かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

カテゴリ: 独り言

あっという間の一日でした。 昼食に古謝美佐子さんをお誘いして、インド料理を食べに行った以外は、ずっと家の中で過ごしました。 今日は一日「連合赤軍デー」だったようで、何をいまさらと思う人もいるかもしれませんが、そこから見えてくる人間という摩訶不思議な生 ... 続きを読む
あっという間の一日でした。

昼食に古謝美佐子さんをお誘いして、インド料理を食べに行った以外は、ずっと家の中で過ごしました。

今日は一日「連合赤軍デー」だったようで、何をいまさらと思う人もいるかもしれませんが、そこから見えてくる人間という摩訶不思議な生き物の姿があるのです。


興味のない人はまたスルーしてください。




何事も「これはこうだ!」と決められない最たるものが「人間」。


たとえば昼間書いた、連合赤軍事件の責任者たちのゆがんだ人間性は、彼ら特有のものではなく、僕のなかにもあるってことです。


それが特殊な条件下で発揮されてしまう。


どの時点で発揮されるのか、あるいは発揮されないのか、その条件が違うだけかもしれません。


これは、いまだにタブー視されているオウム事件も同じことで、社会は受け入れ難い事件を理解するために、非常に安易な結論を下してわかった様な気になっているけれど、正邪を決めつける態度から導き出される結論は、時に短絡的だということも忘れてはいけないと思います。




いけない!

言いたいことが湧き出してくる。




ここでは、それらを解明しようとすることが目的ではなく、今日は一日そんなふうに思索の中で過ごしましたという日記代わりの記事です。



明日から仕事が始まる人も多いのでしょうね。

頑張ってください。





僕たちの意識がさらにさらに高く飛翔しますように。


2008年5月6日   

自宅リビングにて
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こうして毎朝パソコンの前に坐り、何を書こうか考えています。 そして、何かひらめくと一気に書き上げます。 同じテーマがひらめいたとしても、書く時間が一時間違えば、文体も内容も微妙に違ってくるので、ブログの記事というのは、書く側にとってもまさに一期一会 ... 続きを読む
こうして毎朝パソコンの前に坐り、何を書こうか考えています。

そして、何かひらめくと一気に書き上げます。


同じテーマがひらめいたとしても、書く時間が一時間違えば、文体も内容も微妙に違ってくるので、ブログの記事というのは、書く側にとってもまさに一期一会の出会いです。





何気なく書いたつもりの記事が、特定の人にとって、まさに出会うべくして出会った記事で、その時の悩み事の解決につながったとか、タイムリーな情報だったというメールを頂くことがあります。


たとえば昨日も、「あなたは死なない」という記事を書きましたが、東京の親しい友人からメールをもらい、彼のお父様がその前日に亡くなられたのだそうです。

いつもこのブログを覗いてくれているようですが、わずかでも彼への力づけになれたとしたらよかったと思います。




一方でアドバイスもいただきます。


たとえば僕自身が長く生きてきて気づいたことを基にして、「自分の都合に固執することなく他者の幸せのために生きた時、自分の夢や希望が次々と叶いだす」ということの不思議を書きました。


するとある方からメールを頂き、自分を差し置いて他者のために生きることが、自己犠牲につながり、病気の原因になる人がいるとの指摘でした。


なるほど・・・僕のように「自分!自分!」で生きてきた人間には大きな気づきでも、反対に自分を出すことができずに、いつも他者を優先して生きてきたタイプの人にとっては、あてはまらないメッセージだったかもしれません。


むしろ、そのような人には、「もっと自分を大切に」という内容のほうが役にたったことでしょう。




いつでも誰にでも当てはまる普遍的なメッセージは少ないのかもしれません。

同じ言葉でもその時々で、必要としている人や、むしろそれが邪魔になる人、それぞれだと思います。



だから言葉を鵜呑みにすることなく、自分にとってどのような意味があるのかという観点から読むことが大切なのかもしれません。




いや、ちょっと待ってください。
今書いた「自分にとってどのような意味があるのか・・・・」という言葉さえも、人によっては、いつもそのように自分の中で文章を判断してしまうことで、作者が何を言おうとしているのかを取り逃がしてしまうタイプもいて、そのような人はむしろ自分をいったん空っぽにして、ありのままの内容を感じてみることが必要かもしれません。


何事も、信頼した分だけ受け取るからです。



あははニコニコ、文章というのは読み手の解釈に委ねるという宿命があるので限界がありますね。



そんなこんなを考えると、何も書けなくなってしまうので、今日も思いつくままつらつらと書きつづってみました。



こうした僕の毎朝の日課が、ほんのわずかでも誰かの心に響き、時には少しでも心が軽くなってくれたらと思います。


これからも心を込めて記事を書いていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。





今日もここに来てくれてありがとうござました。







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PS

このブログと並行して書いている裏ブログの随(かんながら)神では、この数日間、「自我」に関するメッセージを、チベット仏教の観点から解説しています。
少し難解かもしれませんが、興味がある人は覗いてみてください。
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こうやってブログを書いていて思うこと。 最近ちょっとスランプかな。 この1,2週間なんだけど、どうも書いていてしっくりこない。 実は今朝も、ひとつの記事を書いたのだけど、気に入らないからボツにした。 そんなことはよくあるけど、このところそ ... 続きを読む


こうやってブログを書いていて思うこと。

最近ちょっとスランプかな。


この1,2週間なんだけど、どうも書いていてしっくりこない。


実は今朝も、ひとつの記事を書いたのだけど、気に入らないからボツにした。

そんなことはよくあるけど、このところそれが多いような気がする。

人の悪口書いていたときが一番イキイキしていたかも(笑)



それほど大きな期待はされていないのだろうけど、いいこと書かなきゃみたいな使命感があって、それがあるから自然な言葉が出てこないのかな。


ちょっと大声でも出して、気分を変えてみるか。



うぎゃ!

ふぎゃ!

ぶぎゅ!

ばきゅーん!


・・・・・・・

ガ-ン



もっと力を抜いて、等身大の記事を書いていけばいいんだろうな。



何をやっても真剣になると必ず定期的にスランプが訪れる気がする。

スポーツ選手も作曲家も、みんなそうだと思う。

バイオリズムみたいなものだろうか。



おお、今気がついた。


ブログがスランプってことは、このブログに真剣になって取り組んできたって証拠じゃないか。


そうだよ。

けっこう無私な気持ちで、少しでも誰かの気持ちが軽くなりますようにって頑張ってきたんだ。


えらい、えらい。


あはは、オレってえらいかも。


あれ、ちょっと気分がよくなってきた。



よっしゃ、日中は身体を動かして気分転換でもするか。

今夜は122回目の「いまここ塾」だよ。

みなさん、いらしてください。



このブログは、この記事で990個目。

そりゃあなた、スランプにもなるよね。



そんなわけで、早くこの状態から抜けたいと思う今日この頃です。





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今朝目が覚めた時、すごく違和感を持った。 僕と同じような人がいるかもしれないから、書いてみるね。 実はこの違和感は、なにかの拍子にふっと感じ続けてきたんだ。 どんな違和感かと言うと、何故こんな世界に生まれてしまったのかということ。 元はま ... 続きを読む


今朝目が覚めた時、すごく違和感を持った。

僕と同じような人がいるかもしれないから、書いてみるね。



実はこの違和感は、なにかの拍子にふっと感じ続けてきたんだ。

どんな違和感かと言うと、何故こんな世界に生まれてしまったのかということ。

元はまったく違う世界に住んでいたような気がする。



今日はそんなひとり言を言わせてください。





この感覚は子供の頃からあった。


愛と調和の星で生きていたのに、そこで何かの罪を犯して、罰としてこの過酷な星に星流し(島流し)にあったんじゃないかってね。


そのうち修業でこの星にやってきたと考えるようになり、その後は、少しでもこの世界をよくするための任務を負ってやってきたと考えるようになった。


そうとでも考えない限り、この違和感が埋まらないんだ。



でもよくよく考えてみれば、こんな世界を作っている責任の一端は僕にもあるわけで、自分のことを差し置いて、よく言えたもんだという気もする。




テレビの音で目覚めた時は、その違和感が著しい。

誰が誰を殺したとか、どのような手口で殺したとか、信じられないような情報が事細かく次から次へと流されていく。


そのような内容を庶民が好んで見るからテレビも流すわけで、この世界はよほど怖い話や不幸な話が好きだということだろう。



毎日飢えで多くの人が死んでいるのに、豊かな国では食べ物の40%を投棄し、人は人を信用せず、自然を破壊し、動物を虐待してその死骸を食している。

そんな人たちがジョンレノンの「イマジン」を歌い、平和運動に参加し、地球環境を訴える。

自分達の宗教だけが正しいと信じ、信者の獲得に余念がない善良な人たち。



そうなんだ、僕が絶望的になるのは、こんな世の中を作り出している多くの人たちが善良な人たちだということだ。

少なくとも、自分では自分をそのように思っている人が大多数だということだ。



もし皆が、自分の考え方や行為を深く見つめなおし、なんとか自分を改善しなくてはと真剣に考えて生きていれば希望もあるけれど、残念ながらそうじゃない。





じゃ、どうしたらいいんだろう。


もしかしたら道はひとつしかないのかもしれない。


大病を患ったときに、初めて自分の健康に真剣に取り組むのと同じで、この世界のシステムが根底から破壊されるような何かを待つしかないのかもしれない


それは環境破壊による天変地異なのか、株価が大暴落して世界経済が破綻するのか、とにかく人類全体がどうしようもない状態に追い込まれて初めて、みんなで何とかしなければという思いが湧いて、世界統一政府が樹立されるのかもしれない。


そのときに、この世の基本理念は「愛」しかないと気づいて、やっと幸せのありかを見つけて、そこから本当の文化が始まっていくのかもしれない。




そうだ、そうに違いない。

だからこんなに環境破壊が進んだんだ。




なんてことを3秒くらいで考えて、そして目を覚ました今朝の僕でした。




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自殺したいって思ったことある? 僕はあるよ。 最初は高2の時だった。 親元を離れた寮生活で、学校にも友達にも馴染めず、何ともいえない孤独感の中で、生きていても仕方ないって思ったっけ。 猛スピードで走り去るトラックに後ろから轢いてもらいた ... 続きを読む



自殺したいって思ったことある?

僕はあるよ。


最初は高2の時だった。

親元を離れた寮生活で、学校にも友達にも馴染めず、何ともいえない孤独感の中で、生きていても仕方ないって思ったっけ。


猛スピードで走り去るトラックに後ろから轢いてもらいたいと願って、歩道のない国道を車線ギリギリに歩いていた。

自殺じゃ親が哀れだけど、交通事故じゃ仕方ないと思ってくれるかなって、変な理屈を持っていた。


その重い倦怠感がスっと消えたのは、中学の頃の友人からの一通の年賀状だった。



僕を忘れずにいてくれた事がとにかく嬉しくてね。


たったそれだけのことで、あ~僕は一人じゃないって思えた。

年賀状を出した本人はそんなつもりじゃなかっただろうけど、今でもそこに書かれた絵柄をはっきりと覚えている。


ほんの小さなことで救われることってあるんだなって思った。




その後も死にたいと思ったことは数え切れないほどある。

でも本当には死ぬ勇気もなくて、「死にたい」と考えることで、その時の自分の悩みや苦しみを慰めていたのかもしれない。

だって、その気になれば死という手段があるって思えば、少し気が楽になるしね。



30歳になったばかりのころも、毎日のように死の誘惑の中で暮らしていた。

その時は仕事も人生も八方ふさがりで、この先どうなっていくのかすごく不安だった。

自分という存在が無くなってしまえば、どんなにか楽だろうって、そのためには死ぬしかないって思っていた。



そんな絶望的な毎日の中で、何の前触れもなく「真理」が僕を照らした。

それまでまったくの無神論者だった僕が、生まれて初めて魂や霊性に触れた瞬間だった。



いま思うのは、自殺しても「自分」は死ねないって事。

自殺は無知な手段だって事。



でもあの時は、「自分」が根底から死んだんだ。

生きながらにして、僕自身が完璧に消えた。

「僕」という幻想が、霧のように消えてしまった。


そこに想像を超える祝福が待っていたんだ。

僕たちがいつも限りない愛の中で守られ生かされている事を目の当たりにした。




僕は思う。

自殺したいくらいに人生に疲れ、悩み苦しんでいる人は、大きなチャンスの前にいるって。

それは人生にいいことが起きて、また希望が持てるとかいう話じゃなくて、根底から自分が変わり、永遠の救いに到達する、そんなチャンスを迎えていると思う。



毎年おびただしい数の自殺者がいるよね。


9年連続で、自殺者の数が3万人を超えたんだって。

この10年間だけでも30数万人の人間が自ら命を絶ったことになる。


救急車や病院で命が助かって、自殺未遂に終わった人はこの4倍。

自殺願望者にいたっては、この10倍以上の数にのぼるという。


その理由は様々だろうが、この中には、もし近くに真理に導いてくれる人がいれば、人生最大の好機を迎えていた人が数多く含まれていると思う。




そんなことを考えてラジオなどの活動をしているのは、僕自身が通った道だから。



ほんのわずかでも、力になれたらと思う今日この頃です。





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ラジオ局からの帰り、自転車で走っていたら涼しい風が僕を包んで通り過ぎた。 そしたら、すごく幸せな気持ちが体の中から沸きあがってきた。 不思議だな。 何があったわけじゃないのに、こうして生かされていることの喜び、本当はいつも幸せだったんだ。 ... 続きを読む
ラジオ局からの帰り、自転車で走っていたら涼しい風が僕を包んで通り過ぎた。

そしたら、すごく幸せな気持ちが体の中から沸きあがってきた。


不思議だな。


何があったわけじゃないのに、こうして生かされていることの喜び、本当はいつも幸せだったんだ。


本当は全部与えてもらっていたんだね。


ありがとう。



こうしてあなたとめぐり合った奇跡を、誰に感謝したらいいんだろう。






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きのう、ふと自分の若い頃のことを思い出した。 思い出はたくさんあるけれど、どれも美化されたものばかりで、本当はみっともないことや、人に言えないようなことがたくさんあったと思うんだけど、そういうことって都合よく忘れていると思った。 毎日を生き残る ... 続きを読む


きのう、ふと自分の若い頃のことを思い出した。

思い出はたくさんあるけれど、どれも美化されたものばかりで、本当はみっともないことや、人に言えないようなことがたくさんあったと思うんだけど、そういうことって都合よく忘れていると思った。


毎日を生き残るのに懸命で、人に気に入られるような自分を演じ、損得ばかりを考え、心にもないことを言い、本当のところ他者に対する真心からの言動ではないから、時間の問題でメッキがはがれてしまったこともたくさんあったな。

うまく演じていたつもりだったけど、人はみんな見抜いていたんだろう。

ただ、いちいち僕に言わなかっただけの話だ。


そんな自分のことは忘却の彼方に押しやって、なんとかつじつまを合わせながら生きてきたと思う。



かんながらの物語だって、ああやって書けば主人公も心清き人物に描かれてしまうけど、その心の奥には、自分でも見たくない様々な想いが渦巻いていたように思う。


それは今も同じで、無意識に自分を正当化して生きてはいるが、まだまだ醜い面が心の底を去来していて、それを実際に見届けることさえしていないように思う。

ようするに自分を見たくないわけだ。



若い頃よりは幾分よくはなってきたが、このような傾向は一生続くんだろうか。

それとも芯の芯から潔く美しく生きられるような、そんな人格に成長できるんだろうか。


今の僕にはそのことがまだわからない。



自分の暗い面だけを浮き彫りにして、もうひとつの随神(かんながら)を書いてみたらどんなストーリーになるのかな。

よく自叙伝や人物伝のような書物があるけれど、そのような本にはどれくらい立体的な真実が描かれているんだろう。



なんだか今日は自虐的な文章になってしまったけれど、自分を見つめる難しさを感じたので書きました。
(文章は一見自虐的に見えるかもしれないけれど、実際にはかなり清々しい気分です。無意識に蓋をした世界を見つめる勇気を持ち始めたからだと思います)



少しでも心清らかに生きていきたいと願っている今朝の心境です。




さて犬の散歩でも行ってこようかな。

この子の世話をしている自分、家族の幸せを考えている自分、少しでも人の役に立ちたいと思っている自分には嘘がないのだから、そんなところも見てあげながら、今日も一日僕自身を生きようかと思うわけです。



今日もいい一日でありますように。





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