かんながら

阿部敏郎の公式ブログです。

カテゴリ: 悟り

久しぶりに向和尚と2日間過ごした。 2人で話をしているときは、小気味がいいほど話が合う。 真理の奥の奥の言葉にならない世界が、「理解」という形をとって2人の間を駆け巡る。 真理は活字にはできない。 経典や本の中の真理は、止まっているがゆ ... 続きを読む


久しぶりに向和尚と2日間過ごした。


2人で話をしているときは、小気味がいいほど話が合う。

真理の奥の奥の言葉にならない世界が、「理解」という形をとって2人の間を駆け巡る。



真理は活字にはできない。

経典や本の中の真理は、止まっているがゆえに死んでいる。



そこに感受性という命を吹き込みながら読むことで、真理の追体験をすることは可能だが、本の言葉をそのまま振りかざしても、それは単なる概念だ。


真理とは常に、「いまここ」の感応なのだから。




向和尚は誰と話すより僕と話す時が、一番真理が引き出されると言ってくれた。

僕も同じだ。



向さんは「禅宗」という世界のエリートで、すでに高い地位にいるが、この先ますます要職に就いていくだろう。

一方僕は一介の素人に過ぎない。

いわば、みなさんの代表だ。


でも真理においてはまったく対等だと思っているし、向さんもそれを認めてくれている。



この社会は権威が好きなので、大僧正とか老師とか枢機卿とか教祖とか、なんたらかんたらの人たちのほうが、自分たちよりも真理を体得し悟っていると思っている。

そして、そんな人たちの話をありがたがって聞いている。


その誤った態度が、自分たちを真理から遠ざけているのだ。



真理は宗教の専売特許じゃない。

僕たちの中にある普遍的な本質だ。



伝統宗教も、新興宗教も、内部に階級を設けて、権威を持たせることで堕落してきた。

それは単なる搾取の構造に過ぎない。



あらゆる権威を排除して、己の中に最高の権威を見つけ出すことが大切だ。


それこそが、ピュアな仏道であり、本来の全ての宗教が目指す形だと思う。



そんな話を向さんとした。


彼は「そのとうり」と言ってくれた。





思し召すまま、流れのままに生きてきたら、沖縄の地に招かれていた。


そしていま、新たな使命が始まろうとする、そんな予感を持っている。

今までの人生の全ては、そのためにあったと思えるような何かが・・・




今日も読んでくれてありがとう。




僕たちは100%対等な存在です。

だって、「ひとつ」のものなのだから。






このエントリーをはてなブックマークに追加

最近、世の中にストレスや心の苦しみが蔓延しているって思う。 これは時代の必然のような気がする。 衣食住が一通り満たされて、人間が次の段階に進むための、産みの苦しみのような気がするんだ。 ストレス緩和の方法は無数にあるだろう。 でもそれは病 ... 続きを読む


最近、世の中にストレスや心の苦しみが蔓延しているって思う。

これは時代の必然のような気がする。

衣食住が一通り満たされて、人間が次の段階に進むための、産みの苦しみのような気がするんだ。



ストレス緩和の方法は無数にあるだろう。

でもそれは病んだ木の、枝葉を修正しているだけで、根本的解決にはなっていない。


それじゃ、根本的解決はどうしたらいいのか。



それはずばり悟ること。



今のストレスや苦しみは、多くの人にとって悟るための準備のような気がしてならない。


だって苦しみが無ければ、誰も真理に興味なんか持たないから。

生きる方向転換をさせるための、神の計らいじゃないかって思っているわけで。



悟りというと、それは誰か特別な人に起こる事で、僕らのような一般の人間には縁遠い存在のように思いがちだけど、それは違う。

むしろ一番身近なことで、一番大切なことだと思う。



実に僕らの人生は、そのことを知るためにあると言ってもいいくらいだ。


今日はその話をさせてね。



僕みたいな人間が、悟りについて話すのはとてもいいことだと思っている。

そのほうが、身近なこととして伝わるだろうから。


これはあなた自身の話でもあるんだよ。








まず、理解すべき最初のこと。

それは、悟りとは達成されるべき何かではないということ。


悟りとは単に「いまここ」に生きている状態にすぎず、実際に我々はすでに「いまここ」に生きているんだ。

だから本当言うと、僕たちみんな最初から悟っている。


ところがマインド(頭や心)が入り込むことによって、「いまここ」を見失ってしまう。



なぜなら、マインドとは常に未来志向であり、目標志向だから。

「私はいつか○○になる」というのがマインドの基本姿勢だ。


したがって悟りについても「私はいつか悟りを達成する」とか言いだすことになる。


悟りとはマインドを使わない状態、ノーマインド、無心のことだよ。



マインドはマインド自体が存続するために、常に目標を作り出す。

「もっと、こうならなければ。もっと強く、もっと美しく、もっと金持ちに、もっと賢く、もっと・・・もっと・・・もっと・・・」



次々と、なるべき自分を思い描く。

それしかマインドが生き延びる手段が無いからね。



そしてこともあろうに、すべてのストレスや惨めさはこのマインドから生まれているんだ。


緊張させ、不安にさせ、劣等感や、闘争心や、苦しみに繋がるすべての感情を生み出し続ける。




マインドは言う。

「このままではいけない。明日に向かって走り続けろ。」


そして行き着くところはどこにもない。


だっていつも「いまここ」だから。




悟りとは「いまここ」にくつろぐこと。

それは、何かを達成することじゃない。

全ての人はすでにたどり着いているのだから。



その事実を認めること。

それが悟りだよ。



すると、またマインドが喋り出す。

「すでに達成されている?そんなはずがない。この苦しみ、この欲求不満、この惨めさがあるのに、達成されているわけがない」



その苦しみの原因はマインド自体なのに、マインドはまたしても次なる目標を与えてくれる。

「いつの日か、もっと幸せになるんだ」



でもいいかげんに認めたほうがいい。

僕らの人生は、これ以上よくならないってことを。


確かに外側の条件や環境は変わっていくかもしれない。


お金や財産も増えるかもしれない。

多くの気の合った仲間とめぐり合うかもしれない。


でもその時の自分も、今の自分と同じで、「いつか、いつか・・・明日になれば・・」って言っているよ。



明日に惑わされちゃダメだよ。

「明日」とは「マインド」の別名だから。

それは両方とも、実際には存在していない。


うーん、うまく言えたかな。



けっきょくは、いまがどんな自分であろうと、そのあるがままの自分を受け容れて、そこにくつろぐってこと。


あなたは、あなただし、それでいいじゃないニコニコ






このエントリーをはてなブックマークに追加