かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

カテゴリ: 究極メッセージ

昨日のコンサートでは、大きな幸せを受け取りました。 来てくれた人の顔がみんな輝いて見えました。 舞台の上で感じました。 ここにいる人だけでなく、全ての人はみんな祝福されているって。 僕たちは自分の身に起きた不幸な出来事や失敗を悔やんだ ... 続きを読む



昨日のコンサートでは、大きな幸せを受け取りました。

来てくれた人の顔がみんな輝いて見えました。


舞台の上で感じました。

ここにいる人だけでなく、全ての人はみんな祝福されているって。



僕たちは自分の身に起きた不幸な出来事や失敗を悔やんだりしますが、大きな観点から見たときは、それも含めて全部必要で、起きるべくして起きてきたのです。




釈迦の言葉に「タタータ」というのがあります。


起きる事が起きる。

それ以外は決して起きない。

こうなればよかった、こうならなければよかったと思ってはいけない。

それ以外は決して起きなかったのだから。





今日はそんな話をさせてください。




僕たちが喜ぼうが悲しもうが、事は起きてきました。

これからも同じこと。

僕たちが喜ぼうが悲しもうが、事は起きていきます。



それは全体(神)の意思です。

部分(自分)が全体に戦いを挑んでも負けは見えています。

人生をすべて自分の思い通りに征服しようとしても、最後は必ず敗北で終焉します。




戦うことなく流れに身をまかせて、流れと共に生きること。

それが生きる極意だと仏陀は言います。




それは何もするなということではありません。

いつも今、目の前の現実に心を込めて最善を尽くす。


でもその結果、事がどのように展開しようが、それは天の仕業だから受け容れなさいということです。




人生の流れは、時として思わぬ方向に流れたりします。

岩だらけの渓谷や、急流にのまれたりもします。


その流れはそれぞれの人生に与えられた定め。

最後の祝福にたどり着くための、避けては通れない道のりなのです。



そしてどんな流れも必ず海にたどり着きます。

僕たちは最後に大いなる愛とひとつになるために、何度も何度も生まれ変わりながら、それぞれの旅を続けているのです。




<右に流れても 左に流れても どっちだっていいよ Let it be>

この言葉はブログのサブテーマにしているもので、「Let it be」の自作の日本語詩です。



今日はその全文を紹介します。



右に流れても 左に流れても どっちだっていいよ Let it be

どんな流れも いつかは海に帰る 心配ないよ Let it be


思し召すまま 流れのままに まかせてごらんよ Let it be



楽しかったことも 悔しくて泣いたことも みんなありがとう Let it be

恨んだあの人を 許してあげた時 奇跡が起こるのさ Let it be


まかせてごらん 天の力に ゆだねてごらんよ Let it be

思し召すまま 流れのままに まかせてごらんよ Let it be

Let it be  Let it be  Let it be  Let it be どってことないよ Let it be





起きる事が起きる。

それ以外は決して起きない。

こうなればよかった、こうならなければよかったと思ってはいけない。

それ以外は決して起きなかったのだから。




今がどのように見えたとしても、誰もの人生は完璧なのです。


思し召すまま・・・・








昨日コンサートに来てくれたみなさん、コンサートを支えてくれたみなさん、そして遠方からパワーを送ってくれたみなさん、ありがとうございました。


僕はおめでたいのかもしれないけど、いつも今回のライブが最高だったと思います。


星、風、光、音楽、愛、祈り、一体感、平和、想い、涙、笑い・・・

人間っていいな、生きてるっていいなって思えた夜でした。


感謝。






追伸

裏ブログ<随(かんながら)神>にも、毎日新しいメッセージを載せています。

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悟りの体験については、まだほかにも共通点があるみたいなんだ。 今日も引き続きその話をしてみるね。 本当に悟った人たちが「自分は悟った」って言わないのは何故だろう。 昔から 「知った者は言わず」 「言う者は知らず」 と言われている。 ... 続きを読む



悟りの体験については、まだほかにも共通点があるみたいなんだ。

今日も引き続きその話をしてみるね。


本当に悟った人たちが「自分は悟った」って言わないのは何故だろう。


昔から

「知った者は言わず」

「言う者は知らず」

と言われている。



向和尚にはそこをあえて話してもらった。

だって知った人が話してくれなかったら、誰もそれを話さずに、僕たちに貴重な情報が届かないものね。




さてそれではなぜ、知った人は言わないのか。

今日はその話だよ。





究極の体験とは、自分が天地宇宙と一体になる体験だ。


ちょっと想像して欲しい。

自分が宇宙全体になってしまったとしたら・・・

その時、自分はどこにいってしまうんだろう。


もし自分がいて宇宙があったとしたら、まだそこには一体感はない。

自分と宇宙の2つが存在している。


一体感というのは、それが一つになってしまうわけで、そこには宇宙全体があるだけで、自分と呼べるようなものはどこにも存在しなくなってしまう。


したがって究極体験をした人たちに共通するのは

「究極体験をした者はいない」

ということなんだ。



体験者がいなくて体験だけがある。

悟った者はいなくて悟りだけがある。


それが「悟り」の体験だ。


したがって「私は悟った」とは言えないわけだ。

悟った私がいたとしたら、それは本当の悟りじゃないからね。




言葉で表すのは限界があるけれど、真理において自己は消滅する。

違う言い方をすれば、「私はいない」というのが真理だ。



「私はいない」ってどういうこと?


説明するのは難しいけれど、究極的には「自己」は存在していない。

存在しているのは、いまここを脈々と生きている「全体」だ。


宇宙飛行士の中には宇宙空間でその感覚を体験する人がいて、帰還してから宣教師になる人も少なくない。



自分がいなくなるというと、そんなのはごめんだと思うかもしれない。

でもその時、自分と共に、自分の抱える問題や、悩みや、不安や、そのほか様々な重荷が全部消えて、とてつもなく素晴らしい体験(感謝、悦び、エクスタシー)だけが残るんだ。


それじゃその体験を認識しているのは誰だという問いかけが残ってしまう。

だから「悟り」は言葉や理屈を超えているわけだ。



その大いなる自己は確かに存在して、それが本当の自分なんだけど、僕にはこれ以上うまく説明できない。

それは実際に体験するしかない。



そして実際にそれを体験したとしたら、あなたはそのことを言わない可能性がある。

「知った者は言わない」からだ。


あはは、なんだかおかしな話だね。



そんなことを踏まえて、向和尚の体験談を聞くのも面白いかもしれない。


また寄稿してもらったら紹介するからね。



大切なことは、それは他人事じゃないってこと。

それはあらゆる人の潜在性であって、あらゆる人の未来だ。


僕たちはいつか必ず悟ることになる。


それが宇宙の壮大な計画で、その計画はミクロの世界まで完璧に粛々と運営されている。

宇宙(神)に失敗はありえないんだよ。


だからいつも言うんだ。

僕たちは最初から救われているって。



こんな話、面白い?




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今日はとても興味深い話だよ。 それは悟りの瞬間について。 昔から多くの人たちが、悟りの経験をしてきている。 その人たちの証言にはいくつかの共通点があるんだ。 いつの日か僕たちもその経験をすることになると思うけど、それがどんなもの ... 続きを読む


今日はとても興味深い話だよ。


それは悟りの瞬間について。




昔から多くの人たちが、悟りの経験をしてきている。


その人たちの証言にはいくつかの共通点があるんだ。



いつの日か僕たちもその経験をすることになると思うけど、それがどんなものなのかあらかじめ知っておこう。




彼らの共通点の1つは、自分が悟りの境地を掴むのではなく、悟りの境地が自分を乗っ取ったという点。

悟りの瞬間を自分の力で実現したのではなく、ムコウからそれがやってきたということだ。



もちろん悟りたいという意思は常日頃から持って、修業をしてきた人も多いだろう。


でも最後の瞬間は、自分の手を越えているというのだ。




それは「眠る」という行為に似ているところがある。



眠りは自分の意思で、自分の力ですることはできない。

眠りという状態は、ムコウからやってくる。


自分が眠りを掴むのではなく、眠りが自分を乗っ取る。

僕らの力で眠りを実現できるわけじゃない。



僕らにできることは、眠りに入るための準備をすることくらいだろう。


部屋を暗くして身体を横たえる。

そして気持ちを静めて、眠りが訪れるのを待つんだ。



眠ろう眠ろうとすると、かえって眠れなくなる時ってあるよね。

同様に悟ろう悟ろうとすると、それはかえって悟れない状態になっていく。



準備をして静かに待つ。

どうやらこれが一番の近道のようだ。



そのための準備とはなんだろう。


その方法が完成されているのが禅の専門道場だが、僕らはそこに入って徹底的に修行することはできない。



僕らが日々の生活の中でできる準備は何だろう。



その1つが瞑想(坐禅)だと思う。


ただ静かに坐って、頭の中を去来する絶え間ない思考から離れていく。


そう、6月21日の「実践版・思いは実現する」と、6月19日の「続・続・思いは実現する」のところで伝えた阿頼耶識瞑想法だ。



もし毎日30分でも、そんな習慣が持てたら、自分の願望実現にも効果的だが、そんな願望を遥かに超えた素晴らしい体験に誘われる準備にもなるんだよ。


その境地の体験から見れば、地上のあらゆる宝はゴミくずのように見えるだろう。





さて、一人の禅僧が、その修業の途上で突然悟りの境地に乗っ取られた体験談がある。


こういう話は、めったに外に出ることは無いが、強くお願いして投稿してもらった。


おなじみの向和尚の若かりし頃の体験談だ。



実はこの話、僕も今回初めて聞いてとても面白かった。


<随(かんながら)神>の今日のところに載せたので、こちらも見てみてください。




この続きはまた後日。






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それはS○Xの10万倍の快感だった。     ↑ (ソックスではなく○は伏字) 10万倍というのは比喩で、実際には比べ物にならない、まさに次元の違いがあった。 今までの人生で僕に快感をもたらしたあらゆることは、単にこの体験の代用品だった。 ... 続きを読む



それはS○Xの10万倍の快感だった。
    ↑
(ソックスではなく○は伏字)


10万倍というのは比喩で、実際には比べ物にならない、まさに次元の違いがあった。


今までの人生で僕に快感をもたらしたあらゆることは、単にこの体験の代用品だった。

それは自己と時間の両方が消えうせた、「永遠」と「全体」に乗っ取られた体験だった。


あまりにもリアルで、人生の全てが霧のように消えうせてしまうほどにリアルで、それは疑いようの無いものだった。



たとえ全世界がその体験を否定しようと、ゆるぎない確信は生き生きと心の中で脈打っていた。


同時にそれはあらゆる人の基盤であり、いま時代は大きく変わろうとしていて、僕の役目はこの体験を多くの人に伝えることだと直感した。


全ての仕事を整理して、自分の役目を全うするために新たな旅に出た。

音楽時代の友人達にも説いて回ったが、誰ひとり耳を傾けてくれなかった。

それどころか親友までもが影で「アイツは宗教にはまった」と言いふらしていたくらいだ。



現実社会では徹底的な孤独の中に突き落とされたが、実際には孤独感はまったくなかった。


宇宙の全てが自分と共にあったからだ。



あれから20年。

いま、多くの人が話に耳を傾けてくれるようになった。

そして予感どおり、時代は大きく変わりだした。




旅の途中で、一人の禅僧と出会った。

それまでにも多くの僧侶や聖職者達と出会っていたが、誰ひとり究極を分かち合える人がいなかった。

でもその禅僧と会話をしたときに直感した。

「この人はすべてを知っている」



それが向和尚だった。

現在は臨済宗大本山方広寺の教学部長をされている。



あの日の体験は様々な言い方で昔から伝わっているが、その中のひとつに無位の真人(むいのしんにん)というのがある。


向和尚も若くしてその境地を獲得し、今に至っている。


伝統的な禅の立場から見て、それがどういうことなのか、向さんの実体験をもとに文章を寄稿してもらった。

これは、今後あらゆる人が向かうべき道なので、その道しるべとしてもお伝えしておきたいと思う。




裏ブログの<随(かんながら)神>の今日の記事にアップしました。

http://orionza.ti-da.net/




いま巷で禅がブームになっていますが、禅は知識ではなく、まさにこの境地を獲得することが、その存在理由だと思います。








人からどう思われようと、これからもダイレクトに役目を全うしていこうと覚悟を決めています。


今日も読んでくれてありがとう。

あなたとの出会いに感謝します。



追伸

本日、小禄のジャスコで、沖縄のサンゴを守るイベントがあります。
2時から一時間、僕と智子さんのステージもあるので、時間がある人は遊びに来てください。

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おはよう。 沖縄は台風の影響で少し風が出てきたね。 この週末のイベントは全部中止かもしれない。 実はね、今日の記事・・・すでに2つ書いたんだよ。 でも自分で気に入らないんだ。 書きたいから書いているんじゃなくて、書くために書いているみ ... 続きを読む


おはよう。

沖縄は台風の影響で少し風が出てきたね。

この週末のイベントは全部中止かもしれない。




実はね、今日の記事・・・すでに2つ書いたんだよ。

でも自分で気に入らないんだ。

書きたいから書いているんじゃなくて、書くために書いているみたいになってしまったから。




伝えたいことはいつもあるよ。

それはね、


あなたの中であなたを生きている存在と、僕の中で僕を生きている存在は、まったくひとつの同じものだっていうこと。


僕はあなただし、あなたは僕だし、全てはひとつだ。



ただそれだけが伝えたくて、いろんな言い方で話し続けてきたけど、それをみんなが知れば、この世の問題は消えてなくなると思う。



ただ知るだけじゃダメだ。

それを体感して確信するんだ。



どうやったらそれが可能になるのか。



僕は楽天主義かもしれないけれど、いま人類が抱えている地球規模の問題が最悪になったとき、それを打破するために地球のバイブレーションが一気に上がって、人類の意識に影響を与え、そこでみんなが悟るんじゃないかって期待している。




みんなで「せーの」で悟りたいね。

そしたらみんなで愛し合って与え合って、仲良くやっていこうね。



そんな世界を夢見て、今日も一日生きていくのであった。




いつも応援ありがとう

やっとストレートに書けたから、この記事をアップします。

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おはよう。 いつも思うのは、僕のブログを見に来てくれる人は精神世界マニアの人達だなって。 そういう世界をキャッチするアンテナを持った人の数が増えているから、こんなブログも人気ブログの仲間入りをさせてもらっているんだと思う。 今日もようこそマニ ... 続きを読む


おはよう。

いつも思うのは、僕のブログを見に来てくれる人は精神世界マニアの人達だなって。

そういう世界をキャッチするアンテナを持った人の数が増えているから、こんなブログも人気ブログの仲間入りをさせてもらっているんだと思う。


今日もようこそマニアックな皆さん。



それじゃそんなあなたに、のっけから超ぶっ飛んだメッセージを一発。




それじゃいくよ、準備はいいかい?




「この世にはあなたしか存在していない」



同時に

「この世には神しか存在していない」



すなわち

「あなたは神そのものだ」



究極的にはこれこそが、輪廻転生という夢を終わらせる黄金の智慧だ。




一瞬でもこのことを理解(体得)すれば、それまでの自分は霧のように消え失せる。


多くの重荷を下ろし、存在している事への無上の感謝に包まれる事だろう。


アンテナを持った人たちは、そんな経験に近づいているんだと思う。




その理解を得ることに比べたら、この世のどんな富も石ころのようなものだ。


名声や名誉にも興味が無くなる。

ちょうどサル山のサル達に尊敬されても嬉しくないのと似ている。


このことを頭のどこかに置いておくといい。


僕の直感では、この先ますますそんな体験をする人が増えていくと思うから。



それは祝福の瞬間だ。


そのときあなたは思うだろう。

「なーんだ、そうだったのか。
このことは心の奥底でいつも知っていたじゃないか」



そしておもむろに笑い出す


ワハハハハハハハ!!






その瞬間まで、また夢でも見るとするか。



いろはにほえど ちりぬるを わがよたれそつねならん


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昨日遅くまでライブをやっていたというのに、今朝は早くに目が覚めて、久しぶりに早朝坐禅なんかしっちゃった。 やっぱり、すごく気持ちがいい。 いつもとは全然違う感覚が訪れるんだけど、こちらが本当の感覚なんだと思う。 それはとてもピュアなもの。 ... 続きを読む



昨日遅くまでライブをやっていたというのに、今朝は早くに目が覚めて、久しぶりに早朝坐禅なんかしっちゃった。

やっぱり、すごく気持ちがいい。



いつもとは全然違う感覚が訪れるんだけど、こちらが本当の感覚なんだと思う。

それはとてもピュアなもの。

余分なものがなくて、生まれたときからずっと一緒にあった自分という変わらない存在が、静かにいまここにある。



いつもはあたりまえすぎて、あまりにも自分すぎていちいち認識しないんだけど、それはいつも自分として一緒にあったなって思う。



それは地球いっぱいに偏在していて、すべての人の中に生きていて、僕達はその純粋意識の上に独自のこだわりや執着を貼り付けて、それが自分だと思っている。


本当はすべて自分なのに、小さく限定した自分を、まわりから守って生き残ろうと頑張っている。



その努力はまったく無駄なもので、全部手放しにしてしまえば、これからも起きる事が起きて、それでいいんだって思う。




言葉にするのは難しいけど、みんながそれに気づけば、とてつもない幸せととてつもない安心がいますぐに訪れるのにな。



そんなことを感じている、静かな日曜日の朝です。


今日もここに来てくれてありがとう。




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