かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

カテゴリ: こう思うんだ

ひとつの出来事に対しても、いろんな意見があるね。 それは、価値観の違いや、判断基準の違いが作り出しているんだろう。 共通しているのは、人と意見が合わない場合は、相手が間違っていると考えがちな点だ。 そうやって正しい者同士が衝突し、争いに発展 ... 続きを読む



ひとつの出来事に対しても、いろんな意見があるね。

それは、価値観の違いや、判断基準の違いが作り出しているんだろう。


共通しているのは、人と意見が合わない場合は、相手が間違っていると考えがちな点だ。

そうやって正しい者同士が衝突し、争いに発展することもある。




「自我」という存在は、極めて精密な防御機構のようなものだ。

自分を脅かしそうな外側の脅威から、常に自分を守ろうと注意深く周囲を見張っている。

それは本能的に、自分は正しいという立場からものを考えようとして、状況が悪くなると、瞬時に自分を正当化し、相手の間違いを探し出す。



ちょっと極端な話になるが、殺人を犯した人たちを診察する精神科医の報告では、ほとんどの囚人が、殺人を犯したのは自分の責任ではないと考えるそうだ。

たとえば、泥棒に入ったら見つかったので仕方なく殺したとか、大声を出したから殺したとか、相手は殺されても仕方ない人間だったとか、仲間にそそのかされたとか、悪魔が乗り移ったとか、殺す気はなかったとか・・・


殺人者でさえも自分を正当化するのだから、普通に生きている僕たちや、僕たちの周りの人達が、たとえ目に余る行為があったとしても、心底から自分の間違いを認めるなんて、めったにないことだと思う。


そのような人間の質を知らずして、相手の間違いを指摘したり、反省させようとしたりするのは、ひとりよがりの無意味な行為なのかもしれない。




再び亀田さんの謝罪会見の話になるが、彼らは心から反省して会見に臨んだのだろうか。

いやいや、そうではなく、自分達が置かれた危機的状況を打破するには、あのような会見を開くしかなかったのだろう。

もともと社会をなめきって生きてきた人が、不祥事を指摘されたからといって、すぐに自分の非を認めて反省するだろうか。



おそらく心の中では、早くこの状況が過ぎ去って欲しい、なんとか切り抜けたい、お前達に俺の気持ちがわかってたまるかという気持ちがあるのではないか。


もし僕が彼だったら、間違いなくそのように考えると思う。

でも僕はもう少しずるいので、うまく演じきって周囲を納得させることだろう。




心底から反省したり、懺悔したりするのは、極めて高い人間力を要する。

深い知性と、謙虚な気持ちがなければ、本当の反省などできるものではない。


にもかかわらず、あのような謝罪会見に対して、「本心からの謝意が伝わらない」「反省が足りない」などと責め立てる人たちは、いったい何を期待しているのだろう。




人間が自我に支配された欺瞞の塊りである以上、社会はその集まりのようなもので、欺瞞と偽善に満ちた劇場のようなものではないだろうか。

もちろん僕たちはそんな社会にあって、すこしでも誠実に、少しでも人の役に立ちたいと思って生きているのも事実だ。

でもそんな自分の中には、今述べたような見たくない自分が生きているのではないか。



人を非難したり、心からの謝罪を求めたりすることで、自分の気持ちが少し楽になるのかもしれないが、そのような態度は現実的でないことも知らなければいけない。




僕はいつも思う。

この人生でやるべきもっとも大切なことは、人を責めることではなく、絶え間なく正当化している自分自身の欺瞞と向かいあって、とことん自分を見ていくことだと。



「愛」「癒し」「祈り」・・・

耳障りのいい言葉が氾濫している精神世界ブームの中で、もっとも基本的な自己観察をおろそかにしては、実際の成長は望めないと思う。




少なくとも僕は、そのように考えて生きている。









お知らせ

明後日の東京ライブは満席のため、当日券はありませんのでご注意ください。

沖縄でのバースデイライブは27日が満席、28日も残り少なくなってきています。

お問い合わせは098-866-5880(母家)までお願いします。


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昨日の謝罪会見は、けっこう刺激的だったね。 真剣に謝っていないって意見も多いみたいだけれど、それは彼らに期待しすぎているからだ。 このピンチをどう乗り切ったらいいかという冷静な判断力があるくらいなら、ここまで暴走することは無かったのだから。 ... 続きを読む


昨日の謝罪会見は、けっこう刺激的だったね。


真剣に謝っていないって意見も多いみたいだけれど、それは彼らに期待しすぎているからだ。

このピンチをどう乗り切ったらいいかという冷静な判断力があるくらいなら、ここまで暴走することは無かったのだから。

これが彼らの知力の限界で、僕は今の時点ではこれで十分だと思った。

これ以上の期待は、逆イジメになってしまう。



一番印象的だったのは、亀2号君の憔悴しきった態度。

あの憔悴は、社会からのバッシングや、敗戦ショックだけが原因ではないだろう。

自分の人生哲学が根底から崩れ落ちていくことの虚無感ではないか。


彼の人生哲学は単純だったと思う。

それは

「オヤジの言うことを聞いていれば間違いない」


そのオヤジが社会の風圧の前に、もろくも敗れ去った。

子供として、弟子として、信者として、そのショックは相当なものだと思う。

僕も息子を持つひとりの親として、この点は痛々しかった。



一方で、オヤジさんの表情も印象的だった。

僕には彼の顔が、身体の大きな子供(キカン坊)に見えた。


悪い言い方になってしまうが、知性の無さが露呈してしまっていた。

ボキャブラリーの貧困さや、理解力の無さ、あのような会見の場はかなり苦手なはずだ。

だからこそ、昨日の謝罪会見はあれが精一杯だったと認めてあげたいのだ。



ところで、もし僕が亀2号君のプロデューサーだとしたら、今回の一連の騒動は小躍りするくらいに喜ぶだろう。

ここで彼が改心して、健気な少年として一心不乱に練習に打ち込み、日本タイトル、東洋タイトルという具合に、自分の実力にあったレベルの試合を重ねていけば、時間の問題でファンは戻ってくるだろう。


日本人は判官びいきなので、そんな姿勢は共感を生むことだろう。


しかも、いったん憎まれた人間が再び愛された時、その愛はとても深いものになる。


ただ愛されているだけでは、底が浅い愛でしかない。

なぜなら、愛の中には必ず憎しみという潜在的な可能性が眠っていて、それが無意識に心のブレーキをかけてしまうから、愛が表面的なものになってしまうのだ。

反対に、憎しみが最初に表に出てしまえば、その愛は計りしれない強さを持つことになる。




いろんな意味において、この逆境はすごい可能性を秘めた状況だと思う。



新しいニックネームは「ハンソク王子」はどうだろう。

いやこれはあまりいい名前じゃない。


もっとクリーンなイメージがいい。

髪型は7・3分けがいいかもしれない。


とにかく、今までとは180度違う好青年のイメージで再出発すれば、多くの国民の心をわしづかみにするだろう。



ま、そんなことはどうでもいいか。


それより、マスコミの皆さんにお願いしたいのは、日本社会特有の村八分を煽るような報道はやめてもらいたいということだ。


あまり正義漢ぶって、悪を断罪する姿もいただけない。

たしかに彼らは、品性や知性を著しく欠いているかもしれないが、社会の中で善人の仮面をつけて、権力や社会に迎合して生きている人達よりも、正直な面もある。


それにお金になれば何でもやる人達が、同じようにお金になればなんでもやってきた彼らを断罪する資格があるとも思えない。


同じ穴のムジナ。

僕はテレビを見るたびにそう思ってしまう。




亀田さん一家はいろんな話題を提供してくれたが、人間の様々な面をわかりやすく見せてくれて、たくさんのことを学ばせてくれたと思う。


「勝てばいい」

この時代遅れの美学に、多くの人達が背を向けたことは、日本もまだ捨てたもんじゃないってことを感じさせてくれた。

反面教師という点も含めて、この一連の騒動を、よい意味での教育に使っていけるような気がする。




最後まで読んでくれてありがとう。





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おはよう。 もう10月も半ばを過ぎてしまったね。 さすがの沖縄も、朝晩の犬の散歩が少し肌寒く感じるようになった。 そうそう犬の散歩といえば、あの亀田家の話。 家の前に集まったマスコミ陣を避けるように、一家は身を隠しているらしいけど、カラッ ... 続きを読む


おはよう。

もう10月も半ばを過ぎてしまったね。

さすがの沖縄も、朝晩の犬の散歩が少し肌寒く感じるようになった。



そうそう犬の散歩といえば、あの亀田家の話。

家の前に集まったマスコミ陣を避けるように、一家は身を隠しているらしいけど、カラッポの家にはトイプードルとミニチュアダックスがいるんだってね。

家を警備するガードマンに家族から電話があって、犬の散歩を依頼してきたらしい。
(やたら詳しくてスマン)



あの強面の家族にしては、ずいぶん可愛いい犬を飼っていて似合わないって話があるけど、僕はもしかしたらあの子供達は心優しい子達なんじゃないかと思っている。


テレビの前であんなに強そうで恐い自分をアピールするってことは、実際には気弱ってことだから。

もし本当に猛々しい人間ならば、あえてそのことを強調しなくてもいいでしょ。


僕らは自分の中にない面を、外側に演出する傾向があるからね。




たとえば成金さんは、自分の本来の貧しさを隠すために、やたらと高級なものを身につけたがるでしょ。


本当に豊かな人はそんなことは気にも留めない。


根が甘えん坊の人は、強い自分を生きようとして、人に自分の弱さを見せなくなったりする。

亀田さんちの子供達も、本当は泣き虫で弱々しい性格なんじゃないかと思う。


だから、試合前に相手になめられないように、あそこまで自己演出する必要があったんじゃないか。

自信のなさを隠すためにね。



そんなやり方を関係者が面白がって、ヨイショして持ち上げるから、その気になってあそこまで暴走しちゃった。


文部科学大臣まで彼らを非難する声明を出したから、もう国中が敵になっちゃった感じだね。




こうなるとヘソ曲がりの僕としては、彼らをかばいたくなるわけよ。




人間は極端から極端に移行する生き物だから、さんざんヒーロー扱いしていた人達が、今度は一転してののしり始める。


真実はいつもその中間にあると思うわけだ。



相手が誰であれ、人を非難する時は気をつけよう。

僕らは相手の中に何か悪い面を見つけると、その人の全人格を否定してしまう傾向があるから。


誰だっていろんな面を持っているわけで、その人から学べることだってあるはずだ。



たとえば亀2号君も、世界タイトルマッチではまったく通用しなかったけど、わずかな期間でここまで成長したのは凄いことだと思う。

その裏には、想像を超えた練習量があったはずだ。



いい人は100%いい人で、悪い人は100%悪い人という、人間に対する単純な見方が、争いを生む元になっているようにも思うんだ。


ドラマなどでは悪役が徹底的に悪く描かれるから、僕らは本当にそんな人間がいるような気がしてしまう。



でも、思い出して欲しい。

本当はみんな自分だって事を。



相手を決め付けたり裁いたりしないで、中立的な目線で見たいものだね。



僕自身もよく人の事を決め付けてしまうけど、誰にだっていろんな面があって、状況次第でどんな人にでもなってしまうことを忘れないでいよう。




そんな見方が、優しさを持った見方だと思うよ。




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昨日下された亀田一家への処分内容。 甘すぎるという人、妥当だという人、それぞれだとは思いますが、彼らへの処分なんて自分の人生に直接関係ないんだから、そんなことに惑わされずに、いまここを生きようと言いながら、TBSやコミッション自体にも何らかの処分 ... 続きを読む



昨日下された亀田一家への処分内容。

甘すぎるという人、妥当だという人、それぞれだとは思いますが、彼らへの処分なんて自分の人生に直接関係ないんだから、そんなことに惑わされずに、いまここを生きようと言いながら、TBSやコミッション自体にも何らかの処分が必要だと考えているのは僕だけでしょうか。


「テレビも見ない」「新聞も読まない」と豪語しているわりには、ほとんどの番組のコメンテーターの一言一言までやたらと詳しいのは何故かという質問をはぐらかしている僕ですが、今日もよろしくお願いします。



諸悪の根源は父親だと言うけれど、ああいう毒素を振りまくことで低迷しているボクシング界を再興させようとした商売人たちがいたわけで、一家の品性の無さが商売人たちのコントロールを超えちゃったのが今回の事件です。


フグの毒も死にそうで死なないくらいが一番美味いと言いますが、調理が失敗して人が死んじゃったら、儲けようとした店の人や料理人が影に隠れてしまって、みんなしてフグが悪いって言い合っているのが、いまの現状だと思います。




個人的には世の中をナメきった悪役ヒーローは嫌いじゃないけれど、どうせあそこまでリアルにやるんなら、最後まで堂々と開き直って欲しかった。

自分たちの反則指示や行為に対する愚にもつかない言い訳には少々シラケました。




ま、いいや。



考えてみれば、ロープで四角く囲ったリングで、気絶するまで殴り合いをさせる行為を、スポーツだと言い切っているところが、何か変だと思わなきゃいけない。


見ている側は、自分の怒りやストレスを他人の格闘を通して解消しているわけで、そこにルールがあるからスポーツだって言い切る姿は、国際法を守れば戦争は合法だって言っているのと同じように見える。


自分が生まれる前からある競技だから、みんなすっかり洗脳されていて、そもそも殴り合いを面白がっていることの愚かさに気づかなくなっている。


しかもそれを見世物にしている野蛮人文化が、いまの人類の現状だよ、


罪のない動物を平気で殺して、皮を剥いで肉を食らっている姿と同じレベルだ。




暴力はいけないというなら、例外なく暴力はいけないのだ。




ここで僕からの提案がある。


この先ボクシングの試合は、殴り合いじゃなくて、リングの上での話し合いで決着をつけたらどうだろう。

話し合えばわかるんじゃないだろうか。


それを2時間生中継するくらいのTBSであってほしい。

低視聴率にもめげないその姿に、信頼回復は請け合いだ。





それから亀田一家の処分だけど、ライセンスの停止ということでは問題解決にならないよ。


そもそもあの親子の精神状態は歪んでしまっている。

精神の歪みの原因は、言うまでもなく愛の欠如だ。



したがって、一番的を射た処分は、

父親はヒーラーのもとに送って、インナーチャイルドが癒されて感動の涙を流すまで無期限強制ハグ。


子供達は「ありがとうございます」を連呼しながら、民家のトイレをピカピカに磨き、それらの行為がボクシングなしでも金運を引き寄せることを証明するまで帰れないという全国行脚の旅に出す。




ついでに、

高橋ジョージはリーゼントヘアーの1年間禁止処分。


エリカ様は「息を吸って私は静か」「息を吐いて私は微笑む」を1万回。





こんなんでどうでしょう?






バカ言ってないで、いまここを生きることにしますガ-ン






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最近ラジオへの投稿で、子育てに関する悩みが多い。 子供がクラブ活動に熱中して勉強しないとかね。 そういえば最近の世論調査で、子供達が一番就きたい職業は公務員だという。 市民の下僕になって自分の時間や能力を使いたいということなら見上げたも ... 続きを読む



最近ラジオへの投稿で、子育てに関する悩みが多い。

子供がクラブ活動に熱中して勉強しないとかね。



そういえば最近の世論調査で、子供達が一番就きたい職業は公務員だという。


市民の下僕になって自分の時間や能力を使いたいということなら見上げたものだが、それ以上の理由として公務員なら一生安泰だというような発想があるらしい。

おそらく親がそれを望んでいるんだろうな。


安全に無難に生きながらえる事が人生の成功であればそれでいいけど、この人生のチャンスはそんなことで浪費してはいけない。


公務員を目指すのは悪いことではないが、その動機が間違っていると思う。



人生とは危険の中でリスクを背負って生きた時に、生きているという実感と多くの学びを得られるようにできている。

生きるとは情熱を燃やすことであり、自分の魂を磨くチャンスなのだ。


安全な職業を得るために子供に嫌いな勉強をさせて、その子の可能性を奪ってはいけないよ。

たとえそれが親心でも、子供の人生を型にはめる権利は誰にもないんだから。



僕らが子供に教える大切なことは、自分に自信を持つことと他人への愛を学ぶこと。


あとはその子の人生の流れの中で、失敗しながらも学びながら、然るべき時に然るべき人と出会い、人生を作っていくんだと思う。


それなのに多くの親達が、暇さえあれば「勉強しろ、勉強しろ」


なぜそう言うかというと、みんながそうしているから。


僕らはみんなが同じ方向を向いていると、それが正しいことのように思ってしまうんだ。




そうそう、こんな話がある。


昔アメリカのゴールドラッシュの時代。

金鉱を探して多くの者達が金山の町にやってきた。


でもそのほとんどは夢叶わず、病や疲労で死んでいったそうだ。



そんなわけで天国の入り口は大変混み合っていた。


門の前にズラリと並び、一人ひとり受付をするもんだからなかなか自分の番が回ってこない。

そこに並んでいた男が、ある妙案を思いついた。


男は持っていた紙切れにさらさらと短い文章を書いて、さりげなく道端に置いた。


すると誰かがその紙を拾って、近くの仲間たちに耳打ちすると、彼らは一目散に地獄の方向に走って行った。


その紙には

「地獄にて金脈発見」

と書かれていた。


そのうち他の場所でも誰かが耳打ちし、それを聞いた者達は急いで地獄に向かった。


その噂はどんどん広がり、そのたびに男達は一目散に駆け出した。


いまやほとんどの男達が向きを変えて、遅れてはいけないと必死な形相で走り去っていく。


その光景を見て、紙を置いた男は不安になった。



「これほど多くの者達が地獄に向かうんだから、もしかしたら本当に金脈が見つかったのかもしれない・・・・こうしてはいられない!」


ついにはその男も地獄に駆けて行ったんだってさ。




さて、今日も自分を信じて生きていこうね。


あなたの人生は、あなたにしか生きることはできない。


それは他の人と同じじゃなくていいんだよ。



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すっかり遅くなってしまった。 昨日、吉の浦会館(いまここ塾)に向かう途中でラジオをつけたんだ。 そしたらニュースをやっていて、その中に興味深い話があった。 それは和歌山の病院での出来事。 80歳を過ぎた人が脳溢血で脳死状態になり、人工呼吸 ... 続きを読む


すっかり遅くなってしまった。


昨日、吉の浦会館(いまここ塾)に向かう途中でラジオをつけたんだ。

そしたらニュースをやっていて、その中に興味深い話があった。


それは和歌山の病院での出来事。

80歳を過ぎた人が脳溢血で脳死状態になり、人工呼吸器で生きながらえていた。


家族はお別れを済ませたから、直る見込みがないならこれ以上苦しませずに延命措置を止めて、このまま逝かせてあげて欲しいと懇願したそうだ。


医師は一旦は断ったものの、ついには家族の願いを聞き入れ人工呼吸器を外し、病人は亡くなったということだ。


結局その医師は、殺人罪で告発されたというようなニュースだった。


それを聞いた直後だったから、昨日の内容は「死」が主なテーマになったんだ。



僕達の人生で、この先何が起こるかは誰にもわからないし、何一つ決め付ける事はできないけれど、唯一確かな事がある。


それは、必ず死ぬということ。



したがって、「死」というテーマは誰ひとり部外者がいない話だ。

ところがあまり正面から話題になったり、議論したりすることは少ない。


そこには文明というものが「死」をどのように理解し扱ってきたかの片鱗が見えるような気がする。



死といってもいろいろある。

病死、事故死、自殺、死刑、戦争、殺人・・・



「死」という立場から見れば、どのような死に方をしても「死」は「死」だ。

水が蒸気になる時に、ガスの火でも、太陽熱でも、蒸気になるという作用は変わらない。


しかし「生」という立場から見た時は、その死に方にはそれぞれの意味と問題を含んでいると思う。



以前、ラジオ局に自殺予告が届いた事がある。

局の責任者はそれを黙殺して、もしものことが起こる事を恐れて、番組で取り上げる決断をした。


僕に白羽の矢が当たった。


僕自身は乗り気ではなかった。

いままでに自殺を公に予告して自殺した例はほとんどないと聞いていたし、生死に関わる問題を軽々しく扱いたくなかったからだ。


それが、あれこれとおだてられ、何度も懇願されて引き受けることになった。


正直言ってその手紙を送ってきた主には、それほどの感情を持たなかったが、その予告手紙を番組で読んだ後に、多くのメッセージが寄せられ、その中に我が子を自殺で亡くした母親達からのFAXが3通もあり、その一枚一枚に必死で自殺を止めようとする悲痛な想いが込められていて、それを読みながら涙がこみ上げてきて番組が続けられなくなった。


人は一人で生きてきたわけではない。


そこには多くの人の援助があり、生かされてきたのだ。

したがって、自分勝手に死ぬ事はできないと考えている。


それが自殺に対する今の僕の考えだ。


この話は長くなる。

夜も更けてきたので今日はこのへんにするね。


昨日と同じ話しをするつもりが、テーマは同じでも違う言い方になった。



寝る前に、ちょっと「死」について考えて見よう。

あなたも静かに考えてごらん。


「死」を考える事は「生」を考えることに繋がるから。



それじゃ、きょうはオヤスミ。



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今日は1日、これといって何も理由が無いのに幸せな気持ちがふつふつ湧いてきた。 今日の幸せのためには、今まであったこと全てが必要で、それらは素晴らしい出来事だったことになる。 反対に今が最悪だと、今までのすべては今日のことを引き起こすために ... 続きを読む



今日は1日、これといって何も理由が無いのに幸せな気持ちがふつふつ湧いてきた。


今日の幸せのためには、今まであったこと全てが必要で、それらは素晴らしい出来事だったことになる。



反対に今が最悪だと、今までのすべては今日のことを引き起こすために起きていたことになり、忌まわしく見えてくる。



結局、全ては「今」しだいだってことだね。



そんなことを考えながらせっせと荷物を運んでいる僕でした。



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