小学生)の頃から『おじいちゃん』ですし(笑)
林家こん平師匠は当時は超元気な『おっさん』でしたが・・・・・
病の後の今は、とんでもなく『おじいさん』に感じてしまって、ちょっとショック。
現・三遊亭圓楽師匠は、当時も今も、年齢が変わった感じはしません。
三遊亭 小遊三師匠は、当時も今も『そのまんまスケベ親父』(笑)
林家木久扇師匠は、『そのまんま』年齢を重ねられた感じがします。
あと一人忘れてる気が・・・まいっか(ぉ
さんま大先生に出てた内山君も、全く年取った気はしませんねぇ(笑)
高田純次は、年齢重ねるごとにイケメン度が上がってる感じで、年取ってるんだか若返ってんだか不明な謎キャラです(笑)
自分の場合、外見だけじゃなく、伝わってくる感じ(?)みたいなのも、年齢感覚に影響してると思ってます。
阿部さんは、ネット動画越しだけ拝見してますが、別の意味で『年齢』を感じないです。
伝わってくる感じが、優しく包み込んでくれる『大人』のようでもあり、また無著な『子供』のようでもあり・・・・・
「無邪気な」です。
確かに、記憶に残るプロ野球選手達は皆一様に親戚のおじさん年代レベルで見えてましたねw
野球の話題出たんで…
例えば夏の甲子園球児達、グラウンド上で見る彼等の年齢を意識する概念がそもそも自分にはなく、あくまでプレイヤーとして観ているので、都道府県代表として勝ち抜いて来た子達は、それは凛々しくて皆カッコよく見えますもんね。
既に他界している母の若かりし頃の写真はその実年齢よりすっかり落ち着いた雰囲気の大人の女性に見えますし、
憧れや尊敬とか諸々で意識的に実年齢と言うより精神年齢が既に上をいっちゃってる感じですかね。
やばいなー、自分は何でも見切り発車的傾向が見られ、いつも後悔先に立たず…でもそこまでしないと逆に動けないと言うジレンマに悩まされます。汗
なので、周りに年下であっても、冷静に判断が出来る人は動きに無駄がなく思考もスマートなんで、自分よりはるかに落ち着いていて見えますもんね。
樹木に例えると年輪重ねてw
ずっしり幹が大きくなってるはずなんだけどwおかしいなー、汗
成長遅いぞ、自分(-.-;)y-~~~
ですが!今回オープンキャンパスのお陰で、禅の素晴らしさを一層知る事ができ、今回身につけた習慣こそが後に力となってくれるものと思います。。皆さんのご意見も大変参考になりました。
日々の生活においても常に禅の心で物事を捉える事が出来るように、
大地にしっかり根を張り大きな幹となり花を咲かせる様に頑張りまーす!
阿部さんと皆様にもホント感謝です!
良いキッカケを下さり
本当にありがとうございましたm(_ _)m
阿部さんて、誰を見ても、その人の年齢どころか、状況、状態関わらず常に在る、
純粋な『それ』を感じているのではないですか?
だったら、『子供』に見えても不思議ではないと思いました。
『子供』が一番、純粋な『それ』のままに動き回っていると思うので・・・・・
どんな人でも、『年齢』等という『社会的役割』の『内側』に在る、
子供のような『それ』を感じているんだろうと思いました。
皆同じ顔に見えるというところで、
式神を思い起こしてしまいました。
それにしても、阿部さんの仰っていること、そんなに不思議なことですかね~?
娘に、「昔はみんなオジさんに見えたのに、最近は子供のように見える」と言われたら、
そりゃ、驚きますが、
旦那が、同じことを言っても、「そりゃ、そうでしょ?(当たり前!)」としか思わない(笑)
20歳ごろまでは、2、3歳年上でも、お兄さん、お姉さんと感じたものですが、
今は、そのくらいの差は、年の差とも思わない。
10歳くらい離れていれば、年の差を感じるけれども・・・
(そのくらい離れていると、興味の対象が違ってくるようで、話を合わせづらくなる、笑)
それより、外見の見た目はどうでも、年相応の体の老化現象と向き合うこの頃。
還暦を過ぎると、無理が利かなくなってきているな、と感じることしきり(笑)
(亡くなった母もよくボヤいていましたっけ・・)
阿部さんも、無理なさりませんように。
(イメージ上は、若いままでも・・同世代なので、笑)
阿部さんは死を経験したことがありませんよね?
なのに何故、死んでも″それ″はあり続けると断言出来るのですか?
みんなガキに見える。
ってことか。
な。の深夜です。
いつの頃からか、TVを見てて、出演者が若い!と感じられるようになりました。
その頃から、TVを見ていて、あんなに楽しかったのにちっとも面白く感じなくなりました。
しかし、いつの頃だか、また、TVを見るのが楽しくなりました。
その頃とは違う視点でTVが見れるようになったのだと思います。
…ある瞬間、ふと、少しでも肉体の衰えを感じたことを脳が記憶しているように感じます。
その時点で、無意識に自分の立ち位置が自然と修正されているように思います。
その瞬間は自分にとっては驚きでしたから…。
OKでしょうか? 遅れましてごめんなさい。
人を許せるようになってきたから。神の目で見てるから。
人はみな神の子だから、神の目で見ると子供に見える。
若い時にはいけすかなかった連中も、神の目からすれば
そのいけすかなかさが愛おしく感じる。
>死んでも″それ″はあり続けると断言出来るのですか?・・・それが 自分を知ることであり、阿部さんのように断言できないと、自分のことは想像でしかなくなりますよね、にぃさま。
ジュリーアンドリュースのことかな?
「若い」ではなく周りを「かわいい」と思ってしまうことが多いようです。
子供が可愛いのは当然のことですが、中学生、高校生も、不思議なことに年配の人とかも「自然体」な時とか、そう思うことがあり、自分自身が「自分は何様だよ」と思うことがあります。
多分、表面的なものでなく、内面的なものじゃないかな。という感じです。
(仮に相手側から何らかの攻撃性を感じた経験がある場合は、「かわいい」とは思えませんし、単純にムカつくようです)
こんな私ですが、自分の幼少期をから、ある程度までの時期を見ても
「可愛かった~」と思った時があまりないです。他しか見えていないのかも^^;
我が子には「子供っぽい」と言われることがあるけど、自分では意外な感じがするし、
自分自身では矛盾を感じています。無意識に取り戻そうとしているのかな~?
阿部さんは若い頃どのように過ごされていましたか?
自分の勝手な持論ですが、「いま」が一番リアルとはいえ、
結局は過去も未来も繋がっている。そんな気がするのですが・・・
過去に引っかかりをもつと、今がどうしてもね・・・
全体の流れとして「仕方ない」ことかもしれないですけど、
どこかで補おうとすることがあるかもしれないな~と感じることはあります。
結局、答えって自分が持っているんじゃないかな?
以下がその文章のなかの抜粋です。
>ひとつ」ということ
「ひとつ」というのはどういうことかと言うと、この世には「自分」しか存在していないということです。
この世のすべての人たち、その一人一人の中で生きているのは、他ならぬあなた自身ということです。
顔、体格、声、喋り方、センス、性格、育ち、教育、その他もろもろ違いばかりが目につきますが、その違いは外側のフィルターの違いであって、その奥に存在するのは一つの同じ命(魂)です。
僕たちは外側の違いに惑わされて、その人と自分はまったく違う存在だと思いがちなのですが、実際にはその人の目を通してこちらを見つめているのは、自分なのです。
(正解は人の数だけ存在しますが、
表現が違うだけで、この内容と近いコメントもありましたね。)
そういう意味じゃみんな不正解。
見当外れか、すでに阿部さん自身で考えていることか。
BJさん、フォローありがとうございます。
顕在意識では、「年を取った証拠だよ」で終わるのだが、何故か腑に落ちないものが残る。
それは、潜在意識は「変化を嫌う」ので、「何も変わっていない若いままの自分」があるからだ。
と、愚考いたしました。
>この世のすべての人たち、その一人一人の中で生きているのは、他ならぬあなた自身ということです。
やっぱりこういうことって、アリですよね。矛盾ではなかったのかも・・
改めて、自覚がないのは怖いですが、気づきを認めようと思います。ありがとうございました。
例えば前の「いまここ」のトップページの背景の画像のサーフボード
それを見て,サーフィンをやったことなくて
エネルギーが低下して,今後やりはじめる体力,気力が湧かなかったら
((日射しで体力が奪われるので)カンカンに晴れた日に,海なんかへ行かないな!)
(たとえ海へ行ったとしても,サーフィンという選択肢はないな.)
(サーフボードという選択肢を挙げるこの人は,若い(に違いない)な.)
と思う.
TV で肉体からエネルギーの溢れる野球選手の動きを見て,
((エネルギーの低下した)オレならばこの動きはないな.)
というふうに,肉体のエネルギー状態を見て,比較して,若いと判断してるのでは?
体にエネルギーが溢れ,同程度に楽しく動けると,彼らを見て
(同じぐらいだな)
と思う.
オレは若いと判断すると,若い人と同じ動きをしようとするので,怪我するかもしれない
怪我したら肉体が老化してるので,治りが遅い.治らないで死ぬかもしれない.
彼らはオレと違って若いと判断すると,若い人と同じ動きをしようとしないでゆっくり,慎重に動いて怪我しにくい.
生きようとする肉体の機能でない?
阿部さんはわからないけど,オレは下記のように思います.
●社会的な年寄り
・年をとった人はなぜ他人を若いと思うようになるのか?①
街で出会う人は,パッと見で他人をカテゴライズする.
年をとった人を年寄りとカテゴライズする.
そして
(年寄りはエネルギーが少ないので,仲よくしてもメリットがない.)
と思う.だからなにか利用価値を思いつかない限り
(年寄りに関わるのは時間の無駄.関わりたくない.)
と思う.つまり街で年をとった人の社会的地位は低い.
また外見で他人を好ましくないか,そうでないかの 2 種に分ける.
好ましくないになると邪険に接っせられる.
その結果,好ましくない年寄りは,普通かそれ以上の年寄りより,大きく社会的地位が低下したと思う.
このように年をとると街での社会的地位は低下する.
低下した社会的地位のバランスを取るため,年をとった人は他人を若いとカテゴライズして,見下すことで,社会的地位を上げる.
つまり低下した社会的地位を上げるため,他人を若いと思う.
・年をとった人はなぜ他人を若いと思うようになるのか?②
年をとると,利用できる肉体のエネルギーが少なくなる.そのため保守的になる.
そして若いときより,生きるのに他人の助力が必要と思う.
しかし肉体のエネルギーが少ないので,他人へ対応できなくなったり,集中力が低下して,他人の面倒を解決できなくなるなど,他人の助力になれなくなる.
そこで他人を若いとカテゴライズすることにより,
(若い人と違う.過去に十分助力した.そのため今,エネルギーを消費しないで他人の助力を受けれる.)
と考えることができる.
つまり肉体的に他人へ助力しないで,他人の助力を受けることを許可する理由を考えるため
・年をとった人はなぜ社会的に高い地位が必要と思うか?
社会的地位が高いと,得られる他人の助力が大きいと思うため
同じ年齢でも昭和時代の人と今の人とでは確実に違うと思います。
昔のテレビドラマの再放送などを見ても、役者さんが例えば30歳くらいの人でも、
今の30歳代の役者さんとでは、見た目が10歳くらいの年齢差があります。
メイクの仕方や化粧品そのものの質も上がっていることは否めませんが、
それでも確実に今の人のほうが肉体的には若いと思います。