母の旧姓は阿部さんからの質問

質問です。
阿部さんは死を経験したことがありませんよね?
なのに何故、死んでも″それ″はあり続けると断言出来るのですか?


とてもいい質問ですね。

あなたの他にも同様の疑問を持っている人もいるかと思います。

でもこういうことってなぜか聞きにくいですよね。


僕がここに書いてきたことは知識ではありません。

自らの経験に基づいて書いています。

あなたが言うようにこの肉体が

「ご臨終です」

と言われたことはないのですが、

「あー、死ぬとはこういうことか」

という体験はあります。

ここが表現の難しさですが、その時それを体験している自分は消えていて、その次元の認識だけが存在しています。


その次元の存在は、生まれることも死ぬこともなく、永遠のいまの中に在り続けています。

しかもこともあろうに、その存在こそが本当の自分であることを、疑う余地なく確信するのです。

さらには、あらゆる生命体がその存在によって生かされていることも分かります。

当然、あなたもね。


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最初にその次元があらわになった時は、あまりの衝撃と、肉体を超えたエクスタシーで、特別な体験をしたような気がします。

しかしやがて、その次元が当たり前に定着しだすと、それを内側に携えながら、この夢の人生を生きることになります。


だからと言って完璧な人格になるわけでも、高い徳が身についているわけでもありません。

人格も徳も、人間が描く価値観であって、実際にはあるがままに、善から悪まで、あらゆる可能性を持った生身の人間として在り続けます。

これは誰もが同じです。

そもそも特別な人などいないのです。

自分を特別に見せたい人は多いですけどね。


さてこのよう話は、僕にとっては揺るぎない真実ですが、それを聞く者にとっては情報の一つであり仮説に過ぎません。

科学の発見であれば客観性があるので、一人が発見すればただちに世界中で共有できますが、内的な発見はどこまでいっても主観的、個的なものです。

ですから一人一人が内なる本当の自分を発見していくしかないのです。



このような文章を書くと、言葉尻を捕まえてあれこれ言いたがる人がいますが、そういうリアクションを想像して書くと、筆が進まなくなることがあります。

今日は一気に書かせてもらいました(^_^)


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